ダブリン
ダブリン Baile Átha Cliath Dublin | |
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位置 | |
ダブリン州内のダブリンの位置 | |
座標 : 西経6度15分58秒北緯53.34278度 西経6.26611度 | |
行政 | |
国 | アイルランド |
地方 | レンスター |
州 | ダブリン州 |
市 | ダブリン |
地理 | |
面積 | |
市域 | 114. 99 km2 |
人口 | |
人口 | (2011年現在) |
市域 | 1,110,627[1]人 |
都市圏 | 1,904,806人 |
公式ウェブサイト : www.dublincity.ie/ |
ダブリン(英: Dublin /ˈdʌblᵻn/、アイルランド語:Baile Átha Cliath 発音 [blʲaˈklʲiə] または Dubh linn)
アイルランドの首都。アイルランド語ではバリアオーハクリア Baile Átha Cliath。アイルランド東部,レンスター地方北東部,ダブリン県中部の特別市で,同県の県都。アイリッシュ海のダブリン湾に臨む港湾都市で,リフィー川の河口に位置する。5世紀には聖パトリックによりキリスト教が伝えられ,9世紀にデーン人が侵入,その支配は 1170年アングロ・ノルマンに放逐されるまで続いた。1172年イングランド王ヘンリー2世はブリストル市民を移住させ,ダブリン経営を開始,市はペール Paleと呼ばれるイングランド支配地域の中心地となった。その後イングランドの植民化政策に対するアイルランド人の抵抗の歴史が続き,経済発展が妨げられたが,17世紀末頃よりヨーロッパ大陸から来住したユグノーやフランドル人によって織物工業が発展し始め,18世紀には繁栄の時代を迎え,市域も拡大した。中心市街にはこの時代に建てられた建築物が数多く残っている。1800年の合同法によりアイルランド議会が廃止されると,富裕階級の多くがロンドンに移ってしまい,しだいに衰退(アイルランド合同)。その後イギリス支配からの独立を目指す民族運動の高揚に伴って,しばしば暴動が起こり,1916年には「復活祭の月曜日」として知られる武装蜂起(復活祭蜂起)があり,1週間にわたる市街戦が展開された。1921年のイギリス=アイルランド条約により,北部のアルスター 6県を除く全島が自治領アイルランド自由国となり,ダブリンがその首都となったが,北アイルランドの分離をめぐってその後も紛争が続き,市街は大きな被害を受けた。
このため近代工業の発展は遅れたが,1950年代後半以降政府によって新しい経済計画が実施された結果,ウイスキー,ビール(ギネスのスタウト〈黒ビールの一種〉が有名),製粉などの農産物加工のほか,機械,造船,金属加工,肥料,繊維,製菓など多様な工業が発達した。18世紀初めに建設された港から発展したダブリン港はアイルランドの主要港で,アイルランドの貿易の大部分を扱っており,ロイヤル運河,グランド運河により,内陸部を貫流するシャノン川とも連絡している。また文化中心地でもあり,ダブリン大学(1591),アイルランド国立大学(1909),図書館,博物館,美術館や,20世紀初頭アイルランド文芸復興運動において重要な役割を果たしたアビー劇場など教育・文化施設が多い。劇作家ジョージ・バーナード・ショー,詩人ウィリアム・バトラー・イェーツ,作家ジェームズ・ジョイスらの生地。水運のほか陸上交通の要地でもあり,鉄道,道路が市から放射状に延び,北郊には国際空港がある。
外部リンク
- 公式
- ダブリン市公式サイト (英語)
- 観光
- ダブリン市観光局 (英語)
- アイルランド政府観光庁 - ダブリン (日本語)
座標: 西経6度15分58秒北緯53.34278度 西経6.26611度
- ↑ “Census of Population 2011”. Profile 1 - Town and Country. Central Statistics Office. p. 11 (2012年4月26日). . 16 January 2014閲覧.