排中律
排中律(はいちゅうりつ、英: Law of excluded middle、仏: Principe du tiers exclu)とは、論理学において、任意の命題 P に対し"P ∨ ¬P"(P であるか、または P でない)が成り立つことを主張する法則である。これは、論理の古典的体系では基本的な属性であり、同一律、無矛盾律とともに、(古典的な)思考の三原則のひとつに数えられる。しかし、論理体系によっては若干異なる法則となっている場合もあり、場合によっては排中律が全く成り立たないこともある(例えば直観論理)[1][2]。
ラテン語: Principium tertii exclusi(第三の命題が排除される原理)あるいはTertium non datur(第三の命題・可能性は存在しない)と称され、Law of excluded middle(中間の命題は排除されて存在しない法則)または Law of the excluded third(第三の命題が排除される法則)と呼ばれ、これらが日本語での排中という表記につながり、排中原理と呼ばれる。
排中律は論理から導かれる法則ではない。また principle of bivalence とは異なる主張である。
修辞学では排中律が誤解されて利用されることがあり、誤謬の原因となっている。
Contents
例
次の命題 P について考える。
- 「ソクラテスは死ぬ」
この命題に対して、排中律とは、
- 「ソクラテスは死ぬかあるいは死なないかのどちらかである」
という命題 P ∨ ¬P が成立する、という規則である(それ以外の第三の状態や中間の状態を取らない) 。
この規則は命題 P の内容によらず適用できる。
- ab は有理数である。
という属性を持つ2つの無理数 a と b があることを証明しよう。
[math]\sqrt{2}[/math] が無理数であることは知られている。そこで、次のような数を考える。
- [math]\sqrt{2}^{\sqrt{2}}[/math]
排中律に基づくと、明らかにこの数は有理数か無理数かのどちらかである。これが有理数なら証明が完了する。もし無理数なら、次のような数を考える。
- [math]a = \sqrt{2}^{\sqrt{2}}[/math] および [math]b=\sqrt{2}[/math]
すると、
- [math]a^b = \left(\sqrt{2}^{\sqrt{2}}\right)^{\sqrt{2}} = \sqrt{2}^{\left(\sqrt{2}\cdot\sqrt{2}\right)} = \sqrt{2}^2 = 2[/math]
2 は明らかに有理数である。従って証明が完了する。
この論証において、「この数は有理数か無理数かのどちらかである」という主張は排中律に基づいている。直観主義では、何らかの証拠がない限り、このような主張を認めない。この変形として、ある数が無理数(あるいは有理数)であることの証明や、ある数が有理数かどうかを判定する有限なアルゴリズムなどが考えられる。
無限に関する非構成的証明の法則
上記の例は直観主義では許されない「非構成的; non-constructive」証明の例である。
- 「この証明は、定理を満足する a と b という数を特定せずに可能性だけで論じているため、非構成的である。実際には [math]a=\sqrt{2}^{\sqrt{2}}[/math] は無理数だが、これを簡単に示す証明は知られていない」(Davis 2000:220)
Davis は「構成的」について「実際に一定の条件を満たす数学的実体が存在するという証明は、明示的に問題の実体を表す方法を提供する必要があるだろう」(p. 85) としている。そのような証明は全体の完全性の存在を前提としており、それは直観主義者にとっては、決して完全ではない「無限」に拡張することは許されない。
- 古典数学では、「非構成的」あるいは「間接的」な存在証明があるが、直観主義者はそれを受け入れない。例えば、「P(n) が成り立つような n がある」ことを証明するとき、古典数学では全ての n について P(n) が成り立たないと仮定することで矛盾が生じることを示す。古典論理でも直観論理でも、帰謬法により「全ての n について P(n) が成り立たないということはない」ことが示される。古典論理はその結果を「P(n) が成り立つ n が存在する」に変換することを許すが、直観論理では総体として無限な自然数の集合が完全であって、P(n) となるような n が存在するということは言えない。なぜなら、直観主義では自然数が全体として完全であるとは考えないからである。[4] (Kleene 1952:49-50)
実際、ヒルベルトとブラウワーはそれぞれ、排中律を無限に適用する例を示している。ヒルベルトの例は「素数は有限個か無限個か」(Davis 2000:97) であり、ブラウワーの例は「全ての数学的種は有限か無限か」(Brouwer 1923 in van Heijenport 1967:336) である。
一般に、直観主義では有限な集合に関して排中律の適用を許すが、無限集合(例えば、自然数)に対しては許さない。したがって、「無限集合 D に関する全ての命題 P について、P であるかまたは P でないかのどちらかである」(Kleene 1952:48) という言い方は、直観主義では絶対できない。詳しくは、数学基礎論と数学的直観主義を参照されたい。
排中律についての推定的反例として、嘘つきのパラドックスあるいはクワインのパラドックスがある。Graham Priest の dialetheism では、排中律を定理とするが、嘘つきのパラドックスは真でもあり偽でもあると説明する。この場合、排中律は真だが、真であるがゆえに選言は排他的ではなく、選言肢の一方が逆説的だったり、両者がともに真でありかつ偽であることもありうるとする。
歴史
アリストテレス
アリストテレスは、曖昧さは曖昧な名称を用いることから生じるのであって、「事実」自身には曖昧さがないとした。アリストテレスは「同じ事象であることと同じ事象でないことは同時には成り立たない」とした。これを命題論理で表すと、¬ (P ∧ ¬P) となる。これは、二重否定の法則「¬¬P⇔P」を認めれば現代で言う排中律 (P ∨ ¬P) と同値だが、そうでない場合には両者の意味は異なる。前者は、ある文が同時に真であり偽であるということはないと主張するもので、後者は、ある文が真でも偽でもないということはないと主張するものである。
しかし、アリストテレスは「相矛盾する事象が同時に真であることは不可能なので、同じ事象が同時に相反する属性を持つことができないのは明らかである」(Book IV, CH 6, p. 531) とも述べている。そして、「相反する事象の中間は存在しないが、1 つの事象について我々はある述語が成り立つか成り立たないかを示さねばならない」(Book IV, CH 7, p. 531) とした。アリストテレスの古典論理では、これが排中律 P ∨ ¬P の明確な文となっている。
ライプニッツ
その一般的形式「全ての判断は真または偽である」[footnote 9]...(from Kolmogorov in van Heijenoort, p. 421)
footnote 9: これはライプニッツの非常に単純な定式化である (see Nouveaux Essais, IV,2)...." (ibid p 421)
バートランド・ラッセルと『数学原理』
バートランド・ラッセルは「排中律」と「矛盾律; law of contradiction」を区別した。The Problems of Philosophy において、彼はアリストテレス的意味において自明な3つの思考の法則を挙げている。
これら3つの法則は自明な論理原則の例である(p. 72)
これは少なくとも二値論理では正しい(例えば、カルノー図を参照)。ラッセルの第二の法則は第三の法則で使われている非排他的論理和の「中間」を排除している。そして、これは Reichenbach が一部の論理和を排他的論理和に置換すべきであると主張する根拠となっている。
この問題について Reichenbach は次のように書いている。
排中律
- (x)[f(x) ∨ ~f(x)]
は、主要な項が網羅的ではないので、冗長な論理式である。この事実は、一部の人が (29) を非排他的論理和で書くことを不合理と感じる理由であり、排他的論理和で書きたがる理由である。
この式は網羅的であり、より厳密である。(Reichenbach, p. 376)
(30) における "(x)" は当時の全称記号である。
アリストテレスとラッセルは古典論理の特性を信じていたが、それは全ての文が真か偽のどちらかであるという暗黙の前提に依存している。
脚注
- ↑ 論理学 澤茂実
- ↑ 7.4 直観論理と古典論理 大矢建正
- ↑ これは、よく知られた例である。例えば、Megill, Norm. Metamath: A Computer Language for Pure Mathematics, footnote on p. 17,[1] and Davis 2000:220, footnote 2.
- ↑ 3 つの主義(ラッセルとホワイトヘッドの論理主義、ブラウワーの直観主義、ヒルベルトの形式主義)を比較分析する過程で、クリーネは直観主義とその提唱者ブラウワーに目を向け、直観主義者たちからの、排中律を「完全な無限」についての議論に適用することへの異議、に目をむけている。
- ↑ 本来 Reichenbach が使った記号は V を逆さにしたものだが、現在ではそれは論理積の意味になる。Reichenbach は論理積の記号としては Principia Mathematica と同じ「ドット」を使っている (cf. p. 27)。Reichenbach は同一性の否定として p. 35 で排他的論理和を定義している。 "⊕" は本来、2進数のキャリーのない加算を意味し、一桁の2進数では排他的論理和と等価である。他にも "≢" や "≠" といった記号が使われる。
参考文献
- Aquinas, Thomas, "Summa Theologica", Fathers of the English Dominican Province (trans.), Daniel J. Sullivan (ed.), vols. 19–20 in Robert Maynard Hutchins (ed.), Great Books of the Western World, Encyclopedia Britannica, Inc., Chicago, IL, 1952. Cited as GB 19–20.
- Aristotle, "Metaphysics", W.D. Ross (trans.), vol. 8 in Robert Maynard Hutchins (ed.), Great Books of the Western World, Encyclopedia Britannica, Inc., Chicago, IL, 1952. Cited as GB 8. 1st published, W.D. Ross (trans.), The Works of Aristotle, Oxford University Press, Oxford, UK.
- Martin Davis 2000, Engines of Logic: Mathematicians and the Origin of the Computer", W. W. Norton & Company, NY, ISBN 0-393-32229-7 pbk.
- Dawson, J., Logical Dilemmas, The Life and Work of Kurt Gödel, A.K. Peters, Wellesley, MA, 1997.
- van Heijenoort, J., From Frege to Gödel, A Source Book in Mathematical Logic, 1879-1931, Harvard University Press, Cambridge, MA, 1967. Reprinted with corrections, 1977.
- * Luitzen Egbertus Jan Brouwer, 1923, On the significance of the principle of excluded middle in mathematics, espcecially in function theory [reprinted with commentary, p. 334, van Heijenoort]
- * Andrei Nikolaevich Kolmogorov, 1925, On the principle of excluded middle, [reprinted with commentary, p. 414, van Heijenoort]
- * Luitzen Egbertus Jan Brouwer, 1927, On the domains of definitions of functions,[reprinted with commentary, p. 446, van Heijenoort] Although not directly germane, in his (1923) Brouwer uses certain words defined in this paper.
- * Luitzen Egbertus Jan Brouwer, 1927(2), Intuitionistic reflections on formalism,[reprinted with commentary, p. 490, van Heijenoort]
- Stephen C. Kleene 1952 original printing, 1971 6th printing with corrections, 10th printing 1991, Introduction to Metamathematics, North-Holland Publishing Company, Amsterdam NY, ISBN 0 7204 2103 9.
- Kneale, W. and Kneale, M., The Development of Logic, Oxford University Press, Oxford, UK, 1962. Reprinted with corrections, 1975.
- Alfred North Whitehead and Bertrand Russell, Principia Mathematica to *56, Cambridge at the University Press 1962 (Second Edition of 1927, reprinted). Extremely difficult because of arcane symbolism, but a must-have for serious logicians.
- Bertrand Russell, The Problems of Philosophy, With a New Introduction by John Perry, Oxford University Press, New York, 1997 edition (first published 1912). Very easy to read: Russell was a wonderful writer.
- Bertrand Russell, The Art of Philosophizing and Other Essays, Littlefield, Adams & Co., Totowa, NJ, 1974 edition (first published 1968). Includes a wonderful essay on "The Art of drawing Inferences".
- Hans Reichenbach, Elements of Symbolic Logic, Dover, New York, 1947, 1975.
- Tom Mitchell, Machine Learning, WCB McGraw-Hill, 1997.
- Constance Reid, Hilbert, Copernicus: Springer-Verlag New York, Inc. 1996, first published 1969. Contains a wealth of biographical information, much derived from interviews.
- Bart Kosko, Fuzzy Thinking: The New Science of Fuzzy Logic, Hyperion, New York, 1993. Fuzzy thinking at its finest. But a good introduction to the concepts.
- David Hume, An Inquiry Concerning Human Understanding, reprinted in Great Books of the Western World Encyclopedia Britannica, Volume 35, 1952, p.449ff. This work was published by Hume in 1758 as his rewrite of his "juvenile" Treatise of Human Nature: Being An attempt to introduce the experimental method of Reasoning into Moral Subjects Vol. I, Of The Understanding first published 1739, reprinted as: David Hume, A Treatise of Human Nature, Penguin Classics, 1985. Also see: David Applebaum, The Vision of Hume, Vega, London, 2001: a reprint of a portion of An Inquiry starts on p. 94ff