都はるみ
都 はるみ | |
---|---|
出生名 |
李 春美(1948年 - 1966年)[1] 北村 春美(1966年 - ) |
別名 | ミヤコ |
生誕 | 1948年2月22日(76歳) |
出身地 | 日本・京都府京都市 |
学歴 | 洛陽女子高等学校中退 |
ジャンル | 演歌 |
職業 | 演歌歌手、音楽プロデューサー |
担当楽器 | 歌 |
活動期間 |
1964年 - 1984年 1989年 - 2015年 |
レーベル | 日本コロムビア |
事務所 |
コロムビア音楽芸能 サンミュージック プロデュースハウス都 |
共同作業者 | 市川昭介、吉岡治、阿久悠 |
公式サイト | 都はるみ Sun Music Group Official Web Site |
都 はるみ(みやこ はるみ、1948年(昭和23年)2月22日 - )は、日本の女性演歌歌手。本名・北村 春美(きたむら はるみ)。京都市生まれ。レコード会社は日本コロムビアに所属。所属事務所は「コロムビア音楽芸能」、「サンミュージックプロダクション」、「プロデュースハウス都」を経て再びサンミュージックに所属。血液型はB型。「はるみ節」と呼ばれる独特の力強い歌唱法を持ち、昭和後期を代表する国民的演歌歌手として数多くのヒット曲を世に送った。
Contents
略歴
京都市出身。芸能好きの母親が、はるみが5歳の時から日本舞踊とバレエを習わせ、6歳の6月6日から母親自ら浪曲と民謡を教え始める。洛陽女子高等学校の当時の学校長の話によればいきなり「歌手になります!」と言って中退したそうである。当時似たような若者は多く、そのうちの一人としか思っていなかったが大成功した。在学当時から歌ばかり歌っていて成績はかんばしくなかったと言われている。
1964年、「困るのことヨ」で、デビュー。同年「アンコ椿は恋の花」がミリオンセラーになる大ヒット、第6回日本レコード大賞・新人賞を獲得する。「はるみ節」と呼ばれる、うなり声のような力強いこぶし回しや、波打つような深いビブラートが独特で、昭和40年代〜50年代にかけて数多くのヒット曲を生み、名実ともに日本を代表する女性演歌歌手となった。
1973年、「サンミュージックプロダクション」に移籍[2]。
1976年、「北の宿から」で第18回日本レコード大賞・FNS歌謡祭最優秀グランプリなど数々の音楽大賞を受賞する。1980年、「大阪しぐれ」で第22回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞を受賞。なお、当時の日本レコード大賞で大賞・新人賞(現・最優秀新人賞)・最優秀歌唱賞の三冠を達成したのは、都が初の快挙だった(その後細川たかし・北島三郎・氷川きよし・近藤真彦も日本レコード大賞・三賞全てを獲得)。
1984年3月、人気・実力ともに絶頂だった36歳において「普通のおばさんになりたい」と突然の歌手引退を宣言[3]。この年の『第35回NHK紅白歌合戦』出場を最後に一旦引退。都の引退に際して各種メディアが特集番組を組むなど、一種の社会現象となった。一時引退までの20年間のレコード・テープの総売り上げは日本コロムビア調べで630億円に達し、1984年12月の1か月だけで4億5000万円を売り上げた[4]。
1987年、音楽プロデューサーとして活動再開。新人女性演歌歌手大和さくら、キム・ヨンジャのプロデュースを担当する。1989年、『サンデープロジェクト』(テレビ朝日)に「普通のおばさん代表」として登場。コメンテーターおよびスポーツコーナーのレポーターを務めるが、この頃同年6月に52歳で亡くなった美空ひばりの訃報に触れ、印象的なコメントを番組内で発表。これを機に歌手復帰を決心する。またこの年の『第40回NHK紅白歌合戦』に出場し、「アンコ椿は恋の花」を歌唱。引退後、丸5年ぶりのステージだったが、以前と変わらぬ歌声を披露し、復帰の声が一層高まる。翌1990年、歌手活動の完全復帰を発表。従来の演歌にとらわれない幅広い作品も歌うようになる。
2008年、新東京国際空港2期工事予定地内にある反対派農家の庭で開かれた「三里塚の星空コンサート」に出演した[5]。このコンサートは反対派(三里塚芝山連合空港反対同盟旧熱田派)だけでなく周辺市町や新東京国際空港公団等も支援して開催された。当日は曇り空で星は見えなかったものの、「涙の連絡船」「アンコ椿は春の恋」「ふたりの大阪」「好きになった人」等20曲近くを熱唱した[6]。(→成田空港問題の年表)
2008年、デビュー45年目を迎え、「3大劇場座長公演」を行った。個人事務所の社長で長年私生活でもパートナーであった中村一好が死去[7]。2009年、個人事務所の「プロデュースハウス都」から、古巣の「サンミュージックプロダクション」へ復帰した。
2005年、芸術選奨文部科学大臣賞を受賞。2010年、紫綬褒章を受章。
2015年11月24日、東京国際フォーラムでの全国ツアー最終日に、翌2016年の1年間単独コンサート活動を休業することを発表[8]。また同年12月16日には、五木ひろし司会の音楽番組「日本の名曲 人生、歌がある“3時間スペシャル 都はるみトリビュート”」(BS朝日)への登場をもって、テレビ出演も当面見合わせている[9]。
翌2016年2月18日、TBSラジオ「大沢悠里のゆうゆうワイド」にゲスト出演したものの、都は充電中の近況を「精神的にスッキリした感じ」と報告ののち「この歌でもういいかなと思うこともある。いい詞に出会えばいいけど、なかなか巡り会わない」など、具体的な活動復帰には否定的なコメントを残した[10]。2017年の現時点で、都がマスメディアに登場したのは当番組が最後となり、現在歌手業も含めて芸能活動は完全休止の状態となっている。
エピソード
父は在日韓国人で、このことは1969年に週刊平凡において、はるみの母がインタビューに答える形で公表[11]。だが反響が大きく取材が殺到、仕事に影響が出ると考えた母はこれ以降、取材を受けなくなった[12]。それから7年後、レコード大賞を受賞した際にはそういった出自の人間がレコ大をとっていいのかというバッシングも一部では見られ、賞を辞退しようかとも悩んだという[12]。
京都出身であることにちなんで当初は「京はるみ」という芸名でのデビュー予定だったが、既に他社で同名の歌手がいると分かり「都はるみ」に変更された[13][14]。
有田芳生とは、有田の『歌屋都はるみ』(1994年刊行)の取材および執筆を機に親しくなり、都の公式サイトでは有田を「都はるみの大親友」としている[15]。中村一好の死去の際、有田は中村を「兄のような存在だった」と述べている[16]。
当時西郷輝彦のマネージャーをしていた相澤秀禎は「アンコ椿は恋の花」が大ヒットし、レコード大賞に出演していた都を見て、今まで味わったことのない「気」、「オーラ」を感じ、是非ともマネージメントしたいと思ったという。都の母に毎晩電話するなどしてアプローチしたこともあり、約9年後に都は相澤の「サンミュージック」に所属することになった[2]
タイヘイトリオの贔屓だった母に連れられて幼少期から歌謡浪曲ショウに親しみ、「アンコ椿は恋の花」の歌唱に際しては、母からタイヘイ夢路のくどい節回し・拳回しを参考にするよう指導された結果、これを大ヒットさせた。
実妹も「野川明美」という芸名で歌手デビューしたが、ヒット曲には恵まれず引退している。
これまでは、演歌の場合は“ちりめんビブラート”と呼ばれる細かく、振れ幅の狭いビブラートが主流だったが、彼女は長2度以上、4Hz前後のややゆっくりとした振れ幅が広いビブラートで歌い、聴衆に衝撃を与えた。
2010年3月15日放送の『SMAP×SMAP』(関西テレビ・フジテレビ)では、コント「スマザン・ボイル」の準決勝篇に「きたむらはるみ」として出演、岩崎良美の「タッチ」をコブシたっぷりに熱唱した。
音楽
シングル
# | 発売日 | タイトル | 作詞 | 作曲 | 編曲 |
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1960年代 | |||||
1 | 1964年 3月10日 |
困るのことヨ | 西沢爽 | 遠藤実 | 安藤実親 |
2 | 1964年 8月20日 |
てれちゃう渡り鳥 | 森山としはる | 市川昭介 | |
3 | 1964年 10月5日 |
アンコ椿は恋の花[17] | 星野哲郎 | 市川昭介 | |
4 | 1965年 1月5日 |
さすらい小鳩 | 石本美由起 | 市川昭介 | |
5 | 1965年 3月5日 |
巡礼小鳩 | 石本美由起 | 市川昭介 | |
6 | 1965年 3月20日 |
アンコ岬 | 石本美由起 | 市川昭介 | |
7 | 1965年 5月20日 |
ド根性節 | 石本美由起 | 市川昭介 | |
8 | 1965年 6月20日 |
馬鹿っちょ出船 | 石本美由起 | 市川昭介 | |
9 | 1965年 7月10日 |
よさこい鳴子踊り | 武政英策 | 市川昭介 | |
10 | 1965年 9月20日 |
あんこ船 | 古野哲哉 | 市川昭介 | |
11 | 1965年 10月5日 |
涙の連絡船 | 関沢新一 | 市川昭介 | |
12 | 1966年 1月5日 |
アラ見てたのね | 関沢新一 | 市川昭介 | |
13 | 1966年 2月5日 |
まんまる音頭 | 丘灯至夫 | 市川昭介 | |
14 | 1966年 3月5日 |
初恋りんごっこ | 西沢爽 | 市川昭介 | |
15 | 1966年 5月20日 |
潮来子守唄 | 青木一徳 | 市川昭介 | |
16 | 1966年 5月25日 |
ふるさと音頭 | 宮田隆 | 古賀政男 | 伊藤祐春 |
17 | 1966年 6月5日 |
さよなら列車 | 関沢新一 | 市川昭介 | |
18 | 1966年 6月20日 |
みかんの故郷から | 石本美由起 | 市川昭介 | |
19 | 1966年 9月20日 |
東京渡り鳥 | 中大介 | 市川昭介 | |
20 | 1966年 11月1日 |
白樺に涙あり | 関沢新一 | 市川昭介 | |
21 | 1966年 12月10日 |
逢いたい人は海の鳥 | 石本美由起 | 市川昭介 | |
22 | 1967年 1月5日 |
飛んで来てきっと来て | 西沢爽 | 市川昭介 | |
23 | 1967年 3月1日 |
待ち呆け港 | 関沢新一 | 市川昭介 | |
24 | 1967年 3月5日 |
富士山ばやし | 関沢新一 | 市川昭介 | |
25 | 1967年 3月5日 |
おろち太鼓 | 宮田隆 | 市川昭介 | |
26 | 1967年 5月1日 |
恋と涙の渡り鳥 | 関沢新一 | 市川昭介 | |
27 | 1967年 8月1日 |
金四郎お江戸若衆 | 石本美由起 | 市川昭介 | |
28 | 1967年 9月1日 |
初恋の川 | 関沢新一 | 市川昭介 | |
29 | 1967年 10月15日 |
栃木エレジー | 白鳥朝詠 | 市川昭介 | |
30 | 1967年 12月1日 |
レモン月夜の散歩道 | 西沢爽 | 市川昭介 | |
31 | 1968年 1月9日 |
すまんだ人生 | 香川登志緒 | 市川昭介 | |
32 | 1968年 3月1日 |
霧笛の波止場 | 関沢新一 | 市川昭介 | |
33 | 1968年 3月25日 |
世界平和音頭 | 五井昌久 | 古賀政男 | 佐伯亮 |
34 | 1968年 4月1日 |
新おはら節 | 石本美由起 | 山本丈晴 | 河村利夫 |
35 | 1968年 5月25日 |
お別れ海峡 | 三上博司 石本美由起 |
市川昭介 | |
36 | 1968年 7月1日 |
涙のバラ | 三浦康照 | 市川昭介 | |
37 | 1968年 9月1日 |
好きになった人 | 白鳥朝詠 | 市川昭介 | |
38 | 1968年 12月15日 |
霧に泣く恋 | 石本美由起 | 市川昭介 | |
39 | 1969年 4月1日 |
はるみの三度笠 | 市川昭介 | ||
40 | 1969年 7月15日 |
惚れちゃったんだヨ | 吉岡治 | 市川昭介 | |
41 | 1969年 11月25日 |
ゆうがおの丘 | 金井さち子 | 市川昭介 | |
1970年代 | |||||
42 | 1970年 1月25日 |
ふるさとが泣いた | 藤原テルコ | 市川昭介 | 小谷充 |
43 | 1970年 3月25日 |
みんなの願い | 関根ふみと 石本美由起 |
市川昭介 | |
44 | 1970年 5月10日 |
きっと、きっと、また来てネ | 石本美由起 | 市川昭介 | |
45 | 1970年 7月10日 |
愛して候 | 吉岡治 | 市川昭介 | |
46 | 1970年 11月25日 |
男が惚れなきゃ女じゃないよ | 金井さち子 | 市川昭介 | |
47 | 1971年 3月25日 |
愛しちゃって馬鹿みたい | 吉田旺 | 市川昭介 | |
48 | 1971年 4月10日 |
銀杏城 | 藤浦洸 | 古賀政男 | 佐伯亮 |
49 | 1971年 6月25日 |
さいはての唄 〜ノサップ岬〜 |
星野哲郎 | 船村徹 | 田辺信一 |
50 | 1971年 7月10日 |
男は黙って勝負する | なかにし礼 | 市川昭介 | |
51 | 1971年 10月10日 |
港町 | 石本美由起 | 猪俣公章 | 竹村次郎 |
52 | 1972年 2月25日 |
哀愁の旅路 | 石本美由起 | 和田香苗 | 佐伯亮 |
53 | 1972年 3月10日 |
たった一つの愛の星 | 浜口庫之助 | 小谷充 | |
54 | 1972年 7月10日 |
長崎の恋は悲しい | 石本美由起 | 猪俣公章 | 佐伯亮 |
55 | 1972年 10月10日 |
おんなの海峡 | 石本美由起 | 猪俣公章 | 竹村次郎 |
56 | 1973年 1月 |
島の恋唄 | 石本美由起 | 竹岡信幸 | 佐々永治 |
57 | 1973年 2月10日 |
旅の夕暮 | 吉岡治 | 鈴木邦彦 | |
58 | 1973年 5月 |
ちょおうさじゃ | 石本美由起 | 和田香苗 | |
59 | 1973年 7月10日 |
国盗り音頭 | 石本美由起 | 古賀政男 | 佐伯亮 |
60 | 1973年 7月10日 |
新宿流れ唄 | 森山としはる | 彩木雅夫 | 小谷充 |
61 | 1973年 10月25日 |
私の心の赤い馬車 | 金井さち子 | 市川昭介 | 竜崎孝路 |
62 | 1974年 2月25日 |
おぼろ月夜 | 柳沢和彦 石本美由起 |
平尾昌晃 | 竜崎孝路 |
63 | 1974年 7月1日 |
にごりえの町 | 横井弘 | 平尾昌晃 | 竜崎孝路 |
64 | 1974年 12月1日 |
あなたの港 | 山口洋子 | 平尾昌晃 | 竜崎孝路 |
65 | 1975年 3月1日 |
お願いします | はるかあきと | 市川昭介 | 甲斐靖文 |
66 | 1975年 5月25日 |
みれん節 | 阿久悠 | 浜圭介 | 小谷充 |
67 | 1975年 11月25日 |
泣き笑い | 山川啓介 | 中村雅俊 | 萩田光雄 |
68 | 1975年 12月1日 |
北の宿から[18] | 阿久悠 | 小林亜星 | 竹村次郎 |
69 | 1976年 7月1日 |
ただひとり | ふかせかずお 中山大三郎 |
中山大三郎 | 若草恵 |
70 | 1977年 1月1日 |
雨やどり | 阿久悠 | 小林亜星 | 竹村次郎 |
71 | 1977年 6月10日 |
サロベツ慕情 | 時雨音羽 | 八洲秀章 | 京建輔 |
72 | 1977年 7月1日 |
海鳴りの詩 | 阿久悠 | 浜圭介 | 若草恵 |
73 | 1977年 9月1日 |
品川音頭 | 小磯清明 石本美由起 |
服部良一 | |
74 | 1977年 10月1日 |
しあわせ岬 | たかたかし | 岩久茂 | 高田弘 |
75 | 1978年 2月1日 |
のれん | 遠藤幸三 | 四方章人 | 馬飼野俊一 |
76 | 1978年 5月10日 |
九十九里はたそがれて | なかにし礼 | 中村泰士 | 馬飼野俊一 |
77 | 1978年 10月1日 |
なんで女に | 千家和也 | 小林亜星 | 竹村次郎 |
78 | 1979年 2月1日 |
あゝ放浪 | 阿久悠 | 大野克夫 | 船山基紀 |
79 | 1979年 6月1日 |
大東京音頭 | 滝田常晴 緑爽嘉 藤田まさと |
遠藤実 | 竹村次郎 |
80 | 1979年 8月1日 |
さよなら海峡 | 吉岡治 | 市川昭介 | 竹村次郎 |
81 | 1979年 11月1日 |
花あやめ | 斉藤久 | 市川昭介 | 斉藤恒夫 |
1980年代 | |||||
82 | 1980年 2月1日 |
大阪しぐれ[19] | 吉岡治 | 市川昭介 | 斉藤恒夫 |
83 | 1981年 1月1日 |
浮草ぐらし | 吉岡治 | 市川昭介 | 斉藤恒夫 |
84 | 1981年 9月1日 |
夜の博多は恋の町 | 吉岡治 | 市川昭介 | 斉藤恒夫 |
85 | 1981年 9月1日 |
ふたりの大阪[20] | 吉岡治 | 市川昭介 | 斉藤恒夫 |
86 | 1981年 9月1日 |
みちのく風の宿 | 吉岡治 | 市川昭介 | 斉藤恒夫 |
87 | 1981年 11月1日 |
金沢の夜 | 吉岡治 | 市川昭介 | 斉藤恒夫 |
88 | 1981年 11月 |
海千鳥 | 大島マサエ | 市川昭介 | |
89 | 1982年 4月1日 |
東京セレナーデ | たかたかし | 小林亜星 | 高田弘 |
90 | 1983年 1月1日 |
裏町ごころ | たかたかし | 市川昭介 | 京建輔 |
91 | 1983年 5月21日 |
浪花恋しぐれ[21] | たかたかし | 岡千秋 | 斉藤恒夫 |
92 | 1983年 5月21日 |
札幌ふたりづれ[22] | たかたかし | 市川昭介 | 斉藤恒夫 |
93 | 1983年 5月21日 |
危険な関係[23] | 吉岡治 | 中村泰士 | 高田弘 |
94 | 1984年 2月21日 |
道頓堀川 | たかたかし | 岡千秋 | 斉藤恒夫 |
95 | 1984年 7月1日 |
渡り鳥仁義 | たかたかし | 市川昭介 | 斉藤恒夫 |
96 | 1984年 9月30日 |
夫婦坂[24] | 星野哲郎 | 市川昭介 | 斉藤恒夫 |
97 | 1984年 12月12日 |
ふたりのラブソング[25] | 吉岡治 | 五木ひろし | 斉藤恒夫 |
1990年代 | |||||
98 | 1990年 6月27日 |
小樽運河 | 吉岡治 | 弦哲也 | 桜庭伸幸 |
99 | 1991年 2月21日 |
BIRTHDAY | 阿木燿子 | 宇崎竜童 | 桜庭伸幸 |
100 | 1991年 7月1日 |
愛は花、君はその種子[26] | 高畑勲 | A.McBroom | 星勝 |
101 | 1991年 10月1日 |
夢でもいいから | 谷村新司 | 桜庭伸幸 | |
102 | 1991年 10月1日 |
想いのままに | 森下林檎 井上ヨシマサ |
井上ヨシマサ | 桜庭伸幸 |
103 | 1991年 10月1日 |
飛べない鳥へのレクイエム | 坂口照幸 | 佐瀬寿一 | 桜庭伸幸 |
104 | 1992年 4月1日 |
つくしんぼ | 水木かおる | 市川昭介 | 山田年秋 |
105 | 1993年 3月1日 |
あなたの隣りを歩きたい[27] | 坂口照幸 | 三木たかし | 桜庭伸幸 |
106 | 1993年 9月21日 |
桜時雨 | 星野哲郎 | 市川昭介 | 前田俊明 |
107 | 1994年 4月19日 |
古都逍遥 | たかたかし | 弦哲也 | 桜庭伸幸 |
108 | 1994年 8月1日 |
花の乱 | 阿木燿子 | 三枝成彰 | 千住明 |
109 | 1994年 8月1日 |
一番逢いたい人 | 田口俊 | 織田哲郎 | 桜庭伸幸 |
110 | 1995年 3月21日 |
草枕 | 吉田旺 | 徳久広司 | 前田俊明 |
111 | 1996年 2月21日 |
ふるさとよ | 荒木とよひさ | 浜圭介 | 川村栄二 |
112 | 1996年 8月21日 |
Dreaming On My Life | 田口俊 | 佐瀬寿一 | 桜庭伸幸 |
113 | 1996年 10月4日 |
もういちど | 佐藤よしお | 佐瀬寿一 | 桜庭伸幸 |
114 | 1997年 4月19日 |
幻夢のえれじい | 吉岡治 | 市川昭介 | 前田俊明 |
115 | 1997年 10月1日 |
海峡の宿 | 坂口照幸 | 南郷孝 | 桜庭伸幸 |
116 | 1998年 3月21日 |
邪宗門 | 道浦母都子 | 弦哲也 | 桜庭伸幸 |
117 | 1998年 11月21日 |
深夜劇場 | 田口俊 | 佐瀬寿一 | 桜庭伸幸 |
118 | 1999年 3月20日 |
ふたりの夫婦星 | たかたかし | 岡千秋 | 桜庭伸幸 |
119 | 1999年 5月15日 |
好きになった人 (ニュー・バージョン) |
白鳥朝詠 | 市川昭介 | 桜庭伸幸 |
120 | 1999年 8月21日 |
大原絶唱 | 坂口照幸 | 弦哲也 | 桜庭伸幸 |
2000年代 | |||||
121 | 2000年 3月18日 |
氷雪原野 | 坂口照幸 | 南郷孝 | 南郷達也 |
122 | 2000年 10月1日 |
散華 | 吉田旺 | 徳久広司 | 桜庭伸幸 |
123 | 2001年 4月21日 |
夕陽坂 | 坂口照幸 | 市川昭介 | 桜庭伸幸 |
124 | 2001年 11月1日 |
たそがれの橋 | 北山真如 | 弦哲也 | 桜庭伸幸 |
125 | 2002年 4月20日 |
晩秋の駅 | 坂口照幸 | 市川昭介 | 桜庭伸幸 |
126 | 2002年 11月21日 |
貴方の命 | 小椋佳 | 桜庭伸幸 | |
127 | 2003年 1月1日 |
ムカシ | 阿久悠 | 宇崎竜童 | 桜庭伸幸 |
128 | 2003年 4月4日 |
今ひとたびの 〜Vaya Con Dios〜 |
ちあき哲也 | 杉本眞人 | 桜庭伸幸 |
129 | 2003年 7月7日 |
運否天賦 | 星野哲郎 | 市川昭介 | 桜庭伸幸 |
130 | 2003年 10月10日 |
N.Y.すとーりー | 伊藤薫 | 井上鑑 桜庭伸幸 | |
131 | 2004年 4月21日 |
抱きしめて | 坂口照幸 | 市川昭介 | 南郷達也 |
132 | 2005年 2月23日 |
命ゆきどまり[28] | たかたかし | 岡千秋 | 桜庭伸幸 |
133 | 2005年 9月7日 |
枯木灘 残照 | 道浦母都子 | 弦哲也 | 桜庭伸幸 |
134 | 2006年 4月5日 |
花はあなたの肩に咲く | たかたかし | 岡千秋 | 前田俊明 |
135 | 2007年 1月24日 |
風雪夫婦花 | 坂口照幸 | 杉本眞人 | 桜庭伸幸 |
136 | 2007年 9月26日 |
螢の宿 | 吉岡治 | 市川昭介 | 渡辺理 |
137 | 2008年 5月21日 |
螢の宿 〜シンフォニック・バージョン〜 |
吉岡治 | 市川昭介 | 若草恵 |
138 | 2009年 5月20日 |
小さな春 | 仁井谷俊也 | 徳久広司 | 前田俊明 |
2010年代 | |||||
139 | 2011年 1月19日 |
大阪ふたり雨 | 喜多條忠 | 弦哲也 | 桜庭伸幸 |
140 | 2011年 10月26日 |
ふたつ星[29] | 松井五郎 | 弦哲也 | 前田俊明 |
141 | 2012年 5月23日 |
たんぽぽの花 | たかたかし | 市川昭介 | 南郷達也 |
142 | 2013年 2月20日 |
エリカの花の咲く頃に | 喜多條忠 | 弦哲也 | 矢野立美 |
143 | 2013年 10月23日 |
ありがとう おかげさん | きたやまおさむ | 筒美京平 | 鷺巣詩郎 |
144 | 2014年 8月20日 |
冬の海峡 | さいとう大三 | 岡千秋 | 南郷達也 |
- 委託製作盤
出演
映画
- 馬鹿っちょ出船(1965年)
- アンコ椿は恋の花(1965年)
- さよなら列車(1966年)
- 涙の連絡船(1966年)
- 喜劇 駅前満貫(1967年)
- 北の宿から(1976年)
- トラック野郎・望郷一番星(1976年 東映)特別出演・都はるみ役
- 男はつらいよ 旅と女と寅次郎(1983年、松竹)京はるみ役
テレビ
- 銭形平次 第140話「春姿一番手柄」(1969年、フジテレビ)
- 山盛り食堂(1975年、日本テレビ)
- 明日の刑事 第32話「九十九里浜に散る女の涙」(1978年、TBS)
- ぴあの(1994年、NHK)ナレーション
- 男と女のミステリー「カラオケスナック「あんこ椿」の事件簿」(1990年、フジテレビ)
- 女子刑務所東三号棟5(2003年、TBS)※慰問の本人役
NHK紅白歌合戦出場歴
デビュー2年目の1965年第16回NHK紅白歌合戦に初出場[30]。以降、1984年第35回NHK紅白歌合戦での引退まで、20回連続で出場した。その間、1976年には「北の宿から」の大ヒットを背景に、それまで美空ひばりと島倉千代子の独擅場となっていた紅組トリ(大トリ)の座を、12回目の出場で初めて射止めた。
1989年、第40回に出演したのをきっかけに、歌手業に本格的に復帰し、その後も9年連続で紅白に出場していたが、通算で29回目出場の1997年第48回NHK紅白歌合戦が、最後の紅白出場である。翌1998年に「紅白を卒業したい」と辞退してからは1度も出場していない。ただし都は実質「落選」だったが、番組側の配慮で「辞退」との形になったとする説もある[31]。
実現には至らなかったものの、幾度となく紅組司会の候補にも挙がった。
2011年9月8日に開催した同期である五木ひろしとのジョイントコンサートの場で、五木から「紅白卒業を撤回すべき」との進言を受け、「紅白はいつも見ている」「私はもう卒業したので」と返すやりとりがあった[32][33](この年の紅白にも出場はなかった)。
年度/放送回 | 回 | 曲目 | 出演順 | 対戦相手 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|
1965年(昭和40年)/第16回 | 初 | 涙の連絡船 | 02/25 | 井沢八郎 | |
1966年(昭和41年)/第17回 | 2 | さよなら列車 | 18/25 | 三田明(1) | |
1967年(昭和42年)/第18回 | 3 | 初恋の川 | 21/23 | 北島三郎(1) | |
1968年(昭和43年)/第19回 | 4 | 好きになった人 | 01/23 | 三田明(2) | トップバッター |
1969年(昭和44年)/第20回 | 5 | はるみの三度笠 | 22/23 | 北島三郎(2) | トリ前(1) |
1970年(昭和45年)/第21回 | 6 | 男が惚れなきゃ女じゃないよ | 18/24 | 布施明 | |
1971年(昭和46年)/第22回 | 7 | 港町 | 20/25 | 三波春夫 | |
1972年(昭和47年)/第23回 | 8 | おんなの海峡 | 19/23 | 橋幸夫 | |
1973年(昭和48年)/第24回 | 9 | 涙の連絡船(2回目) | 21/22 | 水原弘 | トリ前(2) |
1974年(昭和49年)/第25回 | 10 | にごりえの町 | 13/25 | 渡哲也 | |
1975年(昭和50年)/第26回 | 11 | 北の宿から | 22/24 | 北島三郎(3) | |
1976年(昭和51年)/第27回 | 12 | 北の宿から(2回目) | 24/24 | 五木ひろし(1) | 大トリ(1) |
1977年(昭和52年)/第28回 | 13 | しあわせ岬 | 23/24 | 森進一(1) | トリ前(3) |
1978年(昭和53年)/第29回 | 14 | なんで女に… | 23/24 | 森進一(2) | トリ前(4) |
1979年(昭和54年)/第30回 | 15 | さよなら海峡 | 22/23 | 北島三郎(4) | トリ前(5) |
1980年(昭和55年)/第31回 | 16 | 大阪しぐれ | 18/23 | 北島三郎(5) | |
1981年(昭和56年)/第32回 | 17 | 浮草ぐらし | 20/22 | 森進一(3) | |
1982年(昭和57年)/第33回 | 18 | 涙の連絡船(3回目) | 22/22 | 森進一(4) | 紅組トリ(2) |
1983年(昭和58年)/第34回 | 19 | 浪花恋しぐれ | 14/21 | 村田英雄 | 岡千秋と共演 |
1984年(昭和59年)/第35回 | 20 | 夫婦坂/好きになった人(2回目)[34] | 20/20 | 森進一(5) | 大トリ(3) |
1989年(平成元年)/第40回 | 21 | アンコ椿は恋の花 | 第1部に出演 | (対戦相手なし) | 5年ぶり復帰・前半トリ(1) |
1990年(平成2年)/第41回 | 22 | 千年の古都 | 29/29 | 森進一(6) | 紅組トリ(4) |
1991年(平成3年)/第42回 | 23 | 王将一代 小春しぐれ | 10/28 | 河島英五 | 前半トリ(2) |
1992年(平成4年)/第43回 | 24 | つくしんぼ | 24/28 | 谷村新司 | |
1993年(平成5年)/第44回 | 25 | おんなの海峡(2回目) | 25/26 | 森進一(7) | トリ前(6) |
1994年(平成6年)/第45回 | 26 | 古都逍遥(ことしょうよう) | 25/25 | 五木ひろし(2) | 大トリ(5) |
1995年(平成7年)/第46回 | 27 | 草枕 | 24/25 | 森進一(8) | トリ前(7) |
1996年(平成8年)/第47回 | 28 | 好きになった人'96[35](3回目) | 10/25 | 森進一(9) | 前半トリ(3) |
1997年(平成9年)/第48回 | 29 | 海峡の宿 | 22/25 | 細川たかし | 現時点で最後の紅白出場 |
- 対戦相手の歌手名の( )内の数字はその歌手との対戦回数、備考のトリ等の次にある( )はトリ等を務めた回数を表す。
- 前半トリとは2部制が採用された1989年以降の紅白において、前半戦(ニュース中断まで)で両軍の締めくくりを務めたことを指す。
- 曲名の後の(○回目)は紅白で披露された回数を表す。
- 出演順は「(出演順)/(出場者数)」で表す。
CM
パチンコ・パチスロ
- CR都物語(2005年)
- やったネ!はるみちゃんシリーズ(2007年)
脚注
- ↑ 官報 第11826号 法務省告示第九百四十一号
- ↑ 2.0 2.1 相澤秀禎 『人気づくりの法則』(東洋経済新報社 1988年4月23日)ISBN 978-4492553091
- ↑ キャンディーズ解散時の有名な言葉を引用したが、都自らの発言ではなく、リポーターが都とのインタビューで発言した台詞である。
- ↑ 「歌謡界『アンコ椿』の夢よ再び──新人づくり四苦八苦(ニュースの周辺)」『日本経済新聞』1985年1月31日付夕刊、3頁。
- ↑ “千葉の歴史検証シリーズ28 成田国際空港「血と涙の歴史」 6”. 稲毛新聞 (2004年12月8日). . 2017閲覧.
- ↑ 原口和久『成田空港365日』崙書房、2000年、166頁。
- ↑ 都はるみの恋人、中村一好さん急死 - 芸能ニュース : nikkansports.com
- ↑ 都はるみ、コンサート活動休止…復帰25年の節目「一生懸命、充電」 - 芸能ニュース : Sponichi Annex
- ↑ 活動休止前に“戦友”と大合唱 『日本の名曲 人生、歌がある“3時間スペシャル 都はるみトリビュート”』」- 芸能ニュース : 夕刊フジ
- ↑ 充電中の都はるみ、復帰には消極的」- 芸能ニュース : デイリースポーツ
- ↑ 週刊平凡 11(45)
- ↑ 12.0 12.1 朴一 『僕たちのヒーローはみんな在日だった』 講談社 2011年 173頁 ISBN 9784062168854
- ↑ 有田芳生の『酔醒漫録』2008年3月30日付
- ↑ 後に映画男はつらいよ 旅と女と寅次郎では「京はるみ」役を演じている
- ↑ 都はるみホームページ「リンク」
- ↑ 有田芳生の『酔醒漫録』2008年4月8日付
- ↑ 第6回日本レコード大賞・新人賞受賞曲。
- ↑ 第18回日本レコード大賞受賞曲。
- ↑ 第22回日本レコード大賞・最優秀歌唱賞受賞曲。
- ↑ 宮崎雅とのデュエット。
- ↑ 岡千秋とのデュエット。第25回日本レコード大賞・特別金賞受賞曲。
- ↑ 渕野忠明とのデュエット。
- ↑ 梶原茂、小林ジローとのデュエット。
- ↑ 第26回日本レコード大賞・特別大衆賞受賞曲。
- ↑ 五木ひろしとのデュエット。
- ↑ ベット・ミドラーの楽曲「The Rose」のカバー。アニメ映画「おもひでぽろぽろ」の主題歌として使用された。
- ↑ TBS系情報番組「スーパーワイド」のEDテーマとして使用された。
- ↑ 岡千秋とのデュエット。
- ↑ 五木ひろしとのデュエット。
- ↑ 前年の時点で出場候補に挙がっていたが、前年は落選した(合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』)。
- ↑ 合田道人『紅白歌合戦の真実』
- ↑ 『デイリースポーツ』2011年9月8日付
- ↑ [1],日刊スポーツ,2011年9月9日
- ↑ 引退のステージであり、本来は夫婦坂の一曲のみだったがアンコールが起こった為に急遽「好きになった人」を歌唱した。
- ↑ 「好きになった人」をロック調にアレンジしたもの
関連項目
外部リンク
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