村田敬次郎

提供: miniwiki
移動先:案内検索

村田 敬次郎(むらた けいじろう、1924年大正13年〉2月12日 - 2003年平成15年〉4月2日)は、日本政治家自治官僚

自由民主党衆議院議員(10期)、通商産業大臣(第46代)、自治大臣(第43代)、国家公安委員会委員長(第53代)などを歴任した。

来歴・人物

愛知県豊橋市出身。愛知県豊橋中学校(現・愛知県立時習館高等学校)卒業。1949年昭和24年)、京都帝国大学法学部卒業。同年、自治省に入省。愛知県建設部長などを務めた[1]

1969年(昭和44年)4月、地元政財界から衆院選出馬を促され、県庁を辞職[2]。同年12月の第32回衆議院議員総選挙旧愛知5区から立候補し初当選を果たした(当選同期に小沢一郎羽田孜梶山静六奥田敬和林義郎渡部恒三綿貫民輔松永光江藤隆美中山正暉浜田幸一など)。自由民主党では福田派→安倍派→三塚派→森派に属した。総理府総務副長官に就任。

1983年(昭和58年)12月の第37回衆議院議員総選挙においては当選したものの、陣営の山本和明県議が買収容疑で逮捕され[3][4]豊川市議12人が被買収容疑で逮捕された[5]

1984年(昭和59年)11月1日成立の第2次中曽根内閣第1次改造内閣において通商産業大臣宇野内閣時において自民党政調会長1992年(平成4年)12月12日成立の宮澤改造内閣において、自治大臣国家公安委員会委員長を歴任。

鈴木政二参議院議員杉田元司衆議院議員らを秘書から育て、「村田学校」と呼ばれる、政治家の育成を担った。地元での愛称は「むらけいさん」。首都機能移転問題に取り組み、1993年(平成5年)より新首都推進懇談会会長を務めた[1]

1996年(平成8年)10月の第41回衆議院議員総選挙愛知県第15区から立候補し10期目の当選を果たした。1997年(平成9年)、財団法人日本国土開発研究所で重任[6]

2000年(平成12年)の総選挙は出馬せず、引退。地盤は元県議の山本明彦に譲った。

2003年(平成15年)4月2日、急性脳梗塞により、豊橋市内の病院にて死去[7]。79歳没。村田家、自由民主党合同葬が行われ、葬儀委員長は同じ福田派で同期当選だった森喜朗元首相が担当した。

私人としては詩をよく創り、『創生の悲歌』という詩集も出版。詩人としても名高い。学生時代にキリスト教の洗礼を受けたことでも知られる。囲碁は1969年の初当選当時、日本棋院五段の腕前だった[2]

世界連邦運動推進団体・世界連邦日本国会委員会第11代会長。

年表

著書

脚注

  1. 1.0 1.1 村田 敬次郎(ムラタ ケイジロウ)とは - コトバンク
  2. 2.0 2.1 中日新聞』1969年12月9日付朝刊、三河版、8面、「こんにちは候補です (上)」。
  3. 『中日新聞』1983年12月28日付朝刊、県内版、11面、「県議会にも衝撃 村田派違反 山本県議の逮捕 民・社・公・共、一斉に批判」。
  4. 『中日新聞』1988年10月28日付夕刊、9面、「58年衆院選村田派違反事件 山本愛知県議に有罪 前豊川市議らも猶予判決 名古屋地裁」。
  5. 『中日新聞』1983年12月29日付朝刊、県内版、11面、「大揺れ続く豊川市議会 村田派違反 正副議長辞任も」。
  6. 塚本素山ビル参照
  7. “元衆議院議員・村田敬次郎氏が死去”. 東日新聞. (2003年4月3日). http://www.tonichi.net/news/index.php?id=2852 . 2018-7-10閲覧. 


議会
先代:
稲村利幸
日本の旗 衆議院建設委員長
1981年 - 1982年
次代:
松永光
公職
先代:
塩川正十郎
日本の旗 自治大臣
第43代:1992年 - 1993年
次代:
佐藤観樹
先代:
塩川正十郎
日本の旗 国家公安委員会委員長
第53代:1992年 - 1993年
次代:
佐藤観樹
先代:
小此木彦三郎
日本の旗 通商産業大臣
第46代:1984年 - 1985年
次代:
渡辺美智雄
党職
先代:
渡辺美智雄
自由民主党政務調査会長
第34代:1989年
次代:
三塚博

テンプレート:衆議院建設委員長


テンプレート:国家公安委員会委員長