筑波山

提供: miniwiki
2018/7/15/ (日) 21:34時点におけるja>小石川人晃による版 (誤字修正)
(差分) ← 古い版 | 最新版 (差分) | 新しい版 → (差分)
移動先:案内検索


筑波山(つくばさん)は日本関東地方東部、茨城県つくば市北端にある標高877mの。筑波山神社の境内地で西側の男体山(標高871m)と東側の女体山(標高877m)からなる。雅称は紫峰(しほう)。筑波嶺(つくばね)とも言い、茨城県のシンボルの一つとされている[1]

概要

富士山と対比して「西に富士、東に筑波」と称される[2]茨城県の県西地方からの眺めが美しいとされる[3]。全域が水郷筑波国定公園に指定された保護エリアであり、中腹から山頂付近は特別保護地区(自然公園法)に指定され筑波山神社境内地であり、古くから樹木および木竹以外の植物の損傷・植栽、動植物の捕獲・採取等が禁止され神域として保全されており火器の無許可使用、リード無しのペット散歩等の行為も禁止されている(その他は御神橋の横にある定書参照)。万葉集にも詠まれ[2]日本百名山日本百景の一つとされる。百名山では最も標高が低く、開聞岳(標高924m)とともに1000m未満の山。独立峰にみえるが、実際には八溝山地最南端の筑波山塊に位置する[注釈 1]火山と誤解されることもあるが[5]、実際には火山ではなく、隆起した深成岩花崗岩)が風雨で削られて形成されたとされる。なお、山頂部分は斑れい岩からなる。

高さは長らく三角点の標高である876 mとされていたが、1999年に最高点の877 mに変更された[6]

筑波山は石岡市および桜川市にもまたがる。男体山・女体山山頂には筑波山神社本殿があり、山腹には拝殿がある。『常陸国風土記』には筑波山の神が登場する。筑波山神社拝殿には坂東三十三箇所25番札所の筑波山大御堂(中禅寺)が隣接する。筑波山は、ガマの油売りの口上などでも知られる。山中には巨石、奇石、名石が数多く散在し、それぞれに名前がつけられ、多くの伝説を生み、それらに対する信仰が今日でも受け継がれ、山そのものが「神域」として崇められている(県指定遺跡)。開山以来、「結界」が張られており、荒れた時代もあったが、現在でも「霊山」であり山の万物が「神体」とされている。「夜間は男体・女体の神々が御幸ヶ原に出現する」ため「二人の遊楽を妨げてはならず入山しない」とする文化がある。

関東平野を一望するロケーションの良さからアマチュア無線用中継局・筑波山レピータもある。関東平野の北東部にあることと、同平野では希有な独立峰的な山であることから、気象観測無線通信の上でも重要な拠点とされ、山頂付近には数多くのアンテナが存在する。1893年に山頂付近で気象観測を開始した後に筑波山測候所が置かれ、2006年からは筑波大学による筑波山気象観測ステーション(2016年筑波山神社・筑波大学計算科学研究センター共同気象観測所へ改称)として男体山頂にて観測を行っている。

筑波山からは富士山の美しい景観を眺められるため、2005年関東の富士見百景に選定された。2007年日本の地質百選に選定。

旧日本軍では「真珠湾攻撃を実施せよ」を命じる隠語は「ニイタカヤマノボレ(新高山登れ)」であったが、「直ちに帰投せよ」を表す隠語は「ツクバヤマハレ(筑波山晴れ)」であった。

古典にみる筑波山

歌川広重名所江戸百景』より。広重は、江戸の街からの地平線を描く場合に、西方なら富士山、北や北東なら筑波山を描くことが多かった。

歌垣と『万葉集』

筑波山は古来より農閑期の行事として大規模な歌垣(かがい)が行われ、近隣から多数の男女が集まって歌を交わし、舞い、踊り、性交を楽しむ習慣があった。これは今年の豊穣を喜び祝い、来る年の豊穣を祈る意味があった。

常陸国風土記』には、筑波山における歌垣について、富士山との比較で次のような話を載せている。諸国をめぐり歩く神祖尊(みおやのみこと)が、新嘗の日に富士山を訪ねた。ところが富士の神は新嘗祭で忙しいからと一夜の宿を断った。神祖尊は嘆き恨んで、「この山は生涯冬も夏も雪が降り積もって寒く、人が登れず、飲食を供える者もなくしよう」といい、今度は常陸の筑波山に行き宿を乞うた。筑波山は新嘗祭にもかかわらず、快く宿を供し、飲食を奉った。喜んだ神祖尊は、「・・・・・天地(あめつち)とひとしく 月日と共同(とも)に 人民(たみぐさ)集い賀(よろこ)び 飲食(みけみき)豊かに 代々(よよ)絶ゆることなく 日々に弥(いや)栄え 千秋万歳(ちあきよろずよ) たのしみ窮(きわま)らじ」と歌った。それから富士山はいつも雪に覆われて登る人もなく、筑波山は昼も夜も人が集い、歌い飲食をするようになったという。『常陸国風土記』の成立は養老年間(717年 - 724年)だが、このころすでに筑波山に男女が集う嬥歌(かがい・歌垣(うたがき))の場であったことがわかる。

『万葉集』第9巻1759番収録の高橋虫麻呂作の歌には、

鷲の棲む 筑波の山の 裳羽服津(もはきつ)の その津の上に
率(あども)ひて 未通女(をとめ)壮士(をとこ)の 行き集ひ
かがふかがひに
人妻に 吾(あ)も交はらむ わが妻に 人も言問へ
この山を 領(うしは)く神の 昔より 禁(いさ)めぬわざぞ
今日のみは めぐしもな見そ 言(こと)も咎むな
(現代語訳)
鷲の棲む筑波山の裳羽服津の津のほとりに、
男女が誘い合い集まって、舞い踊るこの歌垣(かがい)では、
人妻に、私も性交しよう。我が妻に、人も言い寄ってこい。
この山の神が昔から許していることなのだ。
今日だけは目串(めぐし、不信の思いで他人を突き刺すように見ること)はよせよ、咎めるなよ。

と、歌垣への期待で興奮する気持ちが素直にのびのびと詠われる。

『万葉集』の歌の対象

万葉集のうち地名歌令制国ごとに分類した場合、畿内に含まれないのにも関わらず常陸国の地名歌の数が上位10位以内に含まれる。溝尾良隆はこの理由を、筑波山が詠まれていたからだと言及している[7]

山名の由来

由来については異説が多い。

最も古い説は『常陸国風土記』にある、筑箪命(つくはのみこと)という人物に由来するというもの。同書によれば、筑波周辺は紀国(きのくに)と呼ばれていたが、美麻貴天皇(みまきのすめらみこと。後の崇神天皇)の治世に、国造に任命された采女臣氏の友属(ともがら)の筑箪命が、「我が名を国につけて、後世に伝えたい」と筑波に改称したという。同書はまた、筑波が俗に「握飯筑波」とも呼ばれたと記している[8]

より学術的な考証は、以下のとおり。

  • 縄文海進により、縄文時代の筑波山周辺には波が打ち寄せていたと考えられ、「波が寄せる場」すなわち「着く波」(つくば)となった[9]
  • 縄文時代の筑波山周辺は海であり、筑波山は波を防ぐ堤防の役割を果たしたため「築坡」(つきば)と呼ばれ、のちに筑波となった[9]
  • 「つく」は「尽く」で「」を意味し、「ば」は「端」を意味する[10]
  • 新たに開発して築いた土地として、「つくば」は「築地」ないし「佃地」を意味する[10]
  • 「つく」は「斎く」(いつく、神を崇め祀る)あるいは「突く」(つく、突き出す)であり、「ば」は「山」を意味する[10]
  • 「平野の中に独立してある峰」の意の「独坡」にちなむ[11]
  • アイヌ語tuk-pa(とがった頭)またはtukupa(刻み目)にちなむ[11]
  • 歌垣の習慣にちなみ、マオリ語tuku-pa(交際を許される)に由来する[12]

産業

ミカン栽培

標高140m付近ではミカンが栽培される[13]ウンシュウミカンナツミカンも栽培されるが、在来種の「筑波みかん」または「福来みかん」(ふくれみかん)と呼ばれる、直径2 - 3cmの小型みかんが栽培されている[13][14]。ふくれみかんは果皮が薄く、種子が大きい[14]

冬季の寒さが厳しい山腹でミカン栽培を可能にしたのは、山の中腹にあって山麓よりも気温が高い「斜面温暖帯(Thermal belt)」[15]の存在である[16]。筑波山の標高170 - 270m付近には山麓より気温が3、4°C高い斜面温暖帯が分布し[16]、これによりミカン栽培の条件がかろうじて満たされる[16]1980年代頃には観光ミカン園が出現した[17]

日本で斜面温暖帯を農業に利用する事例としては、ほかに静岡県栽培がある[15]

観光

筑波山からの眺め

筑波山には山頂付近までケーブルカーおよびロープウェイがかかっており、これらを利用して登ることができるほか、いくつかのルートで登山道が整備されているので、麓から歩いて登頂することもできる。このほか、オリエンテーリングパーマネントコースも整備されている。

ファイル:TsukubaSan2.JPG
筑波山ケーブルカー

ケーブルカー

筑波山神社拝殿横の宮脇駅より山頂近くの御幸ヶ原まで筑波山鋼索鉄道線(筑波山ケーブルカー)が運行される。宮脇駅は関東鉄道などの「筑波山神社入口」バス停下車、徒歩(門前町を通り抜ける)。宮脇駅に近い「筑波山神社前」への一般路線バス乗り入れの廃止により、路線バスとケーブルカーの乗り換えは、歩く距離が廃止前より200mほど長い。乗り換えのための徒歩経路には坂道や階段があり、乗り換えに最低15 - 20分以上必要(途中には土産物店、そば店などの店、神社拝殿があり、この経路も観光・参詣の一環である)。

ロープウェイ

つつじヶ丘レストハウスに併設されたつつじヶ丘駅より女体山山頂まで筑波山ロープウェイが運行される。つつじヶ丘駅は関東鉄道などの「つつじヶ丘」バス停前である。

筑波山梅林

中腹(標高250m付近)につくば市営の梅林(筑波山梅林)がある。白梅、紅梅などの約30種、1,000本程のが約4.5haの園内に植えられており、「木道」や「あずまや」が整備されている。早咲きのものは1月下旬から見頃となり、最盛期には筑波石の巨岩と満開の梅とが独特の風景をなす。また、好天時には富士山や東京高層ビルを臨める。

毎年2月中旬から3月中旬に開催の「筑波山梅まつり」では、ガマの油売り口上、甘酒・梅のサービス、茶会などが催される。

登山

登山道は通称で正確には歩道であり参拝のための参道である。許可された一般の参道(以下、指定登山道)は全部で7つあるが、標高が低い割に危険な箇所もある。自然研究路の東屋に集まる登山マニアや悪質なブロガーが無許可で切り開いた違法な「ルート」が130ほどありテープ巻き、ペイント、伐採等が行われ、「ここから先は登山道ではありません」「これより入山禁止」と警告する立て札などがあるが、盗難されたり岩陰に隠されたりする事件が多発している。身動きできなくなった登山客が携帯電話で救助を求める事故が頻発。2005年1名死亡、2013年8月には不法侵入常習登山客による違法ルートの誘導が原因で登山客が遭難し捜索に6時間以上かかった事故が発生。2015年8月18日川崎市多摩区の男性(73)が違法ルートに侵入して行方不明になり翌日の五時半頃に真壁町の住民に救助される事件が発生(軽傷)。指定登山道以外への立ち入りは市、県、地権者、警察署等の協議により禁止されている(刑法の器物損壊、軽犯罪法、森林法、自然公園法違反の疑いがある)。

東日本旅客鉄道(JR東日本)水戸線岩瀬駅よりスタートし、御嶽山雨引山燕山加波山丸山足尾山きのこ山弁天山、筑波山の順に筑波連山を縦走する登山者も多い。この縦走路は関東ふれあいの道の茨城県コースNo.7 - 11である[18][19]

筑波山の登山コース(指定登山道) 注意※指定登山道以外への立ち入りは 市、県、地権者、警察署等の協議により禁止されている。 境内地のため火気の無許可使用は禁止。
コース 経路 所要時間
上り/下り[20]


御幸ケ原コース 筑波山神社拝殿〜御幸ケ原 約90分/約70分
白雲橋コース 筑波山神社拝殿〜女体山 約110分/約80分
おたつ石コース
(白雲橋コース経由)
つつじヶ丘〜弁慶茶屋 約40分/約35分
弁慶茶屋〜女体山
迎場コース
(白雲橋コース経由)
筑波山神社拝殿〜酒迎場分岐 約20分/約15分
酒迎場分岐〜つつじヶ丘 約40分/約35分
筑波山ケーブルカー 宮脇駅〜筑波山頂駅 約8分
筑波山ロープウェイ つつじヶ丘駅〜女体山駅 約6分
女体山駅〜女体山 約10分


深峰遊歩道
(旧ユースホステルコース)
ユースホステル跡地〜御幸ケ原 約40分/約35分
薬王院コース 薬王院〜男体山  
キャンプ場・女体山コース 筑波高原キャンプ場〜女体山
東筑波ハイキングコース 国民宿舎つくばね〜つつじヶ丘

山頂連絡路 御幸ケ原〜男体山 約15分
御幸ケ原〜女体山
筑波山自然研究路 男体山山頂周回路

主な指定登山道は以下の通り。

御幸ヶ原コース
筑波山神社の西側からケーブルカーの筑波山頂駅までほぼ直登するコース。高低差があり勾配はやや急。途中でケーブルカーのすれ違いが見られることがある。男女川の水源もある。
所要時間:登り90分/下り60分
距離:約2.5km
標高差:約610m
白雲橋コース
筑波山神社の東側から女体山側へ登るコース。登山道入り口前にある白雲橋からは、土木学会選奨土木遺産に認定された筑波山千寺川砂防堰堤群が見られる。山頂近くでは「弁慶の七戻り」「高天原」「胎内くぐり」「出船入船」などの奇岩、巨岩が見られる。急勾配や岩場もやや多い。
所要時間:登り110分/下り95分
距離:約2.8km
標高差:約610m
迎場コース
つつじヶ丘から白雲橋コースの麓近く、酒迎場分岐まで行くコース。岩場が少なく、また標高差もそれほどない比較的楽なコース。
所要時間:登り40分/下り35分
距離:約1.6km
標高差:約190m
おたつ石コース
つつじヶ丘から尾根伝いに登り、白雲橋コースと弁慶茶屋で合流する短いコース。筑波山ロープウェイのルートに沿っており木々の間からゴンドラが見える。つつじヶ丘側は木が少なく見晴らしがよい。
所要時間:登り40分/下り35分
距離:約1.0km
標高差:約200m
深峰遊歩道
「ユースホステルコース」と呼ばれたが、中腹にあった筑波山ユースホステルは廃業して解体されたために森林管理署図版ではこの名称を用いる。「旧ユースホステルコース」とも記載される。関東ふれあいの道の茨城県コースのNo.10「筑波山頂めぐりの道」のコースの一部でもある。登山道は整備されていて幅も広く、登りやすい。
所要時間:登り40分/下り35分
距離:約1.2km
薬王院コース
西側の薬王院と男体山の自然研究路をつなぐ長いコース。途中、つづら折りの階段がある。
距離:約2.5km
キャンプ場・女体山コース
北側の筑波高原キャンプ場から女体山へ登るコース。利用者が少なく、道が一部整備されていない箇所がある。

山頂付近

御幸ヶ原

男体山と女体山の間の男体山寄りにある開けた場所で、ケーブルカーの筑波山頂駅がある。駅の横には2階と屋上が回転するコマ展望台(2階がいわゆる回転レストラン)があり、売店・食堂も並ぶ。登山道の御幸ヶ原コースの終点でもある[18][19]

山頂連絡路
男体山頂から御幸ヶ原を経て女体山頂までの登山道。御幸ヶ原からは男体山側へ登るほうが距離が短いが、やや急になっている。御幸ヶ原から女体山方面へ向かうと、かたくりの里(カタクリ群生地)、せきれい茶屋、ガマ石を経てロープウェイの女体山駅のすぐ上を通り、女体山頂へつながっている。
所要時間:御幸ヶ原から男体山頂・女体山頂までどちらも15分
距離:御幸ヶ原 - 男体山頂:300m、御幸ヶ原 - 女体山頂:550m
自然研究路
御幸ヶ原からスタートして男体山頂を見ながら一周するように設けられている。途中の展望台では関東平野が一望できる。多少の標高差がある。
所要時間:60分
距離:約1.5km
標高差:約70m

ギャラリー

アクセス

かつては筑波鉄道筑波線筑波駅が筑波山へのアクセスを担っていたが、1987年の筑波線廃止以降、筑波山への公共交通機関によるアクセスは後退していた。その後、2005年首都圏新都市鉄道つくばエクスプレス(TX)の開業と同時につくば駅前からのシャトルバスの運行が開始され、公共交通機関によるアクセスの利便性は向上した。

つくば駅から

つくばエクスプレスつくば駅(つくばセンターバスターミナル)から関東鉄道などの「筑波山シャトルバス」筑波山行きに乗車すると中腹まで乗り換えがない。約40分で門前町にある筑波山神社入口停留所、約50分でロープウェイ駅のあるつつじヶ丘停留所に着く。この方法では、東京・秋葉原から最短2時間11分で女体山頂に到達できる。山麓(南麓)を目指す場合は、つくバス北部シャトル筑波山口行きに乗車し、筑波山口停留所下車。首都圏新都市鉄道が発行する企画乗車券「筑波山きっぷ」はどちらか選択して乗車が可能。ただ、多くの徒歩登山者は、つくば駅から中腹までバスを利用することが多い。

その他

土浦駅からのバスは南麓の筑波山口止まりである。この方法でも乗り換えで中腹へ出られるが、座れる保証がないこともあり、利用は減少傾向にある。下妻駅からは1回以上の乗り換えを要し、実質的な最寄駅ながら観光利用はほぼない。また、北麓に近い下館駅岩瀬駅からは関鉄パープルバスによる広域連携バスが筑波山口まで運行されている[21][22]

石岡駅から東麓へ向かうバスもあるが、徒歩登山に適した道がなく、専ら山麓の観光施設(果樹園など)を利用する場合に向く。

筑波山を舞台にした作品

脚注

注釈

  1. かつては阿武隈高地にも含められていたが、現在では別の山系とされる[4]

出典

  1. いばらき広域景観づくり事業 検討結果報告書』茨城県土木部都市局、2008年3月、p. 4
  2. 2.0 2.1 井坂 敦実、2015、「筑波の歴史と文化」、前川 啓治(編)『筑波山から学ぶ 「とき」を想像・創造する』、筑波大学出版会 pp. 4-25
  3. 『世界大百科事典』(平凡社 2007年)の「茨城県」の項より
  4. 『日本の地形4 関東・伊豆小笠原』貝塚爽平ほか編、東京大学出版会、2000年、4頁。
  5. 川辺禎久"筑波山 - 火山学者に聞いてみよう -トピック編-"日本火山学会(2011年8月5日閲覧)
  6. "百名山・二百名山登山記録写真"(2015年1月9日閲覧)
  7. 溝尾良隆 『観光学と景観』 古今書院、2011年。ISBN 978-4-7722-3137-4。
  8. 武田祐吉 1937.
  9. 9.0 9.1 鈴木健 1994, p. 111
  10. 10.0 10.1 10.2 鈴木健 1994.
  11. 11.0 11.1 鈴木健 1994, p. 110
  12. 相模原郷土の歴史研究会"縄文人がつけた古い地名〜相模原市"(2012年4月14日閲覧)
  13. 13.0 13.1 関口武 1983, p. 167
  14. 14.0 14.1 学園都市の自然と親しむ会 編 1992, p. 80
  15. 15.0 15.1 千葉大学環境リモートセンシング研究センター近藤研究室"斜面温暖帯(2013年4月30日時点のアーカイブ)"2011年8月5日閲覧
  16. 16.0 16.1 16.2 筑波山のふもとでみかん狩り「酒寄観光みかん園」”. 筑波大学大気科学分野植田宏昭研究室. 2012年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。. 2017閲覧.
  17. 関口武 1983.
  18. 18.0 18.1 筑波山登山コース | 筑波山ケーブルカー&ロープウェイ
  19. 19.0 19.1 筑波山の登山コース つくば新聞
  20. 筑波山神社:登山案内。2013年11月22日閲覧。
  21. 筑西市広域連携バス(下館駅⇔筑波山口)本格運行について 筑西市
  22. (平成29年10月1日~)桜川市・つくば市間広域連携バスの運行について 桜川市

参考文献

  • 武田祐吉 『風土記』 岩波書店、1937。ISBN 4-00-300031-5。
  • 『筑波山 つくばの自然誌 I』 学園都市の自然と親しむ会 編、STEP、1992-05-20。ISBN 4-915834-12-3。
  • 鈴木健 『恋瀬川物語 -川の名を源流に溯る』 筑波書林〈ふるさと文庫別冊3〉、1994-09。ISBN 4-900725-09-9。
  • 関口武 『気象と文化』 東洋経済新報社、1983-11-04。

関連項目

外部リンク