20180715バプテスト連盟における性差別問題特別委員会の働きについての授業の感想(S.Kamijo)

提供: miniwiki
移動先:案内検索

1.はじめに

 バプテスト連盟におけるセクシュアルハラスメント対策における措置が勧告程度しかだせず、一般社会におけるセクシュアルハラスメント対応と比べ弱いと思い、バプテスト連盟におけるセクシュアルハラスメント対策と厚生労働省が雇用主に義務としているセクシュアルハラスメント対策とを比較しながら考察を行う。

2.セクシュアルハラスメントの定義と法的根拠

 まず、セクシュアルハラスメントとは何であるかを確認する。『現代国語例解辞典〔第四版〕』においては「性的嫌がらせ。特に、職場などでの異性に対する性的な言動についていう」とある。一般的には、相手を不快にさせる性的な言動をいい、基本的には受け手がその言動を不快に感じた場合にはセクシュアルハラスメントとなる。 2007年に施行された男女雇用機会均等法では「職場において、労働者の意に反する性的な言動が行われ、それを拒否したり抵抗したりすることによって解雇、降格、減給などの不利益を受けることや、性的な言動が行われることで職場の環境が不快なものとなったため、労働者の能力の発揮に重大な悪影響が生じること」とセクシュアルハラスメントを定義している。 また、日本国現行憲法においてセクシュアルハラスメントは第11条「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。この憲法が国民に保障する基本的人権は、侵すことのできない永久の権利として、現在及び将来の国民に与へられる」、第13条「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする」に反する、基本的人権に関わる問題であるとしている。 さらに、男女雇用機会均等法第11条「事業主は、職場において行われる性的な言動に対するその雇用する労働者の対応により当該労働者がその労働条件につき不利益を受け、又は当該性的な言動により当該労働者の就業環境が害されることのないよう、当該労働者からの相談に応じ、適切に対応するために必要な体制の整備その他の雇用管理上必要な措置を講じなければならない」とあり、雇用主はセクシュアルハラスメントについて必要な措置を講じなければならない。

3.教会におけるセクシュアルハラスメントの責任の所在とは

 セクシュアルハラスメントは憲法においても法的にも許されることではなく、さらに雇用主はその対策や調停に措置をせねばならない義務があること確認できた。

 では、バプテスト連盟においてはどうだろうか、教会員は雇用者ではない、そもそも牧師も各加盟宗教法人が様々な形態で招聘した人物であり、労使契約すら結んではいないのではなかろうか。教会の方針によって様々であり、各個教会主義を伝統とするバプテストであるから、各教会に明文化されたルールや規則整備が本来必要であり、それをホームページ等で周知し、法人としてのコンプライアンスを世に示すことも、法人として信頼を得るためには必要だ。労働をする場であろうとも、宗教活動を行う場であろうとも人が集まるところには、様々なトラブルがつきものである。さらに、時代の変化によって、かつては問題とならなかったことが問題となり、新たな気づきとなることがあるのである。そのたびに議論し各教会、各教会員が民主的な運営に基づいて教会規則や信仰宣言を出すことができる。それが理想ではある。そして、当然セクシュアルハラスメントの責任も教会が負い調停解決に向けて取り組むことができるというのが望ましい。

4.現実との折り合い

 しかし、理想と現実は異なる、各教会が様々な問題を各自で調停解決できるようであれば、ここまでの問題は発生していない。バプテスト連盟いや日本の教会の規模は全体的に小さく、教会の問題を調停解決に導くためにはそれに当たり時間を費やせるような人もほとんどいない、いたとしても問題の当事者ということもある。これは、企業におけるセクシュアルハラスメント対策とは大きく異なる点である。規模も小さく資金的な猶予も少ない教会にとって、セクシュアルハラスメント問題において、第三者委員会や弁護士等の専門家を入れるなどのことも厳しくなる。そこで、バプテスト連盟などの包括補助組織における委員会システムはこのような問題を改善するのに良い方法であると思う。措置といっても、最大の権限が勧告ではあるが、そこから、教会に気づきが与えられその教会が正しく措置をとるのであれば、このシステムは十全な力を発揮すると思う。もちろん、各教会は包括組織にセクシュアルハラスメントついての問題を丸投げするのではなく、各教会で何かしらの地域や社会にあった解決策や折衷案を見出す努力と訓練を続けて行くことを怠るべきではないだろう。

5.最後に

 聖書は男権の強い時代や文化をもとに書かれたものであるから、聖書をそのまま性の問題に結びつけることは難しいかもしれないが、プロテスタント派、特にバプテストはただ上からの解釈をそのまま受け入れるだけの教派ではではない、各自がその時代の文脈の中で、キリストの光に照らしながら読むものである。わたしは、この時代の文脈におけるできる限りの最善なジェンダーのあり方を考えたいと思う。