筑摩書房

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株式会社筑摩書房(ちくましょぼう)は、日本の出版社。筑摩書房のマーク(空を截る鷹)のデザインは青山二郎作。

文学者を中心に個人全集は、増補改訂し繰り返し刊行するので、「全集の筑摩」と称されている。特に『世界文学全集』は多くの類書シリーズを刊行した。ほかに古典・現代文の教科書を現在まで毎年出版している。月刊PR誌に『ちくま』がある。

沿革

倒産・再建について

2007年平成19年)3月、出版関係者が集った『本の会』主催の講演会(東京・文京区本郷)にて、社長の菊池明郎(倒産時は入社7年目の営業マン)が、『筑摩書房はどのようにして復活したのか、倒産30年の軌跡』で詳細な経緯を語った。

  • 「損をしてもいいから、良い本を出そう」が創業精神であったため、経営がピンチになるたびに、創業者の古田晁が自らの財産である故郷の山林を売って、赤字を補填してきた。
  • 倒産時まで、社長が労働組合を恐れ、ボーナスを大盤振舞いし、放漫経営をしていた。
  • 再建のために、『マーケティング重視への転換。実売率を高めていく』の方針をたてた。
  • まず書店からの売上スリップでデータを取り、分析、解析。やがて、POSデータの活用も行った。後に解析のためのシステムの開発も十分に行い、同業他社に比べ、早くから社内LANを導入し、全員がパソコンを持った。埼玉にある倉庫にも無線LANを使い、返品、入庫のデータを飛ばすなどした。
  • ロバート・キヨサキ『金持ち父さん 貧乏父さん』は当初反対が多かったが、結果として一連の著作シリーズは250万部以上が売れるベストセラーになった。

関係者による書籍

  • 菊池明郎 『営業と経営から見た筑摩書房 出版人に聞く〈7〉』論創社 2011年、聞き手小田光雄による回想と検証
  • 柏原成光 『本とわたしと筑摩書房』パロル舎 2009年
  • 柏原成光 『黒衣の面目 編集の現場から』風濤社 1997年
    倒産・再建の経緯や、関連人物を回想している。
  • 田中達治 『どすこい出版流通 筑摩書房「蔵前新刊どすこい」営業部通信 1999-2007』ポット出版、2008年
    著者(1950〜2007年)は、菊池の後任の営業部長で取締役にも就いたが、2007年7月にガンで退任し数か月後に病没した。
  • 松田哲夫 『編集狂時代』(本の雑誌社、1994年)。半生記、補記され新潮文庫で再刊
    著者は専務取締役を経て顧問、多くのマスメディアに登場。詳しい内情が記されているが、柏原や菊池とは(露骨なメディア出演や、出版路線などをめぐり)対立している。
  • 臼田捷治編 『書影の森-筑摩書房の装幀 1940-2014』みずのわ出版、2015年
    装幀に関わった多くの装丁者、編集者、社内デザイナー達の足跡を紹介
  • 創業時の回想ほか、臼井吉見編『そのひと ある出版者の肖像』径書房、1980年
    • 元版『回想の古田晁』(井上達三編) 筑摩書房、1974年 非売品
  • 柏原成光 『友 臼井吉見と古田晃と-出版に情熱を燃やした日々』紅書房、2013年
    筑摩書房創立に深い関わりを持つ二人の友情を、青年期から古田の死後まで辿ったドキュメント。
  • 塩澤実信『奇跡の出版人 古田晁伝』東洋出版、2015年(伝記)

本社

〒111-8755 東京都台東区蔵前二丁目5番3号

神田神保町の隣の神田小川町に小さな建物の本社があったが、そこを1988年に売却し、蔵前に移転した。もとは貸しビルだったが買い取り本社にした。

  • 評論家の川本三郎は、そのエッセイの中で筑摩書房の編集者たちが神保町古書店街という偉大な図書館から離れてしまったために、資料収集・検証作業などが不便となり、色々と苦労させられた旨が述べられている。

サービスセンターは、さいたま市北区櫛引町にある。物流の拠点で受注・出荷・改装を受け持つ。刊行書籍の奥付に「在庫の問い合わせなどはそちらに連絡して下さい」とのただし書きがある。なお、上尾市に改装センター倉庫がある。

主な書籍シリーズ

休刊・廃刊
  • 筑摩叢書

関連項目

脚注

  1. 1964年に『1 ホメーロス』を発刊以来、数度新版を刊行、丸40年を経た2004年5月に、54冊目の『17 老子・荘子』刊行により完結
  2. つげ義春つげ義春日記1983年講談社

外部リンク