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(内容を「 '''詩'''(し、うた、{{lang-en-short|poetry, poem}}; {{lang-fr-short|poésie, poème}}; {{lang-de-short|Gedicht}}) 語源のギリシア語では「創造,生…」で置換)
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[[Image:Quatrain on Heavenly Mountain.jpg|thumb|[[中国]]・[[宋 (王朝)|宋王朝]]の[[高宗 (宋)|高宗]](1107-1187)による七言絶句<!--Quatrain on Heavenly Mountain:『玄山』? 間違っているとよくないのでCO-->。絹張りの[[扇]]に[[草書体]]で記されている。]]
 
[[Image:Arthur Rimbaud Les Assis.jpg|thumb|[[アルチュール・ランボー]]『座り込んだ奴等』の草稿]]
 
  
'''詩'''(し、うた、{{lang-en-short|poetry, poem}}; {{lang-fr-short|poésie, poème}}; {{lang-de-short|Gedicht}})は、[[言語]]の表面的な[[意味]](だけ)ではなく美学的・喚起的な性質を用いて表現される[[文学]]の一形式である。多くの地域で非常に古い起源を持つ。多くは[[韻文]]で一定の形式とリズムを持つが、例外もある。一定の形式に凝縮して言葉を収め、また効果的に感動・叙情・ビジョンなどを表すための表現上の工夫([[修辞技法]])が多く見られる。詩は独立したものとして書かれる場合も、詩劇・[[聖歌]]・[[歌詞]]・[[散文詩]]などに見られるように他の芸術表現と結び付いた形で書かれる場合もある。
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'''詩'''(し、うた、{{lang-en-short|poetry, poem}}; {{lang-fr-short|poésie, poème}}; {{lang-de-short|Gedicht}}
  
<!--語源-->
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語源のギリシア語では「創造,生産」を原義とし,一般用法としては「言語芸術の作品」を意味するが,詩を簡単に定義することは至難である。ギリシア以来詩は韻文と不可分の関係にあるが,「韻文と散文」という対置が明確であるのに対して,より一般に使われる「詩と散文」という対立は複雑な問題を含んでいる (たとえば「散文詩」の存在) 。また「詩と科学」という対立も考えられる。かくして詩の定義は,「詩とは最高の順序に並べられた最高の言葉」から「詩は人生の批評」まで実に種々さまざまである。詩を常識的に分類すれば叙事詩,抒情詩,劇詩となるが,史的展開の姿としては,まず原始的な舞踏とともに発生する歌謡があり,民族精神の成長とともに英雄叙事詩に発展,やがて個人的な抒情詩が生れ,そして物語詩となり,最後に最も総合的な劇詩が成立するとみられる。
[[英語]]の{{lang|en|poetry}}や{{lang|en|poem}}、[[フランス語]]の{{lang|fr|poésie}}や{{lang|fr|poème}}などの語は、「作ること」を意味する[[ギリシア語]]{{lang|grc|ποίησις}} ({{lang|grc-Latn|poiesis}})に由来し、技術を以て作り出された言葉を意味した<ref>「(創造のうち)音楽と韻律に関わる物のみがポイエーシスと呼ばれ、この意味でのポイエーシスを有する者のみがポイエーテースと呼ばれるのです。」([[プラトン]]『[[饗宴]]』)</ref>。漢字の「詩」は思いや記憶を言葉にしたものを意味し、元々は[[周|西周]]のころの古代中国の歌謡を編纂したものを言った(のちに[[詩経]]と称される)<ref>"詩者、志之所之也。在心為志、發言為詩。" 「詩とは志の赴くところである。それが心の中にあるのが『志』、言葉として発したものが『詩』である。」(『[[詩経]]』序)</ref>。日本では明治になるまでは「詩」といえば[[漢詩]]を指し、「歌」は日本古来の歌謡から発したものを指した。[[文学]]の一形式として「詩」の語を使うようになったのは、西洋文学の影響から作られた『[[新体詩抄]]』などを起源とする<ref name="sintaisishou-poetry">{{Cite book|和書
 
|author = 外山正一、井上哲次郎、谷田部良吉
 
|title = 新体詩抄
 
|date = 1882-08
 
|quote = 均シク是レ志ヲ言フナリ、而シテ支那ニテハ之ヲ詩ト云ヒ、本邦ニテハ之ヲ歌ト云ヒ、未ダ歌ト詩トヲ総称スルノ名アルヲ聞カズ、此書ニ載スル所ハ、詩ニアラス、歌ニアラス、而シテ之ヲ詩ト云フハ、泰西ノ「ポエトリー」ト云フ語即チ歌ト詩トヲ総称スルノ名ニ当ツルノミ、古ヨリイハユル詩ニアラザルナリ
 
|url = http://www.j-texts.com/meiji/shintai.html
 
|accessdate = 2009-12-03
 
}}</ref>。
 
  
<!--詩の口承性、音楽性-->
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{{テンプレート:20180815sk}}
[[印刷]]技術が普及した後は詩の多くは[[活字]]で提供され「読まれる」ようになった<ref>今日ではデジタルメディアの特性を取り込んだ詩 ([[:en:Digital poetry]]) も行われ、また[[小説投稿サイト]]など投稿形式で[[インターネット]]に詩を載せる営みもある。</ref>が、詩は[[文字]]の発明以前から存在したとも言われ<ref name="predate">For one recent summary discussion, see Frederick Ahl and Hannah M. Roisman. ''The Odyssey Re-Formed''. Ithaca, New York: Cornell University Press, (1996), at 1-26, ISBN 0801483352. Others suggest that poetry did not necessarily predate writing.  See, for example, Jack Goody. ''The Interface Between the Written and the Oral''.  Cambridge, England: Cambridge University Press, (1987), at 98, ISBN 0521337941.</ref>、韻文を朗唱、あるいは節を付けて歌うことが普通であった。漢詩に節を付けて詠じるものは[[詩吟]]と言う。[[幕末]]以降の日本では一時期流行し、剣舞を伴う事もあった。現代では、詩を[[朗読]]することを特に[[ポエトリー・リーディング]]と呼ぶことがある。作者本人による朗読会や、[[音楽]]の[[演奏]]とコラボレーションを行うなどの試みもある。
 
 
 
== 概説 ==
 
詩および詩を巡る議論には長い歴史がある。[[アリストテレス]]の『[[詩学 (アリストテレス)|詩学]]』のような詩を定義する初期の試みでは、[[修辞学|修辞]]・[[演劇]]・[[歌]]・[[喜劇]]<!-- dramaとcomedy -->などにおける話法の用い方に焦点を合わせていた<ref>Heath, Malcolm (ed). Aristotle's ''Poetics''. London, England: Penguin Books, (1997), ISBN 0140446362.</ref>。後世の試みでは、[[リフレイン形式|反復]]<!-- repetition: ルフラン -->、詩型、[[押韻|韻]]といった要素に重点が置かれ、詩を[[散文]]から区別する美学が強調された<ref>''See, for example,'' Immanuel Kant (J.H. Bernhard, Trans). ''Critique of Judgment''. Dover (2005).</ref>。20世紀中葉以降では、詩はより緩やかに[[言語]]を用いた根源的<!--fundamental-->な創造活動として定義されることもある<ref>Dylan Thomas. ''Quite Early One Morning''. New York, New York: New Direction Books, reset edition (1968), ISBN 0811202089.</ref>。
 
 
 
詩では特有の形式や決まり事を用いることで言葉に別の意味を持たせたり感情的・官能的な反応を引き起こしたりすることが多い。[[類韻]]、[[頭韻法|頭韻]]、[[擬声語|オノマトペ]]、[[韻律 (韻文)|韻律]]といった道具が[[音楽]]的もしくは呪術的な効果を生み出すために用いられる場合もある。[[曖昧|両義性]]、[[象徴]]、[[イロニー]]やその他の[[詩語]]による[[文体]]的要素はしばしば詩作品に複数の解釈を可能にする。
 
 
 
同様に、[[メタファー|隠喩]]・[[直喩]]・[[換喩]]は<ref>John R. Strachan & Richard G. Terry, ''Poetry'', (Edinburgh University Press, 2000). pp119.</ref>それがなければ全く別々であったイメージを共鳴させ、[[意味]]を重層化させ、それまで知覚されなかった繋がりを形成する。同種の共鳴は韻律や脚韻のパターンによって個々の詩行の間にも存在し得る。
 
 
 
詩の諸形式の中には[[詩人]]が書く言語の特徴に呼応した特定の[[文化]]や[[ジャンル]]に固有のものもある。[[ダンテ・アリギエーリ|ダンテ]]、[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテ]]、[[アダム・ミツキェヴィチ|ミツキェヴィチ]]、[[ジャラール・ウッディーン・ルーミー|ルーミー]]のような詩人で詩をイメージすることに慣れた読者は<!-- 意訳すれば: …のような詩人をイメージする読者は -->、詩を韻を踏んだ詩行と規則的な韻律で書かれたものと考えるかもしれないが<ref>逆に日本の読者の場合、適当に行分けされた断片的な書き物を想像するかもしれないが、(優れたものであれば)そうした詩にも隠れたリズムや音調があるものである。{{Cite book|和書
 
|author = [[萩原朔太郎]]
 
|title = 詩の原理
 
|year = 1928
 
|quote = すべての詩は、必ずしも規約された形式韻文ではないけれども、しかもすべての詩は――自由詩でも定律詩でも――本質上に於て音律を重要視し、それに表現の生命的意義を置いている。
 
|url = http://www.aozora.gr.jp/cards/000067/files/2843_26253.html
 
|accessdate = 2009-12-30
 
}}</ref>、聖書の詩<!-- biblical poetry; "Psalms"[[詩篇]]ではない-->のようにリズムと音調を得るために別のアプローチを取る伝統もある。現代の<!--英米-->詩<!--ゲンダイシと訳してもいいかも-->の多くは詩の伝統に対してある程度は批評的であり<ref>As a contemporary example of that ethos, see T.S. Eliot, "The Function of Criticism" in ''Selected Essays''. Paperback Edition (Faber & Faber, 1999). pp13-34.</ref>、音調の原則そのもの(やその他のもの)と戯れ、試し、場合によっては敢えて韻を踏まなかったり韻律を定めなかったりもする<ref>James Longenbach, ''Modern Poetry After Modernism (Oxford University Press US, 1997)''. pp9, pp103, and passim.</ref> <ref>pp xxvii-xxxiii of the introduction, in Michael Schmidt (Ed.), ''The Harvill Book of Twentieth Century Poetry in English'' (Harvill Press, 1999)</ref><ref>これらの出典から明らかなように、(少なくとも優れた詩人の作品においては)対比やサプライズのような詩的ではない効果を得たり不規則なリズムを詩的に用いたりといった詩的な理由があるものである。</ref>。今日の[[グローバリゼーション|グローバル化]]した世界では、詩人たちはしばしば様式、技法、形式などをさまざまな文化や言語から借用している。
 
 
 
詩の美や力や効果は様式や技法や形式だけによるものではない。<!--韻律、脚韻、形式などの必須要素は詩の枠組みに過ぎず、主題と特に言葉の選択ほどには重要なものではない。: 英語版の最新版では除去されています -->偉大な詩は、まさにその言葉によって聴衆や読者に思考と力強い感情を喚び起こすことで他から抜きん出る。たとえばハンガリーの[[ヨージェフ・アティッラ]]のような詩人たちは、センテンスに結合された言葉によって言葉自体の意味の総和よりも大きな意味に到達する非凡な詩を書いている。そうした言葉の中には日常会話で使われる諺になったものもある。時代や文化が変われば言葉の意味も変化するので、詩の当初の美や力を味わうのは難しい。
 
 
 
== 歴史 ==
 
[[Image:GilgameshTablet.jpg|thumb|[[アッカド語]]で書かれた[[ギルガメシュ叙事詩]]の「[[大洪水]]」の石板(BC2千年紀頃)]]
 
[[芸術]]の一形式としての詩は[[文字]]の[[識字|読み書き]]よりも先に存在したとも考えられる<ref>多くの学者、とりわけホメロスの流儀やバルカン諸国の口承叙事詩の研究者たちは、初期の文書が大きな詩のユニットを構築するためのブロックとして繰り返し句を用いるなどのより古い詩の伝統の跡をはっきりと示しているのではないかと示唆している。記憶の補助として筆記が利用できるようになる前にはリズミカルで繰り返しのある形式が長い物語を記憶し再び語るのを容易にしたのであろう<!--出典?-->。</ref>。[[インドの歴史|古代インド]]の『[[ヴェーダ]]』(紀元前1700-1200年)や[[ザラスシュトラ]]の『[[ガーサー]]』(紀元前1200-900年)から『[[オデュッセイア]]』(紀元前800-675年)に至る古代の作品の多くは、前史時代や古代の社会において記憶と口頭による伝達を補助するために詩の形で作られたものと思われる<ref name="predate" />。詩は文字を持つ文明の大半において最初期の記録の中に出現しており、初期の[[モノリス]]<!--リンク先に問題あり-->・[[ルーン石碑]]・[[石碑]]などから詩の断片が発見されている。
 
[[Image:Valmiki Ramayana.jpg|thumb|upright|left|[[ヴァルミキ]]。『[[ラーマーヤナ]]』の作者とされる]]
 
現存する最古の詩は紀元前三千年紀の[[シュメール]]([[メソポタミア]]、現[[イラク]])の『[[ギルガメシュ叙事詩]]』であり、粘土板や後には[[パピルス]]に[[楔形文字]]で書かれていた<ref>N.K. Sanders (Trans.). ''The Epic of Gilgamesh''. London, England: Penguin Books, revised edition (1972), at 7-8.</ref>。その他の古代の[[叙事詩]]には[[ギリシア語]]の『[[イーリアス]]』と『[[オデュッセイア]]』、[[アヴェスター語]]の『[[ガーサー]]』と『[[ヤスナ]]』、[[古代ローマ]]の[[民族叙事詩]]、[[ウェルギリウス]]の『[[アエネーイス]]』、インドの『[[ラーマーヤナ]]』と『[[マハーバーラタ]]』などがある。
 
 
 
詩を詩として成立させている形式上の特徴は何か、良い詩と悪い詩との分かれ目は何かを決定しようという古代の思索家たちの努力は「[[詩学]]」――詩の美学的研究を生み出した。古代社会の中には、中国の[[儒教]]の[[五経]]の1つである『[[詩経]]』に見られるように審美的のみならず儀式的にも重要な詩的作品の規範を発達させたものもあった。近年でも、思索家たちは[[ジェフリー・チョーサー|チョーサー]]の『[[カンタベリー物語]]』から[[松尾芭蕉]]の『[[おくのほそ道]]』までの形式上の差異や、[[タナハ]]の宗教詩から[[ロマンチック・ラブ]]詩や[[ラップ]]に至るまでの[[コンテクスト]]上の差異を包括できる定義を求めて苦闘している<ref>''See, e.g.,'' [[:en:Grandmaster Flash and the Furious Five|Grandmaster Flash and the Furious Five]]. "[[:en:The Message (song)|The Message (song)]]," Sugar Hill, (1982).</ref>。
 
 
 
コンテクストは詩学にとって、また詩の[[ジャンル]]や形式の発達にとって決定的に重要である。『[[ギルガメシュ叙事詩]]』や[[フェルドウスィー]]の『[[シャー・ナーメ]]』<ref>Abolqasem Ferdowsi (Dick Davis, Trans.). ''Shahnameh: The Persian Book of Kings''. New York, New York: Viking, (2006), ISBN 0-670-03485-1.</ref>のような歴史的な出来事を[[叙事詩]]として記録した詩は必然的に長く物語的になる一方で、[[典礼]]のために用いられる詩([[聖歌]]、[[詩篇]]、[[スーラ (クルアーン)|スーラ]]、[[ハディース]])は霊感を与えるような調子を持ち、また[[エレジー]]や悲劇は深い感情的な反応を引き起こすことを意図される。その他のコンテクストとしては[[グレゴリオ聖歌]]、公的・外交的な演説<ref>例えば、16世紀のアラブ世界では外交の多くは詩的な形式を通じて行われた。''See'' Natalie Zemon Davis. ''Trickster's Travels''.  Hill & Wang, (2006), ISBN 0809094355.</ref>、[[政治]]的レトリックや毒舌<ref>政治的毒舌の例としてはリベル(中傷文)や、[[マルティアリス]]と[[ガイウス・ウァレリウス・カトゥルス|カトゥルス]]の古典的[[エピグラム]]などがある。</ref>、屈託のない[[童謡]]やナンセンス詩、さらには[[医学]]テクストなどもある<ref>[[古代ギリシア]]では、医学や学問的な作品はしばしば韻文形式で書かれた。1500年後の[[イブン・スィーナー]]の医学的テクストの多くも韻文であった。</ref>。
 
 
 
ポーランドの美学史家[[ヴワディスワフ・タタルキェヴィチ]] ([[:en:Władysław Tatarkiewicz]]) は論文「詩の概念」において、事実上「詩の2つの[[概念]]」であるところのものの進化を追跡している。タタルキェヴィチは「詩」という言葉が2つの別個なものに適用されており、この両者は、詩人[[ポール・ヴァレリー]]が観察したように、「ある地点で結合する。詩は……言語に基づく芸術である。しかし詩にはまたより広い意味もあり……それは明確なものではないので定義が困難である。詩はある種の『[[精神]]の状態』を表現する」<ref name="Concept13">[[:en:Wladyslaw Tatarkiewicz|Wladyslaw Tatarkiewicz]], "The Concept of Poetry," ''Dialectics and Humanism'', vol. II, no. 2 (spring 1975), p. 13.</ref>のだと指摘している。
 
 
 
=== 西洋の伝統 ===
 
[[Image:Aristoteles Louvre.jpg|thumb|upright|[[アリストテレス]]]]
 
古代の思索家たちは詩を定義しその質を評価する手段として分類を用いた。とりわけ、[[アリストテレス]]『[[詩学 (アリストテレス)|詩学]]』の現存する断片は詩の3つのジャンル――叙事詩、喜劇、悲劇――を記述し、それぞれのジャンルでその基礎となる目的に基づき最高品位の詩を見分けるための規則を展開している<ref>Heath (ed), ''Aristotle's Poetics'', 1997.</ref>。後世の美学者たちは[[喜劇]]と[[悲劇]]を劇詩の下位ジャンルとして扱い、[[叙事詩]]・[[抒情詩]]・[[劇詩]]を3大ジャンルとした。
 
[[Image:John keats.jpg|thumb|left|100px|[[ジョン・キーツ]]]]
 
アリストテレスの仕事は[[ルネサンス]]期のヨーロッパのみならず、[[イスラム黄金時代]]の中東全域<ref>[[イブン・ルシュド]]はアリストテレスの『詩学』の、原典の例文をアラビアの詩人たちのものに置き換えた注釈を著した。 ''See, for example,'' W. F. Bogges. 'Hermannus Alemannus' Latin Anthology of Arabic Poetry,' ''Journal of the American Oriental Society,'' 1968, Volume 88, 657-70, and Charles Burnett, 'Learned Knowledge of Arabic Poetry, [[:en:Rhymed Prose|Rhymed Prose]], and Didactic Verse from Petrus Alfonsi to Petrarch', in ''Poetry and Philosophy in the Middle Ages: A Festschrift for Peter Dronke''.  Brill Academic Publishers, (2001), ISBN 90-04-11964-7.</ref>にも影響を及ぼした<ref>''See, for example,'' Paul F Grendler. ''The Universities of the Italian Renaissance''. Baltimore, Maryland: Johns Hopkins University Press, (2004), ISBN 0-8018-8055-6 (for example, page 239) for the prominence of Aristotle and the ''Poetics'' on the Renaissance curriculum.</ref>。後の詩人や美学者たちはしばしば詩を[[散文]]と区別し、散文とは反対のものであるとして詩を定義した。散文は概ね、論理的な説明への傾向と線形的な物語構造を持つ著作として理解されていた<ref>例えば、[[イマヌエル・カント]]『[[判断力批判]]』(J.H.バーナード訳、p.131)では詩の自意識的な抽象と美しい形式という性質は言葉による芸術の中で最高位へと詩を引き上げ、<!--XXX with tone or music following it:トーンと音楽がそれに続き、-->より論理的・物語的な散文は<!--さらに-->その下に来るものとされていた。</ref>。
 
 
 
これは詩が非論理的であったり物語を持たなかったりすることを意味するのではなく、むしろ詩とは論理的もしくは物語的な思考過程に忙殺されることなく美や崇高を表現する試みなのである。イギリスの[[ロマン主義]]詩人[[ジョン・キーツ]]はこの論理からの脱出を[[ネガティブ・ケイパビリティ]]([[:en:Negative Capability]]、「消極的能力」)と呼んだ<ref>Christensen, A., Crisafulli-Jones, L., Galigani, G. and Johnson, A. (Eds). ''The Challenge of Keats''. Amsterdam, The Netherlands: Rodopi, (2000).</ref><ref>''Negative Capability''に適切な訳語を当てるのは極めて困難である。{{cite journal
 
|title = John Keats: “Negative Capability”の「訳語」をめぐる概念の検証
 
|journal = 大阪経大論集
 
|year = 2005
 
|month = 3
 
|author = 藤本周一
 
|volume = 55
 
|issue = 6
 
|pages = 5 - 27
 
|issn = 04747909
 
|id =
 
|url = http://www.osaka-ue.ac.jp/gakkai/pdf/ronshu/2004/5506_ronko_fujimoto.pdf
 
|format = pdf
 
|accessdate = 2009-12-02
 
}}</ref>。形式は抽象的なものであり意味上の論理とは別個なものであるので、この「ロマン主義的」なアプローチは形式<!--form:定型; 韻律や脚韻に縛られること -->を詩の成功の鍵となる要素と見ていた。このアプローチは20世紀に至るまで影響を残した。
 
 
 
この時期にはまた、ヨーロッパの[[植民地主義]]の拡大とそれに伴う世界的な交易の増大のためもあり、さまざまな詩の伝統がさらに相互に影響を与え合った。[[翻訳]]のブームに加え、ロマン主義の時期には数多くの古代の作品が再発見された。
 
 
 
=== 20世紀の論争 ===
 
[[Image:Archibaldmacleish.jpeg|thumb|upright|[[アーチボルド・マクリーシュ]]]]
 
20世紀の[[文学理論]]には、散文と詩との対比にはあまり重点を置かず、単純に言語を用いて創造する者としての詩人と、詩人が創造するものとしての詩に焦点を合わせるものもあった。創造者としての詩人という基礎的な概念は珍しいものではなく、[[現代詩|現代詩人]]の中には言葉による詩の創造と大工仕事のような他の媒体による創造活動との間に本質的に区別を置かない者もいる<ref>See, for example, [[ディラン・トマス|Dylan Thomas]]'s discussion of the poet as creator in ''Quite Early One Morning''. New York, New York: New Directions Press, (1967).</ref>。さらには詩を定義しようという試み自体が見当違いであるとして異議を唱える者もあり、[[アーチボルド・マクリーシュ]]は自身の逆説的な詩『[[詩論]]』([[:en:Ars Poetica]]) をこう結んでいる:「詩は意味してはならない/存在するのだ。」<ref>"A poem should not mean / But be" 『[[詩論]]』という題名は[[ホラティウス]]の同名の評論への言及である。この詩は詩がどのようなものでなければならないかの宣言を列挙し、この著名な2行で結んでいる。[http://web.archive.org/web/20080223213534/http://www.cs.rice.edu/~ssiyer/minstrels/poems/188.html]</ref>
 
 
詩の定義や他の文学ジャンルとの区別を巡る論争は詩の形式の役割を巡る議論と表裏一体である。20世紀前半に始まった詩の伝統的な形式と構造の拒絶は、詩の伝統的な定義や詩と散文の区別(特に散文詩と詩的散文のような例)の持つ目的や意味の疑問視と同時に進行した。数多くの現代詩人は、伝統的でない形式や、伝統的には散文と見做されるような形式を用いて書いたが、その作品には概して詩語や、韻律によらない手段で確立されたリズムやトーンが染み込んでいた<ref>''See, for example,'' Walton Liz and Christopher MacGowen (Eds.). ''Collected Poems of [[:en:William Carlos Williams|William Carlos Williams]]''. New York, New York: New Directions Publications, (1988), or the works of [[オデッセアス・エリティス|Odysseus Elytis]].</ref>。現代派の中にも詩の構造の衰退に対する形式主義的な反動があったが、こうした動きでは古い形式と構造の再生だけでなく、新しい形式構造と統合の開拓にも焦点が当てられていた<ref>See, for example, [[T・S・エリオット|T. S. Eliot]]'s "[[:en:The Waste Land|The Waste Land]], in T. S. Eliot. ''The Waste Land and Other Poems''.  London, England: Faber & Faber, (1940)."</ref>。
 
 
 
さらに最近では、[[ポストモダン|ポストモダニズム]]はマクリーシュのコンセプトを全面的に受け入れ、散文と詩との境界や、さらには詩の諸ジャンル間の境界にも文化的な遺物としての意味しかないと見做すようになっている。ポストモダニズムは[[モダニズム]]における詩人の創造的役割の強調からさらに進み、テクストの読者の役割を強調([[解釈学]])し、詩が読まれるところの複雑な文化的な網の目に光を当てた<ref>[[ロラン・バルト]]の評論「[[作者の死]]」(日本語訳は『物語の構造分析』ISBN 4-622-00481-X 所収)を参照。</ref>。今日では、世界中で、詩は他の文化や過去から形式や詩語を取り入れており、かつては例えば西洋の古典体系<!--western canon-->のような1つの伝統の中では理に適っていた定義と分類の試みにさらなる混乱を引き起こしている。
 
 
 
== 要素 ==
 
=== 韻律論 ===
 
韻律論 ([[:en:Prosody (poetry)|en:Prosody]]) は詩のメーター、リズム、[[イントネーション]]の研究である。リズムとメーターは密接に関係し合うものであり、日本語ではどちらも「韻律」と訳されることがあるが、別の概念である<ref>[[:en:Robert Pinsky|Robert Pinsky]], ''The Sounds of Poetry'' at 52.</ref>。メーターは韻文の確立されたパターン(例えば[[弱強五歩格]]など)であるのに対し、リズムは詩行から実際に結果として得られた音である。従って、詩行のメーターは「[[アイアンブ]](強弱格)」であるといったように記述されうるが、言語がどこで休止または加速を引き起こすか、いかにメーターが言語の他の要素と相互作用するかといったリズムの完全な記述にはこれといった規定はない<!-- XXX would require nothing -->。韻律論はまたより特定的に、メーターを示すために詩行を解析することを指す場合もある。
 
 
 
==== リズム ====
 
[[Image:Robinson Jeffers.jpg|thumb|left|upright|[[ロビンソン・ジェファーズ]]]]
 
詩的リズムを作り出すのに用いられる方法は言語や詩の伝統によってさまざまである。言語は、どのようにしてリズムが確立されるかによって、[[アクセント]](強勢アクセント)、[[音節]]、[[モーラ]]のいずれかに主による[[タイミング (言語学)|タイミング]] ([[:en:isochrony]]) のセットを持つとしてしばしば記述されるが、それ以外にも複数の方面からの影響を受ける<ref>''See, for example,'' Julia Sch&uumu;lter. ''Rhythmic Grammar'', Berlin, Germany: Walter de Gruyter, (2005).</ref>。[[日本語]]はモーラ・タイミングの言語である<!--他にはガンダ語、キリバス語など…かなりレア-->。音節タイミングの言語には[[ラテン語]]、[[カタルーニャ語]]、[[フランス語]]、[[レオン語]]、[[ガリシア語]]、[[スペイン語]]などがある。[[英語]]と[[ロシア語]]はアクセント・タイミングの言語である。[[ドイツ語]]も概ねアクセント・タイミングに含まれる。さまざまな[[イントネーション]]もリズムがどう感受されるかに影響する。また高低アクセント([[ヴェーダ語]]や[[古代ギリシア語]]など)や[[声調]]などに依存する場合もある。声調言語には[[中国語]]、[[ベトナム語]]、[[リトアニア語]]、および[[ニジェール・コンゴ語族]]の大半の言語が含まれる<ref>Yip. ''Tone''. (2002) に声調言語の分布を示した地図がある。</ref>。
 
 
 
メーターによるリズムは一般的に、各行の中で強勢や音節を[[韻脚]]と呼ばれるパターンの反復に正確に配置することを意味する。近代の英詩では強勢のパターンが主に韻脚に違いを付けるので、メーターによるリズムは専ら強勢・非強勢の音節(単独、または[[エリジオン]]して)のパターンによって確立される。一方、[[古典言語|古典語]]では、メーターの単位は同様であるが、強勢よりもむしろ[[長母音|母音の長短]]がメーターを定義していた。[[古英語]]の詩は、各行で音節数は不定であるが強勢の数は一定というメーターのパターンを用いていた<ref>Howell D. Chickering. ''[[Beowulf]]: a Dual-language Edition''. Garden City, New York: Anchor (1977), ISBN 0385062133.</ref>。
 
 
 
[[詩篇]]の内の多くも含む古代[[ヘブライ語]]の聖書の詩での主要な道具は、連続する詩行が文法構造、音声構造、概念的内容、もしくはその全てにおいて互いを反映し合う修辞構造である[[パラレリズム]]<!--parallelism: 対句法と書けば分かり易いが狭すぎるか-->であった。パラレリズムは[[アンティフォナ]]や[[コールアンドレスポンス]]といった実演に適しており、[[イントネーション]]によってさらに強化されうるものであった。従って、聖書の詩は<!--リズムを作り出すために-->メーターによる韻脚にはあまり頼らず、行・フレーズ・センテンスといったより大きな音の単位に基いてリズムを作り出していた。古典的な詩の形式の中には、[[タミル語]]の[[ヴェンパ]](ヴェン調、[[:en:Venpa]])のように、([[文脈自由文法]]として表せるほどまでに)厳密な文法を持ちそれがリズムを確保していたものもあった<ref>See, for example, John Lazarus and W. H. Drew (Trans.). ''Thirukkural''. Asian Educational Services (2001), ISBN 81-206-0400-8. (Original in Tamil with English translation).</ref>。[[漢詩]]では、強勢と並んで[[声調]]がリズムを作り出す。中国の古典詩は[[四声]]を区別していた。[[平声]]、[[上声]]、[[去声]]、[[入声]]である。他の分類法では中国語で最大8つ、ベトナム語で6つの声があることもある。
 
 
 
近代の西洋詩<!--Modern English verse: 英語中心の記述のため広げておきます-->でリズムを作り出すのに使われる正式なメーターのパターンは、現代では最早支配的なものではない。[[自由詩]]の場合、リズムはしばしば規則的なメーターよりもより緩やかなケイデンスの単位に基いて構成される。[[ロビンソン・ジェファーズ]]、[[マリアン・ムーア]]、[[ウィリアム・カルロス・ウィリアムズ]]は英詩に規則的な強勢メーターが不可欠だという考え方を拒絶した代表的な詩人である<ref>''See, for example,'' Marianne Moore. ''Idiosyncrasy and Technique''. Berkeley, California: University of California, (1958), or, for examples, William Carlos Williams. ''The Broken Span''. Norfolk, Connecticut: New Directions, (1941).</ref>。ジェファーズは強勢によるリズムに代わる選択肢として[[スプラング・リズム]]を実験した<ref>Robinson Jeffers. ''Selected Poems''. New York, New York: Vintage, (1965).</ref>。<!--この辺りはもう少し国際化したいです-->
 
 
 
==== メーター ====
 
{{Main|韻律 (韻文)}}
 
西洋詩の伝統では、[[韻律 (韻文)|メーター]]は特徴となる[[韻脚]]と、行あたりの脚数によって分類されるのが通例である。「[[弱強五歩格]]」は1行につき5つの韻脚から成り、支配的な韻脚は「[[アイアンブ]]」(弱強格/短長格)である。このメーター方式は古代[[ギリシア文学|ギリシア詩]]に起源を持ち、[[ピンダロス]]や[[サッポー]]といった詩人たちや[[アテネ]]の偉大な悲劇作家たちに使われた。同様に、「強弱弱六歩格」(長短短六歩格)は1行につき6つの韻脚から成り、支配的な韻脚は「[[ダクティル (詩)|ダクティル]]」(強弱格)である。長短短六歩格はギリシア[[叙事詩]]の伝統的なメーターであり、[[ホメーロス|ホメロス]]と[[ヘーシオドス]]の作品が現存する最古の例である。後世では、弱強五歩格は[[ウィリアム・シェイクスピア]]、強弱弱六歩格は[[ヘンリー・ワーズワース・ロングフェロー]]によって用いられている。<!--
 
[[Image:Homer British Museum.jpg|thumb|upright|left|[[ホメーロス|ホメロス]]]]-->
 
[[Image:Homer_by_Philippe-Laurent_Roland_(Louvre_2004_134_cor).jpg|thumb|upright|left|[[ライアー|リラ]]を奏でる[[ホメーロス|ホメロス]]。[[フィリップ=ローラン・ロラン]]作(1812)]]
 
メーターはしばしば[[韻脚]]の詩行への配列に基いて解析される<ref>Paul Fussell. ''Poetic Meter and Poetic Form''. McGraw Hill, (1965, rev. 1979), ISBN 0-07-553606-4.</ref>。英語では、各々の韻脚には強勢を持つ音節1つと強勢を持たない1-2つの音節が含まれる。他の言語では、音節数や母音の長さの組み合わせが韻脚の解析方法を決定する場合もある。この場合、長母音を持つ1つの音節は短母音を持つ2つの音節と等価として扱われる。例えば、古代ギリシア詩では、メーターは強勢ではなく音節の長さのみに基いていた。英語などの一部の言語では、強勢のある音節は概してより大きな声で、より長く、より高いピッチで発音され、詩のメーターの基盤となる。古代ギリシアでは、これらの属性はそれぞれ独立したものであった。長母音と、母音と2つ以上の子音を持つ音節は実際に凡そ短母音の2倍の長さを持っていたが、ピッチや強勢(アクセントによって決定される)は長さには関係しておらず、メーター上の役割も持っていなかった。従って、長短短六歩格の詩行は6つの小節を持つ音楽のフレーズのように考えることができ、それぞれには二分音符が1つと四分音符が2つ(1つの長い音節と2つの短い音節)もしくは二分音符が2つ(2つの長い音節)含まれていた。2つの短い音節を1つの長い音節に置き換えても同じ長さの韻脚が得られるわけである。このような置き換えは、英語などのような強勢言語では、同じリズムの規則性はもたらさない。[[アングロ・サクソン人|アングロ・サクソン族]]の(頭韻詩の)メーターでは、詩行を構成する要素は韻脚ではなく2つの強勢を含む半行であった<ref>[[:en:Christine Brooke-Rose|Christine Brooke-Rose]]. ''[[:en:A ZBC of Ezra Pound (book)|A ZBC of Ezra Pound]]''. Faber and Faber, (1971), ISBN 0-571-09135-0.</ref>。メーターの解析はしばしば韻文の根底にある基礎的・根本的なパターンを明らかにするが、[[強勢]]、ピッチ、音節長などのさまざまな違いについては明らかにしない<ref>[[:en:Robert Pinsky|Robert Pinsky]]. ''The Sounds of Poetry''. New York, New York: Farrar Straus and Giroux, (1998), 11-24, ISBN 0374526176.</ref>。
 
 
 
メーターの定義の例として、英語での弱強五歩格では、各行は5つの韻脚から成り、各韻脚は[[アイアンブ]](強勢のない音節に強勢のある音節が続く)である。個々の行を調べる際には、メーターの基本パターンの上にバリエーションがある場合もある。例えば、英詩の弱強五歩格では最初の韻脚は頻繁に倒置されており、強勢が最初の音節に来ている<ref>[[:en:Robert Pinsky|Robert Pinsky]], ''The Sounds of Poetry''.</ref>。最もよく使われる韻脚の種類の一般的な名称は:
 
 
 
[[Image:Lewis Carroll - Henry Holiday - Hunting of the Snark - Plate 6.jpg|thumb|150px|[[ヘンリー・ホリデー]]による[[ルイス・キャロル]]『[[スナーク狩り]]』の[[イラストレーション]]。弱弱強四歩格で書かれている。 "In the '''midst''' of the '''word''' he was '''try'''ing to '''say''' / In the '''midst''' of his '''laugh'''ter and '''glee''' / He had '''soft'''ly and '''su'''ddenly '''va'''nished a'''way''' / For the '''snark''' was a '''boo'''jum, you '''see'''."<!-- 訳したらメーターが消えてしまうので原文のまま。-->]]
 
*[[アイアンブ]](iamb, 弱強格/短長格)
 
*[[トロキー]] (trochee, 強弱格/長短格)
 
*[[ダクティル (詩)|ダクティル]] (dactyl, 強弱弱格/長短短格)
 
*[[アナペスト]] (anapest, 弱弱強格/短短長格)
 
*[[スポンデー]] (spondee, 強強格/長長格)
 
* [[ピリック]] (pyrrhic, 弱弱格/短短格) - 稀。通常、強弱弱六歩格の終端に用いられる。
 
詩行中の韻脚の数はギリシア語の用語を用いて次のように表される:
 
*二歩格 (dimeter)
 
*三歩格 (trimeter)
 
*四歩格 (tetrameter)
 
*五歩格 (pentameter)
 
*六歩格 (hexameter)
 
*七歩格 (heptameter)
 
*八歩格 (octameter)
 
これらの他の韻脚のタイプにも広範に名前が存在しており、コリアンブ(choriamb, 強弱弱強格/長短短長格)のような4音節のものまで存在する。コリアンブは古代ギリシア・ローマの詩に由来している。[[トルコ語]]やヴェーダ語などのように、メーターの決定に強勢よりも(もしくは強勢に加えて)母音の長さや[[イントネーション]]を用いる言語でも、長音と短音の一般的な組み合わせを記述するアイアンブやダクティルと類似した概念が存在することが多い。
 
 
 
韻脚のそれぞれタイプには、それ単独で、もしくは他の韻脚との組み合わせによってある種の「感覚」が伴う。例えば、弱強格は英語で最も自然なリズム形式であり、総じて繊細だが安定した韻文を形作る<ref>John Thompson, ''The Founding of English Meter''.</ref>。他方、強弱弱格はほとんど駆け足で進むような感じを与える。『[[サンタクロースがきた]]』や『[[ドクター・スース]]』に見られるように、弱弱強格は快活でコミックな感じを作り出していると言われる<ref>''See, for example,'' "Yertle the Turtle" in Dr. Seuss. ''Yertle the Turtle and Other Stories''. New York: Random House, (1958), lines from "Yurtle the Turtle" are scanned in the discussion of [[:en:anapestic tetrameter|anapestic tetrameter]].</ref>。
 
 
 
メーターを記述する上で、異なった「韻脚」の多重性<!-- a multiplicity of different "feet" -->がどれほど有用なものであるかについては議論がある。例えば[[ロバート・ピンスキー]]は、ダクティル(長短短格)は古典詩では重要であったが、英語のダクティル(強弱弱格)詩は強弱弱格を極めて不規則にしか用いておらず、ピンスキーによれば英語にとってより自然であるところの弱強格と弱弱強格のパターンに基いた方がより良く記述できると論じている<ref>Robert Pinsky, ''The Sounds of Poetry'' at 66.</ref>。実際のリズムは先述のような解析されたメーターよりもずっと複雑なものであり、多くの学者がこの複雑性を分析できる体系を開拓しようと努力してきた。[[ウラジーミル・ナボコフ]]は、詩行における強勢・非強勢の音節の規則的なパターンには話し言葉の自然なピッチから生まれるアクセントの別のパターンが重ね合わされていると指摘し、アクセントのない強勢をアクセントのある強勢から区別するために "scud" という用語を用いることを提言した<ref>Vladimir Nabokov. ''Notes on Prosody''. New York, New York: The Bollingen Foundation, (1964), ISBN 0691017603.</ref>。
 
 
 
{{listen|filename=LibriVox - The Raven - Chris Goringe.ogg|title=英詩の強弱八歩格例|description=[[エドガー・アラン・ポー]]『[[大鴉]]』[http://en.wikisource.org/wiki/The_Raven_%28Poe%29 (*)]|help=no}}
 
{{listen|filename=Charles Baudelaire - Hymne à la beauté.ogg|title=仏詩のアレクサンドラン例|description=[[シャルル・ボードレール]]『美への讃歌』。a-b-a-bの交韻。[http://fr.wikisource.org/wiki/Hymne_%C3%A0_la_beaut%C3%A9 (*)]|help=yes}}<!--
 
漢詩かアラビア詩あたりの朗読があればより良い-->
 
 
 
==== メーターのパターン ====
 
[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]の弱強五歩格やホメロスの長短短六歩格から多くの童謡で用いられている弱弱強四歩格まで、異なった詩の伝統やジャンルでは異なったメーターが用いられる傾向にある。しかしながら、特定の韻脚や詩行を強調したり単調な反復を回避したりするために、確立されたメーターから変化させることもまた一般的である。例えば、韻脚内で強勢が倒置されたり、[[カエスーラ]](休止)が(時として韻脚や強勢の代わりに)置かれたり、行の最後の韻脚に和らげる目的で[[女性行末]]が置かれたり強調し急止を作り出す目的で強強格が置かれたりする。弱強五歩格のような一部のパターンは極めて規則的になりやすい一方で、強弱弱六歩格のような一部のパターンは極めて不規則になりやすい。規則性は言語によっても幅がある。加えて、異なった言語ではしばしば異なったパターンが発達し、たとえばロシア語の弱強四歩格は大抵メーターの補強のためにアクセント使用の規則性を反映するが、これは英語では行われないか行われても稀である<ref>Nabokov. ''Notes on Prosody''.</ref>。
 
[[Image:Kiprensky Pushkin.jpg|thumb|upright|[[アレクサンドル・プーシキン]]]]
 
一般的なメーターのパターンの例を、それを用いた代表的な詩人や詩作品の例と共に以下に挙げる:
 
*弱強五歩格 - [[ジョン・ミルトン]]『[[失楽園]]』<ref>『失楽園』の2つの版が[[プロジェクト・グーテンベルク]]で利用できる。[http://www.gutenberg.org/etext/20 Project Gutenberg text version 1] and [http://www.gutenberg.org/etext/26 Project Gutenberg text version 2]. </ref>
 
*長短短六歩格 - [[ホメーロス|ホメロス]]『[[イーリアス]]』<ref>[http://el.wikisource.org/wiki/%CE%99%CE%BB%CE%B9%CE%AC%CF%82 ウィキソース原文]</ref>、[[ウェルギリウス]]『[[アエネーイス]]』、[[オウィディウス]]『[[変身物語]]』
 
*弱強四歩格 - [[アンドリュー・マーヴェル]]『[[はにかむ恋人へ]]』、[[アレクサンドル・プーシキン]]『[[エヴゲーニイ・オネーギン]]』<ref>ロシア語原典[http://www.rvb.ru/pushkin/01text/04onegin/01onegin/0836.htm?start=0&length=all]と、チャールズ・ジョンストンによる英訳[http://lib.ru/LITRA/PUSHKIN/ENGLISH/onegin_j.txt]が利用可能。英語版ウィキペディアの[[:en:Eugene Onegin|Eugene Onegin]]と[[:en:Notes on Prosody|Notes on Prosody]]の項目およびその注釈にある、翻訳上の問題点や、ロシア語と英語の弱強四歩格の違いに関する議論も参照。</ref>
 
*強弱八歩格 - [[エドガー・アラン・ポー]]『[[大鴉]]』<ref>[http://en.wikisource.org/wiki/The_Raven_%28Poe%29 ウィキソース原文]</ref>
 
*弱弱強四歩格 - [[ルイス・キャロル]]『[[スナーク狩り]]』<ref>[http://en.wikisource.org/wiki/The_Hunting_of_the_Snark ウィキソース原文]</ref>、[[ジョージ・ゴードン・バイロン]]『[[ドン・ファン]]』<ref>[http://en.wikisource.org/wiki/Don_Juan_(Byron)/Canto_the_First ウィキソース原文]</ref>
 
*[[アレクサンドラン]] - [[ジャン・ラシーヌ]]『[[フェードル]]』<ref>[http://abu.cnam.fr/cgi-bin/donner_html?phedre2 フランス語原文]、および英訳:{{gutenberg|no=1977|name=Phaedra}}</ref>
 
[[漢詩]]における五言や七言、日本の[[五七調]]や[[七五調]]もここに加えうるであろう。漢詩には[[声調]]に「[[平仄]]」と呼ばれる規則がある。<!--
 
[[五言詩]]や[[七言詩]]、[[七五調]]や[[五七調]]は詩型ではあるがメーターとは少し違うかな?適宜注記した上でここに並べても良いかもしれません。-->
 
 
 
=== 脚韻、頭韻、類韻 ===
 
[[Image:Beowulf.firstpage.jpeg|thumb|150px|[[古英語]]の[[叙事詩]]『[[ベーオウルフ]]』は[[頭韻法]]により書かれている。<!-- The [[Old English]] [[epic poem]] ''[[Beowulf]]'' is written in [[alliterative]] [[verse]] and [[paragraph]]s, not in lines or [[stanza]]s. -->]]
 
{{Main|押韻|頭韻法|類韻}}
 
[[押韻|脚韻]]、[[頭韻法|頭韻]]、[[類韻]]、[[子音韻]]は音声の反復するパターンを作り出す方法である。これらは詩の独立した構造要素として、リズムパターンを補強するために、あるいはまた装飾的な要素として使用されうる<ref>[[押韻|脚韻]]、[[頭韻法|頭韻]]、[[類韻]]、[[子音韻]]はまた反復する音声のパターンからは分離された意味をも持ちうる。例えば、[[ジェフリー・チョーサー]]は古英語の詩を嘲笑し、人物を時代遅れに見せるために過度の頭韻を使用したし、[[クリストファー・マーロウ]]は"th", "f", "s"による頭韻と子音韻の組み合わせを用いて、女々しく描写したい人物に舌足らずに喋らせた。一例として、マーロウ『[[タンバレイン大帝]]』の冒頭のスピーチを見よ([http://www.gutenberg.org/etext/1094 Project Gutenberg])。</ref>。
 
 
 
押韻とは、詩行の末尾(脚韻)もしくはその他の予測可能な位置([[中間韻]])に同一 (hard-rhyme) もしくは類似 (soft-rhyme) の音を置くことである<ref>For a good discussion of hard and soft rhyme see Robert Pinsky's introduction to Dante Alighieri, Robert Pinsky (Trans.). ''The Inferno of Dante: A New Verse Translation''. New York, New York: Farar Straus & Giroux, (1994), ISBN 0374176744; the Pinsky translation includes many demonstrations of the use of soft rhyme.</ref>。言語によって押韻構造の豊かさには差がある。例えば[[イタリア語]]は豊かな押韻構造を持ち、長大な詩を少数の脚韻の組で持続させることができる。この豊かさは規則的な形の語尾によるものである。英語は他言語から借用された不規則な語尾が多いので押韻にはあまり富んでいない<ref>Dante (1994).</ref>。押韻構造の豊かさはその言語でどのような詩の形式が一般的に用いられるかを決定する上で重要な役割を担う<ref>日本語はほぼ全てのモーラが開音節で、全てで100種類強しかないので単調になり押韻には適さなかった(金田一春彦『日本語の特質』NHKブックス、1991年)。「[[日本語の音韻]]」も参照。<!--どなたかこの辺りの話をしっかり加筆して頂けないでしょうか…?--></ref>。
 
 
 
頭韻と類韻は初期のゲルマン語、ノルド語、古英語の詩を構成する上で重要な役割を果たした。初期ゲルマン詩の頭韻パターンはその構造の主要部分としてメーターと頭韻を織り交ぜることで、メーターのパターンによっていつ聞き手が<!--XXX instance of-->頭韻が来ると期待するかを決定できるようにした。これは、近代ヨーロッパ詩の大部分で見られる、規則的ではなかったり、連の全体で完遂はされなかったりする装飾的な頭韻の使用と対比することができるであろう<ref>''See'' the introduction to [[:en:Burton Raffel|Burton Raffel]]. ''[[ガウェイン卿と緑の騎士|Sir Gawain and the Green Knight]]''. New York, New York: Signet Books, (1984), ISBN 0451628233.</ref>。頭韻は押韻構造に富まない言語で特に有用である<ref>日本語でも[[藤原公任]]の和歌「'''た'''きのおとは '''た'''えてひさしく '''な'''りぬれど '''な'''こそ'''な'''がれて '''な'''ほきこえけれ」や[[島崎藤村]]『[[千曲川旅情の歌]]』「'''こ'''もろなる '''こ'''じょうのほとり」のようにモーラ単位の[[頭韻法]]が散見される。</ref>。類韻は語頭や語尾での似た音声ではなく語中の似た母音を用いるものであり、[[スカルド詩]]で広く用いられたが、これはホメロスの時代にまで遡る。英語では動詞が多くのピッチを持つため、類韻が漢詩の声調要素を緩やかに喚起させることができるので漢詩の翻訳に有用である。子音韻は1つの子音をセンテンスの至る所で(語頭だけではなく)反復するものである。子音韻は頭韻と比して微弱な効果しか引き起こさないので、構造的な要素としての有用性も低い。
 
 
 
『英詩への言語学的ガイド』(Longmans, 1969) においてジェフリー・リーチは韻を6つの音声パターンに分類した。これらは、関係する単語を構成する部分のうち1つまたは2つが変化しうる6つの可能な方法として定義されている。下表では不変の部分は大文字/太字で表示している。Cは子音群(1つの子音とは限らない)を、Vは母音を現す。
 
 
 
{|class="wikitable"
 
!種別
 
!パターン
 
!英語例1
 
!英語例2
 
!フランス語例<ref>フランス詩法では、place/masseのように末尾が[[黙字#フランス語|無音のe]]で終わる韻を[[女性韻]]、pleur/fleurのようにそれ以外で終わる韻を[[男性韻]]と呼ぶ。両者を交互に配する交韻を正則とし、他に「a-a-b-b」と配する平韻、「a-b-b-a」と配する抱擁韻がある([[:fr:rime]]参照)。英詩では最後の音節にアクセントがあれば男性韻、なければ女性韻(この場合2音節以上の押韻を求められる)となる。</ref>
 
!日本語例(擬似的)
 
|-
 
|[[頭韻法|頭韻]]
 
|'''C''' v c
 
|'''gr'''eat/'''gr'''ow
 
|'''s'''end/'''s'''it
 
|'''pl'''ace/'''pl'''eur
 
|'''め'''んこ/'''め'''だか
 
|-
 
|[[類韻]](母音韻)
 
|c '''V''' c
 
|gr'''ea'''t/f'''ai'''l
 
|s'''e'''nd/b'''e'''ll
 
|pl'''a'''ce/f'''e'''mme
 
|(め'''ん'''こ/き'''ん'''く)
 
|-
 
|[[子音韻]]
 
|c v '''C'''
 
|grea'''t'''/mea'''t'''
 
|se'''nd'''/ha'''nd'''
 
| pla'''ce'''/tre'''sse'''
 
| --- <!--めん'''こ'''/すの'''こ''' : いくらなんでもこれは「子音韻」とは遠すぎ-->
 
|-
 
|[[逆韻]] (Reverse Rhyme)
 
|'''C V''' c
 
|'''grea'''t/'''gra'''zed
 
|'''se'''nd/'''se'''ll
 
|'''pla'''ce/'''pla'''que
 
|'''めん'''こ/'''めん'''つ
 
|-
 
|[[:en:Pararhyme]]
 
|'''C''' v '''C'''
 
|'''gr'''ea'''t'''/'''gr'''oa'''t'''
 
|'''s'''e'''nd'''/'''s'''ou'''nd'''
 
|'''pl'''a'''ce'''/'''pl'''u'''sse'''
 
|'''め'''ん'''こ'''/'''め'''の'''こ'''
 
|-
 
|[[脚韻]]
 
|c '''V C'''
 
|gr'''eat'''/b'''ait'''
 
|s'''end'''/b'''end'''
 
|pl'''ace'''/m'''asse'''
 
|め'''んこ'''/は'''んこ'''
 
|}<!--
 
TODO: 他の言語の例の追加をお願いします。-->
 
共通する[[音素]]が多い押韻は「豊か」であると言われる(言語の押韻構造の豊かさとは別の概念)。例えばフランス語の ag'''ate'''/fré'''gate''' は末尾の3音素が共通なので豊かであり、bij'''ou'''/cl'''ou''' は母音1音素のみ共通なので貧しい。ai'''gre'''/ti'''gre'''は子音2音素が共通であるが、このように母音が共通しないものは子音韻であり脚韻とは見做されない。<!--jawp加筆-->
 
 
 
==== 押韻構成 ====
 
[[Image:Paradiso Canto 31.jpg|thumb|150px|[[ダンテ・アリギエーリ|ダンテ]]とベアトリーチェが、天使に囲まれた光の点として現された神を見ている。[[ギュスターヴ・ドレ]]による『[[神曲]]』天国篇28の[[イラストレーション]]。]]
 
{{main|押韻構成}}
 
現代ヨーロッパ諸語、[[アラビア語]]、[[中国語]]を含む数多くの言語で、[[バラッド]]・[[ソネット]]・[[二行連]]といった詩の形式を構成する要素として詩人たちは一定のパターンに沿って脚韻を用いてきた。しかしながら、構造的な脚韻の用法はヨーロッパの伝統の中においてすら普遍的なものではない。現代の詩は伝統的な[[押韻構成]]を避けるものも多い。古典ギリシア・ラテンの詩は押韻を行わなかった。脚韻は中世盛期(11-13世紀頃)に、部分的には[[アンダルス]](今日のスペイン)のアラビア語の影響下でヨーロッパに移入された<ref>Maria Rosa Menocal. ''The Arabic Role in Medieval Literary History''. Philadelphia, Pennsylvania: University of Pennsylvania, (2003), ISBN 0812213246. [[アイルランド]]の詩は比較的早くから脚韻を用いており、他のヨーロッパ諸語の押韻の発達に影響した可能性がある。</ref>。アラビア語の詩人たちは6世紀のアラビア文芸の発達初期からその長大な[[カスィーダ]] ([[:en:qasida]]) において大々的に脚韻を用いていた。中国では紀元前の『[[詩経]]』『[[楚辞]]』で既に押韻が行われていた<!--jawp追加 が、漢詩が伝わった日本では押韻は発達しなかった: いちいち言わなくてもいいかな-->。押韻構成の一部は特定の言語・文化・時代と結び付いたものとなり、一部はそれらを跨って使用されるものとなった。詩の形式の中には[[王侯用詩形]]や[[ルバーイイ]]のように明確に定義された一貫した押韻構成を持つものもある一方で、可変の押韻構成を持つものもある。
 
 
 
押韻構成の大半は脚韻の組に対応する文字によって表せる。例えば[[四行詩]]の第1・2・4行が韻を踏み、第3行が踏まないとすると、この四行詩は「a-a-b-a」の押韻構成を持つと言う。この押韻構成はルバーイイ形式などで用いられるものである<ref>実際に、[[ウマル・ハイヤーム]]の『[[ルバイヤート]]』の翻訳にあたって、[[エドワード・フィッツジェラルド]]は原詩の押韻構成を保持しようと試みた。この翻訳はプロジェクト・グーテンベルクで利用できる[http://www.gutenberg.org/etext/246]。</ref>。同様に、「a-b-b-a」の四行詩は(抱擁韻、[[:en:enclosed rhyme]] と呼ばれ)、[[ペトラルカ]]風ソネットなどの形式で用いられる<ref>{{gutenberg author|id=Petrarch|name=Petrarch}}</ref>。より複雑な押韻構成の中には、[[オッターヴァ・リーマ]]や[[テルツァ・リーマ]]のように「a-b-c」式の構成を離れ、独自の名前を持つようになったものもある。さまざまな押韻構成の種類や方法については「[[押韻構成]]」の項を参照。
 
 
 
===== オッターヴァ・リーマ =====
 
[[オッターヴァ・リーマ]]は最初の6行が「a-b」の押韻構成で、結びの2行がそれに続き「a-b-a-b-a-b-c-c」の計8行からなる連を用いる押韻構成である。[[ジョヴァンニ・ボッカッチョ]]が最初に用い、英雄叙事詩で発達したが、また英雄を嘲笑する詩でも用いられた。
 
 
 
===== テルツァ・リーマ =====
 
[[ダンテ・アリギエーリ|ダンテ]]の『[[神曲]]』<ref>ウィキソースに[[s:it:Divina Commedia|原典]]、[[s:The Divine Comedy|英訳]]あり。</ref>は[[テルツァ・リーマ]]で書かれている。各連は3行から成り、その第1行と第3行が押韻し、第2行は次の連の第1・第3行と韻を踏み鎖韻 ([[:en:chain rhyme]]) を構成する(つまり「a-b-a / b-c-b / c-d-c / ...」)。テルツァ・リーマは流れがあり、進行する感覚を詩に付与し、巧みに用いられれば前方・後方の双方への動きの感覚を引き起こすことができる。必然的に、テルツァ・リーマは(共通する語尾に富むイタリア語のように)豊かな押韻構造を持つ言語の長大な詩で用いられる<ref>See Robert Pinsky's discussion of the difficulties of replicating terza rima in English in Robert Pinsky (trans). ''The Inferno of Dante: A New Verse Translation''. (1994).</ref>。
 
 
 
=== 形式 ===
 
詩の形式(詩型)は[[モダニズム]]や[[ポストモダン|ポストモダニズム]]の詩ではより柔軟なものとなり、それ以前の時代と比べますます構造化されないものとなり続けている。現代の詩人の多くは目に見える構造や形式を避け、[[自由詩]]で書くようになっている。それでも、詩は散文からその形式によって区別されるものであり続けている。基本的な詩の構造への何らかの敬意<!-- regard:敬意、配慮、まなざし -->は最も自由な形の詩にあってさえも見出される、そうした構造は無視されているように見えるのではあるけれども。同様に、古典的なスタイルで書かれた最良の詩であっても、重点や効果の面では厳密な形式からは逸脱しているものである。
 
 
 
詩に用いられる構造的な要素(ユニット)のうち主要なものとしては行、連もしくは段落(一定の行数を持たない連)、連や行の組み合わせで構成されるより大きな編 ([[:en:canto]]) などがある。より広範な視覚的表現や[[カリグラフィー]]などが用いられることもある。これらの詩の形式の基本単位はしばしば結合され、[[ソネット]]や[[俳句]]のような、「詩型」<!--(次節を参照):未訳なのでCO-->や詩の様式などと呼ばれるより大きな構造を形成する。
 
 
 
==== 行と連 ====
 
詩はしばしばページ上で複数の行に分割(改行)される。これらの行はメーターの韻脚数に基づいていたり行末の押韻パターンを強調していたりする。行は他の機能を持つこともあり、型通りのメーターのパターンに従って書かれていない場合には特にそうである。行によって、異なった単位で表現された思考を分離・比較・対比したり、調子の変化を強調したりすることができる。<!--
 
行の分割については[[改行 (詩)]] ([[:en:line break (poetry)]]) も参照。-->
 
 
 
詩行はしばしば連([[スタンザ]])と呼ばれる、含む行数によって名付けられる単位を構成する。2行から成るものは[[二行連]]、以降[[三行連句|三行連]]、[[四行連]]、[[五行連]]、六行連、八行連となる<!--七行連はない-->。これらの詩行は互いに韻やリズムによって関連付けられる場合もそうでない場合もある。例えば、二行連は同一のメーターを持ち押韻する2つの行から成る場合も、メーターのみを共有する2行から成る場合もある。関連付けられた複数の二行連や三行連が1つの連の中にある場合も多い。
 
[[Image:Alexander Blok - Noch, ulica, fonar, apteka.jpg|thumb|175px|[[アレクサンドル・ブローク]]の詩『夜、通り、街灯、ドラッグストア』。[[ライデン]]の壁。]]
 
パラグラフ単位で構成される詩もあり、こうした詩では確立したリズムを伴う規則的な押韻は用いられず、詩の調子はパラグラフ形式の中で確立されたリズム、頭韻、脚韻などの集積によって生み出される。規則的な押韻とリズムが用いられていた地域であってでも、多くの中世の詩はパラグラフ形式で書かれていた。
 
 
 
多くの詩型で、連は連結されており、1つの連の押韻構成やその他の構造要素が以降に続く連のそれらを決定する。こうした連結された連の例として、最初の連でリフレイン(ヴィラネルの場合は複数のリフレイン)が確立され、以降の連でそれを繰り返す[[ガザル]]や[[ヴィラネル]]などがある。連結された連はまた詩をテーマ別の部分に分離することにも使われる。例えば、[[頌歌]]形式での[[ストローフィ|ストロペー]]、[[アンティストロペー]]、[[エポード]]はしばしば1つもしくは複数の連に分離されている。このような場合や、その他構造が極めて規則的に作られている場合には、1つの連が完全なセンテンスと纏まりのある考えから成る1つの完成した思考を形成するのが普通である。
 
 
 
いくつかの場合、特に叙事詩の形式にあるような長大で秩序立った詩の場合には、連そのものが厳密な規則に従って構築され、結合される。[[スカルド詩]]では、「Dróttkvætt」(「君主らしい詩」。[[:en:Alliterative verse]] 参照)の連は8行から成り、各々が頭韻もしくは類韻により生み出される3つの「リフト」(lifts) を持っていた。2-3の頭韻に加えて、奇数行では子音の部分的な韻(母音は似ていない)が必ずしも語頭とは限らない位置で踏まれ、偶数行では組となった音節が必ずしも語尾とは限らない位置で[[中間韻]]を踏んでいた。それぞれの半行は正確に6つの音節から成り、各行はトロキーで終わっていた。複数の Dróttkvætt の配置は、個々のそれの構成に比べれば遥かに緩やかな規則に基づいていた。
 
 
 
==== 視覚表現 ====
 
[[Image:Songhuizong4.jpg|thumb|[[徽宗]]「芙蓉錦鶏図」(11世紀頃)。五言絶句の[[賛]]がある]]
 
[[印刷]]術の出現以前から、詩の視覚的な外見はしばしば詩に意味や深みを付与していた。[[折句]]は詩行の先頭やその他の特定の位置にある文字によって意味を伝えた。アラビア詩、ヘブライ詩、漢詩、[[和歌]]など<!-- 和歌はjawp追加 -->では、優美な[[カリグラフィー]]で書かれた詩の視覚的表現は多くの詩において重要な全体的効果を及ぼしていた。
 
 
 
印刷術が出現すると、詩人たちは[[大量生産]]によってさらなる視覚的表現を操れるようになった。視覚的要素は詩人の道具箱の重要な部分となり、多くの詩人たちは視覚的表現を幅広い目的に活用しようとした。[[モダニズム]]詩人の中には、ページ上での個々の詩行や詩行の纏まりの配置を詩の構成の不可分な一部とした者もいた。時としてこれは、さまざまな長さの視覚的な[[カエスーラ]]を通して詩のリズムを補ったり、並置を作り出すことによって意味や多義性や[[イロニー]]を際立たせたり、また単純に審美的に心地良い形を作り出したりした<ref>現代詩における視覚空間のさまざまな用例については、[[E・E・カミングス]]の作品や、[[ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ|ラ・フォンテーヌ]]の寓話のC.J.Mooreによる詩的翻訳(色とページ配置を用いて[[マルク・シャガール]]のイラストレーションを補っている)を参照。Marc Chagall (illust) and C.J. Moore (trans.). ''Fables of La Fontaine''. The New Press, (1977), ISBN 1565844041.</ref>。最も極端な形としては、[[カリグラム]]や失象徴筆記 ([[:en:asemic writing]]) のようなものまである<ref>モダニズム以前のカリグラムの好例として、[[ルイス・キャロル]]『[[不思議の国のアリス]]』での、鼠の話が長い尻尾の形になっている詩がある。[http://en.wikisource.org/wiki/Alice%27s_Adventures_in_Wonderland/Chapter_3 ウィキソースの原文参照]。</ref>。
 
 
 
<gallery perrow=3 widths=160 heights=200>
 
Image:KASUJIKISHI Cutting MinamotoShitago.jpeg|[[源順]]の歌の[[藤原定信]]による色紙(1100年頃)
 
Image:Nizami's Divan - Nasta'liq calligraphy style.jpg|[[ニザーミー]]の詩の[[カリグラフィー]](16-17世紀頃)
 
Image:Blake echoing green.jpg|[[ウィリアム・ブレイク]]『[[無垢と経験の歌]]』(1789)
 
Image:Mallarmé - Un coup de dés 1914 - p6.jpg|[[ステファヌ・マラルメ]]『骰子一擲』(1897)([[:Image:Mallarm%C3%A9_-_Un_coup_de_d%C3%A9s_1914.djvu|→全文]])
 
Image:Calligramme.jpg|[[ギヨーム・アポリネール]]の[[カリグラム]](1915)
 
Image:Asemic3.jpg|Marco Giovenale による [[:en:asemic writing|asemic writing]]
 
</gallery><!--
 
Image:Piers plowman drolleries.gif|[[ウィリアム・ラングランド]]『[[農夫ピアズの夢]]』(14世紀)
 
Image:Koyagire 1stVolume fragment.jpg|[[古今和歌集]]の[[写本]]、『[[高野切]]』(1050年頃)
 
文章で説明するより図版を見てもらうのが一番
 
ブルトンのコラージュ詩が説明に最適だが著作権存続中-->
 
 
 
=== 詩語 ===
 
[[Image:Rossetti-golden head.jpg|thumb|175px|[[クリスティーナ・ロセッティ]]『「ゴブリン・マーケット」とその他の詩』(1862) の[[ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ]]によるイラストレーション。『ゴブリン・マーケット』では[[童謡]]の形を取りながら複雑な詩語を駆使した。「ゴブリンたちを見てはだめ/その果物を買っちゃだめ/どんな土に生やしてるんだか/その渇いた貪欲な根っこを?」<!--"We must not look at goblin men, / We must not buy their fruits: / Who knows upon what soil they fed / Their hungry thirsty roots?" : 訳さない方がマシだったか…-->]]
 
 
 
[[詩語]]([[:en:poetic diction]]; 詩の用語法)は言語が使用される方式を扱う。音声だけでなく、内在する意味や、その音声や詩型との相互作用にも及ぶ。多くの言語や詩型は極めて独特な詩語を有しており、詩のための独自の[[文法]]や[[方言]]を持つまでに至っている。これには<!-- Registers in poetry can range from... -->20世紀後半の韻律論で好まれたような通常の言葉遣いの厳密な使用から、中世やルネサンス期のマーカー([[:en:makar]]. スコットランドの詩人を指す)などに見られる非常に華美できらびやかな言語の用法までの幅がある。
 
 
 
詩語には[[直喩]]や隠喩([[メタファー]])のような[[修辞技法]]や[[イロニー]]のような口調なども含まれる<ref>詩での[[象徴主義]]と[[隠喩]]の用例として良く知られたものに[[サミュエル・テイラー・コールリッジ]]『[[老水夫行]]』がある。水夫に殺される[[アホウドリ亜科 (Sibley)|信天翁]]は伝統的に幸運の象徴であり、その死には象徴的な含意がある。</ref>。[[アリストテレス]]は『[[詩学 (アリストテレス)|詩学]]』において「何よりも偉大なことは隠喩の名手であることだ」と書いている<ref>{{Gutenberg|name=The Poetics of Aristotle|1974}}の22ページ参照。</ref>。[[モダニズム]]の台頭と共に、詩人たちの一部は修辞技法に重きを置かない詩語を選び、事柄や経験を直接表現し、口調を探求しようとした。他方で、[[シュルレアリスム|シュールレアリスト]]たちは修辞技法をその極限まで推し進め、[[誤転用]]を頻繁に使用した。
 
 
 
[[寓話]]([[アレゴリー]])は多くの文化において詩語の中核となっており、古典期、中世盛期、[[ルネサンス]]期の西洋で顕著であった<ref>『[[イソップ寓話]]』は紀元前500年頃に最初の記録が現れて後、何度となく韻文と散文の双方で翻訳されてきた。時代を超えた単体のアレゴリー詩の情報源として恐らく最も豊かなものであろう。その他の主要な例として、13世紀フランスの詩『[[薔薇物語]]』、[[ウィリアム・ラングランド]]の『[[農夫ピアズの夢]]』、17世紀フランスの[[ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ]]『寓話集』[http://fr.wikisource.org/wiki/Fables_de_La_Fontaine](イソップに影響されている)なども参照。</ref>。しかしながら詩は、全面的にアレゴリー的であるよりもむしろ、完全なアレゴリーを構築することなしに言葉の意味や効果を深化させる[[象徴]]や[[引喩]]を含むこともある。
 
 
 
詩語の他の強力な要素としては鮮明な[[イメージ]]<!--imagery. リンク先として適切か?-->を効果のために用いることが挙げられる。例えば、予期せぬ、あるいは有り得ないイメージの並置は[[シュルレアリスム]]詩([[デペイズマン]])や[[俳句]]で特に強力な要素となっている。鮮明なイメージはまたしばしば[[象徴主義|象徴性]]にも満ちている<!--endowed with symbolism-->。
 
 
 
詩語の多くで、(ホメロスの「薔薇色の指をした暁(の女神)」や「葡萄酒の濃き海」のような)短いフレーズやより長い[[リフレイン形式|リフレイン]]のようにして、効果を得るための語句の反復が行われる。このような反復は詩に[[頌歌]]の多くで見られるような厳粛な調子を付加し、あるいは言葉の文脈が変われば[[イロニー]]を交えたりもする。例えば、[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]『[[ジュリアス・シーザー (シェイクスピア)|ジュリアス・シーザー]]』のアントニーの有名な[[ユーロジー]]では、アントニーが繰り返す「ブルータスは高貴な男ゆえ」という言葉は真摯な調子から皮肉が滲み出るものへと変化してゆく<ref>『ジュリアス・シーザー』第3幕第2場。[http://en.wikisource.org/wiki/The_Tragedy_of_Julius_Caesar ウィキソースの原文]参照。</ref>。
 
 
 
== 詩型 ==
 
多くの文化がそれぞれ独自の詩型を発展させてきた。成熟・完結し、もしくは「広く認められた」詩型では、押韻構成やメーターやその他の要素は一連の規則に基づく。[[エレジー]]のように比較的ゆるやかな構成規則を持つものから、[[ガザル]]や[[ヴィラネル]]のように高度に様式化された構造を持つものまでがある。以下では複数の言語に跨って広く用いられている詩型の一部を記述する。<!--
 
配列の基準は良く分かりません。時代別・地域別にせずあえてランダムにしてる? -->
 
 
 
=== ソネット ===
 
[[Image:Shakespeare.jpg|thumb|upright|[[ウィリアム・シェイクスピア]]]]
 
{{main|ソネット}}
 
[[ソネット]]は時代を通じて(西洋詩で<!--日本での輸入例も多いです-->)最も一般的な詩型であり、13世紀頃には14行から成り一式の押韻構成と論理構造に従う詩として成立していた。典型的には、ソネットの最初の4行は「a-b-a-b」の押韻構成を取り、主題を導入する。ソネットに纏わる慣習はその歴史と共に変化し、結果としてさまざまな異なったソネット形式が存在する。伝統的に、英語の詩人はソネットには[[弱強五歩格]]を用いる。特に[[スペンサー風ソネット]]や[[シェイクスピア風ソネット]]が代表的である。[[ロマンス諸語]]では、[[十一音節詩]]や[[アレクサンドラン]](十二音節詩)が最も広く使用されるメーターであるが、イタリアでは14世紀以降[[ペトラルカ風ソネット]]が使用された。ソネットは恋愛詩と特に結び付けられ、鮮明なイメージに基づく詩語を用いることが多かったが、8行から6行へ、及び最後の二行連への移行に伴う転換はまたソネットを数多くの主題にとって使いやすくダイナミックな形式ともした。シェイクスピアの諸ソネットは英詩で最も有名なものの1つであり、20作が『[[:en:Oxford Book of English Verse|Oxford Book of English Verse]]』に収められている<ref>[[:en:Arthur Quiller-Couch|Arthur Quiller-Couch]] (Ed). ''[[:en:Oxford Book of English Verse|Oxford Book of English Verse]]''. Oxford University Press, (1900). 英詩では『[[:en:Oxford Book of English Verse|Oxford Book of English Verse]]』もしくは『Norton Anthology of Poetry』が権威であり、ある詩人や主題にどれだけの紙幅が割かれているかで相対的な重要度を測る人が多い。</ref>。<!-- ちょっとイギリス中心的な記述ですね -->
 
 
 
日本では明治以降[[蒲原有明]]、[[上田敏]]、[[中原中也]]、[[立原道造]]などがソネットでの詩作を行ったほか、戦中・戦後にも[[マチネ・ポエティク]]の詩人たちが定型押韻詩の試みとして押韻したソネットを集団的に書いた。
 
 
 
=== セスティーナ ===
 
{{main|セスティーナ}}
 
[[プロヴァンス]]の[[トルバドゥール]]たちを起源とする[[セスティーナ]]には6つのスタンザがあり、各々が押韻しない6行から形成され、最初のスタンザの各行末の単語が周期的なパターンで他のスタンザに再登場する。これを各語を2つずつ含む3行から成るスタンザが締め括る。
 
 
 
=== ヴィラネル ===
 
[[Image:AudenLibraryOfCongress.jpg|thumb|right|[[W・H・オーデン]]]]
 
{{main|ヴィラネル}}
 
[[ヴィラネル]](原義は「田園詩」)は5つの三行連と末尾の四行連から成る19行詩である。最初のスタンザの1行目と3行目に用いられた2つのリフレインが以降のスタンザの末尾で交互に用いられ、最後の四行連は両方のリフレインで締め括られるのが特徴となっている。それ以外の各行は「a-b」の交韻を持つ。19世紀末以降、[[ディラン・トマス]]<ref>''E.g.,'' "[[:en:Do Not Go Gentle into that Good Night|Do Not Go Gentle into that Good Night]]" in Dylan Thomas. ''In Country Sleep and Other Poems''. New York, New York: New Directions Publications, (1952).</ref>、[[W・H・オーデン]]<ref>"Villanelle", in W. H. Auden. ''Collected Poems''. New York, New York: Random House, (1945).</ref>、[[エリザベス・ビショップ]]<ref>"One Art", in Elizabeth Bishop. ''Geography III''. New York, New York, Farar, Straus & Giroux, (1976).</ref>などに見られるように英詩でしばしば用いられるようになった。全体として既存の詩型が用いられなくなる時代にあって、逆に広く用いられるようになった詩型である{{Fact|date=2008年9月}}。
 
 
 
=== パントゥーン ===<!--
 
節にしないでヴィラネルにくっつけてもいいかも-->
 
[[パントゥーン]] ([[:en:pantoum]]) はヴィラネルに類似した比較的稀な詩型である。四行連の連続により構成されており、各スタンザの2行目と4行目が次のスタンザの1行目と3行目として繰り返される。
 
 
 
=== ロンドー ===
 
{{Main|ロンドー}}
 
[[ロンドー]]は元々はフランスの詩型であり、2つの脚韻を用いた「5-4-6」の3連15行で書かれ、1行目の冒頭部がリフレインとして第2・第3連の最後の行に用いられる。
 
 
 
=== 近体詩 ===
 
[[Image:Dufu.jpg|thumb|upright|[[杜甫]]]]
 
{{main|近体詩}}<!--
 
近体詩・短歌・俳句の節はそのまま訳すとさすがにあれなので少し手を加えています。-->
 
[[近体詩]]は古典[[中国語]]の[[四声]]([[平声]]、[[上声]]、[[去声]]、[[入声]])を用いた各二行連での[[声調]]のパターンに基づく中国の詩型である。近体詩の基本形は二行連4つの計8行(8句)から成り、第2・第3の二行連の各行は[[対句]]となっている[[律詩]]である。対句では、平行関係にある行は対照的な内容を持つが単語(漢字)の間の文法関係は同一でなければならない。近体詩は豊かな詩語を持ち、[[引喩]]に満ちていることが多く、歴史や政治を含む幅広い主題に亘っていた。8世紀、[[唐]]王朝の[[杜甫]]や[[李白]]などがこの詩型の達人であった。律詩の他に、4行から成る[[絶句]]、12行以上から成る[[排律]]などがあり、1行の文字数が5文字の「五言」と7文字の「七言」があるなどのバリエーションがある。
 
 
 
近体詩以前から存在した比較的自由な[[漢詩]]の詩体は[[古体詩]]と呼ばれ、[[楽府]]などの形式がある。
 
 
 
=== 短歌 ===
 
[[Image:Kakinomoto Hitomaro.jpg|thumb|upright|[[柿本人麻呂]]]]
 
{{main|短歌}}<!--
 
世界の諸詩型の1つということで、あえて機械的に訳しています。-->
 
[[短歌]]は、「5-7-5 7-7」のパターンに構成された5つの部分から成る31の「音字」([[モーラ]]と同一の音韻単位)で作られる[[日本]]の押韻しない詩([[和歌]])の形式である。前半の「5-7-5」のフレーズ(上の句)と後半の「7-7」のフレーズ(下の句)の間(もしくは他の位置<!--一応補っておきました-->)で調子や題材に転換があるのが普通である([[句切れ]])。短歌は[[奈良時代]]には[[柿本人麻呂]]などの歌人によって詠まれて<!--written-->おり、この時期に日本は中国から借用した形式による詩が大半であった時代から抜け出し始めた。短歌は当初は日本の定型詩(倭歌)のうち短いものであり、公の主題よりも個人的な主題を探求するのに大いに用いられ、従ってより形式張らない詩語を有した。13世紀までには短歌は日本の最有力な詩型となり、今日でも広く詠まれている。日本語以外の言語で短歌を書く詩人<!--poets: 歌人とすべきか否か-->は31音の規則は無視する場合が多い。
 
 
 
[[連歌]]と呼ばれる多人数による短歌の連作も行われた。また短歌形式で風刺・皮肉・滑稽を盛り込んだものを[[狂歌]]と呼ぶ。
 
 
 
=== 俳句 ===
 
[[Image:Oku no Hosomichi- separate at Yamanaka.jpg|thumb|[[松尾芭蕉]]『[[おくのほそ道]]』のプレート]]
 
{{main|俳句}}
 
[[俳句]]は17世紀に[[俳諧]]における[[連句]]の最初の句である「[[発句]]」<!--[[:en:hokku]]があるのにjawpは[[俳句]]へのリダイレクト…情けなや-->から発展して形成された、日本の大衆的な押韻しない詩型である。俳句は「5-7-5」のパターンに構成された3つの部分から成る17音字で作られ、縦1行に書かれるのが普通である。伝統的に俳句は、通常は3つの部分のいずれかの末尾に[[俳句#切れ字|切れ字]]と呼ばれる流れを切る語が置かれ、また[[季語]]と呼ばれる季節の言葉を1つ含む。俳句の最も有名な唱道者は[[松尾芭蕉]] (1644-1694) であった。芭蕉の句とその英訳例(6-5-5の16音節となっている)<ref>{{Cite web
 
|url = http://www.worldhaikureview.org/5-1/whcj/basho_fuji.htm link
 
|title = BASHO'S HAIKU ON THE THEME OF MT. FUJI
 
|author = Etsuko Yanagibori(柳堀悦子)
 
|accessdate = 不明
 
|work = THE PERSONAL NOTEBOOK OF Etsuko Yanagibori
 
|language = 英語
 
|archiveurl = http://wkdsaijikieuropa.blogspot.com/2007/08/mount-fuji.html
 
|archivedate = 2007-08-03
 
}}</ref>:
 
:富士の風や扇にのせて江戸土産
 
:the wind of Mt. Fuji
 
:I've brought on my fan!
 
:a gift from Edo
 
五七五形式で、季語や切れ字の規則もなくより庶民的な内容を扱うものを[[川柳]]と呼ぶ。
 
 
 
=== ルバーイイ ===
 
[[ルバーイイ]]は[[アラブ世界|アラビア]]、[[ウルドゥー語|ウルドゥー]]、[[ペルシア]]、[[アゼルバイジャン]]の詩人たちに用いられる4行([[四行連]])の詩である。ペルシアの詩人[[ウマル・ハイヤーム]]はその『[[ルバイヤート]]』(「ルバーイイ集」を意味する)で高名である。ウマル・ハイヤームのルバイヤートの[[エドワード・フィッツジェラルド]]による英訳も有名であり、日本へもまずフィッツジェラルド訳からの重訳により紹介された。ハイヤームのルバイヤートから一例:<!--
 
:They say the Lion and the Lizard keep
 
:The Courts where Jamshyd gloried and drank deep:
 
:And Bahram, that great Hunter -- the Wild Ass
 
:Stamps o'er his Head, and he lies fast asleep.<ref>[[エドワード・フィッツジェラルド]]による英訳(1859)。[http://en.wikisource.org/wiki/The_Rubaiyat_of_Omar_Khayyam/First_Edition ウィキソース所収]。</ref>-->
 
{|style="text-align: left;"
 
![[ペルシア語]]原文<ref>[http://fa.wikisource.org/wiki/%D8%B1%D8%A8%D8%A7%D8%B9%DB%8C%D8%A7%D8%AA_%D8%AE%DB%8C%D8%A7%D9%85 ウィキソース所収]</ref>
 
!日本語訳<ref>[[小川亮作]]による原典訳(1949)。[http://www.aozora.gr.jp/cards/000288/card1760.html 青空文庫所収]。<!-- Lion and Lizard → 狐と鹿! --></ref>
 
|-
 
|{{rtl-lang|fa|آن قصر که جمشید در او جام گرفت}}
 
|ジャムシード<!-- 青空文庫では「バハラーム」となっていますが誤植でしょう -->が酒盃を手にした宮居は
 
|-
 
|{{rtl-lang|fa|آهو بچه کرد و شیر آرام گرفت}}
 
|狐の巣、鹿のすみかとなりはてた。
 
|-
 
|{{rtl-lang|fa|بهرام که گور می‌گرفتی همه عمر}}
 
|命のかぎり野驢を射たバハラームも、
 
|-
 
|{{rtl-lang|fa|دیدی که چگونه گور بهرام گرفت}}
 
|野驢に踏みしだかれる身とはてた。
 
|}
 
 
 
=== 時調 ===
 
{{main|時調}}
 
[[時調]]は[[朝鮮]]の詩人が用いる短い音楽詩である。およそ14-16[[音節]]から成る3行で書かれ、合計44-46音節となる。各行の中間で休止が置かれるので、英語などでは3行ではなく6行で印刷されることもある。[[尹善道]] (1587 - 1671) の作品から:
 
 
 
{|style="text-align: left;"
 
![[中期朝鮮語]]<ref>{{ko icon}}[http://www.seelotus.com/gojeon/gojeon/si-jo/oh-u-ga.htm]</ref>
 
!現代[[朝鮮語]]
 
!日本語訳
 
|-
 
|내버디 멋치나 <span style="font-family: Dotum Old Hangul, 돋움 옛한글, 은 자모 바탕, UnJamoBatang, Code2000">ᄒᆞ</span>니 수석과 송죽이라
 
|내 벗이 몇인가하니 수석과 송죽이라<!--
 
|You ask how many friends I have? Water and stone, bamboo and pine.-->
 
|僕に友達が何人いるかって? 水に石に、竹に松。
 
|-
 
|동산의 <span style="font-family: Dotum Old Hangul, 돋움 옛한글, 은 자모 바탕, UnJamoBatang, Code2000">ᄃᆞᆯ</span>오르니 긔더옥 반갑고야
 
|동산에 달오르니 그 더욱 반갑도다<!--
 
|The moon rising over the eastern hill is a joyful comrade.-->
 
|東の丘に昇る月も楽しい仲間。
 
|-
 
|두어라 이다<span style="font-family: Dotum Old Hangul, 돋움 옛한글, 은 자모 바탕, UnJamoBatang, Code2000">ᄉᆞᆺ</span>밧긔 또더<span style="font-family: Dotum Old Hangul, 돋움 옛한글, 은 자모 바탕, UnJamoBatang, Code2000">ᄒᆞ</span>야 머엇<span style="font-family: Dotum Old Hangul, 돋움 옛한글, 은 자모 바탕, UnJamoBatang, Code2000">ᄒᆞ</span>리
 
|두어라, 이 다섯 밖에 또 더해야 무엇하리<!--
 
|Besides these five companions, what other pleasure should I ask?-->
 
|この5人の仲間の他に、どんな楽しみが要るというんだい?
 
|}<!--
 
引用部分は [[:en:sijo]] 18 August 2009 at 22:32 UTC より-->
 
 
 
=== 頌歌 ===
 
[[Image:Quintus Horatius Flaccus.jpg|thumb|upright|[[ホラティウス]]]]
 
{{Main|頌歌}}
 
[[頌歌]](頌詩、オード)は[[ピンダロス]]<ref>{{Gutenberg|name=ピンダロスの現存する頌歌|10717}}:Ernest Myersによる翻訳。</ref>などの古代ギリシア詩人や[[ホラティウス]]などのラテン詩人によって作り出された。ギリシア・ローマの影響を受けた数多くの文化で頌歌の形式が見出される<ref>[[ジョン・ドライデン]]によるホラティウスの頌歌の翻訳が、英語圏でのこの形式の成立に特に影響を持った。ただしドライデンはホラティウスが行わなかった押韻を訳詩で用いている。</ref>。頌歌は通常[[ストローフィ|ストロペー]]、[[アンティストロペー]]、[[エポード]]の3つの部分から成る。アンティストロペーは類似した韻律構造と、伝統にもよるが、類似した押韻構造を持つ。対比的に、エポードは異なった配置と構造で書かれる。頌歌はフォーマルな詩語を持ち、概して厳粛な主題を取り扱う。ストロペーとアンティストロペーは主題を異なった(しばしば相反する)視点から見ており、エポードでは両視点からより高い水準へと移行し、あるいはその根底にある問題を解決する。頌歌はしばしば2組の合唱隊(または2人)で朗読もしくは詠唱されることを意図しており、一方がストロペーを、もう一方がアンティストロペーを語り、両者がエポードを語る。時代と共に、頌歌の形式と構造には相当なバリエーションが発達したが、概してピンダロスとホラティウスの頌歌の影響を残している。西洋以外で頌歌に類似したものとしてペルシアの[[カスィーダ]] ([[:en:qasida]]) がある。
 
 
 
=== ガザル ===
 
[[ガザル]]([[:en:ghazel]]; {{lang-ar|ghazal}}, {{lang-fa|ghazel}}, {{lang-tr|}}{{lang-az|gazel}}, {{lang-ur|gazal}}, {{lang-bn|gozol}}〔[[シレット管区|シレット]]方言を含む〕)はアラビア、ペルシア、[[トルコ]]、[[アゼルバイジャン]]、[[ウルドゥー語]]、[[ベンガル語]]の詩で共通して用いられている形式である。古典的な形式では、ガザルは2行目の終わりに共通の[[リフレイン形式|リフレイン]]を持つ押韻した5から15の二行連で構成される。このリフレインは1音節もしくは複数の音節から成り、その直前で押韻する<!--リフレインは同じ語句なのでその前で押韻するということ-->。各行は同一のメーターを持つ。二行連はそれぞれが完結した思考を持ち独立しており、ガザル全体が「叶わぬ愛」や神性などの主題を試案する形になっていることが多い。最後の二行連に作者の署名が書かれるのが普通である。
 
 
 
多くの言語で長い歴史を持つ他の詩型と同様に、ガザルにもさまざまな変種が形成され、その中には[[ウルドゥー語]]のほとんど音楽にも等しい詩語を持つ形式も含まれる。ガザルは伝統的に[[スーフィズム]]との親和性があり、数多くのスーフィズム宗教の作品がガザル形式で書かれた。比較的規則正しいメーターとリフレインの使用は呪術的な効果を生み出し、これがスーフィズムの秘教的な主題を良く補完している。この形式の達人としては、13世紀ペルシアの[[コンヤ]](現在の[[トルコ]])の詩人であった[[ジャラール・ウッディーン・ルーミー]]がいる。
 
 
 
=== アクロスティック ===
 
[[Image:Ichthus-acrostic.jpg|thumb|{{Polytonic|ΙΧΘΥΣ}} と彫られた石]]
 
{{Main|折句}}
 
アクロスティック(後期ギリシア語 akrostichon &lt; akros「先頭」 + stichos「詩行」)、「[[折句]]」はアルファベットなどで書かれた詩やその他の書き物で、各行/段落/その他の反復構造の最初の文字/音節/単語を合わせると別のメッセージとなるものである。この窮屈な形式は、想起を簡単にするための記憶術として使われたものであるのかもしれない。有名なアクロスティックとして、ギリシア語での神を称える文句 {{Polytonic|Ιησούς Χριστός, Θεού Υιός, Σωτήρ}}「イエス・キリスト、神の子、救世主」がある。最初の文字を綴り合わせると {{Polytonic|ΙΧΘΥΣ}} となり、これはギリシア語で「魚」を意味した。よって、初期のキリスト教徒は頻繁に魚を用い、今日でも[[イエス・キリスト]]のシンボルとなっている<ref>{{cite web
 
|url = http://www.answers.com/topic/acrostic
 
|title = Acrostic
 
|publisher = [[Answers.com]]
 
|accessdate = 2009-12-08
 
}}</ref>。<!--
 
もうちょっと詩らしい例がいいのでは-->
 
 
 
日本の[[折句]]としては「かきつばた」を折り込んだ[[伊勢物語]]の和歌「'''か'''らころも '''き'''つつなれにし '''つ'''ましあれば '''は'''るばるきぬる '''た'''びをしぞおもふ」が高名である。今日では「[[縦読み]]」としても親しまれている。
 
 
 
=== カンツォーネ ===
 
{{Main|カンツォーネ}}
 
[[イタリア語]]で文字通り「歌」を意味する[[カンツォーネ]](複数形カンツォーニ)はイタリアもしくは[[プロヴァンス]]の歌・[[バラッド]]である。[[マドリガーレ|マドリガル]]に類似した歌曲のタイプを指して使われることもある。シンプルでメロディアスな曲も、特にイタリア人以外によるものの場合カンツォーネと呼ばれる場合がある。[[ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト|モーツァルト]]『[[フィガロの結婚]]』の[[アリア]]「[[恋とはどんなものか|恋とはどんなものかしら]]」が典型的な例の1つである。
 
 
 
カンツォーネは(曲に合わせ)5-7スタンザで構成され、最初のスタンザの押韻構成と行数(通常7-20行)を引き継ぐ。典型的には各行は11音節である。<!--この1行、[[:en:canzone]] 20 August 2009 at 17:05 UTC より-->
 
 
 
=== 四行連詩 ===
 
{{Main|四行連}}
 
四行で構成される[[スタンザ]]形式の詩で「aabb」「abab」「abba」「abcb」などの押韻構成でなる。ヨーロッパの詩の中で最も一般的なスタンザ形式である。
 
 
 
=== リメリック ===
 
{{Main|リメリック}}
 
「a-a-b-b-a」の押韻構成の厳格な形式をもつ五行詩で滑稽五行詩、五行戯詩とも呼ばれる。リメリックという名前はアイルランドのリムリック州から由来している。イギリスでは[[エドワード・リア]]によって広まった。
 
 
 
=== シンケイン ===
 
{{Main|シンケイン}}
 
[[:en:cinquain|cinquain]]([[シンケイン]] &lt; {{lang-fr|cinq}} 「5」)は[[アメリカ合衆国]]の詩人[[アデレイド・クラプシー]]が考案した詩型を特に指す。クラプシーの歿した翌年の1915年に刊行された全詩集に収められたのがその最初の例である。シンケインは日本の俳句と短歌にその発想を得ていた。
 
 
 
=== 五行連詩 ===
 
{{Main|五行連|五行詩|五行歌}}
 
[[五行連]]詩 ([[:en:quintain (poetry)|quintain]], [[:fr:quintil|quintil]]) は5行から成るパターンを用いた詩全般を指す用語であるが、その中でも特有の規則とガイドラインによって定義される特別な詩型が存在する。他に、現代日本では「5行で書く」ことのみを規制とした[[五行詩]]や[[五行歌]]という詩型もある。
 
 
 
=== その他の形式 ===
 
{{see also|Category:詩形}}
 
[[Image:Anagram.jpg|thumb|300px|[[ジョージ・ハーバート]]『アナグラム』(1633)。写植を活用した具体詩。]]<!--
 
現代のもの、国際化していないものなどを列記したアバウトな節のようです。-->
 
以上の他にも無数の詩の形式が存在する:
 
*[[ミンネザング]] - 12-14世紀ドイツの恋愛詩。<!--
 
*[[ムラッバ]] ([[:en:Murabba]]) -->
 
*[[パストゥレイユ]] - 女羊飼いの恋愛を扱う[[トルバドゥール]]の詩型。
 
*[[:en:Stev]] - [[スカンジナビア]]の抒情詩の形式。
 
*[[ヨイク]] (Yoik) - [[サーミ人]]の伝統的な歌。
 
*[[琉歌]] - 八八八六を基本形とする[[琉球諸島]]の定型詩。
 
*[[クローン詩形 (klon)]]、[[クローン詩形 (khlong)]] - タイの定型詩。[[詩形 (タイ文学)]]を参照。
 
*[[フォークソング]] - 口承による音楽的な詩の[[伝承]](を本来は指した)。
 
*[[:en:Carmen figuratum|en:Carmina figurata]] - 普通に書かれた詩の外形が何らかの物の形になっている詩。文字を直接的に配置したものは[[カリグラム]]。
 
*[[具体詩]] ([[:en:Concrete poetry]]) - 語の配置、活字、色その他の視覚的効果を、使用されている語の意味を補いもしくは脚色するのに用いる詩。
 
*[[ポエトリー・スラム]] ([[:en:Poetry slam]]) - [[スポークン・ワード]]詩の現代形で、独特の発表形式(朗読合戦)としばしば関連付けられる。日本では「[[詩のボクシング]]」が知られている。
 
*[[ダブ・ポエトリー]] - [[ダブ]]や[[レゲエ]]のリズムに合わせて朗詠される朗読詩の一種。ダブ・ポエトリーを行う詩人のことをダブ・ポエットといい、[[リントン・クエシ・ジョンソン]]らが著名。
 
*[[定型詩]] - 定型を持つ詩の総称。
 
*[[自由詩]] - 従来的なメーターに代わり、リズム的なケイデンスや反復、フレーズ、イメージ、文法的パターンなどに基づいた詩。
 
 
 
=== 近現代日本の詩の分類 ===
 
[[Image:Hagiwara_Sakutaro.jpg|thumb|upright|[[萩原朔太郎]]。『[[月に吠える (萩原朔太郎の詩集)|月に吠える]]』(1917)は口語自由詩の可能性を大きく拡げた。]]
 
{{see also|日本の近現代文学史}}<!--いっても詩形式への考察はないですが-->
 
明治15年の『[[新体詩抄]]』に始まる明治時代の[[新体詩]]は、日本古来の[[文語]]と[[七五調]]によって西洋詩 (poetry) を再現しようと試み<ref>{{Cite book|和書
 
|author = 外山正一、井上哲次郎、谷田部良吉
 
|title = 新体詩抄
 
|date = 1882-08
 
|quote = 而シテ之ヲ詩ト云フハ、泰西ノ「ポエトリー」ト云フ語即チ歌ト詩トヲ総称スルノ名ニ当ツルノミ……而シテ此書ニ載スル所モ亦七五ナリ、七五ハ七五ト雖モ、古ノ法則ニ拘ハル者ニアラス、且ツ夫レ此外種々ノ新体ヲ求メント欲ス、故ニ之ヲ新体ト称スルナリ
 
|url = http://www.j-texts.com/meiji/shintai.html
 
|accessdate = 2009-12-08
 
}}</ref>、同じ明治期のうちに[[言文一致]]運動によりその否定を迎える。このため文語を用いるか否かで[[文語詩]]と[[口語詩]]<!--日本語でしか意味を持ちません-->、七五調などの音数律を用いるか否かで[[定型詩]]と[[自由詩]]を区別し<!--七五調の他に定型らしい定型がなかった-->、その組み合わせで「文語定型詩」「文語自由詩」「口語定型詩」「口語自由詩」(行分け詩)の分類が行われる<ref>[[福永武彦]]ら[[マチネ・ポエティク]]の詩人たちによる[[ソネット]]などの押韻定型詩の試みも存在した。</ref>。また明治以降の、従来の[[和歌]]・[[俳句]]・[[漢詩]]などではない西洋式の詩を[[近代詩]](新体詩を含む場合と含まない場合がある<ref>{{Cite book|和書
 
|editor = 財団法人[[新村出]]記念財団
 
|title = [[広辞苑]]
 
|edition = 第5版
 
|date = 1998-11
 
|isbn = 4-00-080111-2
 
|publisher = [[岩波書店]]
 
|quote = 広義には新体詩を含み、狭義には文語自由詩以後を指す。
 
}}</ref>)、戦後のそれを[[現代詩]]と呼ぶ。短歌や俳句で音数律に従わないものは自由詩ではなく[[自由律]]と呼ばれる。
 
 
 
== ジャンル ==
 
個々の形式に加え、詩はさまざまな[[ジャンル]]やサブジャンルによって捉えられることも多い。
 
詩のジャンルは概して、主題、スタイル、その他のより広範な文学的特徴に基づく詩の伝統もしくは分類である<ref>ジャンル理論に関する総合的な議論については、Daniel Chandler's ''[Introduction to Genre Theory[http://www.aber.ac.uk/media/Documents/intgenre/intgenre.html]''も参照。</ref>。ジャンルを文学の自然な形式であると見做す批評家もいる<ref>一例として[[:en:Northrop Frye|Northrop Frye]]. ''[[:en:Anatomy of Criticism|Anatomy of Criticism]]''. Princeton, New Jersey: Princeton University Press, (1957)([[ノースロップ・フライ]]『[[批評の解剖]]』)を見よ。</ref>。またジャンルを、異なった作品がいかに他の作品と関連し言及するかの研究であると見做す批評家もいる<ref>[[ジャック・デリダ|Jacques Derrida]], Beverly Bie Brahic (Trans.). ''Geneses, Genealogies, Genres, And Genius: The Secrets of the Archive''. New York, New York: Columbia University Press(2006), ISBN 0231139780.</ref>。
 
 
[[叙事詩]]は広く認められるジャンルの1つであり、その時代の文化にとって英雄的もしくは重要な性質の出来事に関する長大な詩としてしばしば定義される<ref>{{cite book
 
|last = Hatto
 
|first = A. T.
 
|title = Traditions of Heroic and Epic Poetry
 
|edition = Vol. I: The Traditions
 
|publisher = Maney Publishing
 
}}</ref>。[[抒情詩]]も広く認められるジャンルであり、短く、美しい調子を持ち、観照的な傾向を持つ。批評家によってはより細かいサブジャンルへと詩を分類し、個々の詩は数多くの異なったジャンルに同時に属すると見做されもする<ref>シェイクスピアは『[[ハムレット]]』においてそのような分析を戯画化し、ジャンルが「悲劇詩、喜劇詩、歴史詩、田園詩、田園喜劇詩、歴史田園詩、悲劇歴史詩、悲劇喜劇歴史田園詩…」から成っていると書いた。</ref>。多くの場合、共通する伝統の結果として、詩のジャンルは文化を超えて同じ特性を見せる。
 
 
 
以下に一般的なジャンルをいくつか記述するが、ジャンルの分類、その特質の記述、そして詩をジャンルに分類しようとする理由そのものすらもさまざまな形を取りうる。
 
 
 
=== 物語詩 ===
 
[[Image:Chaucer_Hoccleve.png|thumb|[[ジェフリー・チョーサー]]]]
 
{{Main|物語詩}}
 
[[物語詩]]は[[物語]]を語る詩のジャンルである<!--日本語にするとみっともない文に…-->。広義には[[叙事詩]]も物語詩に含まれるが、「物語詩」という用語はより小さな、概してより人間的興味に訴えるような作品に用いられることが多い。
 
 
 
物語詩は最も古い詩の種類であったかもしれない。多くの[[ホメーロス|ホメロス]]研究者は、『[[イーリアス]]』と『[[オデュッセイア]]』が一晩の娯楽により適している個別のエピソードに関する短い物語詩の編集([[コンピレーション]])により構成されたものであると結論している。多くの物語詩――[[スコットランド人]]や[[イングランド人]]の[[バラッド]]や[[スラヴ人]]の英雄詩など――は文字使用以前の[[口承]]に起源を持つ実演詩 ([[:en:performance poetry]]) である。メーター、[[頭韻法]]、[[ケニング]]などの詩を散文と区別する要素のいくつかはかつて伝統的な物語を暗唱する[[吟遊詩人]]たちの[[記憶術]]として機能していたのではないかと推測されている。
 
 
 
主要な物語詩人としては、[[オウィディウス]]、[[ダンテ・アリギエーリ]]、[[ファン・ルイス]]、[[ジェフリー・チョーサー]]、[[ウィリアム・ラングランド]]、[[ルイス・デ・カモンイス]]、[[ウィリアム・シェイクスピア]]、[[アレキサンダー・ポープ]]、[[ロバート・バーンズ]]、[[フェルナンド・デ・ロハス]]、[[アダム・ミツキェヴィチ]]、[[アレクサンドル・プーシキン]]、[[エドガー・アラン・ポー]]、[[アルフレッド・テニスン]]などがいる。
 
 
 
=== 叙事詩 ===<!--
 
[[Image:Akhilleus Patroklos Antikensammlung Berlin F2278.jpg|thumb|『[[イーリアス]]』、[[パトロクロス]]を介抱する[[アキレウス]](BC500頃)]]-->
 
[[Image:Battle at Lanka, Ramayana, Udaipur, 1649-53.jpg|thumb|『[[ラーマーヤナ]]』よりランカの戦争。[[サヒブディン]]画(1649-53)]]
 
{{Main|叙事詩}}
 
[[叙事詩]]は詩のジャンルの1つであり、また[[物語]]文学の主要な形式の1つでもある。叙事詩は持続的な語りにより[[英雄]]的もしくは[[神話]]的な人物(たち)の生涯と業績を物語る。
 
 
 
叙事詩の例として、[[ホメーロス|ホメロス]]の『[[イーリアス]]』と『[[オデュッセイア]]』、[[ウェルギリウス]]『[[アエネーイス]]』、『[[ローランの歌]]』、『[[ニーベルンゲンの歌]]』、[[ルイス・デ・カモンイス]]『[[ウズ・ルジアダス]]』、『[[わがシッドの歌]]』、『[[ギルガメシュ叙事詩]]』、『[[マハーバーラタ]]』、[[ヴァルミキ]] ([[:en:Valmiki]])『[[ラーマーヤナ]]』、[[フェルドウスィー]]『[[シャー・ナーメ]]』、[[ニザーミー]]『[[ハムセ]]』(「五部作」)、チベットの叙事詩『[[リン・ケサル大王伝]]』<!--[[Epic of King Gesar]]-->、[[アイヌ]]の[[ユーカラ]]などがある。
 
 
 
西洋では20世紀初頭以降は[[叙事詩]]や[[長詩]]全般があまり書かれなくなったが、それでも若干の重要な叙事詩は書かれ続けている。[[デレック・ウォルコット]]はその叙事詩『[[オメロス]]』に主により[[ノーベル文学賞]]を受賞した<ref>{{cite web
 
|url = http://nobelprize.org/nobel_prizes/literature/laureates/1992/press.html
 
|title = The Nobel Prize in Literature 1992
 
|author = [[スウェーデン・アカデミー]]
 
|publisher = Nobelprize.org
 
|accessdate = 2009-12-17
 
}}</ref>。
 
 
 
=== 劇詩 ===<!--
 
[[Image:Johann Wolfgang von Goethe (Josef Stieler).jpg|thumb|upright|[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテ]]]]-->
 
[[Image:Faust, Gretchen und Mephisto vor dem Dom.jpg|thumb|upright|[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテ]]『[[ファウスト]]』、ファウストとグレートヒェン]]
 
{{Main|劇詩|ギリシア悲劇|戯曲 (中国)|能}}<!--see also?-->
 
[[劇詩]]は語りもしくは歌われるよう書かれた韻文の[[演劇]]である。多くの文化にさまざまな、また場合によっては類似した形式で存在する。韻文劇はサンスクリットやギリシアの叙事詩のような初期の口誦叙事詩から発達したものであるかもしれない<ref>A. Berriedale Keith, ''Sanskrit Drama, Motilal Banarsidass Publ (1998).</ref>。
 
 
 
韻文による[[ギリシア悲劇]]は紀元前6世紀に遡り、サンスクリット劇の発達に影響を与えた可能性がある<ref>A. Berriedale Keith at 57-58.</ref>。同様にインドの演劇は中国の[[戯曲 (中国)|戯曲]]の先触れとなった「変文」([[:zh:變文]])の韻文劇の発達に影響を与えた可能性がある<ref>William Dolby, "Early Chinese Plays and Theatre," in Colin Mackerras, ''Chinese Theatre'', University of Hawaii Press, 1983, p. 17.</ref>。[[東アジア]]の韻文劇には日本の[[能]]([[謡曲]])もある。
 
 
 
ペルシア文学の劇詩には、[[ニザーミー]]の著名な劇作品『[[ライラとマジュヌーン]]』『[[ホスローとシーリーン]]』<ref>{{Cite book|和書
 
|author = [[ニザーミー]]
 
|translator = [[岡田恵美子]]
 
|year = 1981
 
|title = [[ライラとマジュヌーン]]
 
|publisher = [[平凡社]]
 
|work = [[東洋文庫 (平凡社)|東洋文庫]]
 
|isbn = 4-582-80394-6
 
}}</ref><ref>{{Cite book|和書
 
|author = [[ニザーミー]]
 
|translator = [[岡田恵美子]]
 
|year = 1977
 
|title = [[ホスローとシーリーン]]
 
|publisher = [[平凡社]]
 
|work = [[東洋文庫 (平凡社)|東洋文庫]]
 
|isbn = 4-582-80310-5
 
}}</ref>、[[フェルドウスィー]]の『[[ロスタムとソラブ]]』などの悲劇、[[ジャラール・ウッディーン・ルーミー]]の『[[マスナヴィー]]』、[[アサド・グルガニー]]の悲劇『[[ヴィスとラミン]]』<ref>Dick Davis (January 6, 2005), "Vis o Rāmin," in ''Encyclopaedia Iranica'' Online Edition. Accessed on April 25, 2008.</ref>、[[:en:Vahshi Bafqi|Vahshi Bafqi]]の悲劇『Farhad』などがある。
 
 
 
西洋では伝統的に[[悲劇]]と[[喜劇]]を二大分野としてきた。韻文による悲劇では[[ギリシア悲劇]]の三大悲劇詩人([[アイスキュロス]]、[[ソポクレス]]、[[エウリピデス]])、後世の[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]、[[ジャン・ラシーヌ]]などがいる。喜劇では[[アリストパネス]]や[[モリエール]]などが代表的であるが、「喜劇」は必ずしも滑稽さを前提とはせず、[[ダンテ・アリギエーリ|ダンテ]]の『[[神曲]]』(La Divina Commedia) なども分類上は喜劇となる。[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ|ゲーテ]]『[[ファウスト]]』のようにどちらにも分類されない劇詩も多い。今日では戯曲が韻文で書かれることは稀である。<!--jawp補足-->
 
 
 
=== 風刺詩 ===
 
[[Image:Jacob Huysmans - Portrait of John Wilmot, 2nd Earl of Rochester 1.jpg|thumb|upright|[[ジョン・ウィルモット (第2代ロチェスター伯)|ジョン・ウィルモット]]]]
 
詩は[[風刺]]の強力な媒体にもなりうる。韻文で表された侮辱の一撃は、散文で言われもしくは書かれたものより格段に強力かつ記憶に残りやすいものになりうる。[[古代ローマ]]人は風刺詩の強い伝統を有しており、しばしば政治的な目的で書かれた。有名な例としては詩人[[ユウェナリス]]の風刺詩があり、その侮辱は社会のあらゆる範囲を刺した。
 
[[Image:Manuel Maria Barbosa du Bocage.jpg|thumb|left|upright|[[マヌエル・マリア・バルボサ・ド・ボカージェ]]]]
 
イギリスの風刺の伝統にも同じことが言える。当時の加熱した政治状況に巻き込まれ、かつての友人であった[[ホイッグ党 (イギリス)|ホイッグ党]]の[[トマス・シャドウェル]]に風刺された[[トーリー党 (イギリス)|トーリー党]]の[[ジョン・ドライデン]](最初の[[桂冠詩人]])は、1682年に『[[マクフレクノー]]』、副題「真の保守[[プロテスタント]]詩人T.S.の風刺」という、英語で書かれた息の長い罵詈雑言作品としては最も偉大なものの1つを著した。この中で、当時既に故人であった実に凡庸な詩人[[リチャード・フレクノー]]は「絶対的ナンセンスの全ての領域の」支配者として「統治し、ウィットに対する永遠の戦争を遂行する」べく誰を自身の後継者にすべきか熟考していると描かれた<!--ウィットをこの世から消滅させるほど凡庸だってことですかね-->。
 
 
 
[[ジョン・ウィルモット (第2代ロチェスター伯)|第2代ロチェスター伯のジョン・ウィルモット]]もまた17世紀イギリスの風刺詩の名手であり、『人類に対する風刺』(1675) や『[[チャールズ2世 (イングランド王)|チャールズ2世]]の風刺』などの容赦ない風刺で知られた。[[アレキサンダー・ポープ]]も風刺詩で知られ、『[[批評論]]』(1709) において批評家たちをたしなめたのは有名である。ドライデンとポープは[[叙事詩]]の書き手であったので、その風刺のスタイルも叙事詩的なものであった。とはいえ、風刺詩にはこれといった決まった形式はない。
 
 
 
イギリス以外での偉大な風刺詩人としては[[ポーランド]]の[[イグナツィ・クラシツキ]] ([[:en:Ignacy Krasicki]])、[[アゼルバイジャン]]の[[サビール]]、[[ポルトガル]]の[[マヌエル・マリア・バルボサ・ド・ボカージェ]]などが挙げられる。<!--ややイギリス中心的?-->
 
 
 
日本でも平安時代より諷意を含む[[狂歌]]が書かれ、[[匿名]]で狂歌を掲示して政治批判などを行う「[[落首]]」の慣行があった。一例として[[寛政の改革]]を諷した「白河の清きに魚のすみかねて もとの濁りの田沼こひしき」が知られている。現代でも風刺的な[[川柳]]が広く詠まれている。<!--jawp-->
 
 
 
=== 抒情詩 ===
 
[[Image:Christine de Pisan - Project Gutenberg eBook 12254.jpg|thumb|[[クリスティーヌ・ド・ピザン]]]]
 
{{Main|抒情詩}}
 
[[抒情詩]](叙情詩)は[[叙事詩]]や[[劇詩]]のように物語を語ろうとするのではない、より個人的な性質のジャンルである。[[キャラクター|人物]]とその行動を描写するよりも、詩人自身の[[感情]]や精神状態や[[知覚]]を表現する。西洋の抒情詩({{lang-en-short|lyric poetry}}, {{lang-fr-short|poésie lyrique}})は[[ライアー|リラ]] (lyre) を語源とし、歌うものであるという含意があるが、実際の抒情詩には純粋に読まれることを前提としたものも多い。日本の[[和歌]]は文字通り「歌」であり、その多くが抒情詩(もしくは風景のみを詠う[[叙景詩]])であった。<!--jawp: 行き場のない「叙景詩」をとりあえずここに押し込みました-->
 
 
 
抒情詩は古くから愛を主題とするものとして知られてきたが<!--XXX: Though lyric poetry has long celebrated love,-->、多くの[[宮廷風恋愛]]([[ミンネ]])詩人たちはまた戦争と平和、自然と郷愁、悲しみと喪失などを扱う抒情詩も書いた。中でも15世紀フランスの抒情詩人[[クリスティーヌ・ド・ピザン]]と[[シャルル・ド・ヴァロワ (オルレアン公)|シャルル・ド・ヴァロワ]]が高名である。[[スピリチュアリティ|霊性]]や[[宗教]]的な主題も[[十字架のヨハネ]]や[[アビラのテレサ]]のような[[神秘主義]]抒情詩人によって歌われた。霊的な経験に基づく抒情詩の伝統は後の[[ジョン・ダン]]、[[ジェラード・マンリ・ホプキンス]]、[[アントニオ・マチャード]]、[[T・S・エリオット]]といった詩人たちにも受け継がれている。
 
 
 
西洋の抒情詩で最も一般的な形式は14行のソネットであり、[[ペトラルカ]]や[[ウィリアム・シェイクスピア|シェイクスピア]]なども実践したが、その他にも抒情詩には途方に暮れるほどさまざまな形式が見られ、押韻しないものも20世紀以降増加している。作者自身の感情や考えを入り組んだ形で<!--intricately-->取り扱う抒情詩は詩の中で最も一般的なジャンルとなっている。
 
 
 
明確な形を持たない、より自由なスタイルを取る者もいる。たとえば[[ラップ]]の歌詞は、ビートを伴う詩であると考えられることもある。
 
 
 
=== エレジー ===<!--
 
[[Image:Gray0004.jpg|thumb|[[トマス・グレイ]]]]-->
 
[[Image:William-Adolphe Bouguereau (1825-1905) - Elegy (1899).jpg|thumb|upright|[[ウィリアム・アドルフ・ブグロー]]『エレジー』(1899)]]
 
{{Listen|filename=Faure - Elegie.ogg|title=ガブリエル・フォーレ『エレジー』(1880)|help=no}}<!--
 
[[File:Fauré's Elegy.ogg|right|[[ガブリエル・フォーレ]]『エレジー』(1880)]]-->
 
{{Main|エレジー}}
 
[[エレジー]](哀歌、挽歌、悲歌)は悲しげな、憂鬱もしくは哀調を帯びた詩であり、特に死者のための哀悼詩([[ラメント]])または[[葬儀]]のための歌を指す。死者を悼む詩は普遍的なものであるが、エレジー ({{lang-en-short|elegy}}, {{lang-fr-short|élégie}}) という語は元来はエレゲイア体というメーターの種類を指すもので、一般に[[喪]]の詩を表現する。また作者にとって不思議もしくは神秘的と見えるものを表すこともある。[[死]]や、より一般的に[[悲しみ]]や、神秘的な何かを表したものとしてのエレジーは、抒情詩の一種として捉えることも可能である。古代の歌われる詩の伝統に遡る関連性から<!--In a related sense that harks back to ancient poetic traditions of sung poetry,-->、「エレジー」はまた、悲しくもしくは陰鬱な性質であるのが普通のある種の音楽作品のタイプも指しうる。
 
 
 
エレジーは古代から書き続けられている。主要な作者としては
 
[[セクストゥス・プロペルティウス]]<!--(生没:紀元前50-15)-->、[[ホルヘ・マンリケ]]<!--(1476)-->、[[ヤン・コハノフスキ]]<!--(1580)-->、[[チディオック・ティッチボーン]]<!--(1586)-->、[[エドマンド・スペンサー]]<!--(1595)-->、[[ベン・ジョンソン (詩人)|ベン・ジョンソン]]<!--(1616)-->、[[ジョン・ミルトン]]<!--(1637)-->、[[トマス・グレイ]]<!--(1750)-->、[[シャーロット・ターナー・スミス]]<!--(1784)-->、[[ウィリアム・カレン・ブライアント]]<!--(1817)-->、[[パーシー・ビッシュ・シェリー]]<!--(1821)-->、[[ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ]]<!--(1823)-->、[[イフゲニー・バラトゥインスキー]]<!--(1837)-->、[[アルフレッド・テニスン]]<!--(1849)-->、[[ウォルト・ホイットマン]]<!--(1865)-->、[[ルイ・ガレ]]<!--(生没:1835-98)-->、[[アントニオ・マチャード]]<!--(1903)-->、[[フアン・ラモン・ヒメネス]]<!--(1914)-->、[[ウィリアム・バトラー・イェイツ]]<!--(1916)-->、[[ライナー・マリア・リルケ]]<!--(1922)-->、[[ヴァージニア・ウルフ]]<!--(1927)-->、[[フェデリコ・ガルシーア・ロルカ]]<!--(1935)-->、[[カマウ・ブラスウェイト]]<!--(生没:1930-)-->などがいる。<!--
 
[[エレジー]]に同じリストの作品名付きのものがあります。[[:en:Elegy]]のリストから作品名を省いたものらしいので謎の年号が付いてます。-->
 
 
 
「[[挽歌]]」という語は中国で棺車を挽く時に歌われた歌を指した。日本では『[[万葉集|萬葉集]]』(8世紀頃)の3つの部立て([[雑歌]]・[[相聞]]歌・挽歌)のうちの1つとなり、[[柿本人麻呂]]による皇族の死に際しての多数の儀礼的な挽歌と、妻の死に際しての悲痛な挽歌の双方が収められている<ref>{{cite journal
 
|title = 挽歌の中の人麻呂
 
|journal = 日本文學誌要
 
|year = 1987
 
|month = 7
 
|author = 松本洋子
 
|volume =
 
|issue =
 
|pages = 13 - 34
 
|issn = 02877872
 
|id =
 
|url = http://ci.nii.ac.jp/lognavi?name=nels&lang=jp&type=pdf&id=ART0000583727
 
|format = pdf
 
|accessdate = 2010-01-02
 
}}</ref>。『[[古今和歌集]]』以降では「哀傷歌」として多くの歌人により詠まれ続けた。
 
 
 
=== 寓話詩 ===<!--
 
[[Image:Ignacy Krasicki.JPG|thumb|upright|[[イグナツィ・クラシツキ]]]]
 
[[Image:Les Grenouilles qui Demandent un Roi.jpg|thumb|upright|[[ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ|ラ・フォンテーヌ]]「王様を欲しがった蛙達」。[[ギュスターヴ・ドレ]]画]] ドレ2枚目-->
 
[[Image:The Tortoise and the Hare - Project Gutenberg etext 19994.jpg|thumb|upright|[[イソップ寓話]]より「[[ウサギとカメ]]」。[[ミロ・ウィンター]]画]]
 
{{Main|寓話}}
 
寓話は古代からある、ほぼどこにでも見られる文学ジャンルであり、(常にではないが)しばしば韻文で表現される。[[擬人観|人間化]]された動物・植物・無生物・自然の力などを登場させ[[道徳]]的な教訓を説明する簡潔な物語である。寓話詩はさまざまなメーターと押韻構成を用いてきた。例えば[[イグナツィ・クラシツキ]]は『寓話とたとえ話』を13音節から成る押韻した二行連で書いた。
 
 
 
重要な寓話詩人には[[アイソーポス]](イソップ)(BC6世紀中葉)、[[ヴィシュヌ・シャルマ]](BC2世紀頃)、[[パイドロス]] (BC15-AD50)、[[マリー・ド・フランス (詩人)|マリー・ド・フランス]](12世紀)、[[ロバート・ヘンリスン]](1470-1500頃活躍)、[[:en:Biernat of Lublin]] (1465?-1529?)、[[ジャン・ド・ラ・フォンテーヌ]](1621-95)、{{仮リンク|イグナツィ・クラシツキ|pl|Ignacy_Krasicki}}(1735-1801)、[[フェリックス・マリア・デ・サマニエゴ]] (1745-1801)、[[トマス・デ・イリアルテ]] (1750-1791)、[[イヴァン・クルィロフ]](1769-1844)、[[アンブローズ・ビアス]] (1842-1914) などがいる。イソップの訳者や継承者は全てこの半ば伝説的な寓話作家に借りがある。
 
 
 
寓話詩の一例として、イグナツィ・クラシツキ『寓話とたとえ話』(1779)から「仔羊と狼たち」を挙げる。
 
 
 
{|style="text-align: left;"
 
![[ポーランド語]]原詩<ref>[http://pl.wikisource.org/wiki/Jagni%C4%99_i_wilcy ウィキソース原文]</ref>
 
!日本語訳
 
|-
 
|Zawżdy znajdzie przyczynę, kto zdobyczy pragnie.
 
|必要となればいつだって攻撃には大義が見付かるもの。<!--逐語訳: 「略奪品を望む者、いつ何時も事由を見出す」-->
 
|-
 
|Dwóch wilków jedno w lesie nadybali jagnię;
 
|うろつく二人の狼が森で仔羊を追い詰めて
 
|-
 
|Już go mieli rozerwać; rzekło: "Jakim prawem?"
 
|飛びかかろうとするところ。仔羊は問うた「一体なんの権利があって?」
 
|-
 
|"Smacznyś, słaby i w lesie!" — Zjedli niezabawem.
 
|「お前は旨そうだし、弱いし、森にいたから。」――狼たち難なく羊を平らげた。
 
|}<!--
 
下手な重訳で味もそっけもなくなってしまいましたが、背景に当時のポーランド情勢もあるようです。-->
 
 
 
=== 散文詩 ===
 
[[Image:Gustave Courbet 033.jpg|thumb|[[シャルル・ボードレール]]。[[ギュスターヴ・クールベ]]画]]
 
{{listen|filename=Aloysius Bertrand - Gaspard de la nuit, Pièces détachées, 02 L'ange et la fée.ogg|title=散文詩の朗読|description=[[アロイジウス・ベルトラン]]『[[夜のガスパール]]』より「天使と妖精」([http://fr.wikisource.org/wiki/L%E2%80%99Ange_et_la_F%C3%A9e →テクスト])|help=no}}
 
{{Main|散文詩}}<!--
 
散文詩って形式じゃなくてこっちなんですね…-->
 
 
 
[[散文詩]]は[[散文]]と詩の両方の性質を見せる異種交配的なジャンルである。超短篇小説([[ショートショート]]、フラッシュフィクション〔[[:en:flash fiction]]〕)や[[随筆]]との区別が困難な場合もある。簡潔さ、[[隠喩]]の使用、言語への格別な注意などの理由から詩と見做される。
 
 
 
早期の散文の中にも現代の読者に詩的な印象を与えるものがあるが、一般的には散文詩は[[アロイジウス・ベルトラン]]、[[シャルル・ボードレール]]、[[アルチュール・ランボー]]、[[ステファヌ・マラルメ]]などの([[象徴主義|象徴派]])詩人の実践により19世紀フランスで起こったものと考えられている。
 
 
 
その後、このジャンルには数多くの言語で注目に値する例が現れた:
 
*[[英語]]:[[オスカー・ワイルド]]、[[T・S・エリオット]]、[[ガートルード・スタイン]]、[[シャーウッド・アンダーソン]]、[[アレン・ギンズバーグ]]、<!--[[ジャンニナ・ブラスキ]]、:重出のためこちらをCO-->[[シェイマス・ヒーニー]]、[[ラッセル・エドソン]]、[[ロバート・ブライ]]、[[チャールズ・シミック]]、[[ジョゼフ・コンラッド]]
 
[[Image:Cortázar.jpg|thumb|100px|[[フリオ・コルタサル]]]]<!--
 
[[Image:MichaelMadhusudanDatta.jpg|right|thumb|100px|[[マイケル・マドゥスダン・ダット]]]]-->
 
*[[フランス語]]:[[マックス・ジャコブ]]、[[アンリ・ミショー]]、[[フランシス・ポンジュ]]、[[ジャン・タルデュー]]、[[ジャン=ピエール・ヴァロットン]]
 
*(現代)[[ギリシア語]]:[[アンドレアス・エンビリコス]]、[[ニコス・エンゴノプロス]]
 
*[[イタリア語]]:[[エウジェーニオ・モンターレ]]、[[サルヴァトーレ・クァジモド]]、[[ジュゼッペ・ウンガレッティ]]、[[ウンベルト・サバ]]
 
*[[ポーランド語]]:[[ボレスワフ・プルス]]、[[ズビグニェフ・ヘルベルト]]
 
*[[ポルトガル語]]:[[フェルナンド・ペソア]]、[[:en:Mário Cesariny de Vasconcelos|Mário Cesariny de Vasconcelos]]、[[:en:Mário de Sá-Carneiro|Mário de Sá-Carneiro]]、[[ウォルター・ソロン]]、[[エウジェニオ・デ・アンドラーデ]]、[[アル・ベルト]]、[[アレクサンドル・オニール]]、[[ジョゼ・サラマーゴ]]、[[アントニオ・ロボ・アントゥーネス]]
 
*[[ロシア語]]:[[イワン・ツルゲーネフ]]、[[レジーナ・デリエヴァ]]、[[アナトリー・クドリャヴィツキー]](俳人としても知られる)
 
*[[スペイン語]]:[[オクタビオ・パス]]、[[ジャンニナ・ブラスキ]](西語・英語・[[スパングリッシュ]]で詩作している)、[[アンヘル・クレスポ]]、[[フリオ・コルタサル]]、[[ルベン・ダリオ]]、[[オリベリオ・ヒロンド]]
 
*[[スウェーデン語]]:[[トーマス・トランストロメル]]
 
*[[ベンガル語]]:[[マイケル・マドゥスダン・ダット]]、[[ラビンドラナート・タゴール]]<!--
 
*''[[Sindhi language]]'': [[Narin Shiam]]'':  [[Hari Dilgeer]] [[Tanyir Abasi]]'':  [[Saikh Ayaz]][[Mukhtiar Malik]]'':  [[Taj Joyo]]
 
[[シンド語]]:Mukhtiar Malik以外、英語版でも全て赤リンクなのでコメントアウトしておきます。必要だとは思うのですが。-->
 
*[[日本語]]:[[萩原朔太郎]]、[[三好達治]]、[[田村隆一]]、[[入沢康夫]]、[[谷川俊太郎]]<!--基準は特にないです。散文詩書いてない詩人の方が珍しいので困りました。追加修正を歓迎しますが、揉めるようなら項目ごと外します。
 
 
 
特に1980年代後半以降、散文詩の人気が高まり、散文詩を専門に扱う雑誌も複数刊行されている{{Fact|date=2009年6月}}。:要出典な上に英米だけの話のような感じがするのでコメントアウトしておきます。-->
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{reflist|2}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
{{Wikisource1911Enc|Poetry}}
 
 
 
=== 詞華集 ===<!--
 
{{main|List of poetry anthologies}}-->
 
*Margaret Ferguson, Mary Jo Salter & Jon Stallworthy (Eds). ''The Norton Anthology of Poetry''. New York, New York: W.W. Norton & Co. (4th ed, 1996), ISBN 0393968200.
 
*[[:en:Helen Gardner (critic)|Helen Gardner]] (Ed). ''[[:en:New Oxford Book of English Verse 1250-1950|New Oxford Book of English Verse 1250-1950]]''. New York, New York and London, England: [[オックスフォード大学出版局|Oxford University Press]], (1972), ISBN 0-19-812136-9.
 
*[[:en:Donald Hall|Donald Hall]] (Ed). ''[[:en:New Poets of England and America|New Poets of England and America]]. New York, New York: Meridian Press, (1957).
 
*[[:en:Philip Larkin|Philip Larkin]] (Ed). ''[[:en:The Oxford Book of Twentieth Century English Verse|The Oxford Book of Twentieth Century English Verse]]''. New York, New York and London, England: [[オックスフォード大学出版局|Oxford University Press]], (1973)
 
*[[:en:James Laughlin|James Laughlin]] (Ed). ''[[:en:New Directions Publishing|New Directions]] in Prose and Poetry'' Annuals. Norfolk, Connecticut and New York, New York: New Directions Publications (1936&ndash;1991).
 
*[[アーサー・キラークーチ|Arthur Quiller-Couch]] (Ed). ''[[:en:Oxford Book of English Verse|Oxford Book of English Verse]]''. Oxford University Press,  (1900).
 
*[[ウィリアム・バトラー・イェイツ|W.B. Yeats]] (Ed). ''[[:en:Oxford Book of Modern Verse 1892-1935|Oxford Book of Modern Verse 1892-1935]]''.  Oxford University Press, (1936)<!--
 
英語中心的すぎますね…-->
 
 
 
=== 韻律論と形式 ===
 
*Alfred Corn. ''The Poem's Heartbeat: A Manual of Prosody''. London, England: Storyline Press (1997), ISBN 1885266405.
 
*[[スティーヴン・フライ|Stephen Fry]]. ''[[:en:The Ode Less Travelled: Unlocking the Poet Within|The Ode Less Travelled: Unlocking the Poet Within]]''. London: Arrow Books (2007)
 
*[[:en:Paul Fussell|Paul Fussell]]. ''Poetic Meter and Poetic Form''.  New York, New York: Random House (1965).
 
*[[:en:John Hollander|John Hollander]]. ''Rhyme's Reason'' (3rd ed). New Haven, Connecticut: Yale University Press (2001).
 
*James McAuley. ''Versification, A Short Introduction''. Michigan State University Press (1983), ISBN B0007DTS8K
 
*[[:en:Robert Pinsky|Robert Pinsky]]. ''The Sounds of Poetry'' (1998).
 
 
 
=== 批評と歴史 ===
 
*[[:en:Cleanth Brooks|Cleanth Brooks]]. ''The Well Wrought Urn: Studies in the Structure of Poetry''. New York, New York: Harcourt Brace & Company, (1947).
 
*William K. Wimsatt, Jr. & [[:en:Cleanth Brooks|Cleanth Brooks]]. ''Literary Criticism: A Short History''. New York, New York: Vintage Books, (1957).
 
*[[T・S・エリオット|T. S. Eliot]]. ''The Sacred Wood: Essays on Poetry and Criticism''. London, England: Methuen Publishing, Ltd., (1920).
 
*George Gascoigne. ''Certayne Notes of Instruction Concerning the Making of English Verse or Ryme''[http://leehrsn.stormloader.com/gg/cnoi.html].
 
*[[エズラ・パウンド|Ezra Pound]]. ''ABC of Reading''. London, England: Faber, (1951).
 
*Wladyslaw Tatarkiewicz. "The Concept of Poetry," translated by [[:en:Christopher Kasparek|Christopher Kasparek]], ''Dialectics and Humanism:  the Polish Philosophical Quarterly'', vol. II, no. 2 (spring 1975), pp.&nbsp;13-24.
 
*John Thompson. ''The Founding of English Meter''. New York, New York: Columbia University Press (1961).
 
 
 
=== 言語 ===
 
* Zhiming Bao. ''The structure of tone''. New York, New York: Oxford University Press (1999) ISBN 0-19-511880-4.
 
* Morio Kono.  "Perception and Psychology of Rhythm" in ''Accent, Intonation, Rhythm and Pause''. (1997).
 
* Moira Yip. ''Tone''. Cambridge textbooks in linguistics, Cambridge: Cambridge University Press (2002) ISBN 0-521-77314-8 (hbk), ISBN 0-521-77445-4 (pbk).
 
 
 
=== その他 ===
 
*Alex Preminger, Terry V.F. Brogan and Frank J. Warnke (Eds). ''The New Princeton Encyclopedia of Poetry and Poetics'' (3rd Ed.). Princeton, New Jersey: Princeton University Press, ISBN 0-691-02123-6.
 
*Hamid R. Tizhoosh, Farhang Sahba, Rozita Dara [http://jprr.org/index.php/jprr/article/view/62 Poetic Features for Poem Recognition: A Comparative Study] Journal of Pattern Recognition Research, ([http://www.jprr.org JPRR]) Vol 3 (1) 2008.
 
 
 
== 関連項目 ==<!--
 
{{Wikiquote|詩}}
 
{{Wiktionary|詩}}
 
{{Commonscat|Poetry}}-->
 
{{Sisterlinks|commons=Category:Poetry|wikisource=en:Wikisource:Poetry}}<!--
 
wikisourceを英語版にする必然性はないですが日本語版には何もないので… wikisource:詩 ぐらいは作成しないと…-->
 
*[[詩人一覧]]
 
*[[アメリカ合衆国の詩]]
 
*[[いまを生きる]]
 
*[[アンソロジー]](詩撰、詞華集)<!--この辺りの記事が増えるといいのですが…
 
{{詩}} :近日作成予定-->
 
 
 
{{Narrative}}
 
{{Good article}}
 
{{Normdaten}}
 
 
{{DEFAULTSORT:し}}
 
{{DEFAULTSORT:し}}
 
[[Category:詩|*し]]
 
[[Category:詩|*し]]
 
[[Category:詩形|*]]
 
[[Category:詩形|*]]
 
[[Category:文学のジャンル]]
 
[[Category:文学のジャンル]]

2018/10/17/ (水) 23:17時点における最新版

(し、うた、: poetry, poem; : poésie, poème; : Gedicht

語源のギリシア語では「創造,生産」を原義とし,一般用法としては「言語芸術の作品」を意味するが,詩を簡単に定義することは至難である。ギリシア以来詩は韻文と不可分の関係にあるが,「韻文と散文」という対置が明確であるのに対して,より一般に使われる「詩と散文」という対立は複雑な問題を含んでいる (たとえば「散文詩」の存在) 。また「詩と科学」という対立も考えられる。かくして詩の定義は,「詩とは最高の順序に並べられた最高の言葉」から「詩は人生の批評」まで実に種々さまざまである。詩を常識的に分類すれば叙事詩,抒情詩,劇詩となるが,史的展開の姿としては,まず原始的な舞踏とともに発生する歌謡があり,民族精神の成長とともに英雄叙事詩に発展,やがて個人的な抒情詩が生れ,そして物語詩となり,最後に最も総合的な劇詩が成立するとみられる。



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