白米

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白米(はくまい)とは、玄米を精米(精白、搗精)したのこと。精米精白米ともいう。精米という語は精白する事と共に出来た白米の意味でも使われる。

概要

名前の通り、原料の玄米より白っぽく、透明感がある。炊いてとしたり、加工食品清酒原料にもする。

平成元年(1989年11月22日 国税庁告示第8号「清酒の製法品質表示基準を定める件」により以下のとおり定められている。

白米とは、農産物検査法(昭和26年(1951年)法律第144号)により、3等以上に格付けされた玄米又はこれに相当する玄米を精米したものをいうものとする。」

デンプン以外の栄養素は擦り落とされた胚芽と層に多く、胚乳のみの白米は栄養的に偏っている。特にビタミンB1に関しては、100g中、白米は0.07mg、玄米は0.4mgと、白米は玄米の6分の1しかビタミンB1が含まれていない。白米のみの食事は脚気のようなビタミンB1欠乏症をもたらす。米飯は、デンプンの割合が多い程、食感に日本人好みの粘りがあり、良食味米はタンパク質等のデンプン以外の成分が更に少ない。

歴史

古くはで搗いた米を舂米(しょうまい/つきしね/つきよね、「春」ではない)と呼んだ。古代には女性が臼とを使って作業を行い、大和朝廷屯倉には特に舂米部(しょうまいべ)を置いたと伝えられている。

江戸時代、庶民は雑穀や玄米を常食していたが、上流階級は精米した白米を常食していた。そのため当時の多くの著名人(徳川家光徳川綱吉桜町天皇徳川家定徳川家茂和宮小松帯刀)が脚気を患っていた。やがて水車小屋による精米技術の普及により江戸時代後期には江戸大坂のような都市部、さらに明治以降には地方の庶民層にまで白米を常食する習慣が広まり、脚気が国民病とまで言われたことがある。当時はまだ脚気とビタミンの関係が知られておらず、白米は庶民の憧れであったことを背景に、1904-5年の日露戦争時には陸軍が白米支給に固執し、陸軍脚気惨害を引き起こした。国外への動員兵数100万人のうち、戦死4万6千人、戦傷15万人で、25万人強の脚気患者が発生した。この入院脚気患者のうち、2万7千人が死亡したと見られている[3][4]

日本に栄養学を創設した佐伯矩も、1930年の内務省衛生局『栄養と嗜好』にて「三白の禍ありて、それは白い米、白砂糖、白い味付けの粉がそれである」と問題にしていた[5]。七分搗き米を推奨した。

日本では、精米して白米と米糠に分け、それぞれ販売され利用されてきた。消費者への小売りでは白米(無洗米を含む)であることが通常であるが、玄米も一定の需要があり、広く販売されている。精米後の白米は、皮をはがれた状態であり、日数の経過と共に酸化等により劣化していくので、少しずつ購入する方が新鮮である。低温貯蔵がより望ましい。

脚注

  1. http://www.nal.usda.gov/fnic/foodcomp/search/
  2. [『タンパク質・アミノ酸の必要量 WHO/FAO/UNU合同専門協議会報告』日本アミノ酸学会監訳、医歯薬出版、2009年05月。ISBN 978-4263705681 邦訳元 Protein and amino acid requirements in human nutrition, Report of a Joint WHO/FAO/UNU Expert Consultation, 2007]
  3. 陸軍省編『明治三十七八年戦役陸軍衛生史』第二巻統計、陸軍一等軍医正・西村文雄編著『軍医の観たる日露戦争』
  4. 山下政三『鴎外森林太郎と脚気紛争』日本評論社、2008年、332-333頁
  5. 内務省衛生局『栄養と嗜好』1930年。15-16頁。

関連項目

外部リンク




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