日新製鋼ドルフィンズ
日新製鋼ドルフィンズ | |
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原語表記 | 日新製鋼ドルフィンズ |
ホームタウン | 大阪府 |
クラブカラー | 白・黒 |
創設年 | 1986年 |
廃部年 | 1997年 |
チーム所在地 | 大阪府堺市 |
体育館所在地 | 大阪府大阪市 |
日新製鋼ドルフィンズ(にっしんせいこうドルフィンズ)は、大阪府堺市を本拠地に活動していた、日新製鋼の男子バレーボールチームである。
歴史
1986年6月に阪神地区営業活動のシンボルチームとして創部[1]。元新日鉄監督の柳本晶一を招聘し、チームのスタートを切った。88年末には、元日本代表の岩田稔が加入。着々とチーム強化を進め、90年には早くも実業団リーグ(現・チャレンジリーグ)昇格を果たす。翌年の実業団リーグで初参加ながら優勝。念願の日本リーグ昇格を決めた。ちなみに、創部から5年での日本リーグ(Vリーグ)昇格は現在でも最短記録である。
初参加となった第25回日本リーグ(1992年)からチーム名を「日新製鋼ドルフィンズ」として挑んだ。しかし2勝12敗の最下位となり、1年で降格となった。 実業団リーグを優勝して返り咲いた第27回日本リーグ(1994年)ではNECや新日鉄といった上位チームから勝利を収めるも、3勝11敗に終わる。セット率の差で最下位になり、再び自動降格となった。 1995年に実業団リーグを優勝し、Vリーグ昇格。「3度目の正直」とリーグ残留を誓うも、開幕直前に、予定していた外国人選手の加入が破談となる不運に見舞われる。結局1勝21敗の最下位で自動降格となった。
1996年末頃、チーム廃部の報道が流れる。チーム存続に望みを託し実業団リーグを戦うが、リーグ戦終了後の1997年3月2日に廃部届を提出。最後のリーグでは2位となり、Vリーグチームとの入れ替え戦出場権を得るも、廃部を理由に辞退している(変わりにリーグ3位のコスモ石油が出場した)。
廃部後、松田明彦をはじめ主力選手が他チームに移籍したが、このうち大半の選手が移籍先でレギュラー選手として活躍した。
日新製鋼OBでは、松田が2011年度まで豊田合成トレフェルサのアドバイザーを務め[2]、南部正司がパナソニック・パンサーズ監督[3]を経て2014年より日本男子代表監督を務めている。
成績
主な成績
- 優勝なし
- 準優勝なし
- 実業団リーグ
- 優勝 3回(1990年度、1992年度、1994年度)
- 準優勝 1回(1996年度)
- 優勝なし
- 準優勝なし
年度別成績
大会名 | 順位 | 参加チーム数 | 試合数 | 勝 | 敗 | 勝率 | |
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実業団リーグ | 第22回 (1990/91) | 優勝 | 8チーム | 14 | 13 | 1 | 0.929 |
日本リーグ | 第25回 (1991/92) | 8位 | 8チーム | 12 | 2 | 10 | 0.143 |
実業団リーグ | 第24回 (1992/93) | 優勝 | 8チーム | 14 | 13 | 1 | 0.929 |
日本リーグ | 第27回 (1993/94) | 8位 | 8チーム | 14 | 3 | 11 | 0.214 |
実業団リーグ | 第26回 (1994/95) | 優勝 | 7チーム | 12 | 12 | 0 | 1.000 |
Vリーグ | 第2回 (1995/96) | 8位 | 8チーム | 21 | 1 | 20 | 0.048 |
実業団リーグ | 第28回 (1996/97) | 準優勝 | 8チーム | 14 | 9 | 5 | 0.648 |