朱鳥
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朱鳥(しゅちょう、すちょう、あかみとり)は、日本で飛鳥時代の686年から使われた元号である。
改元
元号制度は孝徳天皇の代から始められ、大化・白雉の2つの元号が定められたが、孝徳天皇が崩御して次の斉明天皇の代より断絶していた。天武天皇15年7月20日(ユリウス暦686年8月14日)に朱鳥と定められ、32年ぶりに再開された。しかし同年9月9日(ユリウス暦10月1日)に天武天皇が崩御すると、早くも翌年より用いられなくなり、以後15年にわたって一時途絶する。
典拠
行前朱鳥而後玄武、左青龍而右白虎 — 『礼記』曲礼
勘申者
不明。
朱鳥期におきた出来事
- 朱鳥元年(686年)
西暦との対照表
朱鳥 | 元年 |
---|---|
西暦 | 686年 |
干支 | 丙戌 |
朱雀
「万葉集」、「日本霊異記」などには、朱鳥4年、6年、7年、8年などが見える。天武天皇の代の文献には、朱鳥と朱雀の2つの年号が見える。
「古事類苑」は、
按ずるに、続日本紀に、白鳳以来朱雀以前とあれば、朱雀は白鳳より後なること著し、蓋し諸書に朱雀の改元をば、或は天武天皇の壬申とし、或は癸酉とし、或は甲申として区々なれど、其天武天皇の朝の改元なること皆同じ、熱田縁起に天渟中原瀛真人天皇朱雀元年丙戌とあるに拠れば、朱雀は朱鳥の一名にして、天武天皇の十五年丙戌の改元なるべし、そは改元の種子となりし朱鳥は即ち赤雀なりしかば、当時朱鳥とも朱雀とも通はして云ひしならん、然るに上に挙げたる書どもには、朱鳥の号を赤雉に由れりとし、朱雀を赤雀、又は三足の赤雀に由れりとして分ちたり、されど赤雉を瑞祥とせしこと、国史及び延喜治部式の祥瑞の下に見えず、頗る疑ふべし、されば朱雀即ち朱鳥にて、再び改元ありしにはあらざるべし、また按ずるに、日本書紀に拠れば、朱鳥は一年にて終りたれど、万葉集には朱鳥四年庚寅、六年壬辰、七年癸巳、八年甲子あり、蓋し庚寅は己丑の誤、壬辰は辛卯の誤、癸巳は壬辰の誤り、甲子は癸巳の誤にして、霊異記に朱鳥七年壬辰とあるを正しとすべし
という。