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(内容を「 '''白川 英樹'''(しらかわ ひでき、1936年8月20日 - ) 化学者。 1961年東京工業大学理工学部卒業,66年博士号を取得。同大...」で置換)
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|caption = [[日本学士院会員]]選任に際して<br />[[日本学士院]]により公表された肖像写真
 
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|work_institution = [[東京工業大学]]<br />[[ペンシルベニア大学]]<br />[[筑波大学]]
 
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{{thumbnail:ノーベル賞受賞者|2000年|ノーベル化学賞|[[導電性高分子]]の発見と発展}}
 
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'''白川 英樹'''(しらかわ ひでき、[[1936年]][[8月20日]] - )は、[[日本]]の[[化学者]]。[[東京工業大学]][[博士(工学)|工学博士]]、[[筑波大学]][[名誉教授]]、[[日本学士院会員]]。「[[導電性高分子]]の発見と発展」により、[[ノーベル化学賞]]を受賞した。
 
  
== 来歴・人物 ==
+
'''白川 英樹'''(しらかわ ひでき、[[1936年]][[8月20日]] - )
=== 幼少期〜少年時代 ===
 
1936年、[[東京府]]に生まれる。父は[[大日本帝国陸軍|陸軍]]で[[軍医]]をしており、兄、姉、弟、妹がそれぞれ1人ずついる5人兄弟の真ん中だった{{Sfn|白川英樹|2001a|p=156}}。なお、白川の祖父と[[高橋尚子]]の大祖母は兄妹であり、高橋ははとこ姪(二従姪)に当たる<ref>毎日新聞、2000年10月12日付朝刊、中部本社版、P.20</ref>。
 
 
 
父の仕事で3-4歳の頃に[[台湾]]に渡った{{Sfn|白川英樹|2001b|p=28}}後、母の実家がある[[岐阜県]][[高山市|高山]]に短期間住んで[[幼稚園]]に通っていた{{Sfn|白川英樹|2001a|p=3}}。幼稚園の途中で再び父の仕事で[[満州]]に引越し、[[遼陽市|遼陽]]、[[鞍山市|鞍山]]、湯崗子の各地に住んでいる{{Sfn|白川英樹|2001a|p=156}}。在満国民学校の3年生だった[[1944年]]に家族と共に[[朝鮮半島]]経由で帰国し、高山に戻った{{Sfn|白川英樹|2001a|p=3}}。
 
 
 
自然豊かな高山で[[昆虫採集]]を趣味とし、高校では[[真空管]]ラジオの製作や草花にも興味を持ったという。このため、[[化学]]か[[電気工学]]、[[農芸化学]]などを大学で学ぼうと考えた。一方で勉強した後にどのような職業に就くかはあまり考えていなかったという{{Sfn|白川英樹|2001b|p=28}}。なお、中学の卒業文集に「将来は[[プラスチック]]の研究をしたい」という作文を書いており、後年の[[ノーベル化学賞]]受賞時に広く報じられた{{Sfn|白川英樹|2001b|p=57}}。プラスチックに興味はあったが、作文として書きやすい対象だっただけで、他の分野への興味も強かったという{{Sfn|白川英樹|2001b|p=57}}。
 
 
 
=== 東工大学生時代 ===
 
2浪の末[[1957年]]に[[東京工業大学]]に入学し、山歩きが趣味であることから[[登山|山岳部]]と[[ワンダーフォーゲル]]部、そして興味のあった[[エスペラント]]部に入部した{{Sfn|白川英樹|2001b|p=37}}。ワンゲルは山岳部と大差ないことから1ヶ月ほどで参加しなくなり、エスペラント部も英語の勉強に力を入れ出した2年生頃から足が遠のき、山岳部だけは[[大学院]]まで活動を続けたという{{Sfn|白川英樹|2001b|p=39}}。
 
 
 
学業面では、東工大に入学したこともあって[[重合体|ポリマー]]を研究したいと考え、[[化学工学]]の学科を選んだ{{Sfn|白川英樹|2001a|p=104}}。3年生の1月に卒業研究の配属が決まり、志望した[[化学合成|合成]]の研究室は人気が高く、くじ引きで落選したため高分子[[物性]]の研究室に配属された{{Sfn|白川英樹|2001a|p=107}}。当時は[[修士]]を採用する企業が増加しており、進路についてはあまり具体的に考えず大学院に進学したという{{Sfn|白川英樹|2001a|p=112}}。
 
 
 
指導[[教授]]だった金丸競が翌年に定年退官を控えて[[修士課程]]2年間の指導ができないこともあり、もともと希望していた合成の研究を行っている[[神原周]]の研究室に移籍した{{Sfn|白川英樹|2001a|p=113}}。講座にいる3人の[[助教|助手]]のうち1人が手がけていたテーマから派生した研究に取り組んだ{{Sfn|白川英樹|2001a|p=116}}。博士後期課程2年のころは、企業に就職することはもう無理だというプレッシャーを感じて将来に対する不安があったという{{Sfn|白川英樹|2001a|p=164}}。[[1966年]]に「[[共重合|共重合体]]のブロック鎖に関する研究」で[[博士(工学)|工学博士]]を取得している{{Sfn|応用物理|2008|p=903}}{{Sfn|白川博士論文|1966}}。
 
 
 
=== 東工大助手時代 ===
 
博士課程修了後、資源化学研究所の池田朔次の講座の助手となった{{Sfn|白川英樹|2001a|p=28}}。ここで [[炭素14|{{sup|14}}C]] を用いて、[[チーグラー・ナッタ触媒]]による[[ポリアセチレン]]の[[重合]]の仕組みについて研究を始めた{{Sfn|応用物理|2008|p=905}}。
 
 
 
一方、韓国原子力研究所から研究員として池田研に来ていた邊衡直がポリアセチレンの重合を経験したいと希望したためレシピを渡したところ、[[触媒]]の濃度を「[[ミリ|m]]」の文字に気づかず1000倍にするという失敗をしたため粉末がうまくできずに[[ビーカー]]の[[溶液]]表面に膨潤したボロボロの膜が出来ていた{{Sfn|応用物理|2008|p=905}}。調べるとポリアセチレンの薄膜である可能性が高いと分かり、触媒の濃度を間違えた可能性があると考えた白川は濃度をどんどん濃くして合成を行った{{Sfn|応用物理|2008|p=906}}。その結果、一定以上の濃度できれいな薄膜が得られ、特にガラスの表面で重合させると良いということが数日で判明した{{Sfn|応用物理|2008|p=906}}。溶媒濃度を大幅に高めたため、触媒溶液の表面でアセチレンの重合反応が急速に進み、薄膜ができるという機構だった{{Sfn|白川英樹|2001a|p=29}}。得られた薄膜を[[赤外分光法]]により分析したところ、[[ジュリオ・ナッタ]]が以前に報告していた[[トランス (化学)|トランス型]]の構造よりも吸収帯の数が多いという結果が得られた{{Sfn|応用物理|2008|p=906}}。
 
 
 
この原因を調べるために[[因子群]]解析や行列法で計算した結果、まず[[シス (化学)|シス型]]が出来てからトランス型に[[異性体|異性化]]しており、[[三重結合]]がシス型に開いてシス型ポリアセチレンが合成されることが明らかになった{{Sfn|応用物理|2008|p=906}}。この結果について[[高分子学会]]の英文誌に赤外分光の論文を書き、さらに[[ラマン分光法]]で分析したところ、膜厚が非常に薄いため吸収スペクトルと電子スペクトルを測定することができた{{Sfn|応用物理|2008|p=906}}。その結果から共役数が非常に大きいことも分かり、これに関する論文も高分子学会の『''Polymer Journal''』に掲載されている{{Sfn|応用物理|2008|p=906}}。なお、これらの論文の掲載にあたっては査読の通過まで時間がかかり、掲載後の反響もほとんどなかったという{{Sfn|白川英樹|2001a|p=130}}。
 
 
 
構造などが分かって重合機構を明らかにしたことで[[1969年]]までには当初のテーマを達成できたため、その後は導電性高分子から離れて環境に関する研究を行った{{Sfn|応用物理|2008|p=908}}。一方で、ポリアセチレンの[[水素]]を置換することで[[カルビン]]を合成できるのではないかとの期待から、[[塩素]]や[[臭素]]で水素を置換した後に[[水酸化ナトリウム]]や[[アンモニア]]などの[[塩基]]でそれを取り除く、という実験も行った{{Sfn|応用物理|2008|p=908}}。反応後に試料の[[元素分析]]を行うと98%が[[炭素]]となっていたが、カルビンではなく[[アモルファス]]炭素になっていることが明らかになった{{Sfn|応用物理|2008|p=908}}。高温処理による[[グラファイト]]化も試みたが成功せず、ポリアセチレン由来のアモルファス炭素は難黒鉛化炭素であることが分かった{{Sfn|応用物理|2008|p=909}}。
 
 
 
ポリアセチレンに関する最後の試験として、塩素を加えた時にどのように反応が起きるのか調べたところ、わずかな反応で薄膜が黒くなり、[[電子状態]]が大きく変わって分子の振動による吸収が起きていると考えられた{{Sfn|応用物理|2008|p=909}}。この時に赤外線を透過しなくなることが、ポリアセチレンの薄膜化に匹敵するほど印象に残っていたという{{Sfn|白川英樹|2001b|p=122}}。なお、後に炭素に正の[[電荷]]が付与されて赤外活性になるということが分かったが、ドーピングによってそのような現象が起きていることは当時は分からなかった{{Sfn|応用物理|2008|p=909}}。
 
 
 
=== マクダイアミッド&ヒーガーとの共同研究 ===
 
[[1975年]]に[[アラン・マクダイアミッド]]が資源研を訪れた際、[[硫化窒素|S{{sub|X}}N{{sub|X}}]] の金色の[[結晶]]を持参していたことから、白川の合成していた銀色のポリアセチレン薄膜との相関性を感じた[[山本明夫]]に紹介を受けた{{Sfn|応用物理|2008|p=905}}。マカダイアミッドはこの薄膜に非常に興味を示し、その場で共同研究を提案してきたという{{Sfn|応用物理|2008|p=905}}。
 
 
 
[[1976年]]に[[ペンシルベニア大学]]のマカダイアミッドの研究室の博士研究員となり、同年9月の[[レイバー・デー (アメリカ合衆国)|レイバー・デー]]明けから当地での研究を始めた{{Sfn|応用物理|2008|p=903}}。ポリアセチレンの[[電気伝導|電気伝導性]]を高めるために[[第17族元素|ハロゲン]]への[[ドープ]]を行うことにした。同年11月23日に,測定用の端子を付けたポリアセチレンを[[アルゴン|アルゴンガス]]を満たした[[三角フラスコ]]内に入れ、ハロゲンの一種である臭素を[[注射器]]で滴下したところ、わずか1滴で4-5桁も試料の電気抵抗が下がり、最終的に電気抵抗は1,000万分の1まで減少してマカダイアミッドやヒーガーも交えて大騒ぎとなった{{Sfn|白川英樹|2001a|p=41}}{{Sfn|応用物理|2008|p=903}}。数日間の追試により、金属-絶縁体転移が起きるこの現象の再現性が確認され、さらに二重結合に[[付加反応]]を起こさない[[ヨウ素]]の方がさらに効果的であることが分かった{{Sfn|白川英樹|2001a|p=77}}。
 
 
 
この発見に関する第一報を『''[[Chemical Communications]]''』に出し、さらに化学系のマカダイアミッドが『''[[米国化学会誌|Journal of the American Chemical Society]]''』、物理系のヒーガーが『''[[フィジカル・レビュー|Physical Review Letters]]''』にそれぞれ論文を投稿することを協議により決めた{{Sfn|応用物理|2008|p=904}}。しかしChemical Communications以外の投稿は[[査読]]の段階で現象自体に疑問を持たれ、すぐには受諾されなかったという{{Sfn|応用物理|2008|p=904}}。
 
 
 
このため、[[1977年]]6月に[[ニューヨーク]]で開催される低次元物質の合成と物性に関する国際学会において、デモンストレーションの実験を行うことをマカダイアミッドが提案した{{Sfn|応用物理|2008|p=904}}。日本の学会ではやらないような子供じみた取り組みだと感じられ、また実験面でも[[テフロン]]製のストップコックから空気が漏れてハロゲンの[[拡散]]を阻害してドープが進みにくくなるという懸念もあって、白川は当初これに反対した{{Sfn|応用物理|2008|p=904}}。結局、[[蒸気圧]]を高めるために臭化ヨウ素のようなハロゲン間化合物を用い、さらにドーパントの容器を温めるために湯を準備するなどの対策を行って公開実験を行い、ポリアセチレンの電気抵抗が低下した際に[[豆電球]]が点灯させることに成功した{{Sfn|応用物理|2008|p=904}}。聴衆の化学者らに大きな驚きを与えたという{{Sfn|応用物理|2008|p=904}}。
 
 
 
ヒーガーの論文は同年10月に''Physical Review Letters''<ref>[http://prl.aps.org/abstract/PRL/v39/i17/p1098_1 "Electrical Conductivity in Doped Polyacetylene" Phys. Rev. Lett. 39, 1098 (1977)]</ref>、マカダイアミッドの論文は1978年2月に''Journal of American Chemical Society''に<ref>[http://pubs.acs.org/doi/abs/10.1021/ja00471a081 "Synthesis of highly conducting films of derivatives of polyacetylene, (CH)x" J. Am. Chem. Soc., 100, 1013 (1978)]</ref>それぞれ掲載されている。
 
 
 
=== 筑波大学時代 ===
 
[[1979年]]11月、[[筑波大学]]の物質工学系の[[准教授|助教授]]に着任した{{Sfn|応用物理|2008|p=907}}。応用志向に研究テーマを変えていく研究者が多い中で、ポリアセチレンに関する基礎研究を中心に置き続けた力量が高く評価されている{{Sfn|日経サイエンス|2000|p=11}}。[[1982年]]に教授に昇進した。[[1984年]]には[[日立製作所]]との共同研究で、[[液晶]]の配向を利用して繊維の方向を揃えたポリアセチレンを作製し、従来のものよりも導電性を高めることに成功した{{Sfn|日経サイエンス|2000|p=11}}。学生や若手研究者に対しても柔軟に接し、一緒に研究を進めやすかったといわれる<ref name="aera_20101023">『AERA』、2000年10月23日号、P.73</ref>。高校生を対象にした一日体験教室では、わざわざテキストを作成して授業に臨むなど、教育への関心も高かった<ref name="aera_20101023"/>。
 
 
 
[[1991年]]6月に[[スウェーデン]]の[[ルレオ]]で開催された導電性高分子に関するノーベルシンポジウムに招かれ、約40名の出席者で1週間にわたる討論を行った{{Sfn|白川英樹|2001b|p=54}}。この時に、もしも同分野から[[ノーベル賞]]を受賞する人物がいるならばヒーガー、マクダイアミッド、白川の3人だ、という合意が出席者間でなされた{{Sfn|白川英樹|2001b|p=54}}。[[1997年]]には[[ネマティック液晶]]を利用して繊維をねじった[[螺旋|ヘリカル]]ポリアセチレンを合成し、電磁応答の発現が期待された{{Sfn|日経サイエンス|2000|p=11}}。学務面では、[[1994年]]から第三学群長を3年間務めている。
 
 
 
=== 大学定年退官後 ===
 
[[画像:Hideki Shirakawa and Yoshiro Mori 20001018.jpg|thumb|200px|[[2000年]][[10月18日]]、[[総理大臣官邸]]にて[[内閣総理大臣]][[森喜朗]](右)と]]
 
[[2000年]]3月に筑波大学を定年退官した。[[10月10日]]に新聞社から最初の問い合わせがあり、その後[[10月18日]]に[[ノーベル財団]]から正式な連絡を受けてヒーガー、マクダイアミッドと共に[[ノーベル化学賞]]を受賞した{{Sfn|白川英樹|2001a|p=177}}。なお、日本では[[帝国大学|旧帝国大学]]以外の出身者として初のノーベル賞受賞者となった。[[12月8日]]に[[ストックホルム大学]]で受賞記念講演を行っている{{Sfn|白川英樹|2001a|p=22}}。また、これに合わせて[[文化勲章]]を受章した。
 
 
 
同年[[11月29日]]には、翌年創設される[[総合科学技術会議]]の有識者議員に内定した<ref>読売新聞、2000年11月30日付朝刊、P.4</ref>。研究領域の重複などについて省庁間の調整がほとんど存在しない実態を知り、衝撃を受けたという<ref name="yomiuri_20030125">読売新聞、2003年1月25日付朝刊、P.2</ref>。在任中は科学技術関係事業の予算に優先順位をつけ、担当者からの不満にも厳正に対処した<ref name="yomiuri_20030125"/>。なお、科学予算の制度としては少額ながら自由な裁量で使える校費を、[[セレンディピティ]]的な発見があった時に有効だとして評価している{{Sfn|白川英樹|2001b|p=128}}。なお、2001年には事前の連絡がないまま[[新潟大学]]の[[学長]]に推薦され、自身は固辞したが推薦を取り消す規定がなく、決選投票に進み5名中3位となっている<ref>朝日新聞、2001年12月5日付朝刊、新潟地方面、P.27</ref>。
 
 
 
== 略歴 ==
 
[[画像:Tadamori Oshima Hideki Shirakawa Yoshiro Mori and Hidenao Nakagawa 20001018.jpg|thumb|200px|[[2000年]][[10月18日]]、[[総理大臣官邸]]にて[[文部大臣]][[大島理森]](左端)、[[内閣総理大臣]][[森喜朗]](右から2人目)、[[内閣官房長官]][[中川秀直]](右端)と]]
 
*1949年 - 高山市立南小学校卒業
 
*1952年 - 高山市立第二中学校卒業
 
*1955年 - [[岐阜県立飛騨高山高等学校|岐阜県立高山高等学校]]卒業
 
*1961年 - [[東京工業大学]]理工学部化学工学科(現・工学部化学工学科)卒業
 
*1966年 - 同大学大学院理工学部研究科化学工学専攻科博士課程修了、同大学資源化学研究所助手
 
*1976年 - [[ペンシルベニア大学]]博士研究員(- 1977年)
 
*1979年 - [[筑波大学]][[准教授|助教授]]
 
*1982年 - 同大学[[教授]]
 
*1991年 - 同大学大学院理工学研究科長(- 1993年3月)
 
*1994年 - 同大学第三学群長(- 1997年3月)
 
*2000年 - 同大学退官
 
*2001年 - [[日本学士院]]会員、[[内閣府]][[総合科学技術会議]]議員(-2003年3月)
 
 
 
== 栄典 ==
 
[[画像:Emperor Akihito Yoshiro Mori and Hideki Shirakawa 20001103.jpg|thumb|200px|[[2000年]][[11月3日]]、[[皇居]]にて[[明仁|明仁天皇]](手前左)から[[文化勲章]]を授与される白川(手前右)]]
 
*2000年 - [[文化功労者]]
 
*2000年 - [[文化勲章]]
 
 
 
== 賞歴 ==
 
*1983年 - [[高分子学会]]賞
 
*2000年 - 高分子化学功績賞、[[ノーベル化学賞]]、横浜文化賞学術特別賞
 
*2001年 - [[日本化学会]]特別顕彰
 
 
 
== 社会的活動 ==
 
*[[日本ユネスコ国内委員会]] - 委員
 
*[[ソニー教育財団]] - 理事<ref>{{Cite web|url= http://www.sony-ef.or.jp/outline/officer.html |title=ソニー教育財団 役員一覧|publisher=ソニー教育財団|accessdate=2014-08-26}}</ref>、「科学の泉-子供夢教室」塾長<ref>{{Cite web|url= http://www.sony-ef.or.jp/sef/spring/message/index.html |title=科学の泉-子ども夢教室:塾長メッセージ|publisher=ソニー教育財団|accessdate=2014-08-27}}</ref>
 
*山田科学振興財団 - 評議員<ref>[http://www.yamadazaidan.jp/about/committee.html 山田科学振興財団 財団概要]</ref>
 
*[[平成基礎科学財団]] - 評議員
 
 
 
== 著作 ==
 
('''学位論文'''
 
*{{Cite book|和書|url=http://tdl.libra.titech.ac.jp/hkshi/recordID/dissertation.bib/TT00000879?caller=xc-search |title=共重合体中のブロック鎖に関する研究|series=博士論文(甲第144号)|publisher=[[東京工業大学]]|date=1966-03-26|ref={{Sfnref|白川博士論文|1966}} }}
 
 
 
('''単著''')
 
*{{Cite book|和書|title=合成金属-ポリアセチレンからグラファイトまで-|publisher=[[化学同人]]|date=1980|isbn=9784759806878|ref={{Sfnref|白川英樹|1980}} }}
 
*{{Cite book|和書|title=化学に魅せられて|series=岩波新書|publisher=[[岩波書店]]|year=2001a|isbn=9784004307099|ref={{Sfnref|白川英樹|2001a}} }}
 
*{{Cite book|和書|title=私の歩んだ道 ノーベル化学賞の発想|series=朝日選書|publisher=[[朝日新聞社]]|year=2001b|isbn=9784022597700|ref={{Sfnref|白川英樹|2001b}} }}
 
*{{Cite book|和書|title=セレンディピティーを知っていますか|publisher=畑田家住宅活用保存会|date=2006|isbn=9784903247038|ref={{Sfnref|白川英樹|2006}} }}
 
 
 
('''共著''')
 
*{{Cite book|和書|title=導電性高分子から何がみえるか|author=白川英樹、[[村上陽一郎]]|publisher=[[京セラドキュメントソリューションズ|三田出版会]]|date=1990|isbn=9784895830706|ref=harv}}
 
*{{Cite book|和書|title=何を学ぶか-作家の信条、科学者の思い-|author=白川英樹、[[大江健三郎]]|series=読売ぶっくれっと|publisher=読売新聞社|date=2004|isbn=9784643040081|ref=harv}}
 
*{{Cite book|和書|title=ノーベル賞受賞者との対話―中高校生の君たちへ|date=2005-03-01|editor=読売新聞東京本社調査研究本部|publisher=[[中央公論新社]]|isbn=978-4120036170}}
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{Reflist|3}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
*{{Cite book|和書|url= http://ec.nikkeibp.co.jp/item/books/P45390.html |author=[[五島綾子]]|title=ブレークスルーの科学―ノーベル賞学者・白川英樹博士の場合|publisher=[[日経BP社]]|year=2007|isbn=9784822245399|ref=harv}}
 
*{{Cite journal|和書|url= http://www.nikkei-science.com/page/magazine/0012/SHIRAKAWA.html |title=ノーベル化学賞 白川英樹氏 独創の軌跡|journal=日経サイエンス|volume=30|number=12|pages=6-13|date=2000-12|ref={{Sfnref|日経サイエンス|2000}} }}
 
*{{Cite journal|和書|author=白川英樹|author2=山邊時雄|author3=吉野勝美|url= http://www.jsap.or.jp/apsp/oralhistory/QOBU080802.pdf |format=PDF|title=オーラルヒストリー 学際領域における導電性ポリマーの研究とノーベル化学賞 白川英樹|journal=応用物理|volume=77|number=8|pages=903-909|year=2008|ref={{Sfnref|応用物理|2008}} }}
 
 
 
== 外部リンク ==
 
* {{Cite web|url= http://www.tsukuba.ac.jp/about/nobel/shirakawa.html |title=筑波大学 白川英樹名誉教授|publisher=[[筑波大学]]|accessdate=2014-08-26}}
 
* {{Cite web|url= http://www.japan-acad.go.jp/japanese/members/5/shirakawa_hideki.html |title=会員個人情報 白川英樹|publisher=[[日本学士院]]|accessdate=2014-08-27}}
 
 
 
('''ノーベル賞関連''')
 
* {{Cite web|url=http://www.nobelprize.org/nobel_prizes/chemistry/laureates/2000/ |title=The Nobel Prize in Chemistry 2000|publisher=Nobelprize.org|accessdate=2014-08-26}}{{en icon}}
 
* {{Cite web|url= http://www.kahaku.go.jp/exhibitions/tour/nobel/shirakawa/p1.html |title=科学系ノーベル賞受賞者9人の偉業 白川英樹|work=ノーベル賞100周年記念展|publisher=[[国立科学博物館]]|accessdate=2014-08-26}}
 
* {{Cite web|url=http://www1.e-science.co.jp/shirakawa/index.htm |title=僕にも分かる高分子化学 なぜプラスチックに電気が通ったか|work=筑波大学名誉教授 白川英樹博士 ノーベル化学賞 受賞記念特集|publisher=e-science|accessdate=2014-08-27}}
 
* {{Cite web|url= http://sciencechannel.jst.go.jp/D090508/detail/D090508003.html |title=吾輩はノーベルである(3) 野依良治 白川英樹 〜化学の進歩に貢献〜|work=サイエンスチャンネル|date=2009|publisher=[[科学技術振興機構]]|accessdate=2014-08-26}}
 
 
 
('''取材・講演動画''')
 
* {{Cite web|url= http://sciencechannel.jst.go.jp/D023101/detail/D023101002.html |title=サイエンスのこ・れ・か・ら(2) 白川英樹 筑波大学名誉教授|work=サイエンスチャンネル|date=2002|publisher=[[科学技術振興機構]]|accessdate=2014-08-26}}
 
* {{Cite web|url= https://www.youtube.com/watch?v=OejiRPQHPw4 |title=#150bノーベル化学賞 白川英樹 基調講演|date=2008-12-10|author=nichidai|publisher=YouTube|accessdate=2014-08-27}}(基調講演「2000年度ノーベル化学賞を受賞して」、平成13年度日本大学NU-SATプログラム<!--第12回ノーベル賞授賞者を囲むフォーラム21世紀の創造ノーベル賞100周年記念フォーラム21世紀の英知と創造力-->)
 
* {{Cite web|url= https://www.youtube.com/watch?v=2exh8JIuHAs |title=#150fノーベル賞受賞者パネルディスカッション|date=2008-12-10|author=nichidai|pubilsher=YouTube|accessdate=2014-08-27}}([[日本大学]]、司会:高木美也子、パネラー:白川英樹、[[江崎玲於奈]]、[[大江健三郎]])
 
* risoukai (2009年12月22日). “第4回ホームカミングデー特別記念講演 白川英樹先生 [https://www.youtube.com/watch?v=sSatDtiWBB8 -01]、[https://www.youtube.com/watch?v=ry5vyuplAxU -02]、[https://www.youtube.com/watch?v=xCb-rOrpnmA -03]、[https://www.youtube.com/watch?v=oQ3TTYtt5ZQ -04]、[https://www.youtube.com/watch?v=10ZftO7T0GY -05]、[https://www.youtube.com/watch?v=cYQ1Kp5qT8s -06]、[https://www.youtube.com/watch?v=emRCNdL2VB0 -07]、[https://www.youtube.com/watch?v=undRqNwOTLc -08]、[https://www.youtube.com/watch?v=O6KjiWRCwlg -09]”. 2014年8月27日閲覧。([[東京理科大学]])
 
 
 
 
 
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化学者。 1961年東京工業大学理工学部卒業,66年博士号を取得。同大資源化学研究所助手を経て,76年ペンシルバニア大学研究員。 79年筑波大学助教授,82年同大教授,2000年3月退官し同大名誉教授。 1970年代より高分子に電気を通す研究を始め,添加する触媒の種類や量により[[ポリアセチレン]]の電子状態が変化し導電性を示すことを発見。 76年ペンシルバニア大学教授の A.マクダイアミッドに注目され,同大の研究員となりカリフォルニア大学教授の A.ヒーガーともども,ポリアセチレンの合成ならびに不純物添加 (ドーピング) に関する研究を発展させ,ヨウ素と反応させたポリアセチレンにすぐれた導電性があることを発見した。この共同研究の成果は,その後のプラスチック素材研究に大きな影響を与え,情報社会を支えるさまざまな導電素材の開発に応用された。 2000年これらの業績に対しマクダイアミッド,ヒーガーとともにノーベル化学賞を受賞。同年 11月3日文化勲章を受章。
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2018/12/24/ (月) 16:39時点における版

白川 英樹(しらかわ ひでき、1936年8月20日 - )

化学者。 1961年東京工業大学理工学部卒業,66年博士号を取得。同大資源化学研究所助手を経て,76年ペンシルバニア大学研究員。 79年筑波大学助教授,82年同大教授,2000年3月退官し同大名誉教授。 1970年代より高分子に電気を通す研究を始め,添加する触媒の種類や量によりポリアセチレンの電子状態が変化し導電性を示すことを発見。 76年ペンシルバニア大学教授の A.マクダイアミッドに注目され,同大の研究員となりカリフォルニア大学教授の A.ヒーガーともども,ポリアセチレンの合成ならびに不純物添加 (ドーピング) に関する研究を発展させ,ヨウ素と反応させたポリアセチレンにすぐれた導電性があることを発見した。この共同研究の成果は,その後のプラスチック素材研究に大きな影響を与え,情報社会を支えるさまざまな導電素材の開発に応用された。 2000年これらの業績に対しマクダイアミッド,ヒーガーとともにノーベル化学賞を受賞。同年 11月3日文化勲章を受章。



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