財津一郎

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財津 一郎(ざいつ いちろう、本名:財津 永栄〈ざいつ ながひで〉[注 1]、旧芸名:財津 肇メ、1934年2月22日 - )は、日本俳優コメディアン歌手熊本県熊本市出身。熊本県立済々黌高等学校卒業。

略歴

財津家は神武天皇の時代から続く名家[1]。父親は農林省(現:農林水産省)の役人で、3人兄弟の末っ子として東京に住んでいたが、父が中国へ出征したため、1944年に一家は故郷の熊本へ疎開1947年に、阿蘇にある財津家の土地を守るために阿蘇郡黒川村へ移住、学校もそれまで通っていた済々黌中学から阿蘇農業高等学校(現・熊本県立阿蘇中央高等学校)へ転校。1949年に再び熊本市へ戻って済々黌高校に復学[2]。終戦後も高校を卒業するまでを熊本で過ごした[3]

1953年、上京後に早大文学部演劇学科受験に失敗。早大近くの印刷店などでアルバイト生活をしつつ[4]、当時東京都大田区にあった榎本健一映画演劇研究所(いわゆるエノケン学校)で演技を勉強する[5]。同時に帝劇ミュージカルの研究生になる。

エノケン学校卒業後は「もっと東京で修業を積みたい」として撮影所入りなどはせずに過ごしていたが、偶然ある野球場で憧れの仲代達矢に会ったことがきっかけで発奮し[5]1955年、帝劇ミュージカル解散の後、財津肇メ(ざいつ はじめ)の芸名で石井均一座に入門(この時、楽屋の化粧前でばったり会ったのが伊東四朗[6]。今の妻ともこの一座で出会っている[7])。また新宿の劇団「ムーラン」の舞台に立った。その「ムーラン」も数年後解散の憂き目に遭い、一時は大阪からやり直しと宝塚新芸座からOSミュージックホールと歩いた[8]1962年吉本興業に入り[9]1964年吉本新喜劇に参加、芸名を現在の財津一郎に改める。この芸名の名付け親は当時の吉本興業社長の林弘高で、「吉本では大衆的な名前でいかなあかん。本名は堅苦しい。一郎と言えば河野一郎有島一郎。みんな大物や」という名付け理由だったという[7]

1965年に吉本新喜劇座長に就任[2]。新喜劇では初期はサラリーマン役が多かったが、その後「老け役」が多くなっていった[10]

藤田まこと主演の『てなもんや三度笠』に浪人・蛇口一角(へびぐち いっかく)役で出演し、手を頭の後ろから回して反対側の耳をつかんで甲高い声で叫ぶ「非っ常にキビシ〜ッ!」「〜してチョウダィ!」のギャグや抜いた刀の刃を蛇のようになめまわす、といった奇怪な動きが評判となり、一世を風靡ふうびした(当初はギャグで言った台詞ではなかったそうで、演技中に突発的に奇声を発すると予想外にウケたことが由来)[11]。なお、途中からは写真師・桜富士夫(さくら ふじお)役に変更になったが、レギュラー陣の一角を担った(当初はレギュラー出演の予定ではなかったが、奇人変人ぶりがあまりにも好評だったため、レギュラー化して最終回まで出演した)。ちなみに役名の蛇口一角は忠臣蔵清水一角(しみず いっかく)のもじり、桜富士夫はフィルムのブランドのさくらカラー(現:コニカミノルタ)とフジカラーからとられたもの。最初は台本にあった自分の役名の蛇口をそのまま「じゃぐち」と読んで「アホ」と言われたこともあった[12]

1969年に吉本興業を退社して東京に活動拠点を移し、志母澤事務所に移籍[2]

1981年、『連合艦隊』では、中井貴一扮する神風特別攻撃隊に志願した青年の父親でもある海軍兵曹長役を演じた。

3年B組金八先生』での英語の教科担任・左右田先生役では自身の持ち味が生かされたボケ役だった。

1996年の『秀吉』では豊臣秀吉の義父といわれる竹阿弥役を演じた。

2004年、『天花』では主人公・佐藤天花の成長を見守る祖父役で出演。

61歳の時に脳内出血を発症し左半身に軽い麻痺が残ったが、リハビリに励んだ結果、3か月後にテレビドラマの仕事に復帰した。

財津の奇声は『こてっちゃん』などのCMでも評判となった[13]。長年タケモトピアノのCMに出演しており、関西圏でもブレイク。「CM中の財津の歌声を聞くと赤ちゃんの泣き声が止まる」と『探偵!ナイトスクープ』などで紹介された(赤ちゃんが泣き止む理由は財津の声が幼児が好む440ヘルツ周辺の音であるため、とのこと)[14]日本電気(NEC)『バザールでござーる』のCMにも、1991年から2004年まで声で出演していた[13]

同じ昭和9年(1934年)生まれの愛川欽也坂上二郎長門裕之牧伸二森山周一郎藤村俊二大橋巨泉山本文郎睦五朗らとは「昭和九年会」を結成している[15]

長男・(1961年8月22日 - )は日本テレビプロデューサー[16]

人気があった反面、「クドい」と言われることも少なくなかったが、本人の持ち味であり、自覚もしていた(同じように「クドいキャラ」のルー大柴へは「『クドいな、あいつ』と言われても、ちらっとでもこっちに目線を向けさせればこっちの勝ちだ」と直々にアドバイスしていた)。

吉本新喜劇に出演していた頃はアドリブで仁丹を使ったネタをやったところ、当時の新喜劇のテレビ中継のスポンサーだった大正製薬を怒らせてしまった(幸い財津は降板せずに済んだが、この一件が元でそれまで生中継されていた新喜劇は録画放送されるようになった)[17]

とある舞台で演出家とBGMでモメ、財津が好きなジャズを流すように勧めたが、演出家は断固として拒否した。しかし、この演出家は「財津さんは、『枠を打ち破るパワー』のある人。だから、わざと枠に閉じこめ、それを壊すくらいの演技をしてほしかったからだ」と財津の高い演技力あってこその演出法だった、と述べている。

一時期、楽屋での食事の時間を惜しみ、開演5分前になって到着したラーメンに「どうせ腹に入ったら一緒だ」として、急いで側にあったアンパンを放り込んで食べたりしており、周りからは「財津ラーメン」と呼ばれるなどしてしばらく変人扱いされた[18]

歌手の財津和夫と縁戚関係があるとされる[19]。従来は血縁関係はないとしていた。ちなみにファンレターが間違って届くことがあったという(「財津さんへ」とは書かれているが、読んでいくうちに内容が音楽のことばかりのため、人違いに気づくという)。

ギャグ

きびしーいっ 
吉本新喜劇で用いられていたギャグ[20]

作品

シングル

アルバム

  • NHKみんなのうたより 大全集6〜おふろのうた〜(1991年)
    同アルバム収録の「ぼくは大きな石ころさ」を歌っている。
  • モダンチョキチョキズのアルバム レディメイドのモダン・チョキチョキズ(1997年)
    同アルバム収録の「くまちゃん」で、濱田マリとデュエットしている。

出演

テレビドラマ

映画

アニメ

ラジオ

ナレーション

バラエティ

CM

著書

脚注

注釈

  1. 当人を含め、財津家の男子の名には代々「永」の字が付いていた[1]

出典

  1. 1.0 1.1 財津一郎 2015, pp. 9-11
  2. 2.0 2.1 2.2 財津一郎 2015, pp. 130-132「年表」
  3. 【エンタがビタミン♪】「火垂るの墓」のよう。聞くものが目頭を押えた財津一郎の終戦直後の体験。(前編)”. Techinsight (2016年10月28日). . 2016閲覧.
  4. 財津一郎 2015, p. 34
  5. 5.0 5.1 財津一郎 2015, pp. 42-46
  6. 財津一郎 2015, pp. 49-52
  7. 7.0 7.1 財津一郎 2015, pp. 61-62
  8. 財津一郎 2015, pp. 54-56
  9. 財津一郎 2015, p. 56
  10. 吉本興業 1989, p. 63.
  11. 財津一郎 2015, pp. 64-71
  12. 阿川佐和子「阿川佐和子のこの人に会いたい」、『週刊文春』2010年11月18日号、文藝春秋、 128 - 132頁。
  13. 13.0 13.1 財津一郎 2015, pp. 84-86
  14. 財津一郎 2015, pp. 94-96
  15. 財津一郎 2015, pp. 81-83
  16. 『現代日本人名録 2002』 日外アソシエーツ 編、日外アソシエーツ、2002年、新訂、。ISBN 4-8169-1695-4。
  17. 前田五郎 『芸能界み〜んなホントのことでっせ!』 日本文芸社、1993年、161-162。ISBN 4-537-02380-5。
  18. 財津一郎 2015, pp. 59-60
  19. 財津和夫 財津一郎と遠い親戚だった「冗談でなく本当だったとは」 ネットでも反響”. デイリースポーツ (2016年9月15日). . 2016閲覧.
  20. 吉本興業 1989, p. 34.
  21. “注目コンテンツをマルチに展開するプロジェクト『インデックス・エンタテインメント』開始第1弾は「タケモトピアノCM」の新たな展開をプロデュース!” (プレスリリース), インデックス・ホールディングス, (2005年4月5日), オリジナル2006年10月19日時点によるアーカイブ。, https://web.archive.org/web/20061019182836/http://www.index-hd.com/press/press.php?id=630 . 2018閲覧. 
  22. テンプレート:Mediaarts-db anime
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参考文献

  • 財津一郎 『聞いてチョウダイ 根アカ人生』 熊本日日新聞社、2015年。ISBN 978-4-87755-529-0。
  • 『吉本新喜劇名場面集 1959-1989』 吉本興業 編、データハウス、1989年。ISBN 4-924442-78-X。

外部リンク