20180727絵本の感想(S.Kamijo)

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1.山本忠敬『しゅっぱつしんこう』(福音館書店,1984)

 おかあさんとみよちゃん(女子)がおじいさんのいる田舎の町に電車で行くという物語だ。都会から山のふもとの大きな街には特急列車で、その街から山の中の駅には急行列車で、そこから山の奥の町の駅には普通列車で移動する。列車の描写は本物に忠実で、実際にありそうな路線の描写で子ども向けだからといって手抜きがない。電車が大好きで深い興味を持った子どもでも満足でるような内容だ。

2.スティーヴン・ビースティー(絵),リチャード・プラット(文),北森俊行(訳)『輪切り図鑑クロスセクション』(岩波書店,1992)

 城、船、大聖堂、ジャンボジェット、汽車、スペースシャトルなどの輪切りの断面図を絵にした大型本である。その構造物の細かい施設なども描写してあり、説明文もそれぞれ付されている。私たちは構造体の表面しか見る機会はないが、この本は構造体の中そしてそこにある工夫を事細かに教えてくれる。この本は私たちに建造物や構造物を見るときに新しい考えを与えてくれるものだ。

3.モーリス・センダック(作),神宮輝夫(訳)『かいじゅうたちのいるところ』(冨山房,1975)

 マックスはおおかみの着ぐるみを着ていたずらを始めあばれる、母親から寝室に放り込まれる。寝室に木が生え森の中に、そこから船旅でたくさんの怪獣のいる島につく。絵の枠が現実から遠ざかるに従い大きくなる、そして、怪獣たちと踊り狂う場面では、文章もなくなり見開き全てにわたり踊る絵で埋め尽くされる。主人公マックスの表情が始めは旅に出るのに不機嫌そうで、踊っているときも、雄叫び上げているようにも見える。寂しくなってまた怪獣たちのいるところから家に戻ってきた時に寝室に夕ご飯が用意されていて、しかもマックスの表情がやわらかくなっている。これは、子どもの怒りを解消する夢の旅なのだろう。

4.ロイス・レンスキー(絵・文),渡辺 茂男(訳)『ちいさいきかんしゃ』(福音館書店,1971)

 ちいさい機関車が車庫から出発して駅に入線し大きな街の駅に移動し、1日の業務を終えるまでの話だ。機関士や機関助手や車掌の仕事の様子や機関車が出発・加速・減速する音の描写が繊細に描かれている。機関車に乗ったことがない人も機関車どんなような風に動きどんなような仕組みで動くのかを想像できる。機関車はすでにほとんどの地域で消滅してしまったが、機関車への夢をかきたててくれる。私も一回しか機関車に乗ったことがないまたぜひ乗ってみたい。

5.E・ラチョフ(絵),M・ブラトフ(再話),内田 莉莎子(訳)『マーシャとくま』(福音館書店,1963)

 文章の部分は左にあり、右側は1ページ絵というような形式で、文章のページの左端は全てのページにロシアの伝統衣装を思わせるような模様が描かれている。ただし、最初のページと最後のページのみこの形式からは外れている。最初のページはロシア風の紙芝居装置のようなものと文章で構成されており、話の始まりを思わせるようだ。最終ページは空 の葛籠と結末の文章が書かれている。くまの瞳はつぶらで完全な悪役ではないような描写に思われる。さらに、絵本の中でくまだけが、表情豊かに複数回描かれている。これはマーシャが主人公ではなくてくまが主人公の物語にも見える。長くはない話だが、きれいに話が流れ落ちがある。

6.加古里子(作,絵)『ゆきのひ』(福音館書店,1966)

 ゆきのひは楽しい子どもにとってしかもそれがある程度雪が積もるくらいならば、横に長い形状でワイドビューに雪が降り積もる街の様子が俯瞰的に描かれる。しかし、雪国の暮らしは過酷でもある、雪は止まず吹雪であるならば。深夜、送電線が寸断され、鉄道が雪で埋まると人が復旧作業にあたらなければならない。1960年頃日本の雪国の暮らしは九州の人間には想像ができない、時間も気候も違う、しかし、この本はそれを教えてくれる。雪国の暮らしの二面性、ただ楽しいだけではない過酷さも。ゆきのひが楽しいだけでは終わらない話の深さがこの本の特徴だろう。

7.内田莉莎子(再話),佐藤忠良(画)『おおきなかぶ』(福音館書店,1962)

 言葉の繰り返しはよく見られる、言葉の繰り返しは面白さにつながるのだろう。「あまい あまい」「おおきな おおきな」など短く母音から始める形容詞の繰り返しであることも注目したい。形容詞は名詞がどうであるかを説明するものであるから、この形容詞にかかる「かぶ」のただものではないことを強調する効果もあるかもしれない。巨大すぎてかぶが抜けないため、おばあさん、孫、犬、猫、ねずみと抜くために始めは予想できるが後半は何を連れて来るのか想像する楽しみもある。本においてかぶ全体が写った絵はなく、抜けたかぶは途中で切れているのでかぶの大きさを強調する手法と思った。

8.エウゲーニー・M・ラチョフ(絵),内田 莉莎子(訳)『てぶくろ』(福音館書店,1965)

 てぶくろの大きさは手のサイズであるはずだ、それは当然の事実だ。おじいさんが森で落としたてぶくろの大きさも当然おじいさんの手の大きさであってしかるべきである。雪の森てぶくろの中は温かいだろう、小動物であるねずみはてぶくろをすみかにできるはずだ。カエルが来ても入るだろう。うさぎは理性で考えれば無理だ。だが入る。拡大を続けるてぶくろ、もはや予測不能である。てぶくろと動物との大きさ観が狂うが「どうしてもはいるよ」ですまして入り続ける動物たち。また、おじいさんがてぶくろを拾いに来るまで続く不思議な世界だ。人間という観測者がいないならば森には不思議なことが起きているかもしれない。

9.加古 里子『地下鉄のできるまで』(福音館書店,1987)

 地下鉄の工法の違いは区別がつきにくい専門家でなくては別に覚える必要もないだろう。だが開削工法とシールド工法の違いは実は博多駅の延伸工事において事故の原因になったことの違いでもあった。見えないところに人の知恵と努力があるそれを気づくきっかけになるかも、子どもが読むには酷な内容だが、子どもを馬鹿にしてはいけないもしかしたらそういう絵本がきっかけで建築に興味を抱くかもしれない。この本も一切の妥協なく地下鉄の工事過程を細かに忠実に描いている。私はこういう絵本や教科書こそ教育には必要だと思う。

10.ハンス・フィッシャー(文・絵) 矢川 澄子(訳)『長ぐつをはいたねこ』(福音館書店,1980)

 線が力強く鉛筆の一筆がきに大胆に色をのせたような印象である。ねこが主人のために奮闘するようすが、見開きに渡りコマ送りのように描かれる様子はねこの健気さと努力を思わせる。つるの恩がえしを思わせる気はしたが、この話には暗さはなくどうして助けるのか、条件などの要素はなく、最後まで明るい、魔法使いが倒させる場面においても。夜の場面においては、背景が完全に黒になっており、この描き方は絶妙である。

11. 筒井 頼子(作),林 明子(絵)『はじめてのおつかい』(福音館書店,1977)

 表紙買いしたくなるような、割れんばかり笑顔である。かつて小さな何を達成できたときは楽しく笑えていたのだろうか。お母さんが子どもにおつかいを頼むのだが、はじめのページから家の中が騒然としていて、切羽詰まっていそうだ。ほんとうに忙しいようだ。下に赤ちゃんがいるともう大変なのだろう。まちや人の書き込まれ方は素晴らしい、描写が細かく一緒にお使いにでかけているような印象をあたえてくれる。注目はやはり表情である。豊かだ。