総合的な学習の時間

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日本総合的な学習の時間(そうごうてきながくしゅうのじかん)は、児童生徒が自発的に横断的・総合的な課題学習を行う時間である。学習指導要領が適用される学校のすべて(小学校中学校高等学校中等教育学校特別支援学校)で2000年平成12年)から段階的に始められた。なお、総合的な学習の時間とは、教育課程においての時間種別を表す用語であり、各学校における総合的な学習の時間の名称は、各学校が独自に定めることになっている。

この時間は、国際化情報化をはじめとする社会の変化をふまえ、子供の自ら学び自ら考える力などの全人的な生きる力の育成をめざし、教科などの枠を越えた横断的・総合的な学習を行うために生まれ、ゆとり教育と密接な関連性を持っている。特徴としては、体験学習問題解決学習の重視、学校・家庭地域の連携を掲げていることである。内容としては、国際理解情報環境福祉健康などが学習指導要領で例示されている。一方でこの授業は基礎知識を軽視しているため、学力低下につながるとの批判もあり、現在は授業時数が削減されている。

総合的な学習の時間の趣旨とねらい

総合的な学習の時間の趣旨とねらいは、小学校の場合、小学校学習指導要領に次の通り定められている。そのほかの学校もだいたいこれと同様の趣旨とねらいが掲げられている。

  • 「趣旨」
    総合的な学習の時間においては、各学校は、地域や学校、児童の実態等に応じて、横断的・総合的な学習や児童の興味・関心等に基づく学習など創意工夫を生かした教育活動を行うものとする。
  • 「ねらい」
  1. 自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、主体的に判断し、よりよく問題を解決する資質や能力を育てること。
  2. 学び方やものの考え方を身に付け、問題の解決や探究活動に主体的、創造的に取り組む態度を育て、自己の生き方を考えることができるようにすること。
  3. 各教科、道徳及び特別活動で身に付けた知識技能等を相互に関連付け、学習や生活において生かし、それらが総合的に働くようにすること。

総合的な学習の時間の実際

学校での展開方法として、学年単位で活動する方法や、学年の枠によらない「縦割り」のグループで活動する方法(いわば講座制)がある。

  • 学年単位での活動
    学年担当の教員の合議により計画が立案され、その計画に基づいて1年間の活動を展開する。内容によっては学年外の教員が支援する場合もある。複数の教員で検討し、活動実績を確認しながら進められることもあり、多くの学校でこのスタイルが採られている。
  • 講座制
    教員ごとに独立した講座を開講し、学年に関係なく、生徒を希望の講座に割り当てる。但し、希望者の偏りを想定し、例えば希望の講座を第3希望まで選択させ、希望の分布に応じて教員の合議で割り当てを調整する方法が採られる。この場合、必ずしも第1希望に割り当てられるとは限らず、希望しない講座に割り当てられる可能性も否定できない。
    講座制では教員一人でひとつの講座を担当するため、各教員の経験や能力を活動内容に反映させることが可能である一方で、その内容によっては独自に教材を作成する必要が生じ、従来の教科教育に加えて負担が増す傾向にある。
    そのため負担軽減の方法として、外部の専門家を特別非常勤講師として招き講義に厚味を持たせる場合や、過去に実施された講座を受け継ぐ(自分の講座の場合は前年度の内容を繰り返す)方法を採る場合がある。このようなシステムを採る学校においては、教員の専門分野における深い知識や企画力などが求められるが、そうではない講座を引き継いだ場合には専門家に任せ切りにしないなど、担当講座に対する責任意識、前年度実績に対する改善など創意工夫が求められる。

総合的な学習の時間を行うにあたっての課題

「総合的な学習の時間」を行うにあたっての、課題を述べる。

  • 教師が多忙なことによる準備時間の少なさ
    「総合的な学習の時間」を効果的に行うにあたっては、十分な準備時間が必要だが、教師が忙しく十分な準備時間が無いため、満足のいく内容の授業を行うことができていないという指摘がある[1]。近年、公立学校の教員に課せられる事務処理の量が激増しており[2]、現実問題として「総合的な学習」の時間を全ての学校が有意義に活用することは不可能というのが実情である。そのため、例えば校区探索や安直な外部講師の依頼で済ませている学校も少なくないとされる。
  • 生徒の基礎知識が不十分
    「総合的な学習の時間」が目指した「考える力」「知識を組み合わせる応用力」は、基礎的な知識が土台として備わっていて初めて身につけることができると指摘されており[1]、「基礎力がないと応用力は身に付かない」という調査結果はいくつか出ている[1][3]。基礎知識が不十分な点については、単純な授業時間の減少だけでなく、例えば小学校では基礎知識を教え大学等の上位教育機関で応用力を教えるといったような、教育階層のどの段階でどう教えるかという全体設計が十分ではなかったという指摘もある[1]


学習内容の例

総合科学的な学習と生涯学習

京都府京都市のある研究開発学校では、日本における全国的な実施に先駆けて総合的な学習を吟味してきたが、週3時間の総合的な学習の時間を最大限に有効活用するために、個性的な取り組みをしている。 各学年における総合(総合科学)的な学習内容と、第3学年から第6学年まで一貫した生涯に生かせる学習内容の双方を、それぞれ「A」と「B」に分けて次のように設ける形をとっている。

  • A
    第3学年「地域社会の昔と今」(地域に目を向ける)
    第4学年「すべてのにやさしい地域社会に向けて」(障害者健常者両者にとって暮らしやすい社会とは)
    第5学年「生命を考える」(生命に対する畏敬、を考える、出産育児を考える、自分のを考える)
    第6学年「世界にはばたく人に」(世界の々、日本に来る外国人との交流、さまざまな世界への日本の支援)
  • B 情報、英語、福祉
    年間あたり10校時ずつ学年の実態に合わせて教育課程を独自に組んでいる。小学校においての英語教育も行われている。教員が教材を吟味し準備した上で英語を母語とする講師に工夫してもらっている。日本以外の諸国で使用しているのと同じ教育図書を使用しているのもあり、月に1度の授業でも、子供の能力を最大限に引き出すことができる。子供は「将来外国に行きたい」「職業は英語をいかしたものにつきたい」「尋ねられたら、道をおしえてあげたい」と自発的な希望を述べ、コミュニケーション主体の学習の成果を表現している。

総合的な学習の時間は、小学校第3学年から始まるが、この研究指定校では、第1学年、第2学年の生活科の単元を第3学年以上の学年の学習と系統立てて取り組みを進めている。特にB領域の英語に到達するまでの前段階として、近くに住む留学生からのボランティアを招いて、その国に伝わる遊びを教えてもらったり、給食時に歓談したりしながら人と人との交流を行っている。コミュニケーション力の育成は言葉よりも行動といわれる。地域から学校への評議も活発であり、地域住民による教育支援団体の設立が行われるなど、教育が地域交流を円滑にする機動力になっており、非常に好ましい例となっている。

人間の総合的な理解

以上とは別の京都府京都市の学校では、もともと総合的な学習の時間が始まるだいぶ前から教科外の時間において取り組んできた、人権を考える学習などを総合的な学習の時間におきかえている。かつては、授業時間のやりくりに苦労があったが、総合的な学習の時間として確保されてからは、教育活動を行いやすくなったといわれる。人権教育、国際理解教育、性教育などを学校独自に年間10校時の教育課程を組んで行っている。視覚的な資料を使って導入を試み、最終的には教員の考えを参考にして、子供自身が人間としてあるべき姿を模索していくことが望ましいとされている。

性教育の分野については、子供が帰宅後、その日の学習を元に、保護者といろいろなことを話すことが期待されるが、まだまだ分野的に未開発であり、低学年から生殖生物学的に教えることなどについて保護者から驚きの声があがることもあり、十分に普及したものとはなっていない。性教育分野の学習目標については、子供たちが自分がどれだけ大切に育てられてきたか(一例として、子供たちの家庭事情に十分配慮した上で、子供に対して保護者に話してもらうことなど)、そして自分が将来保護者になることを想定して男女がいたわりを持って家庭を築き、生活を構築することができるような社会の一員となることの大切さが分かることとされている。

地域の産業の理解

生徒の祖母のほとんどが海女をしており[4]カキ養殖が盛んな地域にある鳥羽市立鏡浦中学校では、1999年(平成11年)からカキの養殖体験を始めたが、2001年(平成13年)から総合的な学習の時間(THE KAGAMIURAと称する)を利用するようになった[5]。これにより漁業体験・干物やカキ料理作り・カキ販売など活動の幅が広がり、2010年(平成22年)には年間を通してさまざまな実習・調査活動を組み込んだ[4]。同年からは地元の漁師が行っている生浦湾のアマモ場の保存・再生事業に、環境教育と絡めて積極的に関わり始めた[6][7]。この活動には、学校の近くにある海の博物館との連携も重要な役割を果たしている[4]

2011年(平成23年)2月17日に、「アマモ場の再生を目指して-漁業者と参加中学生の交流」が海の博物館で開かれ、参加した[6][8]。この会には、的矢湾で同じくアマモ場再生を行っている志摩市立的矢中学校や漁業関係者、三重大学生物資源学部教授ら約120名が参加し、地域間・世代間を越えた交流が行われたほか、鏡浦中学校の生徒が調査結果を大人の前で発表した[6][8]

各教科との連携例

各教科では、あらかじめ学習指導要領に学習目標や学習内容が定められているため、扱える教材の範囲には限界がある。例えば、人類文化を知るために世界の多様な文化遺産について触れようとしても、授業内で扱われるのは一部のものだけである。総合的な学習の時間では、各学校が学習目標や学習内容を定めるため、学習者の実態に応じた教材を扱うことが可能であり、学習者は各教科で学習したことをさらに探求することができる。

  • 国語科との連携
    国語の授業自体も読み取りに何時間もかけるやり方は現在は行われず、話の大筋を理解させた後は、登場人物の会話を学級内で考えてみたり、物語をペープサートや紙芝居などを使って演じたりする。最近は、絵を描くこともあるが、丁寧に指導しないと描くことができなかったり、嫌になると描くのをやめてしまったりすることが少なくない。国語の物語の発展的な扱いとして、物語の英語版を読み、まず音声に親しむ。次に英文を簡単に翻訳するが、登場人物の心情などは、学習者の年齢に合わせて、状況に応じた親しみやすい子供らしい訳にした方が良いとされている。例えば、小学校第2学年の教科書に掲載が多い、アーノルド・ローベルの『お手紙』では、2匹のかえるの友情について、「がまくんとかえるくんが7歳だったとしたら」の訳を考えて、訳者としての創造性の可能性を吟味して行う。
  • 社会科との連携
    検地刀狩や関所などが税制の基礎と安全社会の樹立に寄与したかを調べ学習などを通じて学習することで、日本社会とその安全性について考える。
    また、宗教による価値観の相違を知ることは、現代社会で異文化を理解していくのに必要なことであるが、このようなことについても、国際理解教育などで調べたことをもとに学習者が考えていくことで、特定の宗教のための宗教教育を行うことなしに学習することができる。
  • 家庭科との連携
    ボヘミアンビーズヴェネツィアンビーズを見比べて色の発色の違いは温度と資材の声質(石英のまざりぐあい)、女性熟練工の存在から結婚してからも働き続けることの魅力を小さいうちから知る。

学習内容の停滞

総合的な学習の時間における学習内容に停滞が見られることがある。

例えば、総合的な学習の時間で情報教育を行うときは、コンピュータの操作を学習するだけに留まってしまうことも多い。情報教育には、コンピュータ操作を学習することのほかにもさまざまな学習が含まれる。具体例として次のような事項があげられる。

情報教育を行う場合は、これらの事項を含めた幅広い内容が学習されることが望ましい。

情報教育に限らず、総合的な学習の時間で多様な内容を扱うことは、高度な学習に対する指導力の不足、各領域の趣旨に対する理解の不足、学習目標の設定に対する意見の違いなどが運営する教員にあって、難しいことがある。また、総合的な学習の時間が持つ特徴としては、教科の時間とは異なる概念の特別な時間であること、さまざまな教育活動で学んだことが総合的に生かされなければならないこと、主体的な活動が行われるよう学習者の興味・関心に応じた内容とする必要があることなどがある。このため、教員には高度な技量が必要とされ、また学習者に対しても十分な指導が必要とされている。そのため、学習内容を簡素化することで教員の負担を減らしてその分を学習者へのきめ細かい充実した学習指導に充てようとする考え方もあるが、あまりにも内容を簡単にし過ぎると学習者を飽きさせ、総合的な学習の時間の魅力をなくしてしまう恐れもあるので注意が必要である。

総合的な学習の時間を行う上で、教員の自己探求力と高度な技術を培う自己研修は、常に必要であるといわれる。高度な教材研究と社会における課題を探る力は、教員自身が積極的に研修や社会見学などに参加することから生じるともいわれている。

学力低下論との関わり

一定数の保護者は、子供の学力が低下した原因は教育を行う学校にあると主張している。このような立場からは、総合的な学習の時間にも批判的な意見が唱えられ、総合的な学習の時間の方向性を考える上での混乱も生じている。端的に言うならば、総合的な学習の時間は教科学力の向上には寄与しないので廃止すべきであるというのがこうした立場の代表的な主張である。

一方、こうした主張への反論として、教科学力にしか興味を示さない(テストの点数の多寡にしか興味が無い)風潮が強まっている昨今、総合的な学習の時間が担うべき役割は増しているという意見もある。

総合的な学習の効果

総合的な学習の時間が具体的にどのような効果を上げるのかという問題については、以下のような議論がある。まず、総合的な学習に肯定的な意見としては、「総合的な学習において教科で学んだことを発展させた内容を学ぶ」「総合的な学習の時間で概要を学んだ後に各教科で詳しく学ぶ」などの形態によって、さまざまな活動を有機的に結びつけることが可能であるというものがある。また、「課題学習においては、個人の力と集団内の総合的なフィードバックがあり、学習の意義を非常に高め合うことができる」「子供の学力は、今後の各教員や保護者の取り組み次第で上昇する余地があり、総合的な学習の時間は、教員や保護者が子供に必要なものを考える上での意義がある」という意見もある。

一方、総合的な学習に批判的な立場からは、「教科学力は客観的評価が可能であるのに対し、総合的な学習の効果は測定不可能である。単なるお遊びの時間ではないのか」「学校・教員の違いによる効果の幅が大きすぎる」というような意見が提出されている。

アクティブ・ラーニング

2020年度から実施する予定である学習指導要領では、アクティブ・ラーニングという学習方法の取入れが検討されている[9]。この教育方法は、「何ができるようになるか」という点に注目して教育する方法であり、従来の「何を教えるか」という教育方法とは異なる教育方法となっている。この教育方法は総合的な学習の時間に近い考えであるため、総合的な学習の時間を強化する形で導入される可能性が指摘されている[10]

参考文献

  • 岡崎勝『学校再発見!―子どもの生活の場をつくる』(岩波書店、2006年、ISBN 4000224689)

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 『なぜ「ゆとり教育」は失敗したのか?~学校は「有限」の資源である【後編】』2007年11月30日付配信 日経ビジネスオンライン
  2. 岡崎2006、「いま教育現場で何が起きているのか」『世界』2007年2月号等
  3. 『「学力低下」の実態』:ISBN 978-4000092784 2002年 苅谷剛彦・清水睦美・志水宏吉・諸田裕子
  4. 4.0 4.1 4.2 農林水産省(2010)"中学生が通年、地元漁業をフルコース体験・調べ学習"(2011年8月16日閲覧。)
  5. 三重県(2007)"平成19年度鏡浦中学校環境教育プログラム作成にあたって"(2011年8月17日閲覧。)
  6. 6.0 6.1 6.2 伊勢志摩観光旅行ツアー"「アマモ場の再生を目指して」鳥羽と志摩の中学生らが地域を越えて交流会"(2011年8月17日閲覧。)
  7. 朝日新聞社"海のゆりかご守ろう 三重・鳥羽の中学生、アマモ移植"2011年6月7日(2011年8月17日閲覧。)
  8. 8.0 8.1 三重県環境・生態系保全活動支援協議会"漁業者と中学生の交流発表会・・・2/17鳥羽志摩アマモ場再生で"2011年3月16日(2011年8月17日閲覧。)
  9. 次の指導要領、「何を教えるか」から「何ができるようになるか」へ-渡辺敦司-
  10. 「アクティブ・ラーニング」とは何か 次の学習指導要領で注目-渡辺敦司-

関連項目

外部リンク