王位請求者

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王位請求者(おういせいきゅうしゃ)は、王位を請求する者のこと。広義には皇帝位など「王位」以外の君主位を請求する者を含む。この地位にある者は、一般的に王党派によって支持される[1]

英語で「プリテンダー(pretender)」と呼ばれることも多いが、この用語には「(不当な)要求者」という否定的な意味があり、中立的でない。これに相当する語句に、王位僭称者(おういせんしょうしゃ)、王位覬覦者(おういきゆしゃ)[2]などがある。

概要

王位請求者が現れる理由としては、主として次のようなケースが考えられる。

  • それまでの王統・皇統の断絶に際して、旧王朝と血縁関係や姻戚関係にある者が請求するケース(例:ハプスブルク家の男系が断絶した際に、妻がハプスブルク家出身であることを理由として神聖ローマ帝位やボヘミア王位を要求したカール・アルブレヒト・フォン・バイエルン
  • 簒奪やクーデター・宮廷革命などで廃位された君主本人やその子孫、縁戚関係の者が請求するケース(例:王位を逐われて国外追放となってからもイングランド王を称し続けたジェームズ2世とその子孫)
  • 継承順位を下げられたり、継承権を奪われたりした元相続人が、不当だとして請求を開始するケース(例:スペイン王位継承順位1位だったが、王位継承法の変更により相続人の地位を失った王弟カルロス
  • 継承権を持ちながらも順位が低い者、あるいは継承権を持たない縁戚関係にある者が、何らかの理由で請求を開始するケース
  • 革命や他国の併合などで君主制そのものが廃止された国家もしくは地域において、君主制の復活や独立などとともに自身の君主位を請求するケース

実際に君主制の復活を求める者に限らず、世が世なら君主の座に就くことができたであろう者全てが対象者となる。日本を例にとるならば、現在の沖縄県に当たる琉球王国の王家であった尚氏の当主は、たとえ王位の復活を求めていなかったとしても、その立場上は王位請求者と見なされうる。日本の徳川将軍家ネパールラナ宰相家のような、かつて実質的に君主として扱われていた一族の子孫も、しばしば王位請求者のような存在とみなされる。

現在、王位請求者とされる人物には、一般人として生活している者も多いが、中には君主の地位や君主制の復活を求めて亡命政府や政治団体などを組織して活動している者もいる。また(当人の意思にかかわらず)王位請求者を戴いて自らの理想とする形で君主制を復活させようとする王党派組織も、各国に存在する。(シュヴァルツ=ゲルベ・アリアンツ保守王党派クラブチェコ・コルナčeština版など)

現在の王位請求者の一覧

アジア

国名 名前 肖像あるいは紋章 説明
25x20px アフガニスタン王国 アフマド・シャー・ハーンEnglish版 150px 最後のアフガニスタン国王ザーヒル・シャーの息子。
25x20px イエメン・ムタワッキリテ王国 アギッル・ビンモハメッド・アルバドルEnglish版 150px 最後のイエメン国王ムハンマド・アル=バドルの息子。イエメン王国亡命政府が現存する。
テンプレート:IRQ1924 ラアド・イブン・ザイドEnglish版 150px 初代国王ファイサル1世の弟ザイド・イブン・フサインEnglish版の長男に当たる。息子に国連人権高等弁務官ザイド・フセインEnglish版がいる。
テンプレート:IRQ1924 シャリーフ・アリー・イブン・アル=フセインEnglish版 150px 最後の国王ファイサル2世の従弟に当たる。フセイン政権の崩壊後、王制滅亡以来初めてイラクの地を踏んだが、アメリカを含めどこの国からも充分な支援を得られず、またイラク国内に政治基盤もなくイラク国民からの支持がほとんどないため、イラクを離れ、現在はイギリスで生活している。2005年にイラクで行われた暫定国民議会選挙では、自らが党首を務めるイラク立憲君主党English版も参加したが、議席は獲得できなかった。
テンプレート:IRN1933
(パフラヴィー朝イラン)
クロシュ・レザー・パフラヴィーEnglish版 150px 最後の皇帝モハンマド・レザー・パフラヴィーの長男で、元皇太子。イランにおける人権問題等を批判し、イランの世俗化と民主化を主張して政治活動を行っている。
25x20px 崇高なる国ペルシア
(ガージャール朝イラン)
モハンマド・ハサン・ミールザー2世English版 150px 第6代君主モハンマド・アリー・シャーの子孫。亡命政府がアメリカ合衆国を拠点に存在する。
Flag of the Ottoman Empire.svg オスマン帝国 デュンダル・アリ・オスマン 150px オスマン家第45代当主。
25x20px カルトリ・カヘティ王国English版 ダヴィッド・バグラチオン・ムフラニ 150px ムフラニ系統バグラティオニ家English版(第2王統)の当主。過去にジョージア王家は2つに分かれており、ダヴィッドの祖父イラクリ・バグラチオン・ムフラニEnglish版は第二次世界大戦後、ソ連に留まったまま冷戦の激化によって行方が分からなくなっていた第1王統が途絶したと判断し、第2王統の自分がジョージア王室の長であることを宣言した。
25x20px カルトリ・カヘティ王国English版 ヌグザル・バグラチオン・グルジンスキEnglish版 150px ソ連崩壊後に存続していたことが判明したグルジンスキ系統バグラティオニ家English版(第1王統)の当主。娘のアンナ・バグラチオン・グルジンスキEnglish版を第2王統のダヴィッドと結婚させたが、夫妻は2013年に離婚している。
25x20px サラワク王国 ジェイソン・デズモンド・アンソニー・ブルックEnglish版 150px サラワク王家(ブルック王朝)の子孫。第2代国王チャールズ・ブルックの玄孫。
清の旗 金毓嶂中文版 150px 愛新覚羅溥任愛新覚羅溥儀の弟)の長男。血統的には愛新覚羅氏の嫡流であり当主といえるが、姓は愛新覚羅ではなくである。
25x20px スールー王国 w:Muedzul Lail Tan Kiramほか 150px スールー王国の滅亡後、王家の複数の家系がスルタン位を主張しはじめ、現在、スルタン一族の間で継承順位を巡る論争が起きている。2013年、ジャマルル・キラム3世ラハダトゥ対立を起こした。
25x20px 大韓帝国 李源 150px 全州李氏宗家の第30代当主で、正式な皇位請求者である。高宗の曾孫にあたる。2005年、直系の李玖の死後、その養子として李王家の後継者(皇嗣孫)となる。
25x20px 大韓帝国 李海瑗 150px 李源の叔母で、現当主の座を主張している。高宗の第5皇子である義親王李堈側室の間に次女として生まれた。李玖の死を受けて2006年に皇位継承式を開催し、以後「大韓帝国女皇」を称している。
テンプレート:TIB ダライ・ラマ14世 150px 宗教的権威者の立場と、政治的権威者の立場とを兼ね備えたチベットの僧侶君主だったが、1959年にインドへ亡命して政治難民となった。
16x20px チャンパーサック王国 Keo na Champassak ブン・ウムの長男で、最後のチャンパーサック王ブア・ルパアン・ラーチャナダイの孫。
16x20px ネパール王国 ギャネンドラ・ビール・ビクラム・シャハ 150px 2008年に制憲議会によって廃された最後のネパール国王。
25x20px ビルマ王国 タウ・パヤーEnglish版 150px 最後の国王ティーボーの孫。
25x20px ベトナム帝国 バオ・アン中文版 150px 阮朝最後の皇帝であったバオ・ダイ(保大帝)の皇子で、阮氏の現当主。
テンプレート:LAO1949 スリウォンサワーン 150px 最後のラオス国王サワーンワッタナーの嫡孫で、ラオスの王位継承者。現在はフランスで亡命生活を送る。叔父でもある摂政のスリャウォンサワーン王子と共に、ラオス王室の代表を務める。ラオスにおける立憲君主制を復活させるために、ラオス王国亡命政府English版と協力しながら政治活動を展開している。
琉球国 尚衞 150px 第二尚氏の第23代当主。最後の琉球国王として知られる尚泰王の玄孫。

インド諸邦

国名 名前 肖像あるいは紋章 説明
25x20px ヴァドーダラー王国English版 Maharaja Samarjitsinhrao Gaekwad 150px ヴァドーダラー王家当主。
25x20px カッチ王国English版 w:Pragmulji III 150px カッチ王家当主。
テンプレート:SIK1914 ワンチュク・ナムゲル 150px 最後のシッキム国王パルデン・トンドゥプ・ナムゲルの第2王子。祖国シッキムがインドに併合された後、アメリカ合衆国に亡命政府を構え、第13代シッキム国王を称している。
25x20px ジャンムー・カシュミール藩王国 カラン・シング 150px ジャンムー・カシュミール藩王家当主。最後の藩王ハリ・シングの息子。
25x20px ドゥーンガルプル王国English版 Mahipal Singh II, Maharawal of Dungarpur (born 1931) ドゥーンガルプル王家当主。
25x20px トラヴァンコール王国 ムラム・ティルナル・ラーマ・ヴェルマEnglish版 150px トラヴァンコール王家当主。
25x20px ニザーム王国 ムカラム・ジャーEnglish版 150px ニザーム王家当主。王太子アーザム・ジャーの息子。
25x20px バラトプル王国 ヴィシュヴェンドラ・シングEnglish版 150px バラトプル王家当主。
25x20px マイソール王国 w:Yaduveer Krishnadatta Chamaraja Wadiyar 150px マイソール王家当主。
25x20px マールワール王国 ガジ・シングEnglish版 150px マールワール王家当主。
25x20px ムガル帝国 ミールザー・グラーム・モイーヌッディーン・ムハンマド・ジェイブド・ジャー・バハードゥルEnglish版 150px 1931年にインド政府によってムガル朝(ティムール朝)の当主として認められたMuhammad Khair ud-din Mirza, Khurshid Jah Bahadurの息子。
25x20px メーワール王国 マヘンドラ・シング・メーワールEnglish版 150px メーワール王家当主。
25x20px ラームプル藩王国English版 Sayyid Muhammad Kazim Ali Khan, Nawab of Rampur 150px ラームプル藩王家当主。
25x20px ラジピプラ王国English版 Raghubirsinhji, Maharaja of Rajpipla 150px ラジピプラ王家当主。息子は「インドで最も有名なゲイ」とされるマンベンドラ・シン・ゴーヒルEnglish版

アフリカ

国名 名前 肖像あるいは紋章 説明
テンプレート:EGY1922 フアード2世 150px ムハンマド・アリー朝の最後のエジプト国王。1歳にも満たないうちに即位し、戴冠しないうちにその翌年のクーデターで王政が廃止されたため、実質的な統治は行わなかった。
テンプレート:ETH1897 ゼラ・ヤコブ・アムハ・セラシエEnglish版 150px 最後のエチオピア皇帝であるハイレ・セラシエ1世の孫。エチオピア皇帝を称していたアムハ・セラシエEnglish版の息子。1997年の父の死後、エチオピア帝室の家長であると エチオピア帝国亡命政府「エチオピア帝冠評議会English版」に認識されている。
テンプレート:ETH1897 ギルマ・ヨハニス・イヤスEnglish版 150px 戴冠式を行わないまま退位させられたイヤス5世の曾孫として、ゼラ・ヤコブと対立する王位請求者となっている。
25x20px ザンジバル王国 ジャムシッド・ビン・アブドゥッラーEnglish版 1964年に発生したザンジバル革命によって廃されたスルターンオマーンブーサイード朝の分家にあたる。
25x20px 中央アフリカ帝国 ジャン=ベデル・ボカサ2世English版 150px 中央アフリカ皇帝ボカサ1世の息子で、元皇太子。
25px チュニジア王国 Muhammad Al Husain 150px Muhammad VI al-Habibの孫。
25x20px ブルンジ王国 ローザ・ポーラ・イリバギザEnglish版 150px 最後のブルンジ国王ンタレ5世の妹。
25x20px リビア王国 ムハンマド・エル=サヌーシーEnglish版 150px サヌーシー朝リビア王イドリース1世の甥の息子。
25x20px ルワンダ王国 ユヒ6世 150px 最後のルワンダ国王キゲリ5世の甥。

ヨーロッパ

国名 名前 肖像あるいは紋章 説明
25px アイルランド王国 フランシス・ボナヴェンチャー・オブ・バヴァリア 150px ヴィッテルスバッハ家の家長。ジャコバイトから「フランシス2世(Francis II)」と見なされているが、本人はアイルランド王位を請求していない。
25px アイルランド王国 ピーター・オブ・バーボン=トゥー・シシリーズEnglish版 別系統のジャコバイト王位請求者。カラブリア系ブルボン=シチリア家の家長で、両シチリア王国とナバラ王国の王位請求者でもある。
25x20px アルバニア王国 レカ・ゾグ 150px アルバニア国王ゾグ1世の孫で、アルバニア王家の家長。王制支持者からは「レカ2世(Leka II)」と呼ばれている。
イングランド王国の旗 イングランド王国 フランシス・ボナヴェンチャー・オブ・バヴァリア 150px ヴィッテルスバッハ家の家長。ジャコバイトから「フランシス2世(Francis II)」と見なされているが、本人はイングランド王位を請求していない。
イングランド王国の旗 イングランド王国 ピーター・オブ・バーボン=トゥー・シシリーズEnglish版 別系統のジャコバイト王位請求者。カラブリア系ブルボン=シチリア家の家長で、両シチリア王国とナバラ王国の王位請求者でもある。
オーストリア帝国の旗 オーストリア帝国 カール・フォン・ハプスブルク=ロートリンゲン 150px 最後のオーストリア皇帝カール1世の孫で、ハプスブルク=ロートリンゲン家の家長。
テンプレート:GRC1828 コンスタンティノス2世 150px 最後のギリシャ国王。1974年の国民投票で廃位された。
25x20px クロアチア=スラヴォニア王国Deutsch版 カルロ・ハプスブルシコ=ロレンスキ 150px 最後の国王カルロ4世の孫で、ハプスブルク=ロートリンゲン家の家長。
Flag of Independent State of Croatia.svg クロアチア独立国 アメデーオ・ディ・サヴォイア=アオスタ 150px クロアチア国王トミスラヴ2世の息子。「ズヴォニミル2世(Zvonimir II)」を名乗っている。
スコットランド王国の旗 スコットランド王国 フランシス・ボナヴェンチャー・オブ・バヴァリア 150px ヴィッテルスバッハ家の家長。ジャコバイトから「フランシス2世(Francis II)」と見なされているが、本人はスコットランド王位を請求していない。
スコットランド王国の旗 スコットランド王国 ピーター・オブ・バーボン=トゥー・シシリーズEnglish版 別系統のジャコバイト王位請求者。カラブリア系ブルボン=シチリア家の家長で、両シチリア王国とナバラ王国の王位請求者でもある。
スペインの旗 スペイン王国 カルロス・ハビエル・デ・ボルボン=パルマ 150px ブルボン=パルマ家の家長で、スペインのカルリスタ王位請求者として「カルロス・ハビエル1世(Carlos Javier I)」と呼ばれる[3][4]
スペインの旗 スペイン王国 ドミニコ・デ・アウストリア=トスカーナEnglish版 アブスブルゴ=トスカーナ家の一族。カルロクタビスタEnglish版派のカルリスタ王位請求者だが、有力な支持者はいない。ルーマニアのブラン城の所有者。
25x20px セルビア王国 アレクサンダル2世カラジョルジェヴィチ 150px ユーゴスラビア王国最後の国王であるペータル2世の息子で、元王太子。「セルビア王太子アレクサンダル2世」を称する。
Bandera Navarra.svg ナバラ王国 ペドロ・デ・ボルボン=ドス・シシリアスEnglish版 150px スペインの王族で、カラブリア系のブルボン=シチリア家の家長。両シチリア王国の王位請求者でもある。カラブリア公およびカゼルタ伯を名乗る。公称「ペドロ2世」。祖母のアリシア・デ・ボルボン=パルマが伝統的な親族間の男系優先の長子相続に基づくナバラ王位の請求者であることが、カラブリア系ブルボン=シチリア家の公式ホームページ[5]において言及されていた。
Bandera Navarra.svg ナバラ王国 ルイス・アルフォンソ・デ・ボルボン 150px ブラン・デスパーニュEnglish版と呼ばれる現在のフランスおよびナバラ王位請求者。ルイ13世以降のナバラ王位のフランス王位への統合にともなう、サリカ法による相続に基づく。公称「ルイス9世」。
テンプレート:HUN1867 ハプスブルグ=ロタリンギアイ・カーロイ 150px 最後のハンガリー国王カーロイ4世の孫で、ハプスブルグ=ロタリンギア家の家長。
テンプレート:FIN1917 フィリップ・フォン・ヘッセンsvenska版 150px ヘッセン家の当主ハインリヒ・ドナトゥス・フォン・ヘッセンの弟。フィンランド国王カールレ1世の子孫で、叔父ハインリヒEnglish版からフィンランド王国の王位請求権を相続した。
テンプレート:BGR1908 シメオン2世 150px ブルガリア最後の国王。第二次世界大戦中の1943年、6歳で即位したが、終戦後の1946年、国民投票により王政は廃止され、母后とともに亡命した。のちに「シメオン・サクスコブルクゴツキ」としてブルガリアの首相に就任した。
Flag of Bohemia.svg ボヘミア王国 カレル・ハプスブルスコ=ロートリンスキー 150px 最後のボヘミア王カレル3世の孫。ハプスブルスコ=ロートリンスカ家の家長。
テンプレート:PRT1830 ドゥアルテ・ピオ・デ・ブラガンサ 150px ブラガンサ家の家長。ポルトガル内戦で廃されたミゲル1世の曾孫で、最後の国王マヌエル2世から後継指名されたドゥアルテ・ヌノの長男。「ブラガンサ公」を名乗る。大部分の王党派は彼を正当な王位請求者として認めている。
テンプレート:PRT1830 D. Pedro Folque de Mendoça Rolim de Moura Barreto, 6º duque de Loulé 150px ポルトガルの貴族ローレ公爵家português版の当主。 ミゲル1世の妹アナ・デ・ジェズス・マリア・デ・ブラガンサの子孫。この系統の支持者は、ミゲル1世はポルトガル王位に関する全ての権利を放棄したため、その子孫であるドゥアルテ・ヌノの系統には王位請求者たる資格がないとみなす。最後の国王マヌエル2世がドゥアルテ・ヌノを後継に定めているため、この主張はあまり支持を得られておらず、また公爵本人は王位を請求していない。
25x20px モンテネグロ王国 ニコラ・ペトロヴィチ=ニェゴシュ 150px モンテネグロ王ニコラ1世の嫡曾孫で、モンテネグロ王家の家長。「モンテネグロ王太子」を称しており、王党派からは「ニコラ2世(Никола II)」と呼ばれている。王家礼遇法により、大統領と同額の手当が支給されている。
リトアニアの旗 リトアニア王国 Inigo von Urach 1918年にリトアニア王国の王に選出されたミンダウガス2世の孫。リトアニア語を話せることなどの条件から、兄のウラッハ公ヴィルヘルム・アルベルト・フォン・ヴュルテンベルクに優先して王党派組織「リトアニア王室協会」に選ばれ、受諾しリトアニア王位請求者となった[6]
ルーマニア王国の旗 ルーマニア王国 マルガレータ・ア・ロムニエイ 150px 最後のルーマニア国王ミハイ1世の長女。ルーマニア王室română版の家長として「ルーマニア王冠の守護者」の称号と「陛下」の敬称を用いる。
ルーマニア王国の旗 ルーマニア王国 パウル・ランブリノromână版 150px ルーマニア国王カロル2世の庶流の孫。叔父ミハイ1世の系統をルーマニア王家の正統として認めず、自身がルーマニア王室の家長であると主張する。
ルーマニア王国の旗 ルーマニア王国 カール・フリードリヒ・フォン・ホーエンツォレルン=ジグマリンゲンEnglish版 150px ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯爵家の当主。ルーマニア王家の本家筋にあたり、女子であるマルガレータ・ア・ロムニエイによる継承を認めない一部王党派から支持される。ただし本人はルーマニア王位には興味がないと答えている。
ロシア帝国の旗 ロシア帝国 マリヤ・ウラジーミロヴナ・ロマノヴァ 150px ロマノフ家ホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家)の家長を称する。ロシア帝室家憲の男系男子継承の原則ならびに貴賤結婚の解釈の違いから、一族の中にはマリヤが当主を務めることに対する異論もあり、ロマノフ家の分家に属するニコライ・ロマノヴィチ・ロマノフEnglish版と競合状態にある。
ロシア帝国の旗 ロシア帝国 アンドレイ・ロマノフEnglish版 150px アンドレイ・アレクサンドロヴィチの息子。ニコライ・ロマノヴィチ・ロマノフEnglish版の死後、その弟ドミトリー・ロマノヴィチ・ロマノフрусский版が家督を継いだが、ドミトリーが没するとロマノフ家協会English版によって当主とされた。
ロシア帝国の旗 ロシア帝国 ニコライ・キリロヴィッチ・ライニンゲン=ロマノフ 150px ライニンゲン公子カール・エミッヒ。第7代ライニンゲン公エミッヒ・カイルEnglish版 の長男。祖母が皇女マリヤ・キリロヴナで、マリヤ大公女の従甥にあたる。2014年4月よりロシア連邦君主制主義者党English版 が「ロシア皇帝ニコライ3世」と公称して推戴している。ロマノフ男系ではないものの、マリヤ大公女及びニコライ・ロマノヴィッチ大公は共に貴賤結婚の子孫のため皇位継承権を有していないというのが理由である。父の死後、第8代ライニンゲン公位は弟のアンドレアスEnglish版 が継いでいる。

イタリア諸邦

国名 名前 肖像あるいは紋章 説明
イタリア王国の旗 イタリア王国
25x20px サルデーニャ王国
ヴィットーリオ・エマヌエーレ・ディ・サヴォイア 150px 最後のイタリア国王ウンベルト2世の長男で、元王太子。サヴォイア家の家長として、王党派からは「ナポリ公」あるいは「イタリア国王ヴィットーリオ・エマヌエーレ4世」と呼ばれているとされる。
イタリア王国の旗 イタリア王国
25x20px サルデーニャ王国
アメデーオ・ディ・サヴォイア=アオスタ 150px サヴォイア家の分枝であるサヴォイア=アオスタ家の当主。貴賤結婚を強行した本家当主のヴィットーリオ・エマヌエーレの継承が先代当主ウンベルト2世の同意を得ていないとして、自ら正統の王位請求者として行動している。
25x20px トスカーナ大公国 シギスモンド・ダスブルゴ=ロレーナ・ディ・トスカーナ 150px アスブルゴ=ロレーナ・ディ・トスカーナ家の家長。
25x20px トスカーナ大公国 ジュリアーノ・デ・メディチ・ディ・オッタイアーノEnglish版 150px メディチ家の分家であるメディチ・ディ・オッタイアーノ家italiano版(オッタイアーノ公爵家)の家長。
25x22px パルマ公国 カルロ・サヴェリオ・ディ・ボルボーネ=パルマ 150px ボルボーネ=パルマ家の家長で、名目上のパルマおよびピアチェンツァ公カルロ5世(Carlo V)」[7][8]
25px モデナ=レッジョ公国 ローレンツォ・ダスブルゴ=エステ 150px アスブルゴ=エステ家の家長。
25px 両シチリア王国 カルロ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエ 150px カストロ系のボルボーネ・デッレ=ドゥエ・シチリエ家の家長。「カストロ公」を名乗る。カラブリア系と長年争っていたが、2014年に和解文書の署名がなされた。
25px 両シチリア王国 ピエトロ・ディ・ボルボーネ=ドゥエ・シチリエEnglish版 150px カラブリア系のボルボーネ・デッレ=ドゥエ・シチリエ家の家長。「カラブリア公」および「カゼルタ伯」を名乗る。カストロ系と長年争っていたが、2014年に和解文書の署名がなされた。
25px 両シチリア王国 ジョアッキーノ・ムラトEnglish版 150px ムラト家italiano版の当主。フランス皇帝ナポレオン1世の妹婿で、両シチリア王「ジョアッキーノ1世」として即位したジョアシャン・ミュラの子孫。

ドイツ諸邦

国名 名前 肖像あるいは紋章 説明
25x20px アンハルト公国 エドゥアルト・フォン・アンハルトDeutsch版 150px 最後のアンハルト公ヨアヒム・エルンストの息子。
Flag of Germany (3-2 aspect ratio).svg.png ヴァルデック=ピルモント侯国 ヴィッテキント・ツー・ヴァルデック=ピルモント 150px ヴァルデック=ピルモント侯爵家の家長。
25x20px ヴュルテンベルク王国 カール・フォン・ヴュルテンベルク 150px ヴュルテンベルク家の家長。
25x20px オルデンブルク大公国 クリスティアン・フォン・オルデンブルクEnglish版 150px オルデンブルク大公家の家長。
ザクセン王国の旗 ザクセン王国 アレクサンダー・フォン・ザクセン=ゲッサフェEnglish版 150px ザクセン=ゲッサフェ家English版の家長。1997年、ザクセン王家の男系が断絶しそうなことを危惧した当時の当主マリア・エマヌエル・フォン・ザクセン(アレクサンダーにとっては母の兄にあたる)によって未来の相続人に指名される。
ザクセン王国の旗 ザクセン王国 リューディガー・フォン・ザクセンEnglish版 150px ティーモ・フォン・ザクセンfrançais版が平民との貴賤結婚で儲けた男子。マリア・エマヌエルの弟で最後の男系家長となったアルベルトEnglish版は、女系の甥アレクサンダーの継承に反対し、貴賤結婚で生まれた子ながらも王家の男系男子であるリューディガーを支持した。
25x20px ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ大公国 ミヒャエル・ベネディクト・フォン・ザクセン=ヴァイマル=アイゼナハ 150px ザクセン大公家の家長。最後のザクセン大公ヴィルヘルム・エルンストの孫にあたる。ヴェッティン家の長嫡系子孫としてヴェッティン伯ドイツ語: Graf von Wettin)を名乗ることがある。
25px ザクセン=コーブルクおよびゴータ公国 アンドレアス・フォン・ザクセン=コーブルク・ウント・ゴータ 150px ザクセン=コーブルク=ゴータ公爵家(ザクセン=コーブルク=ゴータ家のうち公爵位に最後についた系統)の家長。
25x20px ザクセン=マイニンゲン公国 コンラート・フォン・ザクセン=マイニンゲンEnglish版 150px ザクセン=マイニンゲン公爵家の家長。
25x20px シュレースヴィヒ公国
25x20px ホルシュタイン公国
クリストフ・ツー・シュレースヴィヒ=ホルシュタイン 150px デンマークとノルウェーの王家であるグリュックスブルク家本家の当主にあたり、シュレースヴィヒ=ホルシュタイン公爵家の当主でもある。
ドイツの旗 ドイツ帝国
 プロイセン王国
ゲオルク・フリードリヒ・フォン・プロイセン 150px 最後のドイツ皇帝・プロイセン国王ヴィルヘルム2世の玄孫で、ホーエンツォレルン家の家長。ドイツ帝位・プロイセン王位の請求者であり、プロイセン側のオラニエ侯位継承者でもある。
Flagge Herzogtum Nassau (1806-1866).svg ナッサウ公国 アンリ・ド・リュクサンブール 150px ルクセンブルク大公
25x20px バーデン大公国 マクシミリアン・アンドレアス・フォン・バーデン 150px バーデン大公家の家長。
テンプレート:BAY フランツ・フォン・バイエルン 150px 最後のバイエルン国王ルートヴィヒ3世の嫡系の曾孫で、ヴィッテルスバッハ家の家長。「バイエルン公」を称する。
テンプレート:Country data ハノーファー州 ハノーファー王国 エルンスト・アウグスト・フォン・ハノーファー 150px ハノーファー家の家長「エルンスト・アウグスト5世(Ernst August V)」。
25x20px ヘッセン大公国 ハインリヒ・ドナトゥス・フォン・ヘッセン 150px ヘッセン家の家長。
25x20px ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯国Deutsch版 カール・フリードリヒ・フォン・ホーエンツォレルン=ジグマリンゲンEnglish版 150px ホーエンツォレルン=ジグマリンゲン侯爵家の当主。
25x20px メクレンブルク=シュヴェリーン大公国
25x20px メクレンブルク=シュトレーリッツ大公国
ゲオルク・ボルヴィン・ツー・メクレンブルク 150px メクレンブルク家の当主。1996年にメクレンブルク=シュトレーリッツ大公家の家督を引き継ぎ、次いで2001年に断絶したメクレンブルク=シュヴェリーン大公家の家督も引き継いだ。
25x20px リッペ侯国 シュテファン・ツア・リッペEnglish版 150px リッペ侯爵家の当主。
25x20px ロイス=グライツ侯国
25x20px ロイス=ゲーラ侯国
ハインリヒ14世 150px ロイス家の当主。

フランス

国名 名前 肖像あるいは紋章 説明
Flag of the Kingdom of France (1814-1830).svg.png フランス王国 ルイ・アルフォンス・ド・ブルボン 150px レジティミストの支持する国王として「ルイ20世」と呼ばれている。スペイン・ブルボン家のスペイン国王アルフォンソ13世の曾孫の一人。スペイン・ブルボン家はフランス・ブルボン家から分枝しており、アンリ・ダルトワ死後のフランス王位継承権はスペイン・ブルボン家に継承されたとレジティミストが主張している。
Flag of the Kingdom of France (1814-1830).svg.png フランス王国 バルタザール4世・ド・ブルボンEnglish版 150px 「ブルボン=ボーパール家」を称する、インドの旧貴族。先祖はインドに土着化したブルボン家の王族だとする。スペイン・ブルボン家はスペイン王位を継承するにあたってフランス王位継承権を放棄したと解釈し、かつオルレアン家に反発する一部レジティミストから支持されるが、ブルボン家の子孫であると科学的に証明されているわけではない。(インドのブルボン家English版参照)
Flag of the Kingdom of France (1814-1830).svg.png フランス王国 シャルル・ルイ・ド・ブルボンfrançais版 150px 偽ルイ17世ことカール・ヴィルヘルム・ナウンドルフEnglish版の子孫(ナウンドルフ家français版参照)で、「シャルル13世」を称する。ナウンドルフはミトコンドリアDNA調査でルイ17世とは別人であるとの結果が出ているが、一方でナウンドルフの男系玄孫であるユーグ・ド・ブルボンfrançais版とブルボン家一族の男性3名のY遺伝子が酷似しているという調査結果も出ている[9]。ただし多くの科学者は信頼性に疑問を呈している。
Royal Standard of the King of France.svg.png フランス王国 フランソワ・ド・バヴィエール 150px ヴィッテルスバッハ家の家長。ジャコバイトのフランス王「フランソワ2世(François II)[10]」と見なされているが、本人はフランス王位を請求していない。
Royal Standard of the King of France.svg.png フランス王国 ピエール・ド・ブルボン=シシリーEnglish版 別系統のジャコバイト王位請求者。カラブリア系ブルボン=シチリア家の家長で、両シチリア王国とナバラ王国の王位請求者でもある。
フランスの旗 フランス王国 アンリ・ドルレアン 150px オルレアニストの支持するオルレアン家の家長。名目上のフランス王として「アンリ7世」を称している。
フランスの旗 フランス帝国 シャルル・ナポレオン 150px ナポレオン1世の弟ジェローム・ボナパルトの玄孫。対等結婚によって息子を儲けて離婚した後、平民と再婚(貴賤結婚)し、「ナポレオン6世」こと父ルイ・ナポレオンから継承権を剥奪されたが、貴賤結婚によって生まれる子孫はともかく自身の継承権はあるとして、正当なボナパルト家当主であることを主張する。「ナポレオン7世
フランスの旗 フランス帝国 ジャン・クリストフ・ナポレオン 150px シャルル・ナポレオンの息子。「ナポレオン6世」として知られた祖父ルイ・ナポレオンの遺言により、母との離婚後に貴賤結婚に走った父を飛ばしてボナパルト家の当主「ナポレオン7世」となった。父シャルルの継承を正当とする立場からは、次期家長として「ナポレオン8世」の予定者とみられている。

北アメリカ

国名 名前 肖像あるいは紋章 説明
25px メキシコ帝国 マクシミリアン・フォン・ゲッツェン=イトゥルビデfrançais版 150px 第一帝政期の帝室イトゥルビデ家English版の家長。「マクシミリアーノ2世(Maximiliano II)」を称する。

南アメリカ

国名 名前 肖像あるいは紋章 説明
25px アラウカニア・パタゴニア王国 フレデリック・リュズfrançais版 アントワーヌ4世」公ことジャン=ミシェル・パラシリティ・ディ・パラEnglish版が2017年に没した後、後継者に選出された。「フレデリック1世(Frédéric I)
25px アラウカニア・パタゴニア王国 スタニスラス・パルビュレスコ(Stanislas Parvulesco) 150px フレデリック1世」と対立する王位請求者として、「スタニスラス1世(Stanislas I)」を称する。
25x20px ブラジル帝国 ペドロ・カルルシュ・デ・オルレアンス・イ・ブラガンサ 150px ペトロポリス系ブラジル帝位請求者。祖父のペドロ・デ・アルカンタラ貴賤結婚をしたことによる継承権放棄を無効と考える君主制支持者の一部から、正統なブラジル帝位継承者と見なされ、「ペドロ5世(Pedro V)」とされている。
25x20px ブラジル帝国 ルイス・ガスタン・デ・オルレアンス・イ・ブラガンサ 150px ヴァソウラス系ブラジル帝位請求者。1981年に父の後を継いで名目上のブラジル帝位を継承し、「ルイス1世(Luís I)」となった。

オセアニア

国名 名前 肖像あるいは紋章 説明
25x20px ハワイ王国 クエンティン・クヒオ・カワナナコアEnglish版 150px カラカウア朝English版断絶により王位継承権を承継したカワナナコア家English版の嫡流。

脚注

  1. 王党派がみな王位請求者を支持するわけではない。共和国における王位請求者の支持者は文句なしに王党派であるが、君主国における王位請求者の支持者は、王党派である一方で正当とされる君主に対する反逆者の一面も持つ。
  2. 覬覦は「(分不相応なことを)うかがい狙う」の意。
  3. AL PUEBLO CARLISTA DE S.M.C. DON CARLOS JAVIER I DE BORBÓN, REY DE LAS ESPAÑASblogspot El Carlismo contra Globalizatión (Spanish)
  4. El primogénito de Carlos Hugo de Borbón – Nuevo pretendiente carlista a la corona de España – website news agency Europa Press (Spanish)
  5. http://www.borbone-due-sicilie.org/english/genealogy.html
  6. Mindaugo II anūkas: jei lietuviai panorės atgaivinti monarchiją, esu pasirengęs priimti šią garbę
  7. Mensaje al Pueblo Carlista de S.M.C. Don Carlos Javier II de Borbón, Rey de Las Españasblogspot El Carlismo contra Globalizatión (Spanish)
  8. El primogénito de Carlos Hugo de Borbón – Nuevo pretendiente carlista a la corona de España – website news agency Europa Press (Spanish)
  9. http://www.ijsciences.com/pub/pdf/V320140219.pdf.
  10. 百年戦争以来の伝統として、ジャコバイトはヴァロワ=アングレーム家フランソワ1世フランソワ2世をフランス王として認めておらず、したがってフランソワという名のフランス王は「フランソワ1世」ことモデナ公フランチェスコ5世に続いて彼が2人目ということになる。

関連項目

テンプレート:Former monarchic orders of succession