ロマ・プリータ地震
ロマ・プリータ地震(ロマ・プリータじしん、Loma Prieta earthquake)は、1989年10月17日17時4分にアメリカカリフォルニア州北部で発生した地震。地震の名前はサンフランシスコ郊外でサンノゼ市の南にあるロマ・プリータ山付近が震源地だったことによる。サンフランシスコ地震とも呼ばれるが、この名前は1906年の地震を指すことが多い。
概要
アメリカ合衆国カリフォルニア州サンフランシスコ周辺を襲い、大災害を発生させた。マグニチュード6.9。サンアンドレアス断層によって引き起こされたとみられ、1906年のサンフランシスコ地震以来の大地震となった。この地震による死者は63人にのぼり、ビルディングなどの建造物の損傷の他に、高速道路などが倒壊する被害が発生した。
サンフランシスコのキャンドルスティック・パークではワールドシリーズの第3戦が行われる予定だったが、試合の開始前に地震の強い揺れが襲ったため中止となった。この模様はABCで全米にテレビ中継されていたことに加え、日本でもNHKの衛星放送で生中継された。
基礎データ
震央は、サンフランシスコの南約90㎞にあるサンタクルーズの北東約15㎞のサンタクルーズ山地である。また現地時間の18日にはマグニチュード5.2、19日にはマグニチュード5.0の余震も発生した。
- 出典:[2]
被害状況
ロマ・プリータ地震による被害状況は以下の通りである。
- 死者:62名(地震による直接的犠牲者のみ)
- 負傷者:3,208名
- 罹災者数:55,000名
- 火災発生件数:約50件
- 被害総額:70~80億ドル
- 出典:[2]
サンフランシスコ市内では、海岸部に位置するマリーナ・ビーチで液状化現象が発生し、木造建物などの倒壊が相次ぎ、火災も発生した。サンフランシスコの対岸にあるオークランド郊外を走る高速道路880号では、揺れに耐えきれず高架橋が倒壊した。この高速道路は1950年代の古い設計で、ダブルデッキ式であったため、上層の高架が崩壊して下層を走行していた自動車を押し潰し、上層を走行していた自動車も高架道路から投げ出されるなどした。下敷きとなった高速道路では41人の死者と多くの負傷者を出し、負傷者の中には瀕死の重傷を負っていた人や押し潰された自動車の中から3日ぶりに救出された人(一か月後に死亡)もいた。この被害は全世界の新聞・ニュースで大きく取り上げられた。サンフランシスコとオークランドを結ぶサンフランシスコ・オークランド・ベイブリッジも地震により橋の一部が崩落したが、僅か1ヶ月後の11月18日に復旧した。この地震をきっかけに長距離旅客鉄道を運行するアムトラックは市内への鉄道での乗り入れを中止し、エメリービル駅からバス連絡という形になった。
脚注
参考文献
- 衣笠善博 (1990年8月). “「サンフランシスコ(ロマ・プリータ)地震」 (PDF)”. 『地質ニュース』(1990年8月号)No432 発行:実業公報社. 地質調査所(現・産業技術総合研究所地質調査総合センター). . 2018閲覧.