「ハイチ」の版間の差分
細 |
細 |
||
49行目: | 49行目: | ||
西インド諸島中部にある国。大アンティル諸島中部,ヒスパニオラ島の西3分の1を占め,東寄りの3分の2を占めるドミニカ共和国と国境を接する。国土は西に突出する山がちの二つの半島からなり,両半島を分けるゴナブ湾の湾奥にアルティボニト川流域平野と首都の位置する中央平野がある。最高点は南東端部のラセル峰 (2674m) 。沿岸にいくつかの島があり,おもなものはゴナブ湾内のゴナブ島,北部沿岸のトルチュ島。熱帯気候区の北限近くにあるが,海洋と山地地形の影響で,気温,降水量など地域差が大きい。住民の約 95%は黒人で,その他はムラットと呼ばれる黒人と白人の混血。公用語はフランス語とクレオル語 (現地語化したフランス語) 。ヒスパニオラ島は 1492年コロンブスの来航以来約 200年間スペイン領であったが,スペイン人植民地は東部に偏在していたため,17世紀後半西部はフランス人の海賊が根拠地として利用,1697年島の西3分の1が正式にフランス領となり,サンドマングと名づけられた。 | 西インド諸島中部にある国。大アンティル諸島中部,ヒスパニオラ島の西3分の1を占め,東寄りの3分の2を占めるドミニカ共和国と国境を接する。国土は西に突出する山がちの二つの半島からなり,両半島を分けるゴナブ湾の湾奥にアルティボニト川流域平野と首都の位置する中央平野がある。最高点は南東端部のラセル峰 (2674m) 。沿岸にいくつかの島があり,おもなものはゴナブ湾内のゴナブ島,北部沿岸のトルチュ島。熱帯気候区の北限近くにあるが,海洋と山地地形の影響で,気温,降水量など地域差が大きい。住民の約 95%は黒人で,その他はムラットと呼ばれる黒人と白人の混血。公用語はフランス語とクレオル語 (現地語化したフランス語) 。ヒスパニオラ島は 1492年コロンブスの来航以来約 200年間スペイン領であったが,スペイン人植民地は東部に偏在していたため,17世紀後半西部はフランス人の海賊が根拠地として利用,1697年島の西3分の1が正式にフランス領となり,サンドマングと名づけられた。 | ||
− | 18世紀アフリカから大量の黒人奴隷を導入,サトウキビ,コーヒー,カカオなどを栽培,輸出して繁栄し,人口も急増。同世紀末フランス革命の影響を受けて奴隷が反乱を起こした結果,1794年奴隷制廃止。 1801年解放奴隷 F.D.トゥーサン・ルベルテュールが全島を制圧したが,1803年ナポレオン軍に捕えられ,獄死。その直後奴隷制復活の噂に抗して | + | 18世紀アフリカから大量の黒人奴隷を導入,サトウキビ,コーヒー,カカオなどを栽培,輸出して繁栄し,人口も急増。同世紀末フランス革命の影響を受けて奴隷が反乱を起こした結果,1794年奴隷制廃止。 1801年解放奴隷 F.D.トゥーサン・ルベルテュールが全島を制圧したが,1803年ナポレオン軍に捕えられ,獄死。その直後奴隷制復活の噂に抗して [[J.J.デサリーヌ]]の指導下に再び黒人が蜂起,1804年ハイチの名のもとに全島の独立が宣言され,1825年フランスによって承認された (東部の旧スペイン領は 1844年ハイチの支配を排し,ドミニカ共和国として独立) 。独立後のハイチでは革命,指導者暗殺などが繰り返され,1915~34年にはアメリカ合衆国海兵隊による占領を受け,またスペイン系住民の多いドミニカとの間の紛争や,学生,労働者の暴動もあり,政情は不安定であった。 |
− | |||
1957~86年には[[デュバリエ]]親子の独裁が続き,その後もクーデターが相次いで政情は不安定。人口5%のムラットが政治と経済を支配。国民総生産 GNPは世界最低ランクにあり,貧富の差も大きい。主産業は農業であるが,人口圧が高いため国土の大半が耕地化され,零細化,地味の疲弊が進行した結果,生産性の低下という困難に直面している。コーヒーが同国第1の輸出品で,ほかにサトウキビ,サイザルアサも重要な輸出用作物である。近年観光業が発展し,農業に次ぐ第2の収入源となっているが,政治的混乱のため伸び悩んでいる。工業は農産物加工が中心。鉄道はサトウキビ運搬用に限られ,国内交通はもっぱら自動車に依存しているが,道路網はあまり整備されていない。 | 1957~86年には[[デュバリエ]]親子の独裁が続き,その後もクーデターが相次いで政情は不安定。人口5%のムラットが政治と経済を支配。国民総生産 GNPは世界最低ランクにあり,貧富の差も大きい。主産業は農業であるが,人口圧が高いため国土の大半が耕地化され,零細化,地味の疲弊が進行した結果,生産性の低下という困難に直面している。コーヒーが同国第1の輸出品で,ほかにサトウキビ,サイザルアサも重要な輸出用作物である。近年観光業が発展し,農業に次ぐ第2の収入源となっているが,政治的混乱のため伸び悩んでいる。工業は農産物加工が中心。鉄道はサトウキビ運搬用に限られ,国内交通はもっぱら自動車に依存しているが,道路網はあまり整備されていない。 |
2018/10/18/ (木) 22:37時点における最新版
- ハイチ共和国
- Repiblik d Ayiti
République d'Haïti - 国の標語:L'union fait la force
(フランス語: 団結は力なり)
公用語 | ハイチ語、標準フランス語 |
---|---|
首都 | ポルトープランス |
最大の都市 | ポルトープランス |
独立 | フランスより 1804年1月1日 |
通貨 | グールド (HTG) |
時間帯 | UTC -5(DST:-4) |
ISO 3166-1 | HT / HTI |
ccTLD | .ht |
国際電話番号 | 509 |
ハイチ共和国(ハイチきょうわこく、ハイチ語: Repiblik d Ayiti、フランス語: République d'Haïti)
西インド諸島中部にある国。大アンティル諸島中部,ヒスパニオラ島の西3分の1を占め,東寄りの3分の2を占めるドミニカ共和国と国境を接する。国土は西に突出する山がちの二つの半島からなり,両半島を分けるゴナブ湾の湾奥にアルティボニト川流域平野と首都の位置する中央平野がある。最高点は南東端部のラセル峰 (2674m) 。沿岸にいくつかの島があり,おもなものはゴナブ湾内のゴナブ島,北部沿岸のトルチュ島。熱帯気候区の北限近くにあるが,海洋と山地地形の影響で,気温,降水量など地域差が大きい。住民の約 95%は黒人で,その他はムラットと呼ばれる黒人と白人の混血。公用語はフランス語とクレオル語 (現地語化したフランス語) 。ヒスパニオラ島は 1492年コロンブスの来航以来約 200年間スペイン領であったが,スペイン人植民地は東部に偏在していたため,17世紀後半西部はフランス人の海賊が根拠地として利用,1697年島の西3分の1が正式にフランス領となり,サンドマングと名づけられた。
18世紀アフリカから大量の黒人奴隷を導入,サトウキビ,コーヒー,カカオなどを栽培,輸出して繁栄し,人口も急増。同世紀末フランス革命の影響を受けて奴隷が反乱を起こした結果,1794年奴隷制廃止。 1801年解放奴隷 F.D.トゥーサン・ルベルテュールが全島を制圧したが,1803年ナポレオン軍に捕えられ,獄死。その直後奴隷制復活の噂に抗して J.J.デサリーヌの指導下に再び黒人が蜂起,1804年ハイチの名のもとに全島の独立が宣言され,1825年フランスによって承認された (東部の旧スペイン領は 1844年ハイチの支配を排し,ドミニカ共和国として独立) 。独立後のハイチでは革命,指導者暗殺などが繰り返され,1915~34年にはアメリカ合衆国海兵隊による占領を受け,またスペイン系住民の多いドミニカとの間の紛争や,学生,労働者の暴動もあり,政情は不安定であった。
1957~86年にはデュバリエ親子の独裁が続き,その後もクーデターが相次いで政情は不安定。人口5%のムラットが政治と経済を支配。国民総生産 GNPは世界最低ランクにあり,貧富の差も大きい。主産業は農業であるが,人口圧が高いため国土の大半が耕地化され,零細化,地味の疲弊が進行した結果,生産性の低下という困難に直面している。コーヒーが同国第1の輸出品で,ほかにサトウキビ,サイザルアサも重要な輸出用作物である。近年観光業が発展し,農業に次ぐ第2の収入源となっているが,政治的混乱のため伸び悩んでいる。工業は農産物加工が中心。鉄道はサトウキビ運搬用に限られ,国内交通はもっぱら自動車に依存しているが,道路網はあまり整備されていない。
外部リンク
- 日本外務省 - ハイチ (日本語)
- ハイチ共和国政府観光局 (フランス語)(英語)
- テンプレート:OIF