絞罪器械図式
絞罪器械図式 | |
---|---|
日本の法令 | |
通称・略称 | 絞罪器械図式 |
法令番号 | 明治6年太政官布告第65号 |
効力 | 現行法 |
種類 | 行刑法 |
主な内容 | 絞首器具の図式その他の死刑執行の方法 |
関連法令 | 刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律 |
条文リンク | 総務省・法令データ提供システム |
絞罪器械図式(こうざいきかいずしき、明治6年太政官布告第65号)とは、日本における死刑執行の際に使用される、絞首器の図式その他の死刑執行の方法を定めた太政官布告である。日本国憲法下では法律と同一の効力を有する。
概説
この太政官布告は、日本国憲法のみならず大日本帝国憲法すらも制定されていない時代のものだが、最高裁判所は、最高裁判所大法廷判決昭和36年7月19日[1]において、死刑の執行方法の基本的事項を定めたものとして、旧憲法下においても法律事項を定めたものであり(旧憲法第23条)、したがって、旧憲法下において法律としての効力を有していた(旧憲法第76条1項)のみならず、現行憲法下においても現在も法律事項を定めるものであり、かつ、その内容は、日本国憲法第36条の「残虐な刑罰」にも当たらないため、現行憲法下においても、法律と同一の効力を有するものとして存続していること(日本国憲法第98条1項)を確認している。
この太政官布告には別紙図式として、絞架全図・踏板表面図・機車・機車属鉄板図・踏板裏面図・機車装置図・絞縄鐶図・鉄板架図・螺旋図・絞縄略図が付されている。
ただし、絞罪器械図式の別紙図式として「絞架全図」に定められたものは、地上に設けるものとなっているのに対し、現行の日本の執行施設は、絞架踏板式のうち地下絞架式と呼ばれるものであり若干異なるが、上記の最高裁判決で奥野健一裁判官は、補足意見として「現に行われている地下絞架式の執行方法は前記布告六五号の図解するところに比し、むしろ被執行者の精神的苦痛を軽減し、執行の公開主義から密行主義への推移に沿う合理性を備えているものであって、右布告六五号に準拠していないとは言いえない」と述べている。
何を参考にして作成されたのか明確な資料は現存していないが、構造は当時のイギリスの絞首刑台に良く似ている。この当時にイギリスの死刑執行人を務めていたウィリアム・マーウッドが考案した物と金具の形状やロープの長さ、床の開き方などが酷似している。
なお、解縄について絞罪器械図式では「二分時死相ヲ験シテ解下ス」としているが、この部分については刑事収容施設及び被収容者等の処遇に関する法律179条により「死刑を執行するときは、絞首された者の死亡を確認してから五分を経過した後に絞縄を解くものとする」と改められている(後法優先の原則)。
以前
明治政府は1870年に従来の死刑執行方法(斬首など)に代わり絞首刑にすると布告(新律綱領 明治3年12月20日布告第944号)を出した。この時に導入されたのが懸垂式の処刑器具『絞柱』であった。この器具は死刑囚のうなじに縄をかけ、その縄の先に20貫(約75Kg)の重石を吊り下げて絞首する仕組みであった[2]。しかしこの処刑器具には場合によっては死刑執行者が蘇生するという致命的な欠陥があり、石鐵県死刑囚蘇生事件を含め3件が失敗している。このため導入から2年で絞罪器械図式に変更された。
脚注
- ↑ 刑集第15巻7号1106頁。判例検索システム、2014年8月30日閲覧。
- ↑ 明治3年第944号(新律綱領 獄具圖) 法令全書 明治3年、内閣官報局
関連項目
- 日本における死刑
- 絞首刑
- 死刑制度合憲判決事件
- 死刑廃止論
- 公式ドロップテーブル - 絞首刑に適切なロープの長さを計算するためにイギリス内務省が定めたマニュアル