日本ペイントホールディングス
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日本ペイントホールディングス株式会社(にっぽんペイントホールディングス)は、大阪府大阪市北区に本社を置く日本ペイントグループの持株会社。
概要
2014年10月1日、日本ペイント株式会社が持株会社体制に移行するにあたり、新設分割により事業会社の日本ペイント株式会社(新法人)を設立。従来の日本ペイント株式会社は日本ペイントホールディングス株式会社に商号変更され、持株会社となった[1]。
海外展開に積極的で、アジアでは華僑系のWuthelamと、ヨーロッパではオランダのアクゾ・ノーベルと合弁会社を設立している。特にWuthelamとの間では提携関係を強化しており[2]、2014年12月5日時点で、Wuthelam傘下のニプシー・インターナショナル・リミテッドは当社株式の約39%を保有している[3][4]。
2015年4月1日に、事業別の運営会社とする組織再編を実施。自動車用塗料事業を日本ペイント・オートモーティブコーティングス(日本ビー・ケミカルを商号変更)へ、サーフ事業を新設した日本ペイント・サーフケミカルズへ、工業用塗料事業を日本ペイント・インダストリアルコーティングス(日本ペイント工業用コーティングが日本ファインコーティングスを合併し商号変更)へ、汎用塗料事業を日本ペイント(日本ペイント販売が日本ペイントを合併し商号変更)へ、それぞれ集約した[5]。
沿革
- 1881年(明治14年)-東京・三田に茂木重次郎が共同組合光明社設立
- 1893年(明治26年)-合資会社に改組
- 1896年(明治29年)-光明合資会社に改称
- 1898年(明治31年)-日本ペイント製造株式会社設立
- 1908年(明治41年)-商標「槌印」制定
- 1920年(大正9年)-経営の中心を大阪に移す
- 1925年(大正14年)-皇太子殿下大阪行啓に際し侍従差遣の栄に浴す。これを記念し商標「日の丸印」を制定
- 1927年(昭和2年)-日本ペイント株式会社に改称
- 1946年(昭和21年)-特別経理会社に指定される
- 1965年(昭和40年)-米国ピッツバーグ・プレート・グラス社(現PPGインダストリーズ)と技術提携
- 1981年(昭和56年)-創業100周年を記念して東京・南品川に明治記念館開館
- 2014年(平成26年)-持株会社体制へ移行。日本ペイントホールディングス株式会社に改称し、事業会社として日本ペイント株式会社を新設分割
- 2015年(平成27年)-日本ペイント(株)を事業別に4社に分社。各事業に関連する国内子会社等を合併等により統合(日本ペイント・オートモーティブコーティングス(株)・日本ペイント・インダストリアルコーティングス(株)・日本ペイント(株)・日本ペイント・サーフケミカルズ(株))
- 2017年(平成29年)-米国塗料大手アクサルタ・コーティング・システムズに買収提案(後に撤回[6])
主要関係会社
- 日本ペイント・オートモーティブコーティングス(大阪府枚方市)
- 日本ペイント(東京都品川区)
- 日本ペイント・インダストリアルコーティングス(東京都品川区)
- 日本ペイント・サーフケミカルズ(東京都品川区)
- 日本ペイントマリン(兵庫県神戸市)
- エーエスペイント(愛知県豊明市)
- ニッペホームプロダクツ(東京都品川区)
- 日本ペイント防食コーティングス(千葉県船橋市)
- ニッペトレーディング(大阪府吹田市)
グループ拠点
- 工場
- 日本ペイント・オートモーティブコーティングス
- 栃木工場(栃木県宇都宮市)
- 愛知高浜工場(愛知県高浜市)
- 愛知武豊工場(愛知県知多郡)
- 広島工場(広島市南区)
- 防府分工場(山口県防府市)
- 日本ペイント・インダストリアルコーティングス
- 千葉工場(千葉県東金市)
- 日本ペイント・サーフケミカルズ
- 栃木工場(栃木県宇都宮市)
- 岡山工場(岡山県勝田郡)
- 日本ペイント・オートモーティブコーティングス
- 海外
- 日本ペイント・オートモーティブコーティングス
- 中国、韓国、台湾、インドネシア、インド、ブラジル、メキシコ
- 日本ペイント・サーフケミカルズ
- 中国、韓国、台湾、シンガポール、タイ、マレーシア、フィリピン、インドネシア、ベトナム、アメリカ、カナダ
- 日本ペイント・オートモーティブコーティングス
日本ペイントマレッツ(女子卓球チーム)
2017年1月にチーム発足。第1弾の所属選手は加藤美優、その後日本生命から田代早紀が加入。
2018年10月からスタートするTリーグに参入を発表。これに伴い、同社の登録商標である「槌印 (つちじるし)」にちなみ、槌を英訳した「マレッツ」という愛称が設定された。
2018年3月、新たに松平志穂が加入。