「生命」の版間の差分

提供: miniwiki
移動先:案内検索
(1版 をインポートしました)
 
1行目: 1行目:
{{出典の明記|date=2012年11月}}
 
[[File:Human fetus 10 weeks - therapeutic abortion.jpg|thumb|right|妊娠第10週目の胎児。]]
 
  
ここでは'''生命'''(せいめい、{{Lang-en-short|life}}、{{Lang-la-short|vita}} ウィータ)について解説する。
+
'''生命'''(せいめい、{{Lang-en-short|life}}、{{Lang-la-short|vita}} ウィータ)
  
== 概論 ==
+
生物が示す基本的な特質と考えられているもの。自己を維持するための[[代謝]],自己増殖としての[[成長]],同型のものを再生産する[[複製]],外界への反応性と適応性などの特質をあわせもつ物質複合体あるいは個体の状態をいう。生命をさらに特徴づけるものは,有機分子を変換し[[原形質]],細胞,器官などから生体全体というように連続的に大きな単位へと組織化してゆく点である。生物は代謝により外界から物質を取り込み,生体の構成物質を絶えず更新している。これは主として原形質の合成と破壊の過程である。成長は生体の大きさが増大するが,これは通常,原形質の破壊速度よりも合成速度の方が高いために起こる。複製は最も顕著な特質であり,いちばん基本のレベルでは一つの細胞が二つの細胞へと分裂する。この過程で[[核酸]]で構成される[[遺伝子]]によって遺伝情報が伝達される。遺伝子自体の複製により,生体の多様な特徴の指令が次世代へ伝えられる。反応性と適応性は,環境の変化に応じて生物が自己を変える能力があることを意味する。この二つの特質は[[自然選択]]過程の基本的な決定因子である。自然選択を通じて生物の遺伝的特徴は長い時間と多くの世代を経て[[進化]]する。
生命とは、[[文脈]]によってさまざまな[[定義]]がある語であるが、基本的には「生きているもの」と「死んでいるもの」、あるいは[[物質]][[生物]]を区別する特徴・[[属性]]などを指す語、あるいは[[抽象概念]]である。伝統的に、「生き物が生きた状態」そのものを生命と呼んだり、生きた状態は目に見えない何かが宿っている状態であるとして、その宿っているものを「生命」「[[]]」「[[]]」などと呼んでおり、現在でも広く日常的にそのような用法で使われている。現代の[[生物学]]では、[[代謝]]に代表される、自己の維持、増殖、[[自己]]と外界との隔離など、さまざまな現象の連続性をもって「生命」とする場合が多い。
 
  
生命とは何か、ということについての論や見解を生命論や[[生命観]]と言う。[[自然哲学]]には自然哲学の生命観があり、[[宗教]]には宗教的な生命観がある。現在、一般的・日常的には、生きものが生きている状態を指して「生命を持っている」「生命を宿している」と呼び、文脈によっては非物質的な[[魂]]のようなものを指す場合もある。
+
生命の本質に関する考察は,歴史的に[[生気論]]と[[機械論]]的概念との間で分かれてきた。生気論では,生物を非生物から区別し生命の根底にある本質を形成するなんらかの「生命力」の存在を認める。機械論では,生命が特質としてもつあらゆる現象は基本的な化学と物理学の法則に従う処理過程と変換現象で説明できるとし,究極的に生物は原子と分子で構成されたものであってそれ以上のものではないと主張する。
 
 
ここでは様々な角度から生命を扱うことにし、伝統的な概念から、現代生物学的な生命に関する概念や理論までを、ある程度歴史に沿って追ってゆくことにする。
 
 
 
伝統的な理解については[[命]]、[[魂]]も参照のこと。
 
 
 
[[大島泰郎]]によれば、現在、我々[[人類]]が知っている生命は、[[地球]]上の[[生物]]のみであるが、これらのすべての生物は同一の[[先祖]]から発展してきたと、[[現代生物学]]では考えられている。その理由は、すべての地球生物が用いる[[アミノ酸]]が20種類だけに限定され、そのうち[[グリシン]]を除き[[光学異性体]]を持つ19種類がすべてL型を選択していること、また[[DNA]]に用いる核酸の[[塩基]]が4種類に限定され、それらがすべてD型である事である<ref name="Oshima14">[[#大島(1994)|大島(1994)、p.14-29、第1章 生命は星の一部である、(1)宇宙の生命を探る]]</ref>。
 
 
 
現在知られている地球上の全ての生物は[[炭素]]を素にしているが、我々が[[地球外生命体|地球以外での生命]]の形を知らないだけという可能性も指摘されることがある。理論上は炭素以外の物質を元とした生物も考えられうる。
 
 
 
{{seealso|代わりの生化学}}
 
 
 
== 定義 ==
 
21世紀初頭の現在でも、[[哲学]]、[[生物学]]双方の分野で、生命の定義は非常に困難な問題である<ref>[http://www.astrobio.net/exclusive/226/defining-life Defining Life : Astrobiology Magazine - earth science - evolution distribution Origin of life universe - life beyond]</ref><ref>[http://www.nbi.dk/~emmeche/cePubl/97e.defLife.v3f.html Defining Life, Explaining Emergence]</ref><ref>{{cite web|url=http://artsandsciences.colorado.edu/magazine/2009/03/can-we-define-life/|title=Can We Define Life|accessdate=2009-06-22|year=2009|publisher=Colorado Arts & Sciences}}</ref>。生命とは何らかの過程を意味するものであり、純粋な物質というわけではないからである<ref name="McKay">{{cite journal|title=What Is Life—and How Do We Search for It in Other Worlds?|journal=PLoS Biol.|date=September 14, 2004|first=Chris P.|last=McKay|coauthors=|volume=2|issue=2(9)|pages=302|id=PMID PMC516796 {{doi|10.1371/journal.pbio.0020302}}|url=http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC516796/?tool=pubmed|format=|accessdate=2010-02-02}}</ref>。「
 
 
 
何が「生きているか」を考える難しさを示す実例に[[HeLa細胞]]が挙げられる事もある。これは[[ヘンリエッタ・ラックス]]というアメリカ人女性の子宮がん細胞を元にしたヒト細胞であり、培養され世界中の研究所に分配され試験に用いられている。ヘンリエッタ個人は既に亡くなったが、彼女由来の[[細胞]]は現在でも生きている。生命の基本的活動が細胞である事、そして「生きている」状態には明瞭な線引きができないさまざまな段階が存在すると考えられている<ref name="Oshima46">[[#大島(1994)|大島(1994)、p.46-50、第2章 宇宙の中の生命、(1)生命の三つの特徴]]</ref>。
 
 
 
== 生命観・生命論の歴史 ==
 
生命とは何か、ということについての論や見解を生命論や生命観と言う<ref name="iwanami">『岩波 生物学事典』【生命】</ref>。
 
 
 
[[古代ギリシャ]]人たちは、生きている状態のことを{{lang-el-short|Ψυχή}} [[プシュケー]]と呼んでいた。プシュケーというのはもともとは[[息]]([[呼吸]])のことであり、呼吸は生きていること示す最も目立つ特徴なので、この言葉が「生きていること= 生命」も指すようになり、転じて[[日本語]]の「[[心]]」や「[[霊魂]]」という概念まで意味するようになった。
 
[[アリストテレス]]は Peri psyches 『[[霊魂論|ペリ・プシュケース]]』でこのプシュケーについて論じた。(同著の題名は直訳すれば『[[プシュケー]]について』である。)アリストテレスは初期段階では、生きものの種類によって異なるプシュケーの段階があると見なしていて、(1)植物的プシュケー (2)動物的プシュケー (3)理性的プシュケー(人間のプシュケー)というように区別していたが、やがて[[植物]]・[[動物]]・[[人間]]の間にプシュケーの差というのはさほど絶対的なものではないと見なすようになり、最終的にはそれらプシュケーに差はない、とも記した。
 
 
 
{{seealso|生物学史}}
 
 
 
また、「すべての物質は生きている」とする哲学的な考え方が古くから現代にいたるまである。古くは古代ギリシャの[[ミレトス学派]]にもそうした考え方があったことが知られている。こうした考え方を{{仮リンク|物活論|en|hylozoism}} hylozoism と言う。
 
 
 
ヨーロッパでは[[中世]]、[[キリスト教]]が広がり、[[旧約聖書]]の[[創世記]]の記述に従い、[[神]]が[[自然]]も[[人間]]も、動物・植物も、その他 生きとし生けるものすべてを造ったと考えていた。また、[[12世紀ルネサンス]]によって[[イスラーム]](アラビア語)の文献が[[ラテン語]]に翻訳されるようになると、そこで解説されていた[[アリストテレス]]の考え方が知られるようになり、その生命論も受け入れられるようになった。
 
 
 
[[1648年]]に[[ルネ・デカルト|デカルト]]が、''Le monde''(『世界論』とも『宇宙論』とも)の後半にあたるTraité de l'homme(『[[人間論 (デカルト)|人間論]]』)を出版した<ref name="rikai_chap2_23">[[山口裕之 (哲学者)|山口裕之]]『ひとは生命をどのように理解してきたか』講談社、2011年 p.80-113</ref>。デカルトは、人間も含めて全ての生物は神が制作した[[機械]]だと見なした<ref name="rikai_chap2_23" />。当時、ものの喩えではなく、[[宇宙]]は機械だと考えられたが、こうした考えの背景には「神が宇宙を制作した」というキリスト教の信仰がある<ref name="rikai_chap2_23" />。と同時に、その本でデカルトは、例えば[[心臓]]は[[熱機関]]だとし、[[運動]]によって説明できる、とし、(アリストテレスが用いていたプシュケーという概念の系統に属するともいえる)植物プシュケーや感覚プシュケーなどは用いなくても説明できる、とした<ref name="rikai_chap2_23" /><ref>『デカルト著作集4』p.286</ref>。アリストテレスが[[プシュケー]]を用いて、生命と非生命の区別をしふたつは異なっているとしたのに対し、デカルトはその差異は見せかけのものだとして、全てを物の運動で説明しようとした<ref name="rikai_chap2_23" />。デカルトの考え方は[[機械論]]と呼ばれる。
 
 
 
[[18世紀]]になると、それを批判する動きが出た。18世紀[[フランス]]の哲学者[[エティエンヌ・ボノ・ドゥ・コンディヤック|コンディアック]]が[[1749年]]に『体系論』を出版したが、そこで彼はデカルト以来の17世紀的な「体系」は、事実に根拠を持たない想像力の産物だとして批判し、学問的な知識というのは、“[[ニュートン力学]]のように”観察にもとづく事実を出発点にして構築しなければいけない、と述べた<ref name="rikai_chap2_23" />。18世紀に博物学が再隆盛した理由としてジャック・ロジェは17世紀の内戦の時代の後に社会が全体的に安定し、人々が「退屈」したことを挙げた。退屈な現実から逃れるため、異国の文物や自然学研究に関心を持ったという<ref name="rikai_chap2_23" />。
 
 
 
18世紀には生命と物質の概念の区分けは現代人と異なっていた。たとえば、18世紀の[[博物学]]における分類体系においては、大抵は、「動物界」「植物界」「鉱物界」が並置されていた。分類学の父とされる[[リンネ]]の『自然の体系』(1735)はその典型で、冒頭で「自然物は鉱物界、植物界、動物界の三界に区分される。鉱物は成長する。植物は成長し、生きる。動物は成長し、生き、感覚を持つ」と定義された<ref name="rikai_64">『ひとは生命をどのように理解してきたか』p.64</ref>。
 
 
 
すべての[[:en:creature|creature]](被造物。神が創造したもの)というのは、[[鉱物]]のような単純なものから植物、動物、そして[[人間]]のような複雑な存在へ、さらには人間よりも高度な[[天使]]へと連続的な序列をなしている、というイメージはヨーロッパでは根強いものがあった<ref name="rikai_chap2_23" />(この連続的な階梯は「{{仮リンク|存在の大いなる連鎖|en|Great chain of being}} the great chain of being 」と呼ばれる)。
 
 
 
リンネと同年生まれの[[ビュフォン|ビュッフォン]]は自著『博物誌』においてリンネの分類体系(花のおしべやめしべの数で分類するもの)を批判しつつ、客観的な分類は不可能だ、と主張した。上述のように全ての被造物は連続的な序列をなしていると考えられていたので、連続的に変化するものに客観的な区分線などないのだから、自然を分類するということは人為的あるいは恣意的だ、とした<ref name="rikai_chap2_23" />。ビュッフォンの『博物誌』もまた四足獣類、鳥類、鉱物の巻があり、それらを等しく対象としていた。
 
 
 
[[ジャン=バティスト・ラマルク|ラマルク]]は[[1809年]]の著書『[[動物哲学]]』において、「動植物と鉱物の間には越えられない断絶がある」と強調した。これは18世紀に台頭したVitalism([[生気論|ヴァイタリズム]])という考え方が背景にある<ref name="rikai_chap2_23" />。ヴァイタリズムというのは「生きているものには、物質とは異なる特殊な生命[[原理]]がはたらいている」とする考え方であり<ref name="rikai_chap2_23" />、「生命原理」「生命特性」や「生命力」といった用語が用いられた<ref name="rikai_chap2_23" />。この「生命原理」は、個体全体にはたらくというよりも、個体を構成する器官や組織が持つ特性で、何らかの[[自然法則]]である、と考えられた<ref name="rikai_chap2_23" />。こうした2点でヴァイタリズムは単なるアニミズムとは異なっていた。アニミズムが「ただの物体としての身体に、超自然的・非物質的な、だが実体的なアニマが宿る」と考えるのに対して、ヴァイタリズムというのは「身体を構成する組織や物質そのものが、何らかの生命原理を持っている。その原理は自然法則であって研究できる」と考える<ref name="rikai_chap2_23" />。17世紀〜18世紀にかけて解剖実験が行われるようになり、切り離された心臓がしばらく鼓動しつづけることや、切り離された筋肉が刺激によって動くことが観察されたことなどから、器官や組織は生きている、とする考え方が生まれた<ref name="rikai_chap2_23" />。
 
 
 
20世紀になると[[全体論|ホーリスム]]的な考え方も提唱され、また[[生気論|ネオヴァイタリズム]]や[[有機体論]]なども登場した<ref name="iwanami"/>。
 
 
 
現在では、生命は自動制御の機械に譬えられることも多いが<ref name="iwanami"/>、同時にそれは有機体論的にも把握されており、[[分子生物学]]な見解も認められており、また、生命を可能ならしめている土台には[[情報]]の伝達<ref name="iwanami"/>や[[エネルギー]]の方向性のある変換がある<ref name="iwanami"/>、とも言われるなど様々な切り口で把握されており、現代の生命論は複雑な様相を呈している。
 
 
 
== 宗教における生命 ==
 
[[Image:Tree of Life, Medieval.jpg|thumb|right|120px|[[カバラ]]に記されている[[生命の樹]]]]
 
多くの宗教においては、[[死後の世界]]もしくは、[[輪廻]]、[[転生]]などがあると考えられている。この場合、人間の主体、存在の本質、あるいは人格そのものを、魂、[[霊魂]]と呼ぶ。生命と霊魂を同一視するかどうかは、諸処の例がある。
 
 
 
[[古代インド]]の[[ヴェーダ]]や[[仏教]]では、人間の命と動物の命は同列的に扱われていた。仏教では、人間が動物に転生する考え([[畜生]]道)なども見られるし、宗教家が動物を食べることはあまりよくないとする例もある。また[[ジャイナ教]]では、虫を踏み潰して無駄な殺生をすることがないよう、僧侶は常にほうきを持ち歩くという習慣も見ることができる。
 
 
 
一方、[[キリスト教]]では、人間と動物の生命はまったく別のものとする傾向が強く、人間という存在は「[[神]]によって[[命]]を吹き込まれたもの」であり特別な存在である。さらに言えば、背信者を「命を失った者」と呼ぶ比喩が存在し、神を信じるようになった者、[[天国]]に至る権利を得た者を「命を得た者」「[[永遠の命]]を得た者」とも呼ぶ場合がある。
 
{{節スタブ}}
 
 
 
== 生物学における生命 ==
 
[[ファイル:Soybeanvarieties.jpg|right|120px|thumb|[[種子]]([[大豆]])]]
 
[[File:Sunflower seedlings.jpg|thumb|left|120px|[[発芽]]した[[ひまわり]]]]
 
[[ファイル:Bifidobacterium adolescentis Gram.jpg|thumb|left|120px|[[ビフィズス菌]]]]
 
生物学では、生物の示す固有の現象を生命現象と呼ぶ。生命とは、その根元にあるものとの思想があり、生気論もその一つ(あくまで一例)である。
 
 
 
生命現象には様々な側面があるが、一般に生物学では、根本的な生命の定義に関わる部分は、その内部での物質交換と外部との物質のやりとり([[代謝]])、および同じ型の[[個体]]の再生産([[遺伝]]と[[生殖]])にあると考えられている。また、そのような性質を持つ最小の単位が[[細胞]]であるので、細胞を生命の最小の単位と見なし、それから構成されるものに生命を認める、というのが一般的である<ref name="Oshima46" />。なお、植物の[[種子]]などのように、著しく代謝活動が不活発な状態でも代謝活動の再開が見込める場合には生きている、と呼ぶ。
 
 
 
[[ファイル:Nucleocapsids.png|thumb|200px|right|(左)正二十面体様 (中)らせん構造 (右)無人探査機のような形状の[[ファージ]]]]
 
ところが、[[ウイルス]]や[[ウイロイド]]などの存在は判断が難しい。ウイルスを生物とするか無生物とするかについて長らく論争があり、いまだに決着していないと言ってもよい<ref name="fukuoka2">{{Cite book|和書|author=福岡伸一|year=2007|title=生物と無生物のあいだ|publisher=講談社|chapter=第2章|pages=pp.29-46}}</ref>。
 
 
 
ウイルスは増殖はするが代謝を行っていない<ref name="fukuoka2" />。増殖(再生産)について言えば、宿主となる生物が持つ有機物質合成機能のシステムの中にウイルスが入り込むと、宿主のシステムが言わば誤動作を起こしてしまいウイルスを増産してしまう。形状について言えば、ウイルスはDNAやRNAなどの[[核酸]]とそれを包む殻から成っている。概して幾何学的な形状を持っており、あるものは正二十面体のような多角立方体、あるものは無人火星探査機のようなメカニカルな形状をしており、同一種はまったく同形で、生物全般に見られる個体の多様性が見られない<ref name="fukuoka2" />。代謝について言えば、ウイルスは[[栄養]]を摂取することがなく、[[呼吸]]もしないし、[[老廃物]]の排泄もしておらず、つまり生命の特徴である[[代謝]]を一切行っていない<ref name="fukuoka2" />。また1935年にはすでに[[タバコモザイクウイルス]]の結晶化が成功している。結晶というのは、同じ構造を持つ単位が規則正しく充填される<ref name="fukuoka2" />。この点でもウイルスは生物というよりは物質と言える側面があることがわかった<ref name="fukuoka2" />。これらの相違点があるので普通はウイルスを生物とは認めない。
 
また、ウイロイドというのは、寄生性RNAのことで、ウイルス同様に宿主内のシステムが異常なものであることを判別できずに増産してしまう等々の特徴はウイルス同様であり一般に生物とは認めない。
 
ただし、これらも自己複製という点だけに着眼すれば単なる物質から一線を画しており、「ウイルスは生物と無生物の間をたゆたう何者かである<ref name="fukuoka2" />」とも福岡伸一は表現した。
 
 
 
近年の生命の定義の試みは多数あり主要なものを挙げただけでも相当な数になるが、参考までにその一例を紹介すると、例えば[[福岡伸一]]は、[[ルドルフ・シェーンハイマー]]([[:en:Rudolf Schoenheimer]])の発見した「生命の動的状態(dynamic state)」という概念を拡張し、'''[[動的平衡]]'''(dynamic equilibrium)という概念を提示し、「生命とは[[動的平衡]]にある[[流れ]]である」とした<ref name="fukuoka9-15">{{Cite book|和書|author=福岡伸一|year=2007|title=生物と無生物のあいだ|publisher=講談社|chapter=第9-第15章|pages=pp.152-272}}</ref>。
 
生物は'''動的に'''平衡状態を作り出している<ref name="fukuoka9-15" />。生物というのは平衡が崩れると、その事態に対して[[リアクション]]([[反応]])を起こす<ref name="fukuoka9-15" />。そして福岡は、(研究者が意図的に遺伝子を欠損させた)[[ノックアウトマウス]]の実験結果なども踏まえて、従来の生命の定義の設問は[[時間]]を見落としている、とし<ref name="fukuoka9-15" />、生命を機械に譬えるのは無理があるとする<ref name="fukuoka9-15" />。機械には時間が無く原理的にはどの部分から作ることもでき部品を抜き取ったり交換することもでき生物に見られる一回性というものが欠如しているが、生物には不可逆的な時間の流れがあり、その流れに沿って折りたたまれ、二度と解くことのできないものとして存在している、とした<ref name="fukuoka9-15" />。
 
 
 
{{seealso|生物}}
 
 
 
<gallery style="font-size:0.8em;">
 
File:Megaptera novaeangliae -Bar Harbor, Maine, USA-8d.jpg|ジャンプする[[鯨]]
 
File:Formation flight.jpg|[[鳥]]の[[群れ]]
 
File:Blue Linckia Starfish.JPG|[[グレート・バリア・リーフ]]の[[さんご礁]]、[[アオヒトデ]]、[[魚]]
 
File:Biogradska suma.jpg|[[モンテネグロ]]の[[森林]]
 
</gallery>
 
 
 
== 生物物理学における生命 ==
 
物理学者の[[エルヴィン・シュレーディンガー|シュレーディンガー]]は、著書『生命とは何か?』の中で生命を、ネゲントロピー(負のエントロピー)を取り入れ体内のエントロピーの増大を相殺することで定常状態を保持している開放定常系とした<ref>{{Cite book|和書|others=[[岡小天]]・[[鎮目恭夫]]共訳|year=1951|title=生命とは何か 物理学者のみた生細胞|series=岩波新書 第72|publisher=岩波書店}}</ref>。
 
{{節スタブ}}
 
 
 
== 生命の起源 ==
 
{{Main|生命の起源}}
 
{{Seealso|創造論|創造科学}}
 
 
 
地球上の生命は、およそ37億年前には存在していたという証拠がある<ref>"[http://www.ucmp.berkeley.edu/exhibits/historyoflife.php History of life through time]". University of California Museum of Paleontology.</ref><ref>新しい生物学 p.269</ref>。また、細胞を基本の構成単位としていること、核酸・タンパク質・脂質などからなることなどから、地球上の生命は全て単一の祖先から[[進化]]したか、他の生命は発生しなかった、ないしは発生してもすぐに絶滅したと考えられている。
 
 
 
また、地球生命の起源を地球外部に求める説も存在する。20世紀初頭にスウェーデンのアレニウスによる提唱に始まる[[パンスペルミア]](胚種普遍説)は、細胞や生命の種が宇宙から飛来する場合に長期間受けるであろう有害な宇宙線を例にした否定論も多く、賛否入り混じったさまざまな議論が行われた<ref name="Oshima14" />。その一方で、生命の材料足りえる[[有機化合物]]が宇宙空間に存在する証拠は数多く積み上がっている。隕石中からは、古くは1806年のアライス隕石から発見されている。本格的な研究は20世紀中ごろから始まり、アミノ酸・核酸塩基・炭化水素・ポリフィリンなどの発見が相次いだ<ref name="Oshima160">[[#大島(1994)|大島(1994)、p.160-171、第5章 地球外生命の可能性、(1)隕石‐太陽系の古文書]]</ref>。1986年3月に[[ハレー彗星]]が地球に近づいた際、[[日本]]・[[ヨーロッパ]]・[[ソ連]]は計5基の観測器を送り込み、様々な分析を行った。その結果、アミノ酸合成の中間物にあたる[[シアン化水素]]や[[ホルムアルデヒド]]、酸化炭素・炭化水素・アンモニア・硫化水素や硫化炭素・ヒドラジンなどが発見された。彗星は、太陽系形成初期の物質を維持していると考えられ、これが海を形成した後の地球に降ったならば、彗星から生命の材料たる有機化合物が供給された可能性がある。また、地球以外の天体にも同様に材料を分け与え、条件がそろえば生命が発生したことを否定できない<ref name="Oshima160"/>。[[電波天文学]]の発展が明らかにした星間物質の組成には、多様な有機化合物が発見されている。このような結果から、生命の素材を地球内部の化学合成だけに限定する必然性は段々と薄れつつある<ref name="Oshima160" />。
 
 
 
== 典型的な生命現象 ==
 
=== 自己複製 ===
 
{{Main|生殖}}
 
生命の特徴のひとつに、自己と同じ子孫を複製し増殖する能力を持つことがある。これは核酸で構成される遺伝子を用いて行われる。地球生命の場合、4種類の塩基をD-リボース(またはD-デオキシリボース)という[[糖]]と結びついた化合物ヌクレオシドが、リン酸と結合してヌクレオチドとなり、これが鎖状につながって構成される。この各塩基には「塩基対」という水素結合で結びつきやすい組み合わせがあり、核酸は必ずこの塩基対に応じたもう1本の核酸と対をつくる。これが[[DNA]]である。対になったDNAを引き離すと、それぞれの核酸は周囲から塩基を集め、対の相手を作り、その結果同じDNAが2組出来上がる。これが生命の自己複製の基礎である<ref name="Oshima60">[[#大島(1994)|大島(1994)、p.60-66、第2章 宇宙のなかの生命、(3)特徴の2自己を複製する]]</ref>。
 
 
 
地球生命では、DNAの連なる塩基3つを1組とする意味を持ち、細胞を構成するたんぱく質のアミノ酸がどのように並ぶかを、DNAから複製したm-RNAで規定し、親と同じ構造を作り出す。生命が自己複製を行うにおいて、地球外の生命でも基本的に塩基対構造と似た働きを持つ物質を介すると考えられるが、地球環境内では塩基以外に相応する物質はほとんど無い。ただし、地球外生物では使用する塩基の数が4種以外であったり、生体の基本物質を規定する塩基数は3つ1組以外の組み合わせを利用する可能性も想定できる<ref name="Oshima60" />。
 
 
 
=== エネルギー代謝 ===
 
{{Main|代謝}}
 
生命は、成長や増殖に必要な[[エネルギー]]源を外部から[[栄養]]の形で得る。栄養はそのまま用いることができないため、複雑な[[化学反応]]をへてエネルギーに変換するが、これを代謝という。
 
 
 
=== 死 ===
 
{{Main|死}}
 
生物の細胞や臓器における生命活動が不可逆的に失なわれることを'''死'''と呼ぶ<ref>{{cite web|title=Definition of death.|url=http://encarta.msn.com/dictionary_1861602899/death.html|work=
 
|archiveurl=http://www.webcitation.org/5kwsdvU8f|archivedate=2009-10-31|deadurl=yes|accessdate=2010-04-30}}</ref><ref>[http://www.deathreference.com/Da-Em/Definitions-of-Death.html Defining of death.]</ref>。生命を定義することが難しいのと同様に、死を定義することも困難な問題である。そのため、生きている状態と死んでいる状態をはっきりと区別することはできない。多細胞生物においては、個体の死と細胞の死は別々に考えられるべきで、例えば、[[移植 (医療)|臓器移植]]の場合、臓器提供者が死んだとしても、移植が成功すればその臓器は生きていると考えられる。また生命体は普通、子をなしてその血統を存続させる。これを[[細胞]]レベルで見れば、細胞の分裂と融合に基づく連続性は常に維持されているため、その意味で生命は停止せずに連続していると表現する事も出来る。これを[[生命の連続性]]という。
 
 
 
多くの[[宗教]]では、何らかの形での[[死後の世界]]や[[輪廻]]、[[転生]]などが存在していると考えられている。
 
 
 
=== 進化 ===
 
{{Main|進化}}
 
 
 
== 人工生命 ==
 
{{Main|人工生命}}
 
人間によって作成、またはシミュレーションされた生命体を人工生命と呼ぶ。特に近年の情報処理技術の発達にともなって、生命現象のシミュレーションをコンピュータ内("in silico")で行なうことも可能になった。文字通り「生命」を持つ人工生命を強い人工生命(strong Artificial Life, または Strong Alife)と呼び、限定された人工環境下で生命現象の一部だけをシミュレーションしたものを弱い人工生命(weak Alife)と呼ぶ<ref>Thro, E.: Artificial Life Explorer's Kit, SAMS Publishing.,1993.</ref>。強いAlifeが本当に実現可能であるのか、化学的プロセスと切り離されたコンピュータ上の計算が生命を持つと呼べるのかについては、さまざまな議論がある。
 
 
 
コンピュータシミュレーションではない現実の生命については、2003年にゲノム解析の塩基配列情報からウイルスを合成することができたという報告がある<ref>[http://j.peopledaily.com.cn/2003/11/14/jp20031114_34084.html 2週間でウイルス合成 米、「人工微生物」実現に展望]</ref><ref>[http://www.nature.com/news/1998/031110/full/news031110-17.html Virus built from scratch in two weeks - Nature News]</ref>。
 
その後2010年、アメリカのクレイグ・ベンター博士のチームはmycoplasmaのゲノムを表すほぼ完全なDNAを合成し、本来のDNAを除去された近縁種の細菌の細胞に、合成したDNAを移植する手法で、自立的に増殖する人工細菌を作成することに成功した。
 
 
 
== 地球外生命体 ==
 
{{Main|地球外生命}}
 
21世紀初頭現在において、人類の知識の範囲内では、全ての生命体は地球上にしか存在しない。しかし、地球外生命の存在可能性は、古くから[[竹取物語#あらすじ|かぐや姫]]やウェルズの[[宇宙戦争 (H・G・ウェルズ)|宇宙戦争]]のような、おとぎ話やSFのインスピレーション元となってきた。また、近年の観測技術の発達に伴い、地球外生命体の存在可能性は真面目な科学的考察の対象となっている。例えば[[カール・セーガン]]は、著書『コスモス』で、地球外生命体の存在可能性を数式を用いて提示した。
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* 山口裕之『ひとは生命をどのように理解してきたか』講談社、2011年
 
* {{Cite book|和書|author = [[野田春彦]]・[[丸山工作]]・[[日高敏隆]]|coauthors = |others = |title = 新しい生物学 - 生命のナゾはどこまで解けたか|edition = 第3版|year = 1999|publisher = [[講談社]]|series = [[ブルーバックス]]|isbn = 978-4-06-257241-5|pages = }}
 
* {{Cite book|和書|author = [[大島泰郎]]|others = |title = 宇宙生物学とET探査|origyear = |edition =第1刷 |year = 1994|publisher = [[朝日新聞社]] |isbn = 4-02-260798-X|page = |ref = 大島(1994)}}
 
 
 
== 関連項目 ==
 
{{wikiquote|生命}}
 
{{Commonscat|Life}}
 
* [[生命科学]] - [[分類学]]
 
* [[進化]] - [[系統樹]]
 
* [[遺伝子]] - [[人工生命]] - [[自己複製子]]
 
* [[オートポイエーシス]] - [[散逸構造]] - [[創発]] - [[階層構造]]
 
* [[ガイア理論]]
 
* [[生命倫理学]]
 
* [[アニミズム]] - [[トーテミズム]]
 
* [[ライフサイクル]]
 
 
 
== 外部リンク ==
 
{{SEP|life|Life}}
 
  
 +
[[原核生物]]である[[細菌類]]や[[藍藻類]]は地球上でもっとも古い生命形態と考えられている。南アフリカ共和国北東部トランスバール地方のフィグツリー層から発見されたこれらの化石は,年代測定により 35億年前のものとされた。地球自体の年齢は約 46億年と考えられているので,この化石は,生物が地球の誕生から数億年以内に出現したことを示している。神による無生物からの生命の創造という宗教的なものから,一連の化学反応によって生命が初期の地球上に誕生したという科学的な理論まで,生命の起源に関する仮説は数多くある。近年の実験結果からの仮説によれば,初期地球上で豊富だったメタン,アンモニア,水蒸気といった無機化合物が,大気中の放電と紫外線放射をエネルギー源としてアミノ酸などの単純な有機分子へと形づくられていったとされる。こうして生じた単純なアミノ酸がどのようにして複雑に組織化された自己複製システムしての生命となったのかという問題は,まだ完全には解明されていない。
 +
 
{{自然}}
 
{{自然}}
 
+
{{テンプレート:20180815sk}}
 
{{DEFAULTSORT:せいめい}}
 
{{DEFAULTSORT:せいめい}}
 
[[Category:生命|*]]
 
[[Category:生命|*]]

2018/10/1/ (月) 23:17時点における最新版

生命(せいめい、: life: vita ウィータ)

生物が示す基本的な特質と考えられているもの。自己を維持するための代謝,自己増殖としての成長,同型のものを再生産する複製,外界への反応性と適応性などの特質をあわせもつ物質複合体あるいは個体の状態をいう。生命をさらに特徴づけるものは,有機分子を変換し原形質,細胞,器官などから生体全体というように連続的に大きな単位へと組織化してゆく点である。生物は代謝により外界から物質を取り込み,生体の構成物質を絶えず更新している。これは主として原形質の合成と破壊の過程である。成長は生体の大きさが増大するが,これは通常,原形質の破壊速度よりも合成速度の方が高いために起こる。複製は最も顕著な特質であり,いちばん基本のレベルでは一つの細胞が二つの細胞へと分裂する。この過程で核酸で構成される遺伝子によって遺伝情報が伝達される。遺伝子自体の複製により,生体の多様な特徴の指令が次世代へ伝えられる。反応性と適応性は,環境の変化に応じて生物が自己を変える能力があることを意味する。この二つの特質は自然選択過程の基本的な決定因子である。自然選択を通じて生物の遺伝的特徴は長い時間と多くの世代を経て進化する。

生命の本質に関する考察は,歴史的に生気論機械論的概念との間で分かれてきた。生気論では,生物を非生物から区別し生命の根底にある本質を形成するなんらかの「生命力」の存在を認める。機械論では,生命が特質としてもつあらゆる現象は基本的な化学と物理学の法則に従う処理過程と変換現象で説明できるとし,究極的に生物は原子と分子で構成されたものであってそれ以上のものではないと主張する。

原核生物である細菌類藍藻類は地球上でもっとも古い生命形態と考えられている。南アフリカ共和国北東部トランスバール地方のフィグツリー層から発見されたこれらの化石は,年代測定により 35億年前のものとされた。地球自体の年齢は約 46億年と考えられているので,この化石は,生物が地球の誕生から数億年以内に出現したことを示している。神による無生物からの生命の創造という宗教的なものから,一連の化学反応によって生命が初期の地球上に誕生したという科学的な理論まで,生命の起源に関する仮説は数多くある。近年の実験結果からの仮説によれば,初期地球上で豊富だったメタン,アンモニア,水蒸気といった無機化合物が,大気中の放電と紫外線放射をエネルギー源としてアミノ酸などの単純な有機分子へと形づくられていったとされる。こうして生じた単純なアミノ酸がどのようにして複雑に組織化された自己複製システムしての生命となったのかという問題は,まだ完全には解明されていない。




楽天市場検索: