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'''笑福亭 鶴瓶'''(しょうふくてい つるべ)は、[[上方落語]]の[[名跡]]。
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'''笑福亭 鶴瓶'''(しょうふくてい つるべ)
  
*'''初代 笑福亭鶴瓶'''(生年不詳 - [[1944年]]2月)は、後の[[林家染八]]。初め4代目[[笑福亭松鶴]]の門下で、師が一旦芸界を離れた時に、2代目[[林家染丸]]の門下に移る。本名は金谷伊太郎。当代の命名時に松鶴もその存在を語り、2代目であると告げている。
+
昭和後期-平成時代の落語家,タレント。
*'''笑福亭鶴瓶(当代)''' - 本項を参照。本来なら2代目に当たるが、当代は特に代数を名乗っていない。
 
----
 
{{落語家
 
|芸名=笑福亭 鶴瓶
 
|ふりがな=しょうふくてい つるべ
 
|画像ファイル=Tsurube Shofukutei IMG 9775r R 20151122.JPG
 
|画像サイズ=250px
 
|画像コメント=中央手前が鶴瓶<br>(2015年11月22日、第32回[[マイルチャンピオンシップ]]表彰式にて)
 
|本名=駿河 学(するが まなぶ)
 
|別名=
 
|出身地={{JPN}}・[[大阪府]][[中河内郡]][[長吉村]](後の[[大阪市]][[東住吉区]]、現在の大阪市[[平野区]])
 
|死没地=
 
|生年=1951
 
|生月=12
 
|生日=23
 
|没年=
 
|没月=
 
|没日=
 
|師匠=[[笑福亭松鶴 (6代目)|6代目笑福亭松鶴]]
 
|弟子=[[笑福亭笑瓶]]<br />[[笑福亭晃瓶]]<br />[[笑福亭純瓶]]<br />[[笑福亭達瓶]]<br />[[笑福亭恭瓶]] など13名
 
|名跡=
 
|出囃子=トンコ節<br />新ラッパ
 
|活動期間=1972年 -
 
|活動内容=上方落語<br />[[漫談]]
 
|配偶者=あり
 
|家族=[[駿河太郎]](長男)
 
|所属=[[デンナーシステムズ]]<br />[[松竹芸能]]
 
|公式サイト=
 
|主な作品=
 
|受賞歴='''[[キネマ旬報賞]]'''主演男優賞<br />[[ブルーリボン賞 (映画)|ブルーリボン賞]]主演男優賞<br />[[日刊スポーツ映画大賞]]主演男優賞<br />[[おおさかシネマフェスティバル|おおさかシネマフェスティバル2010]]主演男優賞<br />[[第38回日本アカデミー賞]] 優秀助演男優賞<ref>{{Cite news |title=日本アカデミー賞優秀賞決定!|date=2015-01-14 |url=http://www.japan-academy-prize.jp/prizes/38.html |accessdate=2015-01-17}}</ref>
 
|備考=[[上方落語協会]]副会長(2008年 - 2018年)<br />上方落語協会相談役(2018年 - )
 
}}
 
'''笑福亭 鶴瓶'''(しょうふくてい つるべ、[[1951年]][[12月23日]] - )は、[[日本]]の[[落語家]](6代目笑福亭松鶴門下)、[[タレント]]、[[俳優]]、[[歌手]]、[[司会|司会者]]、[[ラジオパーソナリティ]]。本名、'''駿河 学'''(するが まなぶ)。[[大阪府]][[中河内郡]][[長吉村]](現在の[[大阪市]][[平野区]])出身で、[[兵庫県]]在住。所属事務所はデンナーシステムズ<ref group="注釈">デンナーシステムズは元松竹芸能社員で鶴瓶のチーフマネージャーを担当していた千佐隆智が代表取締役を務める芸能プロダクション。東京・東麻布に所在し、[[ジャパン・ミュージックエンターテインメント]]の系列でもある(ただし、ウェブサイト上には掲載されていない)。主に[[東京]]・全国区方面でのマネジメントを担当しており、マネージャーもデンナーシステムズの社員が就いている。</ref>で、松竹芸能にも籍を残す。チャームポイントM字の髪型。
 
  
愛称は「'''鶴瓶さん'''」「'''べーさん'''」「'''鶴瓶師匠'''」「'''べー師匠'''」「'''鶴瓶ちゃん'''」「'''まーちゃん'''」、「'''まなぶくん'''」「パット」など。落語家として上方落語協会相談役を務めている。
+
昭和26年12月23日生まれ。昭和47年6代笑福亭松鶴に入門。軽妙な話術と回転の速さ,飄々とした人柄で人気を得る。平成12年上方お笑い大賞。主な出演番組に「笑っていいとも!」「鶴瓶の家族に乾杯」など。落語家としては,春風亭小朝,9代林家正蔵らとの「六人の会」や「帝塚山 無学の会」などで積極的に活動。20年上方落語協会副会長。西川美和監督「ディア・ドクター」(22年キネマ旬報ベスト・テン主演男優賞),山田洋次監督「おとうと」など,映画,舞台でも活躍。大阪府出身。京都産業大中退。本名は駿河学(するが-まなぶ)。
 
 
==来歴==
 
===生い立ち・学生時代===
 
大阪府中河内郡長吉村長原(現在の大阪市平野区長吉長原)出身。5人兄弟の末っ子で[[浪速高等学校・中学校|浪速高等学校]]卒業。高校在学中、当時大阪で人気だった[[笑福亭仁鶴 (3代目)|笑福亭仁鶴]]や[[桂文枝 (6代目)|桂三枝(現:6代目桂文枝)]]に刺激されて、高校に落語研究会を作る。
 
 
 
[[1961年]]頃、学校へ行く途中で近所のおっちゃんに[[競馬場]]に誘われて、学少年が適当に指名した[[馬券]]をそのおっちゃんが購入した所、それが的中し[[万馬券]]に化ける。驚き感嘆したおっちゃんは、約40万円の払戻金を丸々、学少年に手渡した。夜中に家族が寝静まった頃を見計らい、貰ったお札を数えていた所、その現場を母親に発見され大事に発展した。夜中にもかかわらず、競馬に連れ出した近所のおっちゃんをたたき起こし、事の顛末を聞き出したことにより、正式に駿河家のお金となった。後になってこの出来事を思い出し、母親にお金の使途を執拗に問質した所、実家の建て増し資金になっていたことが判明。この話を[[テレビ朝日]]の『[[徹子の部屋]]』で話したところ、さらに母親から叱られたという<ref name="seishunfu">はやく人間になりたいッ!つるべのドガチャガ青春譜(徳間書店 1976年)第3章</ref><ref name="kamishibai4" />。
 
 
 
[[1969年]]、頭のいい人間に対抗心を持っていたため、受験していない[[京都大学]]や、[[大阪大学]]の入試の合格発表に行き、落ちていそうな生徒の隣で「あった!」と合格したフリをして、胴上げされるという悪戯をする。この時、大阪大学で[[日本放送協会|NHK]]の取材を受け、模様が夕方のニュース番組で流れたため、それを見ていた親戚から祝電が届くなど両親に恥をかかせてしまう<ref name="seishunfu" /><ref name="kamishibai4" />。
 
 
 
[[京都産業大学]][[経済学部]]に進学するも中退。大学時代は京都産業大学落語長屋という[[落語研究会 (サークル活動)|落語研究会]]に所属しており、'''童亭 無学'''(どうてい むがく)を名乗る。一時期はここでの芸名を本名である'''スルガ・マナブ'''やプロになってから'''tsurube'''と名乗ったこともある。この落語研究会で[[あのねのね]]の[[原田伸郎]]と出会い、[[清水国明]]を含めた3人で音楽活動をする(鶴瓶夫人も参加していた時期あり。後述)。大学生時代に、教授が教室に入る際に[[出囃子]]を鳴らして笑いを取ったことがある<ref name="seishunfu" /><ref name="kamishibai4" />。
 
 
 
清水国明、原田伸郎、後に結婚する玲子夫人とともに、あのねのねのメンバーでもあり、ヤマハのコンテストにも出場した(鶴瓶は踊るだけ)。この時玲子夫人が『[[ひょっこりひょうたん島]]』のテーマを歌っている。清水とは下宿で共同生活を送った時期もあった。アルバイトは京都の修学旅行旅館「みきはん」で、歌や話芸で誰が一番人気か競いあったという。また、原田が大学時代にサークルをサボって女子生徒と遊んでいた所を目撃し、彼をトイレで殴って便器に顔を突っ込んだことがある。やがて、あのねのねがスターになり、鶴瓶の結婚式に二人が札束を持ってきたエピソードもよく語られる。鶴瓶の結婚式・披露宴の代金をあのねのねがすべて負担し、それでも余ったという<ref name="seishunfu" /><ref name="kamishibai4" />。
 
 
 
===入門・弟子入り===
 
[[画像:Gomaisasa.svg|thumb|五枚笹は[[松鶴一門|笑福亭一門]]の定紋である。]]
 
弟子入りのきっかけは、入門前のある日、[[安井金比羅宮]]で開かれた[[米朝一門]]の落語会での6代目笑福亭松鶴の行いを見たことだという。高座に上がった松鶴は「あっ!」と固まった後、見えた僧侶を示して「あの坊さんの頭見たらネタ忘れてもた。オチだけ言うて降りま」と言い、本当にオチだけを言って2分ほどで降りてしまった。それを見て「エライ人や」と思い、松鶴への弟子入りを決めたという。
 
 
 
1972年2月14日、11番弟子として入門、「'''鶴瓶'''」の名を与えられる。入門を許されて4日目のこと、寄席の来場者の下足番を任された際に、いつも当たり前のように青田(無料、顔パスの意)で入場し横柄な態度で振舞う[[新聞記者]]に腹を据えかねて口頭でとがめたところ「お前、辞めさせたるわ、ちょっと来い」と松鶴の楽屋に連れて行かれた。松鶴から下足番を離れたことをたしなめられると、破門などの処分を覚悟してこの経緯を話した。すると松鶴は新聞記者を「アホ!カス!去ね(帰れ)!」と罵倒し、「この子は将来、あんさんらが取材で世話になる子や!それに対して何をさらす(何をしやがる)!」と言い放った。その男気に、鶴瓶はたまらなく感動したという<ref>[[高田文夫]]編『ありがとう笑名人 第一集』での本人談。</ref>。その後「鶴瓶」の名を与えられ、松鶴を「'''おやっさん'''」として慕い続ける<ref name="kamishibai4">哀しき紙芝居(シンコー・ミュージック 1982年)「第3章 生まれた、育った、悪だった」「第4章 入門、そして一直線」</ref>。
 
 
 
同年9月26日に[[島之内寄席]]にて「東の旅発端」で初舞台<ref>上方タレント101人 新野新</ref>。内弟子になっても師匠から全く稽古を受けられず何としてでも活動の場が早く欲しかった鶴瓶は、[[超能力]](透視とスプーン曲げ)が使えることを松鶴に打ち明け、鶴瓶の超能力を目の当たりにした松鶴は驚愕し「ウチに超能力を使う弟子がおる」と松鶴自らがテレビ局に鶴瓶を売り込む。当然ながら超能力は[[テーブルマジック]]の類で、周囲に仕掛けを漏らしつつ頭から超能力を持つ弟子と信じ切っている松鶴という場面に持ち込み、必死になって売り込む松鶴に便乗して業界関係者に顔と名前を覚えてもらい、これを手がかりにテレビ、ラジオと進出する足場を作る。後に兄弟子の笑福亭仁鶴が鶴瓶のイカサマ超能力を暴き、松鶴は梯子を外された格好になった。
 
 
 
松鶴からは決して落語の稽古を付けられることはなかった。兄弟子である[[笑福亭松枝]]のエッセイのほか、鶴瓶自身の回想によれば、鶴瓶は「ある意味えらい怒られて稽古をつけてもらえなかった」<ref name="t80">[[笑福亭鶴瓶#.E6.88.B8.E7.94.B0|#戸田]] p.80(鶴瓶と五代目桂文枝の2004年の対談)</ref>存在であり、松鶴が機嫌のよいときに兄弟子の[[笑福亭松鶴 (7代目)|笑福亭松葉]]に「稽古を頼めよ!」とけしかけられて稽古を頼み込むと、鶴瓶の目の前に顔を突き出した挙句、「嫌や!」と突き放されたこともあった<ref name="t81">#戸田 p.81(鶴瓶と五代目桂文枝の2004年の対談)</ref>。ついには、「'''鶴瓶が聞いとるさかい風呂行って稽古しょう!'''」と他の弟子を引き連れて逃げ回られる事態に発展した<ref name="t81" />。松鶴の盟友であった[[桂文枝 (5代目)|五代目桂文枝]]はこのことについて「稽古の必要はないと思ってるからや」と分析しており、また鶴瓶が松葉など年の近い兄弟子に可愛がられるための、松鶴による気配りであることを示唆している<ref name="t82">#戸田 p.82(鶴瓶と五代目桂文枝の2004年の対談)</ref>。また、鶴瓶と五代目文枝ともども、松鶴自身が[[笑福亭松鶴 (5代目)|五代目松鶴]]からあまりネタを教えてもらうことがなかったことが、稽古をつけなかったことの伏線とみなしている<ref name="t80" />。松鶴は鶴瓶の実父が亡くなった時も「普通は弟子のお父さんの葬式なんかに行かない」<ref name="t254">#戸田 p.254(鶴瓶と勝忠男の2004年の対談)</ref>ところを葬儀に出席したが泥酔の挙句大暴れし、鶴瓶の実姉に「松鶴かなんか知らんけど、人の親が死んでンねがな」と説教されると、「あー、恐……」と言って鶴瓶になついていたという<ref name="t242">#戸田 p.242(鶴瓶と勝忠男の2004年の対談)</ref>。
 
 
 
松鶴によって、[[高島屋]]大阪店ホール(現在はグランドホール)で行われた落語コンクールにエントリーされてしまった折は、入門前より学校などで披露していた『いらちの愛宕詣り』を覚え、その江戸版である「[[堀之内]]」([[桂文治 (10代目)|10代目桂文治]]の伸治時代のもの)の断片を交えつつ、[[古典落語]]なのにオートバイに乗った人物を登場させるなど、入門前より行っていたアレンジを適当に加えて演じた。審査員だった松鶴と[[香川登枝緒]]からは「時代錯誤も甚だしい」「こいつの落語は落語やおまへん。現にワタイ(落語の)稽古つけてない!」と酷評されてしまった<ref group="注釈">『ありがとう笑名人 第一集』より。この話には続きがあり、松鶴は会場を出る際に一転して「お前のが一番よかった」と鶴瓶を褒めている。</ref>。そのほかにも、高座にラジカセを持ち込み、笑いが欲しいシーンでスイッチを入れて笑い声を出し、客の笑いをあおるなど、当時としては斬新なアイデアを披露したりしたが、これも松鶴に楽屋で叱られてしまった。ただしその松鶴も、若手時代には高座でバレリーナに扮して先代から怒られている。[[桂米朝 (3代目)|3代目桂米朝]]によれば、[[桂米之助 (3代目)|3代目桂米之助]]作の[[新作落語]]「白鳥の死」の口演のためだという。松鶴の若手時代のこの話をベテランのお茶子から教えてもらい、鶴瓶は気が楽になったという<ref name="kamishibai4" />。
 
 
 
入門当時には、小学6年生で12歳の兄弟子・[[横山信治|笑福亭手遊]](おもちゃ、入門は1971年10月で廃業が1974年)がおり、入門順が序列となる落語界のしきたりに従い、彼を「兄さん」と呼んでいた。その頃は子供がお笑いの世界でデビューする例が他にも見られ、そのような背景もあり手遊もあまり気を遣うことなく鶴瓶に「兄弟子」として振る舞うことがあったという(しかし先輩風の度が過ぎると鶴瓶が逆襲し、手遊を泣かせたというエピソードもある)<ref name="kamishibai4" />。
 
 
 
一時期、[[笠置シヅ子]]の隠し子であると振れ込んでいたことがある。当時すでに笠置は晩年で闘病生活に入っており、2人が会うことはなかったが、後にその病院の[[看護師|看護婦]]だった女性から「笑福亭鶴瓶って子がおるやろ、あの子、私の隠し子なんよ」と笠置が言っていたと教えられ、驚いたという<ref name="kamishibai4" />。
 
 
 
また、[[ユリ・ゲラー]]をはじめとする超能力・[[エスパー]]ブームの時期でもあり、「超能力がある」と言ってスプーン曲げをしていたこともある。洒落のつもりでスプーン曲げも力任せにやっていただけだが、[[上岡龍太郎]]の不興を買ってしまった。鶴瓶は正直に事情を話し、上岡も笑って誤解を解いた。鶴瓶と上岡はこれが縁で互いの楽屋を訪れるようになり、その鶴瓶の楽屋話が面白いということで『激突夜話』『パペポTV』へとつながっていった<ref name="kamishibai6" />。
 
 
 
1974年10月12日に結婚。結婚式は大阪市[[中央区 (大阪市)|中央区]]の「[[高津宮|高津神社]]」で執り行われた。その結婚式の仲人は師匠の笑福亭松鶴 (6代目)が務めたが、スピーチの際に「ウチの弟子は13人いてまっけど、こいつが一番アホだ。終い!」とだけ言い残し、そのまま結婚式場を後にした<ref>哀しき紙芝居(シンコー・ミュージック 1982年)『第5章 ほんなら結婚してくれるか!』</ref>。
 
 
 
===タレント活動===
 
初のレギュラー番組は近畿放送(現[[京都放送|KBS京都]])の『[[丸物]]ワイワイカーニバル』で、以降、[[近畿広域圏|近畿]]・[[中京広域圏|中京]]地区でラジオ・テレビを中心に活動。2001年に[[コカ・コーラ]]とのタイアップで、[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]と吉本興業が組んで制作されたドラマ『[[明日があるさ (テレビドラマ)|明日があるさ]]』にも、鶴瓶が松竹芸能からただ一人ゲスト出演する。
 
 
 
1978年に始まった『ぬかるみの世界』で人気が上昇し、1982年から4年間続いた[[MBSテレビ|毎日放送]]の『[[突然ガバチョ!]]』の司会で再び脚光を浴びる。この番組が関西以外の地方でもネットされたのがきっかけとなり、1983年東京に再進出する。1987年に『[[笑っていいとも!]]』のレギュラーとなった。
 
 
 
東京にも進出するようになった鶴瓶は、マルチタレントとしての才能を発揮させるようになる。1990年代以降は、本業の落語家やテレビタレントのみならず番組[[司会者]]や[[俳優]]としても活躍するようになり、顕著な活躍を見せている。
 
 
 
===落語への回帰===
 
[[道頓堀角座]]が健在のころは「『[[大安売り]]』と『[[いらちの愛宕詣り]]』ばっかりやってました」<ref name="t242" />。しかし、当時の角座の昼席は落語にさして興味のない団体客を入れていたため<ref>#戸田 pp.241-242(鶴瓶と勝忠男の2004年の対談)</ref>、「落語を聞きに来るお客」がメインであった夜席を好んでいた<ref name="t242" />。
 
 
 
2002年9月、江戸落語の[[春風亭小朝]]との二人会で『子別れ(子は鎹)』(落語を本格的に始めるにあたって[[桂文紅 (4代目)|4代目桂文紅]]にじきじき『子別れ』を稽古を付けてもらった)を演じたことを機に、落語への回帰を強めている。2003年には小朝、林家こぶ平(現:[[林家正蔵 (9代目)|9代目林家正蔵]])らと落語の「[[六人の会]]」を結成。また同年5月に「上方落語協会」理事に就任している。その後広報委員長を経て、2008年6月に副会長に就任した。
 
 
 
多忙なタレント活動の合間を縫って「鶴瓶噺」「笑福亭鶴瓶落語会」などの独演会を展開する他、六人の会が主催する「東西落語研鑚会」にも参加。大阪・帝塚山の6代目松鶴旧宅で行われる演芸イベント「帝塚山・無学の会」を主宰するなど、精力的に落語に取り組んでいる。古典落語にも「東西落語研鑚会」で『鴻池の犬』『らくだ』などに挑戦している。特に2004年の東西落語研鑚会で口演した『らくだ』は松鶴の十八番(おはこ)であり、松鶴門下では直々に稽古を付けられていた6代目笑福亭松喬しか、舞台での披露を許されていなかった題目である。
 
 
 
鶴瓶の落語への取り組みは、弟子(ほとんどの弟子が落語をしないころの鶴瓶に弟子入り志願していたことで、落語家に弟子入りした感覚がない)に対する影響が少なくない。例えば筆頭弟子の笑福亭笑瓶は新作や古典の改作に取り組み、笑福亭純瓶は怪談噺に力を入れ、[[笑福亭銀瓶]]は[[朝鮮語|韓国語]]落語を打ち立てた。2007年3月には、銀瓶以降の6人の弟子が「シックスセンス☆六瓶の会」と題した落語会を大阪で開いている。
 
 
 
2004年から年に1回、[[桂南光 (3代目)|桂南光]]と[[桂文珍]]との落語会「[[夢の三競演 三枚看板 大看板 金看板]]」を開催。落語会としては異例の6,000円を超える料金も話題となる。チケットは、過去3回共完売。その他この3人は、2005年から「文珍南光鶴瓶+1 しごきの会」と題して、年に数回、baseよしもと(現在は[[天満天神繁昌亭]])で若手落語家育成の為の会を開いている。
 
 
 
[[ヘヴィメタル]]雑誌「[[BURRN!]]」編集長であり多くの落語関連著書を執筆している[[広瀬和生]]は落語家としての鶴瓶について「落語演らない落語家」「鶴瓶噺なるジャンルを確立させた」と評している<ref>[http://www.news-postseven.com/archives/20120109_78781.html 「落語演らない落語家」だった笑福亭鶴瓶 今は百席のノルマ] NEWSポストセブン 2012年1月9日 2014年11月21日閲覧</ref>。
 
 
 
家族は妻、長男、長女がいる。妻はあのねのねメンバーだった玲子夫人(後述)。長男は俳優兼音楽ユニット「[[Human Note]]」のボーカル・[[駿河太郎]]。2008年7月26日、[[浜松市|浜松]]近郊の[[病院]]で[[孫]](長男の第一子)が生まれたことを『[[FNS27時間テレビ!!みんな笑顔のひょうきん夢列島!!]]』で発表した。ちょうどこの時は鶴瓶と従兄弟弟子の[[明石家さんま]]・[[大竹しのぶ]]元夫妻との[[生放送|生]]のトークコーナーが放送されており、「早う、孫に会いに行きたいわ」とボヤいていた<ref>{{Cite web|url=http://www.oricon.co.jp/news/56718/full/|title=笑福亭鶴瓶に初孫誕生、生放送中に報告|accessdate=2015-08-29|date=2008-07-27|publisher=[[オリコン]]}}</ref>。2015年3月時点では計4人の孫がいる<ref name="hochi1555">[http://www.hochi.co.jp/entertainment/20150505-OHT1T50028.html 「鶴瓶、家族とは「生きること」日テレ「7days TV」」] 2015年5月5日 スポーツ報知</ref><ref>{{Cite web|url=http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/03/27/kiji/K20150327010058480.html|title=日テレ“家族の顔”起用 鶴瓶、家庭円満の秘けつは「嫁が中心」|accessdate=2015-08-29|date=2015-03-27|publisher=[[スポーツニッポン]]}}</ref>。
 
 
 
==芸に関して==
 
===落語===
 
自身の身の回りで起こった日常の話題を面白おかしく話すスタイルは「鶴瓶噺」(つるべばなし)と呼ばれ、独自のジャンルを構築し、2000年には[[上方お笑い大賞]]を受賞した。2007年まで年1回5日間、[[青山円形劇場]]にて「鶴瓶噺」を開催している(2008年からは会場が[[世田谷パブリックシアター]]に変更)。
 
 
 
2007年から全国ツアーを開催。2009年には「Japan Tour『White』」と称してファースト、セカンドツアーに分けて全国ツアーを開催。鶴瓶に縁のある落語家や、開催都市出身の落語家が出演。
 
 
 
落語については「今」が大事だという考えから、DVDなどは出さないようにしている<ref>青木功『勝負論』(新潮社、2015年) 巻末対談より</ref>。
 
 
 
====帝塚山・無学====
 
[[File:Mugaku Sumiyoshi Osaka IMG 9940 20131109.JPG|thumb|200px|帝塚山・「無学」(2013年11月撮影)]]
 
「帝塚山・無学」は、師匠6代目松鶴の旧自邸を鶴瓶が改築した純和風ホール。月1回「無学の会」を開催し、一般にも公開している。毎回ゲストを招いているが、前もってゲストの名前を発表されることは無く、毎回シークレットになっている。
 
 
 
これまでのゲストに[[タモリ]]、明石家さんま、[[木梨憲武]]、[[イッセー尾形]]、3代目桂米朝、[[桂春団治 (3代目)|3代目桂春団治]]、[[ももいろクローバーZ]]らを迎えている。また、[[松嶋尚美]]を迎えた際の模様は、「無学版[[きらきらアフロ]]」として『きらきらアフロ 2008 DVD』に収録されている。
 
 
 
====つるべ、らくごのお稽古====
 
帝塚山・無学と[[下北沢]]Live bar 440にて、「つるべ、らくごのお稽古」と題して定期的に稽古会を行なっている。
 
 
 
====演目====
 
;古典落語:『[[子別れ|子は鎹]]』、『[[鴻池の犬]]』、『[[らくだ (落語)|らくだ]]』、『[[愛宕山 (落語)|愛宕山]]』、『[[立ち切れ線香]]』、『[[厩火事]]』、『[[堪忍袋]]』、『[[宮戸川]]』、『[[二人癖]]』、『[[粗忽長屋]]』、『[[所帯念仏]]』、『[[竃幽霊|へっつい幽霊]]』、『[[化物使い]]』、『[[打飼盗人]]』、『いらちの愛宕詣り』、『大安売り』、『鶴瓶版 [[死神 (落語)|死神]]』、『[[転宅]]』、『[[錦木検校]]』、『[[お直し]]』、『[[かんしゃく|癇癪]]』
 
;私落語:『長屋の傘』、『青木先生』、『ALWAYS -お母ちゃんの笑顔-』、『青春グラフィティ松岡』、『Mr.ドリーマー』、『春雷』、『回覧板』、『CHINGE』、『琵琶を弾く観音像』
 
;創作落語(桂三枝(現:6代目桂文枝)からネタを譲り受けたもの):『湯けむり』、『悲しみよありがとう』
 
;タモリからネタを譲り受けたもの:『山名屋浦里』
 
 
 
==エピソード==
 
===趣味・嗜好===
 
[[中村勘三郎 (18代目)|18代目中村勘三郎]]は親友<ref name="hochi1555" />。好きな[[アーティスト]]は[[aiko]]・ももいろクローバーZ・[[2PM]]で、[[洋楽]]のファンでもある。また、[[デューク・エイセス]]・[[さだまさし]]・[[吉田拓郎]]・[[小田和正]]・[[やしきたかじん]]とも古くから親交がある。若者文化に対する造詣も深い。さらに[[関ジャニ∞]]とも親しく、自身が司会をつとめる『きらきらアフロTIM』や『a-studio』などでも共演しており、メンバーの[[丸山隆平]]主演の『[[地獄先生ぬ〜べ〜]]』の最終回にゲスト出演もした。
 
 
 
趣味は[[ボクシング]]<ref name="kamishibai4" />。
 
 
 
[[サバ|鯖]][[アレルギー]]のため、鯖料理が苦手<ref>[http://news.livedoor.com/article/detail/8375819/ 2013年12月24日 livedoorNEWS「「とんねるずは危険」「努力もなしに…」鶴瓶VS石橋 伝説の真相を暴露」]</ref>。
 
 
 
===タレント活動時===
 
*あのねのねの当初のメンバーであったことや、ラジオのパーソナリティを長くやっていたことから、[[フォークソング]]に対する造詣も深く、『鶴瓶噺』や『朝まで生つるべ』、『朝まで歌つるべ』(テレビ朝日)などで、フォークソングを絡めている。
 
*『鶴瓶・新野のぬかるみの世界』(ラジオ・OBC)での、ファンであるリスナーに会った際の口癖「覚えてるよー」は、当時関西で鶴瓶のモノマネ定番セリフになった。リスナーにイベントで、前向きに行動するよう「がんばりやー」もよく口にしていた<ref>ぬかるみの世界:ありがとう、新野先生、鶴瓶さん(大阪新聞社 編 扶桑社 1989年)番組イベントの節のページ</ref>。
 
 
 
===露出にまつわるエピソード===
 
東京でまだ無名だった頃に、東京12チャンネル(現・[[テレビ東京]])の深夜番組『[[独占!男の時間]]』と日本テレビのバラエティ番組『[[金曜10時!うわさのチャンネル!!]]』で、3度にわたって生放送の最中に裸にまつわる騒動を起こし、さらに有名になった後にもフジテレビ系列で2003年に生放送された『[[FNS27時間テレビ#みんなのうた|FNS27時間テレビ みんなのうた]]』においても、下半身を露出した。
 
*『独占!男の時間』
 
**1975年に「セクシー美女による温泉リポート」の“出オチ”役で出演した際に、テレビカメラが鶴瓶をアップで写すタイミングを狙って、カメラの前で[[股間]]を露出。カメラに股間を押し付けた末に、スタジオから強制的に退場させられた。この背景には、リハーサルで披露したギャグを担当のプロデューサーが傲慢な態度で批判したことへの反発があったという<ref name="jiko">テレビ放送事故&ハプニング(廣済堂出版)p.22-23</ref><ref name="kamishibai6">哀しき紙芝居(シンコー・ミュージック 1982年)『第6章 ふり返れば喧嘩人生』</ref>。
 
**1977年3月26日放送分の最終回には、司会の[[山城新伍]]の計らいで特別に出演。山城から「カメラの前で一発芸をやって欲しい」と促されたことをきっかけに、テレビカメラの前で[[肛門]]を見せてスタジオから逃走<ref name="kamishibai6" />。その勢いで、当時同局の敷地内にあった池に飛び込むと、当時の社長・[[中川順]]が大事に育てていた時価数百万円の[[錦鯉]]を踏み殺した。最終回での暴挙を重く見た東京12チャンネルは、鶴瓶を無期限の出入禁止に処した。しかし、テレビ東京へ改称した後の2003年に、『きらきらアフロ』以後、深夜番組への出演が認められた<ref name="jiko" /><ref>[http://npn.co.jp/article/detail/09881318/ お笑い芸人 豪快伝説 其の六『笑福亭鶴瓶』](リアルライブ 2012年4月11日)</ref>。
 
*『金曜10時!うわさのチャンネル!!』
 
**当時、あのねのねメンバーとして清水・原田と共にレギュラー出演していたが、[[山口百恵]]が歌っている最中に急に下半身を露出し、歌っていた百恵も鶴瓶の[[陰茎]]を見て絶叫した。事態を重く見た日本テレビは、東京12チャンネル同様に鶴瓶を出入禁止処分にしたが、スタッフの努力で局部露出シーンの放送が回避できた事もあり、日本テレビへの出入禁止処分は僅か数年で解除された。なお、この事件によりあのねのねも同番組を降板した。
 
*初期の『[[MBSヤングタウン|ヤングタウン]]』担当時、鶴瓶はスタジオに現れると、全裸になってからハガキの選定作業に入るのが常だった。1976年、[[放送禁止用語]](猥語)を連発し2ヶ月ほど謹慎処分になったこともある<ref name="kamishibai6" />。
 
*『FNS27時間テレビ みんなのうた』(2003年)
 
**番組テーマである「再会」にちなんだ企画で、[[山形県]][[酒田市]]の[[飛島]]から通し中継で出演。鶴瓶は前年の同番組でも泥酔して失態を犯した事もあり、オープニングで「今年は酒を飲みません」と宣言したにも関わらず、同行した[[ココリコ]]の制止も聞かず、島民としこたま酒を飲み、その模様が番組内で何度も生中継された。前年同様「さんま・中居の今夜も眠れない」で中継を繋いだ際、鶴瓶は布団に入って裸で就寝中で、フジテレビのスタジオからさんまと[[中居正広]]がココリコに眠っている鶴瓶を起こすよう指示した。ココリコが鶴瓶の顔面に水をかけて飛び起きた際にはまだ下着(元々全裸だった鶴瓶に、スタッフが無理やり履かせた物)を履いていたが、その後もう一度寝入ったときに鶴瓶は寝苦しさのあまり下着を下にずらして寝ていたため、ココリコが再度鶴瓶の布団を剥いで立ち上がらせた際に股間が露出した。これにより中継は即中断されてCMに入り、コーナー終了後に当時フジテレビアナウンサーだった[[高島彩]]が改めて謝罪をし、後日鶴瓶もフジテレビに謝罪した。上記に匹敵する失態を2年連続で犯してしまった鶴瓶だったが、2年後の[[FNS25時間テレビ|2005年]]には、鶴瓶が同番組の総合司会に起用された。
 
*著書で「僕は世にいう露出狂などでは、断じてない。…(中略)…僕の場合は、決して快感のためにやっているわけではないからだ」と述べて否定する一方、「ただ、快感を得るためにではないにしろ、例の部分を露出することに、さして抵抗を感じていないことだけは、事実かも知れない」とも語っている<ref name="kamishibai6" />。なお、2007年8月の『[[週刊文春]]』の対談記事で家庭では全裸で過ごしていることを明かした<ref>「[[阿川佐和子]]のこの人に会いたい 第693回」『週刊文春』2007年8月30日号、[[文藝春秋]]、p132</ref>。
 
 
 
===その他エピソード===
 
*下積み時代、[[余興]]を企画したイベント会社社長の、若手芸人をバカにするぞんざいな態度が気に入らず、出演せずに劇場を後にしたことがある。一年半後、スターとなった鶴瓶に同じ企画会社から仕事が入ったが「売れていない弱い立場の芸人には平気で高飛車に命令をしておいて、少し売れてくるとたちまち態度を変える。僕はそんな方と一緒に仕事したくないんです」と直接言って仕事を断っている。<ref name="kamishibai">笑福亭鶴瓶 『哀しき紙芝居』 ([[シンコー・ミュージック・エンタテイメント|新興楽譜出版社]] 1982年8月8日)</ref>
 
*「フォークと[[ロック (音楽)|ロック]]の会」という[[演奏会|ライブ]]イベントの司会をしたとき、ロックバンドの[[ベーシスト]]から「俺は、お前が嫌いや。嫌いやねん」と言われたことに激昂し「なんやその言い方は!!勝手に自分たちで司会をしとけ!!」と言いながらベーシストを鼻血が出るまでマイクで殴り続けたことがある。これは、その侮辱的な発言はもちろん、同バンドの[[ギタリスト]]の[[チューニング]]が遅れたため急遽繋ぎのトークを行ったのにも拘らず、謝るどころか鶴瓶の質問を無視し続けたその態度が気に入らなかったためである。なお、後日談としてこのベーシストと偶然再会して話す機会があり「心のなかの汚点が、スッと洗い流されるような、さわやかな気持ちに、しばしひたったものだった」と述べている。<ref name="kamishibai" />
 
*ラジオ番組『[[ミッドナイト東海]]』で[[漫画家]]・[[鳥山明]]と対談した事がある<ref name="taidan">「新春あこがれ対談 Dr.スランプVS鶴瓶」『週刊セブンティーン1981年4・5合併号』、集英社</ref>。鳥山明は漫画家デビュー前から『ミッドナイト東海』のリスナーで、葉書に鶴瓶の似顔絵を描いてラジオに送った事もあった。その絵は許可を貰って鶴瓶の手ぬぐいのイラストに使われている。鳥山明が『[[Dr.スランプ]]』に遊び心で鶴瓶を描いた<ref>「イチゴパンツ大作戦Part2」『Dr.スランプ』第2巻、集英社、1980年、175頁および「どれにしようかナ?の巻」『Dr.スランプ』第1巻、集英社、1980年、76頁</ref>ところ、『ミッドナイト東海』に同番組リスナーから、その絵の切り抜きが送られてきた<ref name="taidan" />。その絵を見た鶴瓶が番組内で鳥山明に呼びかけると、鳥山明からラジオ宛に「ぜひお電話ください」と手紙で返事があり、対談に至った<ref name="taidan" />。また、その後『[[Seventeen (日本の雑誌)|週刊セブンティーン]]1981年4・5合併号』では鶴瓶と鳥山明の対談記事「新春あこがれ対談 Dr.スランプVS鶴瓶」が掲載された。
 
*6代目松鶴の死後、[[笑福亭梅香]]を襲名させる計画があった。初代[[桂文枝]](正確には[[桂梅香]])、2代目[[曽呂利新左衛門]]の前座名という由緒名であるが、一門での慣例から「梅香」の読みは「ばいか、ばいこ、うめこ」のいずれではないかと(本人は)推察。遺書に読み仮名が無かったため正確な読みは不明のままに加え、名前が自分に似合っていないということから辞退している<ref>波([[新潮社]])2010年7月号 pp.90-97「対談シリーズ・寿限無の言い分 僕、評価はどうでもいいんです 笑福亭鶴瓶(前篇)」</ref>。
 
*高校時代にボクシングをやっていたが、目の怪我で断念した。なお、ボクシング観戦が趣味であるという。
 
*[[平和安全法制]]に反対を表明している。なお、本業がお笑いであることから、本流ではない政治に関する発言は極力避けている<ref>[http://www.huffingtonpost.jp/2015/08/08/shofukutei-tsurube-and-kiki-kirin_n_7959630.html],The Huffington Post,2015年8月9日</ref>。
 
*鶴瓶は関西圏のラジオ局では現時点でもまだレギュラー番組を持ったことがない[[ラジオ関西]]を除き、必ずレギュラー番組を1番組は持っていた。
 
 
 
==出演番組==
 
[[ファイル:Shofukutei Tsurube & Kimura Fumino "Les Saisons" at Opening Ceremony of the 28th Tokyo International Film Festival (22402729206).jpg|thumb|200px|2015年、[[第28回東京国際映画祭]]にて、[[木村文乃]](写真右)と]]
 
===テレビ番組===
 
'''レギュラー'''
 
*[[ザ!世界仰天ニュース]](日本テレビ)- 中居正広とレギュラー共演中。
 
*[[鶴瓶の家族に乾杯]]([[NHK総合テレビジョン|NHK総合]])
 
*[[A-Studio]]([[TBSテレビ|TBS]])
 
*きらきらアフロTM(テレビ東京)- 松嶋尚美とレギュラー共演中。
 
*[[チマタの噺]](テレビ東京)
 
*[[桃色つるべ〜お次の方どうぞ〜]]([[関西テレビ放送|関西テレビ]])- ももいろクローバーZとレギュラー共演中。
 
'''特番'''
 
*[[朝まで生つるべ]](テレビ朝日)
 
*[[朝まで歌つるべ]](テレビ朝日)
 
*[[志村&amp;鶴瓶のあぶない交遊録]](テレビ朝日)
 
*[[FNSの日]](88、89、92 - 06、08年、11年 - )※88、95、96、05年は総合司会。他は『笑っていいとも!増刊号スペシャル』などに出演
 
*[[初詣!爆笑ヒットパレード]](フジテレビ)
 
*[[ゆく年くる年への道]](テレビ朝日)
 
*[[新春 鶴瓶大新年会]](フジテレビ)
 
*[[鶴瓶のニッポン武勇伝 言わずに死ねるかっ!!我が家のスゴイ人GP]](テレビ朝日)
 
*[[笑福亭鶴瓶のメインキャスト!]](TBS)
 
*[[第58回NHK紅白歌合戦]](2007年12月31日、NHK)※白組司会
 
*[[わかるテレビ]](フジテレビ)
 
*[[たけしが鶴瓶に今年中に話しておきたい5〜6個のこと]](TBS、2010年12月30日・2011年10月9日・2011年12月30日)
 
*桂三枝のすべて〜六代桂文枝襲名〜(2012年7月29日、[[NHK BSプレミアム]])
 
*日曜特番・夢をつくった男たち〜お笑い100年のパイオニア〜(2012年10月21日、[[BS-TBS]])※笑福亭仁鶴と対談
 
*[[鶴瓶のうるさすぎる新年会]](フジテレビ、2015年1月1日)
 
*桂文枝 芸能五十周年記念特番 桂文枝の鶴瓶もさんまもいらっしゃい!(2017年3月4日、[[朝日放送テレビ|朝日放送]])
 
*鶴瓶&[[松本人志|松本]]&[[ウエンツ瑛士|ウエンツ]]の電話帳から消せない人(2017年3月31日、TBS)
 
 
 
====過去に出演した番組====
 
*[[ハロー!ヤング]](OTVF制作、朝日放送)
 
*[[ワイドショー・プラスα]](朝日放送)※水曜レギュラー
 
*[[YOU (テレビ番組)|YOU]]([[NHK大阪放送局|NHK大阪]]制作分・[[NHK教育テレビジョン|NHK教育]])
 
*[[土曜倶楽部]](NHK大阪制作分・NHK教育)
 
*[[鶴瓶のミッドナイトトレイン]](関西テレビ)
 
*独占!男の時間(東京12チャンネル)
 
*金曜10時!うわさのチャンネル!!(日本テレビ)
 
*[[鶴光・鶴瓶つるつる大ハッスル]](毎日放送)
 
*[[THE ビッグ!]](朝日放送)
 
*[[2時のワイドショー]]([[讀賣テレビ放送|読売テレビ]])
 
*[[鶴瓶と花の女子大生]](関西テレビ、1981年4月 - 1985年9月)
 
*[[鶴瓶の音楽に乾杯]]([[東海テレビ放送|東海テレビ]])
 
*[[世界No.1クイズ]](TBS)
 
*[[投稿!特ホウ王国]](日本テレビ)
 
*[[シェフにおまかせ!]](毎日放送)
 
*[[鶴瓶のグルグルぐるめ]](毎日放送)
 
*[[かんさい珍版・瓦版]](毎日放送)
 
*[[自由空間えっくす]](毎日放送)
 
*[[ザ・パーティー鶴瓶です]](毎日放送)
 
*[[あっ!鶴瓶のあの日に帰り道]](毎日放送、1989年4月 - 1989年9月)
 
*[[えーかげんにせえ!ホントにねぇ!]](毎日放送、1989年10月 - 1990年3月)
 
*突然ガバチョ!(毎日放送、1982年10月 - 1985年9月)
 
*[[鶴瓶上岡パペポTV]](読売テレビ)
 
*[[LIVE PAPEPO 鶴+龍]](読売テレビ)
 
*[[歌謡びんびんハウス]](テレビ朝日、1986年10月 - 1994年9月)
 
*[[遊びにおいで〜Come on-a my House]](テレビ朝日、1986年10月 - 12月)
 
*[[いろもん]](日本テレビ)
 
*[[どちら様も!!笑ってヨロシク]](日本テレビ) ※1993年頃は出演していなかった
 
*[[平成日本のよふけ]](フジテレビ)
 
*[[クイズテレビずき!]](TBS、1993年1月 - 9月)
 
*[[女と男 聞けば聞くほど…]](TBS)
 
*[[最後の晩餐 (テレビ番組)|最後の晩餐]](読売テレビ)
 
*[[ねごとの穴]](朝日放送)
 
*[[つるまげどん]](毎日放送)
 
*[[今夜はちょっと気晴亭]](朝日放送)
 
*[[完全特捜宣言!あなたに逢いたい!]](テレビ朝日)
 
*[[鶴瓶・草彅の夢中宣言"がんばります。"]](テレビ朝日)
 
*[[チチパパ親父!娘をたのむで!]](関西テレビ・フジテレビ共同制作)
 
*[[金ロマン人生いろいろ]](関西テレビ・フジテレビ共同制作)
 
*[[痛快!知らぬはオトコばかりなり]](関西テレビ・フジテレビ共同制作)
 
*[[鶴瓶&amp;なるみのほんまか]](関西テレビ)
 
*[[ざこば・鶴瓶らくごのご]](朝日放送)
 
*蝶々・鶴瓶の負けられまへん(毎日放送、1999年12月29日)
 
*謹賀 鶴瓶x鶴太郎 スペシャル(テレビ朝日、2001年)
 
*[[これでいいのダ!日本列島あかるいニュース]](フジテレビ)
 
*[[BAN!BOO!ぱいん!!]](読売テレビ)
 
*[[ラジオ・チャリティー・ミュージックソン]](ニッポン放送、2004年12月24日 - 25日)
 
*[[ん!? 上沼鶴瓶あがってまーす]](読売テレビ)
 
*[[億万のココロ・愛しのマネー$伝説]](日本テレビ)
 
*[[9年9組つるべ学級]](朝日放送)
 
*[[鶴瓶の1/10女子マラソン]](関西テレビ)
 
*[[世界!超マネー研究所]](日本テレビ、2005年4月 - 9月)
 
*[[鶴の間|鶴の間 TSURUNOMA]](日本テレビ、2005年4月 - 2006年3月)
 
*[[電話でドン!|乾・鶴瓶の電話でドン!]](朝日放送)
 
*世界弾丸トラベル大賞!今週末は0泊3日で海外へ!あなたも行ける絶景・楽園・文化遺産SP(2007年10月5日、TBS)
 
*[[カスペ!]] ありがとう15周年[[めざましテレビ]]大感謝祭?大塚範一 真夏の大激走!?(2008年7月15日、フジテレビ) ※司会を務めた「さんま・鶴瓶のめざまし調査隊SP」以降、めざましファミリーとの長年の付き合で出演
 
*[[大笑福亭鶴びん]](TBS)
 
*[[週刊!特ダ〜ネ家族!!]](日本テレビ)
 
*[[天才!ヒポカンパス]](フジテレビ、1996年4月 - 9月)
 
*[[DAIBAクシン!!cheki b.]](フジテレビ、1999年4月 - 1999年9月)
 
*[[鶴瓶のスジナシ!]]([[CBCテレビ|CBC]]、1998年10月 - 2014年6月)
 
*鶴瓶&慎吾の夢学校発表!!みんなの自由研究(フジテレビ、2002年9月23日)
 
*[[めざましどようび]](フジテレビ) ※月1、2回ゲスト出演、全国の忙しい社長に落語をプレゼントする企画に出演
 
*[[今田耕司プレゼンツ 鶴瓶vs未知数芸人 俺の相方誰やねん!?スペシャル]](関西テレビ、2010年・2011年1月2日)
 
*[[夢をかなえるゾウ]](アニメ版、ガネーシャ役、2009年1月 - 9月、TBS)
 
*たけしが鶴瓶に今年中に話しておきたい5〜6個のこと(TBS、2010年12月30日・2011年10月9日)
 
*[[鶴瓶の超ゆる〜い会議]](日本テレビ、2011年2月23日)
 
*[[森田一義アワー 笑っていいとも!]](フジテレビ、1987年4月 - 2014年3月) ※レギュラー加入当初から番組終了までの27年間1度も曜日変動なく木曜日レギュラーを担当して、番組全体でのレギュラー出演期間も[[関根勤]]の29年間(1985年4月 - 2014年3月)に次いで長い
 
*[[笑っていいとも!増刊号]](フジテレビ、1987年 - 2014年)
 
*[[笑っていいとも!特大号]](フジテレビ、1988年 - 1998年、2012年 - 2013年) ※1998年は中継のみの出演、2012年は番組前半は中継での出演、番組後半の「ものまね歌合戦」からスタジオに登場しエンディングまで出演、2013年の「ラストクリスマス特大号」では1997年以来16年ぶりに番組全編にわたって出演
 
*[[笑っていいとも!特大号#笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号|笑っていいとも! グランドフィナーレ 感謝の超特大号]](フジテレビ、2014年3月31日)
 
*[[タモリと鶴瓶]](NHK総合)
 
 
 
===ラジオ番組===
 
'''レギュラー'''
 
*[[ヤングタウン日曜日|鶴瓶のヤングタウン]]([[MBSラジオ|毎日放送]])
 
*[[笑福亭鶴瓶 日曜日のそれ]]([[ニッポン放送]])
 
 
 
====過去に出演した番組====
 
*[[丸物わいわいカーニバル]](KBS京都、1974年 - 1978年)※兄弟子の[[笑福亭鶴光]]から、司会の座を禅譲された
 
*[[日本列島ズバリリクエスト]](火曜日)(KBS京都、1976年10月 - 1977年3月)
 
*ミッドナイト東海(金曜日 → 木曜日)([[東海ラジオ放送|東海ラジオ]]、1975年4月 - 1983年8月)
 
*[[サンデー・フレッシュわいのわいの90!!]](毎日放送、1975年4月 - 1988年3月)
 
*MBSヤングタウン(月曜日 → 土曜日)(毎日放送、1975年10月 - 1988年12月)
 
*[[ポップ対歌謡曲]]([[朝日放送ラジオ|朝日放送]])
 
*[[つるべがおかず|鶴瓶 青春のアンコール → つるべがおかず]]<ref group="注釈">当ラジオのパーソナリティーに対して、第29回[[ギャラクシー賞]]・ラジオ部門個人賞を受賞[http://www.houkon.jp/galaxy/29th.html]</ref>(朝日放送、1990年10月 - 1998年12月)
 
*[[みんなでみんなでリクエスト バンザイ!歌謡曲|バンザイ!歌謡曲]]([[大阪放送|ラジオ大阪]])
 
*[[鶴瓶・新野のぬかるみの世界]](ラジオ大阪、1978年4月 - 1989年9月)
 
**鶴瓶・新野のnukarumi.com(インターネット ラジオ)
 
*[[セイ!ヤング]](火曜日)([[文化放送]]、1978年4月 - 1979年3月)
 
*鶴瓶の30分 一本勝負(文化放送)
 
*[[スーパーギャング]](木曜日)([[TBSラジオ]]、1987年4月 - 1989年3月)
 
 
 
===テレビドラマ===
 
*[[桃太郎侍#高橋英樹主演 (日本テレビ)版|桃太郎侍]] 第2話「夢を集めて食う男」(1976年、日本テレビ / 東映)
 
*[[水戸黄門 (第1-13部)#第8部|水戸黄門 第8部]] 第3話「東海道お化け旅籠 -平塚-」(1977年8月1日、TBS / C.A.L) - 酒屋 役
 
*[[銀河テレビ小説]]・[[女の日時計]](1981年9月 - 10月、NHK総合)
 
*[[壬生の恋歌]](1983年4月20日 - 10月26日・NHK総合) - 千石静馬 役
 
*[[週末だけの恋人]](1984年、毎日放送制作・TBS系) - 晋平 役
 
*[[必殺シリーズ]](朝日放送・[[松竹]]制作・テレビ朝日系)
 
**[[必殺仕事人V・激闘編]](1985年 - 1986年) - 参 役
 
**[[必殺まっしぐら!]](1986年8月 - 10月) - 高天原綾麻呂 役
 
**[[必殺スペシャル・春 勢ぞろい仕事人! 春雨じゃ、悪人退治]](1990年4月6日) - 鶴 役
 
**[[必殺スペシャル・秋! 仕事人vsオール江戸警察]](1990年10月5日) - 鶴 役
 
*[[野風の笛 鬼の剣 松平忠輝 天下を斬る!]](1987年、日本テレビ / [[ユニオン映画]]) - 飛助 役
 
*[[連続テレビ小説]](NHK)
 
**[[純ちゃんの応援歌]](1988年10月3日 - 1989年4月1日) - 興国寺正太夫 役
 
**[[あさが来た]]第24回(2015年10月24日) - 玉利友信 役<ref>{{Cite web|url=http://www2.nhk.or.jp/pr-movie/detail/index.cgi?id=01_0022#1429|title=笑福亭鶴瓶さん出演決定|accessdate=2015-11-08|date=2015-07-25|work=コレ見て!ムービー あさが来た|publisher=NHK|archiveurl=http://web.archive.org/web/20150902015607/http://www2.nhk.or.jp/pr-movie/detail/index.cgi?id=01_0022#1429|archivedate=2015-09-02}}</ref>
 
*[[いまどき銀座物語ぼんぼん]](1989年5月 - 7月 フジテレビ) - 国夫 役
 
*[[世にも奇妙な物語|世にも奇妙な物語シリーズ]](フジテレビ)
 
**第1シリーズ「着せ替え人形」(1991年5月16日)
 
**第2シリーズ「おやじ」(1992年9月17日)
 
*[[藤山寛美物語]](1991年9月27日 毎日放送制作・TBS系) - [[藤山寛美]] 役
 
*[[眠れない夜を数えて]](1992年4月 - 6月 TBS) - 秋葉警部補 役
 
*[[あぐら剣法無頼帖 用心棒と好色一代男]](1994年1月1日、朝日放送 / 松竹芸能) - [[井原西鶴]] 役
 
*[[古畑任三郎|警部補 古畑任三郎]](1994年、フジテレビ) - 幡随院大 役
 
*[[金曜ドラマ (TBS)|金曜ドラマ]](TBS)
 
**[[僕が彼女に、借金をした理由。]](1994年10 - 12月)
 
**[[硝子のかけらたち]](1996年7 - 9月)
 
**[[天国に一番近い男]] MONOカンパニー編 第1話(1999年1月8日) - 権藤元 役
 
**[[ブラックジャックによろしく]](2003年4 - 6月)
 
**[[タイガー&ドラゴン (テレビドラマ)|タイガー&amp;ドラゴン]](2005年4 - 6月)
 
*[[大河ドラマ|NHK大河ドラマ]]
 
**[[元禄繚乱]](1999年) - [[並木千柳]] 役
 
**[[西郷どん (NHK大河ドラマ)|西郷どん]](2018年) - [[岩倉具視]] 役<ref>{{Cite web|url=https://mantan-web.jp/article/20180115dog00m200035000c.html|title=笑福亭鶴瓶:大河ドラマ「西郷どん」で岩倉具視役に|work=MANTAN WEB|date=2018年1月15日|accessdate=2018年1月15日}}</ref>
 
*[[ぶどうの木〜里親と子供たちの愛の物語〜]](2003年11月7日、フジテレビ)
 
*ブラックジャックによろしく 涙のガン病棟編(2004年1月3日、TBS)
 
*FNS25時間テレビ内「[[THE WAVE!]]」(2005年、フジテレビ)
 
*[[生きててもいい…? 〜ひまわりの咲く家〜]](2006年3月3日、フジテレビ)
 
*[[Happy! (漫画)|Happy!]](2006年4月7日・12月26日、TBS)
 
*[[独占取材!私だけが知っている小泉純一郎]](2006年10月8日、フジテレビ)
 
*[[日曜劇場]](TBS)
 
**[[華麗なる一族 (2007年のテレビドラマ)|華麗なる一族]](2007年1 - 3月) - 綿貫専務 役 ※原作の関係から標準語で演じた
 
**[[半沢直樹]](2013年7月 - 9月) - 半沢慎之助 役
 
**[[99.9 -刑事専門弁護士-]] SEASON II(2018年1月 - 3月) - 川上憲一郎 役
 
*[[太郎と次郎〜反省ザルとボクの夢〜]](2007年3月17日、フジテレビ)
 
*[[パパドル!]] 第2話(2012年4月26日、TBS) - 本人 役
 
*[[地獄先生ぬ〜べ〜#テレビドラマ|地獄先生ぬ〜べ〜]] 第10話(2014年12月13日、日本テレビ) - 校長先生 役
 
*[[レッドクロス〜女たちの赤紙〜]](2015年8月1日・2日、TBS) - 大竹英世 役
 
*[[赤めだか#テレビドラマ|赤めだか]](2015年12月28日、TBS) - ナビゲーター<ref>{{cite web|url=http://www.excite.co.jp/News/entertainment_g/20151009/Cobs_303688.html|title=二宮和也×ビートたけし『赤めだか』12・28放送!ナビゲーターに笑福亭鶴瓶|accessdate=2015-10-20|date=2015-10-09|publisher=エキサイトニュース}}</ref>・バーテンダー役
 
*[[金曜ロードSHOW!#特別ドラマ企画|金曜ロードSHOW!特別ドラマ企画]] [[家売るオンナ|帰ってきた家売るオンナ]](2017年5月26日、日本テレビ) - 一ノ瀬定男 役
 
 
 
===映画===
 
*[[狂った野獣]](1976年)- ラジオパーソナリティ 役
 
*[[トラック野郎・天下御免]](1976年)- 三木 役
 
*[[アイコ十六歳]](1983年) - 警官役※一緒にいた警官は、当時のマネージャー
 
*[[必殺!ブラウン館の怪物たち]](1985年)- 丑寅の角助 役
 
*[[必殺! III 裏か表か]](1986年)- 参 役
 
*[[おれは男だ!|おれは男だ!完結編]](1987年)
 
*[[マリリンに逢いたい]](1988年) - 清掃職員 役
 
*[[べっぴんの町]](1989年) - トニー・トー 役
 
*[[東京上空いらっしゃいませ]](1990年) - 死神の「コオロギ」、白雪恭一(二役)
 
*[[お引越し (映画)|お引越し]](1993年) - 木目米先生 役
 
*[[夏の庭 The Friends]](1994年) - 葬儀屋 役
 
*[[三姉妹探偵団#映画「四姉妹物語」|四姉妹物語]](1995年) - 野崎 役
 
*[[シャ乱Qの演歌の花道]](1997年) - バイクの男 役
 
*[[あ、春]](1998年) - 住職の役
 
*[[風花 (2001年の映画)|風花]](2001年) - 声
 
*[[ココニイルコト]](2001年) - 骨董屋店主の 役
 
*[[13階段]](2003年)- 杉浦弁護士 役
 
*[[お父さんのバックドロップ]](2004年) - 電気屋の主人 役
 
*[[寝ずの番]](2006年) - 弔問客 役
 
*[[母べえ]](2008年)
 
*[[映画 クロサギ]](2008年)- 綿貫裕二郎 役
 
*[[奈緒子]](2008年) - 西浦天宣 役
 
*[[同窓会 (映画)|同窓会]](2008年) - 南ひろし 役
 
*[[私は貝になりたい]](2008年) - 西沢卓次 役
 
*[[ディア・ドクター]](2009年) - 主演・伊野治 役
 
*[[おとうと (2010年の映画)|おとうと]](2010年) - 丹野鉄郎 役
 
*[[夢売るふたり]](2012年)
 
*[[虹の岬の喫茶店#映画|ふしぎな岬の物語]](2014年) - タニさん 役
 
*[[幕が上がる]](2015年) - がるるのおじいちゃん 役
 
*[[内村さまぁ〜ず#映画|内村さまぁ〜ず THE MOVIE エンジェル]](2015年) - 中川 役
 
*[[家族はつらいよ]](2016年) - 医師 役(特別出演)<ref>{{cite web|url=http://eiga.com/news/20141214/3/|title=「家族はつらいよ」ポスタービジュアル完成!山田洋次監督×横尾忠則2大巨匠が奇跡のコラボ|accessdate=2015-03-06|date=2014-12-14|publisher=映画.com}}</ref>
 
*[[後妻業#映画|後妻業の女]](2016年) - 舟山喜春 役<ref>{{cite web|url=http://www.cinemacafe.net/article/2015/08/04/33170.html|title=大竹しのぶ、「後妻業」映画化で“悪女”を好演!共演に豊川悦司&笑福亭鶴瓶ら|accessdate=2015-10-04|date=2015-08-04|publisher=シネマカフェ}}</ref>
 
*[[金メダル男]](2016年) - 難波寅太 役<ref>{{cite web|url=http://www.oricon.co.jp/news/2062953/full/|title=笑福亭鶴瓶、『金メダル男』出演 内村光良監督の手腕に「憧れた」|accessdate=2015-11-27|date=2015-11-27|publisher=ORICON STYLE}}</ref>
 
*[[北の桜守]](2018年) - 居酒屋たぬきの主人 役<ref>{{cite news|title=篠原涼子、佐藤浩市、阿部寛らが吉永小百合のもとに結集!「北の桜守」に豪華キャスト|newspaper=映画.com|date=2017-03-22|url=http://eiga.com/news/20170322/3/|accessdate=2017-03-22}}</ref>
 
 
 
===テレビアニメ===
 
*[[夢をかなえるゾウ]](2009年) - ガネーシャ
 
**人生成功開運アニメ 夢をかなえるゾウ
 
 
 
===劇場アニメ===
 
*[[ののちゃん|ホーホケキョとなりの山田くん]](1999年) - テレビ番組の声
 
 
 
===吹き替え===
 
*[[怪盗グルーシリーズ]] - '''グルー''' 役
 
**[[怪盗グルーの月泥棒 3D]](2010年)
 
**[[怪盗グルーのミニオン危機一発]](2013年) ※「笑っていいとも!ラストクリスマス特大号」でもグルーの実写版をやった。
 
**[[ミニオンズ]](2015年)
 
**[[怪盗グルーのミニオン大脱走]](2017年)
 
*[[シーズンズ 2万年の地球旅行]](2016年) - 日本語版ナレーション<ref>{{Cite news|title=鶴瓶 関西弁で?異色自然ドキュメンタリー映画ナレーション挑戦|newspaper=Sponichi Annex|date=2015-10-14|url=http://www.sponichi.co.jp/entertainment/news/2015/10/14/kiji/K20151014011317660.html|accessdate=2015-10-14|publisher=スポーツニッポン新聞社}}</ref>
 
 
 
===ライブトーク===
 
*毎年[[ゴールデンウィーク]]の5日間鶴瓶噺と称し、東京渋谷の[[渋谷ジァン・ジァン]]、ジァン・ジァンの閉鎖後は、2007年まで青山円形劇場で開催。放送では話すことの出来ない「噺」の数々を聞くことができる。
 
 
 
===レコード・CD===
 
*酔い語り / 友よ語りき(1977年11月)※駿河学名義 作詞作曲 [[河島英五]]
 
*はやく人間になりたいッ!/ 初恋バンザイ(1978年)
 
*[[慎吾ママのおはロック]] - [[香取慎吾]]
 
*TSU・RU・BE / それからね(1982年5月)
 
*[[We are SMAP!|帰って来たヨッパライ]] - [[SMAP]](2010年7月21日)※神様役として参加
 
*それからね
 
 
 
===CM===
 
*[[カモ井加工紙]] カモ井のリボンハイトリ(1975年)
 
*[[スリーエム (紳士服)|洋服のスリーM]](1975年)
 
*民芸肉料理 [[はや]](1970年代 - 1990年代)
 
*居酒屋一本槍(1980年)
 
*[[日本民間放送連盟]] 「はつらつ、30才。」(1982年)
 
*[[キッコーマン]] そうめんつゆ、うすくちしょうゆ(1984年)
 
*[[ユニ・チャーム]] ソフィ(1985年 - 1987年)
 
*[[タイガー魔法瓶]] 炊飯ジャー・炊きたて(1985年)
 
*[[エースコック]] 走れ!!牛ちゃん(1985年)
 
*[[郵政省]] [[ゆうパック]](1987年)
 
*[[中外製薬]] 乳清ミルフル(1987年 - 1988年)
 
*[[三菱電機]] ルピカ(1987年)
 
*[[西日本旅客鉄道|JR西日本]] [[山陽新幹線]] [[ウエストひかり]]
 
*[[旭松食品]] 生みそずい、なっとういち(1987年 - 1991年)
 
*[[東洋シャッター]] (1992年)
 
*[[伊藤園]] 香り薫るむぎ茶、天然ミネラルむぎ茶、健康ミネラルむぎ茶<ref group="注釈">2015年からは[[Dream5]]と共に起用。</ref>
 
*[[ライオン (企業)|LION]] M(育毛剤)
 
*[[ケンタッキー・フライドチキン|KFC]]
 
*[[JX日鉱日石エネルギー#歴代出演タレント|ENEOS]]
 
*[[メルシャン]] 三楽焼酎ホワイトパック
 
*[[日本中央競馬会|JRA]] [[東京優駿|日本ダービー]](1996年)
 
*[[アース製薬]] 「[[ごきぶりホイホイ]]」・「[[アースノーマット|ノーマット]]」・「[[セボン]]」・「アースゴキブリホウ酸ダンゴ」・「[[ピレパラアース]]」 - セボンのCMについては「奥さん、入れるだけやん」という思わせぶりな台詞が話題となった
 
*[[グリコ]] 熟カレー、パナップ(ともに1990年代後半)
 
*[[KDDI]] [[沖縄セルラー電話]]([[au (携帯電話)|auブランド]])「ガンガンメール」(2009年)
 
*[[日本マクドナルド]]チキンバーガーシリーズ(2010年)
 
*[[ゆうちょ銀行]] [[ゆうちょ家族]](2010年)
 
*[[ヤマキ]] めんつゆ「めんつゆはだしが命」篇(2011年) ※長男・駿河太郎と共演<ref>{{cite web|url=http://life.oricon.co.jp/86674/full/|title=笑福亭鶴瓶、CMで長男・駿河太郎と親子初共演 「ありがたい事ですよ」|accessdate=2011-04-15|author=ORICON life|date=2011-04-15}}</ref>)
 
*[[太田胃散]] 内服薬「ロコフィットGL」(2012年)
 
*[[富士フイルム]]「[[富士フイルムのコマーシャルメッセージ|お正月を写そう]]」(2014年・2015年)
 
*[[ロッテ]] [[グリーンガム]](2014年)
 
*JRA 2015年度キャンペーン(2015年)
 
*[[トヨタ自動車]] 「TOYOTOWN」シリーズ(2013年〜2015年)、「[[ReBORN]]」シリーズ(千利休役)(2012年)、「[[トヨタ・アクア|アクア]]」、「[[トヨタ・プリウス|プリウス]]」「特アクア・特プリウス編」(2016年)
 
 
 
===その他===
 
*[[レスリー・キー]]写真集「[[SUPER TOKYO]]」(2010年)
 
*[[猪苗代湖ズ]]「[[I love you & I need you ふくしま]]」のPV(2011年)
 
 
 
==書籍==
 
*はやく人間になりたいッ!つるべのドガチャガ青春譜(徳間ブックス、1976年)
 
*哀しき紙芝居(新興楽譜出版社、1982年 / シンコー・ミュージック、1986年)
 
 
 
===共編著===
 
*つるべ・新野のぬかるみの世界(新野新共編、サンケイ出版、1981年)
 
*つるべ・新野のぬかるみの世界 part 2(新野新共編、サンケイ出版、1982年)
 
*おもろうて、やがて哀しきポペコかな 鶴瓶・新野の「ぬかるみの世界」』新野新共編 ベストセラーズ ワニの本 1986
 
*哀しき紙芝居 / タモリ鶴瓶のおぼえてるでェ!(フジテレビ出版、1987年)
 
*女と男聞けば聞くほど・・・([[酒井ゆきえ]]共編、ロングセラーズ、1988年)
 
*青春の上方落語(桂南光、桂文珍、[[桂ざこば (2代目)|桂ざこば]]、[[桂福團治]]、笑福亭仁鶴共著、[[小佐田定雄]]編、NHK出版新書、2013年)
 
 
 
==弟子==
 
*[[笑福亭笑瓶]](一番弟子)
 
*[[笑福亭晃瓶]]
 
*[[笑福亭純瓶]]
 
*[[笑福亭達瓶]]
 
*[[笑福亭恭瓶]]
 
*[[笑福亭瓶太]](上方落語協会および松竹芸能を脱退し、[[てんご堂雅落]]に改名)
 
*[[笑福亭銀瓶]]
 
*[[笑福亭瓶吾]]
 
*[[笑福亭瓶二]]
 
*[[笑福亭瓶生]]
 
*[[笑福亭由瓶]]
 
*笑福亭茶瓶(廃業)
 
*[[笑福亭鉄瓶]]
 
*[[笑福亭べ瓶]](元・笑福亭瓶成。破門後、一門に復帰)
 
*笑福亭乾瓶(2016年12月入門)
 
 
 
*笑福亭天瓶(廃業)
 
 
 
==脚注==
 
===注釈===
 
{{Reflist|group="注釈"}}
 
===出典===
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist|2}}
 
 
 
==参考文献==
 
*{{Cite book|和書|author=[[戸田学]]編|others=|year=2004|title=六世笑福亭松鶴はなし|publisher=[[岩波書店]]|isbn=4-00-002586-4|ref=戸田}}
 
 
 
==関連項目==
 
{{Commonscat|Tsurube Shōfukutei II}}
 
*[[麦茶]]
 
*松竹芸能
 
*上方落語協会
 
*[[松鶴一門]]
 
*テレビ東京
 
*デンナーシステムズ
 
*駿河太郎 - 鶴瓶の息子
 
*[[八幡カオル]] - 駿河太郎の妻が、八幡カヲルの[[いとこ]]
 
 
 
==外部リンク==
 
*公式サイト
 
**[http://www.tsurube.net/ 笑福亭鶴瓶公式サイト 「つるべ.net」]
 
**[http://www.denner.co.jp/talent/shofukutei_tsurube.php デンナーシステムズによるプロフィール]
 
**[http://hanjotei.eonet.jp/hanjotei_db/data/rakugoka/index.php?hanasika_ID=10090 天満天神繁昌亭 落語家名鑑:笑福亭鶴瓶(上方落語協会による公式プロフィール)]
 
**[http://www.1242.com/tsurube/ ニッポン放送ラジオ 笑福亭鶴瓶・日曜日のそれ]
 
**[http://mbs1179.com/yan_sun/ 毎日放送ラジオ ヤングタウン日曜日]
 
*映画・ドラマ
 
**{{jmdb name|0191000}}
 
**{{allcinema name|118303}}
 
**{{kinejun name}}
 
**{{imdb name|id=0875444|name=Shōfukutei Tsurube}}
 
**{{URL|movie.walkerplus.com/person/84970/ |笑福亭鶴瓶 - Movie Walker}}
 
**{{URL|www.tvdrama-db.com/name/p/key-%E7%AC%91%E7%A6%8F%E4%BA%AD%E9%B6%B4%E7%93%B6 |笑福亭鶴瓶 - テレビドラマ人名録 - ◇テレビドラマデータベース◇ }}
 
*SNS
 
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2019/4/30/ (火) 00:22時点における最新版

笑福亭 鶴瓶(しょうふくてい つるべ)

昭和後期-平成時代の落語家,タレント。

昭和26年12月23日生まれ。昭和47年6代笑福亭松鶴に入門。軽妙な話術と回転の速さ,飄々とした人柄で人気を得る。平成12年上方お笑い大賞。主な出演番組に「笑っていいとも!」「鶴瓶の家族に乾杯」など。落語家としては,春風亭小朝,9代林家正蔵らとの「六人の会」や「帝塚山 無学の会」などで積極的に活動。20年上方落語協会副会長。西川美和監督「ディア・ドクター」(22年キネマ旬報ベスト・テン主演男優賞),山田洋次監督「おとうと」など,映画,舞台でも活躍。大阪府出身。京都産業大中退。本名は駿河学(するが-まなぶ)。



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