無所属

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無所属(むしょぞく)とは、組織グループなどに所属していない人、または、その状態。本項では、政治・選挙における無所属について述べる。

日本

国政

政治の世界では、国政選挙の際に政党・政治団体の公認を受けていない候補のことをこう呼ぶ。そのため、政党などの推薦・支持を受けていても公認がなければ無所属とされる。また、何らか政党の党籍を有していても、公認を受けていなければ無所属とされる。国政選挙で無所属の候補は多くの場合、資金、人員が不足し、組織からのバックアップを受けられず、何かと苦労する事が多い。また、公職選挙法においても、衆参の比例代表に出馬できないだけでなく、衆議院での小選挙区導入にともなう法改正以降は衆議院議員選挙の政見放送に出演できない(ただし経歴放送は流れる)などの不利な扱いを受けており、政見放送に出られないのは違憲であるという意見もある[1]

なお、いずれの政党にも属さない(党籍などを有さない)議員を無所属議員と呼ぶ場合もある。

自由民主党など保守政党では、追加公認前提で、党員としての籍を持ったまま無所属として立候補する人物が多く、特に保守系無所属と呼ばれる。中選挙区制の時代は、候補者数調整のために自民党の公認を受けられなかった候補が無所属として立候補し、当選すると即座に追加公認を受けるという例が少なくなかった。このような候補の中には、無所属であるにも関わらず自民党の派閥のメンバーとして活動し、選挙報道においてもそのように分類されていた例もあった。しかし衆議院選挙での小選挙区制の導入と参議院の一人区の増加により、民主党など自民党以外の政党から出馬する保守系候補もあらわれるようになったため、公認漏れ候補が無所属で立候補して当選する例は減少している。2017年衆院選では、小選挙区において自民党籍を有したままの2候補が共に無所属出馬し、当選した候補を追加公認する例が見られた(山梨2区埼玉11区など)。

革新政党系または左翼団体を基盤とする無所属は革新系無所属と呼ばれるが、保守系ほど立候補した数も、当選者数も多くない。また保守系無所属のほとんどが自民系であるのに対し、革新系は日本共産党日本社会党系が多いものの、出身政党はバラバラである。革新政党の衰退で、「革新系無所属」の用語はあまり使われなくなっている(右翼団体系候補は、保守系無所属とは呼ばれないケースが多い。例外として、国際勝共連合系の阿部令子は、1990年の総選挙で選挙途中に自民党の追加公認を受けたことがあるためか、保守系無所属と報じられていた。落選)。

また、元々ある政党に所属していて、何かの理由で政党から除名(または離党)となり無所属で再出馬する例もある(例 田中真紀子柿沢弘治)。またスキャンダルによって名目上離党を余儀なくされたものの、旧所属政党の派閥への影響力などで実質的には旧所属政党に属しているのと同様な活動を行う例もある(田中角栄中曽根康弘)。これらの候補は、小選挙区制の場合は旧所属政党から対立候補を立てられない例が多い(見かけ上旧所属政党の空白区となる)。

無所属議員が政府の職に就いた例はほとんどないが、2011年菅内閣に入閣した与謝野馨はその数少ない例である。

大日本帝国憲法下に存在した貴族院の場合は更に複雑で、貴族院議員は非政党員である事が事実上の慣例となっていたため、ほとんどの議員が法律上においては無所属であった。だが、実際にはその大半が政党に替わって組織された院内会派に属しており(政党系・非政党系など会派によってその位置付けは異なる)、一般にはこうした会派に属していない議員のみを慣習的に無所属と呼んだ。だが、会派所属の議員に比べて議員活動に不利な会派無所属の議員が活動しやすいように、一部の会派無所属の議員達が便宜的に「無所属」を正式名称とした会派を結成した時期もあった。勿論、こうした会派にも参加しなかった議員もおり、紛らわしい事から無所属会派を「無所属団」、後者の議員を「純無所属」と呼称して区別を行った。

2010年7月11日に行われた第22回参議院議員通常選挙では無所属の当選者はゼロとなった。

2016年に結党した民進党では旧みんなの党の比例代表選出議員ゆえに国会法第99条の2の規定により改選まで国会議員職を維持したまま民進党に参加できない旧維新の党の参議院議員5名(小野次郎川田龍平柴田巧寺田典城真山勇一)は共同会派所属国会議員の地位に関する経過規定(党規約附則2条2項[2])により、2019年9月まで小野ら5名は無所属でありながら党役員への就任や両院議員総会での議決権行使を許されて民進党所属国会議員に準ずる地位を有するものとされたが(政党助成法上の政党交付金配分に絡む議席分にはカウントされない)、産経新聞から『「無所属議員を党所属議員として扱う」という政党政治の根本が問われるような異常な事態』と批判された[3]

現在無所属である国会議員については、日本の政党一覧を参照のこと。

地方政治

地方議会首長でもかつては政党公認候補が珍しくなかった。しかし、首長は複数政党による相乗り・共闘が前提になることから、候補者の推薦・支持が行いやすいように、無所属での立候補が常態になった。1995年平成7年)の統一地方選挙では、無党派層が既成政党以外の無所属候補(代表例として青島幸男東京都知事や横山ノック大阪府知事)を当選させたため、それ以降は政党の党員による無所属立候補は一層進み、推薦・支持も表向きは受けない例が増えるようになった。

地方議会では、都道府県議会では政党・政治団体公認が主流だが、無所属も2016年12月31日現在で2657人中502人、18.9%を占める[4]。市区町村議会では、特に大都市圏以外で無所属の比率が高く、2016年12月31日現在で30334人中21465人、70.8%を占め、2位公明党の8.9%(2708人)に大差を付けている[4]。その多くは保守系無所属である[5]。しかし国政選挙とは違い、当選後も無所属で通す候補者が多い。

都道府県知事は、大阪府知事松井一郎大阪維新の会[6]公認、2015年11月22日当選)を除き、全員が無所属として当選した人物である。市長区長町長村長についても、2016年12月31日現在で、1739人中1732人、99.6%が無所属である。政党公認は自民党の1人のみ、「その他の政治団体」公認は6人である[4]。その他の政治団体ではない政党公認で知事となったのは、群馬県知事選で2007年7月22日に当選を決めた大沢正明(自民党公認)が最後の例で、それ以前となると1996年富山県知事選に自民党公認で当選した中沖豊まで遡る。大沢は2011年2015年に再選したが、2期目以降は無所属としての立候補を選んだ。なお、当落は別とした自民党の公認候補も、中沖から大沢までの間は一人も例がなかった。

一方で1970年前後には社共共闘を基盤とする革新統一候補が無所属(または諸派)として首長選に出馬し、多くの革新自治体が生まれた。しかし、社共の下部組織の対立や、公明党や民社党が台頭して社会党がこれらの中道政党との関係を重視するようになるといった理由により、革新系無所属の首長は減少する。代わって共産党以外の全政党の推薦を受けたオール与党としての無所属首長が増加した。

自民党以外による単独での知事選への対応は、日本共産党は無所属として立てる場合と、公認候補を立てる場合が相半ばする。社会民主党は、1999年青森県知事選で今村修を公認したのが最後の公認で、民主党民進党は一度も公認候補を立てたことがない(2007年岩手県知事選挙において達増拓也を公認候補として立てる動きもあったが、自民党支持者を取り込むため無所属で出馬した)。

通常、政党の党籍を持ったまま無所属として立候補しても問題にはされない。2006年長野県知事選挙では田中康夫候補が新党日本代表(当時国会議員が2人所属する国政政党の党首)であったが、無所属として立候補を届け出たため、無所属候補として報道された。2009年千葉県知事選挙では、当選した森田健作が自民党員でありながら「完全無所属」と自称したため市民団体に刑事告発されたが、不起訴となっている。

選挙管理委員会では、政党や政治団体に属している候補者でも所属党派証明書を提出していない限り、政党や政治団体党派に属していない候補者と同様に「無所属」として扱う[7]

アメリカ合衆国

アメリカの政党は日本など他国と比較して党議拘束がない場合が多いなど緩やかな組織であり、大多数の政治家は二大政党制の枠内で活動している。予備選挙の結果等により政党による候補者指名を受けられなかった候補が、無所属(independent)として出馬することは可能だが、それによって当選することは稀である(例 ジョー・リーバーマン)。

大統領選挙は、ある州に支援組織がない候補はその州での選挙人獲得ができない仕組みであるため、無所属候補にとって大変不利である。例外的にロス・ペロー1992年の大統領選挙で無所属から出馬して各州に支持組織を形成し、一時は世論調査で二大政党候補と互角な支持を得たものの、結局選挙人は一人も獲得できなかった。

2016年のアメリカ大統領選挙ではエヴァン・マクマリンが無所属候補として立候補していた[8]

脚注

関連項目