渡辺信義

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渡辺 信義(わたなべ のぶよし、1929年8月23日- )は、広島県三次市三良坂町出身の元プロ野球選手である。現役時代のポジションは、投手。

来歴

私立日彰館中学校(現・広島県立日彰館高校)を卒業後、広島県庁軟式野球チームを経て、1951年の夏に広島カープへ入団[1]

アマチュア時代は上手投げであったが、石本秀一監督からの助言により、入団後直ちに下手投げに転向した[1]

「十字架球」と称された変化球を習得・駆使し、1952年にはシーズン自己最多の6勝を挙げている[1]。シュートボールが武器。

1955年オフに引退後は、広島県庁に復帰し、1998年9月まで勤務していた[1]

1999年にはカープ球団創立50年目を記念して「カープOB始球式」が企画され、同年4月9日の広島東洋カープとヤクルトスワローズとの試合に参加。引退の年以来、44年ぶりにファンの前で投げる姿を披露した[2]

詳細情報

年度別投手成績

1951 広島 2 0 0 0 0 0 0 -- -- .000 27 7.0 6 0 0 -- 0 3 0 0 0 0 0.00 0.86
1952 43 22 5 2 1 6 14 -- -- .300 794 184.0 183 12 54 -- 2 34 1 2 102 74 3.62 1.29
1953 32 11 1 0 0 4 6 -- -- .400 393 83.1 112 9 28 -- 0 17 0 0 70 51 5.46 1.68
1954 17 4 0 0 0 1 3 -- -- .250 241 53.0 73 3 7 -- 3 15 1 0 38 36 6.11 1.51
1955 8 0 0 0 0 0 0 -- -- .000 80 17.1 27 3 4 0 0 10 0 0 16 13 6.50 1.27
通算:5年 102 37 6 2 1 11 23 -- -- .324 1535 344.2 401 27 93 0 5 79 2 2 226 174 4.54 1.44

背番号

  • 20 (1951年 - 1955年)

脚注

  1. 1.0 1.1 1.2 1.3 カープ50年 夢を追って、中国新聞社、1999年11月、P44
  2. 広島カープ「OB始球式」出場者一覧

関連項目