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ja>茂林寺たぬき
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[[Image:Alegoria constitucion 1812-1-.jpg|250px|right|thumb|『時間・真理・歴史』<br>[[ゴヤ|フランシスコ・デ・ゴヤ作]]]]
 
'''歴史学'''(れきしがく)とは、[[過去]]の[[史料]]を[[評価]]・[[検証]]する[[過程]]を通して[[歴史]]の[[事実]]、及びそれらの関連を追究する[[学問]]である。
 
  
== 概要 ==
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'''歴史学'''(れきしがく)
[[人間]]にとって、何かしらの[[物事]]の成り立ちや経緯・来歴を知ろうとするのは半ば[[本能]]的な[[行為]]である。それ故に過去に関する記述を残したり、或いは過去を知るための[[技術]]は[[古代]]から存在していた<ref>[[ヘロドトス]]、[[トゥキディデス]]、[[司馬遷]]など</ref>。しかしながら、学問としての[[方法論]]を確立させた近代的な歴史学が成立したのは比較的新しい[[時代]]のことである。具体的には[[ルネサンス]]の時代に[[史料批判]]に関する技術の体系化が進められ<ref>詳しくは[[史学史]]を参照</ref>、[[17世紀]]以降に[[古文書学]]として成立した。
 
  
古文書学者でもあった歴史家[[レオポルト・フォン・ランケ]]は、[[古文書学]]の史料批判法を歴史研究において重要視する事で[[実証主義]]的な歴史学('''実証史学''')を確立し、歴史学を[[科学]]の域に高めた。「ただ事実を記すのみ」としたランケの実証史学は欧州史学界に大きな影響を与え、今日の歴史学の基礎とされている。だがランケの手法は史実探求に厳正さを付加した一方で文献資料偏重ともいえる風潮を生み出し、後に[[アナール学派]]などから批判を受ける。その為、現在の歴史学では実証史学を基調としつつも、文献研究以外の方法<ref>[[絵画]]、[[伝承]]、[[壁画]]、[[フィールドワーク]]、[[地理学]]、[[考古学]]など</ref>も歴史を探求する上で重要な知見として尊重されており、次第に[[人類学]]的な性格を持ちつつある<ref>詳しくは[[史料]]の項を参照</ref>。
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人間の過去の社会的生活の状態および変遷を研究する学問。歴史学が対象とするものは過去の人間の経験的事象であるから,直接には認識することができない。実在の証拠となる史料を媒介として認識するものであるから,史料の発見,収集,確定が歴史学の中核的な研究方法となる。歴史の記述は古来から行われていたが,近代の科学的歴史学は,史料学と史料批判の錬磨を通じて 19世紀にいたって確立された。史料の内容,性質は多様であり,各種の分類が行われるが,沈黙する遺物と歴史的対象への発言である報告,陳述との2つに大別され,性質の違いによる史料の吟味が研究者に要求される。史料の存在は広範かつ無限であり,偶然性も伴う。これらの史料を通じて過去を認識しようとする歴史学は,その解明のために他の諸科学の援助を必要とする。歴史学の側からはこれを補助科学と呼ぶが,[[古文書学]][[紋章学]][[印章学]]などは直接的に補助する学問である。また歴史学内部にも人間生活の側面への照明の当て方により,政治史,法制史,経済史,文化史などの区別が生れる。ところで,史料の収集,吟味が歴史学の中核的方法ではあっても目的ではない。史料を手段として人間社会の変遷を認識する作業,すなわち総合が歴史研究の目的であり,それは叙述によって完成する。この歴史認識の原理として歴史理論は不可欠であり,歴史学は歴史観を離れては存在しえないゆえんである。
  
過去を教訓として受け取る[[態度]]は古くから見られるものである。例えば、[[ニッコロ・マキャヴェッリ]]の『リヴィウス論』はイタリアの黄金時代であった[[古代ローマ]]の[[共和政ローマ|共和制]]の歴史を振り返ることで未来への教訓を見出そうとしている。<!---過去への理解を深める事を目的する事も散見される。--->しかし過去を安易に今日の基準でみることは過去を[[色眼鏡]]でみることになりかねないため、注意が必要である。例えば、今日戦争は悪であるとされているが、かつては紛争解決の最終手段として戦争は肯定されていた。自分の時代の[[価値観]]や倫理感を機械的に過去へ適用し、批判することは、しばしば歴史の実相を見誤ることになりかねない。
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== 研究法 ==
 
<!--過去の歴史の全ての局面を研究することはおそらく不可能であろう。--->歴史を振り返るのは人間の主体的な行為であり、各人の問題意識に従って課題(テーマ)が設定され、研究が行われる。自分の生きている社会に対して全く何の問題意識も持っていない人間には、歴史に対する問題意識も生まれてこないであろう。このことは、歴史研究が主観的なもので客観性がないという意味ではない。客観的な根拠を示し、論理的な考察を行うことで、他者を納得させられる研究が求められる。通常、歴史研究は先人から受け継いだ蓄積(研究史)があり、先人の業績を踏まえて研究を批判あるいは深化・発展させることが歴史学の目標になる。
 
 
 
=== 史料批判 ===
 
歴史学において[[史料批判]]は欠かせない作業である。史料批判とはその史料が信頼できるものなのか、信頼できるとしてどの程度信頼できるのかを見定める作業である。例えばある事件について、史料Aと史料Bが矛盾している場合、両方の史料の性格を考え、どちらが正しいか確定してゆく作業が含まれる。史料Aが事件から1年後の第三者による伝聞であり、史料Bは当事者の日記だとすれば、一般には事件に対して(時間的・空間的に)最も近い史料が確実なものと考えられるが、当事者の証言には(意識的・無意識的な)自己正当化が含まれることも多く、必ずしも真実とは限らないから、できるだけ多くの史料を集めて相互に批判検討を加えることが重要である。なお、伝聞であっても、その事件に対する世間での評価を含んでいるなど、史料として利用できる場合もある。
 
 
 
[[歴史書]]など既に編纂されている史料の場合は、著述者の立場により意図的な編纂が加えられている場合もある。例えば[[中国]]の[[正史]]([[二十四史]])は[[唐]]代以降、国家による編纂となったために、当代の[[王朝]]を正当化するために先代の王朝の最後の[[皇帝]]などが実際以上に悪く書かれる傾向にある。こうした史料を残した人の思想や信条、政治的状況、当時の社会状況を慎重に見定める事が必要である。
 
 
 
== 歴史観 ==
 
歴史観とは上記の方法論によって導き出された様々な歴史的事象の関連性や構造を考察する上において、どのような要素を重要視しているかの違いを指す用語である。歴史的事象の間に関連を見出そうとする事は歴史学にとって重要な営みの一つだが、その際、論者の歴史観によって大きく見方や意見は異なってくる。此処では時系列順に主な歴史観を列挙していく。
 
*古代ヨーロッパで[[キリスト教]]の影響力の元、神話上の出来事を史実として記す[[普遍史]]観が成立した。神学者[[アウグスティヌス]]の『神の国』のように、[[聖書]]([[旧約聖書]]・[[新約聖書]])をそのまま事実と捉え、[[天地創造#創世記の天地創造|天地創造]] - [[アダム]] - [[ノアの方舟]]等を経て[[救世主イエス・キリスト|イエス]]が誕生し、現在があり、やがては[[最後の審判]]を迎えるという流れが存在する、[[中世]]にわたって支配的な歴史観であった。後の[[啓蒙思想]]の時代に否定されたが、歴史には一定の目的があるとする発想は後世にも大きな影響を与えている。<!---また、この時代の特徴として、キリスト教中心的世界観があげられる。--->
 
**一方で中世における<!--一部の-->[[年代記]]は事象の相互関連を考察せず、ただ事実を列挙していくスタイルを取っている。「歴史観」を持たないこれらの書物を執筆した著者の関心は、戦闘などの特異な出来事や、華やかな祭典などに向けられている。
 
*[[ルネサンス]]以降、[[自然科学]]が発達し自然界に多くの法則があることが証明されてくると、歴史の中にも何らかの[[法則]]があるのではないかという思潮が高まり、[[啓蒙思想]]の時代になると、歴史は法則に基いて無知蒙昧な時代から啓蒙の時代へと進歩してゆくという歴史観([[進歩史観]])が主流となった。
 
**哲学者[[ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲル|ヘーゲル]]は人類の歴史の世界史的発展過程により理性(絶対精神)が自己を明らかにするものと捉えた。これも進歩史観の一つである。
 
*近代イギリスにおいて、歴史上の出来事を「進歩を促した者」と「進歩を阻害した者」という極端な二元論で解釈する[[ホイッグ史観]]が成立した。歴史に法則的進歩が存在する事を前提としている為、後述する[[唯物史観]]同様、進歩史観から派生した歴史観の一つとして捉えられる。
 
*歴史学者[[レオポルト・フォン・ランケ|ランケ]]は法則性の論証を優先して史実を乱雑に扱う進歩史観に反発し、その反動として徹底した[[実証主義]]的証明に基づく近代的な研究方法を確立し、歴史学を科学に高めた(実証史学)。ランケはヘーゲルらの歴史法則論を否定し、また法則性が求められた遠因とも言うべき実用性を至上視する学問の傾向に対して警鐘を鳴らした。
 
*著述家[[トーマス・カーライル]]は「世界の歴史は[[偉人]]の[[伝記]]である」と主張し、人物の業績を語ることでトップダウン的に歴史を把握する手法は、{{仮リンク|偉人説|en|Great Man theory}}として19世紀以降の社会史に強い影響を与えた<ref>井野瀬久美惠『[http://www.vssj.jp/journal/12/12-sasaki-1.pdf ヴィクトリア朝における歴史学と文学:伝記という叙述スタイルから考える]』 - 日本ヴィクトリア朝文化研究学会、2017年6月8日閲覧。</ref><ref>マット・リドレー『進化は万能である: 人類・テクノロジー・宇宙の未来』大田 直子, 鍛原 多惠子, 柴田 裕之, 吉田 三知世訳 早川書房 2016 ISBN 9784152096371 pp.285-287.</ref>。
 
*哲学者[[カール・マルクス|マルクス]]はヘーゲルの進歩史観を継承しつつ、思想や観念を歴史の原動力とした部分を批判、経済的な関係こそが歴史の原動力であるとした[[唯物史観]]を確立した(『[[共産党宣言]]』『[[資本論]]』)。また、生産力と生産関係の矛盾が深まると社会変革が起こると考えた。
 
*社会学者・経済学者[[マックス・ウェーバー]]は、『[[プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神]]』において、人間の行動を規定するものとして[[宗教]]に注目し、[[宗教倫理]]と経済活動の関連を研究した。ウェーバーのこうした手法は、文化的な差異が歴史の進展にも差異が生じさせていることを明らかにした。また、ウェーバーは[[学問]]に価値判断(例えば[[社会主義]]が正しい、[[革命]]は必然的である等)を持ち込むことを厳しく批判した。
 
*歴史学者[[アンリ・ピレンヌ]]は[[経済史]]の側面から経済的要素が歴史に重要な影響を与える事を論証した。ピレンヌの研究は同じ経済を重要な要素として位置づけている点では[[唯物史観]]と一致しているものの、図式的な見方を拒否するなど一線を画した内容となっている。
 
*20世紀に登場した[[アナール学派]]<ref>{{lang-fr-short|École des Annales}}</ref>は[[社会学]]や[[心理学]]などの他の社会科学からの方法論を援用し、それまでの事件中心の歴史認識に対し、心性や感性の歴史、また歴史の深層構造の理解などマクロ的な歴史把握を目指した。また、アナール学派の台頭以降、個別の事件性や通史ではなく、[[農政史]]、[[出版史]]、[[物価史]]、[[人口史]]、[[経済史]]、[[心性史]]などの社会学的なテーマ史や、社会学、[[文化人類学]]、[[経済学]]、[[民俗学]]などの知見を取り入れる学際性を重視する傾向が見られる。
 
*地理学者・生物学者[[ジャレド・ダイアモンド]]は『銃、病原菌、鉄』で地理的・生物学的要因が歴史を決定付けると主張、史学界に論争を起こした。
 
*社会学者・歴史学者[[イマニュエル・ウォーラステイン|ウォーラステイン]]によって提唱された[[世界システム論]]は、歴史は1つの国や社会で完結するものではなく、世界システムの過程から捉えるべきであるとしている。
 
 
 
== 歴史法則 ==
 
近代において主流となっていた啓蒙主義や唯物史観においては、歴史はある[[法則]]に基づき一定の方向へ進んで行くものと考えられ、歴史法則の発見が主要な研究目標として掲げられた。しかし実証主義を基幹とする今日の歴史学では、基本的に一回性の連続であり、こうした普遍的・絶対的な歴史法則が存在するとする意見は否定されている。また仮に何らかの法則性が存在したとしても、歴史は人類文明に存在する全ての要素から構成されている極めて複雑な概念であり、その要素が全て解明されでもしない限り、普遍的法則を構築する事は困難である。ただ論者によっては緩やかな法則(傾向法則)であれば解明は可能とする論者も存在する。とはいえ法則のように見えるものは概ね一つの仮説に過ぎず、例えば唯物史観は正しいか、そうでないかということではなく、それが歴史的事象を的確に説明できる限りにおいて正しいものと考えられる。
 
 
 
== 客観性 ==
 
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=== 現代史の困難さ ===
 
例えば古代ギリシア史やルネサンス史を論じる場合と自分の生きる時代を含む[[現代史]]を論じる場合とでは、後者に固有の困難さが生じる。現在の社会が抱えている諸課題が、現代史には生々しく反映されてしまう。例えば、[[第二次世界大戦]]のために多大な被害を受けた人々が多数生存しており、未だその傷は癒えていない。政治の駆け引きの道具としてそれが利用されてしまうことも多い。[[日本]]でも特に第二次世界大戦前後を巡る歴史認識について、いくつかの論争が起こってきたが、感情的なやり取りも見受けられ、客観的な評価を行ううえでの困難さが生じている。そのような事情をふまえながらも、事実や関連性を明らかにしてゆく努力が重ねられてゆくことは必要である。
 
 
 
== 学問的分類 ==
 
日本の大学においては諸学問の基礎研究・古典研究の一環として各学部で其々の専門分野の歴史的研究が行われているが、特に[[文学部]]が歴史研究のみを専門的に行う[[歴史学部|史学科]]を設置しているケースが多い事から便宜的に[[人文科学]]に分類される。しかし経済学や社会学、社会人類学との関係性から[[社会科学]]への分類を妥当とする意見も存在し、統一した見解は得られていない。
 
 
 
一方、欧米では社会諸科学との親和性から[[社会科学]]に分類されるが、此方でも人文科学と社会科学の何れに含めるかに付いて議論が重ねられている。
 
 
 
== 脚注 ==
 
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== 関連項目 ==
 
{{ウィキポータルリンク|歴史学}}
 
* [[経済史]]
 
* [[政治史]]
 
* [[文化史]]
 
* [[社会史]]
 
* [[科学史]]
 
* [[思想史]]
 
* [[インテレクチュアル・ヒストリー]]
 
* [[美術史]]
 
* [[考古学]]
 
* [[史学史]]
 
* [[古銭学]]
 
* [[法制史]]
 
**([[日本の法制史]])
 
* [[歴史学者]]
 
* [[歴史哲学]]
 
* [[歴史修正主義]]
 
*[[史料]]
 
**[[古文書]]
 
**[[古記録]]
 
**[[歴史書]]
 
**[[絵画史料]]
 
*[[歴史地理学]]
 
 
 
 
 
{{人文科学}}
 
 
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[[Category:歴史学|*]]
 
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2018/12/23/ (日) 17:46時点における最新版

歴史学(れきしがく)

人間の過去の社会的生活の状態および変遷を研究する学問。歴史学が対象とするものは過去の人間の経験的事象であるから,直接には認識することができない。実在の証拠となる史料を媒介として認識するものであるから,史料の発見,収集,確定が歴史学の中核的な研究方法となる。歴史の記述は古来から行われていたが,近代の科学的歴史学は,史料学と史料批判の錬磨を通じて 19世紀にいたって確立された。史料の内容,性質は多様であり,各種の分類が行われるが,沈黙する遺物と歴史的対象への発言である報告,陳述との2つに大別され,性質の違いによる史料の吟味が研究者に要求される。史料の存在は広範かつ無限であり,偶然性も伴う。これらの史料を通じて過去を認識しようとする歴史学は,その解明のために他の諸科学の援助を必要とする。歴史学の側からはこれを補助科学と呼ぶが,古文書学紋章学印章学などは直接的に補助する学問である。また歴史学内部にも人間生活の側面への照明の当て方により,政治史,法制史,経済史,文化史などの区別が生れる。ところで,史料の収集,吟味が歴史学の中核的方法ではあっても目的ではない。史料を手段として人間社会の変遷を認識する作業,すなわち総合が歴史研究の目的であり,それは叙述によって完成する。この歴史認識の原理として歴史理論は不可欠であり,歴史学は歴史観を離れては存在しえないゆえんである。



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