露出狂
露出狂(ろしゅつきょう)は、自ら裸体を晒すことを好む性的倒錯者を示す言葉である。窃視症はほぼ反対の概念である。
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露出行為の定義
「どこまでが露出行為で、どこからがそうでないか」の境界は、宗教や国、社会通念、その場の状況によって判断が左右されることが多く、極めて曖昧である。
例えばイスラム教圏では女性は肌を晒すことを禁じられているので、Tシャツやホットパンツを着用しただけでも不謹慎とされる。一方でアメリカ合衆国や南米の国々においては、海水浴や日光浴において女性であっても上半身を露出すること(いわゆるトップレス)は特に問題とならないことがある。また、発展途上国の限られた地域ではあるが、現在でも男女ともに全裸で生活する種族も存在する。
日本では、男性が上半身を女性に晒すことは露出行為にはあたらない。男性の水着も上半身は覆わないタイプのものが主流であるし(上半身を覆う男性用水着も存在するが)、スポーツや炎天下での作業など、汗をかくことが分かっている場合、周囲に女性がいても上半身裸になる男性もいる。また、男性に限り、褌を着用すれば臀部を女性に晒しても露出行為にはあたらない。
一方、女性が上半身だけであっても男性に晒すことは露出行為になる。しかし、戦前の時代までは、汽車の中など他人の男性もいる所で、母親が乳児に授乳する光景は普通にあった。このように同じ国でも時代によって変化する場合がある。
前述のように国や宗教によって大きな差があるものの、一般的には男女ともに性器を衆目に晒すことが、(狭義の)露出狂と認知されることが多い。
しかし、乳房[1]が性器かどうかは意見の分かれるところである。法律上は性器と扱われていないことが多い。一方で、男性が上半身のみ裸になる場合であっても、女性から見ると男性の上半身を見せられることも恥ずかしい場合があり(個人差あり)そういった行為は罪にはならないものの、相手を不快にさせるので、十分に注意が必要である。
このように、露出狂の露出の対象は、性的好奇心および羞恥心を喚起する身体の一部であることが通常である。
さらには、衣服等を着用していた場合でも、(広義の)露出と評価される場合がある。これは、シースルー等の透ける素材の衣服を着用して性器や乳房が見えるようにした場合が代表的である。
また、公営プール等で、一般的なものよりも肌が見える水着(マイクロビキニ・Tバックなど)を着用している場合、さらには、透けていなくとも、肌に密着した衣服を着用して、性器の存在(いわゆるモッコリ)を強調した場合も、同様に評価される場合がある。
また、このような評価は、場所や状況によって大きく異なる。例として、プールや海水浴場、あるいはファッションショー等で、水着を着用して歩行することは露出行為とはいえないが、それ以外の公共の施設や路上において、水着のみを着用して歩行した場合、広義の露出に該当する[2]。
露出度の高低、露出者の羞恥は、露出者と衆人との差異による。ゆえに、例として透けたハイレグ水着を着用する場合、プールでは衆人との衣装の差異が小さいために羞恥が小さく、街中では差異が大きいため同じ衣装でも大きな羞恥を浴びることができる。
また、性器が他人に晒されることが予め分かっているような状況では、異性に性器を見せても露出狂には該当しない。 例えば、銭湯の男湯にいる女性従業員や泌尿器科で女性医師に、または産婦人科で男性医師に性器を露出しても、相手は性器が見えることを予め分かっているから驚いたり不快になることは無いからである。ただし、勃起すると不快にさせる場合がある。
露出の目的
社会通念上、裸を見て(見られて)恥ずかしい思いをするのは女性であるという考えが根柢にあったため、一般的に露出狂は男性が多いと考えられてきたが、近年女性の露出狂も急増している。これにはインターネットの普及による露出コミュニティの影響が大きいとされているが、増加というよりも隠蔽されていたという見方が強い。
露出狂には、露出による相手のリアクションが好きな場合と、露出により自分を見てもらうことが好きな場合とがある。男性の露出狂は、性器を見せることで引き起こされる相手の当惑の表情や驚愕を楽しむ者が多い。反対に女性の露出狂は、陰部を他人に見られることによって快感を得るものが多く、ウェブ掲示板に全裸画像や一部の露出画像を公開するものも数多く存在する。
日本においては、公然と裸でうろつくよりも、コートなどで身を隠しておいて他人に近づいてから、裸もしくは性器を見せて驚かせるパターンが多い。こうした露出への欲求の背景は、性器の大小にまつわる劣等感、異性に対するコミュニケーション不全、社会的地位が不当に低いことへの不満、などが類推されているが個人差が大きく万人が納得できる場合は少ない。
なお、特に欧米諸国においては、他人に見せる(見られる)ことを目的としないで全裸になることは、ヌーディズムといわれ、露出狂とは区別されている。
露出の方法
具体的な方法は露出プレイを参照のこと。
前述のように裸体を隠しておいて、瞬間的に露出を行ない逃走することが多い。
犯罪となる露出行為
- 全裸で多数の人のいる街を歩く。
- ピザなどのデリバリーを注文し、全裸で受け取る。
- オーバーコートで隠しておき、他人の前でいきなりコートの前をはだけ裸体を晒す(韓国ではバーバリーマン行為と呼ばれる)。
- スラックス(スカート)をゆるめておいて、他人の前でいきなり下着ごとおろして性器を晒す。
- 自動車のシートに着座しつつズボンの前を緩め(スカートをまくり)性器を露出させておき、歩道の異性に声をかけ性器を見せ付ける。
- 満員電車などでズボン(スカート)から性器を露出し、座席に座っている人の目の前に晒す。
- コンビニ等に全裸で来店、または店内で脱衣し、店員を相手に露出行為を行う。乳房などを触らせることもある。
- 電車・バスなどのボックス席で隣に座った異性に、ズボン(スカート)から露出させた性器を晒す。
- 稀な例ではあるが、深夜全裸で星空などを望遠鏡で観測する様をセルフタイマーなどを使用したカメラで撮影し、自らのホームページ上で公開する者もいる。
犯罪になるかならないかのグレーゾーンにあたる露出行為
- わざと部屋のカーテンを開けて着替えるなどして裸になり、通行人や向かいの家の住人などに見せる。あくまで家の中なので、裸になるのは自然なことである。ただし、外から見える庭やベランダは自宅の敷地内だが罪になる。しかし塀や生け垣で完全に隠れている庭では罪に問うことは難しい。
- 完全な露出ではないが、1990年代に流行し頻繁にテレビ番組などで取り上げられた公共のプールなどで過激な水着を着用する女性などもこの一種と言える。水着はスリングショットなどの際どいものや透けているものなど様々なものが活用されるが、あくまで水着を着用している為、万が一の時にも注意で済むため露出の一種としては最も行われている部類である。
似て非なるもの
- ストリーキング
- ストリーキングは公共の場において裸で走る行為を指す。これはパフォーマンスの一環として行なわれ、性的な意味合いを持たないために露出狂とは区別される。1974年頃にアメリカを中心に流行をみせ、日本にも上陸し世間をにぎわせた。streakingはstreak(疾走する、全力で走る)からきている。発端となったのは、1974年4月にトゥイッケナムラグビー場でイングランドとフランスとの試合が行われている最中に、約53,000人の観客を面前にしてマイケル・オブライエンという名の男が全裸で駆け抜けた事件であったとされる。彼を取り押さえた警察官が、とっさに彼の陰部を隠した帽子は、後にチャリティー・オークションで2,400ユーロで落札されたというエピソードが残っている。
- パフォーマンス
- 動物愛護団体などが、毛皮の禁止などを訴え裸でデモを行なうことがあるが、これも主張のための効果的な方法としての裸であり、露出狂とは区別される。
- ヌーディスト
- 裸を見せることを目的とする露出狂と異なり、人間の生き方としての自然回帰などを求めた結果として裸になる人々である。ヌーディストが裸でいることと性行為は別のことであるとしている。
- 公衆の面前でのヌード
- アダルトビデオの撮影
- 露出ものと呼ばれるAV撮影のためにAV女優が裸で街を歩くことがあるが、これは営利にもとづく行為であり露出狂とは区別される。しばしば都心の公園、街路、駅のプラットフォーム、列車内などでも強行されるが、もちろん無許可であり違法行為である。後に発売されたビデオが証拠となり、検挙された例もある。
- 芸術
- アートとして裸体を晒す、あるいはボディペインティングなどは露出狂とは区別される。
- 1980年代から注目され始めた『山海塾』や『大駱駝艦』などの舞台に見られる様な、全身を白塗りにしてほぼ全裸に近い姿で演じられるダンスパフォーマンス(いわゆる「暗黒舞踏」)も、好き嫌いの別れるものではあるが舞台芸術として世間に認知されており、単なる露出とは区別される。演出の都合によっては舞台を飛び出し、街頭や自然の屋外で上演される場合もあるが、無軌道な露出プレイとは全く違うものである。
- 強制露出
- いじめや私刑(リンチ)などで裸で放逐されることがある。また何かの代替条件として裸体を晒すことが求められることがある(有名なものはゴダイヴァ夫人)。こうした何者かに強制された露出は露出狂とは区別される。