竹島帰属問題

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竹島の領有をめぐる日本大韓民国(韓国)の紛争。

日本,韓国ともに,竹島へは江戸時代またはそれ以前から自国民が渡っており,自国の一部をなすと主張し,日本はそれまでの自国民の活動をふまえて 1905年に竹島を島根県隠岐郡に編入した。これに対し第2次世界大戦後の1952年1月,韓国大統領イ・スンマン(李承晩)が朝鮮半島周辺の広範な公海上に,いわゆる李承晩ラインによる主権を宣言し,竹島をライン内に含めた。日本は同 1952年1月28日竹島に対する韓国の領有権主張を認めない旨抗議。しかし韓国は島に領土標を立て,灯台,通信施設などを設置,武装警備隊員を常駐させ,島を実効支配した。

日本は 1954年9月と1962年3月の 2度にわたり,領有権問題を国際司法裁判所に付託することを提議したが,韓国はこれを拒否した。1965年の日韓国交正常化の際は,領有権問題は将来,外交経路および調停により解決することとされた(韓国との紛争解決交換公文)が,以後は進展をみていない。韓国における竹島の呼称は独島。