ベニグノ・アキノ・ジュニア
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“ニノイ”ベニグノ・シメオン・アキノ・ジュニア(英語: Benigno Simeon "Ninoy" Aquino, Jr., 1932年11月27日 - 1983年8月21日)
フィリピンの政治家。上院議員の家に生まれ,17歳で『マニラ・タイムズ』の特派員として朝鮮戦争を取材。 1959年郷里タルラク州副知事,1963年同知事に当選。 1967年上院議員。戒厳令施行まではフェルディナンド・E.マルコスの最大の政敵とみなされ,野党,自由党の幹事長として 1973年 11月の大統領選挙にそなえていたが,1972年9月の戒厳令で逮捕され,殺人,政府転覆活動,武器不法所持などの罪状で起訴。 1977年 11月軍事法廷により銃殺刑を宣告され内外に大きなショックを与えた。
1978年3月の総選挙には獄中から立候補。 1980年5月,心臓病治療のため釈放され渡米,亡命生活を送ったが,1983年帰国の際にマニラ空港で暗殺された (アキノ暗殺事件 ) 。夫人のコラソン・C.アキノはこれを機に政界に入り,1986~92年大統領。