梶井基次郎

提供: miniwiki
移動先:案内検索

梶井 基次郎(かじい もとじろう、1901年明治34年)2月17日 - 1932年昭和7年)3月24日)

小説家。第三高等学校を経て東京帝国大学英文科に学んだが,結核を病んで中退。

在学中の 1925年同人雑誌『青空』を創刊し,この年に『檸檬』『城のある町にて』『泥濘(でいねい)』『路上』『橡(とち)の花』など,青春の虚無と退廃の詩情を繊細な文体で綴った秀作を同誌に次々と発表したが,文壇からはまったく黙殺された。

1926年病状悪化のため伊豆湯ヶ島温泉に移り,その後病める自意識の心象風景を描いた『冬の日』(1927)を発表して翌 1928年に上京,ボードレール風な幻想性に富む散文詩『桜の樹の下には』(1928)などでようやく文壇の注目を集めるようになった。しかし病重く,大阪の両親のもとに戻った。

1930年創作にとりかかり,性の感覚的表現に新境地を開いた『愛撫(あいぶ)』(1930),『闇の絵巻』(1930),『交尾』(1931)を書いた。この間,淀野隆三ら旧『青空』の同人が彼の才能を惜しみ,梶井の作品 18編による創作集『檸檬』(1931)を出版した。これを機に初めて『中央公論』から依頼を受け,『のんきな患者』(1932)を発表,大阪での療養生活を描いて,苦悩を突きつめた明るさの予兆に作風の転換を思わせ,文壇の認めるところとなったが,この作品が絶筆となった。鋭い感受性と的確な表現に恵まれた作家で,その透徹した作風は死後ますます高く評価され,1934年『梶井基次郎全集』が出版された。