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[[Image:Anatomical_Man.jpg|thumb|200px|人体と十二宮の[[マクロコスモスとミクロコスモス|照応]]関係を示した{{仮リンク|獣帯人間|en|Zodiac Man}}の図([[ベリー公のいとも豪華なる時祷書]]より)]]
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#転送 [[占星術]]
'''西洋占星術'''(せいようせんせいじゅつ)では、[[アラブ世界]]や[[西洋]]諸国で発達してきた、天体が地球に及ぼす効果を研究し[[予言]]を行おうとする[[占星術]]の体系{{sfn|プリンチペ, 菅谷・山田訳|2014|pp=75-76}}について述べる。西洋の占星術(羅:astrologia、星々の研究)は、天体は一定の影響を地上にもたらすという[[マクロコスモスとミクロコスモス]]の照応という考えに基づいており{{sfn|プリンチペ, 菅谷・山田訳|2014|pp=75-76}}、一般的に、占う対象に影響を及ぼすとされる諸天体が、出生時などの年月日と時刻にどの位置にあるかを[[ホロスコープ]]に描き出し、それを解釈する形で占う。用いられる[[黄道十二宮]]の概念は、初期[[メソポタミア文明]]に起源を持ち、[[ヘレニズム時代]]にギリシャ人が採用し、ローマ人に受け継がれた{{sfn|Lewis, 宮坂訳|2009|pp=472-273}}。占星術は古代から、天体の位置を測定して計算し宇宙の体系の[[仮説]]を作る[[天文学]](羅:astronomia、星々の法則)と共に行われ、惑星の位置の精緻な計算を必要とする占星術という実践が、天文学を推進する最大の力だった{{sfn|プリンチペ, 菅谷・山田訳|2014|p=74}}。
 
 
 
[[Image:Gottfried Geburtsbild.jpg|thumb|250px|現代のホロスコープの一例]]
 
古代・中世・初期近代のたいていの占星術は、真面目で洗練された研究・実践であり、当時においては[[超自然]]的でも非合理的でもなかった{{sfn|プリンチペ, 菅谷・山田訳|2014|pp=75-76}}。[[潮汐]]など、天体の地球への影響は明らかに存在し、惑星の光に何らかの影響が伴っていることは疑う余地もなく思われたため、占星術の真偽が論点になることはなく、天の影響の範囲とその影響をいかに正確に予言するかということが専ら論争された{{sfn|プリンチペ, 菅谷・山田訳|2014|pp=75-76}}。
 
 
 
占星術一般がそうであるように、西洋占星術もまた、近代的な[[科学]]の発展に伴って「科学」としての地位から転落した。[[神智学協会]]の[[神智学]]の影響を受けて[[オカルト]]的な色合いを帯びて復興し、超物理(メタフィジカル)[[サブカルチャー]]運動である[[ニューエイジ]]を経て[[心理学]]化・セラピー化の流れも生じた{{sfn|Lewis, 宮坂訳|2009|pp=474-275}}。神智学協会以降広まった[[サン・サイン]]占星術<ref>太陽占星術とも呼ばれる。</ref>では、太陽のある[[サイン_(占星術)|サイン]]を基にして占う。日本の雑誌などでよく見かける十二星座を基にした「マジック的」な[[星座占い]]は、これを矮小化・通俗化したもので、初期近代までの占星術の慣行とは全く異なる{{sfn|プリンチペ, 菅谷・山田訳|2014|pp=75-76}}。
 
 
 
[[科学史]]などでは[[疑似科学]]に分類されるのが一般的であり、科学的な議論の枠組みをすでに外れているともいえる<ref name=meizi/>。科学的な[[実証研究]]はほとんど存在しない<ref name=meizi/>。人間の理性を重んじる現代の西洋社会において、中世の迷信と嘲笑されながらも人気を保ち続け、現代日本で浸透している占いの中でもポピュラーであり、生活の中に幅広く用いられ一定の社会的存在感を得ている<ref name=meizi/>。英語圏には1万人以上の占星術師がおり、2000万人以上の顧客がいる{{sfn|Lewis, 宮坂訳|2009|pp=472-273}}。現代の占星術では、ホロスコープを作るための計算にコンピュータが用いられている{{sfn|Lewis, 宮坂訳|2009|pp=472-273}}。
 
 
 
== 歴史 ==
 
=== 起源 ===
 
[[Image:Venus Tablet of Ammisaduqa.jpg|thumb|占星術的予兆を記したタブレット([[:en:Venus tablet of Ammisaduqa|Venus tablet of Ammisaduqa]]、Enuma Anu Enlil Tablet 63)]]
 
{{main|en:Babylonian astrology}}
 
西洋占星術の起源は[[バビロニア]]にあった。バビロニアでは、[[紀元前2千年紀]]に天の星々と神々を結びつけることが行われ、天の徴(しるし)が地上の出来事の前兆を示すという考えも生まれた。『{{仮リンク|エヌーマ・アヌ・エンリル|en|Enuma Anu Enlil}}』(Enuma Anu Enlil、紀元前1000年頃)はそうした前兆をまとめたものである。ただし、当時前兆と結び付けられていた出来事は、君主や国家に関わる物事ばかりで、その読み取りも星位を描いて占うものではなく、星にこめた象徴的な意味(火星は軍神[[ネルガル]]に対応していたから凶兆とするなど)を読み取るものに過ぎなかった。
 
 
 
現代にも引き継がれている星位図を描く占星術は、[[天文学]]が発達し、惑星の運行に関する知識が蓄積していった[[紀元前1千年紀]]半ば以降になって興った(この頃も含め、古来、「天文学」と「占星術」の境界の曖昧な時代は長く続いた)。元々は暦のために整備された[[黄道十二宮|獣帯]]を占星術と結び付けることも、そのころに行われた。現存最古の星位図は、[[楔形文字]]の記録に残る紀元前410年の出生星位図(ある貴族の子弟の星位を描いたもの)である。ただし、この時点では、後のホロスコープ占星術に見られる諸概念はほとんど現れていなかった<ref>以上、この節は中山 [1992] pp.13-38, テスター [1997] pp.18-22</ref>。
 
 
 
===エジプト占星術===
 
{{main|en:Egyptian astrology}}
 
古代ギリシャやローマの著述家たちは、占星術をしばしば[[カルデア人]]と[[エジプト人]]がもたらしたものとして叙述している。
 
 
 
[[Image:Senenmut-Grab.JPG|thumb|古代エジプトの墓から出土したチャート]]
 
確かに、紀元前4200年の星図をともなうエジプトの占星術の歴史は古い<ref> Derek and Julia Parker, "The New Compleat Astrologer", Crescent Books, New York, 1990 </ref>。エジプト人の占星術は、太陽と[[シリウス]]の組み合わせが主役になっている。それが、エジプトに肥沃さと活力をもたらしてくれる[[ナイル川]]の氾濫を予言するものとされた。
 
 
 
しかし、西洋占星術に直接関わるような概念の発達には、エジプト占星術はほとんど寄与していない。「エジプト起源」がかつて語られたのは、[[アレクサンドロス3世]](大王)の征服以後、[[ヘレニズム文化]]圏に組み込まれていたエジプト(特に[[アレキサンドリア]])で、占星術が発達したことによって生じた誤伝らしく、正しくは[[ヘレニズム時代]]における寄与と位置づけられるべきである<ref>この段落は中山 [1992] pp.42-44, 48-50, テスター [1997] pp.16-18による</ref>。
 
 
 
===ギリシャ人の占星術===
 
[[Image:Claudius_Ptolemaeus.jpg|thumb|left|プトレマイオス]]
 
{{main|en:Hellenistic astrology}}
 
[[332年]]にアレキサンダー大王によって占領された後、エジプトはギリシャの支配下にあった。そして、ヘレニズム文化が栄える中で、初めて本格的にホロスコープを用いる占星術が現れた。出生時における星々の位置から個人の星位図をトレースする試みが普及したことは、西洋占星術へのギリシャ人の最大の「貢献」である。このシステムは「ホロスコープ占星術」と名付けられた。アセンダント(後述)は[[ギリシャ語]]で「ホロスコポス」とも呼ばれていたからである(星位図そのものを「ホロスコープ」と呼ぶようになったのは、これが語源である){{要出典|date=2018年4月|}}。ギリシャで大いに発展したとはいえ、その大部分はバビロニアからもたらされたものであった{{要出典|date=2018年4月|}}。
 
 
 
[[Image:Cellarius ptolemaic system.jpg|thumb|280px|プトレマイオスの[[天動説]]にもとづく天球図、1660年]]
 
ホロスコープの普及は、[[春分点]][[歳差]]の発見者とされる[[ヒッパルコス]]([[紀元前2世紀]])以降のことである。かつて彼は占星術を生み出した人物であるかのごとく位置づけられたが、実際にはバビロニアで天文学と並行して発達した占星術の知識を、ヘレニズム世界にもたらした人物であったといえる<ref>中山 [1992] pp.54-67</ref>。そのバビロニアからもたらされたシステムは、後世作り上げられた完成の域にある程度達したものではあったが、ギリシャ人占星術師たちによっても、個人のホロスコープを描く上での重要な追加がなされはした{{要出典|date=2018年4月|}}。
 
 
 
[[Image:Quadritpartitum.jpg|thumb|left|テトラビブロス、1484年]]
 
ギリシャが[[ローマ帝国]]の支配下に入った後も、ギリシャ人たちによって占星術は発達を遂げた。ローマでも[[マルクス・マニリウス]]の『{{仮リンク|アストロノミカ|en|Astronomica (Manilius)}}』(西暦1世紀)などが現れたが、西洋のホロスコープ占星術の発展において特に重要だったのは、天文学者・占星術師[[クラウディオス・プトレマイオス]]の貢献である。天文学と占星術が未分化だった時代にあって、彼の天文学書『[[アルマゲスト]]』とともに、占星術書『{{仮リンク|テトラビブロス|en|Tetrabiblos}}』(四つの書)は、その後の西洋占星術の伝統における基盤となった。『テトラビブロス』では第一の書で惑星の冷熱乾湿などの一般的原理が講じられ、第二の書で社会変化を占う占星術が、第三の書と第四の書で個人のホロスコープ占星術が論じられている<ref>中山 [1992] pp.54-67</ref>。
 
 
 
プトレマイオスは、古代より天文学界を支配してきた地球を宇宙の中心と捉え、太陽や惑星が地球の周りを回る「[[天動説]]」を集大成して、「プトレマイオス体系」として確立し、天文学や占星術の「世界観」に大きな影響を与えた<ref name="野田87">野田 [2018] p.87</ref>。
 
 
 
ギリシャ人(特にプトレマイオス)のもとで、惑星(太陽、月も含む。後述)、[[ハウス_(占星術)|ハウス]]、[[十二宮]]などが合理化され、それらの機能も策定された(今日のものは若干の修正が施されている。以下では必要に応じて古典的な解釈にも触れている)<ref> Derek and Julia Parker, Ibid, p16, 1990 </ref>。
 
 
 
====占星術と科学====
 
{{出典の明記|date=2018年4月|section=1}}
 
バビロニアでも部分的には見られたことだが、ヘレニズム時代以降に占星術の適用範囲は、[[自然哲学]]、現代では「[[科学]]」と位置づけられるもの全てに拡がった。すなわち、[[植物学]]、[[化学]]([[錬金術]])、[[動物学]]、[[鉱物学]]、[[解剖学]]、[[医学]]などである。
 
 
 
天上の星々は、地上の諸々の物質との照応関係を持つものとされ、星々に対応する金属(太陽と[[金]]、水星と[[水銀]]など)、鉱石(これが[[誕生石]]の起源になったという説もある<ref>中山 [1992] p.99</ref>)などが定められた。また、人体との照応関係をもとに「{{仮リンク|占星医学|en|Medical astrology}}」(Iatromathematica、イアトロマテマティカ。星辰医学、医療占星術)も発達し、その治療に用いる[[薬草]]類の研究が天体植物学として体系化された。さらに、前出のマニリウスは全5巻の『アストロノミカ』の第4巻で、占星地理学(世界の地域を十二宮に対応させる)を論じている。
 
 
 
====占星医学====
 
{{出典の明記|date=2018年4月|section=1}}
 
{{see also|四体液説#医療占星術|ユナニ医学}}
 
[[Image:Zodiac_man_1702.png|thumb|1702年の暦書に掲載された獣帯人間の図]]
 
ミクロコスモスとマクロコスモスに照応関係を認め、人間と星位と結びつける観点は、人体の各部位を、星々と結びつけることに繋がった。『テトラビブロス』の第三の書でも、占星医学が論じられている。学派によって、その[[マクロコスモスとミクロコスモス|照応]]関係は異なるが、概ね頭部を第1のサインである[[白羊宮]]に、足先を第12のサインである[[双魚宮]]にそれぞれ対応させ、その間に残るサインを当てはめていく。
 
 
 
外科医学でもこうした照応関係は重視され、後には[[瀉血]]で切る部位や時期を決める際にも、占星術的な判断が用いられた。
 
 
 
=== ローマの占星術 ===
 
ローマ帝国では、既に見たように理論面ではギリシャ人に多くを負い、独自の発展はほとんど見られなかった{{要出典|date=2018年4月|}}。
 
 
 
歴代[[ローマ皇帝]]には占星術を重視する者も見られ、占星術師トラシュルスを重用した[[ティベリウス]]、占星術で最期を予言されたことに怯え、実際に暗殺された[[ドミティアヌス]]などがいたが、[[キリスト教]]の広まりとともに衰えた。[[西ローマ帝国]]滅亡後にも迷信的とされた通俗占星術は命脈を保ったが、当時「科学」の一端を担っていた占星術の理論体系は、ヨーロッパ社会からは失われた<ref>中山 [1992] pp.151-152</ref>。中世のヨーロッパ社会では、[[サント=マドレーヌ大聖堂_(ヴェズレー)|ヴェズレーの大聖堂]]の彫刻など、獣帯を描いたものも見られたが、それらは主として暦を表していたに過ぎず、占星術との関連を論じるのは適切ではない<ref>テスター [1997] pp.141-143, 172</ref>。
 
 
 
[[Image:Sandro_Botticelli_050.jpg|thumb|150px|アウグスティヌス]]
 
ローマ帝国がキリスト教化していくと、キリスト教会の権力が大きくなり、教会の反占星術の姿勢が強まっていった。なかでも[[アウグスティヌス]]の占星術に対する攻撃は、キリスト教会の占星術に対する態度を決定づけた。キリスト教会は、占星術は人間の自由な意志を宿命論的な側面から脅かす、として問題視した。そして、キリスト教にとっての異端の宗教である[[グノーシス派]]や[[マニ教]]などが占星術と結びつけて考えられたことも大きかった<ref>野田 [2018] pp.84-85</ref>。
 
 
 
[[東ローマ帝国]]では、レトリオスの『フロールイト』(500年頃)が、火、水、風、土のグランドトラインを論じるなど、『テトラビブロス』をいくらか発展させた研究も見られたものの、基本的には東ローマ帝国滅亡(1453年)まで古代ギリシャ占星術を教条化し、固持し続けた<ref>テスター [1997] pp.126-131</ref>。
 
 
 
===イスラム世界の占星術===
 
{{出典の明記|date=2018年4月|section=1}}
 
{{Main|en:Arab and Persian astrology}}
 
[[File:Celestial map, signs of the Zodiac and lunar mansions..JPG|thumb|left|15世紀のスルタン・[[ムラト3世]]に捧げられた、黄道と月の満ち欠けが描かれた天体図]]
 
[[File:Astronomes - miniature ottomane XVIIe.jpg|thumb|left|17世紀のミニアチュール]]
 
ヘレニズム時代に体系化されたシステムは、ほとんどそのまま[[アラブ]]・[[ペルシャ]]などの[[イスラム世界]]の占星術師たちに引き継がれた。[[ダマスカス]]と[[バグダード]]にあった彼らの研究拠点では、ヨーロッパが忘れていた天文学、占星術、数学、医学などのギリシャ語の古典が[[アラビア語]]に翻訳され、大いに発展を遂げた。彼らの知識はヨーロッパに逆輸入され、[[ルネサンス]]の開始を助けた。
 
 
 
アラブの占星術師たちのなかでは、占星術以外の翻訳でも大いに功があった[[キンディー|アル=キンディー]](アルキンドゥス)と、その弟子筋に当たる{{仮リンク|アブー=マーシャル|en|Ja'far ibn Muhammad Abu Ma'shar al-Balkhi}}(アルブマサル)が特に重要である。後述するように、アブー=マーシャルの著書『大序説』(ラテン語名Introductorium in Astronomiam)は、のちのヨーロッパに絶大な影響を及ぼした。もう一人重要なのが、ペルシャの数学者、天文学者、占星術師、地理学者[[フワーリズミー|アル=フワーリズミー]]である。彼の名前は「[[アルゴリズム]]」の語源としても知られる。
 
[[Image:Al-kindi.jpeg|thumb|アル=キンディー]]
 
[[Image:Persian Khwarazmi.jpg|thumb|150px|アル=フワーリズミー]]
 
アラブ人たちは、天文学の知識も大いに増大させた。[[アルデバラン]]、[[アルタイル]]、[[ベテルギウス]]、[[リゲル]]、[[ヴェガ]]などの星々を最初に命名したのも彼らである。
 
 
 
占星術においては、彼らは「{{仮リンク|アラビック・パーツ|en|Arabic parts}}」として知られる、擬似的な天体を多数作成ないし再発見した。アラビック・パーツは実在天体ではないが、実天体の位置やハウスの境界であるハウスカスプの位置から計算されるポイントとそれに付加された名称、象意の総体である。最も有名なアラビック・パーツであるPart of FortuneはASC + Moon - Sun<ref>昼と夜で算出方法が異なるという説も根強いが{{要出典|date=2018年4月}}、ここでは最も単純なものをしめしておく。ASCについては後述のアングルの項を参照のこと。</ref>という式で計算される。
 
 
 
===中世ヨーロッパ===
 
[[Image:Alkabitius.PNG|thumb|left|アル=カビーシーの占星術書(1520年頃)]]
 
中世ヨーロッパでは、[[11世紀]]頃まではアラブの占星術理論を受け入れられるだけの知的基盤自体がなかったが<ref>中山 [1992] p.130</ref>、いわゆる「[[12世紀ルネサンス]]」の中で、他の科学書とともに多くの占星術書がアラビア語から[[ラテン語]]に翻訳され、占星術知識が再興・発展した。ヨーロッパの占星術師達は[[イスラム世界]]の占星術の技法を吸収し、またそこから新たな技法を見出すこととなった。例えば、ハウス分割において、現在主流であるプラシーダスの技法はイスラム起源であり、プラシーダスがヨーロッパで広まる500年前に[[アブラハム・イブン・エズラ]]がこのハウスシステムの計算方法を述べている<ref>http://www.kokubu.com/astrology/houses2.htm</ref>。
 
 
 
[[Image:Houghton Typ 520.04.561 - De scientia motvs orbis.jpg|thumb|200px|マーシャーアッラー([[アルブレヒト・デューラー]]による彫板画, 1504年)]]
 
1130年頃から1150年頃までに、[[クレモナのジェラルド]]らによって、プトレマイオスの『アルマゲスト』『テトラビブロス』、アブー=マーシャル『大序説』、偽プトレマイオス『ケンティロクイウム』(百の警句)<ref>かつて誤ってプトレマイオスに帰せられていた。10世紀にアラブで成立したとも言われる。{{要出典|date=2018年4月}}</ref>などが訳され、特にアブー=マーシャルはその後1世紀あまり占星術の権威と見なされた<ref>中山 [1992] pp.131-132, テスター [1997] p.213</ref>。占星術書を特に多く翻訳したのは、セビーリャのフアンである。彼はアブー=マシャール、[[マーシャーアッラー]]、[[アル=カビーシー]]らの複数の著作、『ケンティロクイウム』などの翻訳をてがけたほか、自身でも『全占星術綱要』を執筆した(これは16世紀に出版された)<ref>テスター [1997] p.204</ref>。
 
 
 
[[Image:Astrolabium.jpg|thumb|left|1208年のペルシアのアストロラーベ]]
 
また、古代ギリシャに存在していたとされる[[アストロラーベ]]も、イスラム世界を経由してヨーロッパ人たちに再認識された。
 
 
 
しかし、イスラム世界の占星術の権威は長続きしなかった<ref>中山、同上。テスター [1997] p.209</ref>。西洋の占星術師たちが独自の技法を発展させていったことや、キリスト教[[神学者]]の間での議論の影響を受けたためである。神学者ではないが、[[ダンテ・アリギエーリ|ダンテ]]も[[イスラム科学]]をキリスト教徒が使うことには批判的で、その影響を強く受けた占星術にも同様に批判的だった(彼は『[[神曲]]』の中で13世紀の代表的な占星術師[[グイド・ボナッティ]]と[[マイケル・スコット_(占星術師)|マイケル・スコット]]を地獄に落としている)。ただし、こうした動きはイスラム世界起源の占星術書が全く省みられなくなったことを意味しない。特に15世紀以降の印刷革命に波に乗って、ルネサンス期には多くのアラブ系の占星術書が出版されており、[[近世]]の著名な占星術師の一人{{仮リンク|ウィリアム・リリー|en|William Lilly}}は、否定的な見解を示しつつも、アラブの占星術も研究したと語っている{{要出典|date=2018年4月|}}。
 
 
 
[[Image:Zodiaque arabo-musulman.jpg|thumb|13世紀イスラムの12のサインと惑星]]
 
[[File:Richard of Wallingford.jpg|thumb|left|[[天文時計]]の発明者である修道士ウォリンフォードのリチャード(1292-1336)がコンパスを使う姿]]
 
占星術には、翌年の気象を予想しようとする「気象占星術」があり、しばしば「数学者」とよばれた実践者たちは、カレンダー、月齢、日食、月食などと共に占星術による天気予想、重要な事件や動向の予知が含まれる暦を作って生計を立てていた{{sfn|プリンチペ, 菅谷・山田訳|2014|pp=76-77}}。出生時の惑星の位置から新生児に「刷り込まれた」影響を知ろうとする「出生占星術」は、[[四体液説]]と結びつき、惑星による人間の気質・健康への影響が認められていた{{sfn|プリンチペ, 菅谷・山田訳|2014|pp=76-77}}。西洋中世においては、天文学も占星術も astrologia という用語が用いられていた<ref name=meizi/>。
 
 
 
[[13世紀]]以降は、キリスト教神学者たちの間で、占星術に関して大きく議論が戦わされた。[[スコラ哲学]]者の中では、[[アルベルトゥス・マグヌス]]や[[トマス・アクィナス]]が占星術に好意的な見解を示したが、他方で[[ニコル・オレーム]]は『判断占星術師論駁』のなかで、多面的な批判を繰り広げた。当時、出生占星術を強めた判断占星術に対する評価は様々であった{{要出典|date=2018年4月|}}。{{仮リンク|チェッコ・ダスコリ|en|Cecco d'Ascoli}}などは、キリストの誕生や[[最後の審判]]に関するホロスコープを作成したことを咎められて、1327年に火刑に処されている{{要出典|date=2018年4月|}}。
 
[[Image:Nostradamus by Lemud.jpg|thumb|150px|ノストラダムス]]
 
他方で、やや時代が後になるオレームの弟子[[ピエール・ダイイ]]は、晩年[[判断占星術]]に強く傾倒し、歴史上の重大事件と[[合_(天文)|天体の合]]の関連を研究した。彼はそれを未来にも適用し[[1789年]]に[[反キリスト]]が出現すると予言した<ref>ミノワ [2000] pp.292-299</ref>(この予言はルネサンス期に持て囃され、[[ピエール・チュレル|チュレル]]、[[リシャール・ルーサ|ルーサ]]、[[ノストラダムス]]らが直接・間接的に踏襲する){{要出典|date=2018年4月|}}。
 
 
 
[[File:Hausbuch Wolfegg 11r Saturn.jpg|thumb|240px|15~16世紀に流行した、出生時の星の位置がその人の体液の偏りや気質を決定するという思想「惑星とその子供たち」の「土星とその子供たち」の図、15世紀]]
 
このように、「判断占星術」が毀誉褒貶だったのに対し、「占星医学」はむしろ高級占星術として評価されることが多く、大学などでも受け入れられていた。このため、当時医学研究で主導的地位にあった[[サレルノ大学]]、[[ボローニャ大学]]、[[モンペリエ大学]]などの[[医学部]]でも、占星医学は講じられていた<ref>中山 [1992] pp.143-144、テスター [1997] pp.251-252</ref>。当時の医療は患者それぞれに合わせて調整したオーダーメイド医療であり、医者は患者の気質を知るために患者の出生天宮図を調べ、治療の好機を見極めるなど治療に活用した{{sfn|プリンチペ, 菅谷・山田訳|2014|p=137}}。
 
 
 
また、1347年から1350年に[[ペスト]]が流行した際には、[[パリ大学]]医学部が、その原因は1345年3月20日に[[宝瓶宮]]で起こった木星、火星、土星の三重合にあったとする公式声明を出している<ref>テスター [1997] pp.249-250</ref>。伝染病の流行と星位を結びつけるこうした言説は、現在でも「(星の)影響」を語源に持つ「[[インフルエンザ]]」などにその痕跡を見出すことが出来る{{要出典|date=2018年4月|}}。ギリシャ・アラビア医学([[ユナニ医学]])は18世紀までほとんどそのまま続いたが、医学における占星術的判断は17世紀には衰退し始めた{{sfn|プリンチペ, 菅谷・山田訳|2014|p=138}}。
 
 
 
中世後期には、王侯貴族の中にも占星術を重用する者は少なくなかった。例えば、フランス王[[シャルル5世_(フランス王)|シャルル5世]]の場合、蔵書の2割(180冊)を占星術書が占めていたとされる。これは当時の他の王族の蔵書と比べても、突出して高い比率であった<ref>ミノワ [2000] pp.369-370</ref>。こうして、中世には、しばしば重要な政治的・軍事的決定には、占星術師の判断が仰がれることもあったのである{{要出典|date=2018年4月|}}。
 
 
 
=== ルネサンス ===
 
[[ルネサンス]]期には、[[神秘主義]]的傾向も持つ[[新プラトン主義]]が流行したが、その中心人物たちは必ずしも占星術に好意的ではなかった。[[マルシリオ・フィチーノ]]は占星医学などには理解を示していたが、判断占星術には批判的だった。[[ピコ・デラ・ミランドラ]]は、人間の[[自由意志]]を否定するものとして、『予言占星術論駁』で占星術への強い批判を展開した。神学者たちはおおむね自由意思を侵害するとして判断占星術を批判し、星々は人間に影響を与えても無理強いすることはないと考えられていた{{sfn|プリンチペ, 菅谷・山田訳|2014|pp=77-78}}。他方で、16世紀のイタリアでは、数学者としても活躍した占星術師[[ジェロラモ・カルダーノ]]が現れた。彼は『誕生占星術の実例集』では、自身の過去の占星術判断の誤りなども提示している<ref>クーデール [1986] p.140-142</ref>。
 
 
 
[[Image:Jan Matejko-Astronomer Copernicus-Conversation with God.jpg|thumb|300px|『コペルニクス: 神との対話』[[ヤン・マテイコ]]、1872年]]
 
ルネサンス期には、[[ニコラウス・コペルニクス|コペルニクス]]の『[[天球の回転について]]』(1543年)が死後発表された。しかし、彼が心配していたような批判は起こらず、本は読まれたが、彼の理論は地球の[[公転]]や[[自転]]、物体の落下や星の[[視差]]などに関する答えられない疑問を抱えており、ほとんどの読者は説得されず、支持者はほぼいなかった{{sfn|プリンチペ, 菅谷・山田訳|2014|pp=70-74}}。占星術において最大の関心事は地球に対する惑星の位置、惑星の位置を分単位で過去未来に渡って計算することであり、[[天動説|地球中心説]](天動説)か[[地動説|太陽中心説]](地動説)かということは問題にならず、多くの人はどちらかはっきりさせることが可能とも思っていなかった{{sfn|プリンチペ, 菅谷・山田訳|2014|p=74}}。惑星の位置を決定するための表は太陽中心説の方が簡単だったため、楽に計算するための仮定としてコペルニクスの理論を使う人もいた{{sfn|プリンチペ, 菅谷・山田訳|2014|pp=70-74}}。
 
 
 
[[Image:Kepler-Wallenstein-Horoskop.jpg|thumb|left|ケプラーが[[アルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタイン|ヴァレンシュタイン]]のために作成したホロスコープ。当時のホロスコープはまだ正方形であった。]]
 
[[17世紀]]に入ると、天文学者でもあった[[ヨハネス・ケプラー]]が、この問題に取り組んだ。ケプラーは『[[へびつかい座]]の新星』では、「賢いけれども貧しい母」(天文学)と「その生活費を稼ぐ愚かな娘」(占星術)の対比によって、占星術があくまでも日々の糧を稼ぐための道具であると述べていたが<ref>クーデール [1986] p.143</ref>、『占星術の確実な基礎について』(1602年)、『第三に介入するもの』(1610年)、『世界の調和』(1619年)などでは、新たな占星術理論の構築を試みている<ref>ミノワ [2000] p.414 </ref>。しかし、[[地動説|太陽中心説]](地動説)を軸とする刷新はうまくいかず、当時はむしろ[[ジャン=バチスト・モラン]](モリヌス、1591-1659)の『ガリアの占星術』(1661年)のように、プトレマイオス的宇宙観を墨守することを表明するものもあった。他方で、ケプラーは占星術を数学的に純化しようとしたことをはじめ、様々な改革を試みており、アスペクトなどでは重要な貢献を行っている。ケプラー以前のアスペクトは、第1にサインとサインの関係であったが<ref>例えば白羊宮の29度に太陽があり、月が処女宮の0度にあったとする。太陽と月の間の角度は121度であり、現代的な占星術ではトラインのアスペクトを持つと解釈するが、ケプラー以前は白羊宮と処女宮間にはアスペクトがないため太陽と月の間にトラインの関係があるとは見なされていなかった。{{要出典|date=2018年4月}}</ref>、ケプラーは星と星の間の角度として再定義し、この新たなアスペクト概念は多くの占星術師に受け入れられ、現代に到っている{{要出典|date=2018年4月|}}。
 
 
 
[[Image:William_Lilly.jpg|thumb|ウィリアム・リリー]]
 
16世紀の占星術の「先進国」はフランスであったが、17世紀半ばにはそれは[[イギリス]]になった。イギリスでは、一時期占星術が「公認」されていた時期があった。これは占星術の正しさを認めたわけではなく、占星術に対する禁止令を度々出していた[[カトリック教会|ローマ・カトリック]]への「対抗意識」を[[イギリス国教会]]が持ったことや、御用占星術師を使った大衆宣撫を視野に入れていた政府の意向などによるものである<ref>中山 [1992] pp.162-164</ref>。17世紀半ばに御用占星術師として名を馳せたのは、{{仮リンク|ウィリアム・リリー|en|William Lilly}}である。彼は議会派の有利になるような予言を多く行った。また、暦の発行も手がけ、暦書『天使的なるマーリン』は、1646年に13500部、その3年後には30000部が発行された<ref>ミノワ [2000] p.430</ref>。彼は御用占星術師としてのパンフレットを多く執筆した一方で理論書も手がけており、『キリスト教占星術』(Christian Astrology, 1647年)は、その後長らく当時の占星術の技法を網羅した解説書として影響力を持った<ref>[http://www.skyscript.co.uk/index.html 占星術師であるDeborah Houlding のサイト]{{出典無効|date=2018-04-27}}</ref>。
 
 
 
=== 天文学の分離 ===
 
[[中山茂]]によると、占星術と天文学の「分離」が明確になったのは、[[アイザック・ニュートン]]の登場によって、天文学に[[力学]]が導入されてからである<ref>中山 [1992] p.175</ref>。ただしニュートンは、キリストの神性を含まない原始の神学の復興を目指し、神が創造し内在する宇宙の体系の完全な知識の復活を試みて研究を行っており、今日の科学者の方法・姿勢とは明らかに異なっている{{sfn|プリンチペ, 菅谷・山田訳|2014|pp=93-96}}。彼は、[[ヘルメス文書]]の解読を試み、古代の知識の復活を目指しており、[[万有引力の法則]]も古代の知識の再発見に過ぎないと考えていた{{sfn|プリンチペ, 菅谷・山田訳|2014|pp=93-96}}。彼の万有引力の法則のアイデアは、自然[[魔術]]の「共感」、[[アリストテレス]]主義者の「隠された性質」という、ものを引きつける見えない力という概念への逆戻りのようにとらえられ、批判も浴びた{{sfn|プリンチペ, 菅谷・山田訳|2014|pp=93-96}}。
 
 
 
ニュートン以前は、遠い未来に起こる天体現象を正確に予想できることから、天体の運動は地上における現象とは別の原理によって説明される、より神秘的で完全なものであり、地上における現象にもなんらかの影響を及ぼしているという考え方には、一定の根拠があった。ニュートンによって、惑星運動と地上における落下現象が同じ万有引力の法則によって説明されることが示されたことで、これと矛盾する占星術は「自然科学」の体系から離れていった{{要出典|date=2018年4月|}}。
 
 
 
[[Image:StatueOfIsaacNewton.jpg|thumb|140px|[[トリニティ・カレッジ (ケンブリッジ大学)|トリニティカレッジ]]のニュートン像]]
 
[[1781年]]に[[天王星]]が発見されたとき、占星術師にはこれを組み込んで「より正確な」占いを行おうとする者たちが現れた。{{要校閲範囲|占星術が真に「科学」と呼べるものならば、ここで占いの正確さのためにまだ足りない要素があることに気付くべきであったが、そのような見解はなかった。|date=2018年4月}}他方、天文学は天王星の[[摂動 (天文学)|摂動]]によって、未発見の惑星([[海王星]])の存在を正しく予見した。[[科学史]]家の[[中山茂]]は、この海王星の発見が、占星術と天文学の「科学性」を考察する重要なものであったとしている<ref>中山 [1992] pp.178-179</ref>。
 
 
 
=== 近代オカルティズム ===
 
[[Image:Alman14.jpg|thumb|left|200px|[[:en:Ames Almanack|Ames Almanack]]のカバー(アメリカ、1761年)]]
 
17世紀後半、イギリスで[[啓蒙思想]]が始まり、これは理性の啓発によることで人間の進歩や改善を図る思想であり、超自然的な偏見を取り除いて、人間の持つ[[理性]]の自立を促すことを重視する。この啓蒙思想は天文学や自然科学の発展と同じく、占星術に対する「逆風」となった。[[天文学]]と分離した占星術は、科学の台頭で時代遅れの物笑いの種になっており、古代からの名声を完全に失っていた{{sfn|カレルズ, 阿部訳|1996|pp=76-77}}。しかし消滅することはなく、占星術による天気予報や予知が含まれる[[生活暦]](アルマナック)は、相変わらず多数の支持が寄せられていた。「学問」としての占星術は否定されたが、一般大衆においては生き延びていった<ref name="野田94">野田 [2018] p.94</ref>。
 
 
 
[[Image:Astrologer-ad.jpg|thumb|200px|占星術師の広告(アメリカ、1863年)]]
 
[[19世紀]]後半に、近代[[神秘学|オカルティズム]]が勃興した。占星術もその潮流に乗ることになり、近代オカルティズムの盛り上がりとともに、[[秘教]]的な衣をまとうことで、それまでとは別のものに変化した。なかでも、神秘的直感、幻視、啓示などを通じて、神と結びつく神聖な叡智を獲得することで、高度な認識に達することを標榜する近代[[神智学]](以下「神智学」)の影響が大きかった<ref name="野田94"/>。神智学は、馬鹿にされたり無視されていた様々なオカルトをその体系に取り組み、後期[[ヴィクトリア朝]]の教養人たちの注目を集めた{{sfn|カレルズ, 阿部訳|1996|pp=76-77}}
 
 
 
[[神智学協会]]の神智学運動は、19世紀末を代表する文化運動のひとつであり、その衝撃は、さらに20世紀初頭の[[モダニズム]]誕生から、1960年代の[[カウンターカルチャー]]、20世紀末に始まる[[ニューエイジ]]と[[精神世界]](現在の[[スピリチュアル]])を理解していく上で、「鍵」となる存在である。欧米文化の秘教主義、神秘主義、オカルト主義の趨勢が一群となったこの運動を、秘教的音楽史家{{仮リンク|ジョスリン・ゴドウィン|en|Joscelyn Godwin}}は「神智学的啓蒙」と表現した<ref name="キャンピオン395">キャンピオン [2012] p.395</ref>。
 
 
 
[[Image:Helena Petrovna Blavatsky.jpg|thumb|left|150px|ブラヴァツキー]]
 
神智学協会の宇宙論における使命とは、世界の隠された真実の性質を明らかにし、物質主義的な科学観に反旗をひるがえすことであるという<ref name="キャンピオン395"/>。神智学の創始者[[ヘレナ・P・ブラヴァツキー]]は、占星術は科学であり天文学のように正しいが、これは占星術と解釈する術師の双方が完全に正しい場合に限ると発言し、占星術と心理学においては、これを乗り越えるために「物質的世界」を離れて「霊的世界」に足を踏み入れなければならないと主張した<ref name="キャンピオン396・7">キャンピオン [2012] pp.396-397</ref>。
 
 
 
[[Image:AlanLeo.jpg|thumb|left|150px|アラン・レオ]]
 
19世紀イギリスの神智学協会会員でブラヴァツキーの腹心の一人{{仮リンク|アラン・レオ|en|Alan Leo}}は、西洋占星術を体系化して、現代まで続く形式に構築したことから「近代占星学の父」と呼ばれる。レオと、神智学協会会員の占星術師W・R・オールド<ref>Walter Richard Old、のちWalter Gorn Old。ペンネームはセファリアル。(カレルズ 1996)</ref>が復興の立役者と評価されている{{sfn|カレルズ, 阿部訳|1996|pp=76-77}}。彼らは、占星術を古臭い陳腐な予言の手段から神智学の関連要素に引き上げ、秘教的関心における有用なツールとして提示し、神智学と占星術を融合させた{{sfn|カレルズ, 阿部訳|1996|pp=76-77}}<ref name="アラン・レオ"/>。レオによって神智学が取り入れられ、「霊的な進化」の概念が占星術に初めて見られるようになり、[[新プラトン主義]]の系譜から神智学協会が導入した「霊的な太陽」の信仰を取り入れ、「太陽星座」([[サン・サイン]])を採用した<ref name="鏡"/>。また、神智学を基礎にして占星術に[[心理学]]的な要素を加えた。これが現在にも影響が続いている「占星術の心理学化」の始まりである<ref name="野田94・6">野田 [2018] pp.94-96</ref>。レオは占星術をそれまでの歴史から分断し、伝統的なルールや法則をかなり簡略化したため、占星術を「改悪」したという否定的意見もある<ref name="鏡"/>。
 
 
 
レオは、初めてのオカルト本の出版社とされる「モダン・アストロロジー・パブリッシング」社を創設し、大衆向けの占星術の書籍を出版し、占星術の普及に貢献した。レオは、20世紀初の占星術の[[広告塔]]になり、雑誌を利用して自らの占星術を広め、大衆化した{{sfn|カレルズ, 阿部訳|1996|pp=76-77}}。雑誌では、定期購読者に無料でホロスコープを作成しチャート診断するサービスを行って多くの読者を獲得し、十分な収益を上げ、著作もよく売れた<ref name="アラン・レオ"/>。占星術をもうかる商売に仕立てたのも、レオとオールドであると評されている{{sfn|カレルズ, 阿部訳|1996|pp=76-77}}<ref name="アラン・レオ">[http://www5e.biglobe.ne.jp/~occultyo/uranai/reo.htm アラン・レオ] オカルトの部屋</ref>。レオの教本は、近代占星術の初期の研究家ほとんどすべてが学んでおり、後世に大きな影響を与えた{{sfn|カレルズ, 阿部訳|1996|pp=76-77}}<ref name="アラン・レオ"/>。1915年には、レオと妻のベシイがイギリスの神智学協会に「占星術ロッジ」を設立しており、これがイギリスに現存する主要な占星術団体の基になっている。[[鏡リュウジ]]は、占星術にコミュニティがあるとすれば、レオがその源であると述べている<ref name="鏡">[http://ryuji.tv/okaken/?id=43 オカ研File No.23 「心理占星術」見直し 1] 鏡リュウジ公式サイト BETWEEN THE WORLDS</ref>。
 
 
 
フランスでは、ジャン=バチスト・モランの『ガリア占星術』(1661年)以降衰退し、19世紀のオカルティストの[[エリファス・レヴィ]]に触発されオカルティズム探求の動きが現れ、[[ロマン派]]が[[カバラ]]主義・黒魔術・[[デカダン]]・古代エジプト・異端[[カタリ派]]などに興味を寄せたことで復興したが、目立つ動きではなかった。アンリ・セルヴァ(Henri Selva、1861-?)がモランを再発見し、1920年には実践者も増加した{{sfn|カレルズ, 阿部訳|1996|pp=77-78}}。
 
 
 
ドイツでは、ルネサンス以降の伝統はエランゲル大学の{{仮リンク|ジュリウス・プファフ|de|Johann Wilhelm Andreas Pfaff}}(1774-1835)と共に途絶えていたが、神智学とフランス[[魔術]]の合流で1984年に復興した{{sfn|カレルズ, 阿部訳|1996|pp=78-80}}。84年に神智学協会ドイツ支部が設立されて、仏教やヒンドゥー教にも詳しい神智学徒{{仮リンク|フランツ・ハルトマン|de|Franz Hartmann}}が占星術の研究を行うようになった{{sfn|カレルズ, 阿部訳|1996|pp=78-80}}。ハルトマンの助手フーゴ・フォルラート(Hugo Vollrath)は、神智学やオカルトの出版社を設立し、ドイツではこの時期、占星術の定期大会や旺盛な出版活動がなされた{{sfn|カレルズ, 阿部訳|1996|pp=78-80}}<ref name=Vollrath/>。フォルラートは、神智学協会・占星術界で幾度か面倒なトラブルを起こし、[[ルドルフ・シュタイナー]]が神智学協会を離れて[[人智学協会]]を作ることにもなり、ドイツの占星術界はこうした騒動の影響で混乱したまま[[ナチス]]の時代に突入した{{sfn|カレルズ, 阿部訳|1996|pp=78-80}}<ref name=Vollrath/>。フォルラートは1933年にナチスに入党し、ナチスが主張する北方人種[[アーリアン学説|アーリア人]]の優位性を理論的に証明し正当化するために占星術を利用し、[[反ユダヤ]]の流れに加担した<ref>[http://www.iapsop.com/archive/materials/prana_leipzig/ Prana Leipzig (IAPSOP)]</ref><ref name=Vollrath>[https://www.astro.com/astrowiki/de/Hugo_Vollrath Hugo Vollrath] astro.com</ref>。
 
 
 
=== 現代の新たな動向 ===
 
[[Image:Алиса Анна Бейли.jpeg|thumb|150px|アリス・ベイリー]]
 
[[20世紀]]に入ると、アメリカでオカルティズムとメタフィジカル(超物質)思想によって、経験や感覚から超越した神秘的な技術へ進化させようとする動向がでてきた。その代表的存在が、[[神智学|神智学徒]]で「アーケイン・スクール(不朽の知恵・秘教占星学)」の創設者の[[アリス・ベイリー]]である。ベイリーはジュワル・クールという高次の存在と交信して教えを受けたと主張し、神智学の7つの周期による歴史観と占星術を融合させ、近い将来「魚座」の時代から「水瓶座(アクエリアス)」の新時代(アクエリアン・エイジ)への大規模なパラダイムシフトが起こると語り、ニューエイジ思想の源の一つとなった<ref name=oota>[[#oota|大田 2013. 位置No.1463/2698]]</ref>。ベイリーの『ヒューマニスティック占星術』と弟子の{{仮リンク|ディーン・ルディア|en|Dane Rudhyar}}の『サビアン・シンボル』は、こうした秘教化の動向の基本となっている。ルディアはベイリーから学んだ神智学と秘教占星学に[[ユング心理学]]を導入して「トランスパーソナル占星術」を作り<ref name=oota/>、1936年の代表的著書『パーソナリティーの占星術』では、占星術は深層心理学の術語によって再定義する必要がある、と述べた。また[[ニーチェ]]の[[超人]]思想に心酔していたルディアは、新たな文明の中心となる「シード・グループ(種となる集団)」を作らなければならないと主張した<ref name=oota/>。こうした思想は、[[ホゼ・アグエイアス]]等の時代の霊的な転換を唱えたニューエイジのオカルティストに影響を与えている<ref name=oota/>。アラン・レオに始まる神智学の世界観を基礎にした占星術は、ベイリーとルディアの秘教占星術に受け継がれ、「占星術の心理学化」という流れも生んだ<ref name="野田94・6"/>。レオの系譜の占星術のオカルト色、神智学色から脱しようと様々な団体も生まれ<ref name="鏡"/>、20世紀前半には西洋占星術は多様化していくことになった<ref name="野田94・6"/>。
 
 
 
実践者の間でも、占星術の方向性については多様な意見があり、「科学的学問」にしたいと望む占星術師からは、オカルト要素の強いレオらの占星術は、占星術を呪術やオカルトにとどめていると批判されている<ref name="鏡"/>。一方占星術を「科学的学問」にしたいと望む勢力も、その考えに賛同しない占星術師たちから、占星術を疑似科学にしていると批判されており、思想の異なる占星術師同士で批判し合っている<ref name="鏡"/>。占星術を科学という場合、星についての研究が自然科学であるいう主張と、惑星から放出される不可視の神秘的な力に言及し、
 
マクロコスモスとミクロコスモスの照応の概念を[[シンクロニシティ]]([[ユング]])の結果とし、様々な偶然の一致を研究するようなオカルト科学的な主張がある{{sfn|Lewis, 宮坂訳|2009|pp=472-273}}。
 
 
 
西洋占星術は[[疑似科学]]とも見なされるようになり、1940年には[[アメリカ社会心理学会]]が、未来予知のツールとしての占星術の有効性を否定する公式声明を発表した<ref>クーデール [1986] pp.151-152</ref>。また、1975年には前[[アメリカ天文学会]]会長バート・ボックらが文責を負い、[[ノーベル賞]]受賞学者18名を含む計186人の科学者らが連署した占星術批判の声明が出されている(『ヒューマニスト』誌1975年9月号)。ただし、これには、占星術に懐疑的な論者からも、権威主義との批判が寄せられた<ref>中山 [1992] pp.191-197, アイゼンク&ナイアス [1986] pp.1-7</ref><ref name=meizi/>。
 
 
 
科学者らの声明の一方で、国際的に知られた[[ジーン・ディクソン]]や、[[ロナルド・レーガン]]大統領(当時)の夫人[[ナンシー・レーガン|ナンシー]]に重用され、大統領の日程へも関与した{{仮リンク|ジョーン・キグリー|en|Joan Quigley}}のように、社会的に影響力を持った占星術師は存在した。
 
 
 
1970年代に入ると、[[ヒューマンポテンシャル運動]]や[[人間性心理学]]、[[神智学]]や[[心霊主義]]といった超物理(メタフィジカル)が混ざり合って[[ニューエイジ]]運動が生まれ、その影響を受けて、占星術や[[タロット]]といったオカルトの実践は、「自己成長」や「自己探求」、「自己変容」のツールとも見なされるようになり({{仮リンク|心理占星術|en|Psychological astrology}})、出来事を予知したり運勢を判断する占星術の側面は薄まってきている。現代の占星術師には、顧客に将来起きる出来事を予言して行動のアドバイスをするタイプと、顧客の自己探求を導く疑似セラピストタイプがあり、占星術師たちは皆この2つのタイプの間に存在している{{sfn|Lewis, 宮坂訳|2009|pp=474-275}}。
 
 
 
こうした状況を踏まえて、1990年代あたりから、占星術がかつて持っていたとされる機能を復活させようという動きが出てきた。イギリスのオリビア・バークレイは、1996年9月にエクセターで開かれたアストロロジカル・アソシエーションの「カーター・メモリアル・レクチャー」において「伝統的占星術の必要性」と題した講演を行い、伝統的な占星術への回帰を宣言している<ref>オリビア・バークレイ [http://www.kokubu.com/astrology/exeter.htm 伝統的占星術の必要性] FOL office</ref>。
 
 
 
伝統的な占星術への回帰は{{仮リンク|ホラリー占星術|en|Horary astrology}}への再評価へとつながり、ホラリーの技法が多数記されている中世や古代の占星術文献の掘り起こしへと到った{{要出典|date=2018年4月|}}。中世文献の掘り起こしプロジェクトの代表的なものに、[http://www.projecthindsight.com/ Project Hindsight]がある。Project Hindsightでは非英語で記述された占星術の古典が、主にボランティアの手で英語に翻訳された{{要出典|date=2018年4月|}}。古典的な占星術を復活させたものは、古典派や伝統派と呼ばれているが、2007年の時点で既に古典的な技法の上に独自の解釈を組み込もうとする方向性も見えており<ref>[http://www.hoshitani.com/festinalente/2007/05/22/what-johnfrawley-calls-as-reception/ John Frawleyが言うところのレセプション]{{リンク切れ|date=2018年4月}}</ref>、古典派と一括りにできない状況となっている{{要出典|date=2018年4月|}}。
 
 
 
予測不可能で複雑な現代産業社会において、占星術は、生の意味を見失った一般市民に出来事が制御可能であると感じさせ、予測可能で意味のある体系、大きな物語の中に己が存在するという感覚を与え、生活に宇宙的な意義を感じさせるという側面がある{{sfn|Lewis, 宮坂訳|2009|pp=472-273}}。特にアメリカでは、新聞、雑誌の占星術コーナーを始め、メディアで多く採り上げられ、「学術理論」としての有効性を失った代わりに、人気のある[[サブカルチャー]]のひとつとなっている<ref>中山 [1993] pp.204-208, クーデール [1986] pp.148-151</ref>。世論調査では、占星術の人気は衰えるどころか増しているが、一般には、個人のパーソナリティに関する十二星座と、占い目的での占星術の使用という、西洋占星術のごくわずかな面だけが知られている{{sfn|Lewis, 宮坂訳|2009|pp=472-273}}。ホロスコープを作るのにコンピューターが利用され、これが人気に拍車をかけている{{sfn|Lewis, 宮坂訳|2009|pp=472-273}}。
 
 
 
==科学的研究==
 
フランスの国立科学統計センターの統計学者・心理学者のミシェル・ゴークラン(Michel Gauquelin)と妻のフランソワーズ・ゴークランは、出生時の惑星の配置と性格を分類する統計研究を行い、『人間の行動に対する宇宙の影響』(1973年)を発表した。彼の研究は太陽宮占星術の裏付けにはあまりなっていないが、親の誕生図の星位が子供の図でも予想以上に繰り返される、などの見解を示した{{sfn|カレルズ, 阿部訳|1996|pp=77-78}}。
 
 
 
これがほとんど唯一の実証主義的なアプローチによる研究報告であるが、[[明治大学]]コミュニケーション研究所は、「その報告においてさえ、職業選択における他の社会的要因と比べて惑星による影響は(有意水準ではあったものの)あまりにも小さすぎ実際に使用するには再現性に乏しい」ことが指摘されており、過去の逸話の累積にゴークラン夫妻の研究を加味したとしても、再現性を保証することはできず、データの再現性は低いと述べている<ref name=meizi/>。
 
 
 
このほか、心理学者[[ハンス・アイゼンク]]や天文学者ピエール・クーデールらは、様々な観点からの[[統計学]]的調査に基づき、西洋占星術の妥当性に疑問を投げかけている{{要出典|date=2018年4月|}}(参考文献欄掲出の各文献を参照のこと)。
 
 
 
== 懐疑論・批判 ==
 
西洋社会では、古来占星術に対して様々な批判が寄せられてきた。古典的なものは、[[アウグスティヌス]]が『告白』で展開したものである。ほぼ同じ場所で同じ時刻に生まれた人は同じホロスコープを持つが、身分が異なることで裕福な家督を継いだ者と召使になった者がいたことなどを採り上げたのである{{要出典|date=2018年4月|}}。アウグスティヌスの批判は、中世にダンテが援用したほか、現代でも占星術批判で引用されることがある<ref>テスター [1997] pp.143-149, クーデール [1986] pp.92-93, 179-182</ref>。逆に占星術師の中には、同じ時間に生まれた者(いわゆる「アストロ・ツイン」「宇宙双子」)がよく似た人生を歩むと主張する者もいるが、その根拠の不透明さも指摘されている<ref>志水 [1997] pp.85-87</ref>。
 
 
 
1990年代に入ると、占星術のコーナーを持つアメリカの新聞には、科学的根拠のないゲームに過ぎないと断り書きを入れるものも現れた<ref>志水 [1997] p.94</ref>。
 
 
 
占星術コミュニティは、「たとえ疑似科学、オカルト的言説であっても社会的な需要に応えている」と主張している<ref name=meizi/>
 
 
 
部分的にでも当たったように感じられるのは、[[バーナム効果]]、[[確証バイアス]]、[[予言の自己成就]]などの心理効果や、[[コールドリーディング]]やホットリーディングのテクニックが使われているという批判があり、占星術師側も部分的にだが、こうしたごまがしがあることを認めている<ref name=meizi>[http://www.sciencecomlabo.jp/fortune-telling/astrology.html 占星術] 疑似科学とされるものの科学性評定サイト 明治大学科学コミュニケーション研究所</ref>。
 
 
 
高額なお布施などには、個人のレベルで注意する必要がある<ref name=meizi/>。
 
 
 
==理論==
 
{{出典の明記|date=2018年4月|section=1}}
 
=== 十二宮 ===
 
{{main|十二宮}}
 
[[十二宮]]は黄道を12に分割して得られた区画である。占星術師たちは、それぞれの[[サイン_(占星術)|宮]]と、それが持つ意味について注記している。一般的な西洋占星術では、天の赤道と黄道の東側の交点である[[春分点]]から、十二宮の起点である[[白羊宮]]を始める[[サイン_(占星術)|トロピカル方式]]を採用している。ゆっくりとした地軸の味噌擂り運動である、[[歳差運動]]によって、それぞれの宮(サイン)の天の配置は既にギリシア時代にサインの指標とされた星座に一致しなくなっている。西洋占星術師の中にも、[[サイン_(占星術)|サイデリアル方式]]を採用することで占星術創成期のサインと指標の星座との一致を試みる動きもある。
 
 
 
===サイン===
 
{{main|サイン_(占星術)}}
 
近代の西洋占星術では、十二宮の[[サイン_(占星術)|サイン]]は、12の基本的な個性を表すものと信じられている。12のサインは、火、水、空気、土の古典的な[[四大元素]]に分類されている。同時に、{{仮リンク|活動宮|en|Cardinal sign (astrology)}}、{{仮リンク|不動宮|en|Fixed sign}}、{{仮リンク|柔軟宮|en|Mutable sign}}という三分類もされている。
 
 
 
*活動宮は四季の各季節の最初に太陽が位置するサインであり、大きく季節が変化するため活動宮の名称を持つ。
 
*不動宮は季節の中間で太陽が位置するサインであり、季節が安定したものになることに対応している。
 
*柔軟宮は季節の終わりに太陽が位置するサインであり、季節が変わり始めることに対応している。
 
 
 
このようにサインと季節には対応関係があり、例えば春の最初のサインである白羊宮は、[[春分]]から[[穀雨]]直前まで太陽が位置するサインである。「暑さ寒さも[[彼岸]]まで」というように、通常は白羊宮に太陽が位置する期間から気温が上昇したということが実感できる。そのため白羊宮は火つまり熱く乾燥したサインであり活動宮として捉えられており、またその性質が牡羊の持つ突進力になぞらえられている。続く[[金牛宮]]は地のサインの不動宮であり気温の上昇が緩やかになってきていることに対応している。そして春のサインの最後である[[双児宮]]が変動宮であり、夏への転換点となっている。
 
 
 
[[サイン_(占星術)|サイデリアル方式]]を採用する場合、季節とサインの対応が壊れてしまう。
 
 
 
12宮の性質はおおよそ以下のようなものとされる<ref> Robert Pelletier & Leonard Cataldo ''Be Your Own Astrologer'' pp 24 - 33, Pan Books Ltd, London 1984; Maritha Pottenger, ''Astro Essentials'', pp 31 - 36, ACS Publications San Diego, 1991 </ref>。あくまでも一例であり、かつ、統計学をはじめとする各種学術研究に裏打ちされたものではない。[[2区分・3区分・4区分]]も参照のこと。
 
 
 
[[生年月日]]と出生時刻でホロスコープを作成すると[[月]]、[[水星]]、[[金星]]、[[太陽]]、[[火星]]、[[木星]]、[[土星]]、[[天王星]]、[[海王星]]、[[冥王星]]のすべての天体の他、ハウスなどが以下のサインに対応している。例えば月のサインが[[双魚宮]]で、[[水星]]のサインが[[人馬宮]]、第1ハウスが[[天秤宮]]など
 
 
 
*[[Image:Aries.svg|25px]] - [[白羊宮]](Aries, アリエス)
 
** 火の宮(ホット、ドライ)、活動宮、男性格
 
** キーワードは「我あり」。性質は個人主義的、知的、情熱的、先駆者的、激情的、直情的など。場合によっては我儘や尊大や粗野、プライドの強さに結びつく。主に「自分」や「自己意志」を司るサイン。
 
 
 
*[[Image:Taurus.svg|25px]] - [[金牛宮]](Taurus, タウルス)
 
** 地の宮(クール、ドライ)、不動宮、女性格
 
** キーワードは「我は持つ」。性質は、機知に富むこと、周到さ、我慢強さ、頑強さ、芸術的など。場合によっては緩慢さ、頑固さ、欲深さ、主観的などに結びつく。主に「所有物」や「貯蓄」を司るサイン。
 
 
 
*[[Image:Gemini.svg|25px]] - [[双児宮]](Gemini, ゲミニ)
 
** 空気(風)の宮(ホット、モイスト)、柔軟宮、男性格
 
** キーワードは「我思う」。性質は論理的、活動的、二重性、好奇心の強さ、移ろいやすさ、社交的など。場合によっては二面性、落ち着きのなさ、言語に厳密、等に結びつく。主に「知識」や「能力の拡大」を司るサイン。
 
 
 
*[[Image:Cancer.svg|25px]] - [[巨蟹宮]](Cancer, カンケル)
 
** 水の宮(クール、モイスト)、活動宮、女性格
 
** キーワードは「我は感じる」。性質は、保護的、敏感さ、粘り強さ、愛情深さなど。場合によっては、カニ的な(crabby ; 意地悪な、不機嫌な)性質や厭世観に結びつく。主に「家庭」や「ローカル」を司るサイン。
 
 
 
*[[Image:Leo.svg|25px]] - [[獅子宮]](Leo, レオ)
 
** 火の宮(ホット、ドライ)、不動宮、男性格
 
** キーワードは「我は決意する」。性質は、気前の良さ、誇り高さ、快活さ、力強さ、独創的、高貴さなど。場合によっては 傲岸さ、横柄さ、利己主義などに結びつく。主に「遊び」や「自慰」を司るサイン。
 
 
 
*[[Image:Virgo.svg|25px]] - [[処女宮]](Virgo, ウィルゴ)
 
** 地の宮(クール、ドライ)、変動宮、女性格
 
** キーワードは「我は分析する」。性質は、実践的、批評的、謙虚さ、精神的な活動、有能さ、柔軟性など。場合によっては、衒学的、批判過剰、気難しさなどに結びつく。主に「整理整頓」や「実務に有能」を司るサイン。
 
 
 
*[[Image:Libra.svg|25px]] - [[天秤宮]](Libra, リブラ)
 
** 空気(風)の宮(ホット、モイスト)、活動宮、男性格
 
** キーワードは「我は均衡させる」。性質は、交渉上手、公正さ、開明的、魅力的、必要に応じたパートナー関係など。場合によっては優柔不断さ、屁理屈屋に結びつく。主に「相対関係の均衡」や「バランス」を司るサイン。
 
 
 
*[[Image:Scorpio.svg|25px]] - [[天蠍宮]](Scorpio, スコルピオ)
 
** 水の宮(クール、モイスト)、不動宮、女性格
 
** キーワードは「我は欲する」。性質は、知覚の鋭さ、秘密主義、複雑さ、分析的、魅惑的、野心的、など。場合によっては、嫉妬深さ、狡猾さ、残酷さなどに結びつく。主に「応用性」や「死」を司るサイン。
 
 
 
*[[Image:Sagittarius.svg|25px]] - [[人馬宮]](Sagittarius, サギッタリウス)
 
** 火の宮(ホット、ドライ)、柔軟宮、男性格
 
** キーワードは「我は感知する」。性質は、率直さ、外向的、発展的、楽観的、哲学的、知的など。場合によっては、無頓着さ、大失態、デリカシーのなさ、心変わりの激しさなどに結びつく。主に「万能性」や「哲学」を司るサイン。
 
 
 
*[[Image:Capricorn.svg|25px]] - [[磨羯宮]](Capricorn, カプリコルン)
 
** 地の宮(クール、ドライ)、活動宮、女性格
 
** キーワードは「我は使う」。性質は、思慮深さ、用心深さ、我慢強さ、几帳面さ、控え目など。場合によっては、憂鬱さ、悲観的、融通の利かなさなどに結びつく。主に「社会」や「現実面」を司るサイン。
 
 
 
*[[Image:Aquarius.svg|25px]] - [[宝瓶宮]](Aquarius, アクワリウス)
 
** 空気(風)の宮(ホット、モイスト)、不動宮、男性格
 
** キーワードは「我は知る」。性質は、客観的、因習に囚われないこと、人道主義的、賢明さなど。場合によっては、独善的、冷淡さ、気変わり、エリート主義的などに結びつく。主に「友人」や「更新」を司るサイン。
 
 
 
*[[Image:Pisces.svg|25px]] - [[双魚宮]](Pisces, ピスケス)
 
** 水の宮(クール、モイスト)、変動宮、女性格
 
** キーワードは「我は信ずる」。性質は、創造力の豊かさ、多面性、情け深さ、理想主義的、スピリチュアルなど。場合によっては、現実逃避、腹黒さ、注意散漫、主体性の無さなどに結びつく。主に「幻惑」や「潜在意識」を司るサイン。
 
 
 
個人にとってあるサインの重要度は、そのサインの中での惑星の位置とアセンダントに依存する。もしも任意のサインの中に何の星もなかったなら、そのサインはパーソナリティの中での役割は弱くなる<ref>占う上ではそのサインの守護星とその状態を使用するので、何らかの判断を導き出すことはできる。{{要出典|date=2018年4月|}}</ref>。他方、例えばある星が太陽や月とともに巨蟹宮にあったなら、そのサインの特質は組み合わせの中で強く表れることになる。
 
 
 
====サン・サイン占星術====
 
{{main|en:Sun sign astrology}}
 
新聞や雑誌などには、しばしば[[星座占い]]のコーナーがある。それらのコーナーでは、生まれたときに太陽があった[[黄道十二宮]]に対応させて、その日に起こるかもしれない出来事の案内を提供していると主張している。しかし、これらの占いは非常に曖昧で一般的なものであるため、占星術師たちの中にもほとんど価値がないと見なしている者もいる。そうであってもKim Farnellによるとサン・サイン占星術の起源はホロスコープ占星術を同じくらい古いらしい。<ref>Flirting With the Zodiac: A True History of Sun Sign Astrology (ISBN 1902405234)</ref>サン・サイン占星術の曖昧さに対して、プロの占星術師たちはより完璧な、個人に特化したホロスコープを使えば、的中精度が上がると主張するが、懐疑派は事実でないと批判している<ref>[http://home.wxs.nl/~skepsis/astrot.html The AstroTest]を参照のこと。</ref>。
 
 
 
[[20世紀]]末には、[[へびつかい座]]を加えた13星座占いとすべきだというものも現れた。詳しくは、[[13星座占い]]を参照のこと。
 
 
 
====ムーン・サイン占星術====
 
月は人間の感情や情緒的気分などの心理的傾向を示すといわれている。
 
 
 
====木星サイン占星術====
 
木星の位置でその年の運勢と傾向を占い、約12年周期で運勢のバイオリズムを読み解く。
 
 
 
====サイデリアル方式の西洋占星術====
 
西洋占星術では、白羊宮の始点に関して二通りの見解がある。サイデリアル方式では、始点を固定的なものであると考えるが、西洋占星術の主流であるトロピカル方式では[[春分点]]を白羊宮の始点とする。
 
 
 
春分点は歳差運動にともなって移動するため、西洋占星術の主流では、[[十二宮|黄道十二宮]](サイン)と[[黄道十二星座]]の結びつきが損なわれている。一方、サイデリアル方式では始点が固定的なため、その結びつきは保持されている。しかし黄道十二宮と季節の対応は損なわれているため、どちらの方式を採用するかは術者の判断による。なお地球の[[歳差運動]]は、「宝瓶宮の時代」の概念的基盤を与えている(詳しくは[[春分点#春分点と星座]]を参照のこと)。
 
 
 
===惑星===
 
{{main|en:Planets in astrology}}
 
近代の西洋占星術では、「惑星」は人間の精神の中の基底的な原動力ないしは衝動を表す。これらの「惑星」は天文学の定義と異なり、[[太陽]]、[[月]]、そして2006年に惑星から降格された[[冥王星]]なども包含する概念である。それぞれの惑星は、サインと惑星の類似性ないし共感性を基盤として、十二宮のうちの一つないし二つのサインの[[守護惑星|守護星]]であるとされる。逆に言え=ば占星術において惑星とはサインの守護星としての性質を持つものであり、他は天体ないし星ではあっても惑星ではない<ref>実在天体や[[月の交点|昇交点・降交点]]、そしてアラビック・パーツなども含む概念を表す用語として感受点が使用されることもある{{要出典|date=2018年4月|}}。</ref>。(とはいえ、サインの守護星とは何であるか?と問うならば、惑星に対するこの定義は循環論法の可能性がある。)近代以降に発見された3つの惑星<ref>当時は3つの惑星であったが、既に述べたように冥王星は2006年に天文学上は準惑星に分類されることになった。{{要出典|date=2018年4月|}}</ref>も、占星術師たちによって支配するサインを割り当てられている。
 
 
 
現代主流の占星術で惑星とされている、トランス・サタニアンの[[天王星]]・[[海王星]]・冥王星は、望遠鏡による観測によって確認されたものであり、18 - 20世紀に発見された天体である。そのため近年のリリーの再評価から始まりラテン語やさらにはイスラム圏の文献を英語に翻訳し、過去の技法を蘇らせようとする、ある意味伝統的な占星術では使用しない。ただ天王星や海王星を受け入れた現代的な占星術師においても、冥王星については、2006年に[[準惑星]]となった際に、チャートから外す占い師もみられた。
 
 
 
もっとも欧米では、冥王星はおろかさらに小さな[[小惑星]]までも使用することが多く、その中でも代表的なものは、[[ケレス (準惑星)|ケレス]]、[[パラス (小惑星)|パラス]]、[[ジュノー (小惑星)|ジュノー]]、[[ベスタ (小惑星)|ベスタ]]、[[キロン (小惑星)|キロン]]である。また、今後[[エリス (準惑星)|エリス]]が占星術に取り入れられる可能性がある。冥王星から惑星の地位を奪い、人類に対して少なからざる影響力を持ったからである。すでにエリスを表示できるホロスコープ作成ソフトウェアも存在する。
 
 
 
各惑星は、どのサインに入っているか等の条件から品位([[品位 (占星術)|ディグニティ]])とよばれるパラメータが割り振られる。あるホロスコープにおいて相対的に品位が高い惑星は凶星(マレフィック)であっても良い作用があり、品位が低いと吉星(ベネフィック)であっても悪い作用を持つとされる。古典的な7惑星についての品位の計算方法は厳密で細かく規定されているが、新しい惑星では品位の計算方法が確立していない。伝統的な占星術では、近代になって発見された惑星を使用しないことの理由付けの一つに、品位が計算方法が不完全であることを挙げている。他方、新しい惑星を組み込んだ近代占星術において、品位は忘れられかけた技法のひとつとなった。
 
 
 
占星術で使われる11の惑星は以下の通りである<ref> Sasha Fenton ''Understanding Astrology'', pp106 - 115,  Aquarian Press, London, 1991 ; Maritha Pottinger, ''Ibid'', pp11 - 17, 1991 </ref>。
 
 
 
====古典的な惑星====
 
これらの7つの「惑星」(ここでは、太陽と月も「惑星」に含む)は古代には知られていたものであり、各個人の7つの基礎的原動力を表していると信じられている。このため、占星術師たちは、これらの星を「パーソナル・プラネット」と呼ぶ。
 
 
 
*[[Image:Sun_symbol.svg|25px]] - [[太陽 (占星術)|太陽]] : 獅子宮の守護星。意味するものは、個人的な力、活力と成功、指導力、権威、父性、創造性など。
 
 
 
*[[Image:Moon_symbol_decrescent.svg|25px]] - [[月 (占星術)|月]]: 巨蟹宮の守護星。意味するものは、内的な感覚、雰囲気、習慣、無意識、母性、一般的な生活の家と家族など。
 
 
 
*[[Image:Mercury_symbol.svg|25px]] - [[水星 (占星術)|水星]] : 双児宮と処女宮の守護星。意味するものは、心性、共同体、基礎教育、文筆業、隣人など。
 
 
 
*[[Image:Venus_symbol.svg|25px]] - [[金星 (占星術)|金星]] : 金牛宮と天秤宮の守護星。意味するものは、あらゆる種類の関係やパートナーシップ、ロマンティックな愛、美への欲求、調和、芸術、社会的生活など。
 
 
 
*[[Image:Earth_symbol.svg|25px]] - [[地球]] : 金牛宮の守護星。意味するものは、あらゆる種類の関係やパートナーシップ、個人的な力、活力と成功、指導力、権威、父性、創造性、責任感、権威と [[ヒエラルキー]]、難事への対処能力、自分と他人を律すること、信頼性など。
 
 
 
*[[Image:Mars_symbol.svg|25px]] - [[火星 (占星術)|火星]] : 白羊宮と天蠍宮の守護星。意味するものは、行動への衝動、個人的な活力、攻撃性、情熱、スポーツなど。
 
 
 
*[[Image:Jupiter_symbol.svg|25px]] - [[木星 (占星術)|木星]] : 人馬宮と双魚宮の守護星。意味するものは、個人的な成長、大志、自由への欲求、正義感と道徳性、宗教、哲学、高等教育など。
 
 
 
*[[Image:Saturn_symbol.svg|25px]] - [[土星 (占星術)|土星]] : 磨羯宮と宝瓶宮の守護星。意味するものは、個人的な制約、責任感、権威と[[ヒエラルキー]]、難事への対処能力、自分と他人を律すること、信頼性など。
 
 
 
====近代的な惑星====
 
これらの惑星は近代になって発見され、それ以降西洋占星術でも重要な意味を持つ星として取り入れられた。これらの惑星を使用する場合、それぞれ対応する宮の守護星であった古典的な惑星を副守護星として扱う。
 
 
 
*[[Image:Uranus's_astrological_symbol.svg|25px]]  - [[天王星 (占星術)|天王星]] : 宝瓶宮の守護星。意味するものは、反乱や型破り、旧体制の破壊、革新と創意、理想主義と発展的な思考など。
 
 
 
*[[Image:Neptune_symbol.svg|25px]] - [[海王星 (占星術)|海王星]] : 双魚宮の守護星。意味するものは、[[神秘主義]]、卓越性、共感、慈善、心霊的、社会からの後退、芸術的閃きなど。
 
 
 
*[[Image:Pluto_symbol.svg|25px]] - [[冥王星 (占星術)|冥王星]] : 天蠍宮と白羊宮の守護星。意味するものは、生活の局面の始点と終点、死、秘密の暴露、ビッグビジネスなど。
 
 
 
*[[Image:Ceres symbol.svg|25px]] - [[ケレス (準惑星)|ケレス]] : 処女宮または金牛宮の守護星。意味するものは、農業、母性、献身、愛情、創作意欲、滋養、健康など。
 
*[[Image:Chiron_symbol.svg|25px]] - [[キロン (小惑星)|キロン]] : 魂の傷を癒す者。
 
 
 
エリス(準惑星):射手座の守護星。意味するものは、運命、全能、退化、不和、信仰、絶対者(神)など。
 
 
 
====ノード====
 
占星術では[[月の交点]](ルナー・ノード、ノード)も重要である<ref> Derek and Julia Parker, ''The New Compleat Astrologer'', p149, Crescent Books, New York, 1990 </ref>。ノードとは、[[黄道]]と[[白道]]の交差点する点であり、[[食_(天文)|蝕]]が発生する点である。北のノードは、月が南から北へと横切る点で、昇交点(Caput Draconis, ドラゴン・ヘッド)と呼ばれる。南のノードは月が北から南へと横切る点で、降交点(Cauda Draconis, ドラゴン・テイル)と呼ばれる。[[ドラゴン|龍]]が出てくるこれらの名称は、バビロニア占星術で龍に変じた[[ティアマト]]の姿に由来しており、インド占星術に導入された後、中世イスラム世界を経由して、西洋占星術にも取り入れられた<ref>テスター [1997] pp.161-163</ref>。
 
 
 
西洋占星術ではそれぞれの惑星ほどには、重要な要因とは考えられていないが、考慮に値する繊細なエリアと見なされている。
 
 
 
*[[Image:Northnode-symbol.svg|25px]] - 昇交点 : 昇交点は木星と余りかわらない有益な効果をもたらす傾向があり、そこからいくらかのアドバンテージを引き出せる可能性もあるとされている。
 
*[[Image:Southnode-symbol.svg|25px]] - 降交点 : 降交点は土星と余りかわらないような悪影響をもたらす傾向があり、個人からエネルギーを流出させる可能性があるとされる。
 
 
 
===ホロスコープ===
 
{{main|ホロスコープ}}
 
西洋占星術は、主にホロスコープの作成に基礎を置いている。ホロスコープは、ある特定時点の天の「チャート」を表した図である。選ばれる「時」は、ホロスコープの主題となる存在の始点(人物であれば生まれた時)である。これは、主題となる存在は、その生涯を通じて、始点における天のパターンを引きずると考えられているからである。
 
 
 
理論上、ホロスコープは企業の創設から国家の樹立に至るまで分析の対象としうるが、最も一般的なのは、個人の誕生時を基礎とする出生図([[:en:Natal chart|natal chart]])である。
 
[[Image:Thema Mundi.svg|thumb|200px|right|テーマ・ムンディ(天地創造第4日目の星位)]]
 
 
 
====解釈====
 
西洋占星術でのホロスコープの解釈は、以下のものに支配される。
 
*十二宮における各「惑星」の位置
 
*ホロスコープの[[ハウス_(占星術)|ハウス]]における各「惑星」の位置と状態(品位)、ハウスが空の場合はハウスの境界であるハウス・カスプのあるサインの守護星を使用する。
 
* ホロスコープの基礎的なアングル(アセンダントとデセンダントを結ぶ軸と、天頂と天底を結ぶ軸)の位置。
 
* 天体や基礎的なアングルが形成する角度、いわゆる[[アスペクト_(占星術)|アスペクト]]
 
* 昇交点、降交点のような想定上の存在
 
 
 
占星術師の中には、[[:en:Arabian parts|Arabian parts]]のような様々な数学的なポイントの位置を用いる者もいる。
 
 
 
====基礎的なアングル====
 
ホロスコープには、基礎的なアングルが存在する。以下に挙げるもの以外にも、占星術師の中によっては、ハウスの[[カスプ]]がしばしば重要なアングルとして含められることもある。
 
 
 
*[[Image:Ascendant-symbol.svg|25px]] - アセンダント(上昇点、ASC)
 
*:これは黄道と地平線が交差する東の点である。地球が回転するために、一日を通してその地点にある[[サイン_(占星術)|サイン]]が一回りするのである。ここから「上昇サイン」という概念が生まれる。それは、ホロスコープもしくは出生図で算定された正確な時間において、東の空に上ったサインを指している。ホロスコープの作成に当たっては、アセンダントは慣例的に図面の左側に書かれる。ほとんどのハウス・システムでは、アセンダントは第1室のカスプに結び付けられている。
 
*:アセンダントは、圧倒的多数の占星術師から、最も重要で個別化されたアングルと見なされている。それは、東の空に昇る太陽の姿が夜明けを表すのと同じように、個人の覚醒している意識を意味している<ref> Jeff Mayo, ''Teach Yourself Astrology'', p71, Hodder & Stoughton, London, 1991 </ref>。アセンダントは特定の時間と場所に固有なものなので、その個人の生い立ちにおける個人的な境遇や状態、あるいは幼年期の環境などを意味する。この理由で、アセンダントは、その個人がどのようにして公的・非個人的な場などの世界へ現れてくるのかにも関わってくる<ref> Sasha Fenton, ''Rising Signs'', pp 13-14, The Aquarian Press, London, 1989 </ref>。
 
*:アセンダントと正反対の西にある点がデセンダント(下降点)である。これは個人が他者との関係の中でどのような反応を示すのかを表している。それは同時に我々がひきつけられる種類の人間や、我々のロマンティックな愛着を形成する能力をも示してくれる。ほとんどのハウス・システムでは、デセンダントは第7室のカスプに結び付けられている。
 
 
 
*[[Image:Midheaven-symbol.svg|25px]]- 中天(medium coeli, MC)
 
*:これは「[[天頂]]」(zenith)とも言われる、地平線上から最も遠い黄道の地点である。占星術師たちにとっては、中天は伝統的に個人の経歴、地位、生涯の目標、大志、世評、人生の到達点を示すとされる。四分円のハウス・システムでは、中天は第10室のカスプに結び付けられている。
 
*:中天の反対に位置する点は、天底([[:en:Imum Coeli|imum coeli]], IC)である。占星術師たちにとって、天底は伝統的に生まれたときと死ぬときの状況や、両親、生家、家庭生活などを示すとされる。四分円のハウス・システムでは、天底は第4室のカスプに結び付けられている。
 
 
 
====ハウス====
 
{{main|ハウス (占星術)}}
 
ホロスコープは占星術師たちによって12に分割され、ハウスと呼ばれる。黄道をハウスに分割する方法は多様である。日本では室、舎、位などと訳される。ホロスコープにおけるハウスは、人生や活動の12の異なる範囲として解釈されている。ホロスコープにおけるハウス分割法には様々な方法があり、古来アル=カビーシー、[[カンパヌス]]、[[レギオモンタヌス]]、プラキドゥス・デ・ティティ(プラシーダス)らが様々な分割法を試みてきたが、確定的なものはない<ref>テスター [1997] pp.321-323</ref>。しかし、その意味するところは概ね以下のように解釈されている<ref> Sasha Fenton, ''Ibid'', pp117-8, 1991およびWilliam Lilly, ''Christian Astrology'', Chapter VII </ref>。
 
 
 
'''第1室''': 個人の外観や身体特質。自我。物事の始まり。
 
 
 
'''第2室''': 金銭と財産、価値と優先事項。物事の成長。
 
 
 
'''第3室''': コミュニケーション、兄弟姉妹、隣人関係、ローカルな旅行や輸送、教育、日常的な問題。
 
 
 
'''第4室''': 家庭と家族、父親。不動産とその性質。相続、保持。人生の始まりと終わり。死後の名声。<!--ここでは古典的な解釈で書き直させて頂きました。-->
 
 
 
'''第5室''': 悦楽と余暇、休日、遊戯と賭博。子供たち。創造性。深い関係とまではいえない恋愛沙汰。
 
 
 
'''第6室''': 召使、メイド。労働、職務と雑役。被雇用者とその業務。健康。小型の家畜。
 
 
 
'''第7室''': 対人関係。配偶者、結婚、ビジネス・パートナー。合意や協定。敵対者と戦争。
 
 
 
'''第8室''': 誕生と死、始まりと終わり。性的な関係やあらゆる種類の深くコミットした関係。税金、遺産、企業金融。[[オカルト]]や[[心霊]]的な事柄。
 
 
 
'''第9室''': 航海をともなう遠距離の旅行、移住。外国旅行、外国とその文化。宗教、法制、[[高等教育]]。見聞を広めるために求める全てのもの。自由。
 
 
 
'''第10室''': 意思と野望、人生の方向。社会における地位や経歴。有名人のハウス。4室からみた7室であり、父親の配偶者、つまり母親を意味する。
 
 
 
'''第11室''': 友人・知人などの限られた関係。グループ、クラブ、結社、それらの中でも特に慈善的なもの。
 
 
 
'''第12室''': 神秘主義、オカルト、心霊的なもの。病院や監獄のような隔離された場所。後退、反射、自己犠牲。大型の家畜。
 
 
 
多くの近代的な占星術師たちは、ハウスは対応するサインと共感すると考えている。つまり、第1室は第1のサイン(白羊宮)と自然な親和性を持つ等であるが、古典的な占星術ではそうでもない。例えば第1室に対応する惑星は水星であって、白羊宮の守護星の火星とは異なっている。
 
 
 
====アスペクト====
 
{{main|アスペクト_(占星術)}}
 
アスペクトとは、ホロスコープにおいてそれぞれの惑星やアセンダント、デセンダント、中天、天底などが形作る角度のことである。アスペクトは、地球から見た2点間の黄道上の[[離角]]を[[黄経]]上の度数で測定したものである<ref> Jeff Mayo, ''Ibid'', p97, 1991 </ref>。それらは、ホロスコープを読む上での焦点となる。角度がより正確であればあるほど、アスペクトは影響力が強くなるが、オーブ(orb)と呼ばれる数度の許容範囲が解釈においては認められている。以下のアスペクトは、重要度の順に並べたものである<ref> Robert Pelletier and Leonard Cataldo, ''Ibid'', pp 57 - 60, 1984 ; Sasha Fenton, ''Ibid'', pp137-9, 1991 </ref>。
 
 
 
*[[Image:Conjunction-symbol.svg|25px]] - コンジャンクション([[合_(天文)|合]])0° (orb +-8°)。コンジャンクションはチャートの中でも重要なアスペクトで、お互いに惑星の影響を強め合う。土星と木星の合は、特にグレートコンジャンクションと呼ばれ、大きな変事を示すとされる。歴史上有名な合については、[[合_(天文)#歴史上の合]]を参照のこと。
 
 
 
*[[Image:Opposition-symbol.svg|25px]] - オポジション([[衝]]) 180°(orb +-8°)。オポジションは、関係ある2要素が正反対に位置するアスペクトで、緊張、衝突、対立などを示している。ただし、このアスペクトの2つの部分が相互補完的になるなら、良い方向に作用する。
 
 
 
*[[Image:Trine-symbol.svg|25px]] - トライン(三分)120°(orb +-8°)。トラインはお互いが強めあっている2要素で、調和的な関係を表している。トラインは芸術的・創造的才能の源であるが、他方で気弱な性質にも結びつく。
 
 
 
*[[Image:Square-symbol.svg|25px]] - スクエア(矩)90°(orb +-8°)。スクエアはフラストレーション、抑圧、内心の葛藤などを表している。ただし、限界を超えようとしている人の活力の源になりうるアスペクトでもある。
 
 
 
*[[Image:Sextile-symbol.svg|25px]] - セクスタイル(六分) 60°(orb +-6°)。セクスタイルはトラインに似ているが、重要性では劣る。関係ある2要素の間での親和性や調和性とともに、コミュニケーションの容易さを表している。
 
 
 
*[[Image:Quincunx-symbol.svg|25px]] - クウィンカンクス 150°(orb +-3°)。クウィンカンクスは相性の合わない要素が無理に近づけられているために、困難さやストレスを表す。同時に、その人の人生における自己への無頓着さなども表している。
 
 
 
*[[Image:Semisextile-symbol.svg|25px]] - セミセクスタイル 30° (orb +-2°)。影響はわずかなものである。積極的であろうとする意識的な努力が生まれなければならない人生のエリアを表している。
 
 
 
*[[Image:Semisquare-symbol.svg|25px]] - セミスクエア(半矩) 45°(orb +-2°)。幾分の困難な状況を表している。効力の点でセミセクスタイルに似ている。
 
 
 
*[[Image:Sesquisquare-symbol.svg|25px]] - セスキコードレイト 135°(orb +-2°)。幾分かのストレスのある状況を表している。セミセクスタイルに似ている。
 
 
 
*[[Image:Quintile-symbol.svg|25px]] - キンタイル 72° (orb +-2°)。影響はわずかである。天分や、漠然とした幸福な状況を表している。
 
 
 
*[[Image:Biquintile-symbol.svg|25px]] - バイキンタイル 144°(orb +-2°)。影響はわずかで、キンタイルに似ている。
 
 
 
*'''<span style="font-size:25px">P</span>''' - パラレル : 他のアスペクトとは異なり、赤道座標における赤緯が同じ値となる天体間で発生する。合に類似した作用を持つとされる。2天体が天の赤道に対して同じ側にある通常のParallelと赤道を挟んで反対側にあるContraparallelがある。
 
 
 
*[[Image:Retrograde-symbol.svg|25px]] - 逆行 : 地球から見たときに地球との相対的な速度から、ある天体が逆方向に動いているように見えることがある。これが逆行である。逆行はアスペクトではないが、占星術師には、星位図の中での考察に含めるものがある。彼らによれば、出生図において逆行している惑星は、潜在的な弱点であるとされる。
 
 
 
*'''<span style="font-size:25px">S</span>''' - 留 : 地球から見たときに地球との相対的な速度から、ある天体が静止しているように見えることがある。これが留で順行と逆行の間で発生する。留はアスペクトではないが、占星術師には、星位図の中での考察に含めるものがある。彼らによれば、留の状態にある惑星は吉凶ともに強い影響力があるとされる。
 
 
 
===== グループ・アスペクト =====
 
アスペクトの中には、3つ以上の惑星が関与するものもある。主なグループ・アスペクトには以下のものがある。
 
 
 
* グランドトライン(大三角)- 3つの惑星がそれぞれトライン(120度)の関係にあるアスペクト。この場合、3惑星が入っているサインの4大元素が必ず一致するため、それに応じて「火のグランドトライン」「地のグランドトライン」「風のグランドトライン」「水のグランドトライン」に分けられる。
 
 
 
* ハーモニック・コンコーダンス - 2組の大三角が組み合わさって[[六芒星]]の形となるもの。当然のようにきわめて稀にしか出現しない。
 
 
 
* [[グランドクロス]](大十字)- 4つの天体がお互いにスクエア(90度)の関係にあり、十字を形成しているアスペクト。この場合、各惑星が入っているサインの性質(不動宮、活動宮、柔軟宮)が必ず一致するため、「不動のグランドクロス」「活動のグランドクロス」「柔軟のグランドクロス」に分けられる。
 
 
 
* トリプルコンジャンクション(三重合)- 3つの天体が合にある星位。
 
 
 
* Tスクエア(T字型十字)- 3惑星A, B, CがあるときにAとBがオポジション(180度)を形成し、AとC、BとCがそれぞれスクエア(90度)を形成するアスペクト。その名の通り、T字型になる。
 
 
 
* カイト(凧)- 4惑星A, B, C, Dがあるとき、∠DAB=120度、∠ABC=∠CDA=90度、∠BCD=60度となるもの。形が西洋凧に似ていることからこうよばれる。
 
 
 
* ヨード - 3惑星が構成する3つのアスペクトが、セクスタイル1、クウィンカンクス2の構成となってY字型の配置となっているものを言う。スクエア1、セスキコードレイト2の構成のY字型の配置もヨードとされることがある。
 
 
 
* 調停 - 3個以上の惑星が構成するハードアスペクトである180度とソフトアスペクトである120度と60度の複合したもの、あるいは90度と120度の複合したものは古くから“調停”と呼ばれている。これをグループアスペクトに含める場合もある。<ref>{{Cite book |author=[[石川源晃]] |year=1981 |title=占星学教科書|page=394 |publisher=石川事務所 }}</ref>
 
 
 
このような3個以上の占星点で形成されるグループアスペクトにおいては、単独のアスペクトより広いオーブ、あるいは狭いオーブを採用する場合がある。<ref>{{Cite book |author=[[石川源晃]] |year=1981 |title=アストロサークルの集い (国立国会図書館逐次刊行物Z 9-567)ホロスコープ誌上解説|page=20 |publisher=石川事務所 }}</ref>
 
 
 
上記のような複数の惑星ないしASCやMCが特徴的な図形を構成するグループアスペクトの概念を緩くした、複合アスペクトの概念が存在する。例えば、3つの惑星A, B, CがあるときにAとB、BとC、そしてCとAの間にそれぞれアスペクトが存在するとき、3つの惑星A, B, Cが複合アスペクトを構成するという。そして複合アスペクトから吉凶象意を読みとって行く技法がある。
 
 
 
ただし、調停の説明にあるとおり複合アスペクトの考え方は古くから存在する。実際ほとんどのホロスコープに複合アスペクトが形成される。
 
 
 
==脚注==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{reflist|2}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* H.J.アイゼンク、D.K.B.ナイアス著 岩脇三良 訳 [1986] 『占星術 - 科学か迷信か』[[誠信書房]]
 
* ポール・クーデール著 [[有田忠郎]] 菅原孝雄 訳 [1986] 『占星術』[[白水社]]([[文庫クセジュ]])
 
* [[中山茂]] [1992] 『西洋占星術』 [[講談社現代新書]]
 
* 中山茂 [1993] 『占星術 その科学史上の位置』[[朝日新聞社]](朝日文庫)
 
*{{Cite book|和書|ref={{SfnRef|カレルズ, 阿部訳|1996}} |author=ジャン・カレルズ |others=阿部秀典訳 |year=1996 |title=占星術大全 |publisher=青土社}}
 
* ジム・テスター著 山本啓二 訳 [1997] 『西洋占星術の歴史』[[恒星社厚生閣]]
 
* [[志水一夫 (作家)|志水一夫]] [1997] 『改訂版・大予言の嘘 - 占いからノストラダムスまで』[[データハウス]]
 
<!-- *バートン,タムシン 豊田彰 訳『古代占星術―その歴史と社会的機能』法政大学出版局 ISBN 458835602X-->
 
* ジョルジュ・ミノワ著 [[菅野賢治]] [[平野隆文]]訳 [2000] 『未来の歴史―古代の預言から未来研究まで』[[筑摩書房]]
 
*{{Cite book|和書 |others={{仮リンク|クリストファー・パートリッジ|en|Christopher Partridge}} 編、[[井上順孝]] 監訳、井上順孝・井上まどか・冨澤かな・宮坂清 訳 |title=現代世界宗教事典—現代の新宗教、セクト、代替スピリチュアリティ|publisher=[[悠書館]]|date=2009}}
 
**{{Cite journal|和書|ref={{SfnRef|Lewis, 宮坂訳|2009}} |author=James R.Lewis 執筆|others=宮坂清 訳|title = 占星術}}
 
* ニコラス・キャンピオン著 [[鏡リュウジ]] 監訳 [2012]  『世界史と西洋占星術』[[柏書房]]
 
* {{Cite book |和書 |ref=oota |author=[[大田俊寛]] 著 |title=現代オカルトの根源 - 霊性進化論の光と闇 |series=ちくま新書 |publisher=筑摩書房 |year=2013 |isbn=978-4-480-06725-8 }}
 
* {{Cite book |和書 |ref={{SfnRef|プリンチペ, 菅谷・山田訳|2014}} |author=ローレンス・M・プリンチペ 著  |others=菅谷暁・山田俊弘 訳|title=科学革命 |series=サイエンスパレット |publisher=丸善出版 |year=2014 }}
 
* 野田伊豆守 [2018] 『時空旅人 - 占いの歴史と運命の謎に迫る』Vol.42 [[三栄書房]]
 
 
 
== 関連項目 ==
 
*[[西洋占星術の用語一覧]]
 
*[[判断占星術]]
 
*[[インド占星術]]
 
*[[天文学史]]
 
*[[ボイド時間]]
 
*[[四元素]]
 
*[[疑似科学]]
 
 
 
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