野田聖子
野田 聖子(のだ せいこ、1960年9月3日[1] ‐ )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(9期)、総務大臣(第20・21代)、女性活躍担当大臣、内閣府特命担当大臣(男女共同参画・マイナンバー制度)。旧姓は島(しま)[2]。
岐阜県議会議員(1期)、郵政大臣(第64代)、内閣府特命担当大臣(消費者、食品安全、科学技術政策)、自由民主党総務会長(第52代)、衆議院災害対策特別委員長などを歴任した。
祖父は大蔵事務次官、参議院議員、衆議院議員、経済企画庁長官、建設大臣などを歴任した野田卯一[3]。
Contents
来歴
生い立ち
父親の転勤先であった[4]福岡県福岡市に生まれる。オリンピックの年にちなみ、聖子(せいこ)と命名された[5]。
田園調布雙葉高等学校を中途退学[6]、ミシガン州ジョーンズヴィル・ハイスクールを卒業[1]後、1983年、上智大学外国語学部比較文化学科を卒業。同年、帝国ホテルに入社[7]。フロント業務、国際セールス部員などを経験した[8]。
1984年、祖母・野田光の死去に伴い、祖父・野田卯一の養子となり、野田姓を継ぐ[9]。
政界入り
1987年、岐阜県議会議員選挙に自由民主党公認で立候補し、史上最年少で当選する[10]。
1990年の第39回衆議院議員総選挙に旧岐阜1区から立候補するも、自民党からの公認も得られず落選[11]。1993年の第40回衆議院議員総選挙に再び立候補し、「衆議院にも自民党の女性議員を」[12]との公約を掲げて初当選。自民党内では新政策研究会(河本派)に所属した。
郵政大臣
1996年11月発足の第2次橋本内閣で郵政政務次官、1998年7月発足の小渕内閣で、当時閣僚史上最年少(男性含め)の37歳10か月で郵政大臣に抜擢された[13]。内閣官房長官の野中広務から「おれは最後まで反対したんだ。小渕首相が政務次官のときの君をみて、おれが首相になったらこいつを郵政相にしようと思っていた、と言うのでしぶしぶ承諾したんだ」と言われ、野田は「そこでますますしくじれないなと気を引き締めた」と述懐している[14]。1999年、自民党国会対策副委員長、衆議院議院運営委員会議事進行係(女性初)に就任。2000年、自民党政調副会長、自民党筆頭副幹事長に就任。
2001年、保守党所属の参議院議員・鶴保庸介との事実婚を発表したが、2007年に離別。2003年12月、高村派を退会。
自民党離党
2005年4月27日に政府提案(閣法)で上程された郵政民営化法案に反対したため、民営化反対派の急先鋒と見なされたが、雑誌『経済界』2005年4月号のインタビューでは「民営化に反対と言ったことはありません。今の竹中プランでは駄目だと言っているのです。改革という言葉に酔うのではなく、将来を考えた本当の改革をしてもらいたいと訴えているのです」と答えた[15]。
自民党岐阜県連(会長:古屋圭司)は8月10日、岐阜市内で執行部会・常任総務会合同会議を開き、県連規約を改正し、党公認がなくても第44回衆議院議員総選挙で支援することを決定した。会議の席上、法案に賛成した金子一義が異論を唱えたが、これに対し「県連は一致して法案に反対している。地方の声を聞くのが国会議員だ」とする反論も出た(金子一義・藤井孝男・松田岩夫も参照)。
同年9月の第44回衆議院議員総選挙では、郵政民営化法案に反対票を投じたため、自民党の公認を得られなかったが、小泉主導で送り込まれた刺客候補の佐藤ゆかりを退け、5選。
同選挙で与党が圧勝すると、後援会幹部や岐阜県の自民党所属の地方議員らから法案に賛成するよう強い要望が出たため、野田は再度提出された郵政民営化法案に賛成票を投じた。同年10月、自民党党紀委員会により野田に対し離党勧告がなされたため、自民党を離党した[16][17]。
自民党復党
2006年、首相・安倍晋三の意向により郵政造反組の復党が検討され、同年12月に復党(郵政造反組復党問題参照)。復党にあたっては「郵政民営化法案に賛成する」などの念書が取られ、「踏み絵」と呼ばれた。また、郵政民営化法案に反対から賛成へと立場が正反対に替わったため、その行為が「変節」と呼ばれ、様々な方面から批判された[18]。
2007年、福田康夫が自由民主党総裁に選出され、福田執行部で党広報局長に就任する。野田の前任の広報局長は小泉チルドレンの1人片山さつきであり、片山の更迭による野田の広報局長就任は、直前に発足した安倍改造内閣における今村雅弘や森山裕(いずれも郵政造反組)の副大臣起用同様、郵政造反組復権の象徴的な出来事であった。
内閣府特命担当大臣
福田康夫改造内閣で、内閣府特命担当大臣(科学技術政策、食品安全)に就任した。さらに、「消費者行政を統一的・一元的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」(消費者行政担当大臣)と「宇宙開発利用に関する施策を総合的かつ計画的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」(宇宙開発担当大臣)も兼務する。
麻生内閣でも再任され、麻生内閣末期には消費者庁発足に伴い、「消費者行政を統一的・一元的に推進するため企画立案及び行政各部の所管する事務の調整」の任を解かれ、新たに内閣府特命担当大臣(消費者)の補職辞令を受けた。事故米不正転売事件では、消費者行政担当相として被害にあった保育園に駆けつけて謝罪し、子供たちと一緒に食事をした[19]。
マルチ商法について、1996年4月の衆議院商工委員会では「悪質業者は厳しく取り締まらないといけないと思う反面、良質な業者も随分存在している。悪質な例ばかり強調されると、良質なもの、一生懸命頑張っている人のやる気をなくし、新たな産業を潰してしまう。」と規制に否定的な立場を示していたことが、2008年10月16日の参議院予算委員会で明らかになり[20]、野田は「自分の勉強不足で、消費者の視点に立った質問ができなかった」と釈明した。首相・麻生太郎が衆院選をにらんで消費者行政重視の姿勢を示している中での釈明だった[21]。 こんにゃくゼリー摂取後に児童が死亡した事故が起きた際には原因や因果関係が不明にもかかわらず、同ゼリーの発売の中止を命令したため小倉智昭ら一部テレビキャスター等から批判を浴びた。
2009年8月15日(終戦の日)、首相・麻生太郎を含む麻生内閣の他の閣僚が靖国神社参拝を見送る中、閣僚としてはただ1人参拝を行った[22][23]。「国務大臣」の肩書で記帳し私人として参拝したと説明している[24]。
同年8月30日の第45回衆議院議員総選挙では佐藤ゆかりが転出したため、しこりの残る佐藤の後援会は民主党の柴橋正直に支持を鞍替えしたとされる。保守王国岐阜でも小選挙区で自民党は2勝3敗と厳しい選挙に置かれた選挙で野田は現職閣僚でありながら小選挙区では柴橋に敗れ、重複立候補していた比例東海ブロックで復活当選を果たし議席を守った。
妊娠・出産
不妊治療をしている国会議員としてマスメディア(主にテレビや女性誌)に何度も取り上げられる。2005年に、人工授精による受精卵が凍結状態にあることも報じられた[25]。
2010年5月にアメリカ合衆国にて卵子提供を受けて体外受精を実施して妊娠したことを、同年8月下旬に『週刊新潮』における自らの手記で明らかにした[26]。2011年1月6日、重い障害のある男児が誕生したことを発表した[27]。この際、野田自身は子宮の摘出を余儀なくされている。また、当面の間は休養することも明らかにした。2月、事実婚だった男性と1月18日に婚姻[28]し、男性が改姓したことをブログと手記で公表した。同時に、鶴保と事実婚の関係を続けたのは自身が跡取り娘で名字を維持するためだったことも明かしている[29][30]。
子は1年で9回の手術を受けるが、脳梗塞も併発し、2年近く入院中で1回も退院経験がない。現在人工呼吸器を装着し、経口摂取は不可、右手右足に麻痺がある。なお、子供のお見舞い写真を時折ブログで公開している。1歳の誕生日には野田からお守り2つがプレゼントされ、短時間のお誕生会が開かれた。後援会400名で2班に分かれて韓国旅行をした際、夫と実母も連れて合流するが、韓国旅行中に子どもが肺炎になったことなどが批判された[31]。
自民党総務会長
2012年11月21日、自民党岐阜県連で記者会見し、衆議院解散に伴う第46回衆議院議員総選挙に出馬する意志を表明[32]。同年12月16日、岐阜1区で前回敗れた柴橋を下し、7選。同年12月25日、第52代自由民主党総務会長に就任した。2014年9月3日、自民党役員人事により、退任。同年12月14日の第47回衆議院議員総選挙に出馬し、8選を果たす。
自民党総裁選出馬断念
2015年9月、2015年自由民主党総裁選挙に際して、「日本の総理大臣を無投票で決めることは、国民を馬鹿にしている[33]」「今、私の心は『義を見てせざるは勇なきなり』です[34]」などと主張し、出馬に意欲を見せた。政界を引退した自民党元幹事長古賀誠の支援もあり[35]、元参議院副議長尾辻秀久が推薦人になる意向を表明[36]するなどしたが、最終的には立候補に必要な推薦人20人が集まらず、出馬を断念した[37]。
総務大臣
2017年8月3日、第3次安倍第3次改造内閣において、総務大臣並びにマイナンバー制度担当の内閣府特命担当大臣に就任。合わせて女性活躍担当大臣に任命された。同年10月22日の第48回衆議院議員総選挙に出馬し、9選。選挙後組閣された第4次安倍内閣で総務大臣(マイナンバー制度担当・女性活躍担当)を再任され、新たに男女共同参画担当の内閣府特命担当大臣に任命された。
政策・主張
少子化対策・男女共同参画
3年間で8回におよぶ体外受精を受けた不妊治療体験から国会議員として、生殖医療に取り組んできた。少子化問題にも目を向け、2002年秋ごろ、少子化対策を「特に力を入れたい政策課題」と表明。小泉政権の少子化対策について、「百点満点で十点」と酷評した。自らの体験や体外受精をめぐる夫との軋轢や通院の苦労談、流産の辛さをつづった著書の自費出版を計画していたが、新潮社の申し出により、2004年12月に『私は、産みたい』と題して出版する。
翌2005年5月には、『だれが未来を奪うのか 少子化と闘う』を講談社から出版し、自民党内の「女性が職を持つようになって子を産まなくなった」との発言に対して、欧米など女性労働者が多い国でも出生率が高いデータ例を示しながら反論した。政府が課題とする少子高齢化と人口減少を切り口に、今後取り組むべき政策ビジョン「人財増産計画」を提言しつつ、党内議員の旧態依然たる意識を厳しく批判。少子化対策への取り組みこそ社会を安定させると主張している。
2010年1月、日経ビジネスによるインタビューで「本気で少子化対策をするには自民党は本当に邪魔な政党でした」と発言した[38]。
選択的夫婦別姓
選択的夫婦別姓制度導入に賛成する[39]。2002年には「例外的に夫婦の別姓を実現させる会」を主導し、自民党法務部会に議員提案として「民法の一部改正に関する法律案」を提出している。この中で、野田は「現行民法は男女の婚姻の条件として、同氏を名乗ることを義務づけている。現在、そのために不利益を被る人たちが民法の改正を強く願っている。少子化が急速に進み一人っ子家庭が増えるなか、一人っ子同士の結婚での家名継承が難しくなっている。結婚の前後で氏が変わることにより、仕事の継続性が確保できなくなる事例も増えている。結婚を控えた若い世代の過半数は、希望する夫婦には別氏を名乗れるようにしてもよい、と民法の改正に賛成している。家族の崩壊が心配され、家族の再生が求められるなか、婚姻前の氏をそれぞれ名乗りながらも法律上の家族でありたいと願う切実な声がある。夫婦が特別の事情でそれぞれ旧姓を名乗りたいと希望する場合、家庭裁判所の許可があれば例外的に夫婦別氏の結婚を法律婚とする道を開きたい」とその理由を述べている[40]。また、2015年には、選択的夫婦別姓を巡る裁判の最高裁判断を受けて、法整備に向けた党内勉強会を始める意向を示した[41]。
なお、この法案を通すのが難しい理由について、「自民党の応援団体である神社本庁などが猛烈に反対している。」と述べている[42]。また「保守的な政治団体の中には、『別姓に賛成すると選挙で応援しないぞ』と圧力をかけてくるところがあり、小選挙区制の導入以降、それを乗り越えられない政治家が増えてきた」とも述べている[43]。その他、自民党内の反対派について「家族の絆が壊れるというが、目に見えないものをぶつけてくるので合理的に議論ができない」[41]と批判している。
表現規制・単純所持違法化の推進
児童ポルノ単純所持違法化、18歳未満を描写する創作物規制を強力に推進したとされる。2007年に児童ポルノ単純所持を禁止する法律、子供ポルノアニメ・漫画の製造や提供を規制する法律を提唱した[44]。
- 青少年健全育成基本法案を推進[45]。
- 児童ポルノ禁止法改正案の請願を八代英太とともに国会に提出[46]。
- 児童ポルノ対策を批判された際には「私は法改正に携わる議員として、児童ポルノの対象にマンガやアニメ、ゲームをいれると申し上げたことはこれまで一度もありません。とりわけ、インターネットを通じて意見交換をされている皆さんのあいだで、そのような基本的な誤解が広まっていることを残念に思っています」と反論[47]。しかしその後、表現規制推進団体の最大手である日本ユニセフ協会主催の集会で「子供ポルノアニメ・漫画の取り扱いに関する法律。これは、数年前にチャレンジしたが、インターネットで散々叩かれた」と発言した[44]。
- 日本ユニセフ協会副会長やアグネス・チャンらと共にNPO法人「ひまわりの会」を運営し、会長を務める[48]。
- 2004年に発生した奈良小1女児殺害事件を受けて、「容疑者の性的病癖を悪化させたものとして、ちまたにおびただしく存在する劣悪な性関連商品が指摘されています。表現の自由を盾にして、表現することの責任を全く考えない人々が世にばらまいてきた害悪について、今こそ猛省する時期ではないでしょうか」と述べた[49]。
南シナ海問題
2015年11月4日放送のBS日テレの番組で、中華人民共和国が南沙諸島をめぐり周辺国およびアメリカ合衆国と対立していることについて「日本は直接関係ない。日本は独自路線で外交していくことに徹するべきだ」と発言した。また「中国も韓国も日本同様経済で不安をかかえている。~南沙問題を棚上げするくらいの活発な経済やりとりがお互いの目先のメリットに繋がる」とも述べた。また「南沙で何かあっても、(それは中国から)日本に対してのメッセージではない。それとリンクさせずに日本は独自路線で中国・韓国との日本らしい外交をしていくことに徹するべき」と主張した[50]。
産経新聞は野田の南シナ海問題に対する認識について、軍事力と外交や経済がどういう相関関係をなしているのか、決定的な認識不足があると言わざるを得ないと批判し、自民党内の意見として「国際法を無視して強引に領土・領海の拡張を図る中国への基本的認識があまりにも低すぎる(党幹部)」、「首相を目指す資質が欠けた… (野田に近い議員)」、「民主党の鳩山由紀夫元首相や、韓国の朴槿恵大統領と雰囲気が重なり、頭がクラクラした(9月の自民党総裁選で野田の推薦人になることを了承したある議員)」等を伝えた[51]。
その他
- 自民党閣僚への女性の積極登用を主張している[52]。
- TPP交渉参加反対に関する国会請願の紹介議員に名を連ねた[53]。
- カジノ議連の初代会長を務め、カジノ法案を積極的に推進している[54]。また、自民党総務会長時代にも国会へのカジノ法案提出を推進した[55][56]。
- 2008年9月、ミニカップ入りゼリーを子供や高齢者がのどに詰まらせてしまうという事案を受け、マンナンライフ社に対して当時消費者行政担当相だった野田は痛ましい事故として諸外国の措置を調査として再発防止を要請していく意向を示した[57][58]。10月1日には社民党の福島みずほ党首と近藤正道参議院議員に消費者行政担当大臣に対する「申し入れ」としてこんにゃくゼリーの製造・輸入・販売の即時禁止とマンナンライフへの責任追求と自主回収させることを要求されている[59]。
- 政策課題の筆頭として子供の問題を重視し、児童買春・児童ポルノ禁止、発達障害(超党派「発達障害の支援を考える議員連盟」に所属。2001年11月24日、発達障害者支援法は成立)などの課題に積極的にかかわり、児童ポルノ禁止法の制定を推進した。大阪維新の会が「発達障害の原因は親の育て方にある。」という理念の下に家庭教育支援条例を提出しようとした際には自己のブログで「(前述の理念について)まったく科学的根拠がない。」と痛烈に批判し、いわゆる親学的な思想に否定的な見解を示した。
所属団体・議員連盟
- 政治分野における女性の参画と活躍を推進する議員連盟(幹事長)[60]
- 無戸籍問題を考える議員連盟(会長)[61]
- 骨髄バンク議員連盟(会長)[62]
- 和装振興議員連盟(事務局長)[62]
- 神道政治連盟国会議員懇談会[63]
- TPP交渉における国益を守り抜く会
- 日韓議員連盟
- 日華議員懇談会
- 例外的に夫婦の別姓を実現させる会
- 国際観光産業振興議員連盟(副会長)
- パチンコチェーンストア協会(政治分野アドバイザー[64])
- 自民党遊技業振興議員連盟
- 時代に適した風営法を求める議員連盟
- ママパパ議員連盟(会長)[65]
- (学)東京聖徳学園聖徳大学名誉学長[65]
- 日本食育士協会理事長[65]
- (財)日本盲導犬協会評議員[65]
- NPO法人ひまわりの会会長[65]
- 夫婦別姓選択制実現協議会顧問[65]
- 岐阜県バスケットボール協会名誉会長[65]
- 岐阜県水泳連盟会長[65]
- 岐阜県のプロスポーツを考える会会長[65]
- 岐阜市乗馬会会長[65]
人物・エピソード
- 趣味は読書、映画鑑賞、カラオケ、パソコン。日本酒党で「日本酒を愛する女性議員の会」(幹事長:小渕優子)で会長を、また日本酒造協会では顧問を務めている。
- 公式メールマガジンの名称は「キャサリン通信」だが、このキャサリンは飼い犬(フレンチ・ブルドッグ)の名前である。不妊治療の辛い時期に橋本聖子に勧められて飼うことにしたという。
- 日中国会議員書画展に書画を提供したことがある[66]。
- 2017年8月27日、東京ドームで読売ジャイアンツ対阪神タイガース戦の始球式を務めた。自治体消防制度70周年記念事業の一環で行ったもので、背番号は70。野田は2日前の記者会見で「『巨人の星』の星飛雄馬のような球が投げられれば」と意気込んでおり、球の軌跡は大リーグボール1号、球速は大リーグボール3号に近いものとなった[67]。
事務所放火事件
2007年8月10日深夜、岐阜にある野田の事務所に何者かが侵入。パソコンと防犯カメラ用デッキが盗まれ、事務所に放火された。燃えたのはビル一階の事務所であるが、ビル五階にまで煤が達する火災となった。
野田は「昔から政治活動する人は、いろいろな妨害や危害を加えられてもやり続けている。私もそういう被害にあって、屈せず頑張るしかないというのが率直な心境だ」[68]と述べた上で、犯行について「ひきょうだと思う」[68]と指摘した。
暴力団との関係
『週刊文春』2017年9月21日発売号に、野田の現在の夫である在日韓国人の一般男性が指定暴力団会津小鉄会傘下の昌山組の元組員であったと報道された。昌山組は2000年2月に組長が殺人事件で実刑判決を受け、同年3月に解散。幹部であった一般男性は事件以前に組を抜けていたが、1999年と2005年に逮捕歴があったという[69]。
系譜
- 野田家
祖父は国会議員を務めた野田卯一、曾祖父は「北浜の怪傑」と呼ばれた伝説の相場師である島徳蔵。徳蔵の弟で日本板硝子社長や貴族院議員を務めた島定治郎、子爵で軍医中将で貴族院議員も務めた実吉安純、日揮の創業者である実吉雅郎とは親戚にあたる。
野田聖子の実父である島稔は野田卯一と光の長男として生まれたが、卯一の岳父である島家に後継ぎがいないという事情から幼少期に徳蔵の養子となった。
稔は東大卒業後、八幡製鐵(後に新日本製鐵)に勤めていた。卯一の子は稔一人だけだったため、今度は娘の聖子が祖父の野田姓を継ぐこととなり[70]、卯一の養女となった。
明治維新後に兵部大輔、近代兵制を確立、靖国神社の前身の東京招魂社建立に当たった大村益次郎は遠い縁戚になるという。野田聖子は安倍晋三との対談の中で「実は大村益次郎さんは私の遠い縁戚なんです。昔、祖父に、「これは君の遠い縁戚だから」と言われたのを覚えています」と述べている[71]。
福岡孝周 | 乾正聡 | 山本信敬 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
福岡孝清 | 乾信武 | 山本信固 | 宮地信貞 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
福岡孝順 | 乾正成 | 坂本直足 | 宮地茂好 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
島徳治郎 | 実吉安福 | 福岡孝弟 | 板垣退助 | 坂本龍馬 | 宮地自然 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
野田繁吉 | 島徳蔵 | 島定治郎 | 実吉安純 | 福岡秀猪 | 宮地軍子 | 宮地茂春 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
野田卯一 | 光 | 富 | 雅郎 | 金郎 | 紅子 | 宮地呉子 | 宮地茂秋 | ||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
島稔 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
野田聖子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
男子 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
著書
単著
- 1987年12月 『アイアム聖イング』 海越出版社、ISBN 978-4-906203-52-9
- 1994年6月 『改革という美名の下で』 海越出版社、ISBN 978-4-02-250332-9
- 1996年2月 『国民のみなさまにお伝えしたいこと ホンネで語る政治学』 PHP研究所、ISBN 978-4-569-55017-6
- 2004年12月 『私は、産みたい』 新潮社、ISBN 978-4-10-472901-2
- 2005年5月 『だれが未来を奪うのか 少子化と闘う』 講談社、ISBN 978-4-06-212833-9
- 2007年12月 『不器用』 朝日新聞社、ISBN 978-4-02-250332-9
共著
- 2001年10月 『ポストITは日本が勝つ! トップランナー7人の提言』(杉山知之編) アスキー、ISBN 4-7561-3918-3
- 2005年3月 『よくわかる改正児童買春・児童ポルノ禁止法』(森山眞弓と共編) ぎょうせい、ISBN 4-324-07587-5
- 2011年1月 『この国で産むということ』(根津八絋と共著) ポプラ社、ISBN 978-4-591-12056-9
脚注
- ↑ 1.0 1.1 引用エラー: 無効な
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」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 野田聖子.不器用.朝日新聞社,2007年(平成19年),ISBN 978-4-02-250332-9,p. 13.
- ↑ 野田聖子.不器用.朝日新聞社,2007年(平成19年),ISBN 978-4-02-250332-9,p. 12-13.
- ↑ 野田聖子.不器用.朝日新聞社,2007年(平成19年),ISBN 978-4-02-250332-9,p. 45.
- ↑ 野田聖子・根津八絋 『この国で産むということ』 ポプラ社 ISBN 978-4-591-12056-9、2011年 p. 48.
- ↑ 野田聖子.不器用.朝日新聞社,2007年(平成19年),ISBN 978-4-02-250332-9,p. 48.
- ↑ 野田聖子 『国民のみなさまにお伝えしたいこと』 PHP研究所 ISBN 978-4-569-55017-6、1996年 p. 251.
- ↑ 引用エラー: 無効な
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タグです。 「prof
」という名前の引用句に対するテキストが指定されていません - ↑ 野田聖子.不器用.朝日新聞社,2007年(平成19年),ISBN 978-4-02-250332-9,p. 207.
- ↑ 野田聖子.不器用.朝日新聞社,2007年(平成19年),ISBN 978-4-02-250332-9,p. 11.
- ↑ 野田聖子.不器用.朝日新聞社,2007年(平成19年),ISBN 978-4-02-250332-9,p. 50.
- ↑ 1980年に山口シヅエが落選して以来、自民党には女性の衆議院議員が不在だった。なお、この選挙で無所属当選した田中眞紀子が直後に自民党の追加公認を受けたため、当選後の自民党では野田と田中の2人が女性の衆議院議員となった。
- ↑ 10年後、この記録は小渕の娘である小渕優子に破られる。
- ↑ “野田聖子氏「小渕人事のすさまじさ、だんだん伝わる」 (5月4日付朝刊政界面関連インタビュー)”. 日本経済新聞社. (2014年5月4日) . 2018閲覧.
- ↑ 旧・公式サイト
- ↑ 自民党離党にあたって 2005.11.01ひとことコラム
- ↑ 野田聖子氏が自民党離党へ 離党勧告に従う意向 2005/10/29 03:49 共同通信
- ↑ 中央ジャーナル
- ↑ 上賀茂保育園での給食 上賀茂保育園で園児らと給食を食べる野田聖子氏
- ↑ 毎日新聞 2008年10月16日夕刊
- ↑ J-CAST2008年10月16日
- ↑ “野田消費者担当相が靖国参拝 小泉・安倍両元首相も”. 産経新聞. (2009年8月15日) . 2010閲覧.
- ↑ “靖国、衆参44議員が参拝 閣僚は野田担当相のみ 首相、鳩山代表の姿なく”. 産経新聞. (2009年8月15日) . 2010閲覧.
- ↑ http://www.noda-seiko.gr.jp/old_data/kiji/zasshi6.html
- ↑ 「朝日新聞」2005年6月5日
- ↑ 49歳野田聖子議員が妊娠 第三者の卵子使い体外受精 朝日新聞 2010年8月26日閲覧
- ↑ 野田聖子氏が男児出産 産経新聞 2011年1月6日閲覧
- ↑ 野田聖子議員が婚姻届提出 長男の出生届直前に 2011年2月23日 10:40 スポニチ
- ↑ 公式ブログ2011年2月22日
- ↑ SANSPO2011年2月23日
- ↑ [1]
- ↑ [2]
- ↑ “いろいろ…”. 野田聖子オフィシャルブログ「ヒメコミュ」. . 2015閲覧.
- ↑ “【安倍政権考】野田聖子氏はなぜこれほど総裁選出馬にこだわるのか? (1/4ページ)”. 産経新聞. (2015年9月7日)
- ↑ “【自民総裁選】野田聖子氏がなお推薦人集めに奔走 背後で古賀誠氏らが支援… 警戒強める党執行部(2/2ページ)”. 産経新聞. (2015年9月7日)
- ↑ “野田氏の推薦人、尾辻氏が名乗り 自民党総裁選”. 日本経済新聞. (2015年9月4日)
- ↑ “自民総裁選、首相が無投票再選 野田氏は出馬断念”. 日本経済新聞. (2015年9月8日)
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- ↑ 『野田聖子・自民党前総務会長が斬る「一億総活躍」の行方(下)』、ダイアモンド・オンライン、2016年2月3日。
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- ↑ 平野裕二 「児童買春等禁止法改正に関するユニセフ公開セミナー」(2003年6月9日)の報告と疑問点
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- ↑ 平成15年9月10日 「第156回通常国会を終えて」(その2) 野田聖子ホームページ
- ↑ [4]
- ↑ キャサリン通信 第20号 2005.1.15
- ↑ 野田聖子氏「南沙諸島、日本は関係ない」 HuffPost 2015年11月04日
- ↑ 呆れた不見識…自民・野田聖子氏の「南シナ海は関係ない」発言に批判の嵐 首相目指す資格問う声も… 産経新聞 2015.11.24
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- ↑ 「自民党総務会、カジノ法案を了承 今国会に提出したい考え」フジニュースネットワーク 2013/11/29(金)
- ↑ 高倉泰伸、「野田聖子衆議院議員、『カジノ合法化法案』来年(08年)の通常国会での成立を示唆 「第2回カジノin お台場」のイベントで」、話題のイベント・人・企業、株式会社インタークロス・コミュニケーションズ
- ↑ こんにゃく入りゼリー販売禁止要請を検討… 野田聖子氏 ZAKZAK 2008/09/30
- ↑ 「こんにゃくゼリー」法規制混迷 「もち」「米」も危険という声も 2008/10/14 19:19 J-CASTニュース
- ↑ [6]「こんにゃくゼリーによる窒息死事故に関する緊急申し入れ」
- ↑ 金曜アンテナ、2015年3月13日
- ↑ 無戸籍者は567人=8割が「嫡出推定」回避理由-法務省集計 時事通信、2015年3月27日
- ↑ 62.0 62.1 引用エラー: 無効な
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- ↑ パチンコ・チェーンストア協会(PCSA)
- ↑ 65.0 65.1 65.2 65.3 65.4 65.5 65.6 65.7 65.8 65.9 Noda, Office Seiko. “プロフィール | 野田聖子オフィシャルホームページ” (日本語). www.noda-seiko.gr.jp. . 2018閲覧.
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- ↑ 68.0 68.1 「野田聖子議員『ひきょうだと思う』――事務所放火事件」『asahi.com:野田聖子議員「ひきょうだと思う」 事務所放火事件 - 社会』朝日新聞社、2007年8月10日。
- ↑ 【“ファースト・ジェントルマン”候補の素顔】野田聖子(総務大臣) 夫は元暴力団員(会津小鉄会) 週刊文春 2017年9月28日号
- ↑ 野田聖子.不器用.朝日新聞社,2007年(平成19年),ISBN 978-4-02-250332-9,p. 13.
- ↑ 野田聖子ホームページ(安倍晋三との対談)
関連項目
外部リンク
- 野田聖子オフィシャルホームページ
- 野田聖子オフィシャルブログ「ヒメコミュ」 Powered by Ameba(2011年12月28日 - )
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