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'''紀年法'''(きねんぽう)とは、[[年]]を数えたり、記録する方法をいう。
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'''紀年法'''(きねんぽう)
  
==類型==
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国や民族の歴史を計算する際,起算の年を定めて紀元として計算する方法。西洋最古の紀元としては,新バビロニア帝国の祖[[ナボポラッサル]]に始る「ナボポラッサル紀元」がある。これは,前 747年を起点としてバビロンの地に君臨したバビロニア,ペルシア,そしてアレクサンドロス3世 (大王) とその後継者を通して数えられたものである。このほか「アレクサンドロス紀元」「アウグスツス紀元」,古代ギリシアには「トロイ紀元」「セレウコス紀元」,ローマには「ローマ建国紀元」などがある。キリスト教に基づくものとして「アブラハム紀元」「天地創造紀元」その他があるが,「キリスト紀元」が最も長く,影響力をもって今日にいたった。これは6世紀前半頃ローマで活躍した司祭[[ディオニシウス・エクシグウス]]が『復活祭の書』のなかで「キリスト降誕紀元」を使ったのが最初といわれ,やがて9世紀のカルル1世 (大帝) のときに,他の紀元に対して決定的優位を得て今日にいたった。インドでは政治的なもの,天文暦法的なもの,宗教的なものなど多数の紀元があり,たとえば「グプタ紀元」「カニシカ紀元」などがある。またイスラム圏ではイスラムの「ヘジラ紀元」 (622年ムハンマドがメッカからメジナへ逃れた年から数える) が最も有力である。東洋諸国には王朝ごとに短期間の紀年法があり,これを[[元号]]もしくは年号と呼んだ。中国では元号と干支紀年法が盛んであったが,紀元に相当するものとしては 1911年,黎元洪が革命政府を樹立したときに黄帝の即位年から数える「黄帝紀元」を採用したことがあり,これは宋代以来の著述にみられることがある。中華民国成立以降は「キリスト紀元」が用いられている。日本では『日本書紀』の神武天皇の即位年から始り,聖徳太子が,讖緯 (しんい) 説によって,推古天皇9 (601) 年から一蔀 (いっぽう。 1260年) さかのぼらせて定めたものといわれるものがある。江戸時代にはかなり一般化し,明治5 (1872) 年明治政府は太政官布告をもって「日本紀元」と定め,翌年の2月 11日を紀元節としたが,ともに 1948年廃止された。
紀年法には、大きく分けて以下の3種類に分けられる。
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*[[西暦|西暦/キリスト紀元]]、[[ヒジュラ暦|ヒジュラ暦/ヒジュラ紀元]]、[[仏暦|仏暦/仏滅紀元]]、[[神武天皇即位紀元|皇紀/神武紀元]]など、ある年を始点にして、経過年と遡及年を数える'''無限'''のシステム([[紀元]])。
 
*[[君主]]の[[即位]]や、[[事件]]などによってリセットされる'''有限'''のシステム([[元号]])。
 
*[[干支]](60年周期)や[[インディクティオン]](15年周期)など、一定の年数で繰り返される'''循環式'''システム。
 
 
 
また、一部の紀年法を除き、紀元と元号の両方共に、[[元年|始まりになる年]]を「[[0年]]」でなく「1年」として考える。即ち、紀元からの経過年数や遡及年数を表す[[基数詞|基数]]年(周年)ではなく、[[序数詞|序数]]年([[数え年]])として数える。
 
 
 
==暦法との関係==
 
紀年法は、元年と1年経過するごとに加算する原則があるのみで、元日は定義しない。これに対し[[暦法]]は、月や太陽の運行に従って1か月ごとの日数を定めてから1年の長さと元日を定義する。つまり年月日で[[]]を表すには紀年法と暦法の両方が必要となる。したがって[[改元]]により新しい紀年法を採用した日が必ず元日になるとは限らず、あるいは暦の月日が不連続となることがある。
 
 
 
日本においては、[[暦法]]と同様に、紀年法も「○○暦」と呼称されたり、紀年法が暦法の一部と認識されてしまうことも多く、両者が混同されることがある。西暦は、かつて紀年法としては「西洋紀元」「西紀」という語で区別されていたが、やがて混同され、どちらも西暦とよばれている。現在の西暦は、暦法としてはグレゴリオ暦を指すが、紀年法としてはキリスト紀元である。
 
 
 
==各地域の紀年法==
 
各地域の紀年法については、「[[紀元]]」「[[元号]]」の項目も参照のこと。
 
 
 
===ヨーロッパ===
 
[[古代]][[ローマ帝国]]では、元号(○○皇帝在位N年)、[[ローマ建国紀元]]、[[インディクティオ]]の3種類がよく用いられていた。その後、4、[[5世紀]]頃には、[[ディオクレティアヌス紀元]]が[[キリスト教]]徒の間で最も広く用いられる紀年法であった。
 
 
 
しかし、[[西ローマ帝国]]が消滅した後の[[西ヨーロッパ]]で、[[イエス・キリスト]]の生年を元年とするキリスト紀元([[西暦]])が徐々に用いられるようになり(君主の即位年を基準とする紀年法も平行して用いられた国もあった。)、[[15世紀]]以降に一般化して現在に至る(詳細は「西暦」の項目参照)。
 
 
 
[[東ヨーロッパ]]の[[正教]]圏では、[[中世]]から[[近代]]まで[[10世紀]]以降の[[東ローマ帝国]]で使用された[[世界創造紀元]]が使用されていたが、現在は西暦が一般的である。
 
 
 
===イスラム圏、東南アジア===
 
[[中東]]の[[イスラム世界|イスラム圏]]では[[ヒジュラ暦|ヒジュラ紀元]]が、[[東南アジア]]の[[仏教]]国家では[[仏滅紀元]]が、それぞれ広く用いられている。
 
 
 
===漢字文化圏===
 
[[漢字文化圏]]では、長らく元号と干支が用いられて来た。しかし、中国では[[辛亥革命]]によって元号は廃止され、[[民国紀元]]が施行された。その後に成立した[[中華人民共和国]]では、民国紀元は廃止され、キリスト紀元と干支が用いられている。
 
 
 
又、第二次世界大戦での[[日本の降伏]]により、[[朝鮮半島]]と[[ベトナム]]では元号が廃止され、キリスト紀元と干支が多く用いられているが、[[崇禎紀元]]、[[檀君紀元]]、[[主体暦|主体紀元]]、[[越南民主共和]]([[私年号]])など、私年号を含めて独自の紀元も用いられている(或いは用いられていた)。
 
 
 
現在の日本では、元号・干支・キリスト紀元・[[神武天皇即位紀元|神武紀元]]の4種類が用いられている。尚、漢字文化圏では、民間においては干支のうち[[十二支]]を動物に見立てた[[十二生肖]]で年を数える紀年法が広く使われている。
 
 
 
==関連項目==
 
*[[紀元前]]
 
*[[暦法]]
 
 
 
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2019/5/1/ (水) 21:48時点における最新版

紀年法(きねんぽう)

国や民族の歴史を計算する際,起算の年を定めて紀元として計算する方法。西洋最古の紀元としては,新バビロニア帝国の祖ナボポラッサルに始る「ナボポラッサル紀元」がある。これは,前 747年を起点としてバビロンの地に君臨したバビロニア,ペルシア,そしてアレクサンドロス3世 (大王) とその後継者を通して数えられたものである。このほか「アレクサンドロス紀元」「アウグスツス紀元」,古代ギリシアには「トロイ紀元」「セレウコス紀元」,ローマには「ローマ建国紀元」などがある。キリスト教に基づくものとして「アブラハム紀元」「天地創造紀元」その他があるが,「キリスト紀元」が最も長く,影響力をもって今日にいたった。これは6世紀前半頃ローマで活躍した司祭ディオニシウス・エクシグウスが『復活祭の書』のなかで「キリスト降誕紀元」を使ったのが最初といわれ,やがて9世紀のカルル1世 (大帝) のときに,他の紀元に対して決定的優位を得て今日にいたった。インドでは政治的なもの,天文暦法的なもの,宗教的なものなど多数の紀元があり,たとえば「グプタ紀元」「カニシカ紀元」などがある。またイスラム圏ではイスラムの「ヘジラ紀元」 (622年ムハンマドがメッカからメジナへ逃れた年から数える) が最も有力である。東洋諸国には王朝ごとに短期間の紀年法があり,これを元号もしくは年号と呼んだ。中国では元号と干支紀年法が盛んであったが,紀元に相当するものとしては 1911年,黎元洪が革命政府を樹立したときに黄帝の即位年から数える「黄帝紀元」を採用したことがあり,これは宋代以来の著述にみられることがある。中華民国成立以降は「キリスト紀元」が用いられている。日本では『日本書紀』の神武天皇の即位年から始り,聖徳太子が,讖緯 (しんい) 説によって,推古天皇9 (601) 年から一蔀 (いっぽう。 1260年) さかのぼらせて定めたものといわれるものがある。江戸時代にはかなり一般化し,明治5 (1872) 年明治政府は太政官布告をもって「日本紀元」と定め,翌年の2月 11日を紀元節としたが,ともに 1948年廃止された。

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