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{{otheruseslist|作家|[[同姓同名]]のサッカー選手|渡辺淳一 (サッカー選手)|元プロボクサーの渡辺'''純一'''|渡辺純一}}
 
{{Infobox 作家
 
| name          = 渡辺 淳一<br />(わたなべ じゅんいち)
 
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| death_place  = {{JPN}} [[東京都]]
 
| occupation    = [[作家]]<br/>[[整形外科学|整形外科医]]
 
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| period        = [[1965年]] - [[2014年]]
 
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| awards        = [[新潮同人雑誌賞]] (1965年)<br />[[直木三十五賞]](1970年)<br />[[吉川英治文学賞]](1979年)<br />[[文藝春秋読者賞]](1983年・2011年)<br />[[紫綬褒章]](2003年)<br />[[菊池寛賞]](2003年)
 
| debut_works  = 「死化粧」(1965年)
 
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}}
 
'''渡辺 淳一'''(わたなべ じゅんいち、[[1933年]]([[昭和]]8年)[[10月24日]] - [[2014年]]([[平成]]26年)[[4月30日]])は、[[日本]]の[[作家]]。[[北海道]][[空知郡]][[上砂川町]]朝陽台出身。[[1958年]][[札幌医科大学]][[医学部]]卒業。[[医学博士]]。
 
  
== 来歴 ==
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'''渡辺 淳一'''(わたなべ じゅんいち、[[1933年]][[昭和]]8年)[[10月24日]] - [[2014年]][[平成]]26年)[[4月30日]]
[[1964年]][[札幌医科大学]][[助手 (教育)|助手]][[1966年]]同大医学部[[整形外科学|整形外科]]教室[[講師 (教育)|講師]]。医業と並行して、北海道の[[同人誌]]に執筆を続ける。同大学の[[和田寿郎]]教授による[[和田心臓移植事件]]を題材にした『小説・心臓移植』([[1969年]]3月。後に『白い宴』と改題、[[角川文庫]])を発表し、大学を去る。[[1970年]]、37歳の時に総理大臣[[寺内正毅]]をモデルとしたとされる『光と影』で第63回[[直木三十五賞|直木賞]]を受賞し、本格的に作家活動を開始した。直木賞、[[吉川英治文学賞]]、[[中央公論文芸賞]]、[[柴田錬三郎賞]]、[[島清恋愛文学賞]]選考委員。
 
  
2014年4月30日午後11時42分、[[前立腺癌]]のため[[東京都]]内の自宅で死去<ref>[http://mainichi.jp/feature/news/20140506k0000m040010000c.html 訃報:直木賞作家の渡辺淳一さん死去80歳] 毎日新聞 2014年5月5日</ref>。80歳没。
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 小説家。北海道空知(そらち)郡生まれ。札幌医科大学卒業。中学校時代、国語教師を通じて初めて文学と触れ合い、文学への関心を高めつつも、1952年(昭和27)北海道大学理類に入学。1954年には札幌医科大学医学部に進学し医学の道へ。同大学在学中に処女作「イタンキ浜にて」を発表。1959年整形外科で医師国家試験に合格。母校の整形外科で講師となるが、同人誌『くりま』を通じて小説を発表し続け、1959年「人工心肺」がテレビドラマ誌脚本募集に入選し、テレビ放映される。1964年、結婚。1965年には北海道内の同人誌優秀作に選ばれた、母親の死を描いた「死化粧」(「華やかなる葬礼」を改稿)で第12回新潮同人雑誌賞を受賞し文壇デビュー。「死化粧」は第54回芥川賞候補にもなる。冒頭の第1行目「今日一日、わたしは休みなく働いた」という一文は、明らかにカミュの『異邦人』の影響を受けている。その当時、作者はカミュに熱中し『異邦人』も暗記するほど何度も読んだという。過去形で積み重ねられていく、短く簡潔な文章にひそむ乾いた叙情性に惹かれていたためで、カミュはその後の渡辺の作品にもかなり影響を与えている。1967年発表の「霙(みぞれ)」が第57回直木賞候補、1968年「訪れ」が第58回芥川賞候補となり、1969年札幌医科大学講師を辞職、本格的に作家業に専念するため上京。これら候補作を集めた作品集『ダブル・ハート』(1969)が刊行された。
  
2015年、[[集英社]]が本人の名前を冠した[[文学賞]]である「'''[[渡辺淳一文学賞]]'''」を創設。第1回の表彰は2016年3月に行われた<ref>{{cite web|url=http://www.oricon.co.jp/news/2051934/full/|title=集英社が「渡辺淳一文学賞」創設 来年3月に第1回選考|publisher=[[オリコン|ORICON]]|date=2015-04-23|accessdate=2015-04-23}}</ref><ref>{{cite web|url=http://www.nikkei.com/article/DGXLASDG31H7A_R30C16A3000000/|title=第1回渡辺淳一文学賞に川上未映子さん|publisher=[[日本経済新聞]]|date=2016-03-31|accessdate=2017-02-04}}</ref>。
+
 西南戦争で同様の傷を負い、1人は腕を切断し、1人は切断しないままという処置の違いで、対照的な後半生を歩む2人の軍人の数奇な運命をたどる人間像を描いた『光と影』(1970)で念願だった第63回直木賞を受賞。ほかに伝記小説的な分野も手掛けるようになり、1970年には日本の女医第一号である荻野吟子の生涯を描いた書き下ろし長編『花埋(はなうず)み』を発表。北海道出身の女流歌人中城ふみ子の短い生涯を追う『冬の花火』(1975)、明治期から大正へかけて新劇の勃興期に一時代を築いた松井須磨子の一生を、人間的な角度から捉えた『女優』(1977)、日本の志願解剖第一号となった遊女の動機に迫った『白き旅立ち』(1979)、天才にして野放図な性格でもあり、毀誉褒貶(きよほうへん)が激しい野口英世の生涯を描く『遠き落日』(1979)と、この傾向の作品には秀作が多い。
  
=== 作品・作風 ===
+
 また地方紙に『リラ冷えの街』(1971)を連載。初めての週刊誌連載で初期の代表作『無影燈』(1972)を発表。ニヒルで孤独感の漂う外科医と、彼を慕う看護婦との報われない恋愛と医学界の内幕を描いた本作によって渡辺淳一の人気は決定的になった。『野分け』(1972)、『峰の記憶』(1978)、『流氷への旅』(1980)など、清冽な恋愛ロマンも多い。また全5巻の『白夜』(1980~1988)は自伝的長編で、医学生となった頃から文学の道を目指して上京するまでの前半生が描かれる。
主題は、評伝(『花埋み』『女優』『[[遠き落日]]』など)、医療(『白い宴』『無影燈』『[[麻酔 (小説)|麻酔]]』など)、恋愛(『[[化身 (渡辺淳一)|化身]]』『[[失楽園 (渡辺淳一)|失楽園]]』『[[愛の流刑地]]』など)の三つに大別されるが、各ジャンルを融合したものも少なくない。初期においては[[医療]]をテーマとした社会派的な作品が多い。伝記は時期を問わず書き続けられている他、医療や身体から恋愛論、身辺雑記にいたるまで、幅広いテーマでエッセイも多く手がけている。その中でも、[[日本経済新聞]]朝刊に連載された、『化身』『失楽園』『愛の流刑地』の三作は爆発的なヒットとなり、映画化、テレビドラマ化され、大胆な性的なシーンも多かった。1997年の「新語・流行語大賞」には『失楽園』が選出されている。経済記事が主体の日本経済新聞に、毎日少しずつ連載されたロマンス小説が爆発的ヒットとなったこと自体も話題となり、連載の最終回の掲載された日の朝刊は、異様な売り上げを記録した。
 
  
これらの作品では、「いま一つさえない中年男が、魅惑的な女性と出会い、その女性にのめりこみ、二人で深みにはまっていく」というパターンで、いわば、「中年版[[ボーイミーツガール]]」といったストーリーが多い。そして、これらの小説では、おおむね、渡辺自身が投影されている中年男の一人称の目線でストーリーが展開する。特に、『愛の流刑地』では、相手の女性の内面描写はあまりなく、ほとんど一人称で進行するのが特徴的であった。また新聞掲載で読者をひきつけたことでわかるように、一見、漫然と話が進んでいるようであっても、「このあとどうなるのだ!?」という、サスペンス性があった。
+
 『遠き落日』『長崎ロシア遊女館』(ともに1979)で第14回吉川英治文学賞を受賞、渡辺淳一の名声をより一層確実なものとする。その一方で『化粧』(1982)、『ひとひらの雪』(1983)、『化身(けしん)』(1986)など、男女の愛と性の深淵や人間の情念を華麗な筆致で描き「新耽美派文学」として高い評価を受けると同時に、いずれも大ベストセラーとなる。1990年(平成2)発表の『うたかた』刊行時には、「うたかた族」といった造語が誕生。恋愛小説の教祖的存在となる。1995年『日本経済新聞』に『失楽園』を連載。日頃恋愛小説に接することの少ない中年男性読者を魅了した。1997年には『失楽園』が映画・テレビドラマ化され、一大ブームを巻き起こし、「失楽園」が1997年度新語・流行語のグランプリを受賞するという出来事も起こった。1998年には北海道札幌市の中島公園そばに「エリエールスクエア札幌渡辺淳一文学館」が開館。
  
2013年1月には、日本経済新聞文化面の[[私の履歴書]]を著している。この連載、また、「告白的恋愛論」などでは、自身の経歴(特に恋愛遍歴)を、かなり大胆に綴っており、どの小説のモデルはどの人、といったことにも、遠慮がちに触れている。
+
{{テンプレート:20180815sk}}
 
 
失楽園の[[日本テレビ放送網|日本テレビ]]系ドラマ版の主題歌を歌った、[[ZARD]]『[[永遠 (ZARDの曲)|永遠]]』のシングルCDジャケットの題字は、渡辺が[[毛筆]]による直筆で記したものである。
 
 
 
==== 評価 ====
 
デビュー以来40年以上に亘り第一線で執筆を続け、ミリオン・セラーも複数ある。作品がベストセラーになっていることをして、日本人の堕落・退潮とみなす者は少なくない<ref>[[福田和也]]『作家の値うち』2000年</ref>。
 
 
 
特筆すべきは、近年の中国における評価であり、「言情大師(叙情の巨匠)」という異名で知られる人気作家となっている<ref>[http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=34456 「言情大師」渡辺淳一氏がサイン会、中国でも人気絶大、ファンが殺到―上海市] - [[レコードチャイナ]]、2009年8月17日</ref>。王海藍らの調査によれば、1990年代末以降、中国で最も翻訳されている日本の作家は、[[村上春樹]]と渡辺であるという。中国の女流人気作家で恋愛・[[結婚]]生活を描いた小説で話題を呼んでいる王海鴒など、渡辺の恋愛小説の影響を強く受けた作家も登場している。都市化による家族の紐帯の希薄化により、精神的支柱としての家庭が崩壊しつつあることが背景にあると言われる<ref>[http://book.asahi.com/news/TKY200605060139.html 中国人好みは村上春樹と渡辺淳一? 筑波大留学生が調査] - asahi.com、出版ニュース</ref>。
 
 
 
[[中華人民共和国]]での過熱する人気は、無断出版をも引き起こし、[[訴訟]]ともなっている。著作6冊を無断で出版されたことによる[[著作権]]侵害を理由に、2008年夏に渡辺は中国の出版社を相手取り、[[上海市]]人民法院に提訴したが、2009年12月、両者の[[和解]]が成立した<ref>[http://www.recordchina.co.jp/group.php?groupid=38242 渡辺淳一さんが著作権侵害訴訟で中国出版社と和解―中国] - レコードチャイナ、2009年12月24日</ref>。
 
 
 
== 人物 ==
 
===活動・主張===
 
整形外科医師として在籍していた医科大で行われた日本初の心臓移植手術に対し、学内にありながら疑義を呈したため、大学を去ることとなり、筆一本で生きていくことになった。今日では少なくなった、[[同人誌]]経験のある作家である。[[直木三十五賞|直木賞]]、[[吉川英治文学賞]]はじめ多くの文学賞の選考委員を務める。
 
 
 
=== 鈍感力 ===
 
「鈍感力」(どんかんりょく)は、[[2007年]]に発売した[[エッセイ]]集の題名でもある。
 
 
 
元[[内閣総理大臣]]の[[小泉純一郎]]は同年2月20日、[[国会議事堂|国会]]内で当時の[[自由民主党幹事長|幹事長]][[中川秀直]]、[[内閣官房長官]][[塩崎恭久]]らと会い、「目先のことに鈍感になれ。『鈍感力』が大事だ。支持率は上がったり下がったりするもの。いちいち気にするな」と発言し、その中で『鈍感力』という言葉を引用したため流行語となった。同書は同年夏までに100万部を売るベストセラーとなっている。
 
 
 
=== 選択的夫婦別姓制度 ===
 
選択的[[夫婦別姓]]制度導入に賛同する。「現実に困惑している人たちのために、別姓を認めるよう動くべきである。夫婦別姓が認められない最大の理由は、自民党のおじさんたちが反対しているからである。理由はこれを認めると、日本古来の家族制度がこわれて、妻の不倫が増えるから、と。自分は浮気をしても、妻だけはさせたくないということで夫婦別姓反対、というのでは、あまりに情け無くて、せこい話ではないか。」と述べるなど<ref>あとの祭り、週刊新潮、2006年3月30日号</ref><ref>事実婚 新しい愛の形、集英社、2011年</ref>、選択的夫婦別姓制度導入反対論者を批判している。
 
 
 
=== 趣味 ===
 
主な趣味として[[将棋]]と[[ゴルフ]]が知られている。
 
 
 
将棋については、渡辺やカメラマンの[[弦巻勝]]を中心とした「トン死の会」というサークルを開いており、月1回程度のペースで仲間内の対局を渡辺の自宅で行うのが恒例だった。過去には週刊誌の企画で[[米長邦雄]]九段(当時)と飛車落ちで対局して勝利したこともあるほどで<ref>[http://shogipenclublog.com/blog/2014/05/06/渡辺淳一さんの将棋/ 渡辺淳一さんの将棋] - 将棋ペンクラブログ・2014年5月6日</ref>、『[[オール讀物]]』の連載企画ではアマチュア五段の免状を贈られている<ref>[http://shogipenclublog.com/blog/2013/03/16/トップ棋士交遊アルバム-中原誠棋聖・王座(当時/ トップ棋士交遊アルバム 中原誠棋聖・王座(当時)vs渡辺淳一さん] - 将棋ペンクラブログ・2013年3月16日</ref>。
 
 
 
ゴルフではプロゴルファーの[[金井清一]]らと交友があり、後述するように金井との共著でゴルフレッスン書を出版したこともあるほど。
 
 
 
日本アイスランド友好協会の会長をつとめていた。
 
 
 
== 受賞歴 ==
 
*[[1965年]](昭和40年) 第12回[[新潮同人雑誌賞]] - 『死化粧』
 
*[[1970年]](昭和45年) 第63回[[直木三十五賞|直木賞]] - 『光と影』
 
*[[1979年]](昭和54年) 第14回[[吉川英治文学賞]]- 『[[遠き落日]]』『長崎ロシア遊女館』
 
*[[1983年]](昭和58年) 第48回[[文藝春秋読者賞]] - 『静寂の声 ― 乃木希典夫人の生涯』
 
*[[2001年]](平成13年) [[アイスランド]]隼勲章騎士章<ref>{{Cite web|url=http://www.forseti.is/Forsida/Falkaordan/Falkaordan2001/|title={{Lang|is|Fálkaorðan 2001}}|work={{Lang|is|Forseti Íslands}}|publisher={{Lang|is|Skrifstofa forseta Íslands}}(アイスランド大統領府)|language=アイスランド語|accessdate=2008-10-14}}</ref>
 
*[[2003年]](平成15年) [[紫綬褒章]]
 
*2003年(平成15年) [[菊池寛賞]]
 
*[[2011年]](平成23年) 第72回[[文藝春秋読者賞]] - 『天上紅蓮』
 
 
 
== 経歴 ==
 
*[[1933年]]([[昭和]]8年)10月24日 数学教師の長男として誕生
 
*1943年 旭川師範学校附属小学校(現[[北海道教育大学附属旭川小学校]])編入
 
*1946年 [[札幌市立幌西小学校]]卒業
 
*1949年 [[学制改革]]で北海道立札幌第一中学校(新制)卒業
 
*1952年 [[北海道札幌南高等学校]]卒業(同期に[[荒巻義雄]])
 
*[[北海道大学]]理類入学
 
*1954年 札幌医科大学医学部入学
 
*1958年 [[札幌医科大学]]医学部卒業
 
*三井厚生病院(現[[三井記念病院]])で[[インターン]]
 
*1959年 医師免許取得
 
*札幌医科大学大学院医学研究科博士課程入学
 
*1963年 大学院修了、医学博士(論文名『P32による骨移植の実験的研究』)
 
*1964年 札幌医科大学整形外科教室助手
 
*1966年 札幌医科大学整形外科教室講師
 
*1969年 札幌医科大学を退職
 
*1970年 作家専業
 
*2014年4月30日 死去
 
 
 
== 著書 ==
 
=== 小説 ===
 
*『ダブル・ハート』文藝春秋 1969 「死化粧」角川文庫、文春文庫、朝日文庫 
 
*『北方領海』学習研究社 1969
 
*『プレパラートの翳』講談社 1969 「自殺のすすめ」角川文庫、文春文庫、「病める岸」講談社文庫
 
*『小説心臓移植』文藝春秋(ポケット文春)1969
 
*『二つの性』廣済堂出版 1970 「酔いどれ天使」角川文庫
 
*『ガラスの結晶』講談社 1970 「秋の終りの旅」講談社文庫
 
*『母胎流転』角川書店 1971
 
*『リラ冷えの街』河出書房新社 1971 のち新潮文庫
 
*『恐怖はゆるやかに』角川書店 1971 のち文庫、中公文庫
 
*『富士に射つ』文藝春秋 1972 のち文庫
 
*『パリ行最終便』河出書房新社 1972 のち新潮文庫
 
*『無影燈』毎日新聞社 1972 のち角川文庫、文春文庫、集英社文庫 
 
*『空白の実験室』青娥書房 1972 のち中公文庫 
 
*『白き手の報復』毎日新聞社 1972 のち中公文庫、新潮文庫、ポプラ文庫 
 
*『十五歳の失踪』講談社 1972
 
*『[[阿寒に果つ]]』中央公論社 1973 のち文庫、角川文庫、扶桑社文庫、ポプラ文庫、講談社文庫 
 
*『[[雪舞]]』河出書房新社 1973 のち文春文庫
 
*『[[野わけ]]』集英社 1974  のち文春文庫、集英社文庫、角川文庫
 
*『[[北都物語]]』河出書房新社 1974 のち新潮文庫
 
*『[[氷紋]]』講談社 1974 のち文庫
 
*『白き狩人』祥伝社(ノン・ノベル)1974 のち集英社文庫
 
*『白き旅立ち』新潮社 1975 のち文庫
 
*『四月の風見鶏』文藝春秋 1976 のち文庫、角川文庫
 
*『夜の出帆』文藝春秋 1976 のち文庫、角川文庫
 
*『白い宴』角川文庫 1976
 
*『失われた椅子』文春文庫 1976 のち角川文庫
 
*『廃礦にて』角川文庫 1976 のち中公文庫
 
*『まひる野』新潮社 1977 のち文庫
 
*『神々の夕映え』講談社 1978 のち文庫
 
*『公園通りの午後』毎日新聞社 1978 のち角川文庫、集英社文庫
 
*『ふたりの余白』中央公論社 1978 のち文庫、集英社文庫
 
*『峰の記憶』文藝春秋 1978 のち文庫
 
*『優しさと哀しさと』集英社文庫 1978
 
*『[[くれなゐ (渡辺淳一)|くれなゐ]]』集英社 1979 のち文庫、文春文庫 
 
*『午後のヴェランダ』新潮社 1979 のち文庫
 
*『白夜』全5巻 中央公論社 1980-88(自伝小説) のち文庫、新潮文庫、嶋中文庫、ポプラ文庫
 
*『流氷への旅』集英社 1980 のち文庫、角川文庫
 
*『麗しき白骨』毎日新聞社 1981 のち集英社文庫
 
*『七つの恋の物語』新潮社 1981 のち文庫
 
*『北国通信』集英社 1981  のち文庫、中公文庫
 
*『桐に赤い花が咲く』集英社文庫 1981 のち新潮文庫
 
*『化粧』朝日新聞社 1982 のち新潮文庫、講談社文庫
 
*『退屈な午後』毎日新聞社 1982 のち新潮文庫
 
*『[[雲の階段]]』講談社 1982 のち文庫、角川文庫
 
*『[[ひとひらの雪]]』文藝春秋 1983 のち文庫、角川文庫、集英社文庫
 
*『愛のごとく』新潮社 1984 のち文庫
 
*『風の岬』毎日新聞社 1985 のち角川文庫
 
*『長く暑い夏の一日』講談社 1985 のち文庫
 
*『[[化身 (渡辺淳一)|化身]]』集英社 1986 のち文庫
 
*『[[別れぬ理由]]』新潮社 1987 のち文庫、中公文庫
 
*『浮島』角川書店 1988 のち文庫、文春文庫
 
*『[[桜の樹の下で]]』朝日新聞社 1989 のち新潮文庫、朝日文庫
 
*『うたかた』講談社 1990 のち文庫、集英社文庫
 
*『風の噂』新潮社 1990 のち講談社文庫、新潮文庫
 
*『小指のいたみ』廣済堂文庫 1990 のち文春文庫
 
*『影絵 ある少年の愛と性の物語』中央公論社 1990 のち文庫、扶桑社文庫
 
*『メトレス愛人』文藝春秋 1991 のち文庫
 
*『何処へ』新潮社 1992 のち文庫、講談社文庫 
 
*『[[麻酔 (小説)|麻酔]]』朝日新聞社 1993 のち講談社文庫、朝日文芸文庫
 
*『夜に忍びこむもの』集英社 1994 のち文庫、文春文庫
 
*『ヴェジタブル・マン(植物人間)』新潮文庫 1996
 
*『[[失楽園 (渡辺淳一)|失楽園]]』講談社 1997 のち文庫、角川文庫
 
*『かりそめ』新潮社 1999 のち文庫
 
*『[[泪壺]]』講談社 2001 のち文庫
 
*『シャトウルージュ』文藝春秋 2001 のち文庫
 
*『[[エ・アロール それがどうしたの]]』角川書店 2003 のち文庫
 
*『幻覚』中央公論新社 2004 のち文庫
 
*『[[愛の流刑地]]』幻冬舎 2006 のち文庫
 
*『あじさい日記』講談社 2007 のち文庫
 
*『薔薇連想』朝日文庫、2010  
 
*『ある心中の失敗』朝日文庫、2010 
 
*『午後の別れ』朝日文庫、2010 
 
*『項の貌』朝日文庫 2010
 
*『孤舟』集英社 2010
 
*『渡辺淳一メディカル・セレクション1 白き手の哀しみ』中公文庫、2012 
 
*『愛ふたたび』幻冬舎 2013
 
 
 
=== 歴史・伝記小説 ===
 
*『光と影』(短篇集。表題作が[[寺内正毅]]を題材としている) 文藝春秋 1970 のち文庫、講談社文庫 
 
*『花埋み』河出書房新社 1970([[荻野吟子]]の伝記小説)のち新潮文庫、角川文庫、集英社文庫、講談社文庫 
 
*『冬の花火』角川書店 1975([[中城ふみ子]]をモデルとしたもの) のち文庫、集英社文庫、文春文庫
 
*『[[遠き落日]]』角川書店 1979([[野口英世]]の伝記小説)のち文庫、集英社文庫、講談社文庫 
 
*『長崎ロシア遊女館』講談社 1979 のち文庫
 
*『女優』集英社 1983([[松井須磨子]]の伝記小説)のち文庫、角川文庫
 
*『静寂の声 乃木希典夫妻の生涯』文藝春秋 1988 のち文庫
 
*『君も雛罌粟われも雛罌粟 与謝野鉄幹・晶子夫妻の生涯』文藝春秋 1996 のち文庫
 
*『天上紅蓮』文藝春秋 2011 のち文庫 ([[白河天皇|白河法皇]]と[[待賢門院璋子]]を題材にしたもの)
 
 
 
=== 随筆など ===
 
*『解剖学的女性論』講談社 1972 のち文庫
 
*『渡辺淳一クリニック 対談集』文藝春秋 1974 のち文庫
 
*『雪の北国から』中央公論社 1976 のち文庫、角川文庫
 
*『わたしの女神たち』角川書店 1976 のち文庫、集英社文庫
 
*『華麗なる年輪 対談集』光文社 1982 のち角川文庫
 
*『渡辺淳一未来学対談』講談社 1984 「ロマンチシズムとしての未来」文庫
 
*『12の素顔 渡辺淳一の女優問診』朝日新聞社 1984 のち角川文庫
 
*『みずうみ紀行』光文社 1985 のち文庫、「湖畔幻想」角川文庫
 
*『男と女のいる風景 愛と生をめぐる言葉の栞334』新潮文庫 1987 のちPHP文芸文庫 
 
*『わたしの京都』講談社 1989 のち文庫
 
*『新釈・からだ事典』集英社 1989 のち文庫
 
*『いま、ワーキングウーマンは… 対談集』朝日新聞社 1990
 
*『いま脳死をどう考えるか』講談社 1991 のち文庫
 
*『脳は語らず』新潮文庫 1991 のち中公文庫
 
*『恋愛学校』集英社 1992 「シネマティク恋愛論」文庫
 
*『渋谷原宿公園通り』講談社 1992 「風のように・みんな大変」文庫
 
*『風のように・母のたより』講談社 1993 のち文庫
 
*『風のように・忘れてばかり』講談社 1994 のち文庫
 
*『創作の現場から』集英社 1994 のち文庫
 
*『風のように・返事のない電話』講談社 1995 のち文庫
 
*『遠い過去近い過去』角川書店 1995 のち文庫
 
*『これを食べなきゃ わたしの食物史』集英社 1995 のち文庫
 
*『ものの見かた感じかた 渡辺淳一エッセンス』講談社 1995 のち文庫
 
*『本屋でぼくの本を見た』メディアパル、1996 のち角川文庫
 
*『風のように・嘘さまざま』講談社 1996 のち文庫
 
*『新釈・びょうき事典  Medical essay』集英社 1996 のち文庫
 
*『男というもの』中央公論社 1998 のち文庫
 
*『反常識講座』光文社 1998 「知的冒険のすすめ」知恵の森文庫
 
*『風のように・別れた理由』講談社 1998 のち文庫
 
*『風のように・不況にきく薬』講談社文庫 1999
 
*『源氏に愛された女たち』集英社 1999 のち文庫
 
*『男と女』講談社 1999 のち小学館文庫
 
*『風のように・贅を尽くす』講談社 2000 のち文庫
 
*『マイセンチメンタルジャーニイ』集英社 2000 のち文庫
 
*『秘すれば花』サンマーク出版 2001 のち講談社文庫
 
*『キッスキッスキッス 小学館 2002 「ラヴレターの研究」集英社文庫
 
*『手書き作家の本音 風のように』講談社 2002 のち文庫
 
*『シニアのためのスーパーゴルフ塾』[[金井清一]] 文春ネスコ 2002
 
*『男の手のうち女の胸のうち 対談集』光文社 2003
 
*『男時・女時 風のように』講談社 2003 のち文庫
 
*『夫というもの』集英社 2004 のち文庫
 
*『しなやかにしたたかに』日本放送出版協会 2004
 
*『風のように 女がわからない』講談社 2005 のち文庫
 
*『懲りない男と反省しない女 渡辺淳一と女たち』中央公論新社 2005 のち文庫
 
*『恋愛の[[毛沢東]] あとの祭り』新潮社 2005 「指の値段」文庫
 
*『みんな大変』講談社 2006 のち文庫
 
*『恋愛は革命 あとの祭り』新潮社 2006 「冬のウナギと夏のふぐ」文庫
 
*『これだけ違う男と女 渡辺淳一と女たち』中央公論新社 2006 のち文庫
 
*『鈍感力』集英社 2007 のち文庫 
 
*『知より情だよ あとの祭り』新潮社 2007 のち文庫
 
*『熟年革命』講談社 2008 のち文庫 
 
*『人間も偽装が好き あとの祭り』新潮社 2008 「触れ合い効果」文庫 
 
*『あきらめるのはまだ早い 対談ここまできた最新医学』1-2 講談社 2008
 
*『欲情の作法』幻冬舎 2009
 
*『告白的恋愛論』角川書店、2009 「わたしの中の女性たち」文庫 
 
*『親友はいますか あとの祭り』新潮社 2009 のち文庫 
 
*『幸せ上手』講談社 2010  のち文庫 
 
*『事実婚 新しい愛の形』集英社新書、2011
 
*『死なない病気 あとの祭り』新潮社 2011 のち文庫 
 
*『一度は泊まりたい日本の宿』集英社 2011
 
*『老いかたレッスン』新潮社 2012
 
*『瓦礫の中の幸福論 わたしが体験した戦後』幻冬舎 2012
 
*『男と女、なぜ別れるのか』集英社 2013
 
*『いくつになっても 陽だまりの家』講談社 2014
 
*『いつまでも男と女 老いかたレッスン』新潮社 2014
 
 
 
== 作品集 ==
 
*'''渡辺淳一作品集''' 全23巻 文藝春秋 1980-1981
 
*'''渡辺淳一全集''' 24巻 角川書店 1995-1997
 
*渡辺淳一自選短篇コレクション 全5巻 朝日新聞社 2006
 
 
 
==映像化された作品==
 
* 『[[花埋み]]』 ISBN 4-04-130714-7、ISBN 4-04-130715-5(角川文庫)
 
* 『[[遠き落日]]』 ISBN 4-10-117601-9(新潮文庫)
 
* 『リラ冷えの街』
 
* 『[[ひとひらの雪#映画|ひとひらの雪]]』(R-15指定)
 
* 『[[桜の樹の下で]]』(R-15指定)
 
* 『[[化身 (渡辺淳一)|化身]]』(R-15指定)
 
* 『流氷の原』
 
* 『無影燈』(『[[白い影]]』)
 
* 『[[失楽園 (渡辺淳一)|失楽園]]』(映画版のみR-15指定)
 
* 『[[エ・アロール それがどうしたの]]』
 
* 『[[氷紋]]』
 
* 『[[北都物語]]』
 
* 『[[野わけ]]』
 
* 『ダブル・ハート』(『[[冬の陽]]』)
 
* 『まひる野』
 
* 『[[くれなゐ (渡辺淳一)#テレビドラマ版|くれなゐ]]』
 
* 『[[麻酔 (小説)|麻酔]]』
 
* 『[[阿寒に果つ]]』
 
* 『[[雪舞]]』(『雪舞い』)
 
* 『化粧』
 
* 『[[別れぬ理由]]』(映画版のみR-15指定)
 
* 『[[愛の流刑地]]』(映画版のみR-15指定)
 
* 『メトレス・愛人』(2000年)
 
* 『麗しき白骨』(『白き抗争』)(1983年、[[土曜ドラマ (NHK)|NHK土曜ドラマ]])
 
* 『空白の実験室』(1986年、火曜サスペンス劇場にて)
 
* 『長く暑い夏の一日』(1988年、火曜サスペンス劇場にて)
 
* 『[[雲の階段]]』(2006年、韓国ドラマ・2013年、[[水曜ドラマ (日本テレビ)|水曜ドラマ]])
 
* 『マリッジリング』(2007年、R-15指定)
 
* 『[[泪壺]]』(2008年、R-15指定)
 
 
 
== 朗読化作品 ==
 
*『光と影』 朗読:[[大沢たかお]]([http://junpeishoten.jp/audiobook/01_hikaritokage.html 作品紹介ページ])
 
*『秘すれば花』([http://junpeishoten.jp/digitalbook/01hisurebahana.html  作品紹介ページ])
 
*『孤舟』 朗読:[[黒木瞳]]([http://junpeishoten.jp/audiobook/koshu/  作品紹介ページ])
 
*『[[鈍感力]]』朗読:[[小泉孝太郎]]([http://e-spiritbooks.jp/audiobook/donkanryoku/  作品紹介ページ])
 
 
 
==外国語訳==
 
*''A Lost Paradise'' 失楽園 Julie Carpenter (Aug 2000)
 
*''Beyond the Blossoming Fields'' (花埋み)Deborah Iwabuchi,Anna Isozaki 2008
 
*愛如是(中国語)
 
*涙壺(中国語)
 
 
 
==脚注==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
<div class="references-small"><references /></div>
 
 
 
== 関連項目 ==
 
*[[渡辺淳一文学館]] - 北海道札幌市にある渡辺淳一個人の文学館
 
*[[河邨文一郎]]([[詩人]]/[[札幌医科大学]]時代の渡辺淳一の師匠)
 
*[[渡辺淳一文学賞]] - [[集英社]]が創設した文学賞
 
*[[三浦雄一郎]] - 北海道大学の一般教養部で同期だった。
 
 
 
==外部リンク==
 
* [http://junpeishoten.jp/ 淳平書店 - JUNICHI WATANABE BOOK STORE]:全著作を網羅した公式サイト
 
* [http://www.ac.auone-net.jp/~bungaku/ 渡辺淳一文学館]
 
* [http://watanabe-junichi.net/ 渡辺淳一オフィシャルブログ「楽屋日記」Powered by Ameba]
 
* {{Twitter|Junichi1024|渡辺淳一}}
 
*[http://www2.nhk.or.jp/archives/jinbutsu/detail.cgi?das_id=D0016010413_00000 渡辺淳一|NHK人物録|NHKアーカイブス]
 
 
 
{{直木賞|第63回}}
 
{{吉川英治文学賞|第14回}}
 
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渡辺 淳一(わたなべ じゅんいち、1933年昭和8年)10月24日 - 2014年平成26年)4月30日

 小説家。北海道空知(そらち)郡生まれ。札幌医科大学卒業。中学校時代、国語教師を通じて初めて文学と触れ合い、文学への関心を高めつつも、1952年(昭和27)北海道大学理類に入学。1954年には札幌医科大学医学部に進学し医学の道へ。同大学在学中に処女作「イタンキ浜にて」を発表。1959年整形外科で医師国家試験に合格。母校の整形外科で講師となるが、同人誌『くりま』を通じて小説を発表し続け、1959年「人工心肺」がテレビドラマ誌脚本募集に入選し、テレビ放映される。1964年、結婚。1965年には北海道内の同人誌優秀作に選ばれた、母親の死を描いた「死化粧」(「華やかなる葬礼」を改稿)で第12回新潮同人雑誌賞を受賞し文壇デビュー。「死化粧」は第54回芥川賞候補にもなる。冒頭の第1行目「今日一日、わたしは休みなく働いた」という一文は、明らかにカミュの『異邦人』の影響を受けている。その当時、作者はカミュに熱中し『異邦人』も暗記するほど何度も読んだという。過去形で積み重ねられていく、短く簡潔な文章にひそむ乾いた叙情性に惹かれていたためで、カミュはその後の渡辺の作品にもかなり影響を与えている。1967年発表の「霙(みぞれ)」が第57回直木賞候補、1968年「訪れ」が第58回芥川賞候補となり、1969年札幌医科大学講師を辞職、本格的に作家業に専念するため上京。これら候補作を集めた作品集『ダブル・ハート』(1969)が刊行された。

 西南戦争で同様の傷を負い、1人は腕を切断し、1人は切断しないままという処置の違いで、対照的な後半生を歩む2人の軍人の数奇な運命をたどる人間像を描いた『光と影』(1970)で念願だった第63回直木賞を受賞。ほかに伝記小説的な分野も手掛けるようになり、1970年には日本の女医第一号である荻野吟子の生涯を描いた書き下ろし長編『花埋(はなうず)み』を発表。北海道出身の女流歌人中城ふみ子の短い生涯を追う『冬の花火』(1975)、明治期から大正へかけて新劇の勃興期に一時代を築いた松井須磨子の一生を、人間的な角度から捉えた『女優』(1977)、日本の志願解剖第一号となった遊女の動機に迫った『白き旅立ち』(1979)、天才にして野放図な性格でもあり、毀誉褒貶(きよほうへん)が激しい野口英世の生涯を描く『遠き落日』(1979)と、この傾向の作品には秀作が多い。

 また地方紙に『リラ冷えの街』(1971)を連載。初めての週刊誌連載で初期の代表作『無影燈』(1972)を発表。ニヒルで孤独感の漂う外科医と、彼を慕う看護婦との報われない恋愛と医学界の内幕を描いた本作によって渡辺淳一の人気は決定的になった。『野分け』(1972)、『峰の記憶』(1978)、『流氷への旅』(1980)など、清冽な恋愛ロマンも多い。また全5巻の『白夜』(1980~1988)は自伝的長編で、医学生となった頃から文学の道を目指して上京するまでの前半生が描かれる。

 『遠き落日』『長崎ロシア遊女館』(ともに1979)で第14回吉川英治文学賞を受賞、渡辺淳一の名声をより一層確実なものとする。その一方で『化粧』(1982)、『ひとひらの雪』(1983)、『化身(けしん)』(1986)など、男女の愛と性の深淵や人間の情念を華麗な筆致で描き「新耽美派文学」として高い評価を受けると同時に、いずれも大ベストセラーとなる。1990年(平成2)発表の『うたかた』刊行時には、「うたかた族」といった造語が誕生。恋愛小説の教祖的存在となる。1995年『日本経済新聞』に『失楽園』を連載。日頃恋愛小説に接することの少ない中年男性読者を魅了した。1997年には『失楽園』が映画・テレビドラマ化され、一大ブームを巻き起こし、「失楽園」が1997年度新語・流行語のグランプリを受賞するという出来事も起こった。1998年には北海道札幌市の中島公園そばに「エリエールスクエア札幌渡辺淳一文学館」が開館。



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