能勢電鉄

提供: miniwiki
2018/8/4/ (土) 15:58時点におけるAdmin (トーク | 投稿記録)による版 (車両)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索

能勢電鉄株式会社(のせでんてつ、: Nose Electric Railway Co., Ltd.)は、兵庫県川西市川西能勢口駅と、妙見山および日生ニュータウンを始めとするニュータウン群とを結ぶ鉄道会社である。本社は兵庫県川西市平野一丁目35番2号。

概要

社名は会社が能勢妙見山への参拝客輸送を目的として設立されたことに由来する。鉄道路線2路線および鋼索線(ケーブルカー)を運営し、ケーブルカーを含めた総営業キロは15.4 km。阪急電鉄の子会社で、阪急阪神ホールディングス連結子会社でもある。2000年代前半まで不動産事業を行っていたほか、戦前の一時期には乗合自動車事業も行っていた。

現在の社章は1995年に制定されたもので、デザインは「愛・伸・爽・楽」をモチーフに妙見線、日生線を表し、さらには沿線の人々と沿線地域を表している。

歴史

能勢電鉄の直接の前身である能勢電気軌道(能勢電軌)は、能勢妙見の参詣客輸送と、沿線で産出される三白(酒、米、寒天)・三黒(黒牛、栗、炭)などの特産物の輸送を目的として1908年5月に設立され、1910年12月には着工届けを提出した。しかし経営は混迷を窮め、着工と同じ月には発起人の中里喜代吉が詐欺横領事件により検挙される始末だった。建設工事どころか、会社の存続さえ危うくなった能勢電軌を立て直したのは、1912年に専務取締役となった太田雪松だった。太田は負債を整理し、一部着工されて放置されていた敷設工事を一からやり直し、1913年妙見線の能勢口駅(現・川西能勢口駅)- 一の鳥居駅間の開業にこぎ着けた。しかし、太田による独断専行な経営もまた会社を疲弊させ、電力料金の未払いにより電力会社から送電を止められるという珍事まで発生した。1914年、能勢電軌はついに破産宣告を受け、協諧契約(現在の強制和議に相当)により管財人のもとで運営されることになった。

再起を図る能勢電軌は、能勢口駅 - 池田駅前駅(後の川西国鉄前駅)間の延長などの経営再建策を実行する一方で、吉川(現妙見口駅)までの路線延長に先駆けて一の鳥居 - 吉川間で乗合自動車事業を開始、奈良県にも路線を展開したが、経営不振により3年ほどで同事業から撤退した。このため、吉川までの路線延長は急務となり、会社の増資を図り1923年に一の鳥居駅 - 妙見口駅間を開通させた。また、この過程で阪神急行電鉄(後の京阪神急行電鉄、阪急電鉄)の資本参加を仰ぎ、現在まで続く阪急との関係が成立した。また、直営のバス事業からは撤退したものの、交通網の拡充や競合の回避などを目的として、相次いでバス会社を傘下に収めていった。これらの会社は戦中から戦後にかけ他社に統合され消滅している。

戦前に一定の増加傾向を見せた妙見線の輸送人員は、戦後に入ると再び低迷した。様々な旅客誘致策が考案され、その一環として戦前に妙見鋼索鉄道によって設置された妙見ケーブル(現・妙見の森ケーブル)を自社線として1960年に再開業させるが(ただし上部線は妙見リフト(現・妙見の森リフト)に変更)、増収には結びつかなかった。またこの頃から沿線の宅地開発が進められるようになるが、多田グリーンハイツを開発した西武グループにより能勢電軌の株の買い占めが行われ、これに対抗して当時の京阪神急行電鉄の出資による増資を行った結果、西武グループの買収防止に成功するとともに、名実ともに阪急東宝グループ(現・阪急阪神東宝グループ)の一員になった。

1964年には、専務取締役となった村上実のもとで土地経営部門が新設され、ときわ台などの住宅地を開発して大きな利益を上げた。路線も沿線人口の増加に対応して改良を進めていき、一連の路線規格の向上により、鉄道線は軌道法から地方鉄道法に適用法規が変更された。これにより1978年には社名を能勢電鉄株式会社に改めた。

1980年代には安定した経営状態を示すが、1990年代以降は川西能勢口駅の連続立体化工事による資本費の増加に加えて、バブル崩壊以後の不況による不動産部門の不振や鉄道部門の乗客数の減少により収支が悪化する。2003年には不動産事業から撤退するとともに、同事業による多額の負債を軽減させるため経営の合理化が行われ、その一環として阪急との運営の一体化が進められた。こうした経営努力により、2012年3月期決算では長年続いていた債務超過状態をようやく脱した。

年表

  • 1905年明治38年)3月 - 中里喜代吉を発起人として能勢電気鉄道株式会社設立申請[1]
  • 1908年(明治41年)
    • 1月 - 社名を能勢電気軌道株式会社に変更。
    • 5月23日 - 能勢電気軌道株式会社として設立[1]
  • 1913年大正2年)4月13日 - 能勢口(現在の川西能勢口) - 一の鳥居間が開業[1]
  • 1914年(大正3年)8月5日 - 神戸地裁により破産宣告が下される[1]
  • 1918年(大正7年)4月7日 - 一の鳥居 - 吉川間で乗合自動車事業を開始
  • 1921年(大正10年)9月30日 - 奈良県内における乗合自動車事業を譲渡。これにより、すべての乗合自動車事業から撤退。
  • 1922年(大正11年)10月4日 - 増資に伴い、阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)が資本参加[1]
  • 1923年(大正12年)11月3日 - 池田駅前(後の川西国鉄前駅) - 妙見(現在の妙見口)間が全通[1]
  • 1926年(大正15年)1月17日 - 妙見鋼索鉄道と共同で能勢妙見自動車株式会社を買収。
  • 1930年昭和5年)4月10日 - 池田能勢妙見自動車株式会社を買収。
  • 1960年(昭和35年)
    • 4月22日 - 妙見ケーブルが開業(旧下部線を復活。黒川 - 山上間623m)[1]
    • 8月27日 - 妙見リフトが開業(旧上部線のうち山頂側の573mを運行)[1]
  • 1961年(昭和36年)8月10日 - 資本金を9,600万円に増資[1]。京阪神急行電鉄(現・阪急電鉄)の子会社となる(出資比率57%)。
  • 1964年(昭和39年)7月1日 - 土地経営部門を新設。
  • 1967年(昭和42年)
    • 5月1日 - 鶯の森住宅地分譲開始。
    • 10月21日 - ときわ台住宅地分譲開始。
  • 1976年(昭和51年)5月30日 - 東ときわ台住宅地分譲開始。
  • 1977年(昭和52年)12月27日 - 鉄道線の準拠対象を軌道法から地方鉄道法に変更[1]
  • 1978年(昭和53年)
  • 1990年平成2年)
    • 4月1日 - 全駅に新型自動券売機の設置が完了したのを機にプリペイドカード「パストラルカード」を発行、同カードによる乗車券の発売開始。
    • 9月15日 - 全駅に自動改札機の設置が完了した[1] のを機に回数券の様式を紙券から磁気券に変更、販売箇所が売店から券売機に変更された。
  • 1991年(平成3年)4月1日 - 駅務機器遠隔操作システム稼動開始[1]。同年10月までにほとんどの駅を無人化[1]
  • 1992年(平成4年)10月31日 - つつじヶ丘住宅地分譲開始[2]
  • 1994年(平成6年)4月1日 - ストアードフェアシステム「パストラルスルー」開始、阪急の「ラガールスルー」と共通運用となる[1]。この複数社間相互決済可能型ストアードフェアシステムがほぼそのまま「スルッとKANSAI」に発展した[1]
  • 1995年(平成7年)1月1日 - 現社章を制定。
  • 1996年(平成8年)3月20日 - 阪急電鉄ほか3社局と共通乗車カードシステム「スルッとKANSAI」開始。
  • 1997年(平成9年)
  • 2001年(平成11年)3月24日 - フェアライドシステムを導入。
  • 2003年(平成15年)4月1日 - 都市開発部(不動産事業)を廃止[3]。阪急電鉄との運営一体化がスタート。
  • 2004年(平成16年)8月1日 - PiTaPa導入[1]
  • 2006年(平成18年)1月21日 - PiTaPaとICOCAの相互利用開始により、ICOCAも利用可能となる[4]
  • 2010年(平成22年)6月1日 - 遠隔操作システム及び遠隔制御を山下駅に一元化。
  • 2013年(平成25年)
    • 3月16日 - 妙見ケーブル・妙見リフトを、それぞれ妙見の森ケーブル・妙見の森リフトに改称[5]
    • 12月21日 - 妙見線・日生線全駅に駅ナンバリング導入。
  • 2014年(平成26年)12月 - 妙見線・日生線全駅の駅名標が刷新。各駅沿線にちなむイラストが描かれている。 
  • 2016年(平成28年)6月10日 - 交通系ICカード全国相互利用サービスへの対応を開始し、KitacaPASMOSuicamanacaTOICAnimocaはやかけんSUGOCAが利用可能となる[6]
  • 2017年(平成29年)3月18日 - 鉄道線の急行(妙見急行・日生急行)を廃止[7]
  • 2019年春 - 能勢電鉄においてプリペイド式ICカード「ICOCA」、および「ICOCA定期券」を発売開始予定。

路線

駅務機器は交通系ICカードに対応している。現状では川西能勢口駅平野駅山下駅を除いて無人駅であるため、これらの駅の機器は平野駅と山下駅にある駅務機器遠距離操作センターから制御・管理しているが、これは能勢電鉄が1991年にいち早く導入したシステムである。

運行形態などについては以下の各項目を参照。

※妙見線・日生線を「鉄道線」と総称することもある。また、妙見の森ケーブルを「鋼索線」、妙見の森リフトを「索道線」と称することもある。

運賃

大人普通旅客運賃(小児半額・10円未満切り上げ)。2014年4月1日改定[8]

  • 鉄道線(妙見線・日生線)
キロ程 運賃(円)
初乗り2km 150
2.1 - 4.0 190
4.1 - 6.0 230
6.1 - 8.0 270
8.1 - 10.0 290
10.1 - 12.0 310
12.1 - 12.2 320
  • 鋼索線(妙見の森ケーブル) - 2017年3月18日改定[9]
    • 大人 片道350円、往復690円
    • 小児 片道180円、往復350円
  • 索道線(妙見の森リフト) - 2017年3月18日改定[9]
    • 大人 片道350円、往復690円
    • 小児 片道180円、往復350円

乗車カードとして、スルッとKANSAI対応の「パストラルカード」を各駅券売機で販売していたが、2017年3月31日で発売を終了し[10]、2017年4月1日より阪急・阪神・能勢電鉄・北大阪急行電鉄専用の「阪急 阪神 能勢 北急レールウェイカード」を発売している[11]。そのレールウェイカードも2019年春頃をもって発売を終了し、同年秋頃をめどに利用を終了する予定である[12]。なお、発行元は阪急電鉄である。

ICカードは、全駅にてPiTaPa西日本旅客鉄道(JR西日本)のICOCAなどの交通系ICカード全国相互利用対応カード(前記のほか、KitacaSuicaPASMOmanacaTOICAnimocaはやかけんSUGOCA)が利用できる。さらに2019年春より能勢電鉄においてもプリペイド式IC乗車カードの「ICOCA」、および「ICOCA定期券」の発売を開始する予定である[13]

脚注

  1. 1.00 1.01 1.02 1.03 1.04 1.05 1.06 1.07 1.08 1.09 1.10 1.11 1.12 1.13 1.14 1.15 1.16 1.17 1.18 曽根悟(監修) 『週刊 歴史でめぐる鉄道全路線 公営鉄道・私鉄』14号 神戸電鉄・能勢電鉄・北条鉄道・北近畿タンゴ鉄道、朝日新聞出版分冊百科編集部(編集)、朝日新聞出版〈週刊朝日百科〉、2011-06-19、16-17。
  2. 能勢電鉄株式会社編 『能勢電鉄100年史』、2008年、168頁。
  3. 『能勢電鉄100年史』、172頁。
  4. 「ICOCA」「PiTaPa」の相互利用を実施します (PDF) - 西日本旅客鉄道、スルッとKANSAI協議会、東日本旅客鉄道、2005年11月10日
  5. 妙見山の各施設が生まれ変わります! (PDF) - 能勢電鉄、2013年2月28日
  6. 交通系ICカードの全国相互利用サービスを開始します (PDF) - 能勢電鉄、2016年5月10日
  7. 鉄道線のダイヤ改正について (PDF) - 能勢電鉄、2017年1月20日
  8. 消費税率引上げに伴う鉄道旅客運賃改定の認可について (PDF) - 能勢電鉄、2014年3月4日。
  9. 9.0 9.1 鋼索鉄道事業の旅客運賃上限変更認可ならびに運賃改定の実施について (PDF) - 能勢電鉄、2017年3月9日
  10. 4社(阪急・阪神・北急・能勢)におけるスルッとKANSAI対応カードの取扱いについて (PDF) - 能勢電鉄、2016年7月1日
  11. 4社共通磁気カードを2017年4月1日より発売します (PDF) - 能勢電鉄、2016年12月27日
  12. 「阪急 阪神 能勢 北急レールウェイカード」の取扱について (PDF) - 能勢電鉄、2018年3月29日
  13. 「阪急、阪神、能勢、北急におけるICOCAおよびICOCA定期券の発売について (PDF) - 能勢電鉄、2018年3月29日

参考文献

  • 川西市史編集専門委員会編 『かわにし 川西市史第三巻』、1980年、274 - 284頁。
  • 能勢電鉄株式会社編 『能勢電鉄80年史』、1991年。
  • 佐藤信之 「能勢電鉄の現状と輸送力増強の軌跡」『鉄道ジャーナル』2006年1月号、2006年、146 - 149頁。
  • 藤井信夫 「能勢電のカラーリング」『関西の鉄道』No. 51 2006年盛夏号〔阪急電鉄特集〕、2006年、86 - 88頁。

関連項目

外部リンク