ファタハ

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(アラビア語: فتح‎ ラテン文字転写:Fatḥ 英語: Fatah)

アラブ系パレスチナ人の政治・軍事組織。名称は「パレスチナ民族解放運動」を意味するアラビア語 Harakat al-Tahrir al-Watani al-Filastiniの頭文字を逆に綴ったもの。アラビア語で「征服」「開始」を意味する Fathとも表記される。低強度のゲリラ戦によるパレスチナのイスラエル支配からの解放を目的として,ヤセル・アラファトとハリル・イブラヒム・アルワジル(別名アブ・ジハード)が 1950年代に設立。シリアの支援を受けダマスカスに拠点を置いたが,のちにガザに本部を移した。1963年までに特殊部隊型の組織を築き,1968年頃パレスチナの主要勢力として台頭した。1960年代末にはパレスチナ組織中で最大かつ最も資金力のある組織となり,パレスチナ解放機構 PLOの実権を握った。1970年のヨルダン内戦後,PLOとファタハ兵士はヨルダン軍に追放されヨルダンからレバノンに移動。1982年には本部を置くレバノン南部がイスラエルの侵攻を受けた。1993年ファタハ主導の PLOは,対立するイスラム系組織ハマスの反対を押し切りイスラエルとパレスチナ暫定自治協定(オスロ合意)に署名。翌 1994年パレスチナ暫定自治政府が樹立された。1996年に行なわれた自治政府議長選挙の結果,アラファトが議長に選出され,同時に行なわれたパレスチナ立法評議会選挙ではファタハが過半数の議席を獲得した。しかしアラファトの死後の2006年に行なわれた立法評議会選挙ではハマスが圧勝。ファタハとハマスによる連立政権が発足したが,ガザ地区では両組織間の武力衝突が激化。2007年連立政権は崩壊した。2009年8月,ファタハはヨルダン川西岸ベスレヘムで約 2000人を集めて,20年ぶりに総会を開催した。2011年ファタハとハマスは挙国一致内閣の設置で基本合意,2012年暫定政府首相を選出した。