神港夕刊新聞社

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神港夕刊新聞社(しんこう・ゆうかん・しんぶんしゃ)は、かつて神戸新聞社の子会社という位置づけで発行していた夕刊の専門新聞社である。

概要

元々、神戸新聞社は戦後、新規に創刊する夕刊紙の発行に着目し、娯楽重視の夕刊としての発行を計画していたが、当時の連合軍総司令部(GHQ)は、製紙事情などを理由に、同じ新聞社が2つの地方紙を発行することを認めない方針を示したため、神戸新聞とは別枠の子会社として、「神港夕刊新聞」の創刊を企画することになった。ただ、編集や販売などは、親会社の神戸新聞本体との間で全面提携を結んでいた。その後、神戸新聞社から分離・独立をするために1948年に社名を「神港新聞社」と変更して独立。

1950年には兵庫県第2の県域新聞を目指すための整備の一環で、朝刊とのセット販売を開始することになった。さらにこの年、系列のスポーツ紙として「スポーツ・アンド・スクリーン」「オールスポーツ」を同時に創刊させるが、1950年代中盤から経営不振が続いた。

オールスポーツは神港新聞社から分社して「オールスポーツ新聞社」となるものの、経営悪化は解消されず、1957年に、枚方市にあった朝日新聞宅配販売店(現在の「ASA」)の経営者・折田平市[1]が仲介役となり、朝日新聞社日刊スポーツ新聞社(東京)が経営を引き継ぎ(事実上フランチャイジーとして)、「大阪日刊スポーツ新聞社」(現在の日刊スポーツ新聞西日本)に移行。

1959年、神港新聞は題号を「兵庫新聞」と改め、1961年10月に夕刊紙単独に戻された。しかし、1968年6月1日付け(5月31日夕方発行)の新聞が最終号となった。

なお、神戸新聞は神港新聞の独立化に際して独自に新新聞の創刊を計画。これが1948年8月に創刊された「デイリースポーツ」である。

脚注

出典

テンプレート:日刊スポーツ新聞社