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'''東南アジア'''(とうなんアジア)は、[[中国]]より南、[[インド]]より東の[[アジア]]地域を指す。[[インドシナ半島]]、[[マレー半島]]、[[インドネシア|インドネシア諸島]]、[[フィリピン|フィリピン諸島]]などを含む。主に、大陸部東南アジアと島嶼部東南アジアに分けられる。
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'''東南アジア'''(とうなんアジア)
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[[ファイル:Location-Asia-UNsubregions.png|thumb|225px|[[国連による世界地理区分|国際連合によるアジアの地域の分類]](東南アジアは橙色)<ref>[http://unstats.un.org/unsd/methods/m49/m49regin.htm United Nations Statistics Division- Standard Country and Area Codes Classifications (M49)]</ref>
 
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[[ファイル:Southeast asia.jpg|right|250px|東南アジアの地図]]
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アジア大陸南東部のインドシナ半島と,その南東方に広がるマレー諸島から成る地域。大部分が熱帯に属する。
[[ファイル:LocationSoutheastAsia.PNG|thumb|right|250px|東南アジアの範域]]
 
 
 
== 用語 ==
 
東南アジアという用語は比較的新しく、初出は1830年代である。当時の地理学や歴史学が国家論や支配論に偏っていたこともあり、当初は考古学や民族学用語としてのみ普及した<ref>桃木 (1996) p.30</ref>。地理概念として一般化したのは、1942年に[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]軍が「東南アジア司令部」を[[セイロン]]に設置し、戦後処理を進める連合軍の作戦領域名として政治的にも公式化されるようになってからである。ただし、現在でもイギリス英語やフランス語では、東南アジアという概念に島嶼部を含めないことが多い<ref>桃木 (1996) p.2</ref>。
 
 
 
== 地理 ==
 
=== 気候 ===
 
ミャンマーの一部を除き、[[北回帰線]]の南、[[南緯]]10度の北に位置し、平均気温25度以上で、大部分が[[ケッペンの気候区分]]でいう[[熱帯]]<ref>最寒月の平均気温が摂氏18度以上の地域</ref>であり、熱帯特有の急な雷雨、[[スコール]]が雨期に多く見られる。湿潤熱帯に属する島嶼部では一年中降水量が多いが、大陸部や[[インドシナ半島]]は[[モンスーン]]<ref>夏季には南西モンスーンが、冬季には北東(北西)モンスーンが多雨をもたらす。</ref>の影響を受けて[[サバナ気候]]となり、雨季と乾季がはっきりしている。
 
 
 
=== 環境分類 ===
 
熱帯雨林 - フィリピン諸島からボルネオ、スラウェシの北半、ジャワ西部、スマトラにかけての島嶼部、アラカン地域沿岸、マレー半島西岸。常時25度を上回る高温と年間2000ミリから4000ミリの多雨で植物の宝庫。
 
 
 
熱帯高地 - パマス(南スマトラ州)、ミナンカバウ(西スマトラ州)などのスマトラ背梁山脈の中の盆地は1500メートル前後の高度で、湿度が高いが冷涼な気候。古くから人が居住し、集約的稲作が行われている。
 
 
 
沿岸低地 - 熱帯雨林帯の沿岸は、砂丘以外は泥炭林と[[マングローブ]]林で農業に不適であるが、砂丘地帯とともに漁業・海運の基地である。
 
 
 
サバンナ平原 - 大陸東南アジアでは、乾いた北東モンスーンの影響で、冬季には強い乾季があり、雨季に茂り乾季に落葉する雨緑林が多い。ビルマ平原では、南西モンスーンの影響で乾燥地帯になる。古い時代から平原畑作が進み、周りの山地からの流水を利用した灌漑が発達している。東北タイのコラート平原、カンボジア平原では、雨季と乾季の降水量に差があるが、雨緑林が形成される。夏季には長期に降水があり、天水稲作が広がっている。
 
 
 
デルタ - 三大デルタ(イワラジ、チャオプラヤー、メコン)は[[サバナ気候|サバンナ気候]]である。乾季にはほとんど降雨がない。しかし、雨季には河川が洪水を引き起こすぐらいである。現代ではほほ全面が水田に覆われる環境になった。
 
 
 
島嶼部サバンナ - 中部ジャワより東の島嶼部では、オーストラリア気候区の影響を受けて雨季と乾季の差が激しい。しかし、年総降水量からみると、乾季でも大陸平原よりは湿潤である。東南アジアでは最も農業に適している。古くから[[東ジャワ州|東ジャワ]]盆地群や[[バリ島]]南部を中心に稲作が発達している。
 
 
 
照葉樹林 - 大陸東南アジア山地は、[[北回帰線]]に近く乾季と雨季の差が激しい。また高度があるために冬の気温が低く、水分蒸発が押さえられ湿度が高く、[[カシ]]や[[シイ]]の森林を形成している。東南アジアの基層文化である照葉樹林の生活文化はこの地域で生まれた。
 
 
 
=== 国名リスト ===
 
東南アジアに属する国家を、以下、国名 - [[首都]] の順で表記する。
 
* {{IDN}} - [[ジャカルタ]] ([[パプア島]]の[[パプア州]]、[[西パプア州]]は[[オセアニア]]地域に属す)
 
* {{PHL}}(ピリピナス) - [[マニラ]]
 
* {{VNM}} - [[ハノイ]] (ベトナムは[[漢字文化圏]]に属しており、稀に[[東アジア]]に含む場合がある)
 
* {{LAO}} - [[ヴィエンチャン]]
 
* {{KHM}}(カンプチア) - [[プノンペン]]
 
* {{MYS}} - [[クアラルンプール]]
 
* {{SGP}} - シンガポール([[都市国家]])
 
* {{BRN}} - [[バンダルスリブガワン]]
 
* {{THA}} - [[バンコク]]
 
* {{MMR}}(ビルマ) - [[ネピドー]]
 
* {{TLS}} - [[ディリ]]([[ティモール島]]の原住民は[[メラネシア]]系でオセアニア地域と民族的に近縁)
 
 
 
[[パキスタン]]、[[インド]]、[[バングラデシュ]]、[[スリランカ]]を東南アジアに含める場合も見られるが<ref>たとえば、[[1954年]](昭和29年)10月11日付の[[産業経済新聞]]大阪版の記事「国際経済プリズム、米の東南ア援助積極化、経済開発に決意示す、コロンボ計画を通じ拡大」では、香港、インド、パキスタン、セイロンを東南アジアに含めて解説していた。<!-- 1954年時点であれば、東パキスタン、西パキスタンに別れていましたが… --></ref>、通常は[[南アジア]]である。[[ニューギニア島]]東側の[[パプアニューギニア]]は[[オセアニア]]として扱われており、[[東南アジア諸国連合]]の正式加盟は認められていない。北回帰線の境界付近にある[[中華人民共和国|中国]]、[[香港]]、[[マカオ]]、[[台湾]]は[[東アジア]]の扱いである。
 
 
 
== 歴史 ==
 
''東南アジア諸国の各国の歴史については、以下を参照。''
 
: [[インドネシアの歴史]] - [[カンボジアの歴史]] - [[シンガポールの歴史]] - [[タイの歴史]] - [[フィリピンの歴史]] - [[ブルネイの歴史]] - [[ベトナムの歴史]] - [[マレーシアの歴史]] - [[ミャンマーの歴史]] - [[ラオスの歴史]] - [[東ティモールの歴史]]
 
 
 
=== 東南アジアの原歴史 ===
 
東南アジアの歴史は、各国の歴史として著述されることが多い。しかし特にマレー半島および島嶼部では、各国の領域は1[[9世紀]]から[[20世紀]]初めにかけて、[[欧米]]列強が[[植民地]]主義に基づき東南アジアを分割した結果生じたものが後に独立国家として認められたものであり、政治的色彩が非常に濃いといえる。
 
 
 
東南アジアの歴史は、そのような政治的な現代国家の歴史を離れ、伝統的な政治圏、つまり、政治的・文化的中心都市とその周辺の圏的な空間の歴史、別な言葉で言えば'''歴史圏'''を対象とするものである。また、元来この地域は[[封建主義]]、[[中央集権]]、[[皇帝]]専制とは違った、[[マンダラ論]]といった説で解き明かされる重層的な権力構造がみられた地域であることも近年では重要視されている。また[[日本]]との関係も、一部の[[先住民]]が渡来したことや[[太平洋戦争]]において各国に進入し、その後[[高度経済成長期]]に多数の企業が進出するなど、非常に深いものがある。
 
 
 
==== 石器時代 ====
 
東南アジアの人類文化は、2~3万年前の後期[[旧石器時代]]から始めることができる。それは、大陸部でも島嶼部でも洞穴や岩陰で人間が生活した痕跡を得られるからである。
 
 
 
大陸部では、ベトナム北部のソンヴィー文化、ホアンビン文化、バクソン文化、ダブート文化とたどることができる。'''ソンヴィー文化'''は、礫の周囲を打ち欠いた石器を主とする。旧[[ヴィンフー]]省の[[ソンヴィー遺跡]]で発見され、[[放射性炭素年代測定]]では2万~1万2000年前である。[[磨製石器]]を伴わないことから[[旧石器時代]]に属する。次に'''ホアビン文化'''は、ベトナムホアビン省の洞窟・岩陰遺跡群から名づけられた文化。原初的な形態の石器に加えスマトリアスなどの進んだ形態が特徴であり、部分的に磨製した石器も現れる。食料残滓に貝殻(淡水の[[タニシ]]や[[カタツムリ]])、獣骨の層が伴う。
 
 
 
年代測定では、ほぼ1万1000から7500年前で、[[中石器時代|中石器文化]]に位置する。この文化は大陸部全域からマレー半島、[[スマトラ島]]まで広く分布する。ランソン省バクソン山地に見られる'''バクソン文化'''は、[[石器|刃部磨製石斧]]が主体である。時によって[[土器]]を伴う。タインホア省'''タブート'''遺跡は、淡水の大きな[[貝塚]]遺跡で、石器の変化はあまり見られないが、重要な変化は土器の出現である。全体の形が分かるものは少ないが、そこの丸い深鉢形である。厚手軟質で無文様、叩き締め技法で叩く棒に巻いた繊維の跡が全体についている。この技法は中国から南下した。放射線炭素年代では約6000年前である。ゲアン省'''クインヴァン'''遺跡は海の貝からなる大きな貝塚で、大きな石を打ち割った石器や少量の全磨製石斧、粗雑な尖底の土器を伴う。放射性炭素年代は4700年前である。
 
 
 
==== 農耕 ====
 
東南アジアは基本的に多くの民族が農耕民族である。ベトナムでは4000年ほど前から農耕を始め、現在のタイ王国の周辺でも紀元前300年頃には農耕が始まっていた。カンボジアでも4世紀頃にもなると、東南アジア有数の稲作地帯となっていた。現在でも東南アジアは世界有数の農業国家群である。
 
 
 
=== 中国、インドの影響と伝統的国家の成立 ===
 
東南アジアは、(フィリピンを除き)中国とインドの交易ルートの中間地帯にあり、中継点として古くから発展し、中国ないしインドからの文化的影響下のもとに各地に伝統的国家が成立することになり([[インド化 (東南アジア)|インド化]])、その後、それぞれが独自の歴史的発展を遂げた。古代インド人は、この地を「黄金州」ないし「黄金の地(スワンナープム)」と呼び、中国人は「南海」と称していた。
 
 
 
東南アジア海域の政治勢力は、[[扶南国|扶南]]を経由して[[南北朝時代 (中国)#南朝|中国南朝]]の各朝と交渉してきたが、6世紀の前半には、南シナ海、マレー半島、マラッカ海峡、ジャワ島、バリ島にそれぞれ国が形成され、中国南朝<ref>南朝梁武帝(502~549)の治世</ref>と直接交渉をもつようになり、積極的に朝貢するようになった。しかし、中国人の東南アジアに対する認識は、依然として島嶼部または大陸部沿岸の[[港市国家]]群の世界であった。
 
 
 
4世紀末からインド思想が、東南アジアの王権システムそのものに影響を与えた。4世紀から6世紀にかけて、東南アジア各地に南インド系のアルファベットを用いた碑文群が出現してくる。島嶼部では4世紀に東カリマンタンの[[クタイ王国]]からムーラヴァルマン碑文、西ジャワのボゴール周辺からブールナヴァルマン碑文が出土する。メコンデルタでは5~6世紀には、「扶南碑文」と総称される碑文群が出土する。また[[オケオ]]をはじめとする各地で発見されるインド系の神像、仏像はインド思想の大規模な流入を証明している。
 
 
 
=== 欧米列強による植民地化 ===
 
[[19世紀]]、東南アジア諸国では欧米列強による[[植民地]]化が進められた。以下に見るように各地によってさまざまな支配体制がとられたが、共通点として「[[二重経済]]」、「複合社会」、「分割・[[間接支配]]」の三点がしばしば挙げられる。すなわち、近代資本主義経済と伝統的農業経済の併存、民族的多様性に基づく社会構成、旧支配層による秩序温存とそれを利用した分割・間接支配の三点である。
 
 
 
地域別に植民地化の特徴を見ていくと、まずジャワ・スマトラ周辺([[大スンダ列島]]南部)では、19世紀初頭には特定の港湾や沿岸部などのみが支配されていたが、次第に[[イギリス]]・[[オランダ]]間の支配権競争が激しくなり始めた。オランダ政府は、[[ジャワ島]]で[[サトウキビ]]、[[コーヒー]]、[[タバコ]]などを強制的に栽培させ、現地の農民は搾取によって貧窮に追い込まれた。それに伴い、各地で抵抗戦争が19世紀末から[[20世紀]]初頭まで頻発した。
 
 
 
ボルネオ島北部・西部では、[[ブルネイ]]のスルタンが、部族反乱の鎮圧者に褒美として地方統治権を与えていたことから、現在のサラワク州に白人王による国家・[[サラワク王国]]が成立し、また現在のサバ州はシーク教徒保護名目で乗り込んだイギリスによって植民地化された。ボルネオ島南部では、客家によるアジア初の共和国である[[蘭芳公司]]が存在していたが、蘭芳公司の対外政策は[[清]]王朝の権威を利用したものであり、[[アヘン戦争]]で清が敗れるとオランダに攻められ滅亡した。
 
  
フィリピン諸島では、[[ラプ=ラプ]]王が巧みな戦術により一旦は[[フェルディナンド・マゼラン|マゼラン]]の軍隊を破ったが、次第にスペイン勢力に浸食され、ブルネイの敗北でイスラムの権威が弱まったことがそれを決定づけた。スペイン統治下では、[[スペイン]]人を中心とした大土地所有者の下で[[小作]]農民が過酷な労働を強いられる[[アシエンダ制]]が横行していた。新興地主や知識人階級はこうした社会矛盾に反抗し、[[フィリピン同盟]]([[1892年]]結成)などの民族主義運動を起こした。[[1898年]]の[[米西戦争]]に勝利した[[アメリカ合衆国|アメリカ]]の協力の下、[[エミリオ・アギナルド]]はフィリピンの独立宣言を発表し、初代大統領に就任した。しかしその後、領有を主張するアメリカに弾圧され、アギナルドは捕らえられた。
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[[シンガポール]][[マレーシア]]を除き,稲作中心の農業が経済を支え,そのほかキャッサバ,トウモロコシ,タバコ,サトウキビ,ココヤシ,コーヒーなどの栽培が盛ん。スズ,石油,ボーキサイトなどの鉱物,木材も豊富。シンガポール,マレーシア,タイなどでは急速に工業化が進んでいるが,その他の国々は食品加工など軽工業段階にとどまっている。古くはインド,中国,イスラム各文明の影響を受け,近代に入ってはヨーロッパ列強に植民地として分割された。太平洋とインド洋,アジア大陸とオーストラリア大陸の接点にあり,交通および軍事上,重要な地域である。第2次世界大戦の初期に東南アジアの概念が確立し,戦後広く用いられるようになった。
 
 
[[マレー半島]]は1511年のポルトガルによるマラッカ征服を期に植民地化され、のちにイギリスのものとなった。シンガポールはイギリスの貿易・軍事の拠点として繁栄した。
 
 
 
カンボジアは前世紀からベトナム・タイ両国からの激しい圧迫に悩まされ、幾度も国土消失の危機があったために、[[メコン川]]を境に国土が両国に分割されることを恐れた[[アン・ドゥオン]]王と[[ノロドム]]王により、自らフランスの保護国となった。
 
 
 
ベトナムは、最後の王朝である[[阮朝]]の建国の際にフランスを始めとする勢力の助力を得たことが後に仇となり、一部はフランスの保護国、また一部は直轄植民地となっていった。
 
 
 
ラオスでは、タイの隷属化にあったルアンパバーン、ヴィエンチャン、チャンパサックの各王国が仏泰戦争の結果としてフランスの領土となっていった。
 
 
 
タイは、イギリス、[[フランス]]の侵略に悩まされるが、政治や教育などの近代化政策と巧みな外交、領土割譲といった代償によって、東南アジアで唯一独立を保ち、英仏の緩衝国家となった。
 
 
 
このような植民地支配の確立は現地民の反発を招き、19世紀末から20世紀初めにかけて、遅速の差があるが東南アジア世界にナショナリズムの芽が生まれてきていた。
 
 
 
=== 太平洋戦争 ===
 
「東南アジア」の呼称が広く用いられるようになったきっかけは、1942年に[[連合国 (第二次世界大戦)|連合国]]軍が「東南アジア司令部」を設置したときである。日本軍の作戦区域であるイギリス領ビルマおよびマラヤ、フランス領インドシナ、オランダ領東インド、アメリカ領フィリピンの4植民地およびタイ王国を包括するような概念がなく、このときに「東南アジア」なる用語が取り上げられた。さらに、[[太平洋戦争]]後には、戦後処理を進める連合軍の作戦領域名として政治的にも公式化されることになった。この後、米国を中心とする「東南アジア」研究者たちによって広く用いられるようになり、やがて一般的にも使われるようになった<ref>池端(1994: 3-7)</ref>。なお、戦中期の日本にも「東南アジヤ」の呼称を用いる研究者がいたが、戦前、戦中の日本においては、現在の太平洋地域を含めて「南方」や「南洋」と呼ぶ事が多かった。
 
 
 
=== アセアン(ASEAN)成立以後の東南アジア諸国の協調体制 ===
 
{{main|東南アジア諸国連合}}
 
[[1967年]]8月には、インドネシア、マレーシア、フィリピン、シンガポール、タイの5か国によって東南アジア諸国連合(アセアン)が成立。当初は、[[冷戦]]構造との自律的関係および[[地域紛争]]の自主的、平和的解決を目的としており(とはいえ、加盟国はいずれも[[反共]]であった)、とりわけ、[[1975年]]の[[ホーチミン市|サイゴン]]陥落以後の緊張関係を乗り切ったことで、国際社会でも注目を浴びるようになった。そして、その後は、各国の強権的な経済開発を背景とした経済関係の緊密化に伴い、貿易、資源、技術などを中心とした域内経済協力の枠組み整備(域内特恵制度の拡充や関税引下げなど)が進められるようになった。
 
 
 
[[1986年]]のフィリピンの2月革命、[[1998年]]の[[スハルト]]辞任などに見られる東南アジアの民主化運動が急速に進行し、東南アジア諸国家で自国の政治的、文化的な国民形成の動きを早めている。1990年代以降、政治的大衆主義や民衆的な文化ナショナリズム構築の流れが顕著になった。特に[[1999年]]のカンボジア加盟による[[東南アジア諸国連合|ASEAN10]]の成立は、国際的、東南アジア諸国間相互で国家領域が確定し、承認された。1999年以降の東南アジア史研究は、東南アジア諸国家の形成過程を中心に据えるようになった。
 
 
 
== 言語 ==
 
* [[シナ・チベット語族]] - [[ビルマ語]]など
 
* [[オーストロアジア語族]] - [[ベトナム語]]、[[カンボジア語]]など
 
* [[タイ・カダイ語族]] - [[タイ語]]、[[ラオ語]]など
 
* [[オーストロネシア語族]] - [[フィリピノ語]]、[[マレー語]]、[[インドネシア語]]など
 
* [[モン・ミエン語族]]
 
* [[パプア諸語]] - ニューギニア島
 
 
 
== 東南アジアを舞台とする作品 ==
 
東南アジア諸国にて創作されたものを除く。
 
* [[サヨナライツカ]](タイ)
 
* [[大使閣下の料理人]](ベトナム)
 
* [[ディエンビエンフー (漫画)|ディエンビエンフー]](ベトナム)
 
* [[ビルマの竪琴]](ミャンマー)
 
* [[ランボー/最後の戦場]](ミャンマー)
 
* [[ミュージカル南十字星]](インドネシア)
 
* [[ブンガワンソロ]](インドネシア)
 
* [[ルパン三世 セブンデイズ・ラプソディ]](タイ)
 
* [[地雷を踏んだらサヨウナラ]](カンボジア)
 
'''[[ベトナム戦争を扱った映画]]'''も参照。
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{ウィキポータルリンク|東南アジア|[[File:SE-asia.png|45px|Portal:東南アジア]]}}
 
* [[東南アジア諸国連合]] (ASEAN) - 東南アジア10カ国(2005年時点)が加盟
 
* [[東洋区]] - 東南アジアを含む[[生物地理区]]
 
  
 
== 脚注 ==
 
== 脚注 ==
136行目: 18行目:
 
{{reflist}}
 
{{reflist}}
  
== 参考文献 ==
+
 
{{commonscat|Southeast_Asia}}
 
* 池端雪浦(1994)「東南アジア史へのアプローチ」池端雪浦編『変わる東南アジア史像』山川出版.
 
* 永積昭(1977)『東南アジアの歴史 新書東洋史 (7)』 [[講談社]].
 
* 桃木至朗(1996)『歴史世界としての東南アジア』山川出版社 ISBN 978-4-63-434120-3
 
 
{{アジア}}
 
{{アジア}}
{{Authority control}}
+
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{{デフォルトソート:とうなんあしあ}}
 
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[[Category:東南アジア|*とうなんあしあ]]
 
[[Category:東南アジア|*とうなんあしあ]]
 
[[Category:アジアの地域]]
 
[[Category:アジアの地域]]

2018/8/29/ (水) 00:57時点における最新版

東南アジア(とうなんアジア)

アジア大陸南東部のインドシナ半島と,その南東方に広がるマレー諸島から成る地域。大部分が熱帯に属する。

シンガポールマレーシアを除き,稲作中心の農業が経済を支え,そのほかキャッサバ,トウモロコシ,タバコ,サトウキビ,ココヤシ,コーヒーなどの栽培が盛ん。スズ,石油,ボーキサイトなどの鉱物,木材も豊富。シンガポール,マレーシア,タイなどでは急速に工業化が進んでいるが,その他の国々は食品加工など軽工業段階にとどまっている。古くはインド,中国,イスラム各文明の影響を受け,近代に入ってはヨーロッパ列強に植民地として分割された。太平洋とインド洋,アジア大陸とオーストラリア大陸の接点にあり,交通および軍事上,重要な地域である。第2次世界大戦の初期に東南アジアの概念が確立し,戦後広く用いられるようになった。

脚注




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