豊能町

提供: miniwiki
2018/7/8/ (日) 16:31時点におけるja>地球交通局2による版
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索

豊能町(とよのちょう)は、大阪府豊能地域に位置する。本項では町制前の名称である東能勢村(ひがしのせむら)についても述べる。

地理

大阪府北西部、京都府兵庫県の接点に位置する。また北摂山系の中にあり、標高が高いことから隣接する能勢町とともに「大阪の軽井沢」、あるいは寒冷であることを強調して「大阪の北海道」「大阪のシベリア」などと称される。該当する地域(東南部一帯)の標高は400m〜600m程度に位置しており、大阪府中心部より概して3°C程度は気温が低い。また、北摂山系に含まれることから冬季はバスが運休するほどの降雪に見舞われることもあり、温度は氷点下になることもある。一方、西地区一帯では標高200〜300mであり、東地区に比べて降雪量が少ない。町域のほとんどが旧令制国摂津国であり旧能勢郡であるが、高山地区は旧三島郡清溪村から編入された地域であり、旧島下郡である。また、牧・寺田両地区は京都府亀岡市から編入された地域であり、旧丹波国桑田郡である。

町域は妙見山山塊(妙見山〜光明山〜天台山)を隔て西地区と東地区に二分される。元は西地区は吉川村、東地区は東能勢村として独自に発展してきた。妙見山は標高660mにも上るため、西地区と東地区は未だに町内だけで移動できる道路がなく、以前は最短ルートを通っても初谷川の渓谷沿いを登って清滝から野間峠に下りるか、吉川峠から天台山を経て川尻へ抜ける等の山道ルートのみであった。川西市黒川、能勢町野間中〜野間峠を経る国道477号府道4号605号ルートであれば、府県境を越える道のりとなる。このように、能勢町兵庫県川西市の2つの他の市町を通過しないと行き来ができなかったが、2007年5月30日に開通した止々呂美東西線の開通により、箕面市を通過することになるものの山道の峠越えは解消され、大阪府域のみで通行することが可能となった。なお、西地区の西端(旧吉川大字保谷周辺)は一庫ダムの一部に属する。

西地区は鉄道で市街地に出ることができ、道路も市街地までの山道区間は比較的短い。東地区は鉄道がなく、道路も比較的長距離の山道走行をしないと市街地に出ることができない。

また東地区南東部の高山地域は「隠れキリシタンの里」としても有名で、高山右近の生誕地でもあり、東地区の隣接地域である茨木市千提寺地区には隠れキリシタンの資料館・茨木市立キリシタン遺物史料館がある。また、高山地域の一部は北摂霊園の敷地内となっており、また将来開通する新名神高速道路についてはこの高山地域南部をかすめる程度で通過する。

東地区は、箕面市止々呂美や茨木市見山(忍頂寺・車作など)・亀岡市東別院町・西別院町などと広い範囲で繋がりが深い。 西地区は川西市との繋がりが大きく、川西地区の開発・発展の恩恵を多大に受け、止々呂美東西線の開通により箕面市止々呂美、森町との繋がりも持てるようである。また吉川地区と能勢町は国道477号を通して繋がっている。

  • 川:余野川、初谷川、箕面川 ほか
  • 山:妙見山、高代寺山、戸知山 ほか

人口

平成22年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、8.16%減の21,976人であり、増減率は府下43市町村42位、72行政区域中71位。

豊能町(に相当する地域)の人口の推移
総務省統計局 国勢調査より

文化・生活圏

ファイル:Koufudai-matinami.jpg
新興住宅地が広がる西地区

西地区 吉川・ときわ台・東ときわ台・光風台・新光風台

旧吉川村の区域であり、昭和初期までは吉川(上之町、中之町、下之町の各集落)および保之谷集落から構成されていたが、高度成長期以降、住宅地が造成された。能勢電鉄によってときわ台・東ときわ台、日本機械土木(その後奈良建設→京阪神興発に社名変更、現在は特別清算)によって光風台・新光風台が開かれた。なお、妙見口駅周辺の吉川は市街化調整区域に設定され宅地化されなかった為、旧村地区の性質を保っている。

文化・生活圏は能勢電鉄が走っているため主に川西(兵庫県依存型)となる。そのため、同じ大阪府内である池田豊中大阪市内能勢へ行くときは一旦兵庫県内(川西市域)を通るルートが一般的であるが、府内主要地へは2007年5月に開通した止々呂美東西線及び箕面有料道路(箕面グリーンロード)の開通により、所要時間や距離は大幅に短縮された。水と緑の健康都市(箕面森町)の街開きに伴い止々呂美東西線が開通された事により、長年の懸案であった町内東西両地区の分断は大きく緩和される事となった。

東地区 余野・野間口・牧・切畑・寺田・川尻・木代・希望ヶ丘

町役場がある余野を中心に発展してきた地域。東地区の北部に位置する牧・寺田地区は亀岡市から編入された。希望ヶ丘地区は大和団地(当時)によって作られた住宅地。中心地である余野からは東西南北への道路網が存在しており、文化・生活圏は主に池田亀岡茨木千里中央と幅広い。そのため最寄駅も能勢町同様、町外の各駅になっている。また、箕面市止々呂美中学からの職場体験を受け入るなど周辺の山間地域との交流も盛んである。過去には、京都府亀岡市別院地区から公立城山高校(廃校)(余野)への通学を認めていたり、箕面市止々呂美地区から余野の豊能町立双葉保育所への通園も認められていた
(希望ヶ丘の詳細は北大阪ネオポリスを参照)。尚、余談ではあるが、二人目以降の子の保育料は町内無料である。

東南地区 高山

北摂山系の中にある中山間部の地区。元は三島郡清溪村に属する地区であったが、清溪村の他の3大字(佐保・泉原・千提寺)が茨木市に編入され、大字高山のみ東能勢村(現・豊能町)に編入された。道路での町内他地区への移動は箕面市や茨木市域を一旦経由しなければならない。棚田や野菜畑といった農業が主要な地区であるが、人口減少によって高山小学校が廃校になるなど地区の過疎高齢化が進んでいる。

歴史

年表

詳しくはこちらのページを参照のこと。

  • 1889年明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、能勢郡余野村・川尻村・木代村・切畑村・野間口村の区域をもって東能勢村が発足(町村合併標準により一町村300から500戸を標準としたことによる)。
  • 1896年(明治29年)4月1日 - 能勢郡東能勢村の所属郡が豊能郡に変更。
  • 1923年大正12年) - 能勢電気軌道(現・能勢電鉄一の鳥居駅・妙見駅(現・妙見口駅)間延伸。
  • 1955年昭和30年)4月15日 - 東能勢村が茨木市の一部(大字高山)を編入。
  • 1956年(昭和31年)9月30日 - 東能勢村が吉川村と合併し、改めて東能勢村が発足。当時の人口約4000人。
  • 1958年(昭和33年)4月1日 - 東能勢村が京都府亀岡市の一部(西別院町牧・寺田の大部分)を編入。
  • 1968年(昭和43年) - 能勢電気軌道ときわ台駅開業 ときわ台駅前住宅入居開始。
  • 1974年(昭和49年) - 能勢電気軌道光風台駅開業。
  • 1975年(昭和50年) - 光風台住宅入居開始。
  • 1977年(昭和52年)4月1日 - 東能勢村が町制施行・改称して豊能町となる(人口8000人を超え、大阪府の「町としての要件に関する条例」の人口要件に達したことによる)。
  • 1981年(昭和56年) - 東ときわ台竣工。
  • 1984年(昭和59年) - 希望ヶ丘竣工。
  • 1988年(昭和63年) - 新光風台竣工。
  • 1993年平成5年) - ユーベルホール竣工。
  • 1996年(平成8年) - スポーツセンターシートス竣工。
  • 2007年(平成19年) - 町制30周年。止々呂美東西線の開通により、東西地区の移動距離が大幅に短縮される。

合併による新・東能勢村の成立の経緯

大阪府は町村合併促進法1953年(昭和28年)に制定)」に基づき、旧能勢郡に属する奥能勢6村(東能勢、吉川、田尻、歌垣、東郷、西能勢)を1村とする方針を定めた。当初より段階的な統合を検討しており、その第一段階として東能勢、吉川村の合併が考えられていた。1955年には両村会議長が府に対して、両村を結ぶ道路を作るか、野間峠に新トンネルの建設を陳情している。しかし期限切れの直前となる9月11日の会合で、新村の仮庁舎をどこに設置するかで紛糾し、6村合併は頓挫。自村への設置に拘り紛糾の元となった東郷村長は引責辞職を表明し、合併から離脱した。

残る5村は、13日に協議会を開き東能勢・吉川村、西能勢・歌垣・田尻村がそれぞれ新・東能勢村、能勢村(後の能勢町)として合併することで合意、期限切れ当日の9月30日に施行された。その後も能勢町、及び箕面市と合併構想を検討していたが、いずれも進展なく終わっている。

合併による新・東能勢村の成立以前にも1895年(明治28年)には(東西連絡で府県境越えとなる部分である)兵庫県川西市黒川地区についても、吉川村との合併話が持ち上がったが、見送られた。

平成の大合併」では、飛地となる池田市との合併をも検討されたが不調に終わった。池田市との合併協議前は、箕面市止々呂美地区と東地区の親交が深かったため、箕面市との合併も提案されていたが、この提案も取り消されている。

行政

町長

  • 2000年 - 2008年 日下纓子(くさか えいこ)
  • 2008年 - 2012年、2016年 - 池田勇夫(いけだいさお)
  • 2012年 - 2016年 田中龍一(たなかりゅういち)

町役場・支所

  • 豊能町役場豊能町余野414番地の1
  • 豊能町吉川支所 豊能町東ときわ台1-2-3

町役場内組織

各課の業務内容については組織・各課の一覧もあわせて参照のこと。

保育所・幼稚園・認定こども園

小学校

中学校

高等学校

  • 大阪府立城山高等学校(廃校)- 特例として亀岡市別院地区からの生徒を受け入れていた。第1・2学区の合併により2008年3月末で廃校となり、豊能町は大阪府の摂津地域では唯一「高校の無い市町村」となった。

議会

町議会

定数は14人。2016年6月20日時点での会派構成は以下の通り。

会派名 議席数 所属党派
イノベーションとよの 3
大阪維新の会 2 大阪維新の会
公明党 2 公明党
緑豊クラブ 2
日本共産党 1 日本共産党
豊鳴クラブ 1
新風会 1
豊能第一クラブ 1
無所属 1

国会

2014年12月14日衆議院議員選挙による当選にて選出される。

  • 参議院


交通

鉄道路線

鉄道路線が敷かれているのは西地区のみであり、いずれの駅も近隣住民や観光客の利用がほとんどであるため、中心となる駅は存在しない。役場のある東地区からの利用者は阪急バス東能勢線と豊能町リレー便の乗り継ぎや、デマンドタクシーを利用する。

道路

2003年4月現在、国道2本、主要地方道1本、一般府道4本、町道544本が走っている。また町内のガソリンスタンド2008年4月現在すべて撤退しており、給油の際は近隣市町に行く必要がある。

高速道路

国道

府道

2007年5月30日に開通した箕面グリーンロード止々呂美東西線や、2015年度に開通予定の都市計画道路止々呂美吉川線により、東地区~西地区連絡および両地区から大阪都心部等への交通利便性の向上が期待されている。

町道

  • 一級町道
    • 牧野間口線、牧寺田切畑線、吉川中央線、木代高山線、大丸線
  • 二級町道
    • 余野山手線、浅田切畑線、吉川川尻線、余野川尻線、平野線、平野戸知山線、猿阪保ノ谷線、ムラグチフナオカ線、フケカイザカ線、希望ヶ丘中央線など。

バス

  • 阪急バス豊能営業所管轄)
    東能勢線として池田 - 久安寺 - 中止々呂美(千里中央方面、箕面森町近隣公園前方面乗り換え可能) - 余野 - 牧 方面また、池田 - 久安寺 - 中止々呂美(千里中央方面、箕面森町近隣公園前方面乗り換え可能) - 余野 - 希望ヶ丘四丁目 方面及び余野~妙見山上 方面。
    忍頂寺線として忍頂寺(JR茨木、阪急茨木方面、および車作、千提寺口方面乗り換え可能) - 上音羽 - 余野 方面および、忍頂寺(JR茨木、阪急茨木方面、および車作、千提寺口方面乗り換え可能) - 銭原 - 余野 方面。
    北大阪ネオポリス線として千里中央 - 青松園前 - 泉原 - 希望ヶ丘四丁目 - 余野 方面また、千里中央 - 青松園前 - 粟生団地 - 泉原 - 希望ヶ丘四丁目 - 余野 方面と、千里中央 - 青松園前 - 高山 - 余野 - 希望ヶ丘四丁目 方面。
    豊能西線として妙見口駅 - 東ときわ台循環 - 妙見口駅と、箕面森町地区センター(千里中央方面、箕面森町近隣公園前方面および豊能町東西バスに乗り換え可能) - 東ときわ台循環 - 光風台駅および、光風台駅 - 新光風台循環 - 東ときわ台循環 - 箕面森町地区センター(千里中央方面、箕面森町近隣公園前方面および豊能町東西バスに乗り換え可能)。
    妙見口能勢線として妙見口駅 - 箕面森町地区センター(千里中央方面、箕面森町近隣公園前方面および、東ときわ台循環 - 光風台駅、光風台駅 - 新光風台循環方面、また豊能町東西バスに乗り換え可能) - 倉垣 - 今西。

妙見口能勢線は2003年6月末までは旧:京都交通の路線だったが、撤退・廃止に伴い翌7月より阪急バスに引き継がれた。系統番号は付いていない。宿野(能勢町)近辺や倉垣(能勢町) - 加村(能勢町) - 奥山内(能勢町)間では西能勢線と重複する区間もあるが、西能勢線のバス停とは別の専用バス停に停車する。また、ほとんど全区間で小型の簡易型バス停を使っている。また、2009年2月をもって、宿野(能勢町) - 今西(能勢町)の末端区間が廃止となった。

  • 豊能町リレー便
    ときわ台駅 - ときわ台3丁目 - ときわ台5丁目 - 支所前(阪急バス箕面森町近隣公園前方面及び阪急バス光風台駅、新光風台方面に乗り換え可能) - 東ときわ台7丁目(阪急バス光風台駅、新光風台方面に乗り換え可能) - 箕面森町地区センター(阪急バス千里中央方面、阪急バス箕面森町近隣公園前方面及び阪急バス光風台駅、新光風台方面に乗り換え可能) - とどろみの森学園前(阪急バス千里中央方面、阪急バス箕面森町近隣公園前方面乗り換え可能) - 中止々呂美(余野方面、千里中央方面乗り換え可能) - 箕面病院。
    運行は阪急バス。2015年4月1日から運行開始。現在運行中。
  • 豊能町東西バス(運行休止)
    ときわ台駅 - 箕面森町地区センター(阪急バス千里中央方面、阪急バス箕面森町近隣公園前方面及び阪急バス光風台駅、新光風台方面に乗り換え可能) - 余野(中央公民館前) - 阪急バス豊能営業所前。
    運行は阪急バス。2011年7月1日から運行開始。約1年間、社会実験として運行。
  • 豊能町東地区デマンドタクシー
    川尻・高山線と牧・寺田・切畑線の2路線。いずれも余野とそれぞれの地区を結び、余野で阪急バスと接続。
    2011年7月1日から運行開始。社会実験として運行するも、2016年2月13日現在も運行中。
  • 豊能町巡回バス(豊能町内線)(運行休止)
    1994年に豊能町が阪急バス(貸切担当)に委託していたが、その後、阪急バス豊能営業所(阪急田園バス豊能支社)の一般路線に移管。豊能町東西バス・豊能町東地区デマンドタクシーの運行開始と引き替えに運行休止。

経済

産業

  • 主要産業として東地区では林業、農業や食品加工が主であるが、道路沿いに資材置き場や産廃処分場の立地がみられる。また傍論ではあるが西、東地区問わず、自動車販売修理業や二輪販売修理業、建設業、住宅等リフォーム業、木材製材業、クリーニング店、酒店、不動産業、飲食店、和菓子販売、コーヒー豆販売店やスーパー等が存在する。
  • ベッドタウンが多く町外に働きに行く勤労者が多い西地区では、ベッドタウン以外の地域は東地区と同様に林業、農業などが主要産業である。また西地区での主要産業以外としては、妙見口駅周辺では僅かに観光産業がある。
  • 高山地区は農業と林業が主要産業ではあるが、北摂霊園が立地している関係で複数の石材業者の立地も見られる。
  • 東地区の人は役場など地元の公共機関などで働く人もいる。ベッドタウンが多い西地区や東地区希望ヶ丘の人の多くは町外に働きに行く事が多い。希望ヶ丘では彩都の開発や箕面グリーンロード開通による大阪都心部への交通利便の向上から主に20〜30代のいわゆる働き盛り世代が増えてきている。

特産品

豊能町観光協会のサイトも参考のこと。

  • 納豆 山口食品(株)製造納豆「能勢路」、納豆「黒豆納豆」、納豆「右近納豆」
  • 大阪北部農業協同組合 豊能支店取扱 米「シルク21」
  • 米「きぬひかり」
  • 漬物 切畑夢工房製造 「かあちゃん漬け」
  • 漬物 「豊能町高山郷名産 真菜漬」
  • 味噌 切畑生活改善グループ製造 「かあちゃん味噌」
  • 能勢
  • 御影石
  • 野菜 「たかやま まな」
  • 野菜 「たかやま ごぼう」
  • 野菜 ヤーコン(町では特産物として認定している)
  • 池田(切畑地区の他、能勢町下田尻、川西市国崎・黒川、箕面市下止々呂美でも生産。市場を池田市に置くためこの名がつく)

商業施設

ファイル:Izumiya-kofudai.jpg
デイリーカナートイズミヤ光風台店
  • 東地区には、希望ヶ丘内に小規模の酒店やクリーニング店及び居酒屋、生活クラブ生活協同組合大阪COOP希望ヶ丘店(生活クラブ事業連合生活協同組合連合会生活クラブ生活協同組合大阪コープ希望ヶ丘店)、ヤマザキショップコンビニエンスストア(ヤマザキショップ西田酒店)等がある。

 市街地である余野付近には、寿司店や喫茶店(エマコーヒー)コンビニエンスストア(ファミリーマート)とスーパーだいやす等がある。ほかにも各集落に少数の小規模商店があるが、不足する物品等の購入は、亀岡や池田、茨木、箕面などに買い物に出る住民も存在する。町内での物品購入について、箕面森町完成により止々呂美東西線を経由してときわ台地区の商店街等に向かうという選択肢も増えている。

日本郵政グループ

(2012年12月現在)

  • 日本郵便株式会社
    • 豊能郵便局(余野) - 集配局。
    • (本町集配局であるので記載。なお、集配業務における指示管理等は箕面郵便局の指示管理下にある)地黄郵便局 - 集配局。
    • 豊能ときわ台郵便局(ときわ台)
    • 豊能東ときわ台郵便局(東ときわ台)
    • 豊能光風台郵便局(新光風台)

各郵便局にはゆうちょ銀行のATMが設置されており、豊能郵便局ではホリデーサービスを実施。

※豊能町内の郵便番号は以下の通り。

  • 563-01xx」=吉川、ときわ台、東ときわ台、光風台、新光風台。地黄(じおう)郵便局(豊能郡能勢町地黄)の集配担当。
  • 563-02xx」=上記以外の地域。豊能郵便局の集配担当。

ケーブルテレビ

  • 光風台・新光風台において、京阪神ケーブルビジョンが難視聴対策のCATVを行っている(地上波・BSの再送信のみ、多チャンネル放送CATVインターネットなし)。
  • また、全域においてeo光テレビのサービスが行われている(一部除く)。
  • なお、豊能町周辺までエリアになっているJ:COM北摂関西)などの多チャンネルCATV・ケーブルインターネットサービスなどのサービスは豊能町には未だに進出されていない。また、箕面森町の難視聴対策ケーブルテレビ事業者がeo光テレビに決まったことで、豊能町へのJ:COMの進出は絶望視されている。
  • 東地区では、希望ヶ丘地区が住民共同でケーブルテレビを敷くという計画もあるが、未だに実現されていない。また、豊能町・能勢町域において(eoを除いて)普通のケーブルテレビを見られるのは西地区の一部だけである。これは川西・猪名川の近くという恩恵が大きいが、先述の光風台・新光風台エリアの難視聴対策CATVにおける多チャンネル放送やケーブルインターネットサービスがないので、今後これらのサービスの充実強化が望まれる所である。
  • また豊能町・能勢町域においては、アナログ放送においてはサンテレビが見られない、KBS京都が見られるという地域もあった。なお、アナログ放送の日本放送協会NHK大阪在阪広域局テレビ大阪は全域で見られた。また一部地域では地上デジタル放送ワンセグが見られる場合がある。
  • 西地区では、豊能吉川中継局を介してアナログ放送の電波での直接受信が可能であった(テレビ大阪21ch・NHK教育25ch・NHK総合27ch)。また、西地区の一部地域では川西猪名川中継局を介してのアナログ放送の直接受信も可能であった。尚、地上デジタル放送への変更後、各放送の直接受信はできる。ただし、一部一時的に難視聴による影響も受ける場合もある。

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

詳細は豊能町観光協会のサイトを参照のこと。

隣接している自治体

行政問題

東西問題

ファイル:豊能町立図書館.JPG
西地区の町立図書館。
利用率が非常に高く、かつては全国一を誇ったこともある。

東西問題とは、本町が妙見山塊を境に東西両地区が大きく分断されている問題である。東西両地区は道路では一度町域外に出なければ移動出来ないため、人口規模に関係なく両地区に主要な公共施設を設置する必要があるなど、非効率な二拠点行政を強いられる行政問題を宿命的に抱えている。

  • 歴史背景
    東西両地区は元々は妙見山塊で隔絶された水系も交通圏も異なる東能勢村・吉川村として別個に存立していたものである。本町は戦後の昭和の大合併の時代に周辺町村の合併構想から取り残された両村が消去法的に合併した性格が強い。そのため、新村は地理的に非常に無理のある変則的な構成となったのである。東西問題の弊害は、合併から50年以上経過し箕面森町を経由する短絡路が完成した今日に至っても継続している。
東西に並立する公共施設
施設種別 東地区 西地区
町役場 ○本庁 吉川支所
消防署 東出張所 ○消防本部
図書館 中央公民館図書館 ○町立図書館
スポーツ施設 青少年総合スポーツセンター ○シートス
公民館 ○中央公民館 西公民館・吉川公民館

○は本庁扱い、またはより規模が大きなもの。

  • なお、文化ホール「ユーベルホール」や保健福祉総合施設「豊悠プラザ」などは西地区だけにある。

町立東能勢中学校偽計入札妨害事件

本件は、東地区にある町立東能勢中学校の改築工事の受発注を巡り、同町助役(当時):大西健一と同町議会議員兼監査委員(当時):藤野裕次郎(本名:繁盛)並びに安藤建設の小西滋・在里政宣らが平成18年11月に逮捕され、同年12月に大西らに偽計入札妨害罪が確定した官製談合事件である。
この事件に関しては、事件発覚の一年半も前から怪文書等が数次に亘り流れ、日下纓子町長の関与や「ある地域の人間が逮捕者を陥れた」など様々な噂が立っているが、本件は公判請求がなされず略式起訴となった為、事件の全容と真相は未だ明らかになっていない。
同年12月、町議会では本事件とダイオキシン問題混迷等の責任を追及する形で、日下町長に対する辞職勧告決議案が13:4の賛成多数で可決されたが、日下町長は同勧告を拒否した。
これをみて議会は翌19年1月に、日下町長に対する不信任決議案を提出したが、先の辞職勧告決議案には賛成した一部議員が反対に廻ったため10:8となり、同決議案は成立しなかった(特別多数議決)。
なお同決議の際、日下町長は一身上の弁明として「6年間にわたって町政を混乱、低迷させたとのことでございますが、何をもって混乱、低迷させたのか、具体的なものはございません。」などと反論した為、一部の反撥を招く事となった。

ダイオキシン問題

概要

1997年11月、豊能町と能勢町で共同運営するゴミ処理施設「豊能郡美化センター」(豊能郡能勢町内に所在した。北緯34度59分08.257秒東経135度26分47.156秒 )内とその周辺で過去最高の濃度となるダイオキシン汚染が検出[1]された。

能勢町は汚染された周辺土壌(約9,000トン)を、豊能町は施設内の汚染物質(ドラム缶約4,300本に封入)の処理を分担することとなった。

当初、南殿利正町長(当時)は、豊能町木代地区にダイオキシン無害化処理施設の建設を予定していたが、木代に隣接する希望ヶ丘地区の自治会(会長:湯浅光雄=後、町議会議員)を中心に猛烈な反対運動が巻き起こり、デモ運動も起こった。これに対して、南殿町長は「関係のない新しい住宅地の人が先に騒いでいる」と発言し、計画の白紙撤回を求めている希望ヶ丘自治会を批判した。

その3ヶ月後に行われた町長選挙で、処理計画の白紙撤回を公約に掲げる日下纓子前町議会議員が、反対運動の追い風に乗り当選した。「白紙撤回」の意味には、能勢での現地保管・無害化処理を期待する人が多かったのだが、町長に就任した日下纓子は、早々と豊能町内で木代以外の場所での汚染物質の保管・処理の道を模索しはじめた。これには、選挙で日下新町長を支持した人を中心に「公約違反」との批判が噴出する結果となった。

2001年、日下纓子町長(当時・以下同)が汚染物の保管計画の予定地に選定したのは、周りに民家がない西地区の初谷川源流域であるが、これにも激烈な反対運動があり、反対の署名は約5,700名に上り、川尻自治会、野間口自治会より反対の請願が提出され、議会はこれを可決。住民訴訟まで起こった(代表:藤田隆=後、町議会議員)。これにより、日下町長は初谷源流域での汚染物保管計画を撤回し、汚染物無害化処理施設の建設を別地に求めることとなった。

2003年になり、処理施設の予定地に選定されたのが、初谷川とは光明山を挟んで反対側に位置する川尻の共有林での計画であった。ところが、これも地元自治会に門前払いされ、早期に計画は挫折することとなった。

その次に日下纓子町長が予定地に選んだのは余野であった。この建設予定地が教育施設に近く、子供たちの安全を脅かすなどとして地元でまたもや猛烈な反発が起こり、余野自治会会長が解任される騒ぎまであり、混迷は止まらない。

ここに至って、日下纓子町長は豊能町内での汚染物の保管・無害化処理計画を諦め、能勢の現地での処理を模索する事となった。その後、旧美化センターのあった能勢町の山内地区との、現地処理の和解調停が成立し、事態は解決に向け動き始めたが、最終処理までの技術を持たないクボタを処理業者に指名してしまった為、さらに混迷は続くこととなる。

2008年から就任した池田勇夫町長は当初、県外処理を模索するが最終的に木代地区での処理を進める。

2012年に行われた町長選挙で田中龍一町長が誕生し、それまでの方針から再び変更される。

2015年、福岡県の三池製錬(株)が、約1億円で無害化処理をする契約が成立し、2015年8月9日にドラム缶198本が搬出されたが12月になっても処理は進んでいなかった。その背景には、一度搬出された一般廃棄物を三池製錬(株)から産業廃棄物として搬出すれば、基礎自治体に通知しなくても安く処理できるという話が浮上し、処理ストップがかかったことが理由とされている。

2016年2月、豊能郡環境施設組合が三池製錬(株)に廃棄物を引き取りに行き、新たに9650万円の処理費用を支払うも処理されず、関西環境建設(株)とその関連会社で、産業廃棄物として、処理をしたことが公表された。

2016年8月に、神戸市の許可を得ないまま、同市西区内の産業廃棄物最終処分場に持ち込まれ埋立処分されていたことが明らかとなり、神戸市は豊能郡環境施設組合に対し、抗議の上8月10日までに撤去するよう要請[1]豊能郡環境施設組合は、兵庫県の川西市に近い町西部の山林に仮置き場を設けたが、周辺住民らの反対で搬入を断念。期限を31日に延長してもらい、豊能町の町有地を2カ月と期間を限定し、仮置き場とすることで町民の了承を得て、8月31日に搬出を完了させた。

出身有名人

関連項目

外部リンク

脚注