ヤマトタケル
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(日本武尊から転送)
ヤマトタケル(生年不詳 - 景行天皇43年)
日本の古代史における伝承上の英雄。『古事記』では倭建命と書く。『古事記』『日本書紀』では景行天皇の皇子で,幼名を,オウスノミコト (小碓命) という。武勇に優れていたため,父天皇の命による西方の熊襲征伐には童女に扮して川上梟帥 (かわかみのたける) に近づきこれを討った。そのとき梟帥が,日本で最も強い男という意味からオウスノミコトに「日本武」皇子の名を奉ったという。しかしこれは一個人の名前ではなく,歴史的には何人もの「日本武」がいたものとみられる。その後オウスノミコトは東方の蝦夷平定に向かう途中,天叢雲剣 (あめのむらくものつるぎ。別称草薙剣 ) で野火の難をはらい,走水 (はしりみず) の海では妃のオトタチバナヒメノミコト (弟橘比売命) の入水により海上の難を逃れたが,伊吹山で賊を征伐中,伊勢国の能褒野 (のぼの) で崩じたという。死後その霊は白鳥となり大和に渡ったので当地に陵をつくったが,さらに白鳥は河内に飛び去ったためそこにも陵をつくり,ともに白鳥陵と称したという。このように『日本書紀』は日本武尊の死を「崩」とし,墓を「陵」と記すなど天皇に準じており,また『常陸国風土記』では倭武天皇と記している。