ディック・バトン
提供: miniwiki
| |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
基本情報 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
代表国: | アメリカ合衆国 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
生年月日: | 1929年7月18日(95歳) | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
出生地: | ニュージャージー州イングルウッド | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
元コーチ: | Gustave Lussi | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
所属クラブ: | SC of Boston Philadelphia SC & HS | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
引退: | 1952年 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
|
リチャード・トットン・"ディック"・バトン(Richard Totten "Dick" Button, 1929年7月18日 - )は、アメリカ合衆国ニュージャージー州イングルウッド出身の男性、元フィギュアスケート選手で、現スケート解説者。1948年サンモリッツオリンピック、1952年オスロオリンピック男子シングル金メダリスト。1948年より世界フィギュアスケート選手権で5度の優勝。引退後は解説者を務める。オリンピックおよび世界選手権には本名のリチャード・バトン(Richard Button)として選手登録していた。
経歴
- 1946年より1952年まで全米フィギュアスケート選手権7連覇。
- 1947年、1949年、1951年と北米選手権3連覇。
- 1948年サンモリッツオリンピックで金メダルを獲得。この時、バトンはまだ18歳202日でフィギュアスケート男子シングル史上最年少の金メダリストでもあった[1]。
- 1948年ヨーロッパフィギュアスケート選手権で優勝を果たし、当時のヨーロッパフィギュアスケート選手権はヨーロッパ以外の国の選手も参加が許されていたが女子シングルでもカナダのバーバラ・アン・スコットが優勝したため、これ以後ヨーロッパ以外の選手の参加は許されなくなった。
- 1948年から1952年まで世界フィギュアスケート選手権で5連覇を達成する。
- 1952年オスロオリンピックで2大会連続の金メダルを獲得し、2連覇を達成した。
- 1976年世界フィギュアスケート殿堂入りを果たす。
主な戦績
大会/年 | 1945-46 | 1946-47 | 1947-48 | 1948-49 | 1949-50 | 1950-51 | 1951-52 |
---|---|---|---|---|---|---|---|
オリンピック | 1 | 1 | |||||
世界選手権 | 2 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | |
欧州選手権 | 1 | ||||||
北米選手権 | 1 | 1 | 1 | ||||
全米選手権 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 | 1 |
関連項目
脚注
- ↑ 羽生、悲願の金メダルも…第一声は「すいません、ホントに」 スポーツニッポン 2014年2月15日閲覧
外部リンク
- テンプレート:IOC profile
- ディック・バトン - バイオグラフィーとオリンピックでの成績(英語)