物真似
物真似(ものまね)とは、人間や動物の声や仕草・様々な音・様々な様子や状態を真似すること。および、演芸の形態の一つ。ものまね・モノマネとも表記される。
ものまねタレントについては、ものまねタレント一覧を参照のこと。
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古代における物真似
人間がまだ国家や社会や文明を形成する前に、更には説話や民話、神話を語るより遥か前に、人間が空を飛ぶ鳥や大地を駆ける獣の鳴き声等を真似する事はあったと考えられる。つまり、様々な物の音や状態を真似するという行為は、人類で最も古い演芸、芸能とも考えられる。
また、他の行動や形態を模す遊びの分野にごっこ遊びという形態があり、古今東西の別なく子供の遊びの内にはロジェ・カイヨワが『遊びと人間』で指摘するところの「ミミクリ」(模倣)に相当する遊びが見出される。
日本書紀の火闌降命(ホストリノミコト、火須勢理命)が水に溺れる様子を演じたのが元祖とも言われる。
古典的な物真似
人や物の音声を真似る芸を、元来は声色遣い(こわいろづかい)と言った。声色は基本的に歌舞伎役者の舞台上の姿をまねるものであり(役者ものまね)、現在のように有名人ならばだれでもかれでもをまねたものではない(そもそもメディアが未発達な時代には、多くの人々が共通して認識していて物真似の題材となり得る存在は、唯一舞台役者だけだった)。
江戸後期から戦前まで、声色は脈々として受継がれ、寄席演芸の重要な演目であると同時に、銅鑼などの相方を用いた遊里の門付芸、お座敷遊びでの幇間芸としても愛されたが、単なる「声帯模写」や「ものまね」が登場したのちは徐々に下火になっていってしまった。片岡鶴太郎の師匠である片岡鶴八、屏風芸でも知られた「最後の幇間」悠玄亭玉介、「声のスタイルブック」と題してモダンな語り口で演じた桜井長一郎、齢80を越えて現役を貫いた「最後の名人」白山雅一が声色の名人として知られている。
以上のように人間を真似する芸のほかに、江戸時代から動物の鳴きまねという分野もあり、これは日本独自のものまねである。寄席演芸の一種で、猫や犬のような動物をはじめとして、虫の声、さまざまな鳥、など、いずれも真に迫って洗練された至芸と称するに足る。太平洋戦争後の芸人としては、三代目江戸家猫八(得意芸はネコ、ウグイス)、アダチ龍光(得意芸はおんどり)らが有名。
浮世物真似は人の身振りや動物の鳴き声など、日常を切り取ったものまね。
1809年には人や生き物のモノマネのマニュアル本の様な、腹筋逢夢石(はらすじおうむせき)という滑稽本が山東京伝と歌川豊国によって出版され、翌年には続編も刊行された。
声帯模写
昭和になり、声色を古川緑波が「声帯模写」とモダンに命名して再流行させた。これは人の仕種や物の動作などを真似ることを意味する寄席芸の「形態模写」のもじりである。
1950年代までのラジオ時代には、ラジオで題材となる有名人の声に接することが出来たこと、娯楽の中心がラジオの音声であったことで声帯模写は人気のある芸であったが、今ではかなり年配の層にしか通じず、「形態模写」ともどもほとんど死語となった。現在はそれぞれ「声マネ」「顔マネ」などと呼ばれるのが専らのようである。
古くは役者や映画俳優の真似が多かったが、後には政治家の真似(吉田茂・田中角栄・大平正芳・福田赳夫など)が多く題材になった。その政治家も個性的なキャラクター自体が減ったこと、声色自体がテレビ時代になるとビジュアル面の派手さを欠く地味な芸ということもあって、衰退した。
また1970年代後半に登場してきたタモリが、単に表面的な声色や有名な発言をまねるのではなく、その人物(作家や文化人)の思考や思想のパターンから推察して「こういうことを言いそう」な話を繰り広げるという、新しいタイプのものまね芸を披露したのも衝撃的だった。タモリの話芸(思想物真似)により、旧来の声帯模写はますます衰退する方向になったと言える。
外国語の物真似
外国語っぽく聞こえるデタラメをやって見せるという芸がある。日本でのでたらめ外国語の元祖と言われる藤村有弘をはじめ、タモリなどもやっているが、清水ミチコはイタリア語を関西弁で表現するという芸をもっていた。嘉門達夫は『シャンソン』という曲で、まごうことない日本語の単語だけで、フランス語っぽく聞かせている。
チャップリンは『モダンタイムス』でフランス語のように聞こえるがどこの国の言葉でもない“ティティーナ”を歌った。また『独裁者』でヒトラーの演説のパロディをやはりデタラメなドイツ語風言語でやっている。このほか戦前の来日時にはインチキ日本語を披露したとの記録もある。なお、チャップリンの場合、無声映画が音声を持たなかったことが、逆に言葉の壁を越えられたとの認識から、トーキーが言葉の壁を作ると考え、それを打破すべくインチキ外国語を使ったとも言われる。
トニー谷は英語と日本語をごちゃまぜにして「レディース・エン・ジェントルメン・アンド・オトッツァン・アンドおっかさんの皆さん」とやって大いに受けた(トニングリッシュ)。
テレビにおける物真似芸
テレビ時代の1960年代後半から70年代にかけての「歌真似」は歌唱力の卓越した歌手が演じるのが一般的で、水原弘の勝新太郎、三田明の森進一・橋幸夫、美川憲一のピーター、森昌子の都はるみなど、今なお伝説として語り継がれている 「象印スターものまね大合戦」で名人芸の数々が披露された。声質の似た者を誰に物真似させるか、その仕掛人は、同番組のバックを務めていたバンド「東京パンチョス」のリーダー、チャーリー石黒であった。一方「声帯模写」の分野では数々の演芸番組で桜井長一郎、江戸家猫八、佐々木つとむといった名手たちが至芸を披露した。
1980年代以降、テレビでのビジュアルを意識し、本人に似せた派手な衣装や扮装でオーバーな演技・歌唱を見せる物真似スタイルが広まった。このような演出はテレビ放映を前提とした芸であり、従前の物真似とは本質的に異質なものとみるのが正確である。物真似芸人と真似られた本物のデュエットというお遊びもよく行われる。
旧来の形態模写と一線を画したビジュアル面の物真似を広めたのはコロッケである。コロッケは漫才ブームに付随して起こったお笑いブームの時期にメジャーシーンに登場。主として人気歌手の物真似を行っていたが、当初は声(歌)は真似せず(バックに真似する歌手のレコード音声を流す)、徹底的に顔や振り付けや態度や服装といったビジュアル面の物真似を行って人気を博した。これは「歌手の真似イコール声帯模写」という旧来の概念を打ち破るもので(形態だけ真似することは邪道との声もあった)、コロッケのビジュアル物真似は他に大きな影響を与えたと言える。コロッケは後に声帯模写の技術も身に付けたが、初期にはステージでも全く話さない(生声を聞かせるとイメージが壊れる)という芸風だった。当時のコロッケが得意としたのはちあきなおみ、岩崎宏美、野口五郎といった歌手だが、いずれも本人の顔の表情や振り付けをオーバーにカリカチュアすることにより、本物のパフォーマンスよりコロッケの物真似の方が印象に残るような結果になっている。
現在、よく真似される有名人は、ビートたけし・田中邦衛・おすぎ・ピーコ・田村正和・桑田圭祐などである。 芸能人の中でも、例えばビートたけしのように声質や話し方に特徴がある者や、デーモン閣下のように顔貌や衣装などの外見的特徴がある者など、もともとオーバーな特徴を持つ者を題材に用いることが多い。美川憲一はコロッケの物真似の題材にされたことで本人も人気を復活させ、コロッケに感謝の意を表したことがある。清水アキラとキンタロー。は元の人物とかけ離れ変な部分やオーバーなおふざけをし過ぎる部分で本人やファンに嫌われる傾向が強い。原口あきまさはそれまであまりされていなかった三村マサカズや木梨憲武や「踊る大捜索線」の重要キャストやお笑い芸人の真似を多数披露した事でコージー富田と共にものまね界に風穴を開けた。
風潮の変化
テレビ番組の世界ではかつて『そっくりショー』『スターに挑戦!!』(日本テレビ)、『スターものまね大合戦』(テレビ朝日)などで著名歌手が歌まねをする番組が頻発したが、2000年代頃からは主として春秋の期末・期首、並びに年末年始の特別番組が中心となっている。その中でも『ものまね王座決定戦』『爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル』(フジテレビ)と『ものまねバトル』『ものまねグランプリ』(日本テレビ)はものまねを本業とするタレントはもとより、漫才・コントユニット、歌手の参戦も多い。その中でも西尾夕紀や城之内早苗・大石まどか・水田竜子ら演歌歌手の台頭も目立ち、本職の演歌だけでなくポップスでも歌唱を見せている。
歌唱力のある歌手は物真似(声帯模写)も上手い例が多いが、かつては本職の歌手が歌真似をするのはお笑い芸人的で好ましくないという意識が存在していた。また有名歌手の持ち歌を、他の歌手が歌うことも好ましくないとされていた。例えば、若い頃の五木ひろしは非常に歌真似が上手いことで知られていたが、ヒット曲が出て大物歌手になってからは物真似を封印しているとされる。
物真似の物真似
テレビによって物真似が世間一般に浸透したことにより、物まね芸人の真似(物真似の物真似)が氾濫した。古くは「田中角栄」、「森進一」等。現代では「タモリ」、「ビートたけし」等が定番である。「ダンカン!バカ野郎」や「髪切った?」は松村邦洋やコージー冨田の物真似を真似するという亜流であり、物真似をする場合、世間一般のみならずTVタレントやお笑い芸人まで広く行われている。
このような流れを作ったのは、頻繁にお笑い番組に出ていた時期(1980年代)の片岡鶴太郎だと思われる。鶴太郎の物真似は小森和子やフランソワーズ・モレシャンや浦辺粂子や八代目橘家圓蔵等の、個性が非常に強く分かりやすい人々をモチーフにすることが多い。声自体はそれほど似ていなくても、個性の強い話し方や表情や身振り手振りで誰の真似であるかは分かるため、他人(素人)でも模倣しやすかった。
鶴太郎がテレビに出まくり何度も何度も物真似を披露するため、それがパターンとして視著者の意識に刷り込まれ、大して似ていない物真似でも通用するようになってしまっていた。しかし、小森和子といえばこの表情と話し方、金子信雄といえばこの表情と話し方と、すっかりパターン化されてしまっており、違うパターンの物真似をすると似ていないかのように思えてしまうほど、一般人の間にも浸透している。
'70年代以前にも、小松政夫による淀川長治など、ビジュアル面まで重視した物真似は存在したのだが、他者がそれを真似するという現象はあまり見られなかった。芸人によるパターン化された物真似を他者が真似するという風潮は'80年代以降のものと見られる。
一時「こんにちは、桜田淳子です」という物真似が流行ったことがある('80年代前半から半ば)。物真似芸人が人気アイドル桜田の鼻にかかった声を真似したのが発端なのだが、上記のように「物真似芸人の真似をする」パターンの一つとなり、これを桜田本人も強調して真似ることで笑いを取ることがあった。この物真似で注目すべきなのは「桜田淳子です」と名乗ることにより、大して似ていなくても誰の物真似をしているかは相手に伝わるという点である。「真似の真似」といった低次元の物真似が氾濫する状況を象徴するものだったと言えよう。同様の例では「こんにちは、カッシワバラよしえ(柏原芳恵)です」というものもあった。桑田佳祐は栗田寛一が披露してからそれまでのダミ声部分の滑稽なアレッジのものまねから声を強調するスタイルに変更された。
マニアックものまね
上記のような状況があるため、コサキン(小堺一機・関根勤)の様に誰も真似しない人のものまねや、『とんねるずのみなさんのおかげでした』内コーナー「博士と助手〜細かすぎて伝わらないモノマネ選手権〜」のように、よりオリジナリティのあるマニアックなものまねを追求する傾向にある。
物真似のエンターテインメント化
物真似はテレビと併行して、ショーなどの興行でも披露されてきた。現在は全国に数多くのものまねショーパブが存在する。ショーパブとしては、頻繁にテレビや雑誌等のメディアに取り上げられている関係上、東京都新宿区で1992年から20年以上に渡って営業しているそっくり館キサラが有名で、コージー冨田、原口あきまさ、ホリ、はなわ、オードリー、ヒロシ、長井秀和など多くの有名タレントを輩出している。その他には、1999年2月、ものまねエンターテイメントハウスものまねエンターテイメントハウスSTAR(東京都港区)がオープンし所属ものまねタレントによるライブ興行が毎夜(日曜日を除く)行われている。
他にも麒麟のボケ担当川島明など、芸人などでも声帯模写ができる人が増えている。特に多いのがバイクのエンジン音、F1などのレースカーが目の前を通って過ぎ去っていく音など。他にも川島を例をあげるとお箸箱をスライドさせる音、馬の嘶き、心臓の鼓動音、風の音、靴音など。また川島は声が低いのが特徴であるため、太った人を連想させる声が得意。しかし高い声も案外出せるので、ボイスチェンジャを通した声などもできる。
物真似番組
- ものまね王座決定戦(フジテレビ)
- ものまねバトル(日本テレビ)
- 爆笑そっくりものまね紅白歌合戦スペシャル(フジテレビ)
- ものまねスター誕生!(フジテレビ)
- ものまねグランプリ(日本テレビ)
物真似を題材にした作品
その他
- 物真似することを法律で禁止とする国がある。