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|名前=翔天狼 大士
 
|画像=[[Image:Sumo May09 Shotenro.jpg|180px]]
 
|説明=塵を切る翔天狼
 
|四股名=武蔵龍→翔天狼
 
|本名=松平 翔
 
|愛称=ニャムカ
 
|生年月日={{生年月日と年齢|1982|1|31}}
 
|没年月日=<!-- {{死亡年月日と没年齢||||||}}テンプレートを使用 -->
 
|出身=[[モンゴル国]][[ウランバートル|ウランバートル市]]
 
|身長=189cm
 
|体重=167kg
 
|BMI=46.75
 
|所属部屋=[[藤島部屋|武蔵川部屋→藤島部屋]]
 
|得意技=突き、押し、左四つ、寄り<ref name="sumo2018039091"/>
 
|現在の番付=引退
 
|最高位=東[[前頭]]2枚目
 
|生涯戦歴=494勝484敗51休(100場所)
 
|幕内戦歴=164勝196敗15休(25場所)
 
|優勝=十両優勝2回
 
|賞=[[敢闘賞]]1回
 
|初土俵=[[2001年]]3月場所
 
|入幕=[[2009年]]3月場所
 
|引退=2018年1月場所
 
|引退後=年寄・[[春日山 (相撲)|春日山]]
 
|他の活動=
 
|趣味=インターネット、旅行
 
|備考=[[金星 (相撲)|金星]]1個([[白鵬翔|白鵬]]1個)
 
|作成日時=[[2017年]][[12月28日]]
 
}}
 
 
 
'''翔天狼 大士'''(しょうてんろう たいし、[[1982年]][[1月31日]] - )は、[[モンゴル国]][[ウランバートル|ウランバートル市]]出身で、[[藤島部屋|武蔵川部屋]](引退時は[[藤島部屋]])に所属した元[[大相撲]][[力士]]。本名は'''松平 翔'''(まつだいら しょう)、モンゴル名(帰化前)は'''ダグダンドルジーン・ニャムスレン'''([[モンゴル語]][[キリル文字]]表記:'''{{lang|mn|Дагдандоржийн Нямсүрэн}}'''、[[ラテン文字化|ラテン文字転写]]:''Dagdandorjiin Nyamsuren'')、愛称はニャムカ。生まれ育ったのはウランバートル市だが、2009年10月以降は[[ホブド県]]を出身地としている。[[身長]]189cm、[[体重]]167kg、[[ABO式血液型|血液型]]はO型、[[星座]]は水瓶座。得意手は突き、押し、右四つ、寄り。趣味はインターネット、旅行。最高位は東[[前頭]]2枚目([[2009年]]9月場所)。現在は年寄・[[春日山 (相撲)|春日山]]。
 
 
 
==経歴==
 
ウランバートル市内で[[猛虎浪栄|猛虎浪]]と同じ団地の住人だったが、お互い面識は無かったという。<!-- NHKテレビ大相撲中継2009年11月26日 -->母国モンゴルのスポーツ祭典「[[ナーダム]]」の[[モンゴル相撲]]でジュニア優勝、廻しを締めた経験もないままぶっつけ本番で挑んだ[[世界相撲選手権大会]]の無差別級で3位というタイトルを持ち、現地の新聞記者に紹介された縁で[[2001年]](平成13年)3月武蔵川部屋に入門し[[初土俵]]を踏む。同期の力士には[[横綱]][[白鵬翔|白鵬]]がいる<ref name="sumo2018039091">『相撲』2018年3月号 p.90-91</ref>。
 
 
 
[[幕下]]までは順調に出世したが、2003年1月場所前に左膝前十字靭帯断裂の怪我を負い、これが後々まで影響。2004年7月場所は部屋で[[麻疹]]が流行した影響で7戦全敗し[[三段目]]に陥落するなど足踏みし、長く幕下中位から上位に低迷した。初の幕下上位の場所で大敗した次の場所から四股名を武蔵龍から自分で考えた翔天狼に改名。2008年(平成20年)9月場所では幕下筆頭で4勝3敗と勝ち越して、十両昇進を決めた。初土俵から所要46場所での十両昇進は外国出身力士では当時3番目のスロー昇進であり、この時白鵬は既に横綱で、優勝回数8回を数えていた<ref name="sumo2018039091"/>。
 
 
 
新十両で迎えた2008年(平成20年)11月場所では44年ぶりとなる初日からの9連勝を達成し、[[1953年]]1月場所[[成山明|成山]]が記録した新十両の初日からの連勝記録に55年ぶりに並んだが、10日目に[[岩木山竜太|岩木山]]に[[掬い投げ]]で敗れ、新記録はならなかった。しかしながらこの場所は12勝3敗で初の十両優勝を勝ち取った。新十両優勝は2008年1月場所の[[栃ノ心剛史|栃ノ心]]以来。東十両筆頭で迎えた翌[[2009年]](平成21年)1月場所でも11勝4敗の好成績で十両優勝。優勝決定戦では、同じモンゴル出身の[[白馬毅|白馬]]を[[極め出し]]で破った。翌3月場所では入幕した。新十両からの2場所連続十両優勝は同部屋の[[雅山哲士|雅山]]以来で、史上8人目である。所要48場所での新入幕は、外国出身力士では[[戦闘竜]]の72場所、白馬の50場所に次ぐ、当時3番目のスロー記録であった<ref>http://www.jiji.com/jc/c?g=spo_30&k=2009012500085</ref><ref name="sumo2018039091"/>。しかし新入幕の3月場所では、14日目の[[豊真将紀行|豊真将]]戦で髷掴みによる反則負けを取られたこともあって、7勝8敗の負け越しを喫する<ref name="sumo2018039091"/>。
 
 
 
2009年(平成21年)7月場所を東前頭10枚目で迎え、初日から好調で14日目終了時点で10勝4敗。勝てば敢闘賞受賞の一番で[[黒海太|黒海]]を下して11勝4敗、敢闘賞受賞を決めた。翌9月場所は東前頭2枚目。初日から5連敗の後6日目に横綱白鵬と初対戦し引き落としで勝利を上げ初[[金星 (相撲)|金星]]を手にしたものの、この場所はわずか2勝に終ってしまった。だが、この金星が高く評価され(この年の白鵬は本割で年間86勝4敗という[[朝青龍]]の84勝6敗を上回る驚異的な新記録を達成したが、関脇以下の力士で白鵬から勝利を挙げたのは翔天狼ただ1人であった。年末には[[財団法人]][[日本プロスポーツ協会]]による「2009年日本プロスポーツ大賞新人賞」を[[福岡ソフトバンクホークス]]の[[攝津正]]らと共に受賞した<ref name="sumo2018039091"/>。
 
 
 
2010年(平成22年)1月場所では奮起が期待されたが3勝12敗と大きく負け越し、あえなく十両に陥落してしまった。7月場所で再入幕を果たしたが5勝10敗と負け越し、翌9月場所は十両へ陥落した。
 
 
 
2011年(平成23年)11月場所は虫垂炎と腹膜炎の影響で入院したため休場し翌1月場所は2010年(平成22年)9月場所以来となる十両に陥落した<ref name="sumo2018039091"/>。
 
 
 
2012年(平成24年)1月場所は十両で8勝7敗で勝ち越し東十両5枚目の地位にもかかわらず翌3月場所の再入幕を果たした(東十両5枚目で8勝7敗での入幕は極めて異例である)。翌3月場所は幕尻ながらも10日目まで9勝1敗と好調で、一時は優勝争いに加わっていた。しかし、その後は5連敗して9勝6敗に終わった。
 
 
 
2013年(平成25年)5月場所は7日目に勝って5勝2敗としたことを最後に白星に見放され千秋楽まで8連敗を喫し、結局5勝10敗の成績で場所を終える。同年11月場所は初日から6連勝するも、それ以降負けが込んで9勝6敗に留まった。
 
 
 
2014年(平成26年)1月場所は折から「前場所より10kg太った」と不調が伝えられながらも土俵に上がるが<ref>[http://www.sanspo.com/sports/news/20140124/sum14012420220006-n1.html 【白星黒星】翔天狼「太ったから余分な脂肪を燃やして筋肉に」] SANSPO.COM 2014.1.24 20:21</ref>、初日に[[遠藤聖大|遠藤]]を破ったもののその後8連敗で負け越すなど絶不調に陥り、最終的な成績は2勝13敗に終わった。翌3月場所は12日目に負け越しを確定させたばかりか13日目から「左足関節捻挫で全治1ヶ月」と診断され途中休場を喫するなど完全に精彩を欠いてしまったが、続く5月場所は幸運にもわずか4枚半下降となる西十両8枚目の地位を与えられた。しかしその後、幕内への復帰はかなっていない。同年4月5日に第二子となる長男が誕生<ref name="sumo2018039091"/>。
 
 
 
2017年8月に日本国籍を取得し、8月18日付の[[官報]]で告示され<ref>{{Cite news |title=法務省告示第三百九十三号 |newspaper=[[官報]] 第7084号|date=2017-08-18 |accessdate=2017-09-09 |publisher=[[国立印刷局]] |page=4 }}</ref>、9月9日には新たな本名が「松平 翔(まつだいら しょう)」となったことが[[日本相撲協会]]より発表された<ref>{{Cite news |title=元幕内・翔天狼が日本国籍取得 新たな本名は「松平翔」 |newspaper=[[サンケイスポーツ]] |date=2017-09-09 |url=http://www.sanspo.com/sports/news/20170909/sum17090918230007-n1.html |accessdate=2017-09-09}}</ref>。直後の9月場所は全休。この年の夏から癌を患っていることが初土俵同期生の白鵬によって公表され、同年11月場所前の[[力士会]]では、関取衆70人の寄付によって見舞金を贈ることが決定された<ref>{{Cite news |title=元幕内翔天狼、がん闘病中…力士会から見舞金 |newspaper=SANSPO.COM |date=2017-10-31 |url=http://www.sanspo.com/sports/news/20171031/sum17103120320010-n1.html |accessdate=2017-10-31}}</ref>。
 
 
 
2017年12月28日付で引退し、年寄・[[春日山 (相撲)|春日山]]を襲名して藤島部屋の部屋付き親方として後進の指導に当たり始めた<ref name="sumo2018039091"/><ref>{{Cite news |title=元幕内翔天狼が引退=大相撲|newspaper=時事ドットコム |date=2017-12-38 |url=https://www.jiji.com/sp/article?k=2017122800862&g=spo |accessdate=2017-12-30}}</ref>。上述の金星以降、白鵬との対戦はなかったため、自身は'''幕内で白鵬と対戦して勝ち越したまま引退した力士'''の第一号となった<ref>『大相撲中継』2018年2月17日号 p.78</ref>。
 
 
 
==エピソード==
 
* 2011年(平成23年)7月に結婚。妻の兄は[[旭天鵬勝|旭天鵬]]であり、2011年9月場所以降、旭天鵬との取組が組まれなくなった。2012年の『相撲』誌上では"のろけ"で話題になることが多かった<ref>例として『相撲』2012年1月号44頁、2012年8月号62頁</ref>。因みに妻は3歳年上の[[姉女房]]である<ref name="sumo2018039091"/>。
 
* 2013年(平成25年)1月31日に、第1子となる長女が誕生した。奇しくも、父子で同じ誕生日となった。<ref>[http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/p-sp-tp3-20130222-1088534.html 翔天狼がパパ「写メールでパワー」] 日刊スポーツ 2013年3月24日閲覧</ref>
 
*2009年3月場所4日目の木村山戦で幕内初勝利を挙げた際にインタビュールームに呼ばれ、その時アナウンサーから「いかがですか。幕内の土俵は?」と聞かれたのに対して「十両と同じでした。同じように丸くて」と答えた。<ref>『相撲』2016年7月号86ページ</ref>
 
* [[大相撲八百長問題]]では証拠メールに「天狼」表記で名前が残されており、特別調査委員会に呼び出されて事情聴取を受けたが<ref>[http://www.jiji.com/jc/v2?id=sumo_yao_01 大相撲八百長問題  主なメールのやりとり 相撲の内容はどんな感じ?] 時事通信社 2011年2月2日</ref>程無くして押収された対象者たちの携帯電話から「翔天狼とはガチ」との記述が為されたメールが確認されたことで「天狼」は[[若天狼啓介|若天狼]]のみを表わすということが明らかになり、翔天狼は八百長認定を受けることが無かった。<ref>[http://www.jiji.com/jc/v2?id=sumo_yao_08 大相撲八百長問題  主なメールのやりとり 面談した14人のメールの内容] 時事通信社 2011年2月4日</ref>大相撲八百長問題の調査で証拠メールから(結果的に略称が誤解を与えたに過ぎなかったとはいえ)直接名前が確認されたことを理由に調査の対象となった力士13人の中でも八百長に関与をしていないと認定されたただ1人の力士である(後に[[蒼国来栄吉|蒼国来]]も裁判の結果八百長への関与が否定された)。
 
* モンゴル人力士の中でも珍しく怪力の突き押し力士であり、とりわけ背筋力に定評がある。白鵬主催の少年相撲大会である「第4回白鵬杯」が2014年2月2日に行われた際には出し物の背筋力測定で2位の白鵬を上回る257kgを記録した。2日前の1月31日には32歳の誕生日を迎えており、年齢的な要素も絡んでこれが注目を浴びた。<ref>[http://www.nikkansports.com/sports/sumo/news/f-sp-tp3-20140202-1252379.html 背筋力1位は257キロ!白鵬らが挑戦] nikkansports.com [2014年2月2日21時4分</ref><ref>因みに自身の兄弟子にあたる武蔵丸は新弟子検査を受けた1989年9月場所には19歳であり、検査の際には153kgの体で背筋力225kgを計測した。</ref>
 
 
 
==主な成績==
 
===通算成績===
 
*通算成績:494勝484敗51休(100場所)
 
*幕内成績:164勝196敗15休(25場所)<ref name="sumo2018039091"/>
 
*十両成績:119勝131敗5休(17場所)
 
 
 
===各段優勝===
 
*十両優勝:2回(2008年11月場所、2009年1月場所)
 
 
 
===三賞:金星===
 
*三賞:1回<ref name="sumo2018039091"/>
 
**敢闘賞:1回(2009年7月場所)
 
*金星:1個<ref name="sumo2018039091"/>
 
**白鵬1個(2009年9月場所)
 
 
 
===場所別成績===
 
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==改名歴==
 
*武蔵龍 大志(むさしりゅう たいし)2001年3月場所 - 2007年3月場所
 
*翔天狼 大士(しょうてんろう -)2007年5月場所 - 2018年1月場所
 
 
 
==年寄変遷==
 
*春日山 翔(かすがやま しょう)2017年12月28日 -
 
 
 
== 関連項目 ==
 
*[[大相撲力士一覧]]
 
 
 
== 参照文献 ==
 
<references />
 
 
 
== 外部リンク ==
 
{{goo-sumo|2338|翔天狼 大士}}
 
{{sumodb|1141|翔天狼 大士}}
 
*[http://www.sponichi.co.jp/sports/special/2009sumoukyushu/KFullNormal20091020110.html モンゴル力士 翔天狼の出身地を変更]([[スポーツニッポン]] 2009年10月20日)
 
 
 
{{現役年寄}}
 
{{藤島部屋}}
 
 
 
{{DEFAULTSORT:しようてんろう たいし}}
 
[[Category:モンゴル出身の大相撲力士]]
 
[[Category:武蔵川部屋]]
 
[[Category:藤島部屋]]
 
[[Category:ウランバートル出身の人物]]
 
[[Category:1982年生]]
 
[[Category:存命人物]]
 

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