池端清一
池端 清一(いけはた せいいち、1929年8月20日 - 2007年2月28日)は、日本の政治家。勲章は勲一等瑞宝章。室蘭市名誉市民。
国土庁長官(第27代)、社会民主党国会対策委員長(初代)、衆議院懲罰委員長、衆議院災害対策特別委員長、衆議院議員(7期)等を歴任。
来歴・人物
北海道釧路市生まれ。旧制弘前高校(現弘前大学)、早稲田大学法学部卒業。大学卒業後は北海道日高支庁管内の学校教員に奉職し、北海道教職員組合の書記長も務めた。
1976年、第34回衆議院議員総選挙に日本社会党公認で旧北海道4区から出馬し、初当選。しかし、1979年の第35回衆議院議員総選挙では落選。1980年、ハプニング解散による第36回衆議院議員総選挙で返り咲いた。同年、総理府に設置された北海道開発審議会で委員を務める。
1993年、衆議院災害対策特別委員長に就任。在任中には雲仙普賢岳噴火や北海道南西沖地震が発生した。
1995年、村山改造内閣で国土庁長官兼阪神・淡路復興対策担当大臣に任命され、初入閣した。1996年、日本社会党から党名を変更して結成された社会民主党に参加し、同党国会対策委員長に就任する。しかし、すぐに離党し、旧民主党結党に参加。同年の第41回衆議院議員総選挙には比例北海道ブロック単独で出馬し、7選。なお同じく旧社会党の所属議員であった金田誠一、中沢健次も比例北海道ブロックから旧民主党公認で出馬し、当選。
1999年、衆議院懲罰委員長に就任。同年9月の民主党代表選挙では、横路孝弘の推薦人に名を連ねる。
2000年の第42回衆議院議員総選挙には、妻の看病を理由に出馬せず、政界を引退した。引退後、中選挙区時代のライバルであった鳩山由紀夫の後援会長に就任。同年勲一等瑞宝章受章、2002年室蘭市名誉市民[1]。
2007年2月28日、心筋梗塞で死去。享年77。
政策
エピソード
- 北海道出身であるが、中世の豪族禰寝(根占)=小松氏庶流池端氏の末裔で、本籍地は鹿児島県根占町(現南大隅町)に留めたままであった。禰寝氏一族はしばしば「清」を通字に用い、それは禰寝氏本流小松清廉(帯刀)によく示されている。銀幕スターだった上原謙(本名:池端清亮)も末裔の一人。
- 1977年・2000年の2度にわたる有珠山噴火時での災害対策・復興に奔走した。
- 1997年、アイヌ新法制定の実現に尽力した。
脚注
- ↑ 室蘭市概要 > 名誉市民
- ↑ 第140回国会 法務委員会請願328号
党職 | ||
---|---|---|
先代: 結成 |
社会民主党国会対策委員長 初代 : 1996年 |
次代: 秋葉忠利 |
テンプレート:衆議院懲罰委員長 テンプレート:衆議院災害対策特別委員長