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− | {{Otheruses|人名|本項の人物が著した哲学書|荘子 (書物)}}
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− | [[File:Zhuangzi.gif|thumb|荘子]]
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− | [[File:Zhuangzi.jpg|thumb|荘子]]
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| {{道教}} | | {{道教}} |
− | '''荘子'''(そうし、[[紀元前369年]]頃 - [[紀元前286年]]頃)は、[[中国]]の[[戦国時代 (中国)|戦国時代]]の[[宋 (春秋)|宋]]国の蒙(現在の[[河南省]][[商丘]]あるいは[[安徽省]][[蒙城]])に産まれた思想家で、[[道教]]の始祖の一人とされる人物である。荘周(姓=荘、名=周)。[[字]]は子休とされるが、字についての確たる根拠に乏しい。[[曾子]]と区別するため「そうじ」と濁って読むのが中国文学、中国哲学関係者の習慣となっている<ref>[[玄侑宗久]]『NHK 100分de名著ブックス 荘子』2016年 NHK出版 5頁。</ref>。 | + | '''荘子'''(そうし、[[紀元前369年]]頃 - [[紀元前286年]]頃) |
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− | == 人物 ==
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− | 荘子については複数のテキストや説が存在するが、それらの信頼性には様々な疑義があり、また相互に矛盾する記述もあるため、詳らかでない。たとえば『史記』巻63には荘子の伝があるが、これは司馬遷が当時の寓言を多く含む『荘子』から引いたものと推定されており、池田知久は「司馬遷が思想家たちの作ったフィクションを材料にして書いた荘子の伝記」と述べている。その他、『呂氏春秋』や『荀子』などにも記述が見られるが、いずれも『荘子』の影響を強く受けている。<ref>橋本敬司「『荘子』研究への前哨」(『広島大学大学院文学研究科論集 特輯号 64-2』)11-13,18頁</ref>
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− | == 思想 ==
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− | 荘子の思想はあるがままの無為自然を基本とし、人為を忌み嫌うものである。老子との違いは、前者は政治色が濃い姿勢が多々あるが、荘子は徹頭徹尾にわたり俗世間を離れ無為の世界に遊ぶ姿勢で展開される。
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− | 軸となる傾向は徹底的に価値や尺度の相対性を説き、逆説を用い日常生活における有用性などの意味や意義にたいして批判的である。
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− | こうした傾向を、脱俗的な超越性から世俗的な視点の相対性をいうものとみれば、従来踏襲されてきた見方であるが、老荘思想を[[神秘主義]]思想の応用展開として読むことになる。他方で、それが荘子の意図であったかはもちろん議論の余地があるが、近年の思想研究の影響を受けつつ、また同時代の論理学派との関連に着目して、特権的な視点を設定しない内在的な相対主義こそが荘子の思想の眼目なのであり、世俗を相対化する絶対を置く思想傾向にも批判的であるという解釈もなされている。
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− | 荘子の思想を表す代表的な説話として[[胡蝶の夢]]がある。「荘周が[[夢]]を見て蝶になり、[[チョウ|蝶]]として大いに楽しんだ所、夢が覚める。果たして荘周が夢を見て蝶になったのか、あるいは蝶が夢を見て荘周になっているのか。」この説話の中に、無為自然、一切斉同の荘子の考え方がよく現れている。
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− | 近年では、方法としての寓話という観点や、同時代の論理学派や言語哲学的傾向に着目した研究もあらわれている。
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− | == 著書『荘子』 ==
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− | {{Main|荘子 (書物)}}
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− | 著書とされる『荘子』(そうじ)は、西晋の[[郭象]]が刪訂した内篇七篇、外篇十五篇、雑篇十一篇の構成のものが現在に伝わっている。これらのうち内篇のみが荘子本人の手による原本に近いものものされ、外篇・雑篇は弟子や後世の手によるものと見られている<ref>福永光司『新訂 中国古典選 第7巻 荘子 内篇』1966年 朝日新聞社 14-15頁。</ref>。
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− | 荘子「内篇」は逆説的な[[レトリック]]が随所に満ち満ちており、多くの[[寓話]]が述べられ、読者を夢幻の世界へと引きずり込む。
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− | == 孔子と儒教 ==
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− | 荘子は[[孔子]]を批判しているとされているが、文章をよく読むと孔子を相当重んじており、[[儒家]]の経典類もかなり読んだ形跡がある。このことから、古来より、荘子は儒家出身者ではないかという説があり、内容も本質的には儒教であると[[蘇軾]]が『荘子祠堂記』に於いて論じているほどである。[[白川静]]は孔子の弟子[[顔回]]の流れを汲むのではないかと推定している。
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− | == 道教 ==
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− | [[老荘思想]]が道教に取り入られ老荘が道教の神として崇められる様になっているが、老荘思想と道教の思想とはかけ離れているとされている。しかし、これに{{誰範囲|date=2015年11月3日 (火) 06:52 (UTC)|反対する説}}もある。
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− | === 後世への影響 ===
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− | 老子と荘子の思想が[[道教]]に取り入られる様になると、荘子は道教の祖の一人として崇められるようになり、道教を国教とした[[唐]]代は、皇帝[[玄宗]]により神格化され、742年に南華真人(なんかしんじん)の敬称を与えられた。また[[南華老仙]]とも呼ばれた。著書『荘子』は『[[荘子 (書物)|南華真経]](なんかしんきょう)』と呼ばれるようになった。『[[三国志演義]]』の冒頭に登場する南華老仙は荘子をさしている。
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− | == 著名な語句 ==
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− | *[[衛生]] 庚桑楚篇から
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− | *[[胡蝶の夢]]
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− | *[[木鷄]]
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− | *知魚楽
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− | *[[万物斉同]]
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− | *[[江湖]] 荘子内篇 逍遥遊第一
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− | *庖丁解牛 - 庖丁という男が刀一本で一頭の牛を見事に解体した故事。転じて調理用の刃物を「[[包丁]]」と呼ぶ語源となった。
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− | *寿(いのちなが)ければ則(すなわ)ち辱(はじ)多し 荘子・天地篇
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− | *己を虚しくする 荘子・山木篇
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− | *[[嚆矢]] 荘子・在宥篇
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− | *無用の用 荘子・人間世篇
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− | *萇弘は蜀に死す。其の血を蔵すること三年にして、化して碧と為る」(萇弘死于蜀,藏其血三年而化為碧) 荘子・外篇 ([[碧血碑]]・[[碧血剣]])
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− | *心斎坐忘 - [[修行]]の方法
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− | *[[古人糟魄]]
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− | == 出典 ==
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− | {{Reflist}}
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− | == 関連項目 ==
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− | *[[荘子 (書物)]]
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− | *[[老子道徳経]]
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− | *[[老子]]
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− | *[[列子]]
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− | *[[道教]]
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− | *[[老荘思想]]
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− | *[[禅]]-多くの交流影響がある
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− | == 関連文献 ==
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− | ※購入しやすい書籍のみ。
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− | *[[金谷治]]訳注 『荘子』 [[岩波文庫]](全4巻)- 同ワイド版でも刊
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− | *[[森三樹三郎]]訳注 『荘子』 [[中公クラシックス]](全2巻)- 旧版・[[中公文庫]](全3巻)
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− | *[[福永光司]]・[[興膳宏]]訳注 『荘子』 [[ちくま学芸文庫]](全3巻)、2013年。福永の訳稿を、興膳が改訂
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− | *[[池田知久]]訳注 『荘子 <small>全現代語訳</small>』 講談社学術文庫(上下)、2017年
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− | **『荘子 <small>全訳注</small>』 講談社学術文庫(上下)、2014年。詳細な訳注・解説版
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− | *『荘子 新書漢文大系12』 市川安司・[[遠藤哲夫 (漢文学者)|遠藤哲夫]]訳注 (石川泰成編、[[明治書院]]、2002年)。抜粋版
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− | **『[[新釈漢文大系]] 7 老子、荘子 <small>上</small>』、『同 8 荘子 <small>下</small>』。上記の元版-原文・読み下し・詳細な訳注解説を備えた完訳版
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− | *森三樹三郎 『老子・荘子』 [[講談社学術文庫]]、1994年
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− | *[[諸橋轍次]] 『荘子物語』 講談社学術文庫、1988年
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− | *[[蜂屋邦夫]] 『荘子=超俗の境へ』 [[講談社]]選書メチエ、2002年
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− | *[[中島隆博]] 『荘子 <small>鶏となって時を告げよ</small>』 [[岩波書店]]〈書物誕生〉、2009年
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− | *金谷治 『老荘思想がよくわかる本』 [[新人物往来社]]〈新人物文庫〉、2012年。講座での講義録
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− | *[[湯浅邦弘]] 『入門 老荘思想』 [[筑摩書房]]〈[[ちくま新書]]〉、2014年
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− | *[[蔡志忠]]・[[和田武司]]訳 『<small>マンガ</small> 老荘の思想』 講談社+α文庫、1994年
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− | == 外部リンク ==
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− | {{Commons category|Zhuangzi}}
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− | {{wikiquote|荘子}}
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− | {{wikisourcelang|zh|莊子}}
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− | *[http://ctext.org/zhuangzi/zh?en=on 『荘子』中英対照版]
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− | *[http://www.konton.net/naihen.html 『荘子』内篇の素読]
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| + | 中国,戦国時代の道家の思想家[[荘周]] (荘子〈そうし〉) ,あるいはその著作。著作の場合は唐代以後に道教の経典に加えられて,荘周の作品を中心に道家の論文,寓話などを編集した書物。『南華真経』ともいう。 33編。漢代には,荘周の遺著と伝えられていたものが 52編あったが,これを改編整理する二,三の試みが現れ,現在は晋の学者[[郭象]]が,内編7編,外編 15編,雑編 11編に整理して注釈を加えた 33編本が伝わっている。 33編の各編は,いくつかの寓話,論文から成る。寓話は奇警,奔放,飄逸で,なかでも内編の文章がすぐれており,近代の通説では,これが荘周の自著と推定されているが,「逍遙遊」「斉物論」の2編は,道を体得したいわゆる至人の自由な境地を説いている。その他の諸編は,あるいは絶対的自由の境地を追って現象世界の一切の差別と対立の諸相 (大小,長短,美醜,賢愚など) を1つに考えるべきだとし,変化こそを本質的あり方としている。あるいは道との関連で事物存在の真仮を問題とし,あるいは人間生存の真実態は素朴自足であるとして仁義礼楽を鋭く排撃するなど多様な問題を扱っているが,要は道家思想展開の種々相を示しているものである。その大部分は戦国末,秦初の作と考えられるが,一部には漢初の作を含むかもしれない。最後の「天下編」は秦,漢の間に成った諸学派の思想を知る一つの資料として知られる。 |
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