若松県

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若松県(わかまつけん)は、1869年明治2年)に旧会津藩であった岩代国西部および越後国の一部を管轄するために明治政府によって設置された。現在の福島県会津新潟県東蒲原郡の一部を管轄した。また、和泉国南郡飛地領があった。

概要

会津戦争に敗北して降伏した会津藩は領地を没収され、同地域は明治政府の直轄となり、若松をはじめとする各民政局が設置された[1]。その後、会津藩は陸奥国斗南藩に移封となる。

1869年(明治2年)に各民政局の統廃合により、若松県となったが、1876年(明治9年)に第2次府県統合により福島県に合併され、現在に至る。

なお、越後国蒲原郡の会津藩領は、大部分が越後府(のち新潟府→第1次新潟県)、村上藩黒川藩三日市藩新発田藩村松藩に移管されたが、一部のみ若松県に残された。同地域は福島県編入後の1887年(明治19年)5月25日新潟県に編入され現在に至る。

その他、越後国岩船郡の領地は村上藩、河内国河内郡讃良郡茨田郡交野郡若江郡の飛地領は河内県(のち堺県に編入)、和泉国日根郡の飛地領は堺県にそれぞれ移管された。和泉国南郡の飛地領は若松県の管轄となったが、1871年(明治4年)に廃藩置県による府県の再編により堺県に編入されている。

沿革

  • 1868年(明治元年)
    • 9月22日 - 会津戦争で会津藩が新政府軍に降伏し、領地を没収される。
    • 10月1日 - 旧会津藩領に若松をはじめとする各民政局を設置。
  • 1869年(明治2年)5月4日 - 若松民政局を廃し、若松県を設置。
  • 1871年(明治4年)11月22日 - 第1次府県統合により和泉国南郡の飛地領を堺県に編入。
  • 1876年(明治9年)8月21日 - 第2次府県統合により福島県に合併。同日若松県廃止。

管轄地域

歴代知事

脚注

関連項目

先代:
会津藩
行政区の変遷
1869年 - 1876年
次代:
福島県