小田政治

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小田政治
時代 戦国時代
生誕 明応元年(1492年
死没 天文17年2月22日1548年3月31日
氏族 足利氏堀越公方家)→小田氏

小田 政治(おだ まさはる)は、常陸戦国大名小田氏の第14代当主。小田氏の中興の祖とよばれ、小田氏を戦国大名化へと導き、最盛期を築いた。

生涯

明応元年(1492年)、堀越公方足利政知の子として生まれる。父の政知は前年に死去していたため、父の死後に生まれたことになる。また、室町幕府第11代将軍・足利義澄の弟に当たるとされる。ただし、『小田事蹟』では小田氏第13代当主・小田成治の実子(三男)であるとしており、同時に政知の子の政氏と同人物や落胤ともする説がある。

永正11年(1514年)、成治の死去により家督を継いで第14代当主となる。

古河公方の内紛では宇都宮成綱忠綱結城政朝らとともに足利高基を支持し、佐竹義舜小山成長岩城常隆由隆結城顕頼足利政氏を支持した戦国大名らと対立した。

また、高基が父・政氏に勝利し古河公方になったことで、関東南部で急激に勢力を拡大する後北条氏を危惧し、妹を佐竹義篤の妻にさせ、佐竹氏との関係強化を図った。

享禄4年(1531年)、石岡の戦い江戸氏を破った。天文6年(1537年)には多賀谷氏と同盟して結城政勝と戦ったが敗れている。他にも古河公方足利家などと戦うなど、多方面で敵勢力と戦い、小田氏の勢力を拡大した。天文14年(1545年)の河越夜戦では足利晴氏に味方して敗れており、政治の晩年ころから小田氏の衰退が始まった。

天文17年2月22日(1548年3月31日)に57歳で死去し、跡を嫡子の小田氏治が継いだ[1]

脚注

  1. 黒田基樹「常陸小田氏治の基礎的研究-発給文書の検討を中心として-」(『国史学』166号、1998年)