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{{駅情報
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|社色      = #ccc
 
|文字色    = #000
 
|駅名      = 汐留駅
 
|画像      =Tōkyō_shiodome_tetsudō_jōkisha_tsūkō_no_zu.jpg
 
|pxl        = 180px
 
|画像説明  = 浮世絵に描かれた開業当初の駅舎
 
|よみがな  = しおどめ
 
|ローマ字  = Shiodome
 
|副駅名    =
 
|前の駅    = [[品川駅|品川]]
 
|駅間A      = 4.9
 
|駅間B      = 8.9
 
|次の駅    = [[東京貨物ターミナル駅|東京貨物ターミナル]]
 
|電報略号  = トメ
 
|駅番号    =
 
|所属事業者 = [[日本国有鉄道]](国鉄)
 
|所属路線  = [[東海道本線]]貨物支線<br />([[東海道貨物線]])
 
|キロ程    = 4.9
 
|起点駅    = [[品川駅|品川]]
 
|所在地    = [[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[東新橋]]一丁目
 
|座標      = {{ウィキ座標2段度分秒|35|39|57|N|139|45|41|E|type:railwaystation_region:JP-13|display=inline,title}}
 
|駅構造    =
 
|開業年月日 = [[1872年]][[10月14日]]<ref name="japan-civil-engineering-history-s16-s40-1973-4">土木学会日本土木史編集委員会 『日本土木史:昭和16年-昭和40年』 [[土木学会]]、1973年4月。</ref><br />([[明治]]5年9月12日)
 
|廃止年月日 = [[1986年]](昭和61年)[[11月1日]]
 
|備考      = [[1914年]] 新橋駅(初代)から改称
 
}}
 
[[File:ckt-74-15_c30_42.jpg|right|thumb|1974年の汐留駅。{{国土航空写真}}]]
 
'''汐留駅'''(しおどめえき)は、[[東京都]][[港区 (東京都)|港区]][[東新橋]]1丁目にあった[[日本国有鉄道]](国鉄)の[[鉄道駅|駅]]。[[東海道本線]]の貨物支線([[東海道貨物線]])上にあった。
 
 
 
== 概要 ==
 
[[1872年]][[10月14日]]([[明治]]5年[[9月12日 (旧暦)|9月12日]])に[[日本の鉄道開業|日本最初の鉄道路線]]の起点として開業した'''新橋駅'''(初代)がこの駅の始まりである。[[リチャード・ブリジェンス]]の設計による[[木構造 (建築)|木造]]石張り2階建ての西洋建築の駅舎があり、長らく[[東京]]の[[ターミナル駅]]として機能していた。また[[1873年]](明治6年)9月には、当駅と横浜駅(初代・現在の[[桜木町駅]])との間で日本初の[[貨物列車]]の運行が開始された。1日1往復の運行で、[[イギリス]]製の[[有蓋車]]や[[無蓋車]]を使用していたという。
 
[[1896年]]([[明治]]29年)9月1日に新橋駅・横浜間に日本初の急行列車を運転。
 
 
 
しかし、[[1914年]]([[大正]]3年)12月20日に旅客ターミナル駅の機能が新設の[[東京駅]]に移り、旅客営業が廃止された<ref name="japan-civil-engineering-history-s16-s40-1973-4" />。駅構内が広大だった当駅は[[貨物駅]]として再使用されることになり<ref>[{{NDLDC|1920419/92}} 「新橋は貨物駅に」明治33年10月17日日本新聞『新聞集成明治編年史. 第十一卷』](国立国会図書館デジタルコレクション)</ref>、'''汐留駅'''と改称し、同時に、電車線の駅であった烏森駅が、[[新橋駅]](2代目)と改称している。なお、駅名改称に反対した人もいた。また、歴史ある駅舎を利用して鉄道博物館を建設するという構想もあった<ref>鳥海基樹「[http://ud.t.u-tokyo.ac.jp/works/w94/toriumi.html 我国戦前における近代建築保存概念の変遷に関する基礎的研究]」(東京大学大学院都市工学専攻 1994年度修士論文)</ref>。
 
 
 
<!--新橋停車場は静かに、その43年の現役生活から引退するのである。大正3年12月21日の東京朝日新聞には、「東京駅の初日見物 三百の駅員は嬉しさう 宏壮に驚く乗降客」
 
という見出しの東京駅開業の記事の影に、「新橋駅の最終日」という見出しの記事があり、その書出しはこんな風である。
 
「新橋駅!如何に其名が懐しく響くよ!ああそれも今日からは、思ひ出の種になってしまった。」
 
 
 
美術評論家・黒田鵬心は、[[1914年]](大正3年)8月8・9日の東京朝日新聞に「新橋停車場ステーションを鉄道博物館とせよ」という記事を載せている。
 
 
 
新橋停車場は東京駅開業を目前に、貨物専用駅化が予定されたため、旅客駅である烏森駅を新橋駅と改称し、新橋停車場を汐留駅に改称することが決定したが、黒田はこれに猛反発している。
 
「死したる人の名をとつて付けてこそ、其の人の記念となれ、猶生きたる人の名をとつて他に付せんとするのは、妄である。」
 
「四十三年前に生れて以来、一日も休む事なく働いたものを、今別に立派なも(注:東京駅)が生れたから、殺して了へ、其の名も奪つて新しく生れたもの(注:烏森駅)に付よとは人情云へないことではあるまいか。」
 
 
 
この駅名保存問題は、ひとり黒田の関心を引いたものではなかった。例えば、古川鉄道院副総裁は、[[1914年]](大正3年)7月15日の東京朝日新聞に「現在新橋行と云へば東京と解され東京行と云へば新橋と解せらるる習慣なるに東京の表玄関として中央停車場出来せるに拘らず規模小にして急行車さへも全部停車せざる現在の烏森駅の改称のため従来の習慣上東京の表玄関と誤解さるる虞あればなり又一面より考ふるに現在の新橋駅の建物(仮令他に移す場合あるも)を其侭保存し且貨物駅となすにしても現位置の侭之を新橋駅と呼ぶ方後年の記念としても理由ある処置と思惟せらるるなり」 と述べ、鉄道院高官にも改称反対論者がいたことがわかる。
 
 
 
[[1914年]](大正3年)9月3日の東京朝日新聞は、烏森駅が新橋駅に改称されることが決定した旨報じているが、それによると改称は各区委員が市民を代表して陳情請願した結果であるらしく、ビジネスチャンスを前に正論が通らなかったことを示している。そして翌4日の同紙は、新橋停車場の汐留駅改称を小さく伝えたのであった。
 
 
 
黒田鵬心の[[1914年]](大正3年)8月8・9日の東京朝日新聞記事抜粋。
 
 
 
「単に停車場の嚆矢たるのみならず、我国で西洋風の材料・構造・様式を持つて出来た最初の建築物である。これより先き明治二年頃、龍の口に小煉瓦造が出来たさうであるが、それが毀たれて後は、この新橋停車場が、最古の西洋建築と云つて可いのである。」
 
 
 
「固より土木技師の設計で、其の意匠は決して褒められない、美的評価を下せは殆ど零のものかも知れない。併し最古といふ事実は何人と雖も拒む事が出来ないし、其所に歴史的価値の動かすべからざるものがあるのである。」
 
 
 
「あの建物を博物館の建物とし、其の内に鉄道に関する参考物を陳列したならば、博物館の建築と内部の陳列物との関係は、至極面白く、此の点で慊焉たる現在の諸博物館を瞠若たらしむる事が出来やう。」
 
「鉄道博物館は交通博物館又は逓信博物館の一部に属するものであるから、之を独立させるにも、十分価値がある。殊に逓信省の近くにあるのは、幸ひである。」
 
「博物館とするのは、現在の出札場、各等待合室、階上の一部だけ位でよからう。プラットフォーム其他は毀つなり、改造するなりして貨物駅に役立てるがよからう。それ丈けをも今の侭残し得ない程鉄道院も窮迫していまい。」
 
「あの広場には樹木を植て小公園とし、或は鉄道に功労深き人の記念像を建てるなどにも極めて適していると思ふ。」
 
 
 
結局黒田による保存論は結実しないのだが、大正6年になり或る提案がなされることになる。
 
現地での保存ではなく、移築して残そうというもので、新しい用途として考えられたのが、黒田の提案を知ってか知らずか鉄道博物館であった。ところが、その保存概念が黒田の発想とは全く相違するところに源泉を持っていた。
 
「此の建物は我国鉄道の嚆矢たる京浜間の鉄道開通当時に建設されたもので明治五年九月十二日右鉄道の開通式を行ふに当り明治天皇の行幸を仰ぎ盛大な儀式を行つたもので四十三年間其間殆ど毎年明治天皇には同駅より各方面へ行幸あらせられ先帝陛下とは最も深い御縁故があるので此の際同建物を永遠に保存の為明治神宮外苑内に移築の議がある」
 
-->
 
[[1923年]](大正12年)[[9月1日]]に発生した[[関東大震災]]により開業時からの駅舎は焼失し、しばらく後になった[[1934年]]([[昭和]]9年)3月に[[鉄筋コンクリート]]2階建ての駅舎に建て替えられた。
 
 
 
[[1959年]](昭和34年)に当駅 - [[梅田信号場|梅田駅]]間で日本初の[[コンテナ]]専用貨物列車「[[たから (列車)|たから号]]」が運転されるようになり、[[1964年]](昭和39年)には[[チッキ|小荷物]]取扱を開始した。東海道・山陽方面へ向かう[[貨物列車]]・[[荷物列車]]の[[ターミナル駅]]として君臨し続けたが、荷物輸送が[[宅配便]]の登場で衰退し、貨物輸送は[[コンテナ]]列車中心に変化していき、駅敷地が狭く増加するコンテナの取扱量に対応できず、やがて[[鉄道]]による荷物輸送が[[1986年]](昭和61年)[[11月1日]]に廃止されると[[東京貨物ターミナル駅]](1973年開業)に機能を譲り、汐留駅もその長い歴史に幕を閉じた。
 
 
 
なお、当駅からその東京貨物ターミナル駅までの区間には同駅がある大井埠頭と当駅の[[頭字語|頭文字]]を取った'''大汐線'''(おおしおせん)という[[通称]]がある。また駅構内から[[芝浦駅]]、[[東京市場駅]]への線路が延びていた。芝浦駅への線路は、駅構内の一番東側の部分から、構内の線路で折り返す形態でつながっていた。東京市場駅へは、駅北東側でコンテナホームや混載ホームの間から、そのまま[[築地市場]]への線路が延びていた。
 
 
 
変わったところでは、[[1985年]](昭和60年)に運行を開始した[[カートレイン]]は、当駅と[[鹿児島本線]][[東小倉駅]]間で運行しており、[[1986年]](昭和61年)の駅廃止直前まで、同列車の東京方始発・終着駅として利用され(その後[[恵比寿駅]]に、末期は[[浜松町駅]]に変更)、こちらから発着する[[団体専用列車]]も運転されたこともある。
 
 
 
== 歴史 ==
 
[[ファイル:Shimbashi Station Hiroshige III.jpg|right|thumb|400px|[[歌川広重 (3代目)|3代目歌川広重]]「新橋ステイション」]][[File:『新橋停車場之図』.jpg|thumb|明治期の旧新橋駅のにぎわい]]
 
* [[1872年]][[10月14日]]([[明治]]5年[[9月12日 (旧暦)|9月12日]]) - '''新橋駅'''(初代)として開業。初日は式典と[[明治天皇]]御座乗[[お召し列車]]運行のみで、実際の営業は翌日から。
 
* [[1873年]](明治6年)[[9月15日]] - 貨物の取扱を開始。
 
* [[1914年]]([[大正]]3年)[[12月20日]] - 東京駅開業に伴い旅客営業を廃止、'''汐留駅'''に改称。
 
* [[1923年]](大正12年)[[9月1日]] - 関東大震災で被害を受ける。応急復旧でしばらく営業する。
 
* [[1934年]](昭和9年) - 応急復旧の仮施設の改築、本格的な復旧工事を実施。
 
* 1952年(昭和27年)10月17日 - 当駅と[[東横浜駅]]の間に[[国鉄5500形蒸気機関車|5500形蒸気機関車]]が牽引する国鉄80年記念列車「一声号」が運行される<ref>「国鉄80年記念」『Romance Car』No.21・23合併号、112-113頁(復刻アテネ書房、1983年)</ref>。
 
* [[1954年]](昭和29年)9月1日 - 小荷物(特別扱雑誌に限る。)の取扱を廃止<ref>1954年(昭和29年)8月26日日本国有鉄道公示第244号「東海道本線笹島停車場等における小荷物の取扱廃止」</ref>。
 
* [[1959年]](昭和34年)[[11月5日]] - コンテナ貨物の取扱を開始。汐留駅 - [[梅田信号場|梅田駅]]間でコンテナ専用貨物列車「たから号」が運行開始。これに合わせてコンテナ積卸線と低床ホームの新設、配線変更が行われた。
 
* [[1963年]](昭和38年)[[1月1日]] - 営業範囲を「貨物。ただし、散積の鉱石、石炭および野菜類ならびに活鮮魚(一塩のものを含む)の到着は取り扱わない。」から「貨物。ただし、次の貨物は取り扱わない。1.活鮮魚(一塩のものを含む)ならびに散積の石炭類、鉱石類および野菜類の到着貨物。2.木材、薪炭類、砂利および砂の到着車扱貨物。」へ改正する<ref>1962年(昭和37年)12月27日日本国有鉄道公示第653号「東海道本線汐留停車場における営業範囲を改正する件」</ref>。
 
* [[1964年]](昭和39年)[[10月1日]] - 営業範囲を「手荷物、小荷物および貨物。ただし、次のものは取り扱わない。発送手荷物および小荷物(特別扱新聞紙および雑誌を除く。)到着駅留手荷物および小荷物活鮮魚(一塩のものを含む。)ならびにばら積みの石炭類、鉱石類および野菜類の到着貨物木材薪炭類、砂利および砂の到着車扱貨物。」へ改正し<ref>1964年(昭和39年)9月28日日本国有鉄道公示第441号「営業範囲を改正」</ref>、[[チッキ|小荷物]]取扱を開始。
 
* [[1965年]](昭和40年)
 
** 3月 - [[東海道新幹線]]建設に伴い、敷地の一部を新幹線用地に提供することになり、関連する配線工事が行われてこの頃完成する。
 
** 10月1日 - 営業範囲を「手荷物、小荷物および貨物。ただし、手荷物および小荷物は次のものに限る。発送:特別扱新聞紙・雑誌、到着:配達扱のもの(駅渡しとなるものを含む。)。次の到着貨物は取り扱わない。1.活鮮魚(一塩のものを含む。)。2.ばら積みの石炭類・鉱石類・野菜類・車扱の木材・薪炭類・砂利・砂。」へ改正する<ref>1965年(昭和40年)9月29日日本国有鉄道公示第571号「停車場の営業範囲を改正」</ref>。
 
* [[1968年]](昭和43年)10月1日 - 営業範囲を「手荷物、小荷物および貨物。ただし、次の到着貨物は取り扱わない。1.活鮮魚(一塩のものを含む。)。2.ばら積みの石炭類・鉱石類・野菜類・車扱となる木材・薪炭類・砂利・砂。」へ改正する<ref>1968年(昭和43年)9月30日日本国有鉄道公示第386号「停車場の営業範囲を改正」</ref>。
 
* [[1972年]](昭和47年)[[10月14日|10月14]]・15日 - 当駅と[[東横浜駅]]([[桜木町駅]]に隣接)の間で、[[国鉄C57形蒸気機関車|C57形蒸気機関車]]が牽引する記念列車「鉄道100年記念号」が運行される。
 
* [[1974年]](昭和49年)10月1日 - 営業範囲を「荷物、貨物。次の到着を除く。1.活鮮魚(一塩のものを含む。)・ばら積の石炭類・鉱石類・野菜類。2.車扱による木材・薪炭類・砂利・砂。」へ改正する<ref>1974年(昭和49年)9月12日日本国有鉄道公示第208号「駅の営業範囲の改正」</ref>。
 
* [[1978年]](昭和53年)[[10月2日]] - 営業範囲を「荷物、貨物。貨物は、次の到着を除く。1.活鮮魚(一塩のものを含む。)・ばら積の石炭類・鉱石類・野菜類。2.車扱による木材・薪・炭類・砂利・砂。」へ改正する<ref>1978年(昭和53年)9月29日日本国有鉄道公示第122号「駅の営業範囲の改正」</ref>。
 
* [[1984年]](昭和59年)[[2月1日]] - 営業範囲を「貨物、車扱貨物。車扱貨物は、次の到着を除く。1.活鮮魚(一塩のものを含む。)、ただし、高速貨物列車による冷蔵車積みのものは除く。ばら積みの石炭類、鉱石類、野菜類。2.車扱による木材、薪炭類、砂利、砂。」へ改正する<ref>1984年(昭和59年)1月30日日本国有鉄道公示第174号「駅の営業範囲の改正」</ref>。
 
* [[1985年]](昭和60年)[[7月27日]] - 汐留駅 - [[東小倉駅]]間で[[カートレイン]]の運行を開始。営業範囲を「旅客、荷物、車扱貨物。ただし、旅客はカートレインに有効な乗車券類所持者に限る。車扱貨物は、次の到着を除く。ただし、高速貨物列車による冷蔵車積みのものは除く。1.活鮮魚(一塩のものを含む。)、ばら積みの石炭類、鉱石類、野菜類。2.車扱による木材、薪炭類、砂利、砂。」へ改正する<ref>1985年(昭和60年)7月19日日本国有鉄道公示第54号「駅の営業範囲の改正」</ref>。旅客営業再開。
 
* [[1986年]](昭和61年)[[11月1日]] - 廃止<ref>1986年(昭和61年)10月30日日本国有鉄道公示第139号「駅の廃止」</ref>。
 
 
 
== 廃止後 ==
 
[[File:0mile.JPG|thumb|240px|right|新橋駅0哩標識([[鉄道記念物]])]]
 
[[1987年]](昭和62年)[[4月1日]]にはここで、鉄道発祥の地であることから残った[[線路 (鉄道)|線路]]を使用して、[[蒸気機関車]]の汽笛で[[日本国有鉄道]](国鉄)の終焉と[[JR]]の発足を告げる([[国鉄分割民営化]])[[イベント]]が行われた。
 
 
 
民営化後、旧汐留駅跡地は[[日本国有鉄道清算事業団]]へ移管され、国鉄の長期債務を返済するための売却対象地で最も注目された。また、その後の再開発では[[民活]]と呼ばれる民間資本の導入が検討され、[[中曽根康弘]]内閣の[[行政改革]]政策の象徴ともなった。
 
 
 
しかし、東京の都心部にある31[[ヘクタール]]に及ぶ土地売却は「[[バブル景気]]による地価高騰が更に過熱する」という理由で、その実施は延期され、いわゆる塩漬け状態で、空き地のまま放置された。しかも、結局は[[バブル崩壊]]による地価暴落後に、安値での土地売却と買い叩かれる結果に終わり、[[日本国政府]]による長期債務返済計画は、大きく狂った。
 
 
 
実際の再開発工事は[[1995年]](平成7年)から開始され、その際に下記の旧新橋停車場跡などが発掘された。その後、[[2002年]](平成14年)以降には、同跡地に[[汐留|汐留シオサイト]]として、事業者用の[[超高層建築物|超高層ビル]]が次々と竣工した。同年には[[ゆりかもめ東京臨海新交通臨海線|ゆりかもめ]]と[[都営地下鉄大江戸線|都営大江戸線]]の[[汐留駅]]が開業し、汐留という駅名が引き継がれる事になった。
 
 
 
=== 旧新橋停車場跡 ===
 
[[File:kyu-shinbashi.JPG|thumb|240px|right|旧新橋停車場 鉄道歴史展示室]]
 
跡地は、[[1965年]](昭和40年)[[5月12日]]に「旧新橋横浜間鉄道創設起点跡」として国の[[史跡]]に指定され<ref>1965年(昭和40年)5月12日文化財保護委員会告示第24号「史跡旧新橋横浜間鉄道創設起点跡を指定する件」</ref>、[[1996年]]([[平成]]8年)[[12月10日]]に指定地域の一部解除・追加をし、「旧新橋停車場跡」へ名称変更した<ref>1996年12月10日文部省告示第205号「史跡の指定地域を一部解除し、地域を追加して指定し、名称を改める件」</ref>。[[発掘調査]]の後、[[風化]]を防ぐために埋め戻され、[[2003年]](平成15年)にその上に開業当時の駅舎を再現した「旧新橋停車場」が建てられた、同年[[4月10日]]開館。調査では[[鋳物]]工場跡や[[トイレ遺構]]などを検出している。
 
[[File:新橋停車場転車台.JPG|thumb|240px|right|旧新橋停車場の転車台基礎]]
 
内部は鉄道の歴史に関する「鉄道歴史展示室」(運営は[[東日本鉄道文化財団]])になっており、以前は[[三國清三]]監修による[[フランス料理]]店の「GRAND CAFE SHIMBASHI MIKUNI」(運営は[[ジェイアール東日本フードビジネス]])もあったが閉店した。その後、中華料理店「Imperial Treasure」を経て2018年現在は[[サッポロライオン|銀座ライオン]]が出店。
 
 
 
旧新橋停車場の裏手には、鉄道の起点であった「0哩([[マイル]])標」が当時と全く同じ位置に再現されており、当時の[[レール]]が数メートルだけ敷設されている。
 
 
 
== その他 ==
 
* [[鉄道博物館 (さいたま市)|鉄道博物館]]内に設けられたミニ運転列車の駅のひとつに、この駅にちなんで汐留の名が付けられた。
 
 
 
== 隣の駅 ==
 
; 東海道本線 東海道貨物線
 
: '''汐留駅''' - [[東京貨物ターミナル駅]]
 
: '''汐留駅''' - [[品川駅]]
 
: '''汐留駅''' - [[東京市場駅]](1984年2月1日廃止)
 
: '''汐留駅''' - [[芝浦駅]](1985年3月1日廃止)
 
 
 
== 脚注 ==
 
{{脚注ヘルプ}}
 
{{Reflist}}
 
 
 
== 参考文献 ==
 
* 福田敏一『[http://www.yuzankaku.co.jp/koukogaku/sonota2-4639018401.htm 新橋駅の考古学]』([[雄山閣]]、2004年) ISBN 4-639-01840-1
 
* 福田敏一『[http://www.yuzankaku.co.jp/koukogaku/sonota1-4639018576.htm 新橋駅発掘 <small>考古学からみた近代</small>]』(雄山閣、2004年) ISBN 4-639-01857-6
 
* 山田亮「汐留駅と東京の臨港鉄道 <small>歴史と現状</small>」
 
** 電気車研究会『[[鉄道ピクトリアル]]』2003年12月号 No.740 pp.61 - 68
 
* 向坂唯雄「<small>田端・品川界わい</small> 入換機関車の運転台から」 その4~6 品川編
 
** 交友社『[[鉄道ファン (雑誌)|鉄道ファン]]』2003年8月~10月号 No.508~510
 
* 相田圭介「東京・大阪・名古屋の貨物線」
 
** 電気車研究会『鉄道ピクトリアル』2008年9月号 No.808 pp.14 - 15
 
 
 
== 関連項目 ==
 
* [[日本の鉄道駅一覧]]
 
* [[関東の史跡一覧]]
 
* [[日本の鉄道開業]]
 
* [[札幌軟石]] 旧駅舎復元にあたり建材として使用された。
 
 
 
== 外部リンク ==
 
{{Commonscat|Shiodome Freight Terminal}}
 
* [http://www.ejrcf.or.jp/shinbashi/index.html 旧新橋停車場 鉄道歴史展示室] (東日本鉄道文化財団サイトより)
 
* [http://kunishitei.bunka.go.jp/bsys/index_pc.asp 国指定文化財等データベース]
 
 
 
{{東海道貨物線 (廃止区間)}}
 
{{DEFAULTSORT:しおとめ}}
 
[[Category:東京都港区の鉄道駅|廃しおとめ]]
 
[[Category:日本の鉄道駅 し|おとめ]]
 
[[Category:日本国有鉄道の廃駅]]
 
[[Category:東海道本線貨物線・貨物施設|廃しおとめ]]
 
[[Category:1872年開業の鉄道駅]]
 
[[Category:1986年廃止の鉄道駅]]
 
[[Category:東京都の廃駅]]
 
[[Category:東京都にある国指定の史跡|しおとめえき]]
 
[[Category:汐留|しおとめえき]]
 
[[Category:東京都港区の歴史|しおとめえき]]
 
[[Category:1872年竣工の建築物|しおとめえき]]
 
[[Category:西洋館|しおとめえき]]
 
[[Category:再建された日本の建築物|しおとめえき]]
 
[[Category:戦前の東京]]
 
[[Category:戦後の東京]]
 

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