開拓使
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開拓使(かいたくし)
明治の初期,北海道の開拓経営のためにおかれた行政機関。明治2 (1869) 年設置,1882年廃止。短期間ではあったが北海道発展の基礎を固めるうえで大きな役割を果した。ことに明治3年に次官に就任,74年に第3代長官となった黒田清隆の功績は大きく,彼の「樺太放棄論」および「北海道経営 10ヵ年計画」の2つの建議は,その後の北海道の方向を定めた。前者はのちの樺太=千島交換条約のきっかけとなり,後者は開発事業の基幹となった。この 10ヵ年計画に従い移民,屯田兵が奨励され,H.ケプロン以下のアメリカ人を招いての諸開発が進められ,さらに義務教育制度の採用,W.S.クラークを招いての札幌農学校整備も行われた。しかし末期には官有物払下げに関しスキャンダルも起し,本土との行政一元化のため廃庁となった。