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'''ダブリン'''({{lang-en-short|'''Dublin'''}} {{IPAc-en|ˈ|d|ʌ|b|l|ᵻ|n}}、[[アイルランド語]]:Baile Átha Cliath {{IPA-ga|blʲaˈklʲiə|pron}} または ''Dubh linn'')は、[[アイルランド島]]東部の都市で、[[アイルランド]]の首都である。[[リフィー川]]河口に位置し、その南北に町が広がる。
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'''ダブリン'''({{lang-en-short|'''Dublin'''}} {{IPAc-en|ˈ|d|ʌ|b|l|ᵻ|n}}、[[アイルランド語]]:Baile Átha Cliath {{IPA-ga|blʲaˈklʲiə|pron}} または ''Dubh linn''
  
アイルランドの政治・経済・交通・文化の中心地であり、アイルランドの全人口の3分の1がダブリン首都圏に集中するアイルランド国内最大の都市である。[[欧州]]有数の[[世界都市]]であり、重要な[[金融センター]]の一つになっている。
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[[アイルランド]]の首都。アイルランド語ではバリアオーハクリア Baile Átha Cliath。アイルランド東部,[[レンスター]]地方北東部,[[ダブリン県]]中部の特別市で,同県の県都。[[アイリッシュ海]]のダブリン湾に臨む港湾都市で,リフィー川の河口に位置する。5世紀には聖[[パトリック]]によりキリスト教が伝えられ,9世紀に[[デーン人]]が侵入,その支配は 1170年アングロ・ノルマンに放逐されるまで続いた。1172年イングランド王[[ヘンリー2世]]はブリストル市民を移住させ,ダブリン経営を開始,市はペール Paleと呼ばれるイングランド支配地域の中心地となった。その後イングランドの植民化政策に対するアイルランド人の抵抗の歴史が続き,経済発展が妨げられたが,17世紀末頃よりヨーロッパ大陸から来住した[[ユグノー]]やフランドル人によって織物工業が発展し始め,18世紀には繁栄の時代を迎え,市域も拡大した。中心市街にはこの時代に建てられた建築物が数多く残っている。1800年の合同法によりアイルランド議会が廃止されると,富裕階級の多くがロンドンに移ってしまい,しだいに衰退([[アイルランド合同]])。その後イギリス支配からの独立を目指す民族運動の高揚に伴って,しばしば暴動が起こり,1916年には「復活祭の月曜日」として知られる武装蜂起([[復活祭蜂起]])があり,1週間にわたる市街戦が展開された。1921年のイギリス=アイルランド条約により,北部の[[アルスター]] 6県を除く全島が自治領アイルランド自由国となり,ダブリンがその首都となったが,北アイルランドの分離をめぐってその後も紛争が続き,市街は大きな被害を受けた。
  
市内には[[アイルランド人]]の権利の拡大に尽力した人々や[[イギリス]]からの独立運動のために命を落とした活動家の名前が記念日や通りの名前に多く見られる。[[ダニエル・オコンネル]]に因む町の目抜き通りの[[オコンネル通り]]<ref>1882年、リフィー川沿いに彼の像が立てられ、またカーライル橋がオコンネル橋と改名されて以来、この通りがオコンネル通りと呼ばれるようになった。オコンネルは、1841年、カトリック教徒で初めてのダブリン市長になった弁護士。</ref>や[[パトリック・ピアース]]にちなむピアース通り、コノリー駅などが例に挙げられる。これらは本来は別の名前がつけられていたが、1921年の独立<ref>[[アイルランド独立戦争]]を参照のこと。</ref>後に改名されたものである(オコンネル通りはかつてはサックビル通りと呼ばれていた)。
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このため近代工業の発展は遅れたが,1950年代後半以降政府によって新しい経済計画が実施された結果,ウイスキー,ビール([[ギネス]][[スタウト]][[黒ビール]]の一種〉が有名),製粉などの農産物加工のほか,機械,造船,金属加工,肥料,繊維,製菓など多様な工業が発達した。18世紀初めに建設された港から発展したダブリン港はアイルランドの主要港で,アイルランドの貿易の大部分を扱っており,ロイヤル運河,グランド運河により,内陸部を貫流するシャノン川とも連絡している。また文化中心地でもあり,ダブリン大学(1591),アイルランド国立大学(1909),図書館,博物館,美術館や,20世紀初頭アイルランド文芸復興運動において重要な役割を果たした[[アビー劇場]]など教育・文化施設が多い。劇作家[[ジョージ・バーナード・ショー]],詩人[[ウィリアム・バトラー・イェーツ]],作家[[ジェームズ・ジョイス]]らの生地。水運のほか陸上交通の要地でもあり,鉄道,道路が市から放射状に延び,北郊には国際空港がある。
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== 歴史 ==
 
[[ファイル:Dublin castle.JPG|thumb|left|[[ダブリン城]]]]
 
 
ダブリンは、アイルランドの歴史の中でしばしば重要な役割をはたしてきた。
 
 
[[2世紀]]の[[アレクサンドリア]]の地理学者[[クラウディオス・プトレマイオス|プトレマイオス]]の文献にエブラナとしるされている地が現在のダブリンとされる。住民である[[ケルト人]]は[[291年]]、[[レンスター]]軍との戦いで勝利をおさめた。ダブリンの[[アイルランド語]]の名称ブラー・クリーは、この勝利のあとにつけられた名称と考えられている。
 
 
===先史時代・古代===
 
[[450年]]ごろに[[パトリキウス]]によって[[キリスト教]]に改宗する。[[9世紀]]半ば頃、リフィー川から攻め上がってきた[[ノルマン人]][[ヴァイキング]]が、ここにあったケルト人の町を破壊して城砦を築き、これをゲール語で「黒い水たまり」を意味する「ドゥヴ・リン」''Dubh Linn'' と呼んだのが町の英名の由来とされている。現在の[[ダブリン城]]の地下にはその当時の遺構がうかがえ、またこの城の裏の庭がそのかつて「黒い水たまり」と呼ばれていた地域である。
 
 
===中世===
 
これにつづく3世紀の間、アイルランドの住民は[[デーン人]]からたびたびダブリンを奪回した。[[1171年]]、デーン人は[[イングランド王国|イングランド]]の[[ヘンリー2世 (イングランド王)|ヘンリー2世]]にひきいられたアングロ・ノルマン人によって追放された。ヘンリー2世は翌[[1172年]]にダブリンに宮廷をおき、ここをイングランドの都市[[ブリストル]]の属領とした。こうしてダブリンはイングランドのアイルランド支配の拠点となったが、[[1534年]]に反乱がおき、アイルランドの愛国者フィッツジェラルドが一時支配した。
 
 
===近世===
 
[[17世紀]]、イギリスの[[ピューリタン革命]]の間、ダブリンは[[オリバー・クロムウェル|クロムウェル]]の議会派勢力に包囲された。[[1798年]]のアイルランド民族主義組織ユナイテッド・アイリッシュメンの蜂起に際してはダブリン攻略の試みは失敗し、[[1803年]]、[[1847年]]、[[1867年]]にも蜂起がくりかえされた。[[1916年]]と[[1919年]]から[[1921年]]のアイルランド蜂起では、ダブリンははげしい戦場となっている。
 
 
歴代のアイルランド王や有力者、またアイルランドを植民地支配したイングランドも[[ダブリン城]]に行政の拠点を置き、アイルランド独立にいたるまでアイルランドの行政と政治の中心であった。
 
 
17世紀末頃より、大陸から来たユグノーやフランドル人によって各種工業が発展し、18世紀には大英帝国第二の都市、ヨーロッパでも5番目に大きい都市となった。旧市街にはこの頃に建てられた建築物が数多く残っている。
 
 
===イギリス植民地時代(近代)===
 
[[合同法 (1800年)|1800年合同法]]がアイルランド議会にて可決、成立した。これにより、グレートブリテン王国との合同が成され、それとともにアイルランド議会は解散した。この頃より、ダブリンは政治的、経済的衰退に苦しんだ。
 
 
アイルランドは連合王国の他の地域と比較して、ベルファスト(造船とリンネル工業)などの一部の地域を除いて産業革命が進展しなかった。
 
 
1916年の[[復活祭蜂起]]、[[アイルランド独立戦争|独立戦争]]、そして[[アイルランド内戦|内戦]]はダブリンに物理的打撃を与えた。
 
 
===独立後===
 
[[英愛条約]]に基づき、1921年以降、ダブリンはイギリスの自治領「[[アイルランド自由国]]」の首都となった。自由国は独立の余波で破壊されたダブリンを再建し、立法機関である[[ウラクタス]]を設置した。1937年の[[アイルランド憲法|新憲法]]施行により、「独立した民主的な国家」エールが成立した。
 
 
そして、1949年にアイルランドが[[英連邦]]より離脱し、共和制国家「[[アイルランド]]」の首都となった。
 
 
現在も、市の中心部のメリオン通りおよびメリオン・スクエア周辺にアイルランド共和国政府の議会や主要官庁が立ち並び、アイルランドの政治・経済・文化の中心として栄えている。
 
 
== 地理 ==
 
[[File:Dublin SPOT 1023.jpg|thumb|[[アイリッシュ海]]に注ぐ[[リフィー川]]により、ダブリンは[[w:Northside, Dublin|北岸]]及び[[w:Southside, Dublin|南岸]]に分けられる。]]
 
アイルランド東部、[[アイリッシュ海]]にのぞむレンスター地方の都市。南部が[[ウィックロー山地]]の一部になっているほか、地形はほぼ平らである。113kmにおよぶ海岸線には、[[リフィー川]]がそそぐ[[ダブリン湾]]のほか、多くの入り江や湾がある。ランベイ島やアイルランズ・アイ島などの島は、行政上[[ダブリン州]]に属している。ダブリンの地形はほぼ平坦で、市内中央部を東西に流れるリフィー川によって南北に分けられており、川にかかる10の橋の中ではオーコンネル橋が有名である。14kmにわたる環状道路が19世紀末の市街地をかこんでいるが、市域はその外側にも広がっている。リフィー川に面した港には大型船舶用の埠頭があり、ロイヤル運河とグランド運河の2つの大運河がダブリンと[[シャノン川]]をむすんでいる。
 
 
政府官庁や企業のオフィス、文化施設、またグラフトン通りなどの高級ショッピング街や中流階級の[[住宅地]]は町の南側に集中している。これに対して北側は庶民の住む下町地域であり、庶民のためのショッピング施設などが立ち並んでいる。
 
 
歴史的建造物の多くは、リフィー川南岸の旧市街にある。[[ダブリン城]]にはかつてイギリスのアイルランド総督府がおかれていた。ダブリン城の近くには、[[アイルランド聖公会]]の[[クライストチャーチ大聖堂 (ダブリン)|聖三位一体大聖堂]](いわゆるクライストチャーチ大聖堂)がある。ほど近い所にある[[ゴシック建築]]の[[聖パトリック大聖堂]]は、やはりアイルランド聖公会に属しているが、アイルランド聖公会の司教は通常、聖三位一体教会を司教座聖堂として使用している。かつて聖パトリック大聖堂で主席司祭であった[[ジョナサン・スウィフト|スウィフト]]は、自らの職場であったこの大聖堂に埋葬されている。なお、[[カトリック教会]]のダブリン司教は[[聖マリア臨時司教座聖堂]]を職場としている(ただしカトリック教会では今もダブリン司教の本来の任地は聖三位一体大聖堂としている)。
 
 
旧市街にはアイルランド銀行や、[[18世紀]]建造のカスタム・ハウス(税関)、アイルランド高等裁判所のある[[フォー・コーツ]]、国会議事堂としてつかわれるレンスター・ハウスなどがみられる。市内には、オコンネル、政治家で弁論家のバーク、作家[[ゴールドスミス]]など著名人の銅像が多い。西の郊外には、動物園や温室、森林公園、大統領官邸がある広大なフェニックス公園が広がる。
 
 
=== 気候 ===
 
[[北海道]]よりも遥かに高緯度に位置するが、[[メキシコ湾流]]の影響により冬の平均気温は東京都心と大差がなく、氷点下になる日も少ない。夏は涼しく、上がっても20℃を少し超える程度であり、25℃を超えることはめったにない。日によっては真冬並みに寒いこともある。年間降水量は日本よりも少ないが、雨の日が多く、特に冬は雨が多い。
 
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{{Infobox Weather
 
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<!--**** use mm or cm but NOT both! ****-->
 
<!-- Optional: This is total Precipitation.  Rain & Snow fields can be used instead if Precip is NOT filled in -->
 
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<!-- Optional:  Rain and Snow can be used if Precip IS NOT filled in -->
 
<!--**** use mm or cm but NOT both! ****-->
 
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<!-- Optional:  Average monthly Sunshine hours -->
 
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<!-- Optional:  Average daily % Humidity -->
 
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<!-- Optional:  Average number of rainy, snowy and precipitation days -->
 
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<!-- Optional: Average number of rainy, snowy and precipitation days for Year. If not present, will be filled by a sum of data above. -->
 
|Year_Rain_days =  |Year_Snow_days =  |Year_Precip_days = 185
 
|source = [http://www.met.ie/climate/dublinairport.asp Met Éireann]
 
}}<!--Infobox ends-->
 
 
== 政治 ==
 
[[File:Leinsterhouse.jpg|right|thumb|アイルランド国民議会([[ウラクタス]])議事堂([[レンスター・ハウス]])]]
 
ダブリンは[[アイルランド]]の首都であり、アイルランド国民議会([[ウラクタス]]、[[ドイル・エアラン]]と[[シャナズ・エアラン]]の二院で構成)の所在地である。アイルランド憲法においては、ダブリン及びその近郊に議会を開くことを義務付けている。
 
 
総選挙において、ダブリン5つの選挙区に分割されており、合計19のTDを選出する。選挙区と定数はダブリン中央 (3席)、 ダブリン湾北部 (5席)、 ダブリン北西 (3席)、 ダブリン南部 (4席)とダブリン湾南部 ( 4席 )となっている。
 
 
=== 行政 ===
 
[[File:Dublin City Council Civic Offices.JPG|thumb|[[ダブリン市議会]]議事堂]]
 
ダブリン市の議会である[[ダブリン市議会]](Comhairle Cathrach Bhaile Átha Cliath)は一院制であり、63議席で構成されている<ref>{{cite web|url=http://www.dublincity.ie/main-menu-your-council/local-elections|title=Local Elections 2014|website=Dublin City Council|accessdate=13 July 2014|archiveurl=https://web.archive.org/web/20140715001530/http://www.dublincity.ie/main-menu-your-council/local-elections|archivedate=2014年7月15日|deadurldate=2017年9月}}</ref> 。ダブリンの市長は市議会より選出され、)[[ダブリン市委員会|委員会]]を組織する。委員会は住宅、交通行政、廃棄物処理、下水道及び都市計画などの分野への支出の年間予算を支出する。 市長には市議会の決定を実施する責任があり、過半数の議席を持つ政党または政党連合は、委員会のメンバーの人事権を行使できる。
 
 
2011年総選挙において、当時与党であった、[[フィアナ・フォイル]]は1議席を除く全議席を失った<ref>{{cite web|url=http://www.constituency-commission.ie/cc/cc-report.html|title=Constituency Commission Report 2012|website=Constituency Commission|accessdate=22 July 2014}}</ref>。
 
 
== 経済 ==
 
[[File:Grafton St, Dublin.jpg|thumb|[[w:Grafton Street|グラフトン・ストリート]]]]
 
ダブリンはアイルランドの貿易の拠点で、家畜、農産物、[[スタウト]]・ビールなどの各種工業製品はここから輸出されている。かつては[[大英帝国]]第2の都市と呼称されるほどに栄えたものの、独立後アイルランド政府の保守政策と経済不況、またその結果としての人口の移民としての流出のために数十年にわたって寂れた。しかし[[欧州共同体]]への加入、そして[[1990年代]]に入ってからのIT・製薬・観光・金融産業などによる急激な経済成長により、かつての[[植民地]]時代の規模をはるかに超えた成長と人口増加が見られた。このため、不動産の高騰や交通渋滞など人口集中に伴う問題が多々起こり、町中のいたるところで街区の再開発が急ピッチで進められた。
 
 
近年の急激な経済成長のために人口が爆発的に膨張し、都市圏全体では100万人を超える。また、かつては世界最大の移民輸出国家であったが、[[中国]]・[[アフリカ]]・[[東ヨーロッパ|東欧]]諸国からの移民の増大が見られた。しかし2008年から経済成長に翳りが見え始め、2009年に入ってからは完全にバブル崩壊の状況である。2009年7月での失業率は11.9%。又、2009年9月発表では、2009年4月までの12ヶ月の間にアイルランドに入国した移民の数よりも、海外へ職を求め出国した数が上回る数字がでた。1995年以来初めてのことである。
 
 
[[File:The Ulster Bank Group HQ, George's Quay Plaza - geograph.org.uk - 1743476.jpg|thumb|ジョージア波止場プラザにある[[アルスター銀行]]]]
 
金融サービスは、ダブリンが国際金融センターの一つとして発展するとともに重要な地位を占めるようになった。500以上の金融機関がIFSCプログラムの下で取引を行っている<ref>{{cite web |url= http://www.ifsc.ie/page.aspx?idpage=6|title=I.F.S.C |publisher=I.F.S.C.ie |date= 21 June 2010 |accessdate=21 January 2010}}</ref> 。ダブリンはアイルランドにおける金融の中心地である。 [[シティバンク]]や [[コメルツ銀行]].などの外国銀行もダブリンに支店を設置している。主な取引所としては [[アイルランド証券取引所]] (ISEQ),や[[インターネット・ニュートラル取引所]] (INEX)、 [[アイルランド為替取引所]] (IEX)などがある。 y Theatre]].
 
 
== 文化 ==
 
[[ファイル:National Museum of Ireland.jpg|thumb|left|[[w:National Museum of Ireland|National Museum of Ireland]]]]
 
町の南の郊外には、この町の生んだ20世紀を代表する作家、[[ジェイムズ・ジョイス]]が一時滞在していた建物が記念館として残っている。ジョイスにはこの地の人々の日常と町の歴史や苦難の過去を重ね写しにした佳作『[[ダブリン市民]]』という短編集もある。記念館は[[ナポレオン・ボナパルト|ナポレオン]]の侵攻に備えて作られた見張り塔だった建物で、[[チェス]]の城の駒のかたちで異様な体をなしている。
 
 
ジョイスの代表作『[[ユリシーズ]]』は、[[ホメロス]]『[[オデュッセイア]]』の主人公2人に見立てたブルームとスティーヴン・ディーダラスが、ダブリンの町を知らず知らず互いを求めながらさまよう物語である。作品のなかの関係箇所と町のそこここの関連を表示した地図は、ダブリンを訪れた文学ファンの必須アイテムで、ダブリンの南郊にある南郊にある港町サンディコーヴにある塔、ジェームス・ジョイスタワー(元は、マーテルロータワー<ref>19世紀にナポレオンの侵攻に備えてイギリス海軍が建設した要塞の一つ。</ref>といったもの。ジェームス・ジョイス記念館)で手に入れることが出来る。
 
 
また、この地の出身の哲学者にして、聖職者[[ジョージ・バークリー|バークリ]]僧正は、[[アメリカ合衆国|アメリカ]]に宣教に赴き、[[カリフォルニア大学]][[カリフォルニア大学バークレー校|バークリ校]]にその名前を残した。他にも聖パトリック大聖堂の首席司祭であった[[ジョナサン・スウィフト]]、この町で生まれた[[オスカー・ワイルド]]、トリニティ大学出身で[[ノーベル文学賞]]受賞者の[[サミュエル・ベケット]]などこの町にゆかりのある文学者は多い。市の中心部にあるアイルランド・ライターズ・ミュージアムではこれらの文学者にゆかりの品が展示されている。
 
 
[[パブ]]と音楽の町として観光客も多く、市内各地には無数のパブが建ち並んでいる。市内の各所では路上でパフォーマンスを繰り広げるミュージシャンの姿を見かける。ダブリン出身の有名なミュージシャンとして[[U2]]や[[ボブ・ゲルドフ]]や[[マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン]]などが挙げられる。市内中心部のテンプルバーはかつて荒廃していたが、政府の再開発計画によりパブ・ギャラリー・レストラン・カフェ・映画館・クラブ・ライブハウスなどの集中する観光名所・若者の地域として生まれ変わった。
 
 
== 教育 ==
 
 
=== 高等教育(第三レベル) ===
 
[[ファイル:Trinity College.jpg|thumb|[[トリニティ・カレッジ (ダブリン大学)|トリニティ・カレッジ]]]]
 
ダブリンはアイルランドの教育の主要な中心地である。3つの総合大学、ダブリン工科大学を始め、数多くの高等教育機関が所在している。
 
 
旧市街にある[[トリニティ・カレッジ (ダブリン大学)|トリニティ・カレッジ]]は、アイルランド最古の大学の大学であり、ブリテン諸島の大学の中でもずば抜けた歴史と伝統を誇る。その歴史は16世紀まで遡る。旧図書館(オールド・ライブラリー)では、ケルト美術を代表する作品[[ケルズの書]]など、貴重な収蔵文献を見ることができる。また、市内中心部にある国立博物館には「タラのブローチ」など、多数のケルト美術の至宝が展示されている。町の歴史自体は決して古くはないが、市内の中心部には均整の取れた近世の美しい町並みが良く保存されており、観光客たちを楽しませている。
 
作家[[ジェームズ・ジョイス]]が学んだ[[ユニバーシティ・カレッジ・ダブリン]]は[[アイルランド国立大学]]を構成する大学のひとつで、アイルランド最大の総合大学である。おもな[[図書館]]はダブリン大学図書館、ロイヤル・ダブリン・ソサエティ図書館、国立図書館。そのほか、国立博物館、ナショナル・ギャラリー、19世紀末から20世紀初頭にかけてアイルランドの民族主義的文学運動の中心だった劇場[[アベイ座]]などがある。
 
 
=== 初等・中等教育(第一・第二レベル) ===
 
=== アイルランド語学校 ===
 
ダブリンにおいて10469人の学生がgaelscoileanna(アイルランド語小学校)かgaelcholáistí(アイルランド語高等学校)に所属しており、ダブリンは、アイルランドでも最大規模のアイルランド語学校がある。
 
 
== 交通 ==
 
 
=== 道路 ===
 
[[File:DublinM50.png|thumb|[[:en:M50 motorway (Ireland)|M50]]自動車専用道路がダブリンを包囲している。]]
 
アイルランドの道路交通網は主にダブリンを中心としている。 [[:en:M50 motorway (Ireland)|M50]]自動車専用道路はダブリンを半包囲する形で整備されており、国内の他の地域や北アイルランド方向の高速道路と接続している<ref>{{cite web | title = E-Flow Website | publisher=eFlow | url = http://eflow.ie/| accessdate =29 July 2011 }}</ref>。
 
 
2006年、交通渋滞問題解消の第一段階として、大型車対応の[[ダブリン港トンネル]]が開通した<ref>https://www.eflow.ie/</ref>。 トンネルは [[ダブリン港]]や [[M1 motorway (Republic of Ireland)|M1]]自動車専用道路、[[ダブリン空港]]と接続している。ダブリンは内側と外側の自動車専用道路に囲まれており、内側の自動車専用道路は、ジョージアン様式の街の中心部に接続しており、外側の自動車専用道路は、主にダブリン市内の2運河、大運河とロイヤル運河だけでなく、南北循環道路によって形成された自然な円に沿って整備されている。これらの自動車専用道路はほとんどが無料であるが、一部有料。このうち [[:en:M50 motorway (Ireland)|M50]] は料金所が撤去されており、[[ETC]]を利用したり、[[インターネット]]<ref>https://www.eflow.ie/</ref>などから翌日午後8時までに通行料金を支払う仕組みである<ref>http://www.ikikou.com/archives/78 支払いを怠ると罰金が課され、たとえば[[レンタカー]]を利用していた場合は、その分が料金に追加される。</ref>。
 
 
ダブリンのバスは、約200路線の広範なネットワークで構成されている。 これらの大部分は、[[ダブリンバス]]が運営しているが、中小バス会社のバス運行事業を行っている。 運賃は一般的に移動した距離に基づいて、ステージシステムで計算されます。 ほとんどのサービスに適用運賃やいくつかの異なるレベルがあります。 2012年に導入された、「リアルタイム旅客情報」システムはダブリンバスにて採用されており、導入したバスは位置決定のGPSに基づいて、次のバスの到着時刻に関する情報を中継して表示する。 国家運輸局は、ダブリンのバスと鉄道サービスの統合のためのプリペイドスマートカードの導入に携わってた。
 
 
=== 鉄道と路面電車 ===
 
[[File:LUAS trams at Tallacht terminus. - geograph.org.uk - 1387090.jpg|thumb|[[Luas]] trams at the [[Tallaght]] terminus.]]
 
[[イルンロード・エールン]]({{lang-ga|'''Iarnród Éireann'''}})により、インターシティ、コミューター、および DART (Dublin Area Rapid Transit) が運行されている。[[ダブリン・ヒューストン駅]]と[[ダブリン・コノリー駅]]はダブリンの主要ターミナル駅である。DARTはダブリンの沿岸に沿って運行しており、[[ダンドーク]]やラウス郡のドロイダなどのベットタウンと接続している。また、近郊路線としては「Greystones」があり、これは[[ウィックリー州]]より接続している。路線全体の旅客数はそれぞれ年間1600万人と1170万人だった<ref>{{cite web|url=http://www.dublin.ie/transport/dart.htm|title=DART (Dublin Area Rapid Transit)|accessdate=28 July 2011}}</ref>。
 
 
また、中心市街地を[[ルアス]] ([[:en:Luas|Luas]])と呼ばれる[[路面電車]]が2方向に運行されている。ルアスは2004年開業し、22.7キロメートル(36.5マイル)、54停留所の2本の路面電車ラインから成る。
 
 
=== 飛行機 ===
 
[[ダブリン空港]]が北部に存在し、[[エアリンガス]]や[[ライアンエアー]]をはじめとして国内外を結んでいる。
 
 
=== 船舶 ===
 
ダブリン港より[[フェリー]]が、[[ウェールズ]]の[[ホリーヘッド]]とを結んでいる([[ステナ・ライン]]と[[アイリッシュ・フェリー]]による運航)。[[ユーロ・ライン・バス]] ([[:en:Eurolines|Eurolines]]) により、[[ロンドン]]や[[エジンバラ]]への[[長距離バス]]が、これらのフェリーを経由して運行されている。
 
 
== 映画 ==
 
* [[ONCE ダブリンの街角で]] - ダブリンを舞台にしたアイルランド映画。2007年制作。
 
 
== スポーツ ==
 
[[アイリッシュ・ベースボール・リーグ]]の[[ダブリン・ブラックソックス]]、[[ダブリン・ハリケーンズ]]、[[ダブリン・スパルタズ]]が本拠地としている。
 
 
== 姉妹都市 ==
 
* {{flagicon|UK}} [[リヴァプール]]([[イギリス]])
 
* {{flagicon|USA}} [[サンノゼ]]([[アメリカ合衆国]])
 
* {{flagicon|JPN}} [[松江市]]([[日本]])
 
* {{flagicon|ESP}} [[バルセロナ]]([[スペイン]])
 
* {{flagicon|China}} [[北京]]([[中国]])
 
 
==脚注==
 
<references />
 
  
 
== 外部リンク ==
 
== 外部リンク ==
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* [http://www.visitdublin.com/ ダブリン市観光局] {{en icon}}
 
* [http://www.visitdublin.com/ ダブリン市観光局] {{en icon}}
 
* [http://www.discoverireland.jp/sight_spots/dublin.html#du アイルランド政府観光庁 - ダブリン] {{ja icon}}
 
* [http://www.discoverireland.jp/sight_spots/dublin.html#du アイルランド政府観光庁 - ダブリン] {{ja icon}}
* [https://rsis.ramsar.org/ris/832 Sandymount Strand/Tolka Estuary | Ramsar]
 
* [http://www.hilife.or.jp/cities/?p=52 ダブリンのテンプル・バー再開発]
 
  
 
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2018/10/22/ (月) 23:13時点における最新版

ダブリン
Baile Átha Cliath
Dublin
アイルランドの旗
位置
ダブリン州内のダブリンの位置の位置図
ダブリン州内のダブリンの位置
座標 : 西経6度15分58秒北緯53.34278度 西経6.26611度53.34278; -6.26611
行政
アイルランドの旗 アイルランド
 地方 レンスター
  ダブリン州
 市 ダブリン
地理
面積  
  市域 114. 99 km2
人口
人口 (2011年現在)
  市域 1,110,627[1]
  都市圏 1,904,806人
公式ウェブサイト : www.dublincity.ie/

ダブリン: Dublin /ˈdʌbln/アイルランド語:Baile Átha Cliath 発音 [blʲaˈklʲiə] または Dubh linn

アイルランドの首都。アイルランド語ではバリアオーハクリア Baile Átha Cliath。アイルランド東部,レンスター地方北東部,ダブリン県中部の特別市で,同県の県都。アイリッシュ海のダブリン湾に臨む港湾都市で,リフィー川の河口に位置する。5世紀には聖パトリックによりキリスト教が伝えられ,9世紀にデーン人が侵入,その支配は 1170年アングロ・ノルマンに放逐されるまで続いた。1172年イングランド王ヘンリー2世はブリストル市民を移住させ,ダブリン経営を開始,市はペール Paleと呼ばれるイングランド支配地域の中心地となった。その後イングランドの植民化政策に対するアイルランド人の抵抗の歴史が続き,経済発展が妨げられたが,17世紀末頃よりヨーロッパ大陸から来住したユグノーやフランドル人によって織物工業が発展し始め,18世紀には繁栄の時代を迎え,市域も拡大した。中心市街にはこの時代に建てられた建築物が数多く残っている。1800年の合同法によりアイルランド議会が廃止されると,富裕階級の多くがロンドンに移ってしまい,しだいに衰退(アイルランド合同)。その後イギリス支配からの独立を目指す民族運動の高揚に伴って,しばしば暴動が起こり,1916年には「復活祭の月曜日」として知られる武装蜂起(復活祭蜂起)があり,1週間にわたる市街戦が展開された。1921年のイギリス=アイルランド条約により,北部のアルスター 6県を除く全島が自治領アイルランド自由国となり,ダブリンがその首都となったが,北アイルランドの分離をめぐってその後も紛争が続き,市街は大きな被害を受けた。

このため近代工業の発展は遅れたが,1950年代後半以降政府によって新しい経済計画が実施された結果,ウイスキー,ビール(ギネススタウト黒ビールの一種〉が有名),製粉などの農産物加工のほか,機械,造船,金属加工,肥料,繊維,製菓など多様な工業が発達した。18世紀初めに建設された港から発展したダブリン港はアイルランドの主要港で,アイルランドの貿易の大部分を扱っており,ロイヤル運河,グランド運河により,内陸部を貫流するシャノン川とも連絡している。また文化中心地でもあり,ダブリン大学(1591),アイルランド国立大学(1909),図書館,博物館,美術館や,20世紀初頭アイルランド文芸復興運動において重要な役割を果たしたアビー劇場など教育・文化施設が多い。劇作家ジョージ・バーナード・ショー,詩人ウィリアム・バトラー・イェーツ,作家ジェームズ・ジョイスらの生地。水運のほか陸上交通の要地でもあり,鉄道,道路が市から放射状に延び,北郊には国際空港がある。


外部リンク

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座標: 西経6度15分58秒北緯53.34278度 西経6.26611度53.34278; -6.26611

  1. Census of Population 2011”. Profile 1 - Town and Country. Central Statistics Office. p. 11 (2012年4月26日). . 16 January 2014閲覧.