トマス・エラストス
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トマス・エラストス、(Thomas Erastus、1524年9月7日- 1583年12月31日)は、スイスの神学者、医師。彼の思想はエラストス主義と呼ばれるもので、「教会政治における国家主権の優位性を唱える説」とされる[1]。
バーデンにおいて、貧民の両親から生れた。1540年、バーゼルで神学を学び、1544年の腺ペストにより、パドヴァで哲学と医学を学ぶ。のちに、ハイデルベルク大学で医学の教授に就任し、ハイデルベルク大学の学長を務めた。晩年は、1580年からバーゼル大学で医学と倫理学の教授となった。
エラストス主義者は、ウェストミンスター会議でキリスト教徒が罪を犯したときに、教会のサクラメント停止の権限ではなく、国家の司法権によって罰せられるべきだとしたが、その主張がウェストミンスター信仰告白に反映されることはなかった。
脚注
- ↑ トマス・ブラウン『スコットランドにおける教会と国家』すぐ書房
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